戦後のイタリア。生活苦に喘ぎながらも懸命に生きる家族、その中心にいる父と子を描いたイタリア・ネオ・レアリスモの代表的作品。登場人物は俳優ではなく、素人ばかり、主演の父親役をこなしたランベルト・マッジョラーニは無名の機械工であった。困窮のなかに生きる庶民の生活と感情とがリアルに、真摯に映し出されて、必見の映画である。
アントニオは二年の失業の後、漸く仕事にありついた。職業安定所の紹介でえた市役所のビラ貼りの仕事であった。月給として固定給と特別手当、家族手当を受け取れるはずであった。家には妻のマリア(リアネッラ・カレーリ)と息子のブルーノ(エンツォ・スタヨーラ)、生まれたばかりの赤ん坊がひもじい思いで待っていた。
ビラ貼りの仕事は、自転車が要る。しかし、アントニオは自分の自転車を以前に質入れしていた。妻のマリアは窮余の策でシーツを代わりに質入れし、自転車を請け出した。翌朝、父親アントニオは子どものブルーノを連れて、ビラ貼りにでた。ところが、仕事中に大切な自転車を若者風の男に盗まれてしまう。夢中で後を追ったが、盗人を見失なった。警察に盗難届けを出すが、相手にされず、自分で捜すハメになった。
翌朝、父親は古自転車市に捜しに行くが見つからない。自転車は分解されて売られている可能性があるので、父と子は、あちこちの部品売りを捜した。突然のにわか雨。父子で雨宿りをしていると、昨日の泥棒らしき男が自転車に乗ってふたりの前を通りすぎ、老人とひとことふたこと言葉をかわし、立ち去った。懸命に彼を追うが、男は雑踏のなかに消えてしまった。父親は老人を捕まえ、男の居場所を問い質したが、「ほっといてくれ、わたしは関係ない」と取り合わない。
父親は苛々し、側にいた子どもを殴りつけてしまった。八つ当りである。ここまで一生懸命に、一緒に自転車を捜してきたブルーノは「なぜぶったの、ママに言いつけてやる」と理不尽な父親に無言の抵抗。父親は、一人とぼとぼとテベレ川の河岸にでた。突然、河に身をなげた者があるとの声。アントニオは自分の息子ではないかと慌てたが、幸い別人であった。アントニオがほっと一息ついていると、心細そうにこちらを見ているブルーノがいた。二人は気を取り直してカフェで一緒にチーズパイを食べ、ワインを飲んだ。
父と子は女占い師のところに立ちより占いをしてもらった。自転車はすぐに見つからなければ、永久に出てこないとの占い結果に落胆。そこに、先ほどの若い男がまた自転車にのって通りすぎていった。父親は再び追い、若者を捕まえたが、仲間たちに逆に取り囲まれ「人違いだろ、証拠があるのか」の押し問答となってしまった。子どもは警官を呼んできた。結局、盗品の自転車は出てこず、埒があかなかった。
父と子は道端に座りこみ、途方にくれていた。サッカー場まで来ると、そこには何千台もの自転車がならんでいた。アントニオは息子ブルーノに家に帰るようにうながすと、近くにあった自転車の一台を盗み逃げ出した。しかし、大勢の人達に追いかけられて捕まり、袋だたきにあった。帰宅しようとしていたブルーノが騒ぎの場に戻ると、父親は群衆の中で小突き回されていた。息子は、父にしがみつき、泣いた。自転車の持ち主はブルーノの姿のいじらしさに、警察沙汰にするのを見逃してくれた。「息子に感謝するがいい」の声を残して人々は立ち去り、傷ついた父子はそこに取り残された。後悔と失意でアントニオは声もなかった。