「正」と「続」を読む順が逆になってしましたが(「続」については本ブログ2月26日付)、両者の関係は著者が語っているようにほとんど関係ないので、気にしませんでした。
「正」は、「続」よりも各段に面白いです。内容は著者が、若いころに夏目漱石、芥川龍之介、久米正雄、菊地寛、宇野浩二、広津和郎ら文人と出あったり、交流したりしたことを回想したものです。
気取った文章ではなく、平易に描かれていますが、臨場感たっぷりで、本の各ページに著名な作家がいるように思えてしまうほどです。
漱石宅で著者が胃の調子や自分の作品のなかでどれが一番よいかを聞いたときのこと、漱石の葬式のおりの家族の様子、弟子たちの動きなどが、とおり一遍の表現ではなく現在進行形で書かれています。
高村光太郎のアトリエに芥川、久米といったときの様子、ほとんど来客を無視していた千恵子のこと。与謝野鉄幹、晶子が中心になった句会に、芥川と一緒に参加した時のこと、その会での高村光太郎の様子、関連して芥川がせっせと俳句や短歌を詠んでいたいたこと。宇野浩二の「苦の世界」と関わりがないでもないヒステリー女。上野清凌亭で芥川が自分の女性ファン(亭の接待の女性)を自慢していた様子、その女性が後の佐多稲子だったこと。谷崎潤一郎を芥川と一緒に訪れると、そこで日本の古典論議がおこったったこと(源氏、枕草子、伊勢物語、竹取、宇治拾遺、今昔、大鏡、増鏡、蜻蛉日記、土佐物語、古今集、新古今集などなど)、阿蘇山登山ですべってころりんの河東碧梧桐のこと、面白いエピソードはあげればきりがありません。
わたしなど、森鴎外と夏目漱石とでは鴎外のほうが先に死んだと思っていましたが、そうではなく漱石が先でした。漱石の葬式の場面に鴎外が来ていたとの記述があるからわかった次第です。
また芥川が鴎外を見かけたのも漱石の葬式が最初のようです。そう書いてありました。
著者は、文学論もしっかり書いています。久米正雄は通俗小説家になってしまいましたが、若いころの俳句が一番で、その世界では大きな貢献したとか、菊地寛の「父帰る」の文学的位置もしっかりおさえています。
有島武郎と波多野秋子の情死についての論稿も一編、入っていました。著者は有島にもあって、よく知っていたらしく(情死の前日に逢っています)、有島が「めんくい」であり、秋子にとりこまれ、肺をわずらって死にたがっていた秋子とはかなり前から心中が予定されていたこと、そのことを有島の思想(ベルグソンの純粋持続による生命の飛躍の哲学とホイットマンの徹底的個人主義の思想)とも結びつけて解き明かしています。
本書は珠玉の回想録で、文学史上の価値は高いのではないでしょうか。