【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

江口渙『わが文学半生記』青木文庫、1968年

2011-02-28 00:02:20 | 文学

  「正」と「続」を読む順が逆になってしましたが(「続」については本ブログ2月26日付)、両者の関係は著者が語っているようにほとんど関係ないので、気にしませんでした。

 「正」は、「続」よりも各段に面白いです。内容は著者が、若いころに夏目漱石、芥川龍之介、久米正雄、菊地寛、宇野浩二、広津和郎ら文人と出あったり、交流したりしたことを回想したものです。

 気取った文章ではなく、平易に描かれていますが、臨場感たっぷりで、本の各ページに著名な作家がいるように思えてしまうほどです。

 漱石宅で著者が胃の調子や自分の作品のなかでどれが一番よいかを聞いたときのこと、漱石の葬式のおりの家族の様子、弟子たちの動きなどが、とおり一遍の表現ではなく現在進行形で書かれています。

 高村光太郎のアトリエに芥川、久米といったときの様子、ほとんど来客を無視していた千恵子のこと。与謝野鉄幹、晶子が中心になった句会に、芥川と一緒に参加した時のこと、その会での高村光太郎の様子、関連して芥川がせっせと俳句や短歌を詠んでいたいたこと。宇野浩二の「苦の世界」と関わりがないでもないヒステリー女。上野清凌亭で芥川が自分の女性ファン(亭の接待の女性)を自慢していた様子、その女性が後の佐多稲子だったこと。谷崎潤一郎を芥川と一緒に訪れると、そこで日本の古典論議がおこったったこと(源氏、枕草子、伊勢物語、竹取、宇治拾遺、今昔、大鏡、増鏡、蜻蛉日記、土佐物語、古今集、新古今集などなど)、阿蘇山登山ですべってころりんの河東碧梧桐のこと、面白いエピソードはあげればきりがありません。

 わたしなど、森鴎外と夏目漱石とでは鴎外のほうが先に死んだと思っていましたが、そうではなく漱石が先でした。漱石の葬式の場面に鴎外が来ていたとの記述があるからわかった次第です。

 また芥川が鴎外を見かけたのも漱石の葬式が最初のようです。そう書いてありました。

 著者は、文学論もしっかり書いています。久米正雄は通俗小説家になってしまいましたが、若いころの俳句が一番で、その世界では大きな貢献したとか、菊地寛の「父帰る」の文学的位置もしっかりおさえています。

 有島武郎と波多野秋子の情死についての論稿も一編、入っていました。著者は有島にもあって、よく知っていたらしく(情死の前日に逢っています)、有島が「めんくい」であり、秋子にとりこまれ、肺をわずらって死にたがっていた秋子とはかなり前から心中が予定されていたこと、そのことを有島の思想(ベルグソンの純粋持続による生命の飛躍の哲学とホイットマンの徹底的個人主義の思想)とも結びつけて解き明かしています。

 本書は珠玉の回想録で、文学史上の価値は高いのではないでしょうか。

 


江口渙『わが文学半生記[続]』青木書店,1968年

2011-02-26 00:24:51 | ノンフィクション/ルポルタージュ

 この本の上巻は文学のこと、文学者との親交が書かれているとのことですが、「続」ではほとんど社会主義活動にのめりこんでいった著者と周囲の様子がこと細かに叙述されています。

 冒頭にその断り書きがあります。内容は1921年の社会主義者同盟(日本での最初の統一戦線とでもいうべきもの)から始まって、その内部分裂、無政府主義運動、テロリズム組織の結社、関東大震災と大杉事件、その後継グループであったギロンチン社の古田大次郎、中浜鉄らの活動、逮捕、処刑までの経緯です。

 1920年の少し前、日本では社会主義運動が一時華々しく高揚しました。背景にあったのは1917年のロシア革命、また日本で起こった米騒動に象徴される社会不安でした。しかし、この頃の革命運動は全く組織的でなく、革命後の青写真がなく、極端な個人主義、英雄主義が跋扈し、それゆえ人々への社会的影響力はなかったようです。

 志は純真であったかも知れないのですが、行っていることは爆弾の入手と無秩序な爆発実験、銀行強盗、酒と女への耽溺など、信じがたいほどの徒党ぶりでした。必然的にその結果はこの書によれば、福田大将暗殺未遂事件、福田邸へのバクダン小包事件、小坂事件(銀行員を刺殺)などの一揆主義の結末としての挫折でした。

 権力の不当で理不尽な弾圧がそこに加わりました。

 著者は当時、古田、中浜らの無政府主義者を心情的に支援し、彼らとはその活動を記録物として書き残すことを誓いました。本書はその約束の賜物です。彼らへの鎮魂歌ともいえます。

 著者自身は、その後こうした無政府主義の誤りを自覚し、その運動から一線を画すにいたりました。それにしても、今の多くの日本人は、こういう生き方が大正期、東京とその周辺を舞台にあったことをほとんど知らないで生きているのだと思うと不思議です。次は、逆になりましたが、上巻に行きます。

 


「母屋」(東京都豊島区南池袋1-12-6 母屋ビル1F) 

2011-02-25 00:04:35 | 居酒屋&BAR/お酒

                  

 このお店「母屋」は、東京都豊島区南池袋1-12-6 母屋ビル1Fにあります。池袋駅東口を出て、明治通りを南下し、徒歩で7-10分ほど。大きな看板がビルにかかっています。

 中はこじんまりとしていて、35席。テーブル席が23、カウンターが4席、座敷が8席です。

 備長炭の焼き鳥がウリです。「出羽鶴」「母屋」といった銘柄の日本酒、焼酎もたくさんそろっています。ここには専属のソムリエがいて(この日は不在でした)、ドイツワインも楽しめます。

 4,5年前にはよく行ったのですが、しばらくご無沙汰していました。以前にはなかった(と思う)セット物があり、ビール(小)、焼き鳥数本、冷や奴(または漬物)で1500円がありましたので、それを注文しました。

 時間がたって、となりに若者のカップルが。男性のほうが、ビール(大)を注文し、それがずいぶん大きくみえたので、その飲みっぷりを褒めた(?)ところから会話が進み、はずみだし、ラグビーのこと、サーフィンのこと、名
古屋コーチンのこと、トルコ旅行のことなど、若干支離滅裂に話題が拡散し、意気投合しました。久しぶりに楽しい会話でした。


「美しきものの伝説」文学座公演(於:サザンシアター)

2011-02-24 00:10:38 | 演劇/バレエ/ミュージカル


                                 
 時は、明治43年(1910年)から大正12年(1923年)まで。石川啄木が「時代閉塞の状況」と表現したころの話です。

 明治43年、大逆事件で幸徳秋水、菅野スガが理不尽な裁判で死刑の裁きを受け、時代は一気に冬の時代に突入しました。民主主義を唱える者、社会主義者への徹底した弾圧。大正12年には関東大震災があり、直後に大杉栄、伊藤野枝が官憲の手で虐殺されました。海外では、この間、ロシア革命があり、国内では足尾鉱毒事件、米騒動があり、歴史が動きつつありました。

 この時期、堺利彦が「売文社」を創立、翌年、「青踏社」が平塚らいてふによって立ち上げられます。演劇の分野では1913年に「藝術座」が結成され、新風が吹くかのようでした。

 舞台では、このような時代状況のなかで悩みながら新らしい道を切り開こうとした若い群像が生きいきと描かれています。売文社でひょうひょうと仕事をしながら機を待つ堺利彦、血気盛んな大杉栄、辻潤と別れ大杉のもとに走った野枝。

 演劇の世界では上記の島村抱月の「藝術座」が女優、松井須磨子の台頭で人気を博し、片やモスクワ帰りの小山内薫は「自由劇場」で新しい演劇の方向を模索していました。

 「美しきものの伝説」とは、不正な社会を真面目に変革しようと願い、行動した人たちに対する、また芸術活動に新風をもたらした青年たちの生き方に対する熱い想いと憧憬の表現なのです。

 野枝役の荘田由紀さんは目ぱちくりで可愛らしく、何ともいえないオーラがありました。大杉栄役の城全能成さん、小山内薫役の星智也さんは声がよくとおり、活舌もよく、堂々たる演技です。

 舞台は後半がやや理屈っぽく、長椅子に寝込み風邪をひいて苦しそうな抱月とまだ学生の身分である久保栄との演劇をめぐる長い議論(20分ほど)、大杉、野枝、辻潤がテーブルを囲みながら辻潤が独白を続ける場面が印象的でした。お客さんはこの理屈っぽい場面にも緊張感を保ってしっかり観ていました。


 ≪プロローグ≫
 ≪第一幕≫
 一場 [大正元年の秋]四谷の売文社
 二場  [翌年の夏]日本橋のカフェ・パウリスタ
 三場 [翌年の冬]劇場の舞台(劇中劇)
 四場  [前の場面のしばらく後]劇場の楽屋
 五場 [大正五年の春]四谷の売文社 

 ≪第二幕≫
 一場 [大正六年の秋]日本橋のカフェ・パウリスタ
 二場  [翌年の秋]牛込の藝術倶楽部(舞台)
 三場 [大正八年の正月]四谷の売文社
 四場  [前の場面のしばらく後]牛込の藝術倶楽部(道具部屋)


 作:宮本研  演出:西川信廣
 
  出演: 
 大杉栄(クロポトキン)    城全能成
 荒畑寒村(暖村)       石橋徹郎
 堺利彦(四分六)       松角洋平
 伊藤野枝(野枝)       荘田由紀
 島村抱月(先生)       得丸伸二
  小山内薫(ルパシカ)    星智也
  沢田正二郎(早稲田)     鍛治直人
 中山晋平(音楽学校)     岸槌隆至
  久保栄(学生)         佐川和正
 平塚らいてふ(モナリザ)   松岡依都美
 神近市子(サロメ)       鈴木亜希子
 辻 潤(幽然坊)        神野 崇

 黒岩比佐子さんの「パンとペン」(本ブログ1月6日掲載)を読んでいたので、話の展開がよくわかりました。
 


岩田規久男『金融危機の経済学』東洋経済新報社、2009年

2011-02-23 00:05:33 | 経済/経営
                    
 著者は、本書を書いた目的を次のように説明しています。2008年9月以降に起きた世界金融危機が二度と起こらないように願って、①サブプライム・ローン問題の本質は何だったのか、②それはなぜ世界危機を引き起こしたのか、③世界金融危機が起こるまでと起きた後の各国(とくにアメリカ)の対策のどこにどのような問題があったのか、この経験からどのような金融危機防止策をとるべきか、について書くと(「はじめに」)。

 この課題の解決の道筋を示すために、著者はまず2000年代に入って信用力の低い人々向けのサブプライム・ローンがなぜ急増したのかを解説し(この部分はよく言われていることが書かれています)、続いてこのことが2007年以降の金融危機の引き金になった原因が、2000年頃からの証券化にともなう信用リスク移転取引市場に大きな変化が起きていたことにあったと述べています(債務担保証券市場とクレジット・デフォルト・スワップ[CDS]市場が急拡大したこと)。

 さらに、このことが世界的金融危機にいたってしまったのは、①サブプライム・ローンが住宅価格の上昇を前提としたローンであったこと、②このローンが複雑すぎて、投資家が適正な価格を見出す情報をもたなかったこと、③金融機関と投資家のレバレッジ比率(資産÷自己資本)が高すぎ、かつ短期資金への依存度が高かったこと、④ローンな関連の証券化商品が世界中の投資家によって購入されたこと、そして⑤大金融機関の破綻があったからなのだそうです。

 換言すれば、サブプライム・ローンの延滞率が2割弱程度に上昇しただけで、その関連市場がパニック状態になったのは、第一に、このローンは住宅価格が下落すると、債務不履行が急増する特徴をもったものだったこと。第二に、このローンの関連証券の構造が複雑で、投資家にはその中身を知る手掛かりがなかったこと、第三に多くの投資家のレバレッジ比率が著しく高く、くわえて短期資金で満期が長期のサブプライム・ローン関連証券に投資していたため、後者の価格下落によって投資家が資金繰りが苦しくなり、結果的に流動性危機におちいったからに他なりません。

 著者は後半部分で、望ましい金融危機の緊急対策を次の5点にまとめています。①流動性対策:中央銀行による流動性の大量供給、②預金保険制度による対応(破綻銀行を救済する銀行への資金援助と預金保護の引き上げまたは全額保護、③不良資産を優良資産から分離し、専門機関が処理、④銀行の国有化、⑤銀行への資金注入(p.171)。

 今回の危機は言ってみれば、非金融機関(投資銀行、ヘッジファンドなど)発の金融危機でした。それゆえ、従来型の銀行中心の金融安定化・危機対策では到底対応できず、体系的な金融規制と金融監視とともに資産価格の安定化政策の提唱、具体的には資産成長率に連動させた自己資本比率の規制などの選択が必要だったのです。ベア・スターンズの破綻からリーマン・ブラザーズの破綻を経て、AIGの破綻にいたる間の、アメリカ政府とFRBの対応の迷走ぶりと対応の遅れは、銀行中心の金融安定化政策に拘泥し、非銀行金融機関を巻き込んだ新たな次元の危機への対策を打てなかったためと言っていいようです。

福島清彦『持続可能な経済発展-ヨーロッパからの発想-』税務経理教会、2005年

2011-02-22 00:05:10 | 経済/経営
          
 半世紀ほど前から構想されたヨーロッパ統合。それはEU(欧州統合)として実現しましたが、この歩みは2000年以降、「持続可能な発展(Sustainable Development)」という思想の樹立(アメリカ型の成長至上主義との決別)という形で現在も進行中です。

 本書はこの「持続可能な発展」という思想の内容、その具体化である持続可能な発展戦略がもつ現代的を意義を紹介した本です。

 持続可能な発展戦略は3つの柱をもっています。それらは、環境、福祉、競争力です。これに発展途上国の発展の支援という視点がくわわるそうです。

 EUの環境・エネルギー政策については、2005年3月のグリーンペーパーにもとづいて解説されています。白書に掲げられている優先政策は以下の6点です。(1)電力とガスについて欧州域内供給網の完成、(2)加盟国の結束で、供給の安全を保証する域内エネルギー市場、(3)エネルギー源の多様化、効率化、(4)気候変動を防止する統合された取り組み、(5)エネルギー分野での技術革新促進、(6)首尾一貫した対外エネルギー政策。

 福祉政策では、各国が歴史的に作ってきた固有の精度を尊重しつながらも、それらを公開しあい、学ぶべきものを取り入れることを推奨する「開放的調整政策」がとられているようです。福祉政策と労働市場の在り方に関しては、市場の弾力性の確保と失業時の安全の保証の両立が志向され、それは「弾力的安全性(flexicurity)」という造語に象徴されています。

 最後の競争力強化政策に関しては、2000年3月に採択されたリスボン戦略が重要です(基本目標:雇用、人的資本、研究開発、サービスの市場統合、行政改革)。それぞれの目標には、数値も公表があります。この戦略は、内容的に達成が困難と認められたのため、2005年に見直しがなされ、新リスボン戦略としてまとめられました。その内容は、教育によって労働力の質を高め、若年の長期的無業者、失業者に対して、労働の習慣を身につけさせることにポイントがあるそうです。

 EUのいまを知るには、好著です。著者からいただいた本で、少々、遅くなりましたが読了しました。

黒岩比佐子『編集者 国木田独歩の時代』角川書店、2007年

2011-02-21 00:00:43 | ノンフィクション/ルポルタージュ

           編集者 国木田独歩の時代 (角川選書)

 国木田独歩(1871-1908)といえば、自然主義文学の作家として知られます。

 本書では、その独歩がグラフ誌の編集者として活動し、その才能をあますとろなくつぎ込んだことを紹介されています。独歩研究者の間でもあまり知られていなかったことらしく
、興味深く読ませてもらいました。

 その紹介によると、独歩は21歳で自由党の機関誌を発行する自由社に入って以来、国民新聞社、報知社、民声新聞社とジャーナリズムの世界に生きたそうです。

 31歳で『東洋画報』の編集長、『近時画報』と改題後これをグラフ誌として成長させ、日露戦争年間には『戦時画報』と改題して人気を得ました。

 さらに、『婦人画報』『新古文林』『実業画報』『美観画報』『遊戯雑誌』などを各ジャンルで創刊、その後「独歩社」を興して活動を続けました。「自由の國」と呼ばれた独歩社には若い文士、画家があつまり、さながらサロンのような空気もあったようです。

 独歩自身ジャーナリズムという業界での編集者の仕事には、いたく気に入っていたようであり、その活動はみかけは華々しかったのですが、経営的には苦しく、組織として立ち行かなくなり、解散してしまいました。

 もともと体が弱かったところへ、雑誌社経営の苦労が絶えず、肺をわずらい数え38歳(満36歳)で病没しました。晩年は意欲的に作家活動を展開しました。

 このように、著者は独歩の人生にとって負の側面であり、忘れ去られた一面に光をあて、独歩の生涯を体系的に構築しました。すばらしい業績です。

 独歩の妻、治子も小説を書き、独歩社の顛末をあつかった「破産」があるようですが、著者は仮名の登場人物を実在の人間に丹念に対照、そのなかに女性写真家がひとりいたことを知り、その人が誰かを調査しています。苦心惨澹の末、この女性写真家が愛媛出身の日野水ユキエであったことをつきとめました。

 調査のプロセスは、本書で詳しく書かれています。明治期、雨後の筍のように生まれ、しかし経営が難しく消えていった雑誌の数々、それらの紹介も面白いです。硯友社と自然主義の対立、田山花袋、小杉天外、真山青果、岩野泡迷鳴、窪田空穂、相馬御風など懐かしい作家が多く出てきます。


「キツツキのあかいぼうし」(文:高橋健、絵:松永禎郎)小峰書店

2011-02-20 00:00:36 | 詩/絵本/童話/児童文学
                      
 キツツキのチプタとカラスのパシクルのお話。

 やまに大雪が降り、エサはなくなり、キツツキのチプタは困り果てます。村まで降りて行き、エサをもとめました。

 村のゴミ捨て場にはカラスの仲間がたくさん群れていました。チプタはなかまにいれてもらおうとします。からだはキツツキもまっくろで似ているのです。

 しかし、カラスの仲間はよってたかってパシクルをつまみだそうとします。チプタの赤い頭が気にいらないのです。

 カラスのパシクルは、チプタの赤いあたまに墨をぬりました。これでカラスと同じにみえることになました。困ったことがあると、パシクルはチプタをいつも助けてあげました。

 やがて、春に。あめが何度もふり、チプタの頭の墨は洗い流され、もとのキツツキの外見になりました。チプタは山に帰ることになります。

チプタが飛び立つとパシクルがあとからついてきます。チプタはパシクルに、頭が赤くないと山では暮らせないと伝えたのに・・・。山につくとパシクルは山の魅力に感動します。何とかして山にいようと、そしてチプタをおよめさんにもらおうと、チプタはカラスウリの実で頭を赤くして、努力します。

 そしていろいろあって、二匹は結婚? ところが、・・・・・。

 これまで紹介してきた絵本と少し違うのは、お話のなかに(オスとメスの)求愛があること、絵のなかで自然がのびやかに描かれていることです。

トルストイ『3びきのくま』(絵:バスネツォフ、訳:おがさわらとよき)

2011-02-19 00:03:00 | 詩/絵本/童話/児童文学

            3びきのくま (世界傑作絵本シリーズ―ロシアの絵本)
 有名な文豪、トルストイが書いた童話です。こどものために買ったこの絵本。もう数十年前なのに、いまだに出版されているようです。子どもの絵本は、できがよいと息が長く、世の中にでています。

 森のなかでひとりで遊びにいっているうちに迷子になってしまった女の子。気がつくと、小さな家がありました。家のなかには誰もいず、女の子はなかに入りました。

 この家は3匹のくまの家で、お父さんがミハイル・イワノヴッチ、おかあさんがスターシャ・ペトローブナ、子どもはミシュートカといいました。

 女の子が家に入ると食堂があり、寝室がありました。食堂には3びきのスープの入ったおわんとスプーンがならんでいました。女の子はそれぞれを試しに食べてみますが、一番小さい、ミシュートカのがおいしいと思います。

 椅子がやはり3つあって、女の子はお父さん用のから順にすわりますが、ミシュートカのが一番体にあいます。シーソーのように漕いでいるうちに、こわれてしまいました。

 寝室にいくと3つのベッド。小さいミシュートカのベッドが一番いねごこちがいいように感じました。そのうち女の子はすやすやと眠ってしまいます。

 そこに3匹が散歩から帰ってきました。さあ、大変。このお話の最後は、みなさん覚えていますか??

 いかにもロシアの人が描いた暖かいぬくもりのある絵です。


『モチモチの木』(文:斎藤隆介、滝平二郎:絵)岩崎書店、1971年

2011-02-18 00:11:31 | 詩/絵本/童話/児童文学
                
            
 5歳の少年の豆太は、じいさまとふたりくらし。そして臆病もの。夜中にひとりで、せっちんにいけない。せっちんは外にあるし、大きなモチモチの木がつったていて、髪の毛をバサバサとふるって脅かすからです。それで、いつもじいさまを起こしてついてきてもらう。

 モチモチの木というのは、豆太がつけた名前です。この木は秋になると実をつけ、落ちたその実をじいさまがあつめて石臼でひきます。こなにしてもちをつくって、ふかして食べるのです。それはおいしいもちです。

 その晩は、そのモチモチの木にひがともる日でした。霜月20日の晩でした。山の神のおまつりで、勇気のある子どもだけがみれるのです。

 ところが、その晩、じいさまが腹痛をおこして、苦しがっています。豆太は夜道がこわいのも忘れ、ふもとの村にお医者さんを呼びにいきます。大好きなじいさまに何かがあっては大変です。豆太はねまきのまま、なきながら、走りました。しもが足にからみついて血がでてきました。

 お医者は豆太を背負って、じいさまの家へ。その時、豆太は家の前のモチモチの木がひかっているのをみました。お医者は教えます「あれは、トチの木のうしろに付が出て、そこに雪がふっているのでひかってみえるのだよ」と。

 じいさまの腹イタはなおりました。じいさまは豆太が一人前になった、臆病ものでなくなったと喜びます。

 このあと、豆太はどうなたのでしょう・・・・。

 こどもと一緒に何度も読んだ絵本の一冊です。

いわむらかずお『14ひきのあさごはん』童心社、1983年

2011-02-17 00:00:02 | 詩/絵本/童話/児童文学

             14ひきのあさごはん

 ねずみの一家。おじいさん、おばあさん、お父さんとお母さんとこどもたち。子どもは10ぴき。

 起床から、朝食につくまでが、ストーリーになっています。

 おじいさんが起き、ついでおばあさん、おかあさん。他はまだ、寝ています。朝の一番しあわせな眠りからまださめません。行儀もいろいろ。体をまるめている子もいれば、ベットからころげおちている子も。みなそれぞれです。

 そのうち全員、起床。顔をあらって、体操をして、のいちごをつみにいきます。のいちごのある森にはいろいろな昆虫が・・・。そして植物が・・・。

 おばあさんとお母さんは、残ってパンを焼きます。

 この絵本も画がすばらしく、いきいきしています。みな、個性的な動きをしています。こどもたちは、この本をつうじて家庭の味わいを知ることでしょう。でも、よく考えてみると、描かれた画は日本の家庭の原風景のようでありながら
、いまでは失われた風景でもあるようです。

 


北欧民話『三びきのやぎのがらがらどん』(絵:マーシャ・ブラウン、訳:せたていじ)福音館書店

2011-02-15 00:12:19 | 詩/絵本/童話/児童文学

            三びきのやぎのがらがらどん―ノルウェーの昔話 (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)

 北欧民話です。いまは30歳をこえた子どもが小さい頃、何度もよんで、よんで、とせがまれた本の一冊です。

 話の内容は、ぜんぶ「がらがらどん」という名前の三匹のやぎが、くさばで太ろうと山にのぼっていくことにしたのですが、そこへ行くには深い谷にかかったはしをわたらなければならず、おまけにはしの下には恐ろしい「トロル」という怪物(?)がいるのでした。ぐりぐり目だまで、ひかきぼうのような鼻をもったトロルです。はしをわたるのには決死の想いでのぞまなければなりません。

 やぎは小さい順にはしをわたります。トロルに脅かされます。「たべちゃうぞー」と。そのたびに、やぎは後からもっと太ったおおきいやぎが来るから見逃してくれと、いいわけをします。

 一番大きな3匹目がはしをわたろうとすると、ふたたびトロルが登場して、威嚇します。このやぎはトロルをおそれず、逆に戦いをいどみます。さて、この結末は・・・・。

 昨日の、「てぶくろ」もそうですが、この本も絵本なので絵をたのしめます。日本人とはちょっと感覚の違う絵ですね。めくられる絵は紙芝居のようであり、文章がそれにくっついているのです。

 ある保育園でそだった子は、この本が怖くて怖くて、保母さんが読むたびに耳をふさいでいたとか。子どもの反応はいろいろです。


 手もとにあるのは33刷で1978年版。初版は1965年です。この本は現在もまだ出版されているようで、長く子どもたちの支持をえている息のながいベストセラーです。


ウクライナ民話『てぶくろ』(絵:エウゲニー・M・ラチョフ、訳:うちだりさこ)福音館書店

2011-02-14 00:19:54 | 詩/絵本/童話/児童文学

              てぶくろ―ウクライナ民話 (世界傑作絵本シリーズ―ロシアの絵本)

 少し大判のこの絵本。画像のように楽しそうな装丁です。

 おはなしは、おじいさんが森を散歩して手袋をおとし、それにねずみ、かえる、うさぎ、きつね、おおかみ、いのしし、くまが入ってしまうというものです。

 全体が15ページしかなく、1ページごとに、手袋に入る動物が増えていきます。絵本ですから絵が主で、小さな手袋が動物がいっぴきづつ入るごとに膨らんで、手袋にはだんだん梯子がついたり、小屋のようになり、一軒家のような構造になっていきます。

 森にはこんなにたくさん動物がいて、季節はどうやら冬のようで、みんなが寒いので身をよせあって、おおかみ、いのしし、くまなどの恐そうな動物も一緒になっているというところが面白いです。

 これを読み進む小さな子どもたちは森の奥深さに想像力を働かせ、動物たちが仲良くよりそっていることに親しみを感じるかもしれません。そして、この手袋をおとしたおじいさんってどんな人? と思うかもしれません。

 ところで、この絵本の最後は、このままではなく、意外なことがおこります。この結末は、絵本をひらいてたしかめてください。


 


昨年の読書から

2011-02-12 00:22:56 | 読書/大学/教育

 毎年、1年間に読んだ本の中で印象に残った本を20冊ほど一覧していましたが、昨年の分について、それをするのを忘れていました。
 ここにベスト25を掲げます(並んでいる順は、よかった順ではありません)。特徴的なことは、若いころ読んでよかった岩波新書を何冊か再読しましたが、改めて読んでも印象に残ったことでした。

・ジャレド・ダイアモンド/倉骨彰訳『銃・病原菌・鉄(下)』草思社,2000年
・浜矩子『グローバル恐慌-金融暴走時代の果てに-』岩波書店,2009年
・久世光彦『一九三七年冬-乱歩』新潮社,1997年
・奥村宏『会社はどこへ行く』NTT出版,2008年
・藻谷浩介『デフレの正体』角川書店,2010年
・黒田日出男『江戸図屏風の謎を解く』角川学芸出版,2010年
・松岡正剛『神仏たちの秘密-日本の面影の源流を解く-』春秋社,2008年
・大石慎三郎『将軍と側用人の政治』講談社,1995年
・中野京子『怖い絵1,2.3』,朝日出版社,2009年
・馬場基『平城京に暮らす-天平人の泣き笑い-』吉川弘文館,2010年
・馬場錬成『ノーベル賞の100年』中央公論社、2000年
・村井吉敬『エビと日本人Ⅱ』岩波書店,2007年
・森まゆみ『明るい原田病日記-私の体の中で内戦が起こった-』亜紀書房,2010年
・柳田邦男『マリコ』新潮社,1982年
・山根一眞『はやぶさの大冒険』マガジンハウス,2010年
・湯浅俊彦『書店論ノート-本・読者・書店を考える-』新文化通信社,1990年
・米沢冨美子『猿橋勝子という生き方』岩波書店,2009年
・米沢冨美子『二人で紡いだ物語』出窓社,2000年
・内田義彦『資本論の世界』岩波書店,1966年
・杉原四郎『J.S.ミルと現代』岩波書店,1980年
・吉田洋一『零の発見-数学の生い立ち-』岩波書店,1939年
・河野健二『現代史の幕あけ-ヨーロッパ1848年-』岩波書店,1982年
・伊藤一彦/堺雅人『ぼく、牧水(新書)歌人に学ぶ「まろび」の美学』角川書店,2010年
・岡田茉莉子『女優 岡田茉莉子』文藝春秋,2009年
・内田一郎『相撲の歴史』講談社,2010年


呉智英『読書家の新技術』朝日新聞社、1987年

2011-02-10 00:37:12 | 言語/日本語
           読書家の新技術 (朝日文庫)

 教養としての読書の時代から、現代は転換期に入り、新たな知の体系がもとめられています。しかし、現実は事実主義、俗流イデオロギーが跳梁し、混迷した状況です。

 著者は「私の読書論。それは一言で言えば、近代教養の転換期における知の主体者としての自分を確立する作業」(p.87)と規定しています。文中、かなり過激な表現もありますが、考え方の核はしっかりしているのではないでしょうか。

 なぜなら、「聖書」「論語」など古典をおさえ、柳田國男、折口信夫を耽読しているようですし、流行の読書論のなかから、矢永永一、山本七平のそれを内在的に批判し「通念としての事実に世俗的教養という衣をかぶせただけのきわめていかがわしい代物」と結論づけているからです。

 読書の道しるべとなる「書評」の読み方、「政治」という用語の理解(それは権力・支配の問題で、その日常型が「行政」)、紹介されているブック・ガイドは、いずれも参考になりました。