【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

菅原克也『英語と日本語のあいだ』講談社新書、2011年

2013-02-28 00:09:49 | 言語/日本語

          

  平成21(2009)年3月に公示された新指導要領は、平成25(2013)年から高校学校の英語の授業は英語で行うことが義務付けられた。

  著者は、この教育方針に異論を唱え、日本の教育環境で英語の授業を行う場合には文法と訳読を中心にすべきであり、英語で授業を行えば、その内容は中途半端になる、英語の文章を本当に理解しているのかがはっきりしなくなり、文章の内容がよくわからないことを質問するのも難しくなり、またその質問に英語で回答されても理解できない、ことになりかねない、コミュニケーションのための英語(話せる英語)と言うことがしきりに喧伝されるが、現在の教室の規模ろカリキュラム編成で、それは無理、しかkり読めるようになってこそ、上手な英語が喋れるようになる、と唱えている。

  もし、本当に英語で授業と言うことになれば、授業内容は低下し、知的訓練の質は維持できなくなる、と懸念している。このような主張をしたうえで、著者はさらに訳読と翻訳との違い、について論じていて、ここは参考になる。とくに、日本語、英語の背景にある文化の相違、それぞれの言語に固有の作法、翻訳元と翻訳先のどちらを尊重するのか、訳語の選択の問題、連語関係に着目することの重要性、など。

  要するに、高等学校までの学校英語は、文法の学習、「読む」力の涵養に力を入れるべきで、「読む」力をつけるには、どのような勉強を行うべきか、教室で「読む」力を鍛える訳読とは何か、英語と日本語との間にどのような関係を考えるべきか、そもそも「コミュニケーション」とは何なのかを、考えようというのが、本書の基本的スタンスである。


「奇跡のクラーク・コレクション-ルノワールとフランス絵画の傑作」(三菱一号館美術館[東京・丸ノ内])

2013-02-27 00:09:10 | 美術(絵画)/写真

      

 忙中閑。先日、東京・丸ノ内の三菱一号館美術館で開催されている「奇跡のクラーク・コレクション-ルノワールとフランス絵画の傑作」に行く。


 クラーク・コレクションというのはアメリカのロバート・スターリング・クラーク(1877-1956)とフランシーヌ・クラーク(1876-1960)の夫妻が集めた、フランスの印象派を中心にした絵画・工藝コレクションのこと。とはいえ、収集した作品は幅広く、ルネサンス期から19世紀ごろまでの絵画作品が多く、図版、写真、銀器、磁気などもある。スターリングの祖父は法律家であり、シンガーミシンの共同創業者で、その事業によって莫大な利益を得たが、父母も絵画に関心があり、その影響があって、スターリングが収集を始めた。妻のフランシーヌの協力も大きかった。

 そのコレクションは、クラーク美術館に収められている。所在はマサチューセッツ州、ボストンから少し離れたウィリアムズタウン。1955年に開館なったという。

 今回の展示会では、ルノワールの作品が目立つ。22点ほど来ている。ルノワールの作品は、美術全集でおなじみのものではなく、一度も観たことがないものが多い。「自画像」が2点ほどあった。「眠る少女」は大きくて魅力的だ。他に、コロー、ドーミエ、ピサロ、マネ、ドガ、ミレー、シスレーなども。アメリカの田舎の美術館にあったものが、おめみえしたという感じで、これらの画家の作品もこれまでに見たことがないものばかりだった。

 ジョバンニ・ボルティーニという画家の「道を渡る」「かぎ網をする若い女」は小さな作品だが、筆致が細やかで、ユニークだった。印象が強く残った。

 どの作品も珠玉の宝石のようだ。色彩もあざやかだし、モチーフも新鮮。フランス絵画が全盛だった頃の作品ばかり。クラーク夫妻の審美眼に触れた思いだ。

         


安岡章太郎『でこぼこの名月』世界文化社1998年

2013-02-26 00:01:43 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

             

  本書は著者が昭和44年(1969年)から平成9年(1997年)までに書いた小品文や随筆を集めたもの。


  論じられている題材は広範だが、印象に残ったのは、円山応挙、伊藤若冲、小出楢重、地主悌助、熊谷守一、シャガールについての考察。円山応挙に関しては、巻頭に「山水画」「難福図巻(牛裂の刑)」「江口君騎象図」が色刷りで掲げられている。他に岩佐又兵衛「山中常盤物語絵巻」、伊藤若冲「仙人掌群鶏図」、小出楢重「Nの家族」、地主悌助「ブリキ版」「筵」、熊谷守一「いろは歌」が、これらも色刷りで掲載されている。

  本文で、これらの著者による説明があって、なかなか面白い。かなり詳しく掘り下げて分析している。とくに、応挙の「牛裂の刑」について述べた次の文章に着目した、「『牛裂の刑』の場合、下絵は単に成画にない<暢達な描線の躍動がみられる>ばかりでない。図柄まで成画とは完全に違うのである。・・・成画は、むしろ類型的な残虐趣味に陥って、稿本にみられる冷厳なリアリティはないのである」と(p.38)。

  文学については、森鴎外、永井荷風、志賀直哉、太宰治、井伏鱒二、小林秀雄、梶井基次郎が出てくる。「私には、太宰治と井伏鱒二は、とくに警戒を要する作家であった」(p.333)と言っているのが面白い。太宰の文章の調子のよさが影響して、「これ(「リズムと肉声」というエッセイ)を書きながら、もう句読点の打ち方など、いくらか太宰調になりかかっていはしまいかと、不安にかられる」(p.296)とある。

  本書の表題については、こう書いてある、「熊谷守一の書『心月孤○』に私が深い感銘を受けたのも、そこに直截の自我を貫きとおす熊谷氏の強さと澄明さがあるからだが、同時にそれが『でこぼこの名月』としての輝きを覚えさせるのは、その書に何か複雑なシタタカさがあって、それが私の心に強く訴えかけてくるからではあるまいか」(p.350)。


檀ふみ『父の縁側、私の書斎』新潮社、2004年

2013-02-25 00:08:23 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

         

 「モダンリビング」という雑誌があるのだろうか。それに掲載された、著者のエッセイ。テーマは家、住宅で、このテーマのエッセイ集というのは珍しい。


  著者は、作家の檀一雄の娘(女優)。本書では、父親だった檀一雄のことがたくさん書かれている。「火宅の人」だった檀一雄は自宅を普請することに熱心で、書斎もあちこちにもった。坂口安吾の家族がが一カ月ほど居たときには書斎を譲ったとか、俳優の中村伸郎さんの持ち家を檀一雄がある日突然、丸ごと買ったとか、とにかく行動的なだったようである。

  檀一雄が東京を嫌って終の棲家になった野古島の家、石神井の家の間取りが手書きで挿入されている。子煩悩で、家族の団欒を大切にし、料理が好きだった他、表札や竹馬などの子どもの玩具もつくってしまう想い出の檀一雄がそこにいる。同時に、怖い存在でもあったらしい。そうした父のことを書きながら、著者は家、住宅、家財などとの関わりを、ユーモアまじりで書いている。

  分析は細かやか。家のなかの屋根裏、離れ、縁側、土間、段差、テーブル、本棚、炬燵、絨毯、トイレの構造、飾り棚、イヌ小屋、床の間、風呂、別荘なのだろうか山の家のことなど、女性らしい細やかな目だ。かたずけが下手だとか、料理が下手とか、著者は自分のことをそう言っているが、このエッセイを読む限り、魅力的な、今でも可愛い女性と感じた。


「ベルサイユのばら:月組公演」(東京宝塚劇場)

2013-02-23 00:04:45 | 演劇/バレエ/ミュージカル

   
  宝塚東京劇場で「ベルサイユのばら」が公演中。今では、タカラズカといえば「ベルサイユのばら」、「ベルサイユのばら」といえばタカラズカと言われるほど、「ベルサイユのばら」はタカラズカの代名詞になっています。

 池田理代子さんの漫画が原作ですが、わたしはそれを知りません。したがって、「ベルサイユのばら」の内容については無知です。無知を承知で、出かけました。

 夢のような舞台。レビューを含め、2時間半があっという間に過ぎていきました。オスカルこと龍真咲さん、アンドレこと明日海りおさん、好演です(日によっては配役が入れ替わります)。歌も踊りも上手です。とくに銀橋での歌は圧巻です。

 時代はフランス革命の頃、ブルボン王朝がその翳りを見せ始めています。平民たちは重税と飢えにあえいでいました。
 先祖代々フランス王家を守ってきたジャルジェ家の屋敷に、乳母マロングラッセとともにアンドレがやってきます。そのジャルジェ家には、男の子として育てられた末娘のオスカルがいました。
 オスカルは時代の空気、平民の不満を敏感に読み、王宮守護の近衛隊から人民を守る衛兵隊に転属しようとします。
 しかし、衛兵隊は荒んでいたばかりか、最初のうちは貴族出身のオスカルを受け入れようともしなかったのですが、次第に彼らは彼女に心を開いていきます。
 国民議会の平民議員は国王による議会解散命令に従わず、ブイエ将軍は議員たちを追い出そうと衛兵隊の出動を促しますが、衛兵隊の隊長となっていたオスカルはこれを拒否。そのために、オスカルは官位を剥奪されそうになりますが、ジャルジェ将軍のとりなしで、難をのがれます。ジャルジェ将軍はオスカルを男の子として育ててきたことを悔い、フェルゼン家のジェローデル少佐との結婚を勧めます。
 ジャルジェ家で働きオスカルに想いをよせていたアンドレはその話を聞いて悲嘆にくれます。そして、毒杯をあおいでの心中を考えます。オスカルはアンドレの愛情の深さを知り、驚きます。国王から衛兵隊の出兵の命がくだされたその夜、ふたりは結ばれます。
 火ぶたは切られました。オスカルは貴族の称号をすて、フランスのために立ちあがり、国王軍と戦うことを決意しますが・・・。その結末は??
 最後が凄いです戦場で死んだ二人が何と・・・・・・・・・・。

 わかりやすいお芝居ですが、衣裳、歌唱、立ち居振る舞い、そして芝居に続くレビューでタカラズカらしさが醸し出され、至福のひとときでした。


「明日、悲別で」(作・演出:倉本總)新国立劇場・中劇場

2013-02-22 00:05:45 | 演劇/バレエ/ミュージカル

            

 倉本總さん作・演出の「明日・悲別で」(富良野GROUP公演 2013冬)を新国立劇場(初台)に観に行きました。これまで数多くの演劇を観てきましたが、なかでも出色の出来で、強い感動を受けました。


 ストーリーは、簡単に言うと、次のようです。北海道の・悲別(かなしべつ;架空の地名)にある炭鉱が閉山になり、そこはかつてこそ活気と賑わいがあり、若者たちも元気に働いていました。エネルギー源が石炭から石油に代わっていく時代、日本全国の炭鉱は凋落の憂き目にあいます。悲別の炭鉱も例外ではありませんでした。
 若者たちは、仕事場をもとめて故郷を離れていきます。地元に踏みとどまって町おこしに励むものもいます。彼らは20年後の大晦日に悲別での再会を誓い合います・・・。炭鉱の地下300メートルのところに埋められたタイムカプセル(「希望」を封印)をその時、開けようという約束が。
  故郷を離れた若者のなかには、フクシマ原発労働者としてはたらくものもいました。放射線被害を懸念しながら、しかし次第に許容量以上の放射線を浴び、体の変調を訴え、自暴自棄になっていく仲間もでてきました。

 すっかりさびしくなった悲別では、いまはかつての坑内を利用して、核廃棄物の中間処理施設を誘致しようとの動きもありました。地下1000メートルに廃棄物をとりあえず埋めておこうというのです、そうすれば莫大な補助金が村に入っているという仕組みです。浮足立つ地元の人たち。
 そして20年後。みんなで集まる約束をしたはずなのに、帰ってきたものはただの二人。二人は廃坑に入ってカプセルをさがしはじめます。さて、この結末は?

 構成がすばらしいです。また途中の挿入歌が実にいいタイミングで入ってきます。「22歳の別れ」や長渕剛、スタンド・バイ・ミー、そしてビートルズナンバーなど。鍛え抜かれた演技、社会性をもったテーマ、演劇の底力を痛感しました。

SCENE
・閉山 1991年悲別
・葬儀
・駅
・語り部(1)
・密談 2011年悲別
・坑道
・幽霊ダンス
・町角
・夕子
・坑内
・管理事務所(1)
・坑内
・追憶
・語り部(2)
・廃屋
・管理事務所(2)
・坑内・現場
・語り部(3)
・幻の盆踊り
・奇跡
・エピローグ・救出


 


なかにし礼『生きる力-心でがんに克つ』講談社、2012年

2013-02-21 00:01:15 | 医療/健康/料理/食文化

         

 食道癌をわずらった著者が、陽子線治療法とういうものがあるのをネットでみつけ、この治療で全快したそのプロセスの一部始終をまとめた本。


  陽子線治療法のメカニズムは、水素の原子核を利用したもの。これを加速器にかけると陽子線に物質を透過する力が出てくる。透過している最中、そのエネルギーは小さく、健康な肉体へのダメージは少ない。加速した陽子を癌患部にねらい撃ちし、癌細胞を壊すという方法で治癒する。「切らないで癌治療」のひとつで、日本ではこの本によると7箇所でしか行っていない。

  陽子線治療の機械は一台80億円し、保険適用されないので患者の自己負担は300万円ほどかかる。著者は週に5回、合計30回、6週間、この治療を続けたという。スタッフは7人の医師、15人の技師、4人の医学物理士だったという。チームは、完治に自信をもち、明るい雰囲気だったとか。

  著者は妻と協力して、この治療法を独自に見つけるまで、いくつかの病院で診断を受けたが、どこもここも「切る」治療のアドバイスしかなかった、しかし、著者は若いころから心臓に病気をもち、このため全身麻酔による通常の手術では耐えられないと判断して、自分で治療法を探した。

  ある日突然にがんになったことを知った著者は、カフカの『変身』になぞらえて、その事実を引き受け、その後の、あくまでも切るという医師たちとの堂々めぐりのやりとりは『審判』と同じだと感じ、ロボット化された病院のシステムと、医師たちの対応に接し、『城』を想起した、とある(p.111)。

  本書は、小さな本であるが、文中、生まれた満洲のこと、ソ連軍侵攻のおりに目撃した関東軍の姑息な手段などを回顧し、生きぬく力の確認をしつつ、また闘病中にさまざまな作家(カフカ、ドストエフスキー、トーマス・マン、カミュ)によって作品のなかに残された言葉が思考の支えになり、考えの裏打ちになったことを告白している、「日ごろ読んだ本の一言一句をどれだけわが事として痛烈に受けとめ、胸に刻み込んだか、それが大事で、それによって私は本当に助けられたと思っている」(p.134)。本書が単なる闘病記と違う、ズシリと重い人生の書になっている所以である。


「満寿家」(さいたま市浦和区岸町7-1-3:048-822-1101)

2013-02-20 00:29:00 | グルメ

 浦和には、おいしい鰻屋があると、聞いたことがあります。自宅から浦和までは、それほど時間がかかりませんが、あまり下車したことはなく、まして鰻屋を目指したこともありません。それでは、さびしいということで、駅から近い鰻屋をさがし、出かけました。そこは、「満寿屋」で、明治21年創業という老舗です。

             

 JR浦和駅の西口を出て、ワシントンホテルをめざすと、そこからは2-3分です。初めての店なので、地図をたよりに、向かいましたが、近くになると、鰻を焼く匂いがしてきました。


 そういえば、鰻をたべるのも、何と2年ぶりほど。以前はスーパーで買って、自宅で時々、食卓にのりましたが、最近は値段が高くなっていること、それ以上に、中性脂肪の検査値がやや高かったので控えていたことがあります。鰻はコレステロールをあげるほうに、作用するということでした。

 たまには、ということで、出かけた次第です。

 来たかいがあったというお店です。めったにないチャンスだったので、少々奮発して「特上」を注文。出てきたうな重は、それはふくふくとした鰻(坂東太郎)がのったうな重でした。山椒は生のものをかけ、たれのからんだ鰻とよく合います。我慢して食べてこなかったので、禁断症状が一挙にとけ、しばし無言で味わいました。

 うな重ですから当然、重箱の底にはご飯があるのですが、このご飯にもなかなか工夫が必要なようです。何でもいいわけではなく、いわゆるおいしいご飯が必ずしもうな重に適しているわけではないようです。

 混んではいませんでしたが、入れ替わりたち替わりの来客で、繁盛しているようでした。

 ごちそうさまでした。
        


安岡章太郎『風のすがた』世界文化社、2001年

2013-02-19 00:01:39 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

                    

  ものの本によると、安岡章太郎は小説とともに、エッセイの名手との評価があったらしい。自らを卑小にみ、それをコッケイ化して描く性癖もあったという。実際に、そのエッセイを読んでみると、その評価は確かだ。このエッセイ集でもその性癖は垣間見られるし、芸術批評で筆は冴えわたっている。


  とくに、「離俗の生涯」「笑いと涙-十返舎一九」「パリで開かれる鉄斎展」でそれを感じ、「水の流れ-永井荷風文学紀行」「井伏鱒二」では健筆ぶりが発揮されている。

  「離俗の生涯」は、与謝蕪村の芸風について論じたものである。池大雅との共作「十便十宜帖」に臨んだ蕪村の心境への安岡の透徹した眼が印象的だ。「笑いと涙-十返舎一九」では、「膝栗毛」がセルバンテスの「ドン・キホーテ」と対比されている。後者には「≪低劣な現実≫との≪いたましい協和≫」がみられるのに対し、前者にはむきだしの「低劣な現実」が支配している、しかし「膝栗毛」にはユニークな美しさウマさがあり、ながもちする「笑い」が感じられという。

  井伏鱒二の「山椒魚」を安岡は次のように評している、「井伏氏によれば、この作品はチェーホフの『賭』-一人の男が絶望から悟りをひらくという話-から発想を得たとのことだが、なかにこめられた寓意はともあれ、一匹の両生類を描いたこの小説は、その鍛え上げられた文章によって、むしろ象徴詩にたかめられている。翻訳調の文体は、方言をファンタジックなものに変え、山椒魚という醜怪な外見の生物を、おどけた武骨な真性なものに感じさせて、たとえばアンリ・ルソーの絵に見られるような雰囲気をたたえている」と(p.260)。

  他に作家とのつきあいを。安岡章太郎から見た、井伏鱒二、志賀直哉、阿川弘之、吉行淳之介などがそこに居る。


吉田ルイ子『華齢な女たち』中央公論新社、2001年

2013-02-18 00:02:39 | 美術(絵画)/写真

         

  写真家、吉田ルイ子さんがとった女の肖像です。といっても、テーマは顔。「あとがき」に、彼女自身が尊敬していた評論家、大宅壮一が「男の顔は履歴書、女の顔は請求書」と言っていたのに、長く違和感をもっていたそうです。女性を男性の従属或いは所有物の如き表現だと感じたと言うのです。この本は、その大宅壮一の言葉に対するアンチ・テーゼでもあります。だから、この「あとがき」の最後に自筆で、「女の顔も履歴書です。吉田ルイ子、2001年2月」と署名しています。


  本書に登場する女性は以下の30人です。いずれもそれぞれの分野で大きな仕事をした人、自分の確固たる脚で人生を歩いた人たちです。若くはなく、加齢しているので、本のタイトルには「華齢」とあります。写真家の腕もあるのでしょうが、被写体となった女性が美しいです。

  瀬戸内寂聴(作家)、穐吉敏子(ピアニスト)、澤田サタ(写真家)、白石加代子(女優)、高野悦子(岩波ホール支配人)、東恵美子(女優)、今井通子(登山家、医者)、田辺聖子(作家)、小倉遊亀(画家)、寿岳章子(国語学者)、俵萠子(評論家)、櫛田ふき(平和活動家)、宮城まり子(女優、「ねむの木学園」園長)、イーデス・ハンソン(タレント、人権活動家)、中本ムツ子(アイヌ文化伝承活動家)、白石かずこ(詩人)、朝倉摂(舞台美術)、ワダエミ(衣裳デザイナー)、美輪明宏(歌手、タレント)、羽田澄子(映画監督)、高井初恵(浅草はなやしき)、秋野不矩(日本画家)、高橋エミ(歌手)、沼田鈴子(平和活動家)、李麗仙(女優)、平良とみ(女優)、平良敏子(工芸家)、宮崎和加子(訪問介護士)、落合恵子(評論家)、三木睦子(社会活動家)。


カテゴリーの変更

2013-02-17 00:38:57 | その他

  本ブログのカテゴリーを一部、変更しました。

 「経済/経営/社会」の「社会」の部分を、「政治」と合体し、「政治/社会」としました(以前の「経済/経営/社会」は、「経済/経営」となります)。それにともない「経済/経営/社会」のなかに入っていた「社会」関係の記事を「政治/社会」に移動しました。

 また、「江戸学/古典芸能」を「江戸時代(社会)/古典芸能」に変更し、「小説」のなかに入っていた江戸時代をあつかった記事をここに移動しました。

 変更の主旨は、「社会」という項目が、「経済/経営」よりも、「政治」に近いこと、また江戸時代に対するわたしの関心は強いので、小説をとおして知る江戸の社会は、広く「小説」に括るよりも、「江戸時代(社会)」のなかにとりこんだほうが、カテゴリーとして生きてくると思ったからです。


「バッハ 無伴奏パルティータの魅力」 川田知子(ヴァイオリン)

2013-02-16 22:20:23 | 音楽/CDの紹介

             

 川田知子さんのバッハを聴く。曲目は、「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番」と同じく「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番」。


 ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)は、ヴァイオリン独奏のためのソナタを6曲、作曲した。1720年前後である。厳密には1番、3番、5番がソナタ、2番、4番、6番がパルティータである。いずれもポリフォニー(対比法)の極致であり、バッハはこれらの曲におよそ考えられるすべての高度な技法を注ぎ込んだ。

 「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番」は、「プレリュード」「ルール」「ガヴォット」「メヌエット1」「メヌエット2」「ブーレ」「ジグ」で構成される。明るく、華麗な印象を受ける。

 「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番」は、「アルマンド」「クーラント」「サラバンド」「ジグ」「シャコンヌ」から成る。これらは古いフランスの舞曲で、短い主題の上に幾度も変奏が繰り返される。「シャコンヌ」は、ブゾーニがピアノに、ブラームスが左手のためのピアノに、チャイコフスキーがオーケストラに編曲したものがあるという。

 川田さんは自らの楽器、グァルネリで演奏した。圧巻の演奏。その楽器は1689年作製という。バッハが4歳の頃。もしかするとフィリウスかも知れないが、そうかどうかは鑑定が必要らしく、それにはものすごい経費がかかるそうなのだそうだ。

 難しい曲らしく、音の響かせ方、楽譜に必ずしも書かれていない音符をどう演奏するかなど、演奏家の立場から、この曲のディテールを話してくれた。
 


モンクール[Mon Coeur](さいたま市大宮区大門町1-29;048-641-1123)

2013-02-15 17:56:01 | グルメ

           

 JR大宮駅から2-3分。高島屋大宮店のすぐわきにあるのが、このお店です。ロケーションが便利です。そして、店の雰囲気、料理の味もよく、ときどき行きます。

 イタリアンを食べたくなると、ここを選びます。Mon Coeur は、「わたしの心」という意味。

 メニューは豊富です。一例を示すと・・・
・旬のカルパッチョ
・カプレーゼ
・地中海サラダ
・芝エビのトマトクリームスパゲティ
・ペンネクリーム
・マルゲリータピッツァ
・ローストビーフ
・舌ヒラメのポワレ
・自家製ヒレ肉のロースト などなど。

 ワインも豊富ですが、小さなカウンターがあり、ウィスキーもそろっています。

 お客さんはいろいろですが、意外と若いカップル、女性のお友達同士がよくみられます。

 ランチもあるようです。まだ試食したことはありませんが、「食べログ」の書き込みをみると、ランチもたのしめそうです。

         
 


岩崎允胤『橄欖の梢』本の泉社、2001年

2013-02-14 01:27:30 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

            

    著者の幼少時代、青年時代の思い出をフィクションで仕立て上げ、作品化したもの。


   「橄欖の梢」は、一高時代の中国人留学生との思想的交流。背後に日本の中国への帝国主義的侵略があり、ストーリーに時代の緊張感が漲る。

   「たらちねの」は、少年時代の著者と母との関わりを綴ったもの。脚色されているとあるが、ある年の暮から新年にかけて熱海に出かけたことと、そこから小田原や梅園に出かけたことなどの経験は実際にあったことと想像できる。母親への強い思慕の念が窺える。

  なお、「橄欖(かんらん)」は一高の別名である向陵のシンボル、そして、「橄欖」はオリーブの木のこと。


岩崎允胤『天平の桑門-僧行儀の生涯-』本の泉社、2005年

2013-02-13 00:04:38 | 演劇/バレエ/ミュージカル

          

 戯曲の形式(六幕)で展開した行基の思想と人生。「桑門」は僧侶の意。


 河内国高師浜で,15歳の行基(高志基)が友人の珍成麻呂(珍某)に,遣唐使の学問僧として入唐した道照への弟子入り希望を打ち明けるところから物語は始まる。道照のもとで仏教の真髄を習得し,さらに天竺への旅から玄奘三蔵が得た思想と風土の広さを伝授され,寧楽京近郊の布施屋で苦しむ民を救うという社会事業に努め,律令制を乱すものと,朝廷から弾圧されたにもかかわらず,これに屈せず布教に力を尽くし,ついに恭仁京での慮舎那仏造営で勧進役として諸国に旅立つまでが描かれる。

  冒頭,行基が生と死の問題と格闘するところ(p.16),禁令に対して仏の道を説くところ(pp.62-64),おばばが「ひととしていちばん尊いのは,ひとに尽くす心です(p.56)」と語るくだりは,この戯曲に普遍的価値を与えている。