【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

「鳥伊勢」伊勢崎町本店(横浜市中区福富町東通6-4、鳥伊勢ビル1F)

2012-10-30 00:03:46 | 居酒屋&BAR/お酒

        

 横浜の伊勢崎町にある本店。老舗である。50年。観光案内のこの宣伝に誘われて、関内から伊勢崎町のこのお店まで20分ほど歩いて捜しあてた。


 ドアをあけ、中に入ると広い。「いらっしゃい」の威勢のいい声が迎えてくれた。左手にカウンター。11席ある。右手はお座敷になっていて、かなりの客が座れそうである。

 もちろん、焼き鳥を注文。ハツ、皮、レバー、手羽先、つくね、などなど。ここの焼鳥はネタが大きいので食べ応えがある。スミで焼いているのだろうか、じわっとジューシーな焼き鳥だ。その後、今度は野菜を中心に、アスパラ、ぎんなん、シイタケなど次々に注文したが、そのうちお腹がいっぱいになってしまった。

 実はこのお店に来たのは、先日、本ブログで紹介した市原悦子さんとミッキー吉川さんの「ふたりだけの舞踏会」を観た後だった。隣の席にすわっているかたを見ると、年配の男女だったが、彼らも「ふたりだけの舞踏会」のパンフレットをもっていた。聞くと、やはり同じ舞台を観たあと、ここに来たとか。このふたり、いろいろ、舞台を観て歩いているようで、その辺の話題は豊富で、事情通であった。

 最後に鳥のスープが出てきたが、これは本当においしかった。鳥のスープとはこういうものだ、という主張がしっかりあり、これにゆでたラーメンでも入れて食べたら極上である。塩のかげんもちょうどいい。「おいしい、おいしい」を連発。

 あまり長居ははすまいと、小一時間で引き上げる。隣席の方には、またどこかでおあいしましょう、と挨拶して、この日は店を出た。

 伊勢崎町界隈を歩いたのは初めてである。


川本三郎『いまも、君を想う』新潮社、2010年

2012-10-30 00:02:47 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

                 

   夫婦の片方が亡くなって、その死を見送った一方が相手の思い出をまとめたり、想いを綴る本が出版されるようになったのはいつごろのことからだろうか。そうしたジャンルの出版物のことをよく調べたわけではないが、現在抱いている感じからすると、この種のものは妻に先立たれた夫によるものが多いようだ。理由は分からない。一般に男の書き手の方が多いからか、あるいは男のほうが死後も寂しさのなかで相手を想い続けることが多いのか、逆に夫に先立たれた妻は夫の死後、想いを綴るほどのことを夫にもたないのだろうか。


   なにはともあれ、本書は映画評論家としてつとに有名な著者が、妻である恵子さんが食道癌でなくなった後に、彼女への想いをまとめたものである。厳密に言うと、著者が自ら一念発起してこの本を作ったのではなく、「yom yom」という雑誌の編集者が奥さんの追想記を書かないかと勧められ、それに応えて連載した記事を中心に編集されたものである。したがって、編集者がその種の企画が読者受けする昨今の事情をよく知っていて、そこから生まれたアイデアから成った本ということである。

   著者の妻であった川本恵子さんは2008年6月17日に亡くなった。食道癌による悲しい結末だった。捨て猫を飼うはめになった逸話で始まる本書で著者はその恵子さんとの出会い、結婚生活、闘病生活の思い出、葬儀の事情などを誠実に書き連ねている。著者は7歳下だった彼女に溺愛だったことがうかがえるが、生活面ではたよりきっていたようである。日常の些細なことがいまでは懐かしく思い出され、そのひとつひとつを大切にひろって、紡いでいるかのようだ。

   恵子さんは、この本を読む限りでは、芯はしっかりしていて可愛らしく、スキューバダイビングをしたり、ひとりで海外旅行にでかけたり、なかなか行動的だったようす。ファッションメーカーに勤め、デザイナーの仕事をしていた関係で、お洒落にはいつも一言あり(『魅惑という名の衣装』という本を書いている)、詳しかったとか。料理好きでもあった。

   昔から日本にあったガクアジサイがのちに西洋に伝えられ、いま普通にアジサイと呼ばれるアジサイになった、映画「ベニスに死す」に出てくるアジサイは、当時のヨーロッパでアジサイが新しい、珍しい花だったから、というのはいい話だ(p.73)。

   ふたりは、本当に仲のよい友達のようでもあった。


「魅惑のストリングス マントヴァーニ・オーケストラ」(Mantovani Orchestra; Best Selection)

2012-10-29 00:10:51 | 音楽/CDの紹介

            
 マントヴァーニ・オーケストラは、ムードミュージックの最高峰にある楽団のひとつとして一世を風靡した。 


 マントヴァーニ自身は、その名前からもわかるようにもともとはイタリアの人。1905年11月にイタリアのヴェネチアで生まれた(1980年3月死去)。父はイタリアの音楽院で教授をし、ヴァイオリニストでもあり、ミラノ・スカラ座でトスカニーニの指導のもとコンサート・マスターをつとめたこともあった人。マントヴァーニが4歳の頃、父のイギリス公演のおりにイギリスにわたり、それを契機に家族とともにロンドンに移住、その後恵まれた音楽環境のなかで育った。

 ミュージシャンとしてのデビューはロンドンのメトロ・ポール・ホテルに小編成のオーケストラを率いて登場したのが最初。以来、多くの聴衆を魅了し続けた。

 このオーケストラの特色は、カスケイディング・ストリングスとして有名である。それはストリングスの編曲を何重にも施し、ストリングに厚みをつけ、流れるようなサウンドをつむぎだすところにある。

 このCDには、ヒットした「コメ・プリマ」「シャルメーヌ」の他、シャンソンの名曲「枯葉」「ラ・メール」、そしてジャズのスタンダード「朝日のようにさわやかに」「今宵の君は」などが収められている。カスケイディング・ストリングスの魅力をあますところなく伝えている絶品。

1. シャルメー  
2. 映画『赤い風車』::ムーラン・ルージュの歌  
3. グリーンスリーヴス  
4. 恋人よ我に帰れ  
5. コメ・プリマ  
6. ラ・メール  
7. 魅惑の宵  
8. ティル(愛の誓い)  
9. 碧空  
10. 孤独のバレリーナ  
11. 夢みる頃を過ぎても  
12. ラ・ロンド  
13. 朝日のようにさわやかに  
14. 枯葉  
15. 今宵の君は  
16. セプテンバー・ソング  
17. フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン  
18. サマータイム  
19. シェルブールの雨傘  
20. ロンドンデリーの歌(ダニー・ボーイ)  
21. 映画『ティファニーで朝食を』::ムーン・リヴァー  
22. 映画『世界残酷物語』::モア  
 

佐和隆光『これからの経済学』岩波新書、1991年

2012-10-27 00:36:23 | 経済/経営

           
  いまから20年前、1991年に出版された本である(ソ連崩壊の直前)。著者は出版に先立つ1980年代前半あたり(あるいは70年代)からの経済学と経済の動きを念頭にいれつつ、90年以降の見通しを、現在進行形で執筆したのだが、いまこの書を再読すると、この時期の経済学の論調、経済の動きが手際よく整理されていて、すこぶる興味深い。そういう時代を経過していまがあるのだと、感慨することしきりである。


   著者はまず科学(経済学)が「進歩」するという「科学主義」を捨てよ、と主張している。この素朴な「科学主義」の観念は自然科学における科学感に対する劣等感に由来するのであり(ポパーによる新古典派経済学の「科学」としての認定[反証可能性の評価]はまがいもの)、社会科学の存在根拠をかたどるのは時代の価値規範であり、この科学の変遷は価値規範によって駆動される、というのが著者の力点である。

   80年代の経済学は、政治の保守化、経済社会のソフト化(サービス化、情報化、国際化、金融化、投機化、省資源化)を背景に、ケインズ経済学を貶める保守派経済学(サプライサイド経済学、合理的期待形成の経済学、マネタリズム)が跋扈した。現実社会では、アメリカのレーガノミックス、イギリスのサッチャーリズムが先鞭をつけた市場万能主義、効率至上主義(新古典派経済理論にもとづく)が浸透し、それの流れは日本では中曽根首相の政治経済路線(新保守主義改革:各種規制の緩和・撤廃、国鉄・電電の民営化、行財政改革、財政改革などなど)に継承された。

   90年代の時代文脈はどうなるのか。著者は90年代の価値規範を、保守からリベラルへ、効率から公正へ、競争から協調へ、経済成長から環境保全へ、東西緊張から東西融和へといった方向転換に見ていた。その延長で、著者はこの方向を牽引する経済学として、ネオケインズ経済学に期待を寄せている。それは古典的ケインジアンの再登場ではない。新しい時代にふさわしい装いのケインズ経済学の構築である(pp.90-98)。

   本書のポイントは以上であるが、1980年代の思想潮流[新日本主義の台頭](第3章)、経済のソフト化のもとでの経済範疇の新たな解釈と問題点(第4章)、バブル経済とカジノ資本主義の問題点(第5章)にも、ページを割き、時代の思潮、社会経済の現状を浮き彫りにしている。

   計量経済学を専門としてきた著者が計量モデルの,見かけ上の大型化、精緻化にもかかわらず、予測精度にいささかも向上がみとめられないことを承認し、その理由を語っている箇所には(pp.188-90)、溜飲を下げた。


「市原悦子×ミッキー吉野のショーライブ:二人だけの舞踏会」(於・関内ホール)

2012-10-26 00:05:47 | 演劇/バレエ/ミュージカル

        

  市原悦子さんと言えば、わたしにとってはアニメ「日本昔ばなし」で声の出演をしていた方。また、子どもがちいさかった頃、カセットテープで市原さんが朗読をした「昔話」を何度も何度も聴いていたのを記憶している。テレビ番組では「家政婦はみた」に出演して人気を博していたと聞いているが、わたしはテレビはあまり観ないので、これは人づての情報。


 その市川悦子さんがゴダイゴのミッキー吉野さんと組んで、面白い企画をした。題して「市川悦子×ミッキー吉野のショーライブ:二人だけの舞踏会」である。

 ミュージカルでもなく、いわゆる芝居でもない。こういう出し物もあるのかと、感心させられた。ラベルの「ボレロ」で幕があき、「ボレロ」で終わる。この間、約1時間半を、軽い踊り、朗読、歌、ピアノ演奏、語りでつなげていく。

 暗い世相を風刺しながら、「人は食べないと生きられないし、夢をもたないと死んでしまう。そこで”二人だけの夢のごはんの木”を育てることに。自分の生活の日常感覚を大事に胸の内に秘め、不思議な舞踏を踊り、奏で、歌い、芝居もときどきするー」。台本・演出の塩見哲さんはそう書いている。

 挿入された歌は、下記のとおり。
・セーラータンゴ(作詞:ベルトルト・ブレヒト、作曲:クルト・ワイル)
・イントロデュース(作詞・作曲:ミッキー吉野)
・クッキングメニュー(作詞・作曲:ミッキー吉野)
・悲しくてやりきれない(作詞:サトウハチロー、作曲:加藤和彦)
・夢とごはんの木(作詞・作曲:ミッキー吉野)
・風(作詞:市原悦子、作曲:ミッキー吉野)
・蓮華の上で(作詞:市原悦子、作曲:ミッキー吉野)
・ピノ・ミッキーノSPECIAL
・童謡メドレー(構成:塩見哲、編曲:ミッキー吉野)
・あした天気になぁれ(作詞・作曲:三木敏悟、編曲:ミッキー吉野)
・翼(作詞・作曲:武満徹、編曲:ミッキー吉野)
・年老いた女の役者(作詞・作曲:モーリス・シュバリエ、構成:塩見哲、編曲:ミッキー吉野)
・花(作詞・作曲:喜納昌吉、編曲:ミッキー吉野)

 市原さんは年齢を重ねても、いつまでもかわいらしい。昔話のあの声のままだ(当たり前です・・・)。この日は千秋楽。横浜(県民共済みらいホール)で9月1日に始まり、札幌、愛知、福岡、大分、東京などをまわり、再び10月20日、横浜で(関内ホール)。気合十分の四股もふんでいた(笑)。
        


メンデルスゾーン&ブルッフ「ヴァイオリン協奏曲」(マクシム・ヴァンゲーロフ)

2012-10-25 00:22:09 | 音楽/CDの紹介

          

 このCDでライプツィッヒ・ゲバントハウス管弦楽団(指揮:クルト・アズマ)と共演しているマクシム・ヴァンゲーロフ(1974-)は駿才ヴァイオリニストである。生まれはロシアのノボシビルスク(札幌市の姉妹都市)。このCDを録音したときには、20才にまだなっていなかった。


 ヴァンゲーロフはどちらの曲も達者に弾いている。音色はのびやかで、若々しい。強弱のつけかた、バイオリンの響かせ方もすでに一流の領域に入るばかりの腕前である。聴いていて、安定感と躍動感が交錯する。

 ヴァンゲーロフ自身は、自らの音楽観を次のように表現している、「・・・演奏という行為は、音の世界への飽くなき発見の旅、休みなき美の追求だと思います。しっさい、ぼくが成し遂げたいという目的は、ただひとつです。自分の演奏が非常に明晰であること、そして観衆の方々がぼくを理解してくれることです。・・・音楽は、詩およびバレエとともに芸術の最高の形で、人々を元気づけ、感動させるための巨大な力をもっています」と。

 演奏曲について若干。

 ブルッフ(1838-1920)はドイツ・ロマン派の中後期の第一人者で、生涯に3つのヴァイオリン協奏曲を書いているが、「ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調」はそのなかでもきわだって有名な作品。この曲は彼がコブレンツでオーケストラの指揮者・音楽監督をつとめていたころ(1866年頃)、当時随一のヴァイオリニストであったヨーゼフ・ヨアヒムに演奏をしたもらうために作曲したといわれる。
  当然、ヨアヒムはこの作品を演奏することいなったが、大変な人気を博した。人気の秘密は、まず主題旋律の美しさ、情緒深さであり、さらには各主題の配合の巧みさがある。

 メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲 ホ短調」は1844年に完成されたが、着想されたのは1838年だった。メンデルスゾーンにしては異例なほど長い年月をかけて作られた。メンデルスゾーンは彼の友人で名ヴァイオリニストであったフェルジナンド・ダーヴィトのためにこの作品を書いた。そして、いうまでもなくダーヴィトがこの作品を初演した。1845年3月のゲバントハウスでのことであった。
 この作品は3つの楽章からなるが、それらが互いになめらかにつながっている。その点に特別の配慮がなされつつ、この作品は何よりも真にロマン的、そして美しい旋律で、聴く者の魂を豊かにする。


MAx Bruch(1838-1920)
ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調 作品26(Violin Concerto No.1 in G minor,op.26)
第一楽章:Vorspiel (Allegro moderato)
第二楽章:Adagio
第三楽章:Finale (Allegro energico)

Felix  Mendelssohn(1809-1947)
ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64 (Violin Concerto  in E minor,op.64)
第一楽章:Allegro molto appassionato
第二楽章:Andante
第三楽章:Allegro non troppo - Allegro molto vivace


栗原哲也『神保町の窓から』影書房、2011年

2012-10-24 00:10:28 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

        
   むかしから本は好きだし、編集者を職業としている人も何人か知っている。自分の本を上梓したこともあるので、出版社のことはある程度知っている。と思っていたが、その実、上辺のことしか理解していなかったことを思い知らされた。出版社のおかれた困難な状況、編集者という仕事の難しさ、本書を読んでそれらがいままでよりは分かった。


   著者は日本経済評論社の編集者。売れる本を出さなければ出版社はやっていけないのだが、それを目的にしたら出版社は終わりである。だから売れにくいとはわかっていても、いい本、内容のある本を世におくる。出版社の社会的価値をそこにみ、そこにおいている。

  専門書の書き手は「近時、出版事情が厳しいおり・・・」と「あとがき」などに書くが、著者は出版事情が厳しくなかったことなどないので、そのようなことは書かないでもらいたい、と言っている(p.123)。違和感があるのだろう。
  
編集者は書き手を信頼しなければならないのだが、なかには信頼をそこねることをしていて平気な輩がいて、著者はその例をいくつかあげている。よほど腹がたったのだろう。もちろん、著者のまわりにはすぐれた同業者、書き手、また社員がたくさんいて、そういう人たちの紹介がある。そのあたりの叙述は具体的で、人間くさく、気持ちよく読める。目立つのはそういう方々が次々に他界し、離別し、著者はそれをたいそういとおしんでいる。ひとつひとつここに名前をあげるのはさしひかえるが、著者がいい出会いをもっていたことを羨ましくもあり、またそういう人間関係に共感できた。

   日本経済評論社は、著者のような志の高さがあったがゆえに、いい仕事をしている。『銀行通信録』(210巻)、田口卯吉主幹『東京経済雑誌』記事総索引を19人のライブラリアンで完結させたこと、『ポストケインジアン叢書』『近代経済学古典選集』の出版。貴重な史料である『国民所得倍増計画資料』(全23巻)、『経済安定本部・戦後経済政策資料』(全41巻)の出版、採算を度外視した偉業の紹介がある。

   本書は日本経済評論社のPR誌のコラム欄に著者は書いてきた文章をまとめたもの。上記の出版、編集に関するエッセイの他にも、憲法、人権、言論の自由の擁護、教科書問題、原発問題への鋭い問題提起などについて中身のこい文章、話がたくさん載っている(「隣の芝生は青いか[1990年以前]」「出版は体力勝負だ[1990年-1995年]」「万年ヒラでどこが悪いか[1996年-2000年]」「情報はわれらをバカにする[2001年-2005年]」「振り返るにはまだ早い[2006年-2010年]」「右手(メテ)に『フクシマ』、左手(ユンデ)にいのち[201年以後]」でまとめられたグループに多数のエッセイがくくられている)。

   出版は資本主義に似合わない、これがひとつの大きなテーゼ、バックボーンになっている。長く編集者であった著者の良心の声に他ならない。


「新横浜ラーメン博物館」(横浜市港北区新横浜2丁目14-21、TEL:045-471-0503)

2012-10-22 00:00:45 | イベント(祭り・展示会・催事)

            

 新横浜駅のそばに「新横浜ラーメン博物館」がある。


 実はわたしは18年ほど前に、ここを訪れたことがある。この博物館ができたばかりの頃だったと思う。当時、わたしは東京に単身赴任だったが、二人の子ども(小学生と中学生)が休暇を利用して上京したときにここに連れていった。珍しい博物館だったので、大喜びしていた。あれから18年ほど。たまたまこの近くにきたので、寄ってみた。

 昭和の時代の「ラーメン」横町がコンセプトなので、昭和がどんどん過去にむけて去っていく現在、この博物館が時代を象徴する記念館として価値をもってきている。懐かしさが強まる。

 一階、地下一階、地下二階にわかれ、地下の2つの階ではラーマン屋さんが軒をならべ、お客は好きなラーメン屋でラーメンを食べることができる。地方にあるいろいろなラーマン屋があって楽しい。とんこつラーメンもあれば、北海道、山形などの地方色豊かなラーメンが自己主張している。

  横浜ではサンマーラーメンが最近、頭角をあらわしてきている。サンマの入っているラーメンではなく、軽めのとろみがかかったモヤシその他の野菜がラーメンの上にかけてあるもので、広東麺に似ているが、かかっているものが野菜中心なので、しつこくない。おいしい。


 ラーメン以外にも、昭和、それも戦後がコンセプトなので、その頃にはやっていたもの、売られていたものがいっぱいある。思い出すままに列挙すると、鉄人28号の歌、鉄腕アトム、マーブルチョコレート、サイダー、力道山のプロレスを放映中の昔のテレビ、千代ノ山が横綱にいる番付、銭湯、バー、飲み屋、床屋、駄菓子屋、ミュージックショップ、紙芝居、ベーゴマ、だっこちゃん、メンコ・・・、こんなものが数えきれないほどあり、売られている。映画で「3丁目の夕日」というのがあって評判になったが、あのようなか感じといえば、てっとりばやく、わかりやすさだろう。

 小さな子どもを連れた父母、恋人どおしと思われる若いカップルがひしめいている。ラーメン屋さんの前では列をなしている。気がつくと、観光バスでの乗り着けはひきもきらない。日曜日だからろうか。2時間ほどタイムスリップした想いで、博物館のなかにいた。わたしはもう来ることはないかもしれないが、まだ行ったことのない人はぜひ一度体験すると楽しいのではなかろうか。
 
 これまでに博物館に入ったラーメン屋さん。(Wikipediaより、上記画像も)
  
大安食堂(喜多方)1996年 2月26日
    野方ホープ(東京)1997年 6月29日
   げんこつ屋(東京)2000年 3月
   博多一風堂(福岡)2001年 6月3日
   新福菜館(京都)2002年 11月30日
   六角家(横浜)2003年 5月31日
   らーはく厨房(オリジナル店舗)2004年 6月30日
   魁龍(久留米)2004年 8月31日
   すみれ(札幌)2004年 10月31日
   らーめんの千草(岩手)2005年11月30日
   敦賀 一力 (福井)2009年2月28日
   欅(札幌)2009年3月31日
   蜂屋(旭川)2009年8月30日
   ふくちゃんらーめん(福岡)2009年11月24日
   牛乳屋食堂(会津若松)2010年2月28日
   らぁ麺むらまさ(佐賀・唐津)2010年4月4日
   中華そば坂本(岡山)
   春木屋(東京)
   井出商店(和歌山)
   爐(札幌)
   マメさん(函館)
   青葉(旭川)
   八戸麺道大陸(青森)
   勝丸(東京)
   あまからや(横浜)
   やよいそば(高山)
    いのたに(徳島)
   琉球新麺通堂(沖縄)
   匠(オリジナル店舗)
   麺翁百福亭(オリジナル店舗)
   Bar 35ノット 2010年5月閉店


           


佐和隆光『市場主義の終焉-日本経済をどうするのか-』岩波新書、2000年

2012-10-20 00:17:18 | 経済/経営

          

  この本は今から20年前ほどに書かれた。この頃日本も,世界も大きく変った。いまの経済のあり方がこの頃、あるいは本書のでる少し前あたりに決定づけられた。ひとことで言えば,ポスト工業化社会の到来である。製造業中心の経済から,情報,ITが経済をひっぱる社会への移行である。

  世界では東西冷戦の終結,市場のグローバル化,金融経済の肥大化,アメリカ経済の持続的繁栄,欧州各国での中道左派政権の台頭,東アジア通貨危機,個人間・国際間の所得格差の拡大,地球環境問題への関心の高まりがあげられる。

  これらを背景に政策の対立軸は,市場に期待する保守派と市場の不完全性を政府の介入で支えるべきとするリベラリズムである。

  筆者は,進むべき日本の道は上記のいずれとも異なる第三の道であると説き,それは「市場主義改革の遂行により効率性を確保しつつ,それにともなう副作用の緩和をめざ(し),・・公正で「排除」のない社会を実現を同時にめざす」(p.229)道という。

  大学改革についても「第三の道」の提唱がある(学問の自由の保証,業績主義の徹底化,リスクへの挑戦を加味した研究費の適正配分,外国人教官の積極的採用,学生の授業評価など,p.167)。


グランドファーザーズ(渋谷区渋谷1-24-7渋谷フラットビルB1F)

2012-10-19 00:30:25 | 居酒屋&BAR/お酒



 渋谷駅(ハチ公口)の近くにある(徒歩5分ほど)。一年にここを訪れるのは2-3回。渋谷で飲んで、二次会、三次会で来るので、かなり酔いがまわっていて、店の様子はあまり記憶にないが、この間はしっかりしていたので、くまなく観察。


 あまり広くはない。カウンターの他に、椅子席が30人分ほど。なので、混んでいて、入れないこともままありそう。
 
 1960~70年代のアメリカンロック、R&Bをアナログレコードが流れている。カウンターの後方の棚には、レコードがぎっしりと並んでいる。その数、約2000枚という。音量はやや大きめだが、アナログの魅力。ここではCD音楽が入り込む余地はない。
 70年代の音楽をあまり知らないわたしでも、数曲に一曲は聴いたことがあるものがかかる。マスターはお客のリクエストにこたえている。したがって客層の年齢は高そう。

 その日も、隣の席の4人の男性のお客は50-60歳ぐらいだった。しきりに昔を懐かしがっているようす。(そのあと入れ替わりできた5-6人の男女の客はわかかった。外国人が2名ほど)

 内装は木で統一された雰囲気なので、音楽好きでうす暗いバーが好きな人にお勧め。

 おつまみは、夏にはゆで落花生などがあり、冬にむけておでん、牛スジなどがある。だしに漬けて柔らかくしたアタリメが名物という。その日は、このアタリメを注文し、ウィスキーはジャックダニエルでとおした。1人2000円もあれば十分。

 ここは駅に近いが、看板がなく見つけにくい。おまけに地下にある。いまでは隠れ家のようなお店である。午前3時までやっている。


吉村昭『陸奥爆沈』新潮文庫、1979年

2012-10-18 00:09:43 | ノンフィクション/ルポルタージュ

             
           
  戦艦陸奥は全長225メートル、全幅30メートルの巨艦であった(基準排気水量39,050トン)。


  その陸奥は昭和18年6月8日正午ごろ、柱島泊地の旗艦ブイに繋留中に大爆発を起こして沈没した。乗組員1474名中生存者は353名。この生存者もサイパン島、ギルバート、タラワ、マキン島でアメリカ軍の攻撃によってほぼ全滅した。爆沈の際の生存者がこの地に送られたのは、かれらの口から陸奥爆沈の事実が漏れる怖れがあったからで、海軍の事実隠ぺいの措置であった。結局、陸奥乗組員の最終的な生還者は、100名足らずであった。

  陸奥はなぜ爆沈したのか。著者はこの原因を明らかにするために調査に入る。徹底的な調査のプロセスが、本書の内容である。

  爆沈当時、いろいろな仮説がたてられた。三式弾の自然発火、諜報機関の仕業、敵潜水艦からの攻撃など。結局、これらの仮説は全て否定され、真相の究明にはいたらなかった。


  著者は独自の調査から窃盗の嫌疑をかけられたQ二等兵曹による自殺行為(火薬庫での放火)と推定している(査問委員会もその線で推定していた)。

  著者は陸奥の爆沈は例外的なものでなかったことをつきとめている。
陸奥爆沈前に、少なくとも7件の火薬庫災害事件があったし、戦艦「三笠」(明治38年9月)、二等巡洋艦「松島」(明治41年4月)、巡洋戦艦「筑波」(大正6年1月)、戦艦「河内」(大正7年7月)が爆沈している(pp.154-55)。それらはいずれも乗組員による人為的な行為によることが確実視されているか、その疑いがある(この種の軍艦の火薬庫爆発事故は諸外国でも頻繁にあったようで、それらの多くは乗組員の放火ないし過失で起こった[pp.157-58])。

  このような事例研究もふまえ、著者は当時の査問委員会による原因究明の資料を発掘、それらを精査し、また生存者のヒアリングを行って上記の結論に達したのである。

  軍艦という堅牢な建造物、しかしそれがひとりの乗組員のふとした出来心によってもろくもくずれさり、壊滅する。爆沈の事実をあらゆる手段を使って隠ぺい工作する軍。「組織、兵器(人工物)の根底に、人間がひそんでいることを発見したことが、この作品を書いた私の最大の収穫であった」と著者は書いている(p.277)。


「ロック・ミュージカル ボクの四谷怪談」(脚本・作詞:橋本治、演出:蜷川幸雄、音楽:鈴木慶一)

2012-10-17 00:01:52 | 演劇/バレエ/ミュージカル

             

 シアターコクンで演劇「ロック・ミュージカル ボクの四谷怪談」(脚本・作詞:橋本治、演出:蜷川幸雄、音楽:鈴木慶一)があり、千秋楽の舞台を鑑賞した。面白かった。


 荒唐無稽、破天荒な演劇。というわけで、あまり解説的な記事にはなじまない演劇であるかもしれない。なぜなら、まず時代設定からして、昭和51年にして、文政8年、さらに元禄14年であり、しかも南北朝時代なのだ。ところは東京都江戸市内、というわけだ。

 物語の筋のさわりをプログラムを参考に示すと、浅草観世音境内で浪人の民也伊右衛門(佐藤隆太)が傘を売って商いをしている。そこへ、当世の人気文化芸能人、伊藤喜兵衛(勝村政信)が突然登場し、伊右衛門に一目ぼれした娘のお梅(谷村美月)と結婚してくれと懇願する。伊右衛門には妻、お岩(尾上松也)がいた。病身だった。結婚を唐突に迫られても、そんなことはできるはずがない。
 お岩の妹にお袖(栗山千明)がいた。彼女には許嫁、佐藤与茂七(小出恵介)がいあた。しかし、与茂七は主君塩谷判官の仇討を目的に東奔西走していて、お袖をほったらかし。夜学に通いながら昼はバイトにいそしむそのお袖に、恋焦がれている男がいた。塩谷家家臣の中間(ちゅうげん)だった直助(勝地涼)である。
 元武士のプライドばかり高いお岩の父、四谷左門があっけなく不慮の死をとげる。伊右衛門を妖しいまなざしでみつめる弟次郎吉(三浦涼介)、口うるさい母親のお熊(麻美れい)。伊右衛門の周囲には、面倒な存在でしかない家族のしがらみがたちこめていた。さらに、お岩に異変が起こる・・・・。

 冒頭に書いた、時代設定の複雑さについては、わたしがまとめるのは到底無理なので、パンフレットで矢内賢二さんがカラクリを解き明かしてくれているので、その解説を引用すると、次のとおりである。
 江戸時代の劇作家はしばしば、「義経記」とか「太平記」とか、かなり前の物語に登場する人物をまるごと借りてきて、同時代、すなわち江戸時代の物語をつくった。有名な「仮名手本忠臣蔵」でも、舞台設定は室町幕府直後の話にすりかえられている。「太平記」の登場人物である塩谷判官は、例の「松の廊下」と思われる場所で高師直に切りつけ、切腹。その家来だった47人が高師直の屋敷に討ち入りし、仇討をはたすということになっている。塩谷判官は室町時代の足利尊氏方の武将であり、同時に元禄14年に切腹する浅野内匠頭であり、そこには何の矛盾もないのである。
 「東海道四谷怪談」では、浪人民谷伊右衛門は、塩谷判官の元家来ということになっている。直助が死体の顔の皮を矧いだり、お岩が死んでいくのと同時並行で、赤穂浪士の仇討の準備が進行していく。それなのに、舞台の上では、リアルな長屋、売春宿が設定され、何とも奇怪な時間のオーバーラップがそこにある。(以上、矢内賢二「橋本治と鶴屋南北」『ロック・ミュージカル ボクの四谷怪談』)

 この作品を書いたのは橋本治さんで、20代の後半だったそうだ。それを蜷川さんがいま発掘して舞台化した。いたるところに妙なロック調の歌が挿入され、それゆえミュージカルの要素をとりこんでいるところも奇妙奇天烈である。

 演劇が面白いのは、舞台そのものの鑑賞からくるものが一番であるが、あとから「解説」を読んで頭のなかで舞台を再構成し、よくわからなかったことを位置づけながら反芻する愉しみという要素も大きい。この作品では、そのことがよくわかった。あまりにも荒唐無稽で、初見では意味不明が多かったからである。

 配役は下記の当世人気俳優である。

・民谷伊右衛門[当世蒼白少年](佐藤隆太)
・佐藤与茂七[悲憤公害青年](小出恵介)
・直助権兵衛[無残薄幸少年](勝地涼)
・お袖[可憐同棲少女](栗山千明)
・次郎吉[天晴淫乱少年](三浦涼介)
・お梅[恐怖早熟少女](谷村美月)
・お岩[怪奇正体不明](尾上松也)
・お熊(麻美れい)
・伊藤喜兵衛(勝村政信)
 他
 
◆場面
第一幕 1 序曲
      2 浅草観世音境内の場
      3 地獄宿の場
      4  浅草裏田圃の場
第二幕 1 伊右衛門浪宅-伊藤伊右衛門内の場
      2 隠亡堀の場
第三幕  1 深川・三角屋敷の場
      2 夢の場
      3 仏野孫兵衛の場、蛇山庵室の場
      4 フィナーレ
      5 カーテンコール  


佐野眞一『てっぺん野郎-本人も知らなかった石原慎太郎-』講談社、2003年

2012-10-16 00:22:32 | 評論/評伝/自伝

            

  石原慎太郎氏(以下、敬称略)は現役の東京都知事。その評価は賛否両論。しばしば不規則発言で物議を醸す。本書はその東京都知事の半生、人柄、成してきたことの全てを明らかにしている。


  全体のボリュームもさることながら(本文470ページ)、父親である潔の生涯、弟で俳優として国民的支持を得た裕次郎とのかかわり、彼のとりまき、家族のこと、芥川賞を受賞した「太陽の季節」の顛末、政界の暴露的記述など質的にも厚みがあり、現存の人物を丸裸にした内容も濃く、よくここまで書けたと驚くばかりである。

  まず、父親潔の生涯が面白かった。愛媛県長浜町で生まれた潔は、大正の初期に山下汽船に店童として入社、以後、豪胆、磊落な性格で昭和初期の樺太、小樽で材木を輸送する摘み取り人夫の斡旋などに従事。慎太郎、裕次郎は父の転勤とともに小樽、逗子と海のある街で生活する。小樽のあたりの記述は、わたし自身、地理的な感覚があるので、吸い込まれるように読んだ。

  この父親の生活、性格は良くも悪くも慎太郎のその後の礎になったと推測され、著者はそれゆえに潔に関する叙述に破格のページを割いて、「第一部:海の都の物語」分析的記述をしている。

  次いで、焦点が慎太郎その人に絞られ、「太陽の季節」が芥川賞を受賞する前後の話が「第二部:早すぎた太陽」で展開される。表面的かつ一時的に左翼活動に傾斜したこと、「太陽の季節」の評価の二分となかずとばずのその後、、裕次郎との強い関係(コンプレックス)、「無意識過剰」との評論家江藤淳の評価、三島由紀夫の好意的支援などわたしがしらなかったことが多く書かれている。著者のすさまじい取材の成果である。

  「第3部:てっぺんへの疾走」では政治家に転身し、参議院全国区でのトップ当選(300万票,1968年)、参議院議員を辞職し衆議院選挙に出馬、当選(1972年)、運輸大臣として竹下内閣に入閣(1987年)、東京都知事選での勝利と再選(1999年、2003年、[さらに本書の範囲を超えるが2007年])と続く。この本は2003年に出版されたのだが、この時点では、慎太郎は首相への道に向かう岐路にあったが、その可能性が低いとの見通しで終わっている。予感はある程度的中したわけである。

  著者はいまもある慎太郎の若いころからの変身ぶりをあげつらう見方を否定し、その座標軸は動いていないこと、変わったのは慎太郎ではなく、戦後日本ではなかったのかと、問うている(p.195)。そして慎太郎が意外と抹香くさく、輪廻転生が渦巻く世界を抱えていること(p.266)、彼が書く文章にしばしば露見するノー天気なほどの率直さ、それ自体が危険なわかりやすいイデオロギー(pp.325-326)、人々の耳目を集めることにプライオリティーの重きをおいた独特のポピュリズム(p.430)、「中心気質」で「大きな餓鬼大将」(p.469)など、徹底的なまでにその思想と人格が掘り下げられている。

  「短気、わがまま、粘りのなさ、骨おしみ、非寛容、オカルト世界への傾斜、加齢と成熟を拒む幼児志向、。これに強烈な国家意識という指摘を加えれば、そこに等身大の石原慎太郎像がほぼ浮かび上がる。(p.468)/何度も述べてきたように、慎太郎は約半世紀にわたって出ずっぱりでやってきた。それは、彼が非凡な才能を持っているがゆえだとはいえても、必ずしも超一流であることを意味しない。逆に、彼は俗受けする、というより俗受けすることしか腐心しない二流の人物だったからこそ、大衆の人気を獲得しつづけたともいえる。慎太郎は『てっぺん』に登りつめられるのか。それは、慎太郎を見つめてきた大衆が、時代と自分を映してきたように見える鏡を、相変わらず眺め続けていくのか、それとも国家に収斂する鏡を断ち割って生きようとするのか、それを自らに問いかけることにも重なる(pp.469-79)」、これが著者の結論である。


「シャガール、マチス、そしてテリアード」(神奈川県立近代美術館 鎌倉)

2012-10-15 01:03:13 | 美術(絵画)/写真

   

  神奈川県立近代美術館で「シャガール、マチス、そしてテリアード」が開催されている(9月22日~12月24日)。
  
シャガールとマティスは20世紀を代表するフランスの画家。色彩豊かな版画の作り手としても有名であり、かれらを改めて説明する必要はないかもしれないが、この展覧会では、二人の代表的な版画作品とともに、彼らの版画出版を支えた美術出版・編集者テリアードの仕事をクローズアップしているのがユニークなところ。

 ここを訪れた日には、運よく、学芸員の方が、展示品を説明をしてくれるという企画があった。シャガール、マチスの2大巨匠の版画作品がところせましと展示されていたが、それらが世にでるにあたってはテリアードの力が大きかったことがよくわかった。
 
 マルク・シャガール(1887-1985)は、ロシア出身の画家。主としてパリで活躍した。油彩・版画・壁画・ステンドグラスなどその仕事は幅広い。多岐にわたる仕事の中で、特に版画は2000点を超える作品がある。シャガールの代表的版画集『ダフニスとクロエ』と『サーカス』は、どちらもテリアードによって出版されたものである。

 アンリ・マティス(1869-1954)も、フランスで活躍した作家。油彩・版画・ステンドグラス・切り紙絵と、その仕事ぶりも多岐にわたる。『ジャズ』は一面に色を塗った紙を切り抜いた切り紙絵が原画になっている。マティスの新境地を開いた作品として位置づけられる。その印刷技法はテリアードとの共同作業として確立し、最終的にはテリアード提案によるステンシル版で出版された。

              

 テリアード(1897-1983))は、本名をストラティス・エレフテリアーデスといった。美術本の出版・編集者であり、画商。シャガール、マティス、ミロ、ピカソ、ルオーなど、巨匠といわれる作家たちの版画集や挿絵本の出版に尽力し、自らが編集する雑誌『ヴェルヴ』に、彼らの作品を高品質のリトグラフ図版で紹介した。


PASSECAILLE(RINTARO OMIYA{violin] , SHUNSUKE FUJIMURA[cello])

2012-10-13 00:04:50 | 音楽/CDの紹介

             

  深まる秋、夜は長い。


 この季節には弦楽器の音色がにあう。このCDでは、ヴァイオリンとチェロの名手が、弓奏している。チェロの深い低音とヴァイオリンの高音とが共鳴し合い、独特の宇宙がつくられている。

 最初は「パッサカリア」。「パッサカリア」とは、道を歩くの意。ヘンデル作曲となっているが、ヘンデルはこの曲を「ハープシコード組曲」のなかのひとつとして作った。ノルウェーのヴァイオリニストで作曲家でもあるヨハン・ハルボルセンがヴァイオリンとチェロの二重奏ように編曲し、いまではこれがたいそう有名になっている。

 2曲目はパガニーニの作品。パガニーニはヴァイオリンの名手としてつとに有名。作曲にもおおく手掛けたが、ギター奏者としてもならした関係で、ヴァイオリンとギターの合奏曲をたくさん作っている。それに比べると、ヴァイオリンとチェロの二重奏曲は少ないが、このCDにはそのなかのひとつが入っている。明るく抒情性があり、甘美な旋律もあり、名曲だ。

 ポッケリーニの曲が3曲目に入っている。しかし、この曲がほんとうにポッケリーニの作品かは定かなでないらしい。ポッケリーニ研究の第一人者であるイヴ・ジェラールの『ポッケリーニ全作品テーマ付カタログ』にはこの曲は見当たらず、言及すらない。バズレールが編曲したことになっているが、当のバズレールの作為はいかなるものだったのだろうか。

 ラヴェルの「ヴァイオリンとチェロのためのソナタ」は4つの楽章がそなわっているが、当初は1楽章のみが発表され(1920年)、その後1922年に第2楽章~第4楽章が書きくわえられた。

 最後はオネゲルの「ヴァイオリンとチェロのためのソナチネ」。オネゲルはフランス・ルアーヴル生まれだが、両親はスイス人。「フランス6人組」のひとり。ここに収められている作品は、オネゲルが40歳の頃のもので、円熟した、完成度の高さがみてとれる。

・G..F.ヘンデル:パッサカリア(J.ハルヴォルセン編曲)
・N.パガニーニ:ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲 第3番
・L.ポッケリーニ:ヴァイオリンとチェロのためのソナタ(P.バズレール編)
・M.ラヴェル:ヴァイオリンとチェロのためのソナタ
・A.オネゲル:ヴァイオリンとチェロのためのソナチネ