【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

益川敏英『科学者は戦争で何をしたか』集英社新書、2015年

2015-12-31 01:17:26 | 自然科学/数学

                           

 本書は科学の発達とその成果が、人間に幸福をもたらす半面、戦争に利用される可能性があり、後者の危険性に警鐘をならしたもの。科学は本来「中性」であるが、それを利用する人間の理性が問われるということである。ノーベル自身、また受賞者のピエール・キューリーは、新しい発見が人類に害毒も福利ももたらす諸刃の剣であることを示唆し(デュアルユース)、その懸念を表明していた。(ドイツの化学者で化学賞の受賞者だったフリッツ・ハーバーは第一次世界大戦中に毒ガスを開発しユダヤ人虐殺に手をかし、悔恨ももたなかったという。こうした科学の悪用の例は枚挙にいとまがない)

  著者は同時に、資本の巨大な力が人間の理性を翻弄することにも注意を喚起している。為政者によって科学者が総動員され、戦争に協力させられてしまうのがこれである。原子爆弾を完成させた一大プロジェクトであるマンハッタン計画、ベトナム戦争のためのジェーソン機関などをあげている。現代科学、とくに自然科学は、膨大な投資があたりまえになり、そのことに科学者が振り回され、即効性のある、また実用的な成果が求められ、タコツボ化した研究室で、世の中の動きに関心をもたない研究者が育っている。著者はそのことを憂えている。

  著者は科学者の勇気ある行動の例も多数あげている。核廃絶を訴えたラッセル=アインシュタイン宣言(1955年)、核兵器廃絶を掲げるパグウォッシュ会議の開催(1957年)などである。

 冒頭が面白い。ノーベル賞を受賞したおりに、「あまりうれしくない」と発言したことがマスコミに取りざたされたこと、またノーベル賞受賞の記念スピーチに戦争のことに触れた部分があり、これに対してクレームをつけたものがいた、というエピソード(?)を紹介している。前者に対しては、ノーベル財団の受賞通知の態度が権威主義的でカチンときた、後者に対してはむしろノーベルの精神からしてそのことに触れないこと自体がおかしい、と述べている。著者の精神は健全である。

  本書には、著者自身の戦争体験(5歳のとき自宅に不発焼夷弾が落下)、反戦運動、組合運動の経験に触れながら、科学者が過去に戦争に果たした役割を詳細に紹介、分析している。また、戦争体制に向かってまっしぐらに進む安倍政権に対して、また憲法九条を反故にする動きに対して、さらに軍学協同、産学協同へ邁進する科学界の傾向に、厳しい批判を行っている。しかし、進行する事態を悲観的に見ているのではなく、この方向には必ず「やりすぎ」を止める動きが出てくると確信しているところが印象的であった。

 いたるところで恩師の坂田昌一の世界観、科学論をひいて、著者がそれを自らの人生の研究の指針としていたことがわかる。その坂田が言っていたことは「科学者たるまえに人間たれ」ということであった。

 本書の構成は、以下のとおり。
「第一章:諸刃の科学-「ノーベル賞技術」は世界を破滅させるか?」「第二章:戦時中、科学者は何をしたか?」「第三章:「選択と集中」に翻弄される現代の科学」「第四章:軍事研究の現在-日本でも進む軍学協同」「第五章:暴走する政治と「歯止め」の消滅」「「原子力」はあらゆる問題の縮図」「第七章:地球上から戦争をなくすには」

  なお、著者の物理学受賞理由はウィキペディアによると、下記のようである。本書では紹介されていないので、付け加えておく。
  小林と益川の功績は、もしクォークが3世代(6種類)以上存在し、クォークの質量項として世代間の混合を許すもっとも一般的なものを考えるならば、既にK中間子の崩壊の観測で確認されていたCP対称性の破れを理論的に説明できると示したことにある。
  クォークの質量項に表れる世代間の混合を表す行列はカビボ・小林・益川行列と呼ばれる。N.カビボは1963年に2世代の行列理論を提唱し、小林・益川の両者は3世代混合の理論を1973年に提唱した。
  発表当時クォークはアップ、ダウン、ストレンジの3種類しか見つかっていなかったが、その後、1995年までに残りの3種類(チャーム、ボトム、トップ)の存在が実験で確認された。
  現在KEKのBelle実験およびSLACのBaBar実験で、この理論の精密な検証が行われている。これらの実験は小林・益川理論の正しさを実証し、小林、益川は2008年、ノーベル物理学賞を受賞した。


東京散歩⑯(神田明神、ちゃばら)

2015-12-30 01:56:14 | 旅行/温泉

 まだ行ったことがなかったので、神田明神に行く。お茶の水駅は、しばしば下車するが、行先は明治大学の校舎だったり、中央大学のアネックスだったりで、神田明神のほうに足はむかなかった。
                          

 大きな境内と社殿である。大都市東京のど真ん中に、このような場所があったとは・・・。驚きである。男坂(階段)からあがったので、結構きつかった。急勾配である。階段をあがりきると視界がひらけ、広い境内が目にとびこんでくる。観光客だろうか、お参りにきた人であろうか、にぎわっている。天気がよかったので、わずかにある銀杏の葉が金色に光って美しい。境内の一角に囲いがあり、馬が寝そべってた。黒い馬で、「神馬」と書いてあった。神様のお使いだろうか。

                                
 ここに来る前に、秋葉原駅付近のガード下にある「ちゃばら」によった。「ちゃばら」は「やっちゃば」の「ちゃ」に「あきはばら」の「ばら」を合体させた造語である。全国のアンテナショップが一堂に会しているような店で、珍しいもの、おいしいものが並んでいた。千葉県のミニアンパン、静岡県のほっけ、金目鯛、いわし、岐阜県の柿羊羹などを購入した。一度でたくさんは無理である。また、来ることにしよう。

 この「ちゃばら」の並びにやはりガード下に、「B-1グランプリ食堂」があり、そこで昼食をとった。「四日市とんてき」「いちのせきハラミ焼き」」「勝浦タンタンメン」「山形芋煮カレーうどん」「甲府鳥もつ煮」「なよろ煮込みジンギスカン」「十和田バラ焼き」「なみえ焼きそば」「津ぎょうざ」「本荘ハムフライ」「出雲ぜんざい」「久慈まめぶ汁」「小樽あんかけ焼そば」「今治焼豚玉子飯」「上対馬とんちゃん」がある。どれもミニバスのなかで調理されている。「小樽あんかけ焼そば」を注文。正直言ってあまりおいしくはなかった。B級グルメなので仕方がないか。

             


東京散歩⑮(谷中銀座とその界隈)

2015-12-29 11:02:54 | 旅行/温泉

               

  谷中銀座で散歩しました。この辺りは谷根千といわれ、古い東京の雰囲気、下町情緒がただよっています。お寺も多く、静かな場所です。


  JR山手線で「日暮里」で下車、北口(西口)を出てまっすぐ歩いていくと、よくテレビにもでる「夕焼けだんだん」の階段に出ます。もう谷中の雰囲気です。遠くに「谷中銀座」のアーケードが見えます。
                 

 谷中銀座には、180メートルほど。両サイドにたくさんのお店が肩を並べています。竹細工のお店、アトリエ、玩具店、喫茶店、履物屋、お肉屋、書店などなど。肉屋のサトー、スズキのメンチカツがおいしいと知って、来たのですが、生憎二店とも休業でした。残念。そろいもそろって二店とも臨時休業とは。


 観光客風の人、若い男女、中年の女性の仲間、パック旅行の一団さまざまです。いろいろな目的でここに来ているます。

   この銀座から路地に入るとお寺がならび、岡倉天心記念公園を過ぎると防災広場・初音の森に出ます。隣接してる谷中防災コミュニティセンターがあり、立派な建物です。ここで小休止。小春日和の太陽を浴びて、コーヒーを一杯(100円でした)。

 30分ほど休んで、急な蛍坂をあがります。目指すは観音寺です。ここにある築地(ついじ)塀は有名です。築土塀は瓦と土とを交互に組み合わせて作られたもの。300年ほど前です。観音寺は慶長年間に創立、いまの場所に1680年に移転したと言われています。

 
                              

  あたりは閑静な住宅街です。日暮里駅のほうに折れず、まっすぐ進むと、左手に古い建物があり、驚きました。「社団法人 太平洋絵画会」とあります。どこまで聞いたような名前で、あれ?と思うと標札があり、やはりそうでした。ここの前身は「太平洋洋画会」で、あの智恵子(光太郎夫人)が通っていた絵画を学ぶスクールです。中村彝(なかむらつね)もここで学んだようです。今も活動しているというのも新発見でした。


千住真理子「バッハ無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータ全曲演奏会」

2015-12-23 21:43:34 | 音楽/CDの紹介

               
 千住真理子さんの演奏会に行ってきました。題してデヴュー40周年「~平和への祈り~バッハ無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータ全曲演奏会」です。場所は、東京オペラシティコンサートホールでした。

 二度の休憩をはさみましたが、二時間半ほどの演奏時間で、演奏者の真理子さんなもちろん聴衆も緊張感のある豊饒な時間を過ごしました。バッハの無伴奏の全曲演奏です。すべてを終わった時のわれるような歓声と拍手とが印象的でした。真理子さんは、ひとつひとつの音をしっかり、魂を入れての演奏でした。

J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータ
・ソナタ第一番ト長調 BWV1001
・パルティータ第一番ロ短調BWV1002

・ソナタ第三番ハ短調BWV1005
・パルティータ第三番ホ長調BWV1006

・ソナタ第二番イ短調BWV1003
・パルティータ第二番BWV1004

 全曲演奏後、サイン会がありましたが、長蛇の列で、演奏家は大変です。


千住文子『千住家にストラディヴァリウスが来た日』新潮社、2005年

2015-12-19 18:41:27 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

                               

  それは1716年製のストラディヴァリウス。もちろん、著名なヴァイオリン製作者、アントニオ・ストラディヴァリの手による作品。249代ローマ教皇クレメンス14世に捧げられたもの。教皇が亡くなった後、その側近が引き継ぎ、フランスの貴族のもとを経て、スイスの大富豪のもとへ渡った。富豪が死に、遺言によってそれは芸術品として競売にかけられるのではなく、演奏家としてのヴァイオリニストによって弾かれるよう委託された。「決して商人に渡してはならない、純粋なヴァイオリニストの手に渡って、現役の楽器として、音楽を奏で続けてほしい」。

 本書はこの名器がC氏というディーラーを介して、千住真理子さんは入手するまでの顛末を綴ったものである。著者は真理子の母親でエッセイスト。千住家は、長男の博さんが日本画家、次男の明さんが作曲家、末っ子の真理子さんがヴァイオリニストとして知られる。どうしたこんな子供たちが育ったのか。著者にはその質問に答える本を出版している。本書にもあらためて、そのことに触れている。夫の子どもたちにたいする、厳しいが自由に育てる姿勢が、結果として子供たちをそれぞれ芸術家として大成させたようである。

 真理子さんは、ヴァイオリンの天才少女としてデビューした。江藤俊哉氏の厳しいレッスンを経験した。しかし、周囲の嫉妬や苛めにもあったと言う。全く弾けない時期もあった。それを乗り越えて、今の真理子がある。一言で書いてしまえばいとも簡単にスランプを克服したように思われがちであるが、そのプロセスは大変なものであったらしい。真理子さんは危機を脱していま羽ばたき始めている。

 本書の後半には、母親、兄弟が一丸となってストラディヴァリウスを、「億」単位の借金をして、入手するまでの経緯を描いている。どうなるのか、どうなるのか、わくわくする展開で、迫力があり、一気に読ませる(若干、文章が上滑りになっているきらいはあるが、著者の年齢などを考えれば、いたしかたないところか)。


「根津くらぶ」(文京区根津2-30-2)

2015-12-12 21:55:39 | グルメ

         
 
 根津の「根津くらぶ」に行く。和食がおいしいという情報。


 千代田線の「根津」駅を出て、根津神社のほうへ、信号2つほどを右折。少し歩いて小路に入るとありました。

 6時だったのですが、まだあまりお客がなく、カウンターに座りました。といってもこのお店、20席ほどしかありません。予約がとりにくいと聞いていたので、だいぶ前に電話を入れました。

  おかみさんと板前さんとふたりの様子。出るものは懐石のコースしかありません。

 メニューは次のようでした。
・先付け(くわいの素揚げ、白子ポン酢、すし、カモ肉、海老のゆば巻き、生麩焼き)
・お刺身(大間のマグロ、ヒラメ)
・豚ロース巻きの仕立て(ごぼう、ニンジン、もやし)
・牡蠣豆腐
・あま鯛のかぶら蒸し(ユリ、ぎんなん)
・長いもの塩焼き 京都の甘長ししとう
・鰆(焼き魚)

・あなごご飯+味噌汁+漬物

 野菜がふんだんに使われているのが特徴です。250グラムくらいということです。
  ここのおかみさんは「下町の晩ごはん」(ポプラ社)を書いている人です。

 ゆっくり出てくるので、2時間を少し超えました。お客さんは、ほかに3組ほど。落ち着いた雰囲気のなかでの食事でした。


 

 


寺川奈津美『はれますように-未来はきっと変えられる-』トランスワールドジャパン、2015年

2015-12-06 16:06:47 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

             

 気象予報士・寺川奈津美さんのエッセイ。

 寺川さんといえば、NHKの「ニュース7」の最後に登場する天気予報のキャスター。お茶の間で人気が高い。その寺川さんが自分をさらけだしてつづったエッセイ集が、『はれますように』である。

 優秀な人気キャスターなのだから、さぞこれまでの人生は順風満帆できているのかとおもっていたが、なかなか大変なあゆみだったようである。

 この本にも何回もそのことが書かれているが、予報士の試験には6回目で合格したとのこと。大学が理科系であるので、わりと容易に合格したと推測していた。難しい試験とは聞いていたが、それほど苦労して切り開いた道とは知らなかった。

 大学を出て銀行に勤めるもなかなかあわず、ふとしたことから予報士試験をめざそうと一念発起。何度も試験に落ちて、自分にダメ出しをしていたという。

 「ニュース7」には2分ほどしか出ないが、気象士の一日は朝の天気のチェックから始まり、気象分析、番組用の原稿を書いたり忙しいらしい。休日も全国の気候の様子を肌で経験することが大事だと、冬の北海道から沖縄まで、また被災地にも足を運んでいる、と書かれている。頭がさがる。いまでは「やりがい」のある仕事で、生き生きしている。

 家族のこと、先輩の平井さんのこと、予報がおおはずれした失敗談、ランニングをし、ダンスをならっていることなど、興味深いことがやわらかい筆致で書かれているので、好感がもてた。

 本の始めに17枚のポートレートがカラーで載っている。笑顔がかわいい。

 目次は、以下のとおり。

・第1章「寺川はアナウンサーに向いている」
故郷/リケジョ/アナウンサーになりたい/上京/方言コンプレックス/〇〇禁止サークル/本当にトケジョ/ダメ就活/就職、そして資格との出会い/両立するもたった1年で


・第2章「6回目の気象予報士試験」
気象予報士試験とは/なかなか受からない!/走るは癒し/働かざるもの食うべからず/塾のアルバイト/支えてくれた人/転機/合格通知??

・第3章「鳥取でのキャスター時代」
コンプレックス/子ども番組/びわの木の思い出/目指すはディレクター/ウイングへ/思い固まる

・第4章「気象キャスターの役割」
試練のはじまり/気象キャスターって??/原点へ/被災地へ/ボディーブローを受けた日/全国を知る/りんごジュースの縁

・第5章「日々のこと」
先輩/ダンス/食事/好きな雲/父親/やりがい


須賀神社(小山散策②)

2015-12-05 17:11:35 | 旅行/温泉

     

 須賀神社は、小山駅から徒歩で15分ほどのところにあります。いろいろなルートで行くことができますが、参道を歩くのが正道でしょうか。かなり長い、しかしきれいな参道が続き、神社に到着。


 須賀神社の創建は、天慶3年(940)4月、藤原秀郷公が京都の八坂神社より御分霊を迎えてまつったことによります。御祭神は、素盞鳴命・大己貴命(大国主神)・誉田別命(八幡神)の三神です。

 徳川家から奉納された社宝の朱神輿を始め、重量2トンを誇る大神輿、木曽檜造りの神門廻廊、伝説の七ツ石をもちます。雅味豊かな結婚式場もあります。関ヶ原の戦いの前に、家康が勝利を祈願したという伝説もあります。
                          

   この神社から約500メートルほど離れた市役所のそばの公園で、「うどん祭り」が開催されていました。テントが並び、いろいろな種類のうどんが販売されていました。


「ちゃみせ茶るん」[栃木県小山市宮本町2-4-13](小山散策①)

2015-12-04 16:37:38 | 旅行/温泉

        

  宇都宮沿線の小山に向かいました。この駅は、宇都宮線の他に両毛線、水戸線などが入り、特急もとまることがあるので、大きいです。


  小山はどんな街かに興味があったのですが、漠然と歩き回るのでは能がないので、須賀神社と「茶るん」というカフェを目指しました。その「茶るん」の紹介です。

 お茶をおいしく飲めるカフェということで、紹介されているようです。わたしは「人生の楽園」という番組で放映されていたのを目にしました。マスターは以前は企業で働いていたのですが、幼少の頃、祖母が淹れてくれたお茶の思い出がつよく、サラリーマンをやめてこのお店をもったということです。

 確かにおいしいです。たかがお茶では、ありません。お湯の温度、淹れ方などにヒントがあるようです。ひととおりおいしいお茶の淹れ方を伝授してもらって、そのとおりにしてもなかなかその味わいはでないとか。

  お店に入ったときは、われわれだけでしたが、しばらくすると男女七人ほどが来客してました。年齢は高めで、男性が一名でした。おしゃべりが楽しそうで、近隣の人たちとお見受けしました。