【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

窪島誠一郎『京の祈り絵・祈り人』かもがわ出版、2004年

2008-10-30 00:33:30 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談
窪島誠一郎『京の祈り絵・祈り人-「信濃デッサン館」「無言館」日記抄-』かもがわ出版、2004年

               京の祈り絵・祈りびと 「信濃デッサン館」「無言館」日記抄

 コスモスと紫陽花、そしてお酒が好きな窪島さんからの便りです。

 信州、信濃、東信地方、上田からいい風が吹いてくるようです。

 第1章では京都に住む人との縁が語られています。立命館大学の安斉育郎教授のたっての希望で「無言館」の別館が「立命館大学国際平和ミュージアム」のなかに創設されました。そこに京都在住の岡部伊都子さんの2つの文箱(ひとつはイッちゃんを思慕していた東大医学生の遺品、もうひとつにはお兄さんの遺品、ふたりとも南方で戦死)がおかれるおという話がありました。他に画家、竹内浩一、小島悠司、村山槐多にまつわる逸話もあります。

 2章-4章は米国サンフランシスコの邦字新聞「北米毎日」連載の「信濃絵ごよみ」(小エッセイ)。

 5章は岡部さんとの対談です。著者の飾らない人柄が出ています。41年にアウシェヴィッツのガス室に送られなくなったユダヤ人画家フェリックス・ヌスバウムのことを書いた文章(pp.204-206)、著者に「小説を書いたら?」とすすめた編集者Mさんのことを書いた文章(p.119-120)が何故か印象に残りました。

 著者は父、水上勉の言葉「明日に希望をもてぬ者はもう一度過去を抱き直すしかない」という言葉に、いま、思いを深めていると書いています。(「あとがき」p.253)

川田稔『原敬と山県有朋-国家構想をめぐる外交と内政-』中央公論新書、1998年

2008-10-29 00:27:06 | 歴史
川田稔『原敬と山県有朋-国家構想をめぐる外交と内政-』中央公論新書、1998年

           原敬と山県有朋―国家構想をめぐる外交と内政 (中公新書)

 大正期(両対戦間期)、原敬と山県有朋の2人の政治家をとりあげ、藩閥官僚政治から政党政治へ移行していく歴史的プロセスをたどっています。

 国際情勢の把握から政治システムのあり方で、2人は好対照をなしました。山県は英米に抗しながら日露関係を重視し、大陸での軍事的勢力拡大を意図しましたが、ロシア革命で構想が頓挫します。

 原は山県の構想では国際的孤立を免れないと判断し、対米親善に重きをおき、対中国政策では蒙満権益を維持し、そのためにも親善・提携をはかっていくべきと主張しました。

 政権についた原は本格的な政党政治を展開(普通選挙法、群制廃止、両院縦断政策、文官任用令改正など)、列強に互す経済力強化を目的に、教育・交通・産業・国防の四大政綱を掲げました。

 本書の独自性を著者は「原の国家構想を、内政外交の両面から、かつその相互連関に留意しながら描」くとともに、山県の外交構想で「当時の国際環境のなかで日本がどのような方向に進んでいくべきだと考えていたか」に光をあて、「原と山県をその国家構想の観点から比較」した点にあると述べています(pp227-228)。

 骨太の政治史です。

大阪言葉が闊達な「川上未映子『乳と卵』文藝春秋、2008年」

2008-10-28 00:20:30 | 小説
川上未映子『乳と卵』文藝春秋、2008年

            乳と卵  /川上未映子/著 [本]

 芥川賞受賞作品は最近全く読みません。が、この本(2007年下半期;第138回芥川賞受賞)は評判になっていたので、市立図書館で春先に(4月)予約しました。19人待ちでした。予約したことを忘れかけていた今頃、件の図書館から電話があり、早速、借りにいきました。

 短い100ページほどの小説です。主人公は東京に住むOLの「わたし」。大阪に39歳の姉、巻子がいて、彼女は離婚していますが、緑子という娘、「わたし」にとっての姪がいます。

 姪の緑子はもう長く、人と話をしません。話をしなければならないときには筆談ですますのです。何故、緑子がそうなってしまったかはよく分かりません。年頃でもあるので、卵子とか精子とか生理に関心があるのですが、自分が生まれてしまったことに嫌悪を感じていて、自身は子供など産みたくないと思っています。

 巻子は娘と生活していくために職業を転々、いまはホステスをしています。巻子はすっかり痩せてしまっています。豊胸手術を受けるつもりで、いろいろ調べていますが(何故、豊胸手術をしたいのかもよくわかりません)、東京に目当ての病院が見つかり、娘とともに上京してきます。上京して数日間のことが細かく(あまりどうでもないことを含めて)書かれています。

 巻子は銀座の目当ての病院に出かけますが、帰宅の時間になっても帰ってきません。「わたし」と緑子はあてどなく待っています。夜遅く巻子、帰宅。酔っています。前夫と逢っていたといいます。酔った勢いで・・・・。その後、卵を使って大変なことが起こります。(ことの成り行きは、是非、読んでください。)

 翌朝、母娘は大阪に戻っていきます。ふたりを返したあと、わたしはドロのように眠り、入浴して自身の裸体を鏡に映し、「夕方の光と蛍光灯の光が小さく交差する湯気のなか、どこから来てどこに行くのかわからぬこれは、わたしを入れたままわたしに見られて、切り取られた鏡の中で、ぼんやりといつまでも浮かんでいるようだった」(p.112)という文章で終わります。

 他に「あなたたちの恋愛は瀕死」の一編が入っています。

 著者は大阪出身です。

尾形光琳生誕350周年記念「大琳派展ー継承と変奏-」東京国立博物館

2008-10-27 00:38:16 | 美術(絵画)/写真
尾形光琳生誕350周年記念「大琳派展ー継承と変奏-」東京国立博物館

            

 東京国立博物館(上野)で「大琳派展ー継承と変奏-」が開催されています(10月7日~11月16日)。琳派を代表する木阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一、鈴木其一の画を愉しめます。国内各地の美術館とともに、メトロポリタン美術館やファインバーグ・コレクションからの出展です。

 2008年は、江戸時代の芸術家、尾形光琳が生まれて350年目。光琳は、斬新な装飾芸術を完成させた人です。「琳派」という絵画・工芸の一派を形成しました。

 「琳派」は、世襲の画派ではなく、光琳が本阿弥光悦、俵屋宗達に傾倒し、その光琳を、酒井抱一らが私淑するという形で継承されたシューレです。「風神・雷神図」など同じテーマの作品を比較しながら見ることができます。それによって、琳派の系譜を具体的にたどることができると同時に、それぞれの画家の独自性も明らかになります。

 コーナーは4つに分かれています。「第1章:木阿弥光悦・俵屋宗達」、「第2章:尾形光琳・尾形乾山」、「第3章:光琳意匠と光琳顕彰」、「第4章:酒井抱一・鈴木其一」です。
 
 木阿弥光悦、俵屋宗達は、17世紀の画家。圧巻は「風神・雷神図屏風」です。宗達、光琳、抱一、其一の4点そろいぶみは28日以降です。源氏物語、伊勢物語の場面を描いた伝俵屋宗達の「源氏物語図・空蝉」「源氏物語図・夕霧」、「伊勢物語図色紙・芥川」「伊勢物語図色紙・長岡の里」「伊勢物語図色紙・水鏡「伊勢物語図色紙・月のうちの桂」「伊勢物語図色紙・梅のつくり枝」も印象的でした。

 光悦(1558-1637)は、刀剣の研磨、鑑定の家に生まれています。書で有名であり、「寛永の三筆」と言われました。琳派の端緒役であり、今で言うアート・コーディネーターの才にたけていました。

 宗達は生没年不詳です。その生涯はほとんど知られていません。京都で扇を描く「俵屋」という絵画工房を主宰していたようです。独特な構成と水墨技法で琳派の先駆者と言われています。

 光琳(1658-1716)は、呉服商の「雁金屋」の次男として京都で生まれました。膨大な財産を相続しましたが、派手で社交的、遊び人。画家として身を立てることで有名になりました。

 抱一(1761-1828)は、姫路藩主酒井忠以の弟として江戸に生まれています。隠居した尾形光琳の顕彰に力を注ぎました。俳味、機知に富んだ画を得意としていました。画風が洗練されています。時代が現代により近い19世紀というおkともあって色彩は垢抜けしていて、保存状態もよいようです。

 基一(1796-1858)は抱一の内弟子です。抱一の死後、個性を開花させ、モチーフの形の面白さ、大胆な画面構成など、多面的な美的特質を評価されています。

        
    

読売新聞クルマ取材班『自動車産業は生き残れるか』中公新書クラレ、2008年

2008-10-26 00:17:28 | 経済/経営
読売新聞クルマ取材班『自動車産業は生き残れるか』中公新書クラレ、2008年

            

 今年はヘンリー・フォードがデトロイトで自動車の大量生産に乗り出し、最初の1台を完成させてから、
丁度100年目にあたります。また、昨年、我が国のトヨタ自動車は、自動車年間生産台数でGMを抜きトップの座に躍り出ました。自動車に関するトピックスが次々と報道されていますが、自動車産業はいま曲がり角にあります。

 第1章では、トヨタを初めとする日本の自動車産業の強さが分析されています。選び抜かれた技能者の熟練、「慢心」を諫める社訓、財務力の裏づけ、逸早く取り込んだ環境重視の姿勢、「ケイレツ(系列)」の強さ、あくなき探究心(究極の小型車開発)等々。

 しかし、死角があるのです。その分析が第2章です。BRICsで揚がる反撃の狼煙、国内市場の縮小、若者のクルマ離れ、環境問題への対応などです。自動車産業の現状は決して楽観できない状況のようです。

 そして、第3章には今後の可能性の示唆があります。自動運転(パーソナル・ビークル)、安全対策、女性をターゲットとした市場開発、車の魅力の発信。

 資料として「識者座談会」と「トヨタ学」の権威であるアメリカ・ミシガン大学のジェフェリー・ライカー教授へのインタビューが載っています。

 本書は「読売新聞」が2007年9-10月に一面に掲載した記事を基にしたものです。車好きの記者が集まって書いたらしいです。同時に社内の若手記者の発掘も意図したのだそうですが、「社内の若い世代にそれほど車好きが多くない」ことがわかったと書かれていました(p.215)。

過門香・上野バンブーガーデン店

2008-10-25 00:21:37 | グルメ
中華料理がおいしい 過門香・上野バンブーガーデン店
               (台東区上野公園1-52 o3-5807-2288)

          

 このお店は、上野、銀座、溜池山王にあります。銀座にあるのが本店です。

 店の名前は、「門の前を通り過ぎようとする人々が漂う香りに惹きつけられ思わず門をくぐってしまう様子の表現」だとか。

 上野バンブーガーデン店は、JR上野駅の公園口を出て左に、中央通りにむかう下り坂をおり、階段を降りると右手にあります。改札口から7-8分ぐらいでしょうか。

 お店のなかに入るとトンネルのようなエントランスがあり、光のオブジェ。奥までずっと続いているように見えます。入り口のすぐ左手では、厨房のよう(?)。コックさんが丸い大きな中国風のまな板で野菜などを切っているのが見えます。

 この日は、海鮮五目ソバ、鯛の中華風お刺身、牡蠣のシュウマイ、牡蠣のガーリックいため、秋の旬の野菜と茸(マツタケも)蒸し、などを注文しました。

 前にも来たことがありますが、酢豚(黒酢を使っているようです)の印象が強かったです。パイナップルもまざった酢豚ではなく、本格的なものです。一度、お試しください。必ず、満足します。

 次回は本店にも行ってみたいものです。

黒沼ユリ子『わが祖国チェコの大地よ-ドボルジャーク物語』リブリオ出版

2008-10-24 00:00:37 | 音楽/CDの紹介
黒沼ユリ子『わが祖国チェコの大地よ-ドボルジャーク物語』リブリオ出版、1984年

                      

 チェコの生んだ偉大な作曲家ドヴォルジャークの伝記です(わたしたちは義務教育の過程でドボルザークと習いましたが、チェコに長く留学した経験のある黒沼さんは原語になるべくしたがってドヴォルジャークと書いています)。単なる伝記ではなく「ドヴォルジャークというひとりの人間を通じて『音楽』が、また『音楽家』が持ちうる『力』について語りたかった」と著者は言っています(p.346)。

 ドヴォルジャークの生き方を語りながら、著者は自身を語っています。それから全体の約3分の1が少年時代のドヴォルジャークに当てられているのも特徴です。全体としてすぐれた音楽書ですね。

 時代背景(オーストリアの属国だったチェコの民族主義的高揚)をしっかり書き込み、彼の音楽の民族的魂の淵源に言及しています。

 ドヴォルジャークの生涯は、詳しく知りませんでした。

 プラハの近くの生地ネラゼヴェス村、そしてズロニツェで過ごしたよう少年時代(12人兄弟の下から3人目)。父は肉職人でしたがチターを弾く音楽愛好家、トニークは幼い頃からヴァイオリンの名手でした。

 音楽家としての貧しい生活、ヴィーンの文化教育省から奨学金を受ける幸運から光が見えてきました。

 「スラヴ舞曲集」「スラヴ狂詩曲」「賛歌」「悲しみの聖母」などを次々と発表、そしてロンドンでのコンサートの大成功。アメリカのサーバー夫人の招き(アメリカに国民音楽の教育を根付かせようとしていた)で妻のアンアと2人の子ども(残りの4人は幼くて故郷で留守番)とニューヨークへ。黒人霊歌などを知り、有名な「交響曲第9番・ホ短調・新世界より」を作曲。62年の生涯でした。

 機関車と鳩を見ることが趣味だったとか。

平野啓一郎『決壊(上)』新潮社、2008年

2008-10-23 11:16:12 | 小説
平野啓一郎『決壊(上)』新潮社、2008年


                                  決壊 上 / 平野啓一郎/著


 全体に明るい小説ではありません。愉快にもなりません。逆です。が、何か凄い小説のような・・・。ドストエフスキー的と評している人もいましたが、そうであるかどうかはこれから考えます。読後ですが、わたしの脳が腫れている感じです。 

 大状況はITとネットが生活の隅々まではびこっている「いま」です。そこに、いくつかの状況が輻輳しています。

 錯綜したいくつかの中状況が絡み合いながら物語りは展開していきます。まず沢野良介と妻の佳枝と喘息もちの男の子、良太。故郷の実家には退職して気鬱である父と生活に倦怠気味の母、和子が暮らしています。

 良介には崇という兄がいますが、彼は子供のときから優等生で、現在はエリート公務員です。父の老人介護をめぐっていろいろなイザコザがありますが、いまの時代どこにでもあるような親戚、家族関係です。

 良介は現在の仕事、生活に鬱憤があり、それをネット掲示板への書き込みで晴らしています。妻には内緒です。しかし、妻はこのサイトを知り、匿名でこれにアクセスし、書き込みをしています。

 ところでここにもう一つの状況が絡まっています。それは独身の崇が複数の愛人(千津など)と関係があることです。不実の京都旅行の最中、ふたりは宿泊したホテルの近くで殺人バラバラ事件があったことTVで知ります。

 さてもうひとつの状況は、中学二年の北崎友哉をめぐるものです。彼の周りの少年たちとは鬱屈した関係にあります。苛め、登校拒否、家庭内暴力、引きこもり。家族との断絶。

 ブログ「孤独な殺人者の夢想」を目に留めた彼は、それを契機に「悪魔」と出会い(妄想?)内心の憎悪の感情にアクセルがかかります。

 殺人の予告。哲学的であるが独善的な悪魔との会話。

 上巻の最後は、殺人バラバラ事件の被害者が良介であることが知らされ、崇と母親の和子が検死にたちあい、掲示が崇に事情聴取を申し出たところで終わります。刑事は崇が良介と事件が起きる直前に逢っていたとの情報を入手したがっています。

 時に難しい国際情勢の話、また殺人を正当化する哲学的会話があり、私自身、時代の暗部、社会の暗闇にはまり込んだような感情にしばしば苛まれました。こんな疲れる(?)小説は久しぶりです。

 この事件の顛末はどなるのでしょう? 時間を少しおいて、下巻に挑戦したいと思います。

嵐が丘 川井郁子

2008-10-20 00:17:11 | 音楽/CDの紹介
『嵐が丘』 Ikuko Kawai

  かなり前、ラジオ番組で川井郁子さんが出演してインタビューを受けていました。話の内容は覚えていませんが、そのなかでこのアルバムを紹介していました。すぐに、買いもとめました。何度、聴いたことでしょう。とくに「嵐が丘」「水百景」「Etenally」「Air」です。振り返ればみな、川井さんが作曲したものでした。

            川井郁子/嵐が丘(初回限定盤)(DVD付)

  「嵐が丘」は「狂おしいほどに愛をもとめ、絶望の故に、孤独と怒りに震える心。嵐の吹きすさぶ荒野に独り佇み、自身の心の叫びをじっと聞いているような、激しく渦巻く感情」と説明されています。

 「水百景」は、静かに流れる川を連想させます。「Etenally」は永遠に変化をしてやまない万物のようなものを感じます。「Air」は「アエル」と読みます。「澄み切った大気、限りなく広がる爽やかな空気をイメージしていると、安らぎと喜びを見つけた境地かもしれません」と解説に書いてありました。

  川合さんの演奏はステージでも、テレビでも見たこと、聴いたことがありますが、官能的で、音色に艶がありますね。
  
1. 嵐が丘 (川井郁子作曲)
2. 逢びきのテーマ (映画『逢びき』より/ラフマニノフ作曲「ピアノ協奏曲第2番」より)
3. 水百景 (川井郁子作曲)―テレビ東京系「水百景」テーマ曲
4. エターナリィ (川井郁子作曲)
5. 栄光への脱出 (映画『栄光への脱出』より/アーネスト・ゴールド作曲)
6. エル・チョクロ (アンヘル・ビジョルド作曲)
7. ラスト・タンゴ・イン・パリ (映画『ラスト・タンゴ・イン・パリ』より/ガトー・バルビエリ作曲)
8. スカーレット・コンフェッション (川井郁子作曲)
9. 追憶 (映画『追憶』より/マービン・ハムリッシュ作曲)
10. 死ぬほど愛して (映画『刑事』より/カルロ・ルスティケリ作曲)
11. ジェラシー (ヤコブ・ガーデ作曲)
12. ひまわり (映画『ひまわり』より/ヘンリー・マンシーニ作曲)
13. Air (アエル) (川井郁子作曲)―株式会社日立ビルシステムCM曲
14. 嵐が丘~ヒースクリフに捧ぐ (川井郁子作曲)―三井住友VISAプラチナカードCM曲

             

珠玉の名曲でつづるヴァイオリン物語

2008-10-19 00:44:59 | 音楽/CDの紹介
鈴木理恵子さんのヴァイオリンを聴きました。聴き手は、わたしを含め、25人ほどでした。

         

 今日の演奏曲は、以下のとおりです。

  ①ビーバー 「パッサカリア」(無伴奏ヴァイオリン)
  ②エルガー 「愛の挨拶」
  ③シューマン「夕べの歌」
  ④ブラームス「ソナタ第2番」

    (INTERMISSION)

  ⑤プーランク 「即興曲15番」(ピアフに捧ぐ)
  ⑥フォーレ  「子守歌」
  ⑦フォーレ  「ソナタ第1番」


  このプログラムは、最初にブラームス「ソナタ2番」とフォーレの「ソナタ第1番」を決めたとか。ブラームスはシューマンの援助と後押しで音楽界で活躍したので、シューマンをもってきたとか。
  ビ-バーはあまり聞かない人ですが、ボヘミアの音楽家だそうです。1644年生まれ。「パッサカリア」はソ・ファ・レ、ソ・ファ・レと最後まで繰り返されます。当時としては大きな無伴奏ソナタで、バッハにも影響を与えました。

 エルガーの「朝の挨拶」は有名ですね。シューマン、ワグナーに随分傾倒していたようです。

 ブラームスの「ソナタ2番」は、ブラームスらしく、かつ落ち着いた深みがあり、「平和」の気分です。

  休憩後の後半は、フランスの作曲家の作品が並んでいます。フォーレの「ソナタ第1番」はCDでチー・ユンさんの演奏を何度も聴いていましたので、わかりやすかったです。フォーレの若い頃の作品で、師事していたサン・サーンスに賞賛された作品です。

 フォーレの「子守歌」は文字通り、子守歌で、ヴァイオリンの弦にミュート(弱音器)を着けて静かに演奏します。

 プーランクの「即興曲」は、シャンソン歌手のピアフに捧げられたもの。シャンソン、ワルツっぽく、でも最後はやっぱりプーランクです。

 鈴木さんの演奏は初めて聴きました。音色がやわらかく情熱的です。伴奏の吉田まどかさんも、わたしが言うのもおこがましいですが、相当な腕前でした。

  鈴木さんのHPがあります。↓経歴などはこのサイトに詳しいです 
  http://peace-music-rieko.jp/

「源氏物語」の底にあるのは女人成仏の悲願

2008-10-18 00:17:28 | 文学
瀬戸内寂聴『源氏物語の女性たち』NHK出版、2002年

            

 源氏物語を10年ほどかけて現代語訳した著者がNHKの番組「人間大学」で話した内容です。新装版です。因みに、瀬戸内さんの現代語訳は、与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子、田辺聖子などに続く、快挙です。

 「源氏物語」は主人公である光源氏の恋愛遍歴を書いたものといわれます。自分勝手な男の奔放な愛の履歴を綴ったものが、どうして不朽の名作なのか? わたしは「源氏物語」を読みもしないで、長く疑問だけはもっていました。

 著者の瀬戸内さんのこの本で、「源氏物語」のテーマは上記の疑問は氷解しました。瀬戸内さんは、こう書いています、「『源氏物語』の底には、女人成仏の悲願がかくされ流されているように私には思われてな」らないと(p.247)。「それに比べて何と男たちのめめしいこと。源氏は出家したいと口癖のようにいいながら、最愛の紫の上の死後も、めそめそするだけで、なかなか出家できません」(p.246)。

 著者はそのような結論を用意しながら、『源氏物語』の魅力を熱く語っています。

 第一部(「桐壺」から「藤裏葉」までの33巻)では、光源氏が桐壺帝とその寵愛を受けた更衣の子供であるという出自、葵の上との結婚(葵の上には六条の御息所が物の怪として取りつき26歳で死す)、紫の上(若紫)との仮初めの夫婦生活、光源氏と義母である藤壺との禁断の愛、恋愛の対象の拡大(プライドが高いが不美人の空蝉、その継娘の軒端の荻、素直でおっとり、しかし娼婦性も兼ね備えた夕顔、自主的に恋を追い求める朧月夜、流謫(るたく)先の須磨でみそめた明石の君)、情事に情事を重ねる源氏が描かれているそうです。

 第二部(「若菜」から「幻」までの8巻)では、源氏の私生活には暗いトーンが漂います。降嫁による女三宮と紫の上との確執が原因です(女三宮は後に出家)。

 第三部(「匂宮」から「夢浮橋」までの13巻)では、源氏の死後、孫の匂宮と表向きは源氏の子であるものの、実は女三宮と柏木の不義の子である薫が中心の物語展開です。

 著者の式部は、ぬきさしならない難しい恋愛であればあるほど意気軒昂な光源氏の絢爛たる恋の遍歴を語りながら、源氏をとりまく女性達の性格を書き分け、恋のありようを、時にエロチックに、時にミステリックに描写し、そして意気地のない男性と人間的で魅力的な女性の行き方を示したのだそうです。

 わたしは、この本から著者瀬戸内さんのそのような源氏物語感を読み取りました。

食菜処 「まつたて」(新宿御苑)

2008-10-16 15:49:24 | グルメ
食菜処 「まつたて」 新宿区新宿2-4-8 第28宮庭マンション1階 03-3358-7257

           dsc00187.JPG

 新宿駅東南口から新宿御苑のほうに歩いていきます。OIOIデパートを通過して4-5分。瀟洒かつ小ていな料理屋があります。「まつたて」の名は、マスターの姓の「松立」からです。

 前から気になっていましたが、覗いてみました。いい感じの和食のお店です。と思いきや、イタリア風のものもあったりして、でもにぎにぎしいイタリアンではありません。

 実は、ここに来る前にOIOI8階の「雛鮨」によって少し食べて、飲んでました。「まつたて」のメニューをみて最初からここにすればよかったと思ったことでした。それくらい、おいしそうな料理メニューです。

 アルコールも既に入っていたんのですが、ワインを1本たのみました。そして、生ハムサラダ、軽いテンプラ、ひらめの刺身等々。ワインがほどよく食材をひきたててくれます。ワインを飲み干し、日本酒へ・・・。「十四代」「出羽桜」と進みました。

 次回は、ここをメインで再訪です。いまの場所に2年半ほど。近くからここに越してきたそうです。

 喧騒と猥雑な街である新宿も、このあたりは比較的閑静です。

詩と映画の良質な関係

2008-10-15 00:35:58 | 映画

松浦暢他『英詩と映画-その愛と生と死-』アーツアンドクラフツ、2003年

            英詩と映画 その愛と生と死

 詩と映画の良質な関係、その切り口から書かれた本です。

 映画のなかにさりげなく、あるいはテーマとして挿入されている詩。本書の目的は、「いままで映画評論家、愛好者の見落としてきた(詩と映画)の本質的な連関と、それらの内包する多様な文化・歴史・社会の問題を明らかにする」こと、とあります(p.2)。

 この視点は単なる思いつきではなく、映画製作者の意図を掬い取ったものです。詩がこれほど深く、映画と結びついていたとは知りませんでした。

 これまでに観た映画の中で「草原の輝き」がワーズワスの詩を取り入れていることは知っていましたが、「哀愁」「ソフィーの選択」「逢びき」「マディソン郡の橋」「ハンナとその姉妹」などに詩が効果的に挿入されていたとは・・・。無知で、気がつかなかったです。

 21本の映画がとりあげられ、それぞれの冒頭に訳詩が掲げられています。詩は、巻末に英語(原語)
で一覧されています。

 以下は、本書で取り上げられている映画と使われている詩の作者(カッコ内)。★はわたしが観た映画です。


★「哀愁(マーヴィン・ルロイ監督、1949年)」(ロングフェロー)
★「ソフィーの選択(アラン・J・バクラ監督、1989年)」(ディッキンソン)
★「草原の輝き(エリア・カザン監督、1961年)」(ワーズワス)
★「逢びき(デヴィット・リーン監督、1965年)}(キーツ)
「恐怖のメロディ(クリント・イーストウッド監督、1971年)」(ポー)
「剃刀の刃(エドマンド・グールディング監督、1946年)」(キーツ)
「アウトサイダー(フランシス・コッポラ監督、1983年)」(フロスト)
★「ハンナとその姉妹(ウッディ・アレン監督、1986年)」(カミングズ)
「愛しすぎて 詩人の妻(ブライアン・ギルバート監督、1995年)」(エリオット)
「デンジャラス・マインド(ジョン・スミス監督、1991年)」(トマス、ディラン)
「ザ・フォッグ(ジョン・カーペンター監督、1979年)」(ポー)
「愛と哀しみの果て(シドニー・ポラック監督、1985年)」(コールリッジ)
「チャタレイ夫人の恋人(ケン・ラッセル監督、1995年)」(ヘリック)
「オルランド(サリー・ポッター監督、1992年)」(スペンサー)
「エンジェル・アット・マイ・テーブル(ジェーン・キャンピオン監督、1990年)」(バーンズ)
「ワイルド(ブライアン・ギルバート監督、1997年)」(ワイルド)
★「ピアノ・レッスン(ジェーン・キャンピオン監督、1993年)」(フッド)
「ジェイン・エア(バリー・レッツ監督、1996年)」(スコット)
★「マディソン郡の橋(クリント・イーストウッド監督、1995年)」(イェイツ)
「愛の7日間(ディック・リチャーズ監督、1983年)」(シェークスピア、フロリアン)
「サマー ストーリー(ピアス・ハガード監督、1988年)」(キーツ)。

 翻って、日本の映画のなかで、これほど詩と結びついたものがあるのか、わたしはほとんど知りません。


「Shooting Star (ながれ星)」 松野迅

2008-10-14 00:21:49 | 音楽/CDの紹介
「Shooting Star (ながれ星)」 松野迅

           CD・松野迅「ながれ星」

 松野迅さんのバイオリン最新CDです。春先の演奏会会場で予約し、完成したCDが送られてきました。
 秋の夜長にときどき聴いています。


  今回のアルバムには、バイオリンと切り離せないユダヤ音楽で編集されています。

  「スペイン・セレナーデ」「歌のつばさに」は有名な曲です。

  「すみれ」は大切なレパートリーとのこと。チェリストの瀬越憲さんがウィーンに留学していたころ、日本への郷愁を3拍子の曲にした名作です。

  カウフマンの「イーディッシュ組曲」は心に沁みます。単純な構成ながら、ユダヤの旋律の妙味を短い3曲に凝縮させています。松野さんはこの曲にシャガールの色彩を連想するとか。

 ストラヴィンスキーの「ロシアの乙女の歌」は歌劇「マヴラ」で歌われるアリアが原曲。この作品には、ストーリーがあります。母と娘とが暮らしています。あるとき、娘と隣に住む男性とに恋が芽生えます。母はこの恋に反対。娘と男は、母の反対にめげず、何とか頻繁に逢おうと画策します。男が女装し、マヴラという名で母と娘のメイドとして雇われるようにしむけ、家に入れるようになります。
 ある日、母と娘が外出中、男は悠然と髭をそっていました。そこへ突然、ふたりが帰ってきます。女装を見つかった男は、窓を蹴破って退散。ユーモラスな作品で、曲想はこのストーリーを連想させるに十分です。

 「ながれ星」は、松野さんの自作曲です。曲は3つの部分からなっています。冒頭部分(ホ短調)は、出会いの喜びと離別の哀しみを同時に重ね合わせるかのような心境をこめています。中間部分(ホ長調)ではピアノの流線型に乗せて、「大きな希い」を運んでいます。最後の部分(ホ短調)は3拍子。「真摯な対話」をイメージしているとのこと。

■収録曲
①スペイン・セレナード(グラズノフ)
②哀しい歌(カリンニコフ)
③歌のつばさに(メンデルスゾーン)
④すみれ(瀬越憲)
⑤五月のそよ風(メンデルスゾーン)
⑥ファンタジー・オリエンタル(ウイニアウスキー)
⑦イーディッシュ組曲(カウフマン)
⑧カンツォネッタ(ロドリーゴ)
⑨ルーマニアーナ(ロドリーゴ)
⑩ロシアの乙女の歌(ストラヴィンスキー)
⑪アラブのメロディ(グラズノフ)
⑫スペイン舞曲 歌劇「はかなき人生」より(ファリャ)
⑬ながれ星(松野迅)
⑭清らかな女神よ 歌劇「ノルマ」より(ベッリーニ)

商品番号:CCD868
JAN:4523810002942
発売日:2008/07/15


伊藤セツ『生活・女性問題をとらえる視点』法律文化社、2008年

2008-10-13 00:08:14 | 経済/経営
伊藤セツ『生活・女性問題をとらえる視点』法律文化社、2008年  
               

 本書の表題は内容と寸部のズレがありません。文字どおり、生活と女性問題を考察する視点を示したものです。

 著者は経済理論(社会政策論)から出発して①社会政策論、②家政学、生活科学、生活経営学、③社会福祉学の3つの学問領域で精力的な仕事をしています。

 全体は2部構成で、第一部が「生活問題をとらえる-その視点と手法」、第二部が「女性問題をとらえる-思想・運動・労働」となっています。

 わたしがいくつか気づいたこと(またそれが本書のメリットでなのですが)が5点ありました。

 第一に国際的な女性問題の歴史の展開が俯瞰されています。19世紀後半の女性の権利運動、社会主義的女性解放運動、「第一波フェミニズム」「第二波フェミニズム」「第三波フェミニズム」と称される運動、国際民主婦人連盟の会議、国連世界女性会議、女性NGOフォーラム、「北京+5」「北京+10」、さらにINSTRAW(国際婦人調査訓練研究所)、UNIFEM(国連女性開発基金)などの活動です。

 第二は第一の指摘と関係しますが、現時点での女性労働問題の展開が仔細に紹介されています。「第10章・貧困の撲滅とディーセントワークをめざす世界の女性労働」ではこの問題を国連の最新の資料を使い、MDGs(ミレニアム開発目標)に焦点を絞って解説されているなどはその一例です。

 第三は「ジェンダー統計」に詳しいことです。ジェンダー統計の定義を著者は次のように書いています、「ジェンダー統計とは・・・統計の作成にあたって、たんに男女の区分があるというだけでなく、問題のある男女の状況把握や関係改善に連動することを認識して作成された統計である」と(p.86)。「第4章・ジェンダー統計視点にたつ」がこれに関するメインの章ですが、ジェンダー統計については他の章でも適宜触れられています。

 第四に著者は女性問題を理論的に深めているだけでなく、提言を積極的に行っていることです。ジェダー統計について、政府統計のユーザーとして5点にわたって提言(男女共同参画に関わる統計(ジェンダー統計)を意識した統計行政を!など)がなされています。

 最後に指摘したいのは、著者の視点の柔軟さです。女性の解放、権利の向上のための理論と実践には、階級視点を維持するとともに、同時にそれを相対化しつつ、より多面的にフェミニズムと称する運動が問題にしてきたことを取り込んだ内容が必要という著者の考え方がそれです。

 他にも、社会政策学会100周年記念シンポジウム「ジェンダーで社会政策をひらく」の意義(pp.45-46)、女性文化概念の概観(第7章)、日本の女性運動の展開(第9章)など、本書は女性問題についての汲めど汲みつくせぬ豊かな内容をもっています。

 本書は、生活・女性問題のシソーラス(語源はギリシャ語の単語で、その意味は「宝庫」)です。