【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

宗教の歴史を一挙に概観

2010-01-31 01:04:08 | 科学論/哲学/思想/宗教
島田裕巳『教養としての日本宗教事件史』河出書房新社、2006年
          教養としての日本宗教事件史
 日本の宗教の歴史を24の事件で追いながら一気に解説した本です。スタートはもちろん仏教伝来、ゴールは「お一人様化」した真如苑。

 著者は宗教とは相当にスキャンダラスで(「まえがき」)、かなり危険なものである(「あとがき」)と書いています。スキャンダラスで危険なその中身が本書の全編に詰め込まれています。

 24の事件ということですが、古くは蘇我氏と物部氏との相克、大仏開眼供養会、鑑真和尚の本望、空海と最澄との宗教的闘い、日蓮の宗教がめざしたもの、法然・親鸞・蓮如の関係、栄西・道元の禅宗、織田信長の蛮行、キリシタンの果たした役割、人を神として祀るということ(道長、秀吉、家康)、宗教バブルとしてのお蔭参り、廃物希釈に飲み込まれた大寺院(内山永久寺)、戦前の天理教と天皇制、靖国神社問題、新興宗教の実体、天皇の人間宣言の意味、明治神宮に関わるエピソード、現代の皇室の在り方などなどと言った感じで進んでいきます。

 啓蒙書ですが、知らない世界なので、読みながらわかりにくいところ、疑問が次々でてきました。

 密教とは何? 天台宗、真言宗、日蓮宗などそれらの教義のどこがいったい違うのか? 法華経とは?

  その点、本書は駆け足での説明なのでこれらの疑問にきちんと答える叙述を見つけるのが難しいです。ないものねだりになってしまうのです。

 日本の思想史、文化史を正確に理解するには宗教の分野の歴史的展開をおさえておかないと不十分なものになってしまいます。そのことを読後、強く感した次第です。

「悪女」というのは男性の視点からつくられた(或る意味での)差別用語

2010-01-29 16:53:48 | 評論/評伝/自伝

田中貴子『悪女論』紀伊国屋書店、1992年

                             〈悪女〉論の画像

  「悪女(性的魔力で男を破滅させる女)」は男性の視点から作られた言葉だということの洞察が本書の主眼です。その事実関係を説話を含む中世,近世の過去の文献のなかで追跡していくという方法がとられています。

 全体の構成は・・・
 「Ⅰ帝という名の<悪女> 称徳天皇と道鏡」
 「Ⅱ鬼にとりつかれた<悪女> 染殿后と位争い」
 「Ⅲ竜蛇となった<悪女> 『道成寺縁起絵巻』から『華厳縁起絵巻』へ」です。

 <悪女>の呼称の本質は性差別であり,女帝忌避観,天皇の血の系譜,権力からの女性の排除の思想が背景にありますが,女性に固有とされた不浄観,罪状観の要素と結び付けて語られてきました。

 「平安,鎌倉,室町と時代を経るにつれ,女性の悪行と蛇が強固につなぎ合わされていった」「蛇を身に養う女性は,普段の生活をしている限りにおいて何ら問題はない。だが,いったん嫉妬を起こすが最後,腹の底に眠っていた邪悪な蛇がゆっくりと鎌首をもたげ始めるのだ」(p.182)。こうした偏見は男性中心の権力構造,社会制度のなかで流布されました。

 <悪女>たちの物語を取り上げるに際し,著者が真っ先に思い出したのは,中上健次の小説「浮島」の次の一節だったと「あとがき」で書いています。

 「よしんば女が,蛇の化身で,淫乱で,さかしらずで,邪悪であっても,女とともに果ての果てまで行ってこそ・・・・男というものである。道成寺の安珍も,蛇性の婬の豊雄もふがいない。逃げ出すことは要らない」(p.219)。


映画女優・若尾文子さんを論じた本

2010-01-29 00:38:46 | 評論/評伝/自伝
四方田犬彦・斎藤綾子『映画女優 若尾文子』みすず書房、2003年
      
           

 本書を作る切っ掛けを四方田さんは「はじめに」で書いています、1994年にイタリアに留学していたおりに増村保造監督の日本映画史に関する書物をみつけ、それが契機となってイタリアで増村監督の回顧上映を企画し、成功、その延長で映画会社の大映をめぐるシンポジウムを明治学院で開催、さらにその大映で増村監督と組んだ代表的女優である若尾文子に関する書物を思い立った、と。

 本書は3部からなっています。第一部は四方田の論文「欲望と民主主義」、第二部は斉藤の論文「女優は抵抗する」、そして第三部は若尾文子へとふたりの著者とのインタヴュー「自分以外の人間になりたい」(2002年9月26日、於:プリンスホテル)です。

 四方田論文は、若尾文子が増村保造監督と組んでつくった20本の映画を前半と後半と分け、さらに後半を3系列に整理して論じています。すなわち、前半の映画は「青空娘(1957)」「妻は告発する(1961)」「燗(1962)」などであり、後半は「夫が見た(1964)」から「千羽鶴(1969)」です。

 この後半は、「卍(1963)」「刺青(1966)」などの谷崎もの、「清作の妻(1965)」「赤い天使(1966)」などの戦争もの、「妻二人(1967)」「華岡青洲の妻(1967)」などの家族メロドラマものなどの系譜があります。

 もちろんこの他にも水上勉の小説の映画化「雁の寺(1962)」「越後竹人形(1963)」があります。

 若尾文子を専ら増村監督、三島由紀夫などの肩越しに捉えているのが四方田論文の特徴です。他の共演した女優、岸田今日子、岡田茉莉子、高峰秀子らと、あるいは共演はしていないが吉永小百合、京マチ子、山口百恵などと比べながら論じているのが興味深いです。

 斉藤論文は女性が女優若尾文子をどのように観るのか、男性の側から描かれた増村監督の映像のなかで彼女はどのような演じ方をしたのかという問題意識(斉藤さんはこれを<若尾文子問題>と呼んでいる)のもとに論旨を構築しています。ここでは「ホモエロチックな欲望」「両性的オマージュ」「家父長制における女性の抵抗」「ジェンダーコード」「共同体と個人」「折衝」「重力」などのタームを駆使して哲学的な考察がなされています。

 そして対談。普段着の若尾文子さんがそこに居ます。

 末尾に若尾文子が演じた160本に近い映画の詳細なフィルモグラフィー(志村三代子作成)。

 本書を読む限りでは、若尾さんにとって「妻は告発する」「夫は見た」「清作の妻」が若尾文子の作品の節目を成しているようです。アイドルから女優へ、そして複雑な陰影をもった女性の生活と人生を、あるときは折り目正しく、あるときは激情的に演じた若尾さんは日本映画史のなかでも稀有な存在です。

メディア危機のもと、社会が狂い始めている

2010-01-26 00:33:52 | 政治/社会

金子勝/アンドリュー・デウィット『メディア危機』日本放送協会、2005年
                         

                         


 表題のとおり危機的状況にあるメディアの現状を指弾し、その実態を解明した本です。

 メディア危機とは具体的には、メディアによる情報操作であり、二分法(例えば善と悪、抵抗勢力と構造改革)とバッシング法とが結びついたイメージ操作、ステレオタイプ(一つの型からコピーをつくるための印刷用スタンプ)の思考の押しつけ、日本のメディアの米国情報への依存体質、本質を伝える情報の隠ぺいないし無関心です。

 こうしたメディア危機が2001年9・11事件後のアメリカのイラクへの軍事介入以降、強まったことが強調されています。この状況に対抗するには、メディアリテラシーにもとづく批判的思考を身につけることが要で、「社会が狂い始めている」と懸念する著者たちの言葉をかりればメディアリテラシーとは「人がテレビで見るもの、本、雑誌、新聞などで読むことは、現実そのものではなく、構成されたものであり、論理的に分析できること」であるとのこと(p.19)です。

 抽象論でなく、多くの具体的事例をとりあげて議論していることが本書のメリットです。それらは上記9・11以降のブッシュの独善的なイラク介入(フセイン政権の大量破壊兵器の秘匿による)、グローバル・スタンダードというまやかし、民主主義を空洞化するNPM(新公共経営)論、国家や民族をめぐるイメージでナショナリズムを煽る新たな人種主義などです。

 政権に易々と操作されるこの国の迷走ぶりが根底から批判されています。いま必要なのは、「十分な知識に裏付けられた大衆の意見を育成し、それを政策決定過程に直接反映させるための仕組み」であるが、その実現には「メディア政治につねに懐疑的に接する批判的思考を育てる・・・(ことであり)、メディア・リテラシーの教育を制度化してゆくこと」、次は「公共的決定を要する政策領域を身近なところに落としてゆく分権的な仕組み」をつくることである(p.214)と説いています。

 本書は、ふたりの著者のうちのひとり、デウィットさんからいただきました。


若尾文子特集③:三島由紀夫原作「お嬢さん」の映画化

2010-01-25 00:28:48 | 映画

弓削太郎監督『お嬢さん』大映東京、カラー、79分、1961年
                          
 於:ラピュタ阿佐ヶ谷

           『お嬢さん』写真
   

         製作 中泉雄光
   
       企画 藤井浩明
          監督:弓削太郎
  
        助監督: 阿部志馬
  
        脚本: 長谷川公之
          原作: 三島由紀夫
         撮影:小林節雄
         音楽: 池野成
         美術: 山口煕
         録音: 橋本国雄
         照明: 柴田恒吉

 三島由紀夫の同名の小説が映画化されたものです。他愛のない話ですが、日常生活にありがちな話ですから、肩の力を抜いて観ることができます。若尾文子さん、すでに亡くなった川口浩さん、田宮二郎さん、野添ひとみさん、みな20代でわかわかしく溌剌とした演技です。昭和36年の映画ですから、当時の服装、家の中のようす、箪笥、テーブル、椅子、什器など、デザイン、材質がいまと微妙に異なっていて、懐かしさがこみあげます。

 簡単にストーリーをなぞると・・・

 藤沢家のかすみ(若尾文子)は女子大生ですが、そろそろ結婚のことを考えています。友達の花村チエ子(野添ひとみ)とはいつもそのことが話題になり、大胆な会話を楽しんでいます。できれば恋愛結婚。ふたりは夢をみます。

 父母はそのかすみの相手として牧(田宮二郎)を考えていますが、当の本人の第一候補は、父の会社の社員である沢井景一(川口浩)。しかし、景一は名うてのプレイボーイでした。女性との怪しい場面を眼にしたりします。つきあっている女性は多く、浅子もそのひとりですが、景一はもう飽きてしまったのか相手にしていません。飲み屋でのガールハントもお手のもの。かすみはその場面に立ち会って、怒り心頭です。
 
 チエ子はチエ子で牧(田宮二郎)という男性とのつきあいがはじまっています。この牧もなかなかくせものです。
 
 ときが経過して、デートでいい思いをしたかすみは景一との結婚を決意します。すばらしい新婚生活。団地でのふたりの生活は幸せムードいっぱいですが、波乱も・・・。景一が以前につきあっていた浅子(仁木多鶴子)がふたりの家庭におしかけてきたり、自殺をほのめかしたり。

 妄想癖のあるかすみは、景一が浮気をしているのではと悩みます。浅子とよりを戻しているのでは? 兄嫁と関係があるのでは?

 家庭の妻にありがちなひとりよがりな妄想は、現実のものなのか?? その成り行きは? 


プロ野球審判の眼と回顧、そしてルールの解説

2010-01-24 00:31:10 | スポーツ/登山/将棋
島秀之介『プロ野球審判の目』岩波新書、1986年
            
 野球でほとんどその存在を意識的に認められることのない審判,しかし彼らがいて,正確で公平なジャッジがなければ,ゲームは成立しない、当たり前のことです。

 いわば,ゲームの裏方である審判を40数年,努めた筆者の人生とそこから得た経験と教訓が書かれています。

 筆者の島さんは,もともとはプレーヤーでした。法政大学時代,そして草創期のプロ野球チーム,名古屋金鯱軍の外野手として活躍。肩をこわして審判となったそうです。

 審判は激務であり,待遇はよくない、試合中,トイレにはいけない、実際に立ち会った想い出の試合に関する珍しい記録が盛りだくさんです。大洋対名古屋の延長28回(S17),天覧の巨人対阪神(S34),満州リーグ戦(S15),退場選手第2号(S11,1号は苅田)。

 本書の後半はQ&A方式で野球のルール解説です。パターンの状況説明があって,ジャッジの可否を読者に問うのです。面白いですが,状況を頭に入れないと意味がないので想像力を働かせますが,疲れます。野球のルールを知っている人には頭の体操になりますが、それを知らない人には,読みとおすのは全く無理でしょう。

大リーグの文化的・歴史的背景がわかる

2010-01-23 09:11:05 | スポーツ/登山/将棋
福島良一『大リーグ物語』講談社新書、1991年

             

  大リーグ・ファンだったらたまらない一冊でしょうが,わたしは大リーグ情報に詳しくないので,今ひとつ興がわきませんでした。

 チームの名前,選手の名前が多数出てきますが,イメージの喚起がありません。そういうわたしでも「大リーグのベストナイン」の各章に出てくるノーラン・ライアン,ルー・ゲーリック,ピート・ローズ,ベーブ・ルース,ハンク・アーロン,ウィリー・メイズは知っています。

 同じ野球でも日本のプロ野球とアメリカのベース・ボールとではその文化的,歴史的,社会的背景はかなり異なることがわかりました。大リーグのチームは地域に根付いていて(フランチャイズ主義),南米からの選手の供給があり,リーグの数は多く,チームも多く(ファーム組織との関係),フィールド・マネジャー(監督)にドラフト権はなく(その権限はジェネラル・マネージャーにある),勝負に専念,基本的に引き分けがない,エンターテイメントの要素が強い(オルガン演奏など),安い入場料,等々です。

 わたしが観たアメリカの映画で「打撃王」「ナチュラル」「フィールド・オブ・ドリームス」などのいい映画ができる背景がわかりました。

江戸時代の農民を貧困階級としてのみとらえてよいのか?

2010-01-21 00:16:18 | 歴史

佐藤常雄・大石慎三郎『貧農史観を見直す』講談社新書、1995年

             

 著者が本書で一番言いたかったことは、次のようなことです。すなわち、江戸時代の農民は幼弱な生産力を背景に、あいつぐ自然災害と凶作・飢饉に苦しみ、重い年貢にあえぎ、莚旗を打ち立てて百姓一揆や打ちこわしにに出る、農民は幕藩領主から年貢を収奪されるだけの存在であり、常に農民の生産と生活とは過重労働と過少消費にさらされているという「貧農史観」は誤りであるか、一面的であるということです(pp.110-111)。

 このことを実証するために江戸時代の治水技術にもとづく大開拓、新田開発、農民経営としての封建小農の自立化、商品作物(四木三草:茶・桑・漆・楮・麻・紅花・藍)の展開、育成林業、めざましい品種改良、多様な農業構造、資源リサイクルなど、農村ひいては農業の多様なあり様が紹介されています。

 第3章のムラの構造分析はとくに面白かったというか、勉強になりました。ここでは領主はムラに入らないこと、ムラの構成員が本百姓と水吞百姓であること、イエ(家族)が単位であること、村役人は名主、組頭、百姓代という村方三役であること、年貢は村請制であり、それほどの負担でなかったこと、村入用は公平に行われていたこと、など「貧農史観」を覆すための説明がなされています。

 最終章は、江戸時代の種々の農政書の紹介と解説です。


現代数学の「超数学」的方向

2010-01-20 00:15:22 | 自然科学/数学

N・ナーゲル、J・R・ニューマン/林一訳『ゲーデルは何を証明したか-数学から超数学へ-』白水社、1999年         

            
         
 19世紀の後半にヒルベルトによって構築された非ユークリッド幾何学とともに脚光を浴びた公理論は、曖昧さと矛盾のない壮大な数学体系と評価され、一時は数学の分野を超えて物理学、経済学の分野にも適用しようとする試みが相次ぎました。

 しかし、ゲーデルは1931年に公にした論文「プリンキピア・マテマティカとそれに関連する体系の形式的に決定不可能な命題について」で、完全で無矛盾な数学体系を作るのは無理であること、数学のある重要な命題が証明不可能であること、を証明しました。本書は、数学とは何か、証明とは何かをめぐって、数学に革命的な変革を迫ったゲーデルの業績を,「不完全性定理」に論点を絞って紹介したものです。

 訳者のあとがきにこのことの事情を的確に叙述した箇所があります、すなわち「数学の基礎に対する疑念が生じたのに応えて、1900年に指導的数学者ダヴィット・ヒルベルトが提案したのは『数学的方法の確実性を一挙に最終的に確証する』という計画だった。彼が望んだのは、巣学的証明のための性質をそなえた完全な1組の現代的な推論規則を、一挙に最終的に定めることだった。・・・だが、ヒルベルトのこの見通しが決して達成されないことを証明したのがゲーデルだった」と(p.161)。

 それでは、ゲーデルはどのような証明を行ったのでしょう? 実はその証明の詳細を過程を追い、その内容を理解できる人間は、数限られるそうです。本書はその輝かしい成果のエッセンスを抽出することを目的にしたゲーデルの証明の解説本です。

  数学が「量の科学」という伝統的な考え方が適切でなく、誤りであること、数学は何よりもまず、任意に与えられた公理あるいは仮定から論理的に結論を引き出す学問であるという考え方(p.21)に納得しました。

 平易を旨としたものでしょうが、正直のところ理解には難儀しました。完読しましたが、時間がかりました。関連した議論にであったときに、立ち返って検討するための座右の書としたいです。

 構成は以下のとおりです。
 「1 現代数学の転機」
 「2 数学は無矛盾か?」
 「3 数学から超数学へ」
 「4 形式論理の体系」
 「5 絶対的証明の成功例」
 「6 写像とその応用」
 「7 ゲーデルの証明」
 「8 結論」
 「補節:①算術の公理、②数学的推論の論理、③トートロジーについて、④ゲーデルの証明とロッサーの定理、⑤ゲーデルと実在論」
 「訳者あとがき」

若尾文子特集②「その夜は忘れない」(1962年)

2010-01-19 00:18:57 | 映画

吉村公三郎監督「その夜は忘れない」1962年、東京大映、白黒、96分

              商品写真

  「 ラピュタ阿佐ヶ谷」での女優・若尾文子さんシリーズの2回目は「その夜は忘れない」。原爆投下から17年たった昭和37年の広島での出来事をあつかったシリアスドラマです。

  週刊ジャーナルの記者、加宮(田宮二郎)は、17年目の広島の企画をもって現地に取材に入ります。しかし、原爆の傷痕は風化しつつあり、取材のなかで「いまさらそのような取材をしても」というような空気にいたるところで直面します。しかし、そうは言っても、取材を重ねる中、加宮はいくつかの深刻な事実を聞くことになります。

 加宮には広島に菊田吾郎(川崎敬三)という気心の知れた友人がいます。誘われて飲みにいき、そのBARで秋子(若尾文子)という和服の似合うマダムに会います。 加宮は彼女に気持ちを奪われますが、秋子の態度はなぜかよそよそしいのです。それでも加宮は、出張のさなかその店を何度も訪れることになります。

 秋子はは被爆の体験をもっていました。加宮が帰京する前夜。結婚をもとめる加宮に、秋子は原爆症の事実を伝えます。結婚をあきらめきれない加宮は、一緒に東京に行こうと提案しますが・・・。

  この顛末は? 「まことの恋がなめらかに進んだためしはない」のですが、それにしてもこんな結末が・・・。

  広島の石は被爆して、それを手にとって強く握ると砕けてしまいます。被爆の象徴としての広島の石。 

  若尾文子さんの美貌と端正な容姿。今は亡き田宮二郎の精悍で熱い、それでいてナイーブで一途な演技。出演はほかに、江波杏子、角梨枝子、長谷川哲夫、中村伸郎。

 いろいろな角度から評価できる、佳品です。

         その夜は忘れない



       


昭和の映画とともに生きた人生

2010-01-18 00:32:00 | 映画

廣澤 榮『私の昭和映画史』岩波新書、1989年

 20世紀は戦争の時代,映画が飛躍的に発展した時代ですが,1924年生まれの著者にとっては,15年戦争と日本映画の花ひらく時代に青春時代を過ごしました。

 そして,著者の人生は戦争と映画とともにあり,それはとりもなおさず「昭和」でした。その著者は1944年に東宝に入社,戦後鎌倉アカデミア演劇科に学び,黒澤明,豊田四郎,成瀬巳喜男の助監督を務めるとともに,「サンダンカン八番娼館」などのシナリオを手がけた経歴の持ち主です。

 県立の工業高校図案科の学生時代にシューベルトを描いた「未完成交響曲」を見て惹かれたという記述に親しみを感じました。わたしもこの映画が好きだからです。

 「路傍の石」「小島の春」「スミス都へ行く」「独裁者」など懐かしい映画の名前が登場します。

 監督になる機会を2回も失ったことは,余程悔しく不本意だったのか,その想いを綴ったページには力が込められています。映画とともにあった人生,昭和の歴史とともにあった人生。「私にとって,昭和とは,いったい何だったのだろう?」(p.247)との問いを発しながら,エンディングです。


自動車メーカー”スズキ”の社長自伝

2010-01-16 00:10:48 | ノンフィクション/ルポルタージュ
鈴木修『俺は、中小企業のおやじ』日本経済新聞社、2009年

          俺は、中小企業のおやじ


 著者は軽乗用車アルトの生産(2008年、アルトの生産は国内市場で8万5000台、インドでは34万台)で有名な自動車メーカーである「スズキ株式会社」の代表取締役会長兼社長です。現在79歳。その「スズキ」の成長の歴史を牽引してきた著者自らの語りでなった本です。

 日本経済新聞には名物コラムとして「私の履歴書」があり、その執筆をこわれ、これまで断り続けてきたらしいのですが、「人生で、最初で最後の一作ということで、本を書きませんか」という甘言にのったのがこの本とのこと(p.248)。軽自動車シェアナンバー1にスズキを押し上げたアルトの開発秘話[1979年発売]、浜松の中小企業が世界の自動車とまみえる契機となったGMとの提携[1981年以降](資本提携から業務提携へ)、そしてグローバル路線の延長上でのインド[1983年]とハンガリー[1990年]での展開。

 著者は社長就任時に売上高3232億円だった同社を、30年間で3兆円企業までに成長させた辣腕社長ですが、実は徹底的に現場主義を貫いたこと、可能性があればどこのでもしつこくねばっていく姿勢をもっていたこと、その賜物が現在のスズキということのようです。

 「一円単位のコスト削減が会社の収益を左右する」ことを示した図(p.98)は、説得力があります。将来性を買って次期社長候補と考えていた娘婿が急死し、2000年に一旦退いた社長職に2008年12月に復帰し、生涯現役を掲げて現在も活躍中です。

「1章:ピンチをチャンスに変える」
「2章:どん底から抜け出す」
「3章:ものづくりは現場がすべて」
「4章:不遇な時代こそ力をためる」
「5章:トップダウンはコストダウン」
「6章:小さい市場でもいいから1番になりたい」
「終章:スズキはまだまだ中小企業」

江戸時代の流通経済(商業資本)の発展を研究した著者の成果

2010-01-15 00:06:29 | 歴史

林玲子/大石慎三郎『流通列島の誕生』講談社新書、1995年

             

 江戸時代の流通経済(商業資本)の発展を研究した著者の成果の一部です。

 まず、この時代が3区分されています。

 第一の時期は、「商品の供給地が特定の地域に限られ、需要増もまだ拡大していないため、扱う商人も特定の物資に限らず他地域の商品で何でも売買するとともに、自己の周辺地域の商品もまた他地域へ送り出していたころ」です(17世紀)。
 第二の段階は「元禄期(1688-1704)以降にみられる…庶民層の需要拡大ともに、問屋層による諸商品の集荷・販売網が成立する」時期です。
 第三段階は「化政期(1803-30)以降、庶民層の需要が一層高まり、…消費者の需要に応じて生産された諸商品が生産者―消費者を結びつける商人や輸送業者によって各地に運ばれるようになる」時期です。
 この3つの時期に対応した商品流通は、「点と線の商品流通」「網の商品流通」「面の商品流通」と定義されています。(以上,pp.29-30)。

 本書はこの定義にのっとって、各章が展開されています。まず、近世前期の「点と線の商品流通」で(その代表的なものとして「綿の道」[p.48]が取り上げられている)、「点」は三都(京都、大阪、江戸)の問屋や城下町の商人であり、この点を結び付ける「線」は諸色問屋、売場問屋のような荷受問屋による流通でしたが、「自らの資本で仕入れた商品を売りさばくのではなく、荷主と買い入れ先を結ぶことで口銭を受取り、輸送を担当したのでり、点が動けば線はすぐ切れた」(p.73)と、あります。

 18世紀に入っての「網の商品流通」では、荷受問屋から仕入問屋への交代がみられ、集荷、販売網の形成を基礎に大量の商品が動き、江戸では十組や仮舟組のような大組織網が成立し、大阪では二十四組組織や専業問屋仲間が活躍しました。

 19世紀の「面の商品流通」では、全国的な農村の経済力の回復・上昇を前提に、農村内部や近くの在町で商品が生まれ、農民も生産・流通に関係するようになり、商品流通は問屋や仲買を通すことなく地域別に成立するようになりました。

 階級社会を「縦」関係とみるなら、商品流通は人々を「横」関係でつなぐものであり、著者は後者の視点の重要性とまたその研究の必要性を認識し、長年の研究に取り組んできたようです。

 「横」の関係性には女性労働が果たした役割は非常に大きいのですが、しかしそれを現代に伝える資料、情報は限られています。

 著者の渾身の取り組みであることがよくわかりましたが、議論が細かすぎる部分があり、限られた資料のゆえに整理が行き届いていない部分があったりして、読みにくく、分りにくいところがところが多々あったのは惜しいところです。


キリスト教英語の常識

2010-01-14 02:07:07 | 言語/日本語
石黒マリーローズ『キリスト教英語の常識』講談社新書、1995年
        
 英語で「さようなら」はGoodbye。このGoodbyeの原形はGod be with you. というように「キリスト(神)」の存在に関係した言葉です(p.241)。これはほんの一例で、英語にはキリストに関係した言葉、フレーズが限りなくあります。

 本書はそれらをいくつかのジャンルに分けて、具体例を示しています。

 「第1章:「聖書」からの日常表現」では、英語表現に聖書から引用されるものがいかに多いかを説明しています。

 「第2章:日常表現にみるキリスト教の心」では、新聞記事、雑誌記事、TV、映画での語りのなかの「愛」「祈り」「祝福」「神の加護」「神の賜物」「神の意志」「称賛」「誓い」「驚き」「励まし」「試練」「ゆるし」「奉仕」「願い」「哀悼」「冒瀆」の表現の事例を紹介しています。

 第3章は「発見し、使ってこそ身につく表現」で、コミュニケーションの勧めです。

 英語表現に見られるキリスト教の背景をしらないと思わぬ誤訳をしてしまう事例もあげられています。

 著者の実感が書かれています。日本では喫茶店などでモーニング・サービス(Morning service)などという表現が気楽に使われるが、serviceというのは「祈り」の意で英語文化圏の人はこのモーニング・サービスに接すればそれを「朝の祈り」と理解してしまうだろう(p.213)とか、著者が初めて日本に来た頃、首に十字架の飾りをつけている日本の女性が多いのに気づき、彼女たちがみなクリスチャンかと思った(p.203)などなど。

「生きにくいこの時代、幸福とは何か」、互いに譲らない論戦(勝間和代VS香山リカ)

2010-01-13 01:22:49 | 科学論/哲学/思想/宗教
勝間和代/香山リカ『勝間さん、努力で幸せになれますか-不幸にはワケがある・不安時代の幸福論』朝日新聞社、2010年
           勝間さん、努力で幸せになれますか

 香山リカさんがその著『しがみつかない生き方』(幻冬社新書)の最終章のタイトルを「<勝間和代>を目指さない」というタイトルをつけたのを切っ掛けに、AERAが二人の対談を企画し、350分の激論(?)をまとめたのが本書です。

 ある意味、世界観、人生観、行き方で対極にあるふたりが、この混沌たる社会での「幸せとは何か」、「努力は楽しいか苦しいか」、「仕事での幸せはとは」、「結婚とは何か」、「教育と政治で幸せはもたらせるか」について論じています。

 勝負を争っているわけではないのですが、将棋に例えると、最初は双方、陣形を整えている感じ、中盤に入って混戦状態で駒をとったり、とられたりで筋が読みにくく、その後、大ゴマが敵陣に入ったり、駒うちがあったり、最後は千日手でおしまいといったところです。

 内容的に言うと、勝間さんは幸せは努力によってもたらされる、現代社会では時間を有効に使うことに価値があるのであるから、そのために効率化をはかり、時間配分のポートフォリオ、刻みの努力を説き、利他的行動に価値をもとめ(その見返りとしての貨幣的報酬を評価)、教育と政治でその機会を保証すべきと論じています。

 かたや、香山さんは、勝間さんの言う効率を追求する仕事術や勉強法に異議を唱え、努力して競争に勝ち、成功することがそんなにいいことなのかと疑義を呈し、その延長で社会のレールから逸脱してしまったひと、「うつ」に悩んでいる人、弱さのゆえに行動を起こせない人にとって頑張らなくも幸せはあるのではないか、報われない頑張りはむしろ危険、ポートフォリオは組織全体のなかで考えるべき、と論じています。

 勝間さんは今やバリバリの成功者のアイコン、香山さんは精神科医師で日々、病に苦しむ人たちを診断し、声を聴いて生きています。その立ち位置の違いがまず大きいです。

 そして、思考の在り方として、勝間さんは個人が手ごたえをもつ幸福に焦点を絞っているのですが、香山さんは市場万能主義でズタズタになった社会のなかでモティベーションンを落とした人たちに視点をあてて論じています。

 対談であるので、議論が弁証法(ディアレクティケー)的に発展していくのが望ましいのですが、この二人ではそれはのぞむべくもなく(ただ二人はこの対談で得たものを末尾で「手紙」形式でしたためている)、最後は平行線、香山さん自身が対談中何度も語っているようにどうどうめぐりの議論になっています。