【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

「グラナダ」(長野県北佐久郡軽井沢町東軽井沢10-1;tel0267-42-7400)

2013-08-31 21:44:55 | グルメ

 弟が軽井沢に家を購入したので、様子を見に行きました。

 それはともあれ、その日の夕食は軽井沢駅の近くにある「グラナダ」というお店にしました。ここは、以前にも来たことがあり、弟がそのうちスペインに行きたい、などと急に言うので、ひらめきました。

 クラシックなつくりで、いい雰囲気です。カウンターがあり、お店の真ん中に大きなテーブルがあり、奥に洞穴(?)のような場所にテーブルが2つ、、そして入口の右手にもテーブルが2つほどあります。予約なしに飛び込んだのですが、奥の洞穴のような席に誘導してくれました。

 ハモンセラーという生ハム、それにトルティージャというスペイン風オムレツ、さんまの酢漬けなどを注文。あとはここの有名なパエリア。画像のとおりの見事さです。注文してから1時間ほどかかるので、早めの注文がお勧めです。
 お酒は最初から、赤ワインをフルボトルでたのみました。ワインが大変豊富で、しらないものばかりがズラッと並んでいます。ワインセラーを設備としてもっているようです。スペイン料理は、ふだんはあまり食することもないので、久しぶりで食欲をそそられました。


 弟はニュージーランドに半年ほどいて、帰ってきたばかりでもあったので、そちらの様子に話のはながさきました。


高田宏『言葉の海』新潮社、1978年

2013-08-30 23:24:59 | 言語/日本語

           
  「言葉の海」はノンフィクションの歴史小説のジャンルに入りますが、この小説はこと日本語の最初の辞書作りの話なので、本ブログでは「言語/日本語」のカテゴリーに入れます。


  日本語の大きな辞典といえば今では。「広辞苑」を挙げる人が多いが、ほかにも「広辞林」「言海」がある。「言海」は大槻文彦によって作られたもの。この小説は、その大槻文彦の生涯を、「言海」作成に焦点をしぼって書かれたもの。

  文彦は日本語辞書の作成を明治の近代国家確立を象徴する仕事と位置づけ、生涯をかけて渾身の力を注いだ。ヨーロッパの近代国家には、それぞれの国の言葉を集大成した辞書がある。それらは文彦の目標であった。また、辞書の作成には、日本語の文法が正確に把握されていなければならない。しかし、当時、日本語の文法を体系化した仕事はまだなかった。文彦はその両方にとりくむ。

  1875年(明治8年)、当時文部省報告課に勤務していた大槻文彦は、課長の西村茂樹に国語辞典の編纂を命ぜられ、この仕事を開始した。1882年(明治15年)に初稿を成立させたが校閲に4年をかけ、完成したのは1886年(明治19年)であった(収録されている語数は39103語、固有名詞などは扱っていない。本編の辞書部分の他に漢文で書かれた「言海序」、西洋文法を参考に日本語を体系化した「語法指南」、索引の仕方を書いた「索引指南」なども載っている)。

  「言海」はもともと文部省自体から刊行される予定だったが、予算の関係で出版が立ち消えしそうになり、結局、文彦が算段して自費出版することになった(明治24年)。文彦没(1928年[昭和3年])後に、兄の如電(修二)によって改訂された『大言海』が発刊された。

  なお、文彦の祖父は玄沢という蘭学者(杉田玄白、前野良沢を継ぐ)、早くから開国論を唱えた父盤渓は漢学者。文彦は学者の家系である。この小説では、東京の芝公園の紅葉観で開催された「言海」出版祝賀会から始まる。祖父、父との関係、友人の富田鉄之助、箕作鱗祥のこと、若くして英語と数学を学んだ洋書調書(洋学の教育と研究のための幕府の機関、前身は葉書調書)、仙台で入学した養賢堂(藩校)、横浜での英語の修業、鳥羽伏見から奥羽戦争、宮城師範創設のことなどを織り込んで、明治の国学者の偉業をいきいきと描いている。

 


「魚幸」(台東区根岸2-1-9 小島ビル1F;tel 03-3875-3255)

2013-08-29 23:57:49 | 居酒屋&BAR/お酒

         

 「魚幸」は「うおさち」ではなく、「うおこう」と呼びます。この居酒屋さんは、JR鴬谷駅から徒歩3分ほどのところにあります。


 なかに入ると、広い空間。右にカウンター、左に座敷があります。まず、驚くのは、壁に掲げてある手書きのメニュー。びっしり隙間なく、七ばたの短冊のような紙にかかれているのです。

 ここは魚介、海鮮がメインです。鯨肉を使ったメニューもあります。調査捕鯨からまわってくるようです。子どもの頃は、鯨肉はよく食べました。トンカツのかわりに、鯨カツでした。捕鯨禁止から、トンとでまわらなくなりました。

 いつも二次会でいくので、料理の注文はあまりしませんが、今度は、最初からいってみようかな、と思っています。

 カウンター越しのマスターは、大変、愛想のよい方で、いつも笑顔が絶えません。それも、優しい表情なのです。

 この日は、お客は3人ほど。年配で、わたしとかなり近い年齢の方が、ホロ酔いで座っていました。昔話になり、東京オリンピックのこと、むかしのテレビ番組、ラジオ番組のことで、コミュニケーションができました。「ひよっこりひょうたん島」「チロリン村とくるみの木」「ケペル先生、こんにちは」「ホームラン教室」「赤胴鈴之介」。同じ時代をみていたのです。


「喰心」(さいたま市大宮区仲町1-97-1;tel 048-658-2880)

2013-08-28 23:06:51 | グルメ

        

 テレビ番組「アド街」というのがある。首都圏のいろいろな場所にいって、その地のベスト30をセレクトし、情報提供するといもの。ベスト30は必ずしも、ランキングではなく、とにかく30を選んだというもので、お店もあれば、名所もあれば、公園がはいったり、さまざまである。


 この番組で「大宮」がとりあげられた。そのなかで紹介されたのが、この「喰心」である。肉料理のお店で、食材にこだわりがあり、青森から取り寄せているとのこと。番組では一枚、7000円のステークが映っていた。

 とてもそんな高価なものは手が届かない。ネットで検索すると、そのほかにも、スキヤキ、しゃぶしゃぶ、単品とあり、コース料理もみつけた。クーポンをダウンロードして、もっていくと安くなるというのがあって、即、行動に移した。

 おりしもお盆の時期だったので、電話をかけてもでず、ようやく先日、つながって、予約。

 場所は大宮駅東口を出て、高島屋デパートのほうに進み、旧中山道に折れて3-4分歩くと、右手に吉野家がみえてくるが、その地下。

 6時半に入ったが、先客がすでに相当いて、わいわいガヤガヤ。

 スパーリングワインをとって乾杯。コースなので、順に出てくる。わりとテンポよく、待たせる感じはなく、創作料理、肉料理(ステーキ)、しゃぶしゃぶ、そのだし汁を使った雑炊、デザートと出てきて、おなかは丁度一杯になるという感じである。

 ステーキはたしかに美味しかった。また、きます。ごちそうさまでした。

           


水田珠枝『女性解放思想の歩み』岩波新書、1973年

2013-08-21 22:16:39 | 科学論/哲学/思想/宗教

           

  ルネサンスから現代までの女性解放思想の歴史をあとづけた試論。試論といっても、かなり本格的である。


  著者の視点は、自身が語っているように、女性問題を労働と性の矛盾の問題、そしてその矛盾を固定し、制度化した家族制度と、それにささえられた階級社会の問題としてとらえたことにある(p.204)。

  本書を通読してわかったこと、再確認したことは、この分野の研究がまだまだ貧しいこと、未開拓分野がたくさんあること、女性の人類史上における従属的地位の根源は、家父長的封建制度にあること、あるいは家族制度にあること、これらは歴史のなかで微妙に形をかえながらも一貫して存在していて、そこにメスをいれないと女性解放の問題、生活資料tの生産と生命の生産との矛盾は根本的に解決しないこと、過去に起こった女性解放運動は断片的で、継続性がなく、それゆえに根本的な変革につながらなかったこと、人間の平等をめざした思想(例えば、ルネサンス、フランス革命、社会主義)の担い手も女性に対しては不当に現状を是認する考え方、女性をおとしめる考え方から自由でなかったこと(ルソー、プルードンなど)、女性解放運動は具体的には参政権運動、売春禁止運動などで展開されたが、それが対象とする分野は広く、民法上の諸権利の要求、教育の機会均等の要求、母性保護の要求、性の自由の要求、労働に関する要求など、非常に広範であり、このことが意味することは、女性解放に関しては現在にいたるも問題はほとんど何も解決していないこと」などである。

  わたしは、この関連分野の古典は、エンゲルス「家族・私有財産・国家の起源」(1884年)、ベーベル「女性と社会主義」(1879年)、シモーヌ・ドゥ・ボーボワール「第二の性」(1949年)くらいしか知らなかったが、この本で紹介されている古典の豊富さに驚いた。ルソー批判のウルストンクラフト「女性の権利の擁護」(1792年)、ヴィオラ・クライン「女性-イデオロギーの歴史」(1946年)、ペティ・フリータン「女性の神秘」(1963年)、ファイアストーン「性の弁証法」(1971年)、グールストレム編「男性と女性の変化する役割」(1962年)、イーヴァ・フィグズ「家父長的態度」(1970年)、ジャーメイン・グリア「去勢された女性」(1970年)、シーラ・ローボサム「女性、抵抗および革命」(1972年)、ジュリエット・ミッチエル「女性の地位」(1971年)などの内容を知ることができ(この他、マリ・ドゥ・ジャル・ドゥ・グルネ、フランソワ・プーラン・ドゥ・ラ・バール、フェヌロン、メアリ・アステルなどの16、17世紀の古典の紹介も豊富)、著者には感謝したい。

  これらの本の紹介は、ルネサンス、宗教改革、市民革命、産業革命、資本主義の発展、ロシア革命、ファシズム、そして現代までの歴史と関連させながらなされているので、わかりやすく、説得である。岩波新書のなかでも名著に属すると思われる。


「「梅雨小袖昔八丈(髪結新三)」「色彩間香苅豆(かさね)」[八月納涼歌舞伎](歌舞伎座)

2013-08-19 23:34:40 | 古典芸能

          

   

  「八月納涼歌舞伎」は、三部構成で、第一部は「野崎村」「春興鏡獅子」、第二部は「梅雨小袖昔八丈(髪結新三)」「色彩間香苅豆(かさね)」、第三部は「狐狸狐狸ばなし」「棒しばり」です。このうち第二部「梅雨小袖昔八丈(髪結新三)」「色彩間香苅豆(かさね)」を観ました(3列11番)


  「梅雨小袖昔八丈(髪結新三)」は、河竹黙阿弥の代表的世話物で、こんなお話です。江戸材木町の白子屋の娘で美人と評判のお熊(児太郎)に縁談がありました。白子屋は、主人がなくなり、その後、身代が傾いていて、持参金つきの婿がくると助かるのです。しかし、お熊は、手代の忠七(扇雀)に惚れていて、この縁談に得心できませんが、周囲に言い含められ、なくなく受け入れることになります。

 そこへ出入りの髪結職人新三(三津五郎)は、忠七にお熊とかけおちするようそそのかします。新三の本当の目的は、お熊をかどわかして大金をせしめることでした。忠七をだました新三は、二人の駆け落ちを途中まで助けますが、永代橋の川端で突然態度を変え、忠七を裏切り、打ちのめします。たくらみがあったからです。そのまま新三がお熊を自分の家に連れこみ、押し入れに閉じ込めてしまいます。

 困ったのは白子屋。乗物町の親分弥太五郎源七(橋之助)にお熊を助けてくれるよう依頼します。源七は新三の家に乗り込みますが、逆に新三に軽くあしらわれ、嘲弄され追い返されます。

 その新三も家主の老獪な長兵衛(弥十郎)には頭があがらず、お熊を返したおりにもらえるはずの三十両の半分をだましとられてしまいます。この新三と長兵衛の礼金をめぐるやりとりが、面白く、見どころのひとつです。

 最後の場面、恥をかかされた源七は深川閻魔堂で新三を待ち伏せし、怨みを晴らすべく仕返しをします。

 「色彩間香苅豆(いろもようちょっとかりまめ)」は、清元舞踊の名作です。夏の日の木下川堤(きぬがわつづみ)。与右衛門(橋之助)を追って、腰元のかさね(福助)がやってきます。与右衛門はかさねの母とかつて契りをかわし、その夫を鎌で殺した前歴をもっています。そのような経緯がありながら、かさねは与右衛門と不実の愛情をもってしまし、お腹には子を宿しています。

 与右衛門はもうかさねとは縁を切りたがっているのですが、かさねは与右衛門をわすれられず、恋が成就できなければ、生きているわけにはいかないとまで思いつめています。そこへ川の上流から鎌がつきささった髑髏が流れてきます。かさねの父親のそれでした。与右衛門は一緒にながれてきた卒塔婆をへしおると、かさねの脚に激痛が走り、顔には浮腫がうかびあがります。

 与右衛門はかさねに鎌で斬りつけ、とうとう惨殺してしまいます。見どころはたくさんあります。前半では、二人の花道の出と仲睦まじい色模様をみせる場面。また、最後、かさねの怨霊が与右衛門を引き戻す「蓮理引き」にもすさまじいものがあります。
 
 今回は席が前の方で、花道に近く、よかったのと、イヤホンを借りたので、細かなところまで楽しめました。橋之助がずいぶんたくましくなっていました。


「兄帰る」(永井愛作:東京芸術劇場 シアターウエスト)

2013-08-15 21:50:27 | 演劇/バレエ/ミュージカル

             

     


 永井愛さんが14年前に書いた作品。初演は、この時、1999年。今回は第2回目の公演だが、舞台の設定は、明示的ではないが、1999年である。登場人物によって使われている携帯電話は、アンテナのついたもの。むろん、スマホではない。


 舞台は中村家の、わりとセンスのいい一軒家の居間。おしゃれな絵がかかているし、明るいソファ、わきに簡単な仕事ができるスタンドがある。

 中村保(堀部亮)、真弓夫妻(草刈民代)が住んでいる。保は広告業界で仕事をしている。真弓はフリーライター。雑誌に原稿を書いている。男の子はひとりいるが、オーストラリアにファームステイにいっているらしい。舞台には出てこない。


 一見しあわせそうに暮らしている、この夫婦の家に、16年も行方知れずだった、保の兄、幸介(鶴見辰吾)がひょっこり帰ってくる。汚いみなり。聞くと上野でホームレスをしていたという。さかのぼると、多大な借金をせおって出奔して以来、蒸留機器の販売をしたり、ツアーコンダクターをしたり、賭博にも手を出していたという。「今度こそやり直します、今度こそ、今度こそ……」と頼み込み、幸介は保の所に居座った。

 周囲はびっくり仰天。何か仕事をもたせようと、叔母、伯父と相談し、職探しが始まる。しかし、お互いの対立や責任の押し付け合いで、話は一向に進まない。伯父と叔母の連携がなく、中村夫妻の対応もしっかりしていないので、職はなかなか決まらない。幸介の居候が長くなる。

  そのような状況が長く続くと、奇妙なことに、損得勘定抜きに話の全体を見渡せるのは幸介だけだというおかしなことになってきた。
  真弓は、このやりとりを白けた思いで見ていた。中村家が、いかにその場しのぎの生き方をしてきたかに気付いてくる。

  幸介は、自分と同じように傍観者になってしまった真弓に親近感を抱くようになる。


 夫の保がいらいらしている。夫婦仲がぎこちなくなる。

 約2時間半の舞台。最後まで目が離せない。とんでもないことがおこるからだ。

 出演はほかに・・・。
 ・小沢百合子(伊東由美子)
 ・小沢正春(豆畑雅一)
 ・金井塚みさ子(枝元萌)
 ・藤田登紀子(藤 夏子)
 ・中村昭三(二瓶鮫一)


 舞台終了後、芸術劇場の館長の司会で、脚本を書いた永井さん、主演の鶴見辰吾さん、草刈民代さんとの交流会があった。この演劇への想い、毎日の舞台で少しづつブラッシュアップしていく様子、舞台のみどころなどを、聞くことができた。


風間完『エンピツ画のすすめ』朝日文庫、1987年

2013-08-13 22:44:19 | 美術(絵画)/写真

           

  筆者は新聞、雑誌の連載小説の挿絵で有名。

  この本は、エンピツ画の実践のための本なので、実際に画をかき始めると得るものは多い、のではなかろうか。これから画を描こうと思っている人にも、よい指南書になっている。

  画は画であるが、人に何かを伝えたいという点では、「ことば」と同じ機能をあわせもっているので、そのことの自覚が必要と言っている。何かを話したい、思いを伝えたいというパッションは誰にであるので、画もそこから出発してよい。そして伸び伸びと書くことが大切と説く。

  そのうえで、メチエ(技法)がある。ないよりはあったほうがよい。「顔の描き方」「見るということ」「鉛筆について」「木炭」「模写について」「色の設定」と。実践的アドバイスが続く。

  なかに、豊富な著者のエンピツ画が挿入されている。これらも、楽しい。


「マトリョーシカ・恵比寿店」(渋谷区恵比寿南1-5-6 アトレ恵比寿6F;tel:050-5815-8964)

2013-08-12 23:58:10 | グルメ

         

 都内でもロシア料理のお店はそう多くはない。この「マトリョーシカ」はチェーン店で、親しみやすく、お手軽だが、おいしくロシア料理をたのしめる。

 カウンターに座り、昼食に軽くなにかを、と思いながら、アトレ(恵比寿)に入り、6Fのグルメ街にエレベータであがり、適当なお店を探しながらあるいていると、マトリョーシカの人形の絵が目に入り、ここに決めた。ロシア料理など、何年ぶりだろうか。

 ちょうどランチ時だったので、いくつかあるランチ・メニューから選んだ。サラダ、ピロシキ、ボルシチ、つぼ焼のセットである。サラダにはハト麦が散らしてあり、この感触が菜の味をひきたててくれる。
 ピロシキは肉がたっぷり入って、重量感がある。久しぶりの懐かしい味だ。脂っぽくないのがいい。そして、ボルシチ。このスープは、間違いなく、ロシアの味だ。しばらく食べていなかったのを、反省するほど、おいしかった。
 つぼ焼は、なかに入っているものが、エビ、チーズ、かぼちゃなどいろいろ種類があるようだったが、かぼちゃをチョイス。運ばれてくると、きのこの壺のようで、壺の上にパイ生地がかぶさっている。全体はものすごく熱い。パイをはぎとりながら、スプーンでなかのスープをすくって食べる。おいしい。(下の画像参照。ただしこれはエビ)


 最後は、ジャム入り紅茶。甘酸っぱい。これも間違いなく、ロシアの味。

      


三浦しをん『舟を編む』光文社、2011年

2013-08-10 23:34:03 | 小説

          

  出版社での辞書づくりの物語。主人公は馬締光也。27歳、童貞。


  大手総合出版社の玄武書房編集部の荒木公平は、新しい辞書「大渡海」の製作にふさわしい人材を探していたが、第一営業部にうだつのあがらないが、まじめだけが取り柄の馬締に白羽の矢をたてる。

  辞書の作製にたずさわるのは、外部の監修者・松本先生、嘱託の荒木、他にわずかの契約社員のみ。辞書作製は出版社の重要な仕事だが、採算のUP、収益の増強には繋がらず、地味な存在。出版社にとっては、「お荷物」である。この小説は辞書「大渡海」の製作を題材に、それに関わったひとたちの人たちの地味な仕事を、熱いドラマに仕立てたもの。

   主人公馬締の本に埋もれた私生活(トラという名の猫と同居)、馬締と林香具矢(借家生活する馬締の大家の孫,料亭で板前見習として働iいている)との武骨な恋愛劇と結婚、用例採集カードによる日々の言葉の採集作業、項目の他の辞典による参照作業、辞書に使う紙の特注にまつわるトラブル、併行して要求される他の辞書の改訂作業、原稿執筆を依頼した大学教授とのそれをめぐる確執、校正段階でのミスの発見と学生アルバイトの人海戦術での対応(玄武書房地獄の神保町合宿)、完成を間近に控えての松本先生の病(食道癌)と死。

   いつ終わるとも知れない辞書編集の仕事の果てに、辞書は15年の年月を経て完成する(収録語数23万語)。スタッフ一同、万感の思いをこめた乾杯で、小説は終わる。

   「こだわり」の本当の意味(拘泥すること、難癖をつけること)、「あがる」と「のぼる」の違い、「おませ」と「おしゃま」の違い、「愛」の語釈の試行錯誤、「めれん」という聞きなれない言葉の意味(大いに酒に酔うこと)、など辞書に関わる小説らしい記述が一杯。

   全体的にタッチ、展開が軽く、良質の漫画を読んでいるような感じで、いま一歩、奥行きがほしかった。2012年本屋大賞受賞作品。この小説は、すぐに映画化された(映画化しやすい)。馬締光也に松田龍平、林香具矢に宮崎あおい。


【特別展】生誕140年記念 川井玉堂-日本のふるさと・日本のこころ-(山種美術館)

2013-08-09 11:39:47 | 美術(絵画)/写真

    

 山種美術館で、「【特別展】生誕140年記念 川井玉堂-日本のふるさと・日本のこころ-」が開催されていた。最終日、4日(日)に朝早くに出かける。


  川井玉堂は1837年に生まれ、57年に亡くなった。生誕140周年である。

  四季に彩られた自然、そこでの人々の暮らし。大きな自然と、小さな人間との対比。自然とともに、身をゆだねて暮らす平穏のしあわせ。玉堂の絵のまえにたたずむと、また画集をひろげると、いつもそう思う。

 美術館には、最終日だったので、それも日曜日だったので、かなりの人がきていた。構成は以下のとおり。

 「第1章:研鑽の時代(青年期から壮年期へ)」
 「第2章:玉堂をめぐる日本の原風景」
 「第3章:玉堂のまなざし」

 「焚火」という作品がよい。気品があり、寒気のなかの焚火のあたたかさ、そこに老夫婦と若い女性がいる。焚火の煙が大きな空間にたちのぼっていく。まきをくべる女性。身をよせあって暖をとる老夫婦。さりげない日常のひとこまだ。

 「早乙女」は有名。広い田んぼで稲を植える乙女達。これも、ひとつの、農村の点景である。腰をおって労働にいそしむ女性たちのなかで、ひとり腰をのばして休憩する女性がいる。あどけない表情だが、生きるための毎年の作業への希望の想いが表情に浮かんでいる。

 15歳ぐらいに描いた画帖、デッサンが並んでいたが、その画力、観察眼に驚かされる。小さいころから長良川の鵜飼いをみていたようで、それを描いた作品にも注目した。

 山種美術館の創立者だった山崎種ニ生前、玉堂と親交があり、この美術館には多くの玉堂作品が所蔵されている。ふたりの往復書簡も展示されていた。

 玉堂の作品以外にも、横山大観、川端龍子などの作品も作品も展示されていて、しばし日本画の世界を逍遙した。

                 


井上ひさし『頭痛 肩こり 樋口一葉』集英社、1984年

2013-08-08 23:11:01 | 演劇/バレエ/ミュージカル

             

 先日、『頭痛 肩こり 樋口一葉』を紀伊国屋サザンシアターで感劇し、印象深かったので、脚本を再読する。
 この脚本には、そうとうに細かいことまで、セリフに書きこまれている。演劇をザット観ていても、作者が描こうとしたことが十分に伝わらないかもしれない。樋口一葉が頭痛、肩こりにめげず、苦労して作品を書いていて、そこにお化け(花蛍)がお盆のたびにあらわれて、おかしな会話をしている、ぐらいにしか受け取れなかった、ではさびしい。鑑賞者も、勉強しないと、ついていけないのである。


 脚本全体を読むと、これは「内助の功」が美徳とされ、世間の常識にがんじがらめにされていた明治の女性のあがきを描いている。一葉はこの「世間」というものを小説化て、自分を解放していた、ということである。

 一葉その人に眼がいきがちであり、それはそれでよいのだが、花蛍、そして脇役のお鑛と八重の役割も重要だ。

 母親の多喜は見栄が大事であり、女には学問は必要なく、良妻賢母、内助の功が大事と説く。それで夏子は、勉強したかったのに学歴がなく、成りたかった教師になれない。中島歌子の萩の舎で和歌を学び、その後作家の道を選ぶが、師事したいと思っていた半井桃水との間にあらぬ噂をたてられ、身をひく。竜泉寺に貧民女学校を建てようとするが、その界隈で批判の対象となり、断念。明治の道徳訓、生活の縛りのなかで、見栄っ張りの母親多喜を相手に、しかし樋口家の戸主として生活を支えなければならないポジションにあったのが、夏子だった。
 死にたくなる日もあった。身を投げようとしたこともある(千鳥ケ淵で)。自分の戒名を用意したこともあった。


 花蛍はただの幽霊ではない。かつて、吉原の松大黒楼のお抱え女郎だった。そこで契りをかわした佐助という恋人がいたが、この佐助の親方がものわかりのいい人間で、佐助のために身請金を工面したが、当の佐助がよろこびいさんで吉原にいく途中、あまりにもあわてていたので、財布をおとしてしまい、結果、神田川にとびこんで自死。花蛍はそれを知って絶食し、亡くなってしまって、いまだ身の処し場がなく、成仏できず、幽霊になって、ふわふわしているという設定である。

 また脇役の八重とお鑛。このふたりの人生にもつらいものがある。八重は決闘条例違反で兄を獄死でなくし、そのときに裁判官で奏任官だった人の奥方におさまるが、そのような結婚がうまくいくはずがなく、家庭で忍従をしいられ、とうとう深川の洲崎の遊郭に、お角の源氏名で、身をもちくずす。ついには双葉屋という新開地で男を呼び込む仕事をするまでになる。
 かたや、お鑛は没落した御家人の妻。この亭主は仕事がうまくいかず、お金もないのに商売女のところに日参。妻のお鑛が命の次に大事にしていた差し櫛をもちだして双葉屋にでかける始末。
 この後に大変なことがおこる。八重とお鑛とがやりとりしているうちにわかったのは、お鑛の亭主は実は、お角こと八重が籠絡した高野才二郎と同一人物だったのだ。ふたりの間にののしり合いが始まるのは、当然だった。(このふたり、この後、痴話喧嘩から刃傷沙汰となり両名とも死す)

 女性たちが生きにくい世の中。それが明治だった。怨むとすれば世の中をまるごと恨むしかなかった。花蛍は世の中に全体に取り憑かなかければ問題は解決しないと思ったが、そんなことはできないので、諦めてしまった、という。それに対し、夏子(一葉)は、小説で世の中に取り憑いてやったと言う。
 自分の心の健康のために、「世間なんて虚仮(こけ)だ」と思うことで、そんな世間におとなしくおさまっていてやるものか、世間をおもちゃ扱いし、憂さをはらしたというのである。夏子が小説を書いたのは、生活のためということがもちろんあったが、臆病者の護身術でもあったというわけだった。

 このように、『頭痛 肩こり 樋口一葉』の世界は奥が深い。これでもまだ書き足りないくらいだ。みな笑って観劇していたが、これは深刻劇そのものだ。


「頭痛 肩こり 樋口一葉」(井上ひさし作・栗山民也演出;紀伊国屋サザンシアター)

2013-08-06 20:27:33 | 演劇/バレエ/ミュージカル

          

  こまつ座100回記念公演「頭痛 肩こり 樋口一葉」が紀伊国屋サザンシアターで公演中。この作品を観るのは、2回目。


  今回の配役は、次のとおり。
 ・樋口夏子(小泉今日子)
 ・樋口多喜(三田和代)
 ・樋口邦子(深谷美歩)
 ・稲葉鑛(愛華みれ)
 ・花蛍(若村麻由美)

  樋口家の戸主として、日々孤軍奮闘する一葉。生活を支えるために、学校の先生になろうとしたり、萩の舎に通って和歌を習って身をたてようとしたり。どれもうまくいかず、小説を書いて生活費を稼ごうと決意した夏子(一葉)。
  しかし、小説をみてもらうために通った作家半井との間に、よからぬうわさをたてられ、交際を断つ。母の多喜、妹の邦子、それにかつて母が乳母としてつとめていた稲葉家の 生活が、夏子ひとりの肩にずっしりと重くのしかかっていた。

  一葉のまわりにあるとしからお盆の時期に幽霊の花蛍が訪れるようになる。一時を死を考えた夏子にまとわりつくようになったのだ。

  明治の東京文京区菊坂界隈の夏子をとりまく世間。生きにくい時代の女性たちの苦悩と、そこでもしたたかに生きる知恵。それらを織りこんで、夏子19歳から死後二年まで、お盆の16日の出来事に焦点をあて、ユーモアと悲哀のなかの人間模様が、描かれていた。

  この作品の見どころは、わたしにとっては3つ。
  ひとつは一葉の半生。6年間の定点観測(毎年のお盆の時期)だが、史実、日記などからわかる一葉の実像に迫っていて、彼女の苦悩がわかる。
  ふたつめは、夏子(一葉)と花蛍のユーモアがありながらも、痛切な交流。花蛍はあの世とこの世を行き交いながら、樋口家の借家にあらわれる。夏子以外にはみえない。そこが面白い。
  みっつめは、明治の女性のおかれた、おとしめられた地位が描かれているが、暗くはない。たくましさすら感じた


酒菜家(西池袋1-35-8 東海ビル2F;tel 03-3590-9560)

2013-08-04 23:56:21 | 居酒屋&BAR/お酒

           

 先日の映画研究会での観映のあとで使ったお店。「酒菜家」は「さかなや」と読む。北池袋の繁華街の一角にある。ロサ会館のそばである。


 メンバーのひとりがマスターをよく知っているらしく、いきつけのお店とか。

 とにかく、日本酒の種類が半端でなく、多い。100はらくに超える。この日は、マスターが、甘めのお酒から徐々に辛口に移行するように、テーブルに運んでくれた。みな、氷で丁寧に冷やしてある。最初は佐賀県の日本酒、最後はマスターの故郷、栃木県のものだった。みな知らない銘柄で、メモしていたのだが、そのメモをその場に忘れてきてしまった。

 料理はとくに注文しなないで、今日のお勧めが順に出てくる。いい塩梅だ。魚介、海鮮が専門なので、みな活きがいい。

 映画研究会の持ち方、今後の懇親会の場所などについて、わいわいがやがや。何が決まったのかは覚えていないが、忘年会はやりましょう、ということで別れた。

          


紅亭(さいたま市大宮区桜木町1-3-3;tel048-641-6244)

2013-08-03 11:19:48 | グルメ

               

 ケーキのモンブランのようなオムレツ(白くはないが)。噂に聞いていたが、実際に眼の前にでてくると「すごい、きれい」と声が出る。


 ここ「紅亭」のオムレツは有名。一日10食しか出ない。カウンターに座ったので、つくっているところも垣間見ることができた。作業は二人の調理人で行っている。ひとりがフライパンをあたため、もうひとりがころ合いをみて横からバターを投入すると、ご飯をいためはじめる。あおり。また横から玉ねぎやきのこだろうか、それらを投入。最初のひとはひたすらいためとあおり。かなり熱心に、丁寧に、ながく、この作業が続く。また横からケチャップの投入。

 この過程がおわると、横から手伝っていたひとが、卵を4個わり、これをかきまぜ、あの絶品の緒オムレツを完成させる。トマトとエンドウをトッピングしたものが、お客さんの目の前に。

 昭和の懐かしい味だ。デミソースがおいしい。卵はふんわり。

 何人かのお客がいたが、半数近くが、このオムライスを注文。一日10食しかでないので、すぐになくなり、お店の前に店員が、「今日は売り切れ」の札をはりにいく。オムライスを注文した人はみないちように(女性が多い)、小さく歓声をげている。

 創業は1958年というから、もう60年近くになる。お店は老舗感がある(変な言い方だが)。席は全部で19席。カウンターに7席。カウンター越しに、調理人が3人。ひとりは若い女性で、この方はもっぱら味噌汁などを担当。

 他にメンチカツなどを注文したが、こちらもおいしい。重量感、ボリュームがある。いい洋食屋さんをみつけた。メニューの全部が、食欲をそそる。