【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

これがシェイクスピアだ。小田島雄志『シェイクスピアの人間学』

2007-05-31 20:19:50 | 演劇/バレエ/ミュージカル
小田島雄志『シェイクスピアの人間学』新日本出版社、2007年

               シェイクスピアの人間学
  著者は、坪内逍遥、福田恒存に次ぐ、わが国の現在のシェイクスピア演劇翻訳の第一人者です。

 坪内は歌舞伎を念頭に、福田は「新劇」で心理的リアリズムの視点から、そして小田島さんは矛盾を孕んだそのままのシェイクスピアという現代劇の観点で、翻訳しました。著者はそう書いています。

 本書は、①シェイクスピア演劇の特徴、②生い立ちと作品との関係、③その「読み方」、④読み取るべき「生きるヒント」をまとめています。

 ①その特徴は、古代劇のように運命と格闘する主人公という描き方を排したこと、人間を人間関係のなかに描いたこと、古典劇の「三一致の法則=所、時、筋の一致」をはみだす展開を好んだこと(p.79)、登場人物の台詞はその人の気持ちを重んじて喋らせたこと(p.31) 、人間世界のあらゆる出来ごと(愛、憎しみ、嫉妬などの感情面)を描ききったこと(P.78)、などです。

 ②「生い立ち」では、父親が商人で町会議員、町長を経験するが没落、そのため大学に行けず、年上の女性と「できちゃった結婚」で3人の子をもうけたあと家出、そうした人生経験の作品への投影が説明されています。

 ③「読み方」では、登場人物は、具体的な置かれた状況のなかで考えているので、そのことを理解して読むことが鉄則と言い切っています(p.126)。

 
 ④「生きるヒント」では、「もしも」と一歩ひいて、相手の立場を理解し、コミュニケーションをとることが大切とのこと[「<もしも>には偉大な力がある」(p.17),「『武器は言葉』とコミュニケーション」(p.31)]。

 他に、ゲーテ(肯定的)、マルクス(肯定的)、トルストイ(否定的)のシェイクスピア評価、シェイクスピア演劇のセリフから人間学を解読し、最後に年譜と作品解説が付いています。

 因みに「ハムレット」の ”to be,or not to be: that is a question” を、小田島さんは「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」と訳しています。

おしまい。

高田馬場の「ムロ」(餃子+中華料理)

2007-05-30 11:20:17 | グルメ
餃子を食べるならココ。『ムロ』
(新宿区高田馬場1-32-2、tel 03-3209-1856)。


 高田馬場にある創業約50年の老舗です。JR「馬場駅」の戸山口から出て徒歩2分。たしかに老舗の風格があります。
 ホームページがあり、「おしながき」を見ることができます。
http://www.tea-works.com/muro/

 4人がしきっています。店長さんのほか、2人の女性と若い方の3人はバンダナを被って、粋があります。

 1階はカウンター式で、12席くらいでしょうか(2階もあります)。少し狭めですが、肩を寄せ合い、ぶつかりあってもくもくと食べます。

 餃子はややこぶり。メニューにある「ふつう」というのはハッカクの味がします。6種類あります。口にあいます。あと「チーズ味」などもあります。

 この前は、「レバニラ」「空芯菜の炒め物」、それに「五目野菜焼きそば」を注文しました。おなか一杯になりました。

 そのほか、何でもおいしいです。

 お客さんの
中には、中国の方もいるようです。中国語がとびかっていることもあります。いい感じです。

 お酒は、ビールと「紹興酒」。「紹興酒」は、中華料理に欠かせません。

 ここは居酒屋ではないので、中華料理に満足したら、長居せずにひきあげます。それが粋と言うものです。そして近くの「コックテイル」というミニバー(このお店も後日紹介します)で終電まで飲んで、一日を終えます。 

おしまい。

中村明著『センスある日本語表現のために-語感とは何か-』中央公論新書、1994年

2007-05-29 16:16:16 | 言語/日本語
中村明著『センスある日本語表現のために-語感とは何か-』中央公論新書、1994年
        

 この本の副題にある「語感とは何か」? 著者は二様に説明しています。ひとつは「言語感覚」、すなわち「ことばに対する感覚」、とくに「類似語の微妙なニュアンスの差を感じとるニュアンス」です。もうひとつは「ある語が指示する対象的意味以外に、その語がもつ感じ」です。

 「表現者の影」の章では、性別、年齢、職業、思想、態度、意識を、「対象の照り返し」の章では指示物の特徴や存在の仕方からくる意味の濃淡や連想の違いを、「ことばの体臭」の章では緊張度、時間性、品格、位相、語種の言語的性格の種々相をとりあげ、要するに「表現主体である人間」と、「表現対象である物事」と、「表現手段であることば」に大別し、それぞれの在り方の違いに結び付けて「語感」という複合体を分析的に整理しています(p.217)。

 「便所」を「せっちん」「川屋」「厠」「ご不浄」「はばかり」「ちょうず」「手洗い」「洗面所」「WC]「化粧室」「トイレ」「レストルーム」といい、しかもほぼこの順に言葉と意味との間が間接的に、婉曲的になっていくという例などまことに日本語は多様で微妙です。

 また、ものの言い方、立ち居ふるまいが落ち着いて、気品があるさまを「しとやかな」といいますが、そして多くの辞書にはこの語(形容詞)についての性別に関する注釈はありませんが、実際にはこの語は「女性」「令嬢」「婦人」「奥様」という名詞にかかるものの、「女の子」にはかかりずらく、ましてや「陸軍大臣」「長男坊」にはかかりません。

 このことを含めて本書には「語感」に関する用例が実に豊富にとりあげられています。「語感」の研究はあまり進んでいないらしいし、文献も少ないようです(p.216)。


 著者は山形県の鶴岡市出身、執筆当時、早稲田大学教授。

おしまい。

新宿の『良庵』

2007-05-27 22:03:13 | 居酒屋&BAR/お酒
『良庵』を紹介します。新宿にあります。160-0022新宿区新宿3-33-10、tel03-5369-2077 JR新宿駅東南口から徒歩6-7分くらいです。




 接客が丁寧なお店です。品と格のよさ、感じのよさがすぐにわかります。
手作り「蒸し豆腐」が有名です。国産大豆と天然にがりを使用し、豆乳を蒸して固める大豆の旨みを最大限に引き出した手作りの絶品といわれています。豆腐本来の味を大切にし、濃厚な大豆の風味を失わないよう丁寧に作られています。

 もうひとつは、厳選された「旬の活魚」です。旬の素材をご用意するため、日本各地の魚河岸よりその時期一番の厳選鮮魚を直送してもらっているとか。お造りで本来の味を楽しむ他、焼き物、揚げ物、煮付けなど各種調理法で本日の鮮魚を余すとこなく楽しめます。

 最初に「豆乳」が出てきます。珍しいですね。そして、つきだしは小鉢にもられた各種のものを好きなだけ選ぶことができます。これもいい感じです。

  お刺身、焼き物などなんでもあります。今日は、お店がお勧めの「真たいの刺身」、「焼きなす」「肝入り丸干しいかのさっと焼き」をオーダーしました。

 そして、焼酎は「四万十伝説」(土佐の純米焼酎)をまずたのみ、おかわり「うみ」を注文しました。「シマント」はアイヌ語だそうです。「たいへん美しい」という意味だそうです。でも、四国の四万十がどうして「アイヌ語」なのでしょうか? わかりません。どなたか知っていますか? 「うみ」は芋(べにおとめ)焼酎です。店長一押しの秘蔵酒とありました。

 このお店は随分前に、同僚と歩いていて、よさそげな感じで入ったところです。あたりでした。以来、年に数回、思いだしたように出かけます。

 おしまい。

瀬戸内料理「雑草庵」

2007-05-25 16:25:19 | 居酒屋&BAR/お酒
瀬戸内の料理に舌鼓。昨晩は、『雑草庵』に行きました。所在地は、「豊島区池袋2-12-13・十二ビル1F」です。TEL03-3971-5350。もっと詳しく知りたい方は、大変綺麗な、HPがありますので、それを覗いてください。

http://www.zassouan.com/index.shtml

  入り口を入ると、左手に椅子の座席、右はカウウターです。奥に掘りごたつの席が左右にふたつあります。ほりごたつ状ですから、つめて座れば8人も可能でしょう。昨日は4人でした。

 「酔心」「瑞冠」「宝剣」「寿齢」「美の鶴」など日本酒が並んでいます。みな広島県のものです。健康のためか、「うこん焼酎」「桑焼酎」「ドクダミ焼酎」もお勧めです。

 本命は、瀬戸内海の海の幸。お刺身、小いわしの焼いたもの、菜の花コロッケなどを注文しました。ここだけしか食べられない珍しいものがたくさんあります。「とらはぜの唐揚」「ねぶとの南蛮漬け」「ハモの湯引」「このしろのフライタルソース」などなど。


 いろいろな話をしました。インドネシアの話、いま流行の「はしか」のこと、進化する携帯電話のこと、GIS(地図情報ソフト)のこと、あっというまに3時間。少し酩酊で帰宅しました。

 いいお店です。そうですね。一年に3-4回、訪れます。

おしまい。

俵万智『恋する伊勢物語』筑摩書房、1992年

2007-05-24 16:49:44 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

俵万智『恋する伊勢物語』筑摩書房、1992年

        

          恋する伊勢物語


 「むかし、男ありけり」で始まる伊勢物語。

 こういう話だったのか、ということがわかります。125段からなる「恋愛物語(+男の友情物語)」です。

 主人公は一応、在原業平ということになっていますが、はっきりと名前が出てくるのは63段のみとか(p.104)。

 「古今集」に載っている業平の歌と、この伊勢物語の歌との類推などで、業平が主人公ということに、一般的にはなっているらしいです。

 業平の一代記のようでもあり、そうでないようなところもあります。さまざまな形の男女の愛、失恋や、片思い、恋のかけひき。

 著者の解説によると、今も昔もあまり変わらない男女の恋愛模様がここに収められています。もっとも「通い婚」が結婚制度としてあること、和歌のやりとりが心の交流の手立てであること(短歌は恋の必修科目)は、違うのだけれど。

 歌人である著者は、この伊勢物語の現代語訳を試みたそうですが、その過程で何度も読み込みをし、理解を深め、その理解の片鱗を読者に提供してくれました。
 ありがたいことです。

 ちなみに「伊勢物語」の「伊勢」とは何かについては、作者が「伊勢」という名前だったという説、話を伊勢の国に関連付ける説、「伊」は女で、「勢」は男をあらわし、つまり男女の話とみなす説などいろいろ説があるようですが、有力なのは「伊勢斎宮(いつきのみや)」の登場する話があるからという説のようです(p.125)。

 1991年の読売新聞日曜版に1年間連載されたエッセイです。

おしまい。


うのじ

2007-05-22 12:41:41 | グルメ
今日は、「ビズトロ・うのじ」を紹介します。住所は、豊島区西池袋3-36-19です。有楽町線の「要町」駅を降りて徒歩5分です。03-3982-1837。水曜日が休日です。

 ビストロですから、「シックで気軽なかわいいフランス料理風のメニューがあるお店」です。
 
 お店に入るとカウンターがあって、8席ほど。その奥に3人座れる席が2つ並んでいます。この2つの席は「すだれ」1枚でしきられています。
 
 料理が抜群に美味しいです。そして野菜が豊富、このためか女性客が多いです。
どれくらい野菜が豊富かというと・・・
 
 野菜サラダには
 ラディシュ、さやいんげん、さやえんどう、スナックえんどう、ニンジン、レタス、さらだ大根、かぶ、アスパラ、レンコン、じゃがいも、菜の花、ミニコーン、ズッキーニ、そらまめ、さつまいも、とまと、ペコロス、チコリ、ルコラ、たけのこ、かぼちゃ、パプリカ、にんじん葉、生ほうれんそう、ミニコーン、モロッコいんげん、ハーブ各種、ミニセロリ、・・・といった具合です。これらが全部入っていて、自家製のドレッシングとマヨネーズがかかっています。栄養価、凄いですよ。そして綺麗です。食べるのがおしいぐらいに感じます。もちろん野菜ですから、旬のものが加わります。
 

 葉以外のものはボイルして「温野菜」になっています。野菜ごとにゆでかげんがちがうので、工夫しているとのことです。

 肉料理、魚料理も見事です。

 それからまだあります。絶品は「オムライス」です。これまで食べた中でも屈指のおいしさです。卵のくるみかげんとやわらかさ、それが香ばしいライスと調和して至福の気分になります。

 こんな感じだと高いのでは? と思うかもしれませんね。あにはからんや! びっくりするほどリーズナブルです。

 このお店。「うのじ」通信というミニコミ紙を出しています。入り口においてあります。夫婦で、お店をきりもりしていますが、この通信は奥さんが書いているとのことでした(200部ほど発行)。カットがかわいいです。上のサラダの野菜は、今月号の「通信」からです。

 あと、焼酎が豊富です。お湯わりで呑みました。宮崎の芋焼酎でした。

サイモン・シン/青木薫訳『フェルマーの最終定理』新潮文庫、2006年

2007-05-20 20:17:44 | 自然科学/数学
サイモン・シン/青木薫訳『フェルマーの最終定理』新潮文庫、2006年


               フェルマーの最終定理

 久しぶりに本を読んで興奮しました。充実した読書時間でした。

 フェルマの最終定理を証明したアンドリュー・ワイルズの物語です。

 フェルマの定理とは、17世紀の数学者フェルマが古代ギリシャの数学者ディオファントスの『算術』の余白で証明したという数学的命題(余白が小さく書き込めないとの記述があり、その後、多くの数学者が挑戦することとなりました)。

 それは  xn + yn = zn において n は2以外で  x、 y、 z の整数解をもたないことの数学的証明です。n=2の場合は、有名な直角三角形のピュタゴラスの定理です。

 ワイルズは少年時代に町の図書館でこの数学の未解決問題の存在を知り、挑戦し続けました。ケンブリッジ大学ではコーツの下で楕円方程式を扱いながら数論を研究、これが後日、「証明」の土台づくりとなりました。

 1993年に「証明」に成功(?)。しかし、小さなところでミス(コリヴァギン=フラッハ法がワイルズの想定したように機能しない)がありましたが、その後、プレッシャーのなかでワイルズはこの部分を補強し完璧な証明に成功しました。1995年に、「証明」を論文で発表し、認められました。フェルマの問題提起から実に約350年ぶりです。

 本書を読んで、フェルマの定理の「証明」が単なる数学のパズル解きではないことを知りました。数論の分野の統一的理解があって、証明は初めて可能となったのです。

 証明の成功の背景には、多くの数学者の学問的貢献があります。その最たるものは、日本人の2人の研究者による「谷山=志村予想」です。この2人の数学者は、数学の分野で従来、無関係と考えられた楕円方程式とモジュラー形式とには実は繋がりがあり、全ての楕円方程式にひとつのモジュラー形式が付随していることを予想(証明ではない)したのです。

 さらに、ドイツの数学者フライが谷山=志村予想を証明することができれば、フェルマの定理も自動的に証明されると主張しました。ケン・リベットがこの問題提起を積極的に受け止め、ワイルズに繋ぎました。

 この直前、ゲーデルらが不完全性定理を提唱し、無矛盾性、完全性をそなえた壮大な数学体系を構想していたヒルベルトとそのプログラムを批判し、完全で無矛盾な数学体系を作るのは不可能であることを証明しました。その影響もあって、一時期フェルマの定理への関心が低下したこともあったとか。

 とにかく、フェルマの定理をめぐってのドラマがこの本には凝縮されています。卓越した数学者であるオイラーの功績の紹介、群論で有名なガロアの生涯、テアノ、ヒュパティア、アニェシ、ジェルマン、コワレフスカヤなどの女性数学者の貢献とそのうちの多くの女性の受けた理不尽な差別など、著者の目配りは広く、深いです。

 数学とはまことに「証明」の学問とわかりました。

 数学がわからなくともフェルマの定理の意義と真髄がわかるような本を著したサイモン・シンは凄い。また、訳者の文章も読みやすく、並々ならぬ能力です。

 おしまい。

谷川彰英『東京・江戸 地名の由来を歩く』KKベストセラーズ、2003年

2007-05-20 01:01:20 | 歴史
谷川彰英著
『東京・江戸 地名の由来を歩く』KKベストセラーズ,2003年

                  クリックすると拡大画像が見られます
 東京の70箇所を歩き、地名の由来を詳らかにした本です。

 面白い本です。その理由は、歴史教育の目的を「史心」に置き、教育につながらない学問を嫌った柳田国雄の考え方を方法論のベースにおいた著者の姿勢にあるのではないでしょうか。キーワードは「坂」「橋」「水」「大名屋敷」「江戸」「寺院」「戦い」「近代」。


 目次は、「坂のある町 東京」「東京の橋を訪ねて」「水にちなんだ東京の地名」「大名屋敷は今」「江戸の歴史を歩く」「江戸情緒を訪ねる」「訪ねてみたい寺院など」「戦いにちなんだ地名」「東京の近代を往く」です。

 「新宿」は内藤清成の屋敷で内藤宿に開かれた新しい宿場から、小石川植物園の「小石川」は、町医者小石川笙船の進言で作られた貧民救済の小石川療養所から、「恵比寿」はビールの商品名から、「渋谷」はこの地が「塩谷の里」と呼ばれていたことから、「日暮里」はこの地が「新堀」と呼ばれていたことから、「深川」はこの地を埋め立て開拓したのが深川八郎右衛門だったからといった具合に地名の考証が進みます。

 博学になること請け合いです。図書館で見つけて、借りたのですが、買って手許に置いています。

おしまい。
 

小峰隆夫『日本経済の構造変動』岩波書店、2006年

2007-05-18 23:24:28 | 経済/経営
小峰隆夫『日本経済の構造変動』岩波書店、2006年

               日本経済の構造変動―日本型システムはどこに行くのか


  本書は「日本経済の長期的変化についての定点観測」(p.256)です。

 3つの基本的視点で書かれています。
 ひとつは「経済は人間のためにある」ということ。
 2つ目は「市場メカニズムの働きを生かしていくことが基本的に必要」ということ。
 3つ目は、「世代の自立」ということを基本とするということ。

 そのうえで著者は日本型経済社会の構造変動を「相互補完性(complementary)」という概念を手がかりに、構造変化が「ドミノ倒し」で進んでいること、それが「シークエンス(順番)」を伴いながら進行しているという見方を一貫させています。

 ここでいう「ドミノ倒し」とは、例えば「高齢化、成長率の低下で、企業は終身雇用、年功賃金を維持できなくなっている」⇒「雇用の流動性が高まり、労働力のアウトソーシング、人材派遣などが活用されつつある」⇒「企業への帰属意識が薄れ、中途退職、中途採用が増えている」という流れであり(p.12),シークエンスとは「企業部門に関係する雇用、経営、産業構造分野」⇒「金融分野」⇒「公的分野」という構造変動のプロセスのことです。

 章別構成はこの順で構想されています。
 「第1章:日本型雇用はどう変わるのか」
 「第2章:多面的に進行する企業経営改革の行方」
 「第3章:産業構造の変化ーこれからのリーディング産業は何か」
 「第4章:脱バブル後の日本型金融システム」
 「第5章:構造変動のサイシュウランナー-ようやく本格化する公的部門の改革」
 「第6章:中央依存から自立へ-変化の波にさらされる地域開発」
 「第7章:少子・高齢化と日本の経済社会の構造変動」
 「終章:日本経済社会はどこに行くのか-どう変わっていくのか、どのように変えるべきか」。
 
 著者は十分自覚しているようですが、市場原理に重きを置きすぎているきらいがあります(著者はこの問いに対し「最初から複雑な現実世界に取り組んでも物事の理解は進まない。まず純粋型の理論で考え、どの条件が満たされないから現実と理論が食い違うのかを考えるべきだ。完全競争の市場モデルは純粋型として役立つのだ」と反論しています[p.254]。しかし、これでは現実がなくとも理論はありうるという妙なことも起こりうるようなことになってしまうし、両者の関係がアベコベではないかと思いました)。

 著者は93年、94年の『経済白書』を執筆しただけに視野が広いです。網羅的に、経済の問題が語られています。

 おしまい。

茨木のり子『倚りかからず』筑摩書房,1999年

2007-05-18 00:48:43 | 詩/絵本/童話/児童文学
茨木のり子『倚りかからず』筑摩書房,1999年
            倚りかからず 

  詩集です。詩の楽しみは,音読が適当です。

 5年前に表紙が綺麗で,今はない池袋の「芳林堂」で購入しました。白地に「椅子とチェロ」の絵の装丁が著者にまず送られてきて,その後,著者の手許に偶然あった「倚りかからず」の草稿を詩集に入れ,タイトルが決まったそうです。

 年令を重ね(昨年2月、他界されました。合掌),この詩人は,新しいもの,胡散臭いものに興ざめし,真実だけを拠り所とします。

 不要な複雑さを排し,簡潔な無作為にのみ共感をもつのです。だから,次のように書けるのです、

  苦しみの日々
 哀しみの日々
 それはひとを少しは深くするだろう
 愛しているという一語の錨のような重たさ
 自分を無にすることができれば
 かくも豊穣なものが流れこむのか
 
 知らないのだ
 瀕死の病人をひたすら撫でさするだけの
 慰藉の意味を
 死にゆくひとのかたわらにただ寄り添って
 手を握りつづけることの意味を

 本名、三浦 のり子(みうら のりこ)。1950年に医師である三浦安信と結婚。家事のかたわら雑誌「詩学」への投稿を始め、村野四郎に詩人としての才能を見出されました。

  戦中・戦後の社会を描いた叙情詩が多数あります。主な詩集に『鎮魂歌』、『自分の感受性くらい』など。


おしまい。

石川達三『充たされた生活』新潮社、1964年

2007-05-17 00:30:59 | 小説
石川達三『充たされた生活』新潮社,1961年。

  板橋の古本屋で100円。面白かったですね。大分前に、5時間かけて(しかし、休日一日で)読了しました。

  20代後半の女性の独白形式で話は進みます。主人公は,「白鳥座」の俳優、じゅん子。吉岡という金銭感覚ゼロで我侭な男と3年間の結婚生活を清算,劇団で端役をこなしながら,ラジオ・ドラマに出演し,生活することになります。充たされない生活。

 脚本家,劇団員,友達,学生と関わり,男を遍歴しながら彼女は考え,悩みます。誘惑,駆引き,打算もでてきます。

 「男性は消耗することで自ら充たされるが,男性の終わったところから女性の活動(みごもり,産み,育てる)が始まる。その事によって女性は完全に充たされる(p.190)・・女にとって男は過程であり,手段である(p.214)」。

 これは、凄い言葉ですね。

 後半,60年安保条約反対運動が背景にでてきますが,じゅん子は,請願デモ中,右翼のなぐりこみで大怪我をした脚本家の石黒と再婚を決意します。石黒は,ずうっと彼女の相談役として精神的に側にいた男性でした。

 「わたしは,彼の子を産むことが出来る。それこそ女の勝利だ。・・・愛などという生ぬるいものではない。生きるための闘いだ。・・いまから,新しい闘いの人生がはじまる・・」(p.299)。この小説は、この言葉で終わります。
 
おしまい。

 

米原万里『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』角川書店、2005年

2007-05-16 00:57:42 | 小説
米原万里『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』角川書店,2005年。

          嘘つきアーニャの真っ赤な真実


 小説でしょうか? ノンフィクションでしょうか? それらの中間にあるような・・・。

 著者がプラハのソビエト学校(小学校)時代の友達だった3人の個性的な友達、リッツア、アーニャ、ヤスミンカの素顔を語り、約30年後の劇的な再開のドキュメントです。

 リッツァはギリシャ人、軍事政権下の祖国を知りません。性的におませで、見たことがないはずの故郷の青い空を誇っています。彼女は、なりたくなかった医者になり、ドイツ人と結婚。祖国に帰らずギリシャ放送のTVを聞き、時の首相を罵っていました(フランクフルト)。

 アーニャはルーマニア人、自分のついた嘘を信じてしまう癖があり、共産主義の理想をときながら、チャウシェスク政権下でブルジョア的貴族的生活をおくって矛盾を感じない子でした。プラハで再開した彼女はイギリス人と結婚し、イギリス的貴族趣味に埋没していました。

 中ソ共産党の反目のなかで知り合った優等生で絵がうまかったユーゴのヤスミンカは、90年代のユーゴ民族紛争のなかにあって外務省の通訳・翻訳官の職にありました(ベオグラード)。

 3人3様の現在。主人公マリの思いは「抽象的な人類の一員なんて、この世に一人も存在しないのよ。誰もが、地球上の具体的な場所で、具体的な時間に、何らかの民族に属する親たちから生まれ、具体的な文化や気候条件のもとで、何らかの言語を母語として育つ。・・それから完全に自由になることは不可能よ。そんな人、紙っぺらみたいにペラペラで面白くない」という言葉に集約されています。

 主人公はマリで、これは著者の名前なので、この本はノンフィクションのカテゴリーに入れておきます。

おしまい。

森瑤子『嫉妬』集英社、1984年

2007-05-13 14:21:41 | 小説
 いつも利用している郵便局には小さな図書の棚があります。お客さんが要らなくなった本をもちこみ、気に入った本があれば誰でもその棚から本を持ち帰れます。返却はしても、しなくてもいいのです。ある日、郵便振込みにこの郵便局にでかけたら、混んでいて、順番待ち。待ち時間が長くかかりそうだったので、この本棚をみていたら、次の小説が目にとまりました

   森瑤子『嫉妬』集英社、1984年。

           嫉妬

 いつの間にか、この小説の世界に入っていました。
この作家は表現が上手、洒脱と思いました。そのように感じるところは随所にありますが例えば冒頭・・・・。

 「眠りの深い霧の底から、ゆっくりと浮かび上がってくる過程に、優しい風の予感があった。すっかり眼覚めた時、彼女の口元には微笑が浮かんでいた。薄絹のヴェールが顔の上をそっと撫でていくひんやりと冷たい感触。季節が変わったのだ。微睡の最後の一時を、なおも貪りたがっている重い瞼を、無理矢理に押し開くと、上下の睫の透間から、カーテンが青いスピニカのように膨らむのが見えた。顔の上に吹いている微風は、潮風だった。そこでやっと、自分が何処で目覚めたのか思い出す」(p.7)。

  性愛の描写もイメージ豊か。わたしは、こうはとても書けません。
「白いシーツに包まれて、彼女は巧みに裸にされ、二つの肉体のどの部分も、申し分なくぴったり触れ合った。沈黙が支配する完全なる性愛。沈黙は好ましい馴れ合いなのだ。言葉が表現するには、あまりにも深い一致がある。寝台は安全で快楽の舟だ。ゆるやかに揺れながら、やがて二人の肉体は次第に熱を帯びて、汗で薄っすらと輝き、最後にひとつの美しい橋になる」(p.9)。

 「嫉妬」は表題どおり、夫に対する妻の「嫉妬」を扱った小説です。海外勤務が長かった壮一郎、麻衣夫妻(曜子という娘がひとり)が同僚・北原の荒崎の別荘で過ごしているとき、彼らの散歩中、若い男女が波にさらわれました。壮一郎は救助のために海に飛び込みますが、女性は死亡。壮一郎と男性(アラン)は瀕死の状態でした。

 壮一郎は苦しさのなかであえぎながら自分に女(北原の妹)がいることを麻衣に告げます。そこから激しい口論、意思疎通の断絶、嫉妬へ。

 嫉妬の表現、言動、しぐさの深読みはリアルです。怨念の深さは怖いほどです。これは読まないとわかりません。

 他に「凪の風景」「彼女の問題」「海豚」。男女の人生観、生活観、価値観の確執をのなかから女性の女性たる感覚、愛の不条理を表現していく小説の方法がユニークです。

 おしまい。

臨泉楼 柏屋別荘

2007-05-11 21:34:44 | 旅行/温泉

臨泉楼 柏屋別荘(長野県上田市別所温泉1640,0268-38-2345)

 
    柏屋別荘
 
 
  


 木造4階建の落ち着いた宿です。外観は歴史を感じさせます(6年前に改装されたとのこと)

 宿に着くとまず、「一服茶席 やまつつじ」でお茶が出ます。その時、「小物入れにどうぞ」と巾着をいただけます。

 館内は昔ながらの造り。斜面に建っていて、客室は離れにあり、急階段をのぼっていきます。


 「柏屋別荘」は,つつじの庭でも有名らしいです。窓からはつつじ庭を眺めることができます(つつじの頃は素晴らしいのだそうです)。わたしが泊まったときは、秋でしたから、つつじは見ていません。


 
 温泉は「単純硫黄泉」です。浴室に入って驚くのが、上の写真のように洗い場が「畳み敷き」なのです。お風呂のように見えないでしょう。畳はイグサではありません。濡れても大丈夫なようになっています。本当にここで湯を流していいの?と思います。座ってみると、石や木張りの洗い場と違い、暖かみのある、何とも言えない感触です。

 内湯の外には岩造りの露天風呂があります。7~8人が浸かれる大きさです。こちらはやや熱めで、湯量も多く、玉子臭のする湯を楽しむことができます。

 川端康成はじめ多くの文豪、文化人が投宿し、1階にある展示室の壁には多くの「色紙」がところせましと貼ってありました。

  機会があったら出掛けてみてください。おしまい。