【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

京都の庭園の歴史のなかの不思議とドラマ

2009-08-31 00:46:23 | 地理/風土/気象/文化
宮元健次『京都名庭を歩く』光文社新書、2004年
              
         
 庭の本質を「死=他界」とみなし(p.13)、そこにこめられた権力者、作庭師の思想を確認しながら、京都の名庭27をさまざまな角度から紹介しています。

 前半で庭園を見る視点を定めています。取り上げられているのは西芳寺、天竜寺、平等院、浄瑠璃寺など。

 西芳寺は夢窓国師による庭園をもちますが、この庭園の特徴は上下二段構成(「穢土」と「浄土」を意図)となっていて、以後の庭園をつくるうえでの型となりました(p.24)。

 藤原頼通の造った平等院の庭は、浄土式庭園で平安時代に流行ったものです。「あの世」の再現に他なりません(p.34)。

 本書の面白いところは、庭にまつわる不思議をミステリアスに解明しているところがひとつです。例えば桂離宮の作者が八條宮智仁、智忠とし、小堀遠州の関与に言及しない通説に疑問を呈し、遠州の関与を主張しています(pp.225-226)。

 また有名な龍安寺の石庭は造庭年代、作者、造形の意図などが分かっていないらしいのですが、著者は年代については1619年から1680年の間、作者は小堀遠州ではないかと推定しています(p.203)。

 本書のもうひとつの面白さは、歴史のドラマをそこに盛り込んだことです。例えば秀吉の遺構(阿弥陀ヶ峰の豊国廟から西本願寺に繋がる線で、家康は秀吉遺構配置上で豊国廟を破壊し、知積院、東本願寺を建立し、秀吉の神格化を阻止するとともに東照大権現を栄させようとした事実を掘り起こしたことです(p.144)。

 また、江戸時代最初の天皇である後水尾院が幕府によって失脚させられたものの、結果的に修学院離宮という素晴らしい寺と庭を造営し、これを後世に残したこと、さらに秀吉にその才を認められ重用された八條宮智仁親王が政界で名をなすことができなかったにもかかわらず、逃避の末に桂離宮の造営に打ち込みこれを完成させた顛末を詳しく解説していることです(p.216)。

 単なる庭園の紹介に終わっていないところが嬉しいですね。

世界でいちばん面白い英米文学講義-巨匠たちの知られざる人生-

2009-08-30 00:46:24 | 評論/評伝/自伝
エリオット・エンゲル/藤岡啓介訳『世界でいちばん面白い英米文学講義-巨匠たちの知られざる人生-』草思社、2006年

            世界でいちばん面白い英米文学講義―巨匠たちの知られざる人生


英米の作家のなかで・・・・
 ①アメリカのベスト4の作家は?
 ②小説の分野での初めてのコミック・アイロニストで、「完全な小説」を書いた作家は?
 ③殺人者や自分自身が狂人である者の心理学的な視点から「恐怖物語」を書いた最初の作家は?
 ④アメリカ人の言葉で初めて書いたアメリカの作家は?

 答えは①はヘミングウェイ、フォークナー、フィッツジェラルド、スタインベック、②はジェーン・オースチン、③はエドガー・アラン・ポー、④はマーク・トゥエンです。もっとも答えはこの著者、エンゲルによれば・・・ということです。

 本書は英米の小説家の「とっておきの話」を軽妙な語り口での講義を、活字におこしたものです。面白い話し、興味深いは話がいっぱい、つまっています。

 自身の小説を売り込む商才をもっていたディケンズ、シェークスピアの脚本のグローブ座での公演は大変だった、下手な役者にはトマトがなげつけられたというのだから、ブロンテ姉妹の姉のシャーロットの「ジェーン・エア」は小説のなかでも最高峰のもの、彼女は器量があまりよくなかったが晩年結婚したが39歳で亡くなった(「嵐が丘」のエミリー・ブロンテは30才で没)。ジェフリー・チョサーの「カンタベリー物語」は猥本よりエロチック、マーク・トゥエンはペン・ネーム(船乗りが水深を測るときの掛声)、コナン・ドイルはシャーロック・ホームズを創りだした男と後世の人々に記憶されるのを忌み嫌っていた、D・H・ロレンスの「チャタレー夫人の恋人」はセックスの美しさ、女性を救うセックスの力について正確に語った小説、等々。

 こういう授業は、若いころに聞きたいものです。間違いなく英米文学を英語で読みたくなりそうです。

 原題は、"A Dab of Dickens & A Touch of Twains"で、『ディケンズひと刷毛、トウェイン少々』といことで、邦題とはかなり違います。

それでは女性の県民性は?

2009-08-28 00:13:55 | 地理/風土/気象/文化
矢野新一『おんなの県民性』光文社、2005年
               
         

 これだけ情報網、交通網が発達した時代では人の行き来が活発な時代では、「県民性」など雲散霧消してしまったかのように思うのですが、どっこいそれは地域に深く根をおろして今も厳然として存在します、それを書きとめたのがこの本です。一昨日は、一般的な県民性を解明した本でしたが、今日は女性のそれに絞った本です。

 そう、県民性というと従来は、男性のそれを中心にまとめたものが多かったらしいのですが、この本は「女性」のそれをまとめたところに特色があります。しかし、女性の県民性といっても、男性のそれがプラスの面でも、マイナスの面でも深く影響していることは、この本を読めばわかります。

 県民性は、どこで生まれたかではなく、「どこで育ったか」が指標になります。また、臨海部か、内陸部かでも異なります。両親の影響もあります。それらが微妙に相互作用しながら、県民性なるものが醸成されるのです。

 いろいろな統計が掲載されているのもこの本の、特徴です。例えば「金銭感覚」の指標として「所得全国順位」-「預貯金全国順位」がとりあげられていたり(p.86,一位は和歌山県)、「100万人あたり消費者金融店舗数」の比率では「沖縄県」がトップ(p.98)、「10万人あたりガンの女性患者数」では秋田県が一位(p.186)、等々。

 おお括りの県民性を語るのは無理な話で、そうした叙述も多々見られますが、納得できる部分もないわけではありません。本書は、そういう本です。

銀幕のなかで輝いていた時代の女優さんたち

2009-08-27 00:47:46 | 映画
秋山庄太郎『麗しの銀幕スタア』小学館、2000年

              

 著者は著名な写真家です。57人の女優のポートレートとコメント。

 流れるような、それでいて品格があり、冗談っぽいところもあり、読みやすい文章。はぎれもよいです。

 通読すると、どうも原節子さんがモノサシになっているような印象を受けます。かなり大胆な、危ない寸評を、「失礼!」と補足しながら書き込んでいます。

 写真家らしい物言いもあります。この女優さんは撮りにくいとか、撮りやすいとか。フォトジェニックだったり、ヴァンプだったり。

 それにしても、月並みな表現で申し訳ないですが、かつての女優さんには、紛れもなく今の女優さんとは何か違う綺麗さがありました。白黒写真にピッタリでした。この「何か」が言葉で表現できません。それで月並み表現になってしまいます。

 登場するのは以下のとおりです(敬称略)。

 原節子、藤田泰子、島崎雪子、山本富士子、京マチ子、三條美紀、高峰三枝子、山田五十鈴、嵯峨美智子、李香蘭、久我美子、小暮実千代、香川京子、有馬稲子、淡路恵子、越路吹雪、浜田百合子、岸恵子、根岸明美、轟由起子、安西郷子、鰐淵晴子、淡島千景、月丘夢路、新珠三千代、角梨枝子、野添ひとみ、若尾文子、浜美枝、団玲子、司葉子、池内淳子、草笛光子、浅丘子ルリ子、岸田今日子、加賀まりこ、白川由美、小山明子,江波杏子、岡田茉莉子、岩崎加根子、泉京子、真理明美、佐久間良子,大地喜和子、奈良岡朋子,桑野みゆき,藤純子、市田ひろみ、富士眞奈美、吉永小百合、八千草薫、藤村志保、栗原小巻、岩下志麻、高峰秀子。

県民性研究の面白さ

2009-08-26 00:11:24 | 地理/風土/気象/文化
素朴な疑問探究会編『県民性のおもしろ大疑問』河出書房新社、2001年

            

 現在、仕事で各県の自治体をまわっているので、県民性に興味をもっています。数冊読みましたが、これも分かりやすい本です。

 この本を読むと画一化しつつある日本社会でも、地方色は色濃く残っていて、県民性も健在であるようです。その県民性を決定づける要因はこの本によれば、気候、食べ物、歴史、地域性(海か山か)などです。

 明治の廃藩置県でもともと別の藩、地域的枠組みであったのが同一の県にまとめられたためにできあがった県民性もあるようです。この例は、福島県の県民性が3つにわかれているのは何故?、兵庫県人はなぜ県人会をつくらないのか? 長野県はなぜ長野というより信州というのを好むか?など。もともと文化も風土も異なる地域だったのが一緒にさせられたので顕在化してしまった兆候のようです。

 沖縄の人は長電話をしない、名古屋に喫茶店はいまなお多い、栃木県にはカラオケ店が多い、鹿児島県は花代にお金をかけるのはなぜ、山口県に大物政治家を輩出しているのはどうして、秋田県人の醤油の消費量が多いのはどうして、富山県の人の昆布消費量が多い理由は、島根県で赤い羽根がなぜ大人気なの、払わない人も多いNHK受信料を長野県人はまじめに払うのか、北海道の結婚式はなぜ会費制なの、高知県人と高松の人はどうして仲がよくないのか、北海道で梅干しがとぶように売れるのはどうして・・・。
 ありとあらゆる(のように思える)県民性に関する疑問をあげ、それを懇切丁寧に解説しています。

 ちなみに、わたしが比較的よく知っている北海道、東京都、埼玉県についての分析では、的外れなのものはなかったので、本書の分析の信頼性は大丈夫とみました。

日本庭園の魅力

2009-08-25 00:27:39 | 地理/風土/気象/文化
斉藤忠一監修/田中昭三・「サライ」編集部『「日本庭園」の見方-歴史がわかる、腑に落ちる-』小学館、2002年                                   
                     
  枯山水(かれさんすい)というのは平安時代から使われていた言葉で、意味するところは水のないところに石をたてること、白砂を池や海とみなす象徴性はそこにはないそうです(p.55)。

 本書は庭園鑑賞リテラシーの指南書です。と書くと堅苦しさを覚えますが、綺麗な写真がたくさん入っていて、説明は平易そのもの、それでいて基本的なことは書かれているので重宝します。

 日本庭園の特徴は曲線による造形と左右非対称です。飛鳥時代からの伝統があり、平安時代、鎌倉時代、室町時代、江戸時代へと時が移るにつれ庭園のコンセプトは大きく変わっていくのです。

 浄土式庭園から禅風の庭園へ。城郭庭園と露地の発展。背景にあるのが寝殿造の建築から書院造のそれへの変遷。禅風の庭園では、龍門瀑の理解が要となります。水落石、鯉魚石、亀島に鶴島、それをつなぐ石橋というふうに。

 江戸時代に入ると池泉を中心として大名庭園が各地につくられました。造園家では夢窓国師が著名です。西芳寺(苔寺)を造園し、この庭は金閣寺、銀閣寺の庭のモデルとなりました。

 日本庭園の四大要素は、水(曲水、遣水、州浜、滝、池泉)、石(石組[神仙台蓬莱思想、仏教思想、民間信仰、枯山水]、植栽、景物(敷石、飛石、蹲、手水鉢、石燈籠、竹垣、橋)。

 古刹巡りでは得てして建築物、仏像、襖絵などに眼がいきますが、これからは庭園もしっかり見ておきたいものです。

古代文明にロマンをもとめて! トリノ・エジプト展

2009-08-24 00:17:08 | イベント(祭り・展示会・催事)

『トリノ・エジプト展』  東京都美術館(上野) 8月1日~10月4日
 主催:東京都美術館、朝日新聞社、東映、フジテレビジョン

  博物館、美術館での展示会は、一週間の一日を休館日にしています。そして月曜が閉館というのが多いです。ところが、この休館日は全く行事がないかというとそうでもないことが今回わかりました。『トリノ・エジプト展』 は朝日新聞社が主催者のひとつになっていますが、月曜日は朝日新聞の読者を招待して鑑賞してもらっているのです。有料ですがそういう企画の存在を知り、わたしは朝日新聞の読者でもあるので、おりから上京してきた札幌の知人とともに、過日、参加しました。会場までバスで運んでくれます。博物館の駐車場には、その種の企画で集まった各地からのバスがたくさん並んでいました。
 要するに、一般客がいないので、ゆったり、ゆっくりと観ることができるのです。そういうことですか・・・、と思いながら観てきました。

                

  さて本題ですが・・・・、

  トリノ・エジプト博物館には約3万3千点の収蔵品があります。今回の展示会では、そのなかから選び抜かれた特別に美しい作品が展示されています。

 なんと言ってもお目当ては、これまで門外不出であった「アメン神とツタンカーメン王の像」の出展です。高さは2メートル、クリーム色で大理石のような石灰岩に彫られています。画像むかって左側がアテン神、右がツターカーメン王(約3300年前のエジプトに生きた王)です。口の結び方、目のくぼみ、要するに顔の表情と、足やおなかの表現でツタンカーメンとわかるのだそうです。隣のアメン神の肩に手をまわし、親愛の情を示しています。テーベの神殿で神への奉納として造られたもので、紀元前1300年ごろの作品と推定されています。

 王家の谷の造営に携わった職人の生活ぶりが理解できるような工夫がありますし、仕事で使われた道具の紹介もあります。

  トリノは自動車のフィアットで有名です。最近では冬季五輪が開催されました。エジプト博物館はこのトリノにあります。トリノはまたかつてサボイア家がつくったサルディーニャ王国の都でした。19世紀、ヨーロッパ各地でエジプト美術の収集が盛んでしたが、ナポレオンのエジプト遠征にサボイア家も参加し、後にフランス総領事になったベルナルディーノ・ドロベッティが収集した美術品を購入して、今日のコレクションの土台ができました。

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                                   タバクエンコンスの人型棺

 
公式サイトはこちら⇒ http://www.torino-egypt.com/

 


南木佳士『エチオピアからの手紙』文藝春秋、2000年

2009-08-23 00:30:28 | 小説

南木佳士『エチオピアからの手紙』文藝春秋、2000年
            
  「破水」「重い陽光」「「活火山」「木の家」「エチオピアからの手紙」。1971年から1985年ごろまでの作品です。どの作品にもわたしの波長はあいます。

 「死」の問題、末期の癌患者と向き合っているところが好ましいです。著者の分身であろう主人公が医者で、自身の体験をベースにしているので話にリアリティがあります。

 そして、長野の土地の香りがして、これがまたよいのです。この作品群では、浅間山が何度もでてきて、いい感じでした。

 「活火山」が一番気にいりました。登場する女性がよいのです。著者は書いています、この頃「私には書くべき切実な動機があった。人は死ぬ(ということー引用者)」(p.311)と。

 「破水」についてはこう書いています、「今回、文庫が出ることになって十数年ぶりに、『破水』を読み返してみた。読了後、不覚にも落涙。/耄碌したのだと自省してしまえばそれまでだが、いまの私にはもう『破水』を書く力はない。そして。以後に発表したどの作品も、・・・、『破水』の新鮮さには及ばない」(pp.313-314)と。

                        


一葉文学の真髄に迫る

2009-08-22 11:18:39 | 評論/評伝/自伝
澤田章子『一葉伝』新日本出版社、2005年

              
          


 一葉の小説を完読したことはありませんが、触れたことはあります。あの若さで擬古文の雅文体をどのようにして身につけたのか、それが謎でした。その疑問が少し解けました。

 萩の舎に入塾し、早くから古典文学、歌に関心をもち(大変な読書家だったと推測します)、また小説を書き始めてからは庶民の生活をリアルに描いた井原西鶴に学んだことが大きかったのではないでしょうか。

 一葉(夏子)の生きた時代は、明治に入ってから顕著になった女性蔑視の空気が蔓延していました。そして、日清戦争。彼女の生活は、困窮を極めていました。

 人間関係では、比較的恵まれていましたが、それは一葉の生き方の姿勢によるものでした。

 まず萩の舎の師匠で歌人の中島歌子、田辺花穂、伊東夏子ら、そして小説作法を学び、恋心も一時抱いのですが、絶交状態となった半井桃水との交流。

 文学関係者では藤村、馬場胡蝶、北村透谷などの影響も受けました。自ら住んだ下谷区龍泉寺町界隈の吉原遊郭の女たち、本郷区丸山福山町の銘酒屋街の人々の生活に接したことは、彼女の小説のモチーフのバックグラウンドとなりました。

 そして、晩年の奇跡(14ヶ月に「たけくらべ」「にごりえ」「大つごもり」「十三夜」「わかれ道」の5作品)。

 著者の澤田さんは、最後に述べています、「絶対主義的天皇制下に、下層庶民の立場からの国の根本の変革をもとめる人たちによって、一葉文学は大きな刺激となり励ましとなって、日本の社会主義思想の組織化や文学の社会性の発揚をうながす力となった」と(pp.212-213)。

 一葉の日記を使った平易な評伝です。

美しく豊かな日本語を大切に!

2009-08-21 00:20:04 | 言語/日本語
金田一春彦『心にしまっておきたい日本語』KKベストセラーズ、2003年        
                      
 「童謡」「わらべ歌・子守唄・唱歌」「俳句」「短歌」「古典」「小説」などから、日本語の名文、名文句を著者の趣味で厳選し、それに解釈やエピソード、父母や浜田広介などの思い出などを盛り込んでまとめて本です。

 短歌、俳句で覚えたいものは紙に書き写して、トイレに張りました。日本語は大切にしなければならないと思わせてくれました。

 「桜月夜」「湯あがり「湯浴み」「湯帰り」といった美しい日本語らしい日本語、「角ぐむ」「芽ぐむ」「芽ざす」「芽ばる」「芽だつ」「芽吹く」「芽生える」などの豊かな表現(p.82)、目的語につける「を」と「が」(p.88)の相違など。「かんがり」「わさり」などの井泉水の造語(pp.256-257)などにも触れています。

自然を愛した千佳慕さんの世界

2009-08-20 00:21:40 | イベント(祭り・展示会・催事)
熊田千佳慕展  99歳の細密画家 プチファーブル 松屋銀座大催場
                                顔写真

 熊田千佳慕さんの展覧会が、銀座MATSUYAの8階展示場で開催されています。

 千佳(本名、五郎)さん[1911年横浜生まれ]は、植物、昆虫の細密画で知られています。残念ながら、先日13日、99歳で亡くなられました。

 展示場は、5つのグループに分かれ、最初は絵本原画の世界、絵本館です。2つめは植物館、3つ目は昆虫館、4つ目は動物園、5つ目はファンタジー館です。最後に、千佳さんの生活をとったビデオのコーナーがあります。

 わたしは子どものころ夏休みになるとよく昆虫採集をしていたので、千佳さんの描く、キリギリス、セミ、蝶、トンボに昔の子供のころのふるさとの自然への郷愁がかきたてられました。

 それにしても細密画は精緻密です。いつまで見ていても飽きることがありません。千佳さんの観察力、自然の造形物への愛情を感じます。70歳の頃から『ファーブル昆虫記』を描くことをライフワークとし、いつしかプチファーブルと呼ばれるようになりました。

 絵本の原画では、「不思議の国のアリス」「ピノキオ」「みつばちマーヤ」「オズの魔法使い」などの絵本の挿絵が展示されていました。これも子どもの頃に接した懐かしい絵本の数々です。お話のディテールは忘れてしまいましたが、いまこの年になって読み直すと面白い発見があるかも知れません。

 経歴を見ると、『ファーブル昆虫記』を題材にした作品が、ボローニャ国際絵本原画展で2度、入選したいます。

 写真家の土門拳さんは友人だったらしく、土門さんの撮った千佳さんの写真も飾られていました。


  千佳慕展の公式サイトはこちら ⇒ http://www.asahi.com/kumadachikabo/

ビッグバン理論はひとつの仮説にすぎない!

2009-08-19 00:38:59 | 自然科学/数学
近藤陽次『世界の論争・ビッグバンはあったか-決定的な証拠は見当たらない-』講談社、2000年             
       
 誰も彼もが宇宙の始まりをビッグバン理論で説明しているように見え、そしてその理論が正しいように考えていますが、実際はこの理論の正しさはよくわからず、ひとつの仮説にすぎないという観点で書かれています。

 ビッグバン理論の淵源は、宇宙「火の玉」爆発起源説です。提唱者はベルギーのルメートル。ルメートルは、1922年にロシアのフリードマンが公表した宇宙は静的ではなくダイナミックに膨張したものという仮説を継承し、宇宙は「原始アトム」もしくは「火の玉」が爆発して生まれたという説を唱えました(p.73)。

 ハップルが1929年の論文で示した遠い銀河系ほど赤方偏移(観測される光のスペクトルが波長の長いほう、すなわち赤色のほうに移行する現象[p.65])が大きいという観測結果は、この「火の玉」爆発起源説を支持すると考えられ、以来この学説はひとつの潮流となりました。

 「火の玉」爆発起源説と対抗する学説は、定常宇宙説です。この説は、「火の玉(原始アトム)」説が宇宙の初めに物理的特異点(いっさいの物理法則が通用しない点)を想定することを誤りとみなします。そうではなく、この定常宇宙説は宇宙が膨張するとその空間に素粒子が自然に生まれてその空間を埋める(宇宙に始まりなどない)というのです。ホイル、ゴールド、ボンディが代表的論者です(pp.74-75)。

 ちなみに「ビッグバン」という名称の名づけ親は、「火の玉」爆発起源説に反対したホイルです(p.76)。

 現在の宇宙論は「火の玉」爆発起源説を継承する「インフレーション・ビッグバン説」、定常宇宙節の現代版である「準定常宇宙説」が二大仮説で、この他にプラズマ宇宙論という仮説があります。同分量からなる普通物質と反物質からなるプラズマ宇宙は、混合プラズマの内部崩壊による反応で全部エネルギーに変わり大爆発が起こり、爆発の起こった部分の宇宙(銀河系の集合)が膨張し、その膨張している銀河系の集合が宇宙という説がこのプラズマ宇宙論です。

 観測からわかったことと憶測の部分とからどの理論もなりたっており、いろいろな仮説が凌ぎあい、切磋琢磨して新しい理論になっていく、宇宙のことについてはまだまだわからないことだらけというのが著者のスタンスです。

『怪談 牡丹燈籠』 の幻想的な世界

2009-08-18 00:31:21 | 演劇/バレエ/ミュージカル

『怪談 牡丹燈籠』 渋谷BUNKAMURAシアター・コクーン

             

 『怪談 牡丹燈籠』は日本の三大怪談話のひとつです。明治に人気を博した圓朝の創作落語がもともとです。

 この「牡丹灯籠」はむかし中国に同じような話があり、それが江戸時代に日本で翻案され、圓朝が江戸前で創り直したのです。

 その後、文学座の杉村春子が劇作家、大西信行に請うてこの創作落語を戯曲化してもらい、1974年に公演されました。今回、演出はいのうえひでのりさんが担当しました。
 
 キャストは段田安則、伊藤蘭、秋山菜津子、千葉哲也、柴本幸、瑛太など豪華です。(敬称略)   
  
 3組の男女、萩原新三郎(瑛太)とお露(柴本幸)、伴蔵(段田安則)とお峰(伊藤蘭)、源三郎(千葉哲也)とお国(秋山菜津子)のそれぞれの人生が運命的に交錯し、怨念、情緒、幻想の世界が流れていきます。

   筋は次のようです。

<第一幕>
 浪人の萩原新三郎(瑛太)に恋い焦がれて命を落とした旗本飯島平佐衛門の娘、お露(柴本幸)。お露の死の知らせに念仏三昧の日々を送っていた新三郎のもとに、お盆の13日の夜、下女(死んだはずの)を連れたお露が姿を現しました。

 新三郎は、お露たちが死んだとばかり思っていたので驚きます。 乳母のお米は「お露が死んだというのは、二人を別れさせようという作り話」と伝え、あなたさまに逢いたいという「お嬢様の願いをかなえてください」と頼みます。

 かねてからお露に好意をもっていた新三郎は、お露といっしょに寝間に入ります。そこにやってきたのが、「新三郎が幽霊にとりつかれた」と聞いた志丈と新三郎の下男、伴蔵[はんぞう](段田安則)です。志丈は人魂に驚いて逃げ出しますが、伴蔵はそっと寝間をのぞきこみます。すると蚊帳の中には蛍がとびかい、新三郎とお露の声が聞こえました。目を凝らすと、新三郎の腕の中にいるのは、なんと骸骨!伴蔵はぎょっとして、逃げ出します。 

  飯島家では一人娘のお露が亡くなったので、愛人のお国(秋山菜津子)は隣家の源次郎(千葉哲也)を養子に迎えるよう平左衛門に勧めます。しかし、取り合ってもらえません。そこで、平左衛門を殺してしまうよう源次郎をけしかけます。しかし、平左衛門に見破られ、ふたりは情事の最中、はた試合となってしまいます。
 やぶれかぶれになったお国と源次郎は平左衛門を殺し、居合わせた女中のお竹も殺して逐電します。

  一方、おびえた様子でうちへ戻ってきた伴蔵は、蚊帳の中にいます。針仕事をしているお峰(伊藤蘭)。行灯が薄暗くなり、牡丹燈籠が庭先に浮かびます。

  お露の幽霊に取り付かれて死相が現れた新三郎は、家中に魔よけのお札をはり、金無垢の海音如来をもつようになったので、お露は新三郎に近づけなくなりました。

 新三郎の心変わりを恨んで泣くお露を不憫に思ったお米は、伴蔵に「お札をはがし海音如来をとりあげて下さい」と頼みに来ました。 伴蔵とお峰は、新三郎が死んでは暮らしていけず、かといって自分たちが幽霊に取り殺されるのも困るので、暮らしが立つようにと百両の金を幽霊に無心します。

  翌日伴蔵とお峰は新三郎のうちへ行き、金無垢の海音如来を瓦で作った不動明王像とすり替えます。二人は海音如来を後で売り払おうともくろみ、それを庭の土中へ埋めました。

 すると牡丹燈籠が現れて天井から小判がふってきました。 伴蔵は新三郎のうちへ行き、高窓のお札をはがすと牡丹燈籠がその窓へ吸い込まれるように入っていきました。お札がはがされたとは知らない新三郎は「お露はやはり生きていた」と思って喜びますが、お露は新三郎をとり殺してしまいます。

<第二幕>
 下男の伴蔵、お峰の夫婦は栗橋で荒物屋「関口屋」を始めて成功し、大旦那と奥様となりました。

 野州栗橋の宿のはずれ。源次郎は平左衛門との死闘のおりに刺された傷で足が自由でなくなり、今ではに落ちぶれてしまっています。

 お国は生活のために酌婦として御座敷に出ています。羽振りの良くなった関口屋の主人、伴蔵がお国をひいきにしているのです。

 そんなおり、お峰と伴蔵の江戸での知り合いであったお六が関口屋にたずねてきました。夫と死に別れたお六を、お峰は店に置くことにします。

 金が入ると伴蔵は茶屋遊びに出て女たちと楽しんでいましたが、そのことが女房お峰の知るところとなり、夫婦げんかの大騒ぎになります。お峰は大声で「仏像を盗んだのはお前で、その時の金,百両を出せば別れてやる」と騒ぎ立てるのでした。伴蔵は最初こそ高圧的にふるまっていましたが、幽霊の一件に触れられると平身低頭、いちからやり直そうとお峰に謝ります。

 伴蔵はこうしてなんとかお峰の機嫌をとりなしたのですが、夫婦の痴話喧嘩を盗み聞きしていたお六は、幽霊にもらった百両のこと、金無垢の仏様のことを言い出し、騒ぎはじめます。「早く萩原様のところへいらっしゃいませ」といって手招きするお六を見て、ふるえる伴蔵とお峰。

 さて、お国は???

 同僚のお梅とお絹と一緒にお国は源次郎の居る小屋のある土手を通りかかります。お梅とお絹の身の上話から、お梅は源次郎が殺した女中・お竹の妹だと知りました。それを聞いた源次郎は罪を悔いるのですが、お国は悪びれる様子もありません。

 二人をいつしか蛍の群れが囲み、突然刀を抜いた源次郎は転んだ拍子に自らの背中を刀で貫いてしまします。そうとは知らないお国が源次郎に抱きつくと、刀はお国に突き刺さりました。立ったまま息絶えたふたりの周りを蛍が群れ飛ぶのでした。

 伴蔵とお峰はお六が口走ったことが原因で役人につかまるのを恐れ、他の土地へと逃げようとします。伴蔵は金無垢の如来像を江戸から持ってきて埋めてあると打ち明け、それを掘り出すのでお峰に見張りをするように言いつけます。

 伴蔵は油断した峰を隠し持った刀で突き刺し、川のなかにつき落とします。伴蔵がその場を立ち去ろうとすると、見えない手に引き戻され、川の流れからお峰の手が現れ伴蔵は水の中へと引きずり込まれていきました。蛍が舞います。

 3組の男女の人生を重ね合わせ、絡み合わせ、怪談仕立ての濃密な舞台でした。

 「牡丹燈籠」とは、女中のお米(よね)が持っている提灯の牡丹の絵柄です。夜になると「カラーン、コローン、カラーン、コローン」という下駄の音が聞こえました。幽霊に足をつけたのです。幽霊が灯りを点けているのも独特です。


日本の古典芸能の魅力はつきることがない!!

2009-08-17 00:06:22 | 古典芸能

河竹登志夫『日本の古典芸能-名人に聞く究極の芸』かまくら春秋社、2005年
                         

         



 幼少青年時代を札幌市で過ごしたこともあって、日本の古典芸能に触れる機会はほとんどありませんでした。齢(よわい)40歳を超えて首都圏で生活するようになり、物珍しさもあって古典芸能に触れました。歌舞伎、能、狂言、文楽、落語、等。

 本物を見ると関心は強まりました。古典芸能はよいです。これらの世界のことを知りたいと思います。

 河竹さんは本書で、日本の古典芸能の様々な分野の第一人者にインタビューを試み、それらの魅力、芸を身につけるプロセス、名人と言われる人の個性、苦労話、海外公演での反応、後継者の育成などについての話を引き出しています。それで、類書にない価値のある内容となっています。

 登場する名人は、敬称略で申し訳ありませんが、狂言の野村万作、能の観世榮夫、文楽人形の吉田文雀、歌舞伎の片岡仁左衛門、歌舞伎の中村芝翫、日本舞踊の花柳寿南海、雅楽の東儀俊美、杵屋巳太郎、胡弓の川瀬白秋、文楽太夫の竹本住太夫です。

 演出の補助手段のない狂言は演劇のなかでも最も純粋で原初的なもの(p.11)、「型に入って、型をでる」芸である(pp.14-15)。人間のやる歌舞伎には嘘が多く、人形のやる文楽のほうがよりリアル(p.85)、「型」が大事とされる歌舞伎でも、表現にはすべて心の裏付けがなくてはならない(p.119)、「打ち合わせ」「申し合わせる」「音頭をとる」「左ぎっちょ」「千秋楽」「二の舞を踏む」などは雅楽からでた言葉(pp.198-202)、三味線を弾くときは踊りをみちゃいけない(pp.258-259)とか本質的な指摘が随所にあります。

 わたしの基礎知識が乏しく、消化しきれないのがもどかしいです。

 巻末に著者による「古典芸能の流れと特質ー付・古典芸能主要年表」があり貴重です。

 落語が入っていないのは残念でした。


やなせたかしさんのたそがれの境地

2009-08-16 00:05:13 | 詩/絵本/童話/児童文学
やなせたかし『たそがれ詩集』かまくら春秋社、2009年            
          
 子どもたちのあいだで今なお絶対的支持を受けるあの「アンパンマン」の作者のやなせたかしさんは90歳。

 この本はA4版の、字が非常に大きく、絵も入った詩集です。

 その内容は、人生のたそがれ、最終コースに入っての心境の吐露です。気取ることなく、飾ることなく、やさしい言葉で、歌っています。

 33の詩のなかで気にいったものを引用します。

(花咲く峠)「ふりむくことはしなかった/ただひたむきに歩いたが/いささか疲れて一休み/ここはどこかと見わたせば/老化峠のくだり坂/旅の終わりが近づいた/可憐に咲いた/山桜/散るには/惜しい/風情だなあ」

(じゃがいも)「じゃがいも/凹凸/泥まみれ/でも/土のあたたかさ/しみこんでいる/だから/じゃがいも/たべるとき/心の中が/あたたかい」

(生きる)「朝眼がさめると/まだ生きているので/うれしい/とにかく/今日一日は/けんめいに/生きていよう/衰弱していく/細胞が/いとしくて/心がどんどん/やさしくなる」

 「あとがき」に次のように書いてあります、「人生の最後が近づいてくると、身体は不自由になったが、精神は束縛されなくなった、この詩集ともいえないヘンな本は我がまま勝手気まま、本人の目が悪くなったので、一目瞭然拡大鏡不要の大活字、内容も口からでまかせ、たわごとにすぎない・・・」と。

 老鏡のなか、恬淡と達観した心境を綴っています。