テレビはほとんど見ませんが、深夜11時半からの「Bizスポ」に合わせてスィッチを入れることは多いです。
本年度から始まったNHK番組でビジネスを中心にしたその日の出来事とスポーツニュースが配信されます。キャスターの3人がなかなかさわやかでよいです。3人とは堀潤さん(立教大学文学部の卒業生)、飯田香織さん、與芝由三栄さん(女性2人は慶応義塾大学の卒業生)です。
今日の書き込みはこの番組の内容ではなく、3人のキャスター(スタッフ)のブログを見ることができるという話です。最近はこういうことがごく普通に行われるようになってきました。
放送番組の登場者がブログを開設していて、それを公表し、視聴者やファンと「コメント」をつうじてやりとりすることができるという、一昔前には考えられなかったことがありうる事態になってきたのです。
NHKの他の番組で、以前「知るを楽しむ」で中野京子さんが「怖い絵」とういう番組をもっていて、彼女がブログをもっていることが公表されていましたので(ブログ名「花つむひとの部屋)、わたしはそのブログを覗いて、「コメント」欄に質問の書き込みをしたことがありました。中野さんはマメな方で返事をすぐにくれました。時代は変わったものです。
さて、上記の「Bizスポ」のキャスターのブログは下記のとおりです。
http://www.nhk.or.jp/bizspo-blog/100/
みなさん忙しいのにこまめに書いていらっしゃいます。
昨日に続いて、他ブログのことにコメントしました。
世の中にブログをたちあげている人は何百万、いや一千万人を軽く超えるのではないでしょうか?
そのなかには度肝を抜かれるような凄いものがあります。たとえば日本の映画を紹介した次のサイトの、なんともそのストーリーの叙述の詳しいこと。もちろん、掲載されている邦画の数もただものではありません。
ブログのタイトルは「いくらおにぎりブログ」というもので、これだけでは映画と何の関係もないので、長く、わたしの視野に入ってきませんでした。しかし、最近、ある拍子で、検索にひっかかてきて、その内容を見て仰天しました。いやいや、世の中には凄い人がいるものだなと。無数のブログのなかから鉱脈を発見した気分です。
紹介します。下記のサイトです。一度、とくとご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/langberg/
![](https://ecx.images-amazon.com/images/I/51WVTRTW9VL._SS500_.jpg)
東京裁判が開廷したのは1946年5月3日。そこに至るまでの被告選定プロセスが本書のテーマ(東京裁判開廷前史)です。
上巻は6月17日付の本ブログで紹介しました。下巻では国際検察局の執行委員会での主要被告者リストの提示から出発して、キーナン(首席検事、GHQ国際検察局局長)が26人の被告名簿をマッカサーに提出、その後、ソ連のゴルンスキー検事の提案者のなかから2人が被告編入され28人となった過程、あわせてA級戦犯容疑者は全員釈放されるという経緯を一次資料に依りながら詳述されています。
上記の背景にあったのは激化する冷戦構造です。証言、証拠は恣意的に無視され、闇に葬り去られました(しかし、アメリカに大量に残されていた)。
東京裁判は「勝者の裁き」でありながら日米協調で昭和天皇や731部隊の免責が水面下で進行したばかりでなく、日本の植民地支配における朝鮮人強制連行、「従軍慰安婦」問題、毒ガス戦など、ニュルンベルク裁判と比較して審判を免れた戦争指導者や出来事が多かったとのことです。
在野の右翼・国家主義運動家からは大川周明の他には訴追されませんでした。右翼の大物、笹川良一、児玉誉士夫は免責されました。また、財界の戦争責任の追及が曖昧なまま(担当作業グループの人員不足と「手抜き捜査」)、不訴追となりました。
これらはいまだに、日本の「過去の克服」の阻害要因となっており、近年の重大事件解明を遅延させる要因となっています。本書ではこうした事情の検討も行われています。
著者は「本書では、東京裁判の否定面を多く指摘しているが、裁判そのものの歴史的意義は高く評価しているのである。/また東京裁判だが、日本は1951年に締結したサンフランシスコ平和条約第11条で東京裁判の判決を受諾している。ところが靖国神社は、1978年A級戦犯で有罪判決を受けた25人中14人を「祭神」として合祀した」述べ、とくに後者の欺瞞性を衝いています。
新宿区新宿3-15-17 伊勢丹会館8F (03-3356-3865)
新宿駅東口をでて、伊勢丹デパートのほうに向かって歩き、その一角、デパートの裏側にあります。このビルには、食事処が多く入っていますが、「串の坊」は8階と3階にあります。3階はもっぱら禁煙者用で、上掲の画像が入口です。
このお店はあちこちにチェーン店がありますが(銀座、赤坂、六本木、自由が丘など)、わたしは新宿の伊勢丹会館のこの店が近く、利用します(と言っても2回ですが)。肩書きに(?)大阪法善寺串カツ、八丁味処とありますので、関西発のお店のようです。
雰囲気はうす暗く、個室もあり、落ち着けます。家族連れ、カップルが多いです。比較的若年層の方も目立ちます。
お店のパンフレットによると、亭主は大阪の雑魚場(大阪の昔の魚河岸)に育ったようで、昔の串カツ談義をエッセイ風に綴っています。
コースが便利で、リーズナブルです。キャベツ、人参、きゅうりの野菜がたっぷりついています。
次々に揚がったくし揚げが並びます。なんでも30種くらいあるようで、主なものをとりあげると、海老紫蘇巻、たこ、アナゴ、ホタテ、牛肉、シイタケ、子玉葱、アスパラ、ナス、銀杏、などなどです。
ひとつひとつ一口サイズで食べやすいですが、アスパラだけは長いままで、苦労しました。
適当なところで〆て、あとはご飯をいただくと、ちょうどよい夕食です。
![](https://ecx.images-amazon.com/images/I/41S97N3FC5L._SS500_.jpg)
日本語は誠に奥が深いです。その日本語の奥義を確認するかのように、多くの書物が書かれていますが,この本もそのひとつです。
いくつか私自身がもっていた誤解が正されました。「泣きべそ」の「へそ」は「臍」とは関係がない(「ベシ口」「へし口」から来ている、「ベシ」は天狗に使う能面のこと),「おしきせ」の「おし」は「押し」ではない(「仕着せ」というのがポイントのである、「仕着せ」はかつて商家で雇い主が盆・暮れに四季にあわせて使用人に与えた衣服のこと),「面くらう」の「面」は顔のことではない(「トチメンボウ(栃麺棒)」の「メン」である、栃麺とはトチの実をくだいてうどん粉に混ぜてつくる麺),等々。
知らないより,知っていたほうがずっとよいことがたくさん書かれており,それも学校ではほとんど習わなかったことばかりです。
「ことばのできかた」「ことばと日本文化」「ことばの変化」「ことばの住み分け」の4つのカテゴリーから成っています。
![資本論の世界 (岩波新書 青版) 資本論の世界 (岩波新書 青版)](https://ecx.images-amazon.com/images/I/31957YkAW0L._SL350_.jpg)
学生時代に読んで感動した本の、再読です。
「人間にとって資本主義は何を意味するのか」ということを考えるのに、経済学はいったい、いかにして、いかなる意味を持ちうるのか、を正面から取り上げた本。
「資本論」の解説でもなく、マルクスの思想の歩みでもなく、「資本論」を使ってみることで、資本主義の現実がどう見えてくるかを示すこと、それが著者の一貫して追求してきたことでした。(以上、「あとがき」から)。
表題と関わって、著者は「研究の対象である資本主義社会と、それを把えようとするマルクスの間に、緊張をはらんで成立するのが、『資本論の世界』であります・・・」とも書いています(p.36)。
考察が深く、問題が根源的に捉えられてる好著です。
まず冒頭で「資本論」が刊行されたのが明治国家の誕生と同時であることを手掛かりに東西の歴史を振り返り、次いでマルクスとスミスとの問題関心が重なる部分と重ならない部分の考察、とりわけ両者が同じ私有財産制社会であり商品経済社会である資本主義社会を扱いながら、スミスはそれを自由な社会として歴史の終極点として位置づけたのに対し、マルクスはそれを本来の人間の歴史が始まる最後の段階として位置づけたこと、人間による自然の支配というポジィティブな面とともに、人間による人間の支配というネガティブな面をも把握したことを強調しています。
その延長上で、「資本論」の労働過程論をベースに歴史貫通的な人間の物質代謝過程の特徴を動物のそれと対比しつつ、搾取(アウスボイトゥング)の意味合いと労働疎外の問題を考察しています。
圧巻は、相対的剰余価値の生産と資本と人間の再生産を検討した章で、これらの章で資本主義経済のもとでの生産力の発展、機械制大工業の歴史的意義、資本家階級と労働者階級の対立の必然性、資本家相互の利害対立と矛盾、資本蓄積の必然性と階級関係の再生産の構造が浮き彫りにされています。
講演形式の内容(NHKでの10回にわたる放送での録音テープが土台)なので、比較的読みやすいのがよいです。
![](https://ecx.images-amazon.com/images/I/41HCGWDOh6L._SS500_.jpg)
切れ味鋭い文体で、金融暴走時代がその極限までに到達して行き詰った今日、その後に何が起こるのかという問いに対する答えを読者とともに探っていこうという本です。
その道筋はおよそ次のようです。まず、現在の局面が危機ではなく、恐慌であると捉えています。「恐れ慌てる」という字義のとおりの「恐慌」です。
第1章では、今回の恐慌(グローバル恐慌に向けて地獄の扉が開いた経緯)の要約で、リーマンショックに始まって、AIG救済、金融コングロマリット、あるいはユニバーサル・バンキング時代突入の契機となったグラス・スティーガル法の改訂(1999年)、「サブプライム・ローン証券化問題」の含意などなどが論じられています。
証券化問題が「飲み屋の福袋作戦」の譬えで説明している箇所が面白く、わかりやすいです。そして、円は隠れ基軸通貨であること、ジャパンマネーがグローバル恐慌の遠因であるとの指摘があります。
第2章では今回のグローバル恐慌の出発点がニクソン・ショックにあること(1971年8月)、金利自由化プロセスの完了(1986年)と証券化、いわゆる「金融スーパーマーケット」時代の開幕、カネとモノの遊離、カネの一人歩きに至った経路が解かれています。
第3章では現在の地球経済が集中治療室にいるようなものだと言い、アメリカ(TARP[金融安定化法]の迷走[不良債権の買い取りか資本注入かで錯綜]、欧州における政策の足並みの乱れ、日本の場当たり的、方向感なき政策のオンパレードが批判的に論じられています。
第4章では恐慌とは何かが原理的に考察され、1929年恐慌と今回のグローバル恐慌との相違、とくに後者が管理通貨制度下の恐慌であることが指摘されています。
第5章ではG20(2008年11月)の危機感の欠如から始めて、重要な論点の提示があります。すなわち、グローバル時代の金融役割の検討、金融と通貨(価値の安定性)との関係の点検です。世界中が瞬時に大不況に転落していく状況のなかでアメリカ経済の前途がきわめて厳しいこと、失調急な欧州経済とタイタニック号化している中国経済に対する懸念が表明され、経済が保護主義へ向かうことへの危うさが論じられています。
「おわりに」ではその保護主義的兆候にたいする警告、モノとカネの新たな関係構築の可能性、基軸通貨概念への違和感が語られ、本書の旅の終了と、新しい旅への予感が示されています。
ダイナミックな現代資本主義論、国際金融論です。
![ボローニャの夕暮れ ボローニャの夕暮れ](https://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD16478/1008187_01.jpg)
原題は、IL PAPA DI GIOVANNAIL 。
戦争を背景とし、愛情表現がぎくしゃくしている家族。殺人事件が絡む重たいテーマ。しかし、考えさせられます。
第二次大戦中とその後、イタリアのボローニャを舞台としたある家族の逸話。この家族の構成は、父のミケーレ(ジョルヴィオ・アリランド)と母デリア(フランチェスカ・ネリ)と娘ジョヴァンア(アルバ・ロルヴァケル)の3人です。
ミケーレは高校の美術教師で風采のあがらない感じの上背のない男性。しかし、美貌の妻がいます。ジョバンナは父のいる高校に通っていますが、自分に自信がなく、引きこもりがち。美人の母にコンプレックスをもっているらしいのです。
デリアと夫と妻との関係は何となくぎこちない。むしろ夫の友人の警察官セルジョに好意をもっているらしいのです。
高校で殺人事件がおこります。きっかけはミケーレが臆病なジョバンナのためを思い、よかれと思って男子学生との付き合いを取り持ったことが裏目に出てしまったのです。
事件の顛末はともあれ、殺人犯とみなされ、精神障害の疑いがもたれたジョバンナは隣町の病院にいれられてしまいます。そこに見舞いに通う父のミケーレ、しかし母は7年間一度も面会にくることはありませんでした。それには深い理由があったのです・・・。
ミケーレは、以前からうすうす感づいていた妻のデリアと警察官セルジョの関係を了解し、別れの選択をします。
戦争が終わり、パルチザンによるファシスト狩りが始まります。
父、ミケーレと娘ジョバンナは別の男と一緒にいたデリアと偶然、再会。彼らのその後は? 誰でも関心をもつでしょう。この結末には。
この家族はその後どうなるのでしょうか???
Aux Amis des Vans(オザミデヴァン) 中央区銀座2-5-6 tel 03-3567-4120
フランス料理のお店です。銀座2丁目の路地裏にある隠れ家のようなお店です。
お店の名前である Aux Amis des Vins(オザミデヴァン)は、直訳では「ワインの友人たちへ、ワインの友だちのいるところで」だそうで、意訳すると「ワインの仲間たちと一緒に」ということだそうです。(わたしはフランス語を解しないので、下記のリーダーに聞いた知識です)。今年で開店13年目ということでした。
職場のグループの前期納会をここで開きました(16日)。紹介者はフランス文学者の我らがリーダーです。奥様もサプライズで同伴されました。
料理も、ワインも素晴らしいのひとことす。ひとりひとり予約の段階で料理を注文します。わたしは次のものを注文しました。
・冷前菜 鮮魚のカルパッチョと季節野菜のマリネ
・温前菜 シンプルなブーダンブラン
・メインディッシュ 和牛ほほ肉のポルト酒煮込み
・デザート バニラービーンズたっぷりクレームプリュレ
パンは手許でなくなると次から次へともってきてくれます。
ワインは最初、スパークリング、そのあと、ピノ・ノワール系、カベルネ・ソーヴィニヨン系と続きました。わたしは用意してきた、エチケット(ラベル)を貼る台紙を鞄からおもむろにとりだし、記念にWine Ricorder をつくってもらいました。
美味しい料理とワインがあれば話は自然に盛り上がります。映画の話、ワインの奥義、それぞれの結婚の馴れ初、占いだこのパウル君(W杯)などなど。笑いがあれば人は幸せで、健康です。3時間ほどがあっと言う間にすぎました。
![](https://www.kyokoyoshida.com/img_top/101101_top.jpg)
吉田恭子さんのレクチャーコンサートがありました。モーツアルト(1756-1791)のヴァイオリンソナタをメインにすえて、モーツアルトの人となり、その音楽を解説するという趣向です。
モーツァルト(1756-1791)について学んだことを書きます。
まず、本名が長いことです。ヨハネス・クリュソストムス・ヴァオルフガングス・テオーフィルス・モーツアルトがそれです。クリュソストムスというのは「聖人」の名前で、モーツァルトが1月生まれだったので、1月の聖人の名前が入っているのだそうです。テオーフィルスはギリシャ読みで、ラテン式ではアマデウス、「神の子」の意味です。
そのモーツァルトは、1756年にザルツブルクで生まれました。父母はオーストリア系のドイツ人、父は宮廷音楽家、母も音楽の素養があり、一時クラヴィア奏者だったそうです。6人兄弟姉妹の末っ子(上の4人は次々に死亡)。幼少の頃より、父とヨーロッパ中を旅し、また手紙をよく書いたことでも有名で、これらの手紙が残っているのでモーツァルトがどのような人物であるかがかなりわかっているようです。
1782年、初恋のアロイジアの妹、コンスタンツェと結婚しています。コンスタンツェはモーツァルトの死後、再婚し(夫はモーツアルトの信奉者)、90くらいまで生き、モーツァルトの音楽の普及につとめました。
モーツァルトの音楽が好まれ、よく聞かれるのは、長調の曲が多く、あかるいこと、また3度の音階(ファラソ、ラシドなど)を多用し、それほど難解でないことがあります。
音階がわりと簡単ではありますが、音楽的には工夫されていて、そこがモーツァルトらしいところ、モーツァルトマジックがあるのです。シンコペーションもそのひとつです。
長調ということに関しては、ヴァイオリンソナタ37曲中、35曲が長調、41の交響曲のうち長調の曲が39、18のヴァオリン協奏曲のうち短調の曲は2曲のみです。
短調の曲は少ないのですが、残っている短調の曲は深く、内省的で、哲学的で深淵です。今回、吉田さんが演奏した「ヴァイオリンソナタ第28番」は短調の曲です。
この日サプライズがあり、「ヴァイオリンソナタ第28番」の第一楽章を何と蓄音機で、ヨゼフ・シゲッティの演奏で聴かせてくれました。シゲッティがこの演奏で使ったヴァイオリンは1708年製のストラディヴァリ。続いて吉田さんが第二楽章を演奏しました。
「ヴァイオリン協奏曲第5番K219「トルコ風」」は、むかしからわたしの好きな曲ですが、この曲はモーツアルトが10代後半(19歳)で作った曲だそうです。モーツアルト自身、ヴァイオリンの弾き手として力量のあった人ですが、自分の力量の向上にあわせて、自分が演奏するためにヴァイオリン協奏曲を10代で書いていったとか。
「ピアノソナタ第8番K.310」は白石さんが弾きました。ヴァイリンの伴奏だけでなく、質の高いピアノ演奏で、満喫しました。
・ヴァイオリンソナタ第30番K.306より 第一楽章
・ヴァイオリンソナタ第25番K.301より 第一楽章
・ヴァイオリンソナタ第28番K.304より
・ピアノソナタ第8番K.310より 第一楽章
・ヴァイオリン協奏曲第5番K219「トルコ風」より 第一楽章
本号で大きくとりあげられているのは、下記の①から⑤の5本の映画です。1938年から41年、和暦でいえば、昭和13-16年、その古さがわかります。「格子なき牢獄」(レオニード・モギー監督、フランス)は未見ですが、あとは観ました。
これらのなかでは、「望郷」「スミス都へ行く」「舞踏会の手帖」はお勧めです。
「駅馬車」はジョン・フォード監督の名声を高めた映画です。西部劇はあまり好きではありませんが、鑑賞には十分に耐えます。
「望郷」はフランスの香り高い映画、名匠デュヴィヴィエ監督と若きジャン・ギャバンのコンビで作られた屈指の人間ドラマが展開されます。
「舞踏会の手帖」もデュヴィヴィエ監督の作品です。大邸宅に住む未亡人が社交界にデビューした16歳のときの舞踏会の手帖を発見、そこから記憶がよみがえり、20年を経て、彼女は手帖の男たちを訪ねる回想の旅にでます。そこで出会ったのは何と・・・。
「スミス都へ行く」はこれも名匠の誉れ高いフランク・キャプラ監督の作品。若いジェームス・スチュアートとジン・アーサーがよいです。理想に燃え、正義感あふれる青年の政治への挑戦が描かれています。スミスの20時間を超える壮絶な演説が見所です。アメリカもかつてはこんなにいい映画を作っていたのに・・・。
①「駅馬車」([監督物語]細かな矛盾は気にせず、映画の面白さを優先したフォード)
②「望郷」([監督物語]本国フランスよりも、日本で愛されたデュヴィヴィエ)
③「スミス都へ行く」([監督物語]アルファベット順で得をした? フランク・キャプラの幸運)
④「舞踏会の手帖」([シネマ物語]オムニバス映画は短編の競作が魅力)
⑤「格子なき牢獄」([俳優物語]獄中死を遂げた、悲劇の女優リュシェール)
<シネマの神話>
・『スミス都へ行く』のジーン・アーサーは8歳もサバを読んでいた!?
・『駅馬車』の襲撃シーンを支えた名スタントマン/ほか
・名画の舞台 『駅馬車』モニュメント・ヴァレー
・銀幕の主人公たち ジャン・ギャバン
<連載コラム>
・映画史早わかり 品田雄吉
・青春プレイバック あの時、私は 斎藤茂太
・アカデミー賞物語 軍靴の響きが高くなったこの時代、アカデミー賞にその影響が現れた。
![](https://ec3.images-amazon.com/images/I/51202X3FKSL._SS500_.jpg)
表題どおり、じいちゃんである著者が孫の悠君(中1)と創ちゃん(小5)に語りかける調子で、自らの満州体験、その事実と想いを伝える内容になっています。
著者の満州体験とは1942年8月にひいおじいちゃん(千振開拓農学校教諭)が満州から家族を迎えにきてからの生活、ハルビンで向き合った戦後の大混乱のなかの「生と死」、敗戦で46年10月初旬に佐世保港にかえってくるまでです。
それから、後日、86年に記者として「満州」取材を再訪し、95年のハルビン市で開催された日中合同の「731部隊・国際シンポジウム」に参加したことなどが書かれています。
まさに、じいちゃんは、生涯、満州との関わりのなかにあったわけです。親しかった中村兄弟とのハルビンでの死別(45-46年)、敗戦直後、満州に飛来した大本営秋枝参謀の「慰留民の現地定着」命令、45年の関東軍による「民間人置き去り事件」など、聴くにしのびない事実も語られています。
また95年夏の庄和高校地歴部の高校生による「731部隊・国際シンポジウム」での報告「731部隊とネズミ」(埼玉県東部のネズミ飼育農家でのヒアリング)の成果には、頭がさがりました。
引き揚げ船からみた日本の印象を、著者は次のように述べています、「こんな静かでいいのか。こんなに何事もなかったかのような顔をしていいのか。おい、日本よ。のた打ち回り苦しむ表情を見せてくれてもいいではないか」(p.150)と。
![[表紙]『マリコ』](https://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya_images/181mariko.gif)
「マリコ」は、本名が寺崎マリ子。父は外交官寺崎英成、母はグエン・テラサキ。マリ子は国際結婚の父母の一粒種でした。
本書はそのマリコの半生記ですが、前半は太平洋戦争前後の外交官(日本大使館、上海、ハバナ、北京などでの在外勤務)としての英成の仕事ぶり、妻になったグエンとの関係を細かく描いています。
日米決戦が日本による真珠湾奇襲攻撃で始まりますが、その直前、キナ臭くなる一方の日米関係に直面し、英成と駐米日本大使との間で交信に使われた暗号が「マリコ」でした。すなわち「≪マリコ≫は病気だ、悪クナルバカリ」というのは、<アメリカの態度>が悪化しているという意味の暗号通信でした。
日米開戦反対の英成は日米開戦を止めるため果敢に奔走しました。そのための画策のひとつがルーズベルトから時の天皇への親電の取り次ぎでした。
しかし、その努力のかいもなく日米開戦。英成とグエン夫妻は日本人とアメリカ人との結婚であったため、暗雲たちこめる国際状況のなかで筆舌に尽くしがたい生活上の困難に直面しました。
後半の記述は、夫妻の子であるマリコ(上海で出生)の成長、民主党の政治家だったミラーとの結婚、彼女自身の政治家としての自律の過程に充てられています。
英成は1951年に50歳で亡くなったが、グエンはその後、回想記『太陽にかける橋』を著して一躍有名となりました。
日米の「懸け橋」として波乱万丈の人生を歩んだマリ子の人生をとおし、現代史がいきいきと浮かび上がってきます。
![](https://ec2.images-amazon.com/images/I/61D0ZQJNK9L._SS500_.jpg)
表題の「白愁のとき」は季節に色をあてる中国の陰陽五行説(青春、朱夏、白秋、玄冬)から発想して、主人公・恵門潤一郎が自ら人生の白愁にさしかかっていると述懐したことに由来しています。
主人公は52歳の著名な造園設計家。こなす仕事は多くあり、「エメラルド開発」からは赤城山麓のリゾート・テーマ・パーク・プロジェクトの依頼を受けていました(その後、「エメラルド」は倒産)。ところが人生の真っ盛りにあった彼に記憶の部分的喪失という症状があらわれ、診断するとアルツハイマー病の初期症状の疑いがかかりました(「神の残酷な冗談」[下p.9])。
告知されたことによる恐怖と、残りの人生を如何に生きていくかとの葛藤、それが本書のテーマです。
最後は、主人公が子どもの頃、疎開した福岡県怙土町で、自分の意思と想像力をたよりに時間を気にすることなく、公園造成へ取り組む意欲を漲らせて、終わります。
桐乃の愛と助言が彼を立ち直らせたのでした。痴呆症から逝った叔母の思い出、「精神余命」の自覚、家族との葛藤、友人の医師とのやりとり、美人デザイナー桐乃との出会いとロマンスが挿入され、重いテーマですが、それらが混然一体となって心地よく流れる小説になっています。
アルツハイマー関係、造園関係の入念な下調べの成果が感じられます。
東京散歩⑩ 生田緑地(川崎市多摩区枡形)
ストレスの多い、現代社会。たまには森林浴でも楽しもうと、生田緑地というところに行ってきました。もう、あれからだいぶ日がたっていますが、記憶に新しいです。
ここに行くには、新宿駅から小田急線に乗り、「向ヶ丘遊園」で下車、そこから現地までバスもでていますが、徒歩でも15分くらいです。距離にすると1キロ程度です。しかし、東京にあるようですが(本ブログでは東京散歩のシリーズに入れましたが)、そうではなく、行政区域でいえば川崎市です。
生田緑地は大変広く、森林もあれば、日本民家園があり、岡本太郎美術館、青少年科学館があり、伝統工芸館。とても一日では廻りきれません。季節によってはバラ苑がいいようです。
この日は、メインを日本民家園に絞りました。この民家園は、現在急速になくなりつつある古民家を将来に残すために、昭和42年に開園しました。民家ですから野外にある博物館です。
民家園には東日本の代表的な25軒の建物が並んでいます。各地にあったものを解体して、ここで再建されました。原則としてそれぞれの建物のもとの形が復元されています。
水車小屋(昭和57年3月復元)、原家住宅(平成3年3月復元)、鈴木家住宅(昭和46年3月復元)、井岡家住宅(昭和56年3月復元)、三澤家住宅(昭和47年3月復元)、野原家住宅(昭和42年3月復元)、山下家住宅(昭和46年3月復元)などなどです。この日は、ちょうどボランティアのガイドさんがいて、詳しく説明してくれました。30分の予定が、1時間に。熱が入っていました。民家の造り、屋根のふき方、梁とその材料、棟の種類、囲炉裏の構造、いろいろ教わりました。
その後、岡本太郎美術館に。しかし、ここまででかなり疲れ、時間もたっていたので、中には入らないで、カフェテリアで休憩。
森林は広大そのもの。池のような沼があり、蝶がとび、鶯が鳴き、リラックスできた半日でした。また、行きます。