![](https://ecx.images-amazon.com/images/I/41A25osxSOL._SS500_.jpg)
昭和9年に5歳でデビューして以来、50歳で銀幕を去るまでに300本を超える映画にほとんど主役として出演した世紀の大女優・高峰秀子さんを、その側近的存在であった著者が、普段着の彼女の生き方を綴った本です。
生き方をいくつかの「流儀」としているところが、特徴です。すなわち「動じない」「求めない」「期待しない」「迷わない」「甘えない」「変わらない」「怠らない」「「媚びない」「こだわらない」。「ないないずくし」を肯定的に生きるのが秀子さんの流儀というわけです。
日本映画界が誇る大女優は、実は「女優」という仕事が嫌いでした。今ではもうかなり有名な話ですが、子役としてスタートした彼女は母の死とともに叔母にひきとられ、養女として育てられましたが、この叔母がひどい人で、秀子さんの高額の収入をあてにし、呼び寄せた縁者とともに寄生虫のように彼女にたかったのです。
彼女は女優をやめるわけにいかず、叔母に精神的に苛まれながら、小学校以来ろくに学校へも通わず、子どもらしい楽しみを知らず女優としての人生をひたすら歩みました。
脚本家の松山善三さんと結婚し、女優をやめて秀子はようやく人間らしい生活を取り戻します。自然体で虚飾なく、簡素に生きること、これが彼女の姿勢です。女優、映画の世界から、綺麗さっぱりと足をあらったのです。
人生の帰結が、今の「流儀」というわけです。
いくつかの話に印象が残りました。ひとつは市川昆監督の「東京オリンピック」が酷評されたとき、多くの映画人が酷評に黙して語らなかったにもかかわらず、意志的にこの作品を擁護する文章を書き、行動したことの記述[pp.206-216](いまでは同監督のこの作品を悪く言う人はいないばかりか、映画史に残る記念碑的作品と評価が高い)。また、27歳のときに逃げるようにパリに渡り、そこで過ごした日々の記録(「二七歳のパリ その足跡を訪ねて」)と映画における女優の役割についての秀子さんの言、「映画が一軒のビルだとすれば、女優は、そのビルを建てるための一本のクギにしか過ぎません。他のスタッフと違って、たまたま画面に出る立場だというだけのことです」(p.284)
そして、夫の善三さんとの逸話の数々。写真がたくさん挿入され、なかでもナイトのように寄り添う夫君・善三さんとのショットはいいですね。