【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

「あねいもうと」(NHK、18:30~18:45、1968-69年)

2018-01-29 22:46:04 | テレビ・ラジオ番組
 

テレビが家庭にはいってきたころには、子ども向けのドラマが多数ありました。それらがどのような内容のものだったのか、出演者が誰だったのか、記憶は薄れています。そのなかからいくつか、調べて紹介します。

 最初は「あねいもうと」という番組。内容は全く覚えていませんが、出演者が西尾三枝子さん、岡崎友紀さんだったことはなぜか忘れていませんでした。夕食時の番組で土日を除く毎日放映されていました。

ストーリーは、高等女子職業学校に通う、しとやかな姉けい子と、高等女学校生の活発な妹とし子が、様々な人生体験をしながら成長していく姿を描いたもののようだったようです。二人の故郷は兵庫県の山村の変電所ですが、姫路市のおばさんのところに下宿して学校に通っているという設定です。

 周囲の友達、先生との交流がさわやかに描かれていました。当時は知る由もなかったのですが、若き近藤正臣さんが出演していました。脚本は西島大、小田和生、原作は畔柳二美です。

TBSラジオ「久米宏ラジオなんですけど」(1:00-3:00)

2018-01-28 20:11:03 | テレビ・ラジオ番組
しばらく風邪で寝込んでいました。

 時々、ラジオを聴いていました。昨日のTBSラジオ「久米宏ラジオなんですけど」(1:00-3:00)で、この1月に南極点に単独徒歩でアプローチし到達した萩田康永さんがゲストで登場し、インタビューを受けていました。

 以下は萩田さんの話。(メモはとっていなかったのでおよそのところです)

 出発したのは昨年11月下旬、カナダ経由でチリの南端の村まで飛んで、そこからイリューシン機で約5時間で南極大陸に到着。この飛行機には観光客を含め30-40人ほどが乗っていたとのこと。萩田さんはそこからさらに飛行機で出発点である南極の海岸線におりたちます。そこから南極点まで約1100キロを50日間ほど徒歩で南極点に達しました。一日に歩いた時間は約10時間、100キロの荷物をそりに載せて引っ張っていきました。南極点は標高2800㍍ほどあり、時々上がり下がりはあるとはいえ、登っていくという感じのようです。

 実は萩田さんは北極探検家です。北極点をめざして多くの経験をもっています。北極点到達はまだ達成していないようです。そして北極の走破の方が南極よりもかなり難しいようです。というのも、南極は大陸の上に厚い氷の層が積みあがっているのに対し、北極は大陸ではないので不安定で、おまけに最近の地球温暖化の影響もあり、困難の度合いは一層強まっています。このため飛行機のチャーター便も減り、料金もあがっていたので、今回は南極にしたと語っていました。

 めったに聞けない話で、一時吾を忘れて聴いていました。30分ほどのインタビューでは足りないくらいの充実した興味深い内容でした。

「刑務所のリタ・ヘイワース」(スティーヴン・キング「ゴールデンボーイ」[新潮文庫]所収)

2018-01-21 18:25:55 | 小説

中編小説「刑務所のリタ・ヘイワース」は「ショーシャンクの空に」という題名で映画化されました。わたしはこのブログで、それを本年1月3日に紹介しました。映画を観たので原作にあたってみました。

 「リタ・ヘイワース」はハリウッドの有名な人気女優です。妻とその不倫の相手を銃殺したとの疑いをかけられ、刑務所に入った主人公のアンディが、独房の壁にはっていたのが大きなリタ・ヘイワースのポスターでした。

 映画は原作に忠実といっていいと思います。というか、むしろ、この中編小説をよくあれだけの映画にそのまま再現したと感心します。あえて大きな違いを指摘すると、小説では主人公のアンディは比較的小さな男ですが、映画でアンディを演じたティム・ロビンスは大柄な好男子です。

 主人公のアンディは壁を少しづつけずって細いトンネルをつくり脱獄するのですから、小柄な主人公というのは理解できます。

アルジェの戦い(La Battaglia di Algeri)ジッロ・ポンテコルボ監督,イタリア/アルジェリア,1966年

2018-01-11 22:09:00 | 映画


 1950年代後半から1960年代にかけてアルジェリアでは独立運動が展開され,独立戦争の規模に発展した。この映画は解放戦線のリーダーの一人であったアリ・ラ・ポワンテを中心とする解放戦線の運動を描いた作品。アルジェリア独立のために立ちあがった解放戦線と植民地主義の立場にたつフランス政府軍との戦いがドキュメンタリー・タッチで映像化されている。ストーリーはカレンダーきざみでつながれ,臨場感がある。冒頭の政府軍による拷問の場面から,解放戦線側のゲリラ活動,それらへのフランス側の空挺隊を中心とした対抗措置,そして「アルジェリア万歳」のデモ行進で象徴される独立国家アルジェリア誕生の最後の場面まで,息もつかせぬ緊張感が続く。

 少年の頃から数々の犯罪に手をそめ,少年院入り,入獄を繰り返してきたアリは,街角でもぐりの賭博のかどで再逮捕された。刑務所で一人の囚人が処刑されるのを眼にした彼は,釈放後,ジャファル率いる解放戦線に加わり,その無謀とも言える勇敢さでリーダーとなっていく。

 舞台はアルジェ,解放戦線の根拠地はカスバ地区(アラブ人地区)。解放戦線の声明,フランスの植民地主義との戦いの目的はアルジェリアの独立,人種,宗教の区別のない基本的人権の獲得にあった。フランス当局が民族自決権を認めれば,話し合う用意がある,と。事態は好転しなかった。解放戦線は植民地政府がアルジェリアに屈辱的な隷属を強い,植民地支配を容易にしているのが人間を堕落させる賭博,麻薬,売春などにあると見て,それらの禁止を訴えた。解放戦線側の組織づくりと政府軍側のそれへの対応策がクローズ・アップされる。解放戦線線を指揮するのはジャファル,組織の強化とともに,隠れ家の確保の先頭にたった。解放戦線は警察官に対する襲撃,カフェテリアやダンス・ホールでのゲリラ活動を展開。政府軍側はこれに対しアルジェ市内で起こっている反乱活動への対応策を協議した。反乱鎮圧の指揮をとるのは,マチュー陸軍中佐。彼は第二次大戦中,反ナチ抵抗運動で活躍したつわものであった。カスバの地下に潜行する指導者の逮捕,組織の壊滅が彼の任務とされた。

 アルジェリア問題は,国連での協議事項となった。これに照準をあわせ,解放戦線は,ゼネストに突入。アリは,ストに消極的であった。「武器を使わなくては勝てない」と。指導者の一人ベン・シディは,武器だけでたたかうのが戦争ではない,ゲリラ活動が役立つのは戦争に入るまでのこと,必要なのは民族の蜂起,国民決起であり,ゼネストはそれを目的にするのだと,血気にはやるアリを諌めた。政府軍はゼネストの解放戦線側の呼びかけに応じないように市中宣伝し,マチューはゲリラ活動阻止の「シャンパン作戦」を展開した。結局,国連総会はアルジェリア問題で結論をだせず,直接介入を避け,平和的,民主的解決を希望するとの纏め方にとどまった。アルジェリア国内では政府軍の攻勢が強まり,解放戦線の拠点がつぶされ,指導者の逮捕,投降,レジスタンス参加者の収容が続いた。ベン・シディは逮捕され獄中で自殺。ジャファルは投降,アリはカスバで爆死した。

 一旦は鎮圧されたかに見えたアルジェリアの独立運動であったが,二年後の1960年1二月再び,自然発生的に民衆の蜂起が起こった。蜂起はフランスの世論にも影響をあたえ,アルジェリアとの新しい関係を求める動きがフランス各地に生まれた。自由と独立を求める運動は昂揚し,1962年7月,独立国家アルジェリアが誕生した。第27回(1966年度)ベネチア映画祭金獅子賞。


鉄路の闘い(La Bataille du Rail) ルネ・クレマン監督,フランス,1945年

2018-01-10 21:58:08 | 映画


フランスの地方の駅でドイツ軍による輸送を妨害するために行われた国有鉄道従業員組合のレジスタンス綴った作品。レジスタンス国民会議とフランス国有鉄道の協力で製作された。

 1940年6月,パリ陥落。ドイツはフランスの3分の32を占領し,ペタン政権はドイツに降伏した。第三共和制の終焉であった。ド・ゴール派は降伏に反対し,徹底的な抵抗運動を展開した。

 ドイツに二分された両地域は鉄道で結びついていたが,国鉄は対独関係を維持しながら,独自の方法で抵抗した。闘争は四年間続き,軍隊さながらの組織力と大胆さを誇り,フランス解放に大きな役割を果たした。その経過が実際に抵抗運動に参加した名もない人たちの登場によって,力強いドキュメンタリー・タッチで描かれる。

 占領地区ではドイツの兵士が交通指令部を支配していたが,列車の運行管理は各駅が直接連絡をとりながら行われていた。ドイツは支配した鉄道で軍人,兵器を輸送していた。ドイツに向かう列車に対してレジスタンス組織は,列車を遅らせる,タンクから燃料をぬく,ブレーキのチューブに傷をつける,機械を狂わせる,磁器爆弾をしかける,といった抵抗をした。しかし,このような妨害行為がドイツ側によって発見された場合には,弁解の余地なく連行され,処刑された。映画にはこうしたレジスタンスに参加した人々の様子,光景が細かく描かれている。

 連合軍がノルマンジーに上陸すると,ドイツは兵器の輸送による西部戦線支援をアップルケーン(りんごの種)という名の輸送隊で実施する策に出る。レジスタンス側はルートになる鉄道線で一台の機関車を脱線させて抵抗。ドイツ側はクレーンを確保して車体を除去しようとしたが,レジスタンスはクレーンの鎖が切れるような仕掛けをした。より大きなクレーン車の調達が指示されるものの,この輸送列車の進行するレールを外して抵抗が続けられた。さらにレジスタンス側はこの列車をのっとり,無人列車として逆走させた。抵抗により輸送列車は,長期間立ち往生させられた。躍起になるドイツはレールを修理しながら進む策をとった。装甲列車を先頭につけ,そのあとに輸送列車が一列縦隊で続くのである。ノルマンジーの最前線への戦車輸送をこのやり方でくわだてた。ここでもレールが外され,レール修理中に線路脇に隠れていたレジスタンス側が列車を襲い,双方が激しく撃ち合う壮絶なシーンとなる。戦闘になる前に,隠れていたレジスタンスの兵士が暗闇のなかでホタルを手にする印象的なシーンが挟み込まれている。

 レジスタンスは戦車を積んだこの装甲列車を脱線させるべく,熟達の機関士を起用し,線路爆破とのタイミングをはかりながら,戦車を積んだ列車を脱線させることに成功。列車が脱線して行く光景に加え,兵士が休憩の時に使っていたとおぼしきアコーディオンが音を鳴らしながらころがり落ちて行くさまが,よく撮れている。

 全線いたるところでのこのようなレジスタンスは,フランス解放の大きな力なった。フランス万歳,レジスタンス万歳と歓呼の声をあげる人々をのせた線路整備の一番列車が進み,遠ざかって行くショットでこの映画は幕となる。

 ルネ・クレマン監督は,この最初の長編映画で第一回(1945年)カンヌ映画祭監督賞を受賞した。


影の軍隊 (L’armee des Ombres) ジャン・ピエール・メルヴィル監督,フランス,1969年

2018-01-09 21:14:04 | 映画


1942年,ドイツ占領下のフランスで実際にあったレジスタンスの闘士として生きた活動家の物語。パリ,ロンドン,マルセイユ,リヨンを舞台に,組織的連繋のなかで展開された地道な抵抗運動の様子が淡々と,しかし時として非情な形で綴られる。全編に重苦しい雰囲気が漂う,レジスタンスの闘士たちへのレクイエムである。二次世界大戦中に出版されたジョゼフ・ケッセルの小説の映画化。

 密告により対独抵抗運動でゲシュタポに捕まり,政治犯収容所に入れられた41歳の工学博士フィリップ・ギルバート(リノ・ヴァンチュラ)。用心深く,独立独歩,冷淡で皮肉屋の不屈の闘士と目されていた彼は,かつてドゴール派の疑いで逮捕されたが自白せず,証拠不充分で釈放された前歴を持つ。逮捕後,フィリップはスキを見て移送先のドイツ軍司令部から脱走。マルセイユに潜り,そこのレジスタンス・グループのもとに隠れた。仲間のフェリックス,ルピン,バッファローらと密告した裏切り者を組織防衛のために殺害。

 フェリックスはパリの活動家と連絡をとるためにジョニーをフィリップに紹介した。フィリップは,パリに潜入。彼はさらに,隠れ家の「タレント斡旋所」でドゴール派活動家に支援を求めてロンドンにとぶ計画を聞く。計画の手順は,ある農家にロンドン行きの面々が終結し,漁師の漁船を利用して潜水艦に乗りこみ,マルセイユを離れ,ロンドンに向かうというものであった。誘導,監視役としてジャンがついた。

パリではジャンとジョニーの妻マチルダ(シモーヌ・シニョレ)たちが抵抗活動を展開していた。ジョニーはジャンの兄であった。マチルダは,レジスタンスに参加していた女闘士であった。指揮と奉仕の両面ですぐれ,鉄の意志と実行力を持った女傑で,後にフィリップの右腕となって働く。ジャンはロンドン行き計画実行の前にパリに赴き,マチルダにラジオ・セットを届ける任務を遂行し,ことのついでに兄と再会。ジョニーは,レジスタンスのボスであったが,弟のジャンはこの時までそのことを知らなかった。マルセイユに戻ったジャンは「もう一人の男がロンドン行きに加わるので,舟で彼を潜水艦まで運んでくれ」と頼まれる。この男がジョニーであった。ジャンは兄がレジスタンスに参加していることを初めて知り驚く。

 ロンドンに渡ったフィリップは,ドゴール派のレジスタンス活動に合流した。思ったほどの成果はでなかった。映画ではフィリップらが「風とともに去りぬ」を見る場面,YMCA主催かと思われるダンス・パーティの場面が映し出されるが,このあたりは同じ戦時下といってもイギリスとフランスとでは相当に事情が異なっていたようである。フィリップがダンス・パーティの会場に行ったその日,リヨンで同志フェリックスがゲシュタポに逮捕されたとの情報を入手,直ちにフェリックス救出のためフランスに戻った。飛行機から落下傘での降下という手段がとられた。

 リヨンに来てゲシュタポの司令部の旧陸軍衛生学校で研究していたマチルダは,フェリックスがこの建物の特別独房にいることをつきとめた。さらに,効果的な作戦展開のために,独房にいるフェリックスに事前にこの計画の内容を連絡しておくことが重要であった。ジャンは自分がその捨て石になろうと判断し,フィリップらに作戦から降りるかのように装う。ジャンはそうすることで意図的にゲシュタポに逮捕され,フェリックスと同じ独房に放り込まれれば彼との連絡が可能になると判断したのであった。フィリップはマチルダとフェリックス救出作戦のうちあわせをした。この折,フィリップは偶然に,彼女が17歳の娘の写真を携帯していることを知った。「捨てるように」言うフィリップの指示に彼女は同意するが,実際にはその後も写真を身から離さなかった。そのことが,後に彼女の命取りとなった。 

 マチルダは看護婦に変装し,ドイツ軍の制服を着たルピン,バッファローとともにフェリックス救出作戦にでた。しかし,ドイツ側の軍医が拷問で衰弱しきったフェリックスのパリ護送を無理と診断し,この計画は頓挫。

 フィリップはその後,レストランで食事をしていたところを捕まり,刑務所で銃殺刑に処されそうになったが,マチルダの綿密な計算で逃亡に成功。しかし,今度はそのマチルダが捕まり,娘の写真を押収され,脅迫をうけ,結局,同志を売ることに手を貸してしまう。この事実を知ったジョニー,フィリップは,彼女を組織防衛上,殺さざるをえなくなった。1943年2月,バッファローは車中から,歩道を歩いていた彼女を撃った。悲劇的な結末であった。

 バッファロー,ルピン,ジョニー,フィリップのいずれの闘士もレジスタンス活動を続けるなか,ゲシュタポに捕まり,非業の死を遂げた。そのことが告げられ,映画は幕となる。戦時下,ドゴール派の抵抗活動の様子を,虚飾のない抑制されたスタイルで描いた佳品である。


幸福の設計(Antoine et Antoinette)ジャック・ベッケル監督,フランス,1947年

2018-01-08 20:04:34 | 映画
    

 フランスの貧しい若い共働き夫婦の喜びと悲しみを,宝くじの当り券をめぐる騒動を中心に,細やかなタッチで綴った心に残る作品である。原題は「アントワーヌとアントワネット」,登場する若い夫婦の名前である。

 アントワーヌ(ロジェ・ピゴ)とアントワネット(クレール・マフェ)は,共働きの若い夫婦。アントワーヌは印刷関係の仕事,アントワネットはデパートの写真部門で働いていた。二人はアパート暮らし。生活は決して楽ではなかったが,隣人たちとも上手に付き合って毎日を幸せに送っていた。映画の前半,フランスの人々の生活が丁寧に描かれている。仕事場からの帰り道での買い物,夕食のチーズを少し残して明日のサンドイッチに使おうというセリフ,碍子を使ってアンテナから線をひき旧式ラジオを利用しようとする工夫,等々。登場人物は個性的である。どちらかとうと胡散臭い人間を代表する工場長,商店主,デパートの上役。それに対して,若い二人とともにアパートに住む人たちはボクサー,夜警,音楽家,工場労働者,キップ売り場に勤める女性など貧しいが楽天的な人たちである。

 アントワネットは大変な美人,男に声をかけられることも多かった。アントワーヌはそれが心配でならない。とくに近所のお店の中年男ローラン(ノエル・ロックベル)は機会があればアントワネットに自分の店に働きに来ないかと誘い,いろいろ便宜をはかってやり,周囲の人たちの間でも噂になっていた。アントワーヌはそれがいたたまれなかった。この若い夫婦が買った宝くじが当った。八十万フランの賞金である。その日暮らし同然の生活をしていた二人のものになるはずの金,ストーリーはこのことをめぐって展開される。

 胡散臭い中年男のローランは,アントワネットに熱をあげていた。彼女がフルーシュ駅のキップ売り場の窓口で働く隣人ジュリエットに頼まれたネギをお店に買いに行くと,たくさんの良いネギをサーディンのおまけまでつけて渡してくれた。自転車を車にひっかけられてタイヤを壊されたアントワーヌがアントワネットの夫と知ると,修理を引き受けただけでなく,代替の自転車を用意するほどの親切さ。結局,新しいタイヤを調達し,若い夫婦の家に届けた。このとき彼は花束を彼女のもとに届けたのだが,処置に困ったアントワネットは隣人のユゲットにあげてしまった。怒ったのはユゲットの夫,花束のプレゼントの主を夫に追求され,彼女はアントワネットにそれを返しに来たが,そこにアントワーヌがいたため,小さな諍いが怒った。

 映画の後半。アントワネットがガスコンロに点火しようと妻のバッグからマッチをとりだそうとしたさい,「宝くじの券」出てきた。番号を調べると何とこれが大当たり。二人は一時,幸せな気持ちに包まれた。アントワネットは欲しいものである,部屋,バイク,コート,上着,カバンを口紅で鏡にかく。アントワーヌは当り券を「三つ葉のエース」という本に挟んで床につく。「三つ葉のエース」はアントワネットがデパート近くのいきつけの店のおばさんから借りた本で,既にこの本を借りた時点で別のはずれの宝くじ券が一枚挟み込まれていた。したがって,アントワーヌが当り券をこの本に挟んだときに,この本には「当り」と「はずれ」の二枚の宝くじ券が納まっていたのである。後の騒動は,ここから始まる。

 翌日,アントワーヌは賞金引換所に出掛けるため,妻を送り出し,出ようとしているところにジュリエットが本を借りに来た。彼女は「三つ葉のエース」を借りようとしたので,アントワーヌは券をぬきとり(実は「はずれ券」),財布にしまい,本だけを彼女に手渡した(この本には「当り券」一枚が入っている)。アントワーヌは駅の窓口で財布をおとしてしまったことを交換所で気づいたが,財布は他人に拾われ,宝くじの大当たりは夢物語になってしまった。この財布はいきつけのカフェで新婚の夫に拾われ,最終的に運良くカフェによったアントワーヌに戻ったのだが,財布のなかの券は当り券ではない別の券が入っていた。

 カフェから帰宅したアントワーヌは,そこでローランがまた妻にいいよっているのを見て逆上し,殴り合いの大喧嘩になる。若いアントワーヌと中年男ローランのこの殴り合いのシーンは凄まじい。ローランは退散し,アントワーヌは頭をうって気絶する。意識が朦朧とするなかアントワーヌは,心配そうに駆けつけたジャネットが「三つ葉のエース」を持っているのを認めた。その本には,間違いなく当り券が入っているはずであった。当り券は出てきた。ハッピー・エンド。

 全編がテンポの好い,楽しい映画である。本を貸し借りするデパートの近くのお店,近所の隣人との交流,買い物の場面,欲しいものを口紅で鏡に描くシーン,宝くじをなくして気落ちするアントワーヌ,換金所でのピアノの調律,どの場面にも工夫がほどこされ,暖かみが感じられる。次々と数字が出てくるのも,この映画のひとつの特徴である。製本の数,バイクの排気量,宝くじの番号(139800),ノックアウトのカウント等々。第2回(1947年)カンヌ映画祭グランプリ。


「ちきゅうラジオ」(NHK)5時5分~7時50分

2018-01-07 18:05:58 | テレビ・ラジオ番組
   

 「ちきゅうラジオ」(NHK)は毎週日曜日5時5分~7時50分まで放送されているラジオ番組です。時々、聴いています。この番組が面白いのは、世界中すみずみの生きた情報が紹介されるからです。司会の柿沼アナウンサーと柴原紅さんの番組の進め方も魅力です。

 世界中の情報と言うのは広範で、現地に住んでいる方からの生活の様子や子供たちの作文、世界旅行中の方からの現地報告、いろいろな民族音楽、日本に留学している学生のスタジオでのトーク、各国の料理の作り方などなどです。

 今日はジンバブエの親指ピアノ「ムビラ」の生演奏がありました。昨日は、バヌアツの海のなかにあるポストの紹介がありました。

 新年は、「行ってみたい国」のテーマで視聴者からの声を募っていました。

自転車泥棒 (Ladri di Biciclette)ヴィットリオ・デ・シーカ監督,イタリア,1950年

2018-01-06 18:00:27 | 映画
     

戦後のイタリア。生活苦に喘ぎながらも懸命に生きる家族,その中心にいる父と子を描いたイタリア・ネオ・レアリスモの代表的作品。登場人物は俳優ではなく,素人ばかり,主演の父親役をこなしたランベルト・マッジョラーニは無名の機械工であった。困窮のなかに生きる庶民の生活と感情とがリアルに,真摯に映し出されて,必見の映画である。

 アントニオは二年の失業の後,漸く仕事にありついた。職業安定所の紹介でえた市役所のビラ貼りの仕事であった。月給として固定給と特別手当,家族手当を受け取れるはずであった。家には妻のマリア(リアネッラ・カレーリ)と息子のブルーノ(エンツォ・スタヨーラ),生まれたばかりの赤ん坊がひもじい思いで待っていた。

 ビラ貼りの仕事は,自転車が要る。しかし,アントニオは自分の自転車を以前に質入れしていた。妻のマリアは窮余の策でシーツを代わりに質入れし,自転車を請け出した。翌朝,父親アントニオは子どものブルーノを連れて,ビラ貼りにでた。ところが,仕事中に大切な自転車を若者風の男に盗まれてしまう。夢中で後を追ったが,盗人を見失なった。警察に盗難届けを出すが,相手にされず,自分で捜すハメになった。

 翌朝,父親は古自転車市に捜しに行くが見つからない。自転車は分解されて売られている可能性があるので,父と子は,あちこちの部品売りを捜した。突然のにわか雨。父子で雨宿りをしていると,昨日の泥棒らしき男が自転車に乗ってふたりの前を通りすぎ,老人とひとことふたこと言葉をかわし,立ち去った。懸命に彼を追うが,男は雑踏のなかに消えてしまった。父親は老人を捕まえ,男の居場所を問い質したが,「ほっといてくれ,わたしは関係ない」と取り合わない。

 父親は苛々し,側にいた子どもを殴りつけてしまった。八つ当りである。ここまで一生懸命に,一緒に自転車を捜してきたブルーノは「なぜぶったの,ママに言いつけてやる」と理不尽な父親に無言の抵抗。父親は,一人とぼとぼとテベレ川の河岸にでた。突然,河に身をなげた者があるとの声。アントニオは自分の息子ではないかと慌てたが,幸い別人であった。アントニオがほっと一息ついていると,心細そうにこちらを見ているブルーノがいた。二人は気を取り直してカフェで一緒にチーズパイを食べ,ワインを飲んだ。

 父と子は女占い師のところに立ちより占いをしてもらった。自転車はすぐに見つからなければ,永久に出てこないとの占い結果に落胆。そこに,先ほどの若い男がまた自転車にのって通りすぎていった。父親は再び追い,若者を捕まえたが,仲間たちに逆に取り囲まれ「人違いだろ,証拠があるのか」の押し問答となってしまった。子どもは警官を呼んできた。結局,盗品の自転車は出てこず,埒があかなかった。

 父と子は道端に座りこみ,途方にくれていた。サッカー場まで来ると,そこには何千台もの自転車がならんでいた。アントニオは息子ブルーノに家に帰るようにうながすと,近くにあった自転車の一台を盗み逃げ出した。しかし,大勢の人達に追いかけられて捕まり,袋だたきにあった。帰宅しようとしていたブルーノが騒ぎの場に戻ると,父親は群衆の中で小突き回されていた。息子は,父にしがみつき,泣いた。自転車の持ち主はブルーノの姿のいじらしさに,警察沙汰にするのを見逃してくれた。「息子に感謝するがいい」の声を残して人々は立ち去り,傷ついた父子はそこに取り残された。後悔と失意でアントニオは声もなかった。


ブルックリン横丁(A Tree Grows in Brooklyn)エリア・カザン監督、アメリカ、1945年

2018-01-05 19:55:49 | 映画



 20世紀初頭、ニューヨークの下町、ブルックリンに住むアイルランド系移民の貧し一家の生活と哀歓を描いた作品。ベティ・スミスの長編小説『ブルックリンに一本の木は育つ』(この映画の原題でもある)の映画化である。ノーラン家とその周辺の人たちとのなかに生まれたドラマを娘のフランシーの目で描いている。

 ノーラン家は、両親と姉妹の四人家族。決して大きくはない部屋に家族が肩をよせて暮らしていた。父のジョニー(ジェームス・ダン)、歌う給仕で人が良く、家庭でもいい父親であったが、酒飲みで、生活力にかけ、その日暮らしの給料取り。客からのチップが彼の大切な収入源といった生活をしていた。母のケイティ(ドロシー・マクガイア)はいい母親だが、生活のやりくりに疲れ気味で、余裕のない行動と表情で日々立ち働いていた。姉弟の名はフランシー(ペギー・アン・ガーナー)とニーリィ(テッド・ドナルドスン)、二人とも学校に通っていた。姉はしっかりもので勉強が読書も大好き、弟はその反対でわんぱくざかり。二人は、大変に仲がよかった。そして、くず拾いで生活を助けていた。叔母の結婚、フランシーの転校、クリスマス、父の死、妹の誕生、母と巡査との愛、このような出来事をとおして家族の愛と生活が綴られていく。

 叔母のシシイは、お調子もの。離婚を繰り返し三度目の結婚。そのような彼女に対して世間の風評は絶えなかった。ケイティは彼女をジョニーと同じような「人をまるめこむ天才」と煙たがった。挙句の果ては、子どもに悪い影響を与えると彼女を家から遠ざけようとした。子どもの服を買うのもままならないほどに苦しい生活をきりもりしているケイティには、お調子もののシシイが目障りでならなかったのだ。心がだんだん石になるほどに、ケイティは生活に疲れていた。

 フランシーとニーリィが通う学校は、知識を教えることだけに熱心で、子どもたちの心を育てようという観点がなかった。フランシーは、何となくそのことを感じて、学校がつまらなかった。ある日、彼女は父と散歩に出て、別の校区の学校に移りたいと父に話す。ケイティは反対したが、優しいジョニーはそれぐらいしかしてやれることはないといろいろな苦労の末、フランシーを転校させた。この新しい学校での彼女のマクドノー先生との出会いが、彼女の心を大きく成長させ、作家になりたいという希望を彼女にもたせた。クリスマスの日、フランシーは小さな嘘をついた。弟にパイをもちかってやりたかったのだが、そのことを先生に言い出せず、飢え死に寸前の不幸な子どもにあげたいのでパイが欲しいと嘘をついたのだ。彼女は即座に謝るが、先生はそのことが分かっていて、「想像力は自由な心が持つ貴重な宝。でも、使い方次第で危険にもなる。物語や音楽は想像力から生まれるの。真実を語るための嘘は、嘘でも物語になるの。実際に知っている現実に想像力を加えるの、ただの夢だけでは物語とはいえない、あなたにはその想像力がある」と言って逆に彼女を励ました。以来、フランシーは、本当に作家になろうと努力を始め、勉強にも身を入れるようになった。

 生活が厳しくなるなか、ケイティは新しい生命を感じた。妊娠だった。彼女は、心配の種がまた増えたといった様子で、率直に喜べず、ジョニーにもすぐ言いだせなかった。クリスマス・イブ、シシイ叔母さん夫妻を招いたささやかなパーティが終了したあと、ケイティはジョニーに妊娠を告げた。ジョニーは大喜び。だが、ケイティは生活を維持するためにはフランシーに学校をやめてもらわなければならないと思った。「もっと働くから」と言うジョニーに彼女は、「あてにならない」と突っぱねた。雪の降るなか、ジョニーは仕事を捜しに出掛けたが、そのまま行方が知れなくなった。後日、巡査が悲しい知らせを持って来た。ジョニーは職業安定所の前で、工夫の仕事を得るため長い間、順番を待っていて、肺病で倒れたのだった。卒業式の日、フランシーに父ジョニーからの花束とカードが届いた。彼が生前、手配していたのであった。妹が生まれた。名前はジョニーが好きだったアニーローリー。この約半年後、ケイティはマック巡査と結婚を前提とした、付き合いを約束した。巡査は以前から彼女に惹かれ、いろいろ世話をしていたが、フランシーもニーリィもこの約束を快く受け入れた。新しい出発の予感があってエンディング。   

 家族愛、とくに父と娘の愛情がすばらしい。ジョニーは生活力という面では全く頼りない人間であるが、彼のまわりでは笑いや歌がたえない。彼の人間的魅力を一番よく理解しているのは、フランシーである。転居先の屋根裏部屋におかれたピアノでジョニーがひきながら歌うスコットランド民謡は「アニーローリー」。娘が転校したいと言えば、苦心惨憺してそれを実現させてやるジョニー。妹が生まれることになって仕事を捜すうち職業安定所の前で倒れ、そのまま肺炎で帰らぬ人となったが、埋葬に集まって別れを哀しむ人の多さ。そのような父のことを忘れられずにフランシーは学校で作文に書き、次女の出産を前にベッドに横たわる母ケイティの前で読む、「父には人を笑わせ、愛される才があった。一緒に歩くと誇らしい気分になった。その才能を惜しみなく人に与えた、王のように」と。窓から見える木が切られて、「木が殺された」と言う娘にかつてジョニーは諭した。「木は殺せない。木は死なない。誰が植えたわけでもないのにセメントを破って生まれた。そんな力は誰にもおさえられない」と。最後の場面、フランシーとニーリィは、ジョニーの言ったとおり、しっかり大きく成長している木を感慨深げに眺めるのであった。


フィル・アルデン・ロビンソン監督「フィールド・オブ・ドリームス」(アメリカ、107分、1989年)

2018-01-04 20:44:25 | 映画
         


 アメリカのスポーツと言えばベースボール。熱狂的ファンは多く、リーグの規模も大きい。映画にもベースボールを扱ったものが少なからずあります。

 ある春の夕暮れ、アイオワ州の農家で働いていたレイ・キンセラ(ケヴィン・コスナー)は、突然、幻の声を聞きます。それは「それを建てれば彼がくる」というもの。その声を聞いた彼はは、畑をつぶして野球場をつくることを決心します。妻のアニー(エイミー・マディガン)は、夫の決心を支持しますが、町の人々の反応は冷やかでした。

 1年が過ぎたある日、娘のカリン(ギャビィー・ホフマン)は、野球場に1919年のワールド・シリーズのおりに八百長試合のかどで球界を追放されたシューレス・ジョー(レイ・リオッタ)が居るのを見ます。その日を境に、シューレス・ジョーとともに球界を追放されたシカゴ・ホワイトソックスの8人のメンバーが次々と姿を現わします。その時レイは「彼の苦痛を癒せ」という幻の声を聞きます。

 彼は1960年代の作家テレンス・マン(ジェームズ・アール・ジョーンズ)を訪ねてシカゴヘ向かいます。そしてフェンウェイ・パークで野球を観戦中、レイとマンは電光掲示板に映ったメッセージを読みとり、今度はムーンライト・グラハムという野球選手を探すことになります。

 2人はミネソタ州チゾムに彼を訪ねるが、すでにグラハムは亡くなっていました。その夜、レイは60年代のムーンライト・グラハム(バート・ランカスター)と出会います。

 その頃アイオワでは、レイの野球場が人手に渡る危機にありました。アニーからそれを聞いたレイは、マンとともに帰途につきますが、道中ひとりの若き野球選手(フランク・ウェイリー)を車に乗せます。実は彼こそが若き日のグラハム、その人でした。

 アイオワに戻ったレイは、野球場売却を勧めるアニーの兄マーク(ティモシー・バスフィールド)と口論になりますが、その最中カリンがケガをします。カリンを助けたのが、ドク“ムーンライト”グラハムでした。その時初めて、マークにもこの土地の持つ夢の大きさを知り、売却の計画を撤回します。

 夢は、限りない未来への希望で包まれてゆきます。


フランク・ダラボン監督「ショーシャンクの空に」(143分、アメリカ、1994年)

2018-01-03 22:09:57 | 映画
           

 ジャンルで言えば「監獄もの」です。

 妻殺しの容疑にかえられ、殺人はおかしていないのに、状況証拠的符号がかさなって監獄送りになったアンディ・デュフレーン(ティム・ロビンス)。彼は銀行の若き副頭取でした。監獄では過酷な労働をしいられ、理不尽な暴力にあいますが、、“調達係 ”のレッド(モーガン・フリーマン)という同僚と気心がつうじ、唯一の人間らしい話ができるようになります。アンディは屋根の修理作業に駆り出された時、監視役のハドレー刑務主任(クランシー・ブラウン)が死んだ弟の遺産相続問題で愚痴をこぼしているのを聞き、解決策を助言します。彼は作業中の仲間たちへのビールの報酬を交換条件に、必要な書類作成を申し出ます。取り引きは成立して囚人たちはビールにありつき、彼らはアンディに一目置くようになります。

 アンディは不屈の粘り強さと才覚をもっていて、監獄の図書館を充実化を企画します。ノートン所長(ボブ・ガントン)はアンディを図書係に回すが、これは看守たちの資産運用や税金対策の書類作成をやらせるためでした。一方、図書室の設備は見違えるように充実します。

 所長は囚人たちの野外奉仕計画を利用して、地元の土建業者たちからワイロを手に入れ、アンディにその金を“洗濯”させていました。あるとき、ケチなコソ泥で入所したトミー(ギル・ベロウズ)が、以前いた刑務所で同じ房にいた男が「アンディの妻と浮気相手を殺した真犯人は俺だ」と話したと言うことを打ち明けます。

 アンディは無罪証明のきっかけをえたと色めきたち、再審請求をしますが、所長は彼の要求を無視します。所長はアンディが釈放されると、今まで彼にやらせてきた不正の事実が明らかになるのを恐れていたのです。アンディは懲罰房に入れられ、トミーはハドレーに殺されます。

 その後のある定期検査の日。アンディの房はもぬけの空になっていました。マリリン・モンローからラクエル・ウェルチへ代替わりしていた壁のポスターを剥がすと、その壁には深い穴が開いていました。アンディはハンマーで19年間かかって穴を堀り、嵐の晩に脱獄に成功したのです。

 アンディは所長たちの不正の事実を明るみにさらし、ハドレーは逮捕され、観念した所長は自殺します。やがてレッドも仮釈放になりますが、外の生活になかなか順応できません。彼は意を決して今はメキシコで成功している彼の元を訪ねるのでした。

スーパームーン

2018-01-02 17:58:12 | その他
 昨晩から今日にかけて、スーパームーンを見ることができました。快晴に恵まれました。いまも見えます。

 寒空にカーンと大きく光っています。正月から縁起がいいですね。

     

月は地球の周りを最短約35万6500㎞楕円軌道で回っています。今日は月の中心と地球の中心の距離が、2018年では最も近い35万6572㎞。最も遠い時と比べて5万㎞ほど近く、「最小」の満月より直径で約14%、面積で約30%大きく見えます。