イリーナ・メジューエワ ベートーヴェン・ソナタ全曲演奏 第8回(最終回)
イリーナさんのベートーヴェン・ソナタ全曲演奏の最終回です(第1回目は2008年1月)。
わたしはイリーナさんのおかげでベートーヴェンのピアノ・ソナタを1年半ほどかけて全曲、生演奏で聴いたことになります。
30番、31番、32番が締めくくりで、これらの曲は1819年から1822年にかけて書かれました。ベートーヴェン50歳台前半で、このころ≪交響曲9番≫≪ミサ・ソレニムス≫の作曲を並行して進めていました。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲については、これをベートーヴェンの「新約聖書」とも言う人がいます。ひとつひとつの曲が実験的であり、個性的です。演奏者にとってはこれらをある期間に全曲演奏するというのは、かなりの精神的強靭さがもとめられるようです。曲の解釈、技法の進化が常に問われるからであり、プロの演奏家である以上、ただ弾けばいいというわけにはいきません。イリーナさんは、ベートーヴェンとの格闘をこなしました。それも優れた演奏で・・・・。
「ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調」では、第一楽章はヴィバーチェからアダージョに変わっていき、第二楽章では激しく速いテンポが特徴的です。第三楽章では、シンプルで美しい主題が変奏曲でつながっていきます。
「ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調」ではフーガが使われています。第一楽章では清らかな抒情性をたたえた美しいメロディです。第二楽章は個性的な味わいを示します。第三楽章はアダージョから始まり、テンポが頻繁に変わるレスタティーボおあとに「嘆きの歌」と記されたアリオーソ・ドレンテの部分が続き、そのあと堂々たるフーガが開始されます。
「ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調」の第一楽章は強いテンションと精神の輝かしい高揚をたたえています。第二楽章は「アリエッタ」と記された主題とそれにもとづく5つの変奏曲からなっています。
◆ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 op.109
Piano Sonata No.30 in E mejor, op.109
Ⅰ Vivace ma non troppo/ Adajio espressivo
Ⅱ Prestissimo
Ⅲ Gesangvoll, mit innigster Empfindung
◆ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 op.110
Piano Sonata No.31 in A-flat mejor, op.110
Ⅰ Moderato cantabile molto espressivo
Ⅱ Allegro molto
Ⅲ Adajio ma non troppo/ Fuga. Allegro ma non troppo
◆ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 op.111
Piano Sonata No.32 in C minor, op.111
Ⅰ Maestoso/Allegro con brio ed appasionato
Ⅱ Areitta. Adajio molto, semplice e cantabile
ロシア料理のお店 СУНГАРИ(スンガリー)
新宿区西新宿1-7-2 スバルビルB1 03-3343-5047
新宿の東口側と西口側に"СУНГАРИ"はあります。今回は西口側を紹介します。
お店に入るとすぐに雰囲気がロシアです。ロシアの写真がいっぱい壁にはってあり、ロシア民謡が流れています。モスクワ・オリンピックの当時のポスターまで貼ってあります。
注文するとしたら、初心者はコースがよいでしょう。マリノーブナヤ・ケタというロシア式フレッシュサーモンマリネのブリヌイクレープ包み、スープはボルシチ、そしてメインにシャシリクです。
マリノーブナヤ・ケタというのは、クレープにサーモンと玉ねぎ、ピクルス、香味野菜などを包みこんだもので、想像以上に食材のハーモニーがあり、おいしいです。ボルシチは熱々で出てきます。この料理は、ロシア文化の粋ですね。ビーツが綺麗で、肉は極上の柔らかさ。キャベツがしんなりスープに溶け込んでいます。
シャシリクは有名ですね。柔らかい子羊肉の強火串焼きです。串に刺したまま持ってくる店もありますが、ここは抜いてありますので食べやすいです。
最後はロシア・ティーです。バラ、グリオット、木イチゴのジャムが民芸品のような器に入っていて、これを少しづつ紅茶と混ぜて飲みます。
ロシア料理を堪能できます。ストリーチナヤ、ストローバヤなどのウォッカも賞味したいところです。
「てしごとや」 西池袋1-33-5 岩田ビル1F・2F 03-3985-7182
木曜の夜に、大学時代の友人と池袋で久しぶりに逢いました。場所は「てしごとや」という居酒屋です。以前はよく通った店ですが、最近はトンとご無沙汰でした。北口を出て、西一番街通りの右手。猥雑な街、このあたりの池袋とは思えないいい感じのお店です。
「てしごとや」で落ち着くには、小さな潜り戸を身をかがめて入らなければなりません。これをすり抜けると、居酒屋らしい空間が目の前に広がります。うす暗く雰囲気は大人っぽい隠れ家的。予約を入れておいたので、4人用の半個室の座席に通されました。
さかなを中心にしたメニューがおいしいこと。一品一品が微妙に他の御店のそれと違います。豊かな味覚が全身に伝わります。さすがは「てしごとや」。ひと手間かけていることを実感します。
お刺身、ハラス、金目鯛のかぶとの煮込み、蛤の酒蒸し、白子のポンス、などを注文しました。
御酒はビールのあと、焼酎で決めました。
ひさしぶりに3人で会ったということもあり、話のほうが弾み(仕事の話、亡くなった共通の友人のことなど)、お酒が多めになりました。
週刊誌というメディアがピンチです。売り上げの減少、休刊、廃刊に追い込まれています。著者は、このまま雑誌というメディアは消滅していいの? と疑問を発しています。
確かに雑誌記事に「勇み足」は多く、品の悪い記事があとを絶たないのですが、雑誌の存亡を左右する背景に権力の側の企みがあると言います。
その根拠はあげれば多くあるのでしょうが、たとえば現行裁判では名誉棄損でメディアが訴えられた場合には、メディアの側で事実の立証をしなければならないことになっているとか(p.214)、慰謝料が桁外れに高額になっていることとか、です。この危機意識が、かつて週刊現代の編集をつとめた経験のある著者の問題意識です。
それでは、雑誌のレーゾンデートルとは、著者によってどのように押さえられているのでしょうか? 著者は端的にそれは「スキャンダルで権力者の首を取ること」(p.129)だと言いいます。この観点からかつて雑誌記事は確かに成果をあげました。72年3月の「沖縄密約事件」での毎日新聞・西山記者と女性の関係の暴露、73年ごろの青山学院大学教授の教え子暴行事件のスクープ、89年の時の首相であった宇野首相の愛人スキャンダル、オウム事件での麻原被告の『自白調書』の全文公開(警察・検察は調書は存在しないと隠していた)などなど。
テレビでも新聞でもできないことをする、体制内化したメディア世界の異端児ではあるが、真実を暴く役割が、雑誌規制というファシズムのなかで損ねられてはならないというわけです。
知らない業界の知らない話がたくさん書かれていて面白く読めました(雑誌にも新聞社系統[週刊朝日、週刊読売など]と、出版社系統[週刊文春、週刊新潮など]があるということなど)。
![密使](https://www.mirabooks.jp/books/images/book76.jpg)
ストーリー展開は以下のとおり。いかにもアメリカの作家がとりあげそうな題材です。
ノースカロライナ州シャーロットで次々と起きた連続殺人事件。
被害者は女性を虐待した男性ばかりです。女性警察官のメラニー(ミア)」は、一連の事件が同一の犯人だと推測します。
三つ子の姉妹の彼女自身、幼いころに父親に虐待された経験をもっていました。弁護士の夫と離婚した彼女はシングルマザーであり、小さな警察組織で任務を果たしながら、しかし夢は大きな事件捜査に関わり、大きな警察組織で働くことでした。
身近に起こった一連の事件は、一体誰の仕業なのか? 神を気取った見えない犯人を「暗闇の天使」と呼んで、彼女は相棒のボビー、FBIの心理分析官パークスの協力を得て、捜査に邁進します。
三つ子の姉妹であるミア、アシュリー、地方検事補のヴェロニカがこれに絡み、事件解決の方向は錯綜します。
最後の結末は、意外な展開です。メラニー自身が元夫のスタンが未遂に終わった殺人に遭遇したことで疑われ、犯人である「暗闇の天使」が誰かは二転、三転。誰が犯人かは、ここでは秘密です。
テンポのよい物語の運び、登場人物の性格造形の明確さー愉しめるサスペンスです。
![](https://ec2.images-amazon.com/images/I/51M2b9YpidL._SS500_.jpg)
それほど厚い本ではありませんが、内容が豊富です。
第一章では井上ひさしさんと井上ユリさんの対談、第四章では小森陽一さんと井上ユリさんの対談。第二章ではノンフィクション作家の吉岡忍さんが、第三章ではTBSの金平茂紀さんが想いでを書いています。
この本を読むと万里さんがどれだけ奇想天外な発想の持ち主であり、ロシア語同時通訳者としての能力が高かったか、作家としての資質も十分で、もっともっと多くの作品を残せたはずの人だったかがわかります。
「国家と国家、文化と文化、異なる言語と言語の間、異なる時代と時代の間を境界線を侵しながら行き来する[小森さんの「あとがき」]」(p.178)万里さんは、「記憶の人」「工夫の人」「発明の人」「核心をつかむ人」でした。
万里さん、ユリさん、小森さんは幼少の頃、プラハで学んでいたこともあり、そこでの教育と日本のそれとの大きな違い、など興味深い話がたくさん盛り込まれていました。
京都散歩(23) 神護寺
神護寺は、京都市街の北西、愛宕山(924メートル)山系の高雄山の中腹にあります。紅葉の名所として知られています。
清滝川に架かる高雄橋から長い参道を歩くと、その先の山中に金堂、多宝塔、大師堂などの堂宇が建っています。しかし、今回は、レンタカーで行きましたので、お寺のすぐ側の駐車場からスタートしました。しかし、ここからが、それなりに大変です。階段がずっと続きます。空気が涼しく、気持ちがよかったので、あまり疲れませんでしたが、盛夏で日差しが強かったらバテてしまうかもしれませんね。
神護寺は空海が東寺や高野山の経営に当たる前に一時住した寺です。最澄もここで法華経にの講義をしたことがあると、ものの本にありました。
寺号は正確には「神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)」と言うのだそうです。しかし、寺の史料である「神護寺略記」や国宝「文覚上人四十五箇条起請文」などには「神護寺」とあり、寺の入口の楼門に架かる板札には「神護寺」と書かれています。
・楼門-急な石段を上りつめた先に建つ正門。元和9年(1623年)建立。
・金堂-楼門を入って境内奥にある。本瓦葺きの本格的な密教仏堂。
・毘沙門堂-金堂へと上る石段の下に建つ。元和9年(1623年)建築。内部の厨子に平安時代の毘沙門天立像(重文)を安置。
・五大堂-毘沙門堂の背後に建つ。元和9年(1623年)の建築。
・鐘楼-元和9年(1623年)再建。楼造の鐘楼。楼上に国宝の梵鐘。
・大師堂(重文)-毘沙門堂、五大堂のさらに奥にある入母屋造、杮葺きの住宅風仏堂。空海の住房であった「納涼房」を復興したもの。
・多宝塔-金堂からさらに石段を上った高みに建つ。内部に国宝の五大虚空蔵菩薩像を安置。
★境内の奥では、「かわら投げ」をすることができます。これで厄を払うのです。瓦は一枚100円。数枚、思い切って投げました。
京都散歩(22) 国宝「青不動明王」御開帳(青蓮院)
青蓮院(天台宗)の国宝「青不動明王」が御開帳されました。1144年の創建以来初めてという触れ込みです。青不動は日本三大不動画のひとつです。
この青不動は、国の安泰、安寧を祈願することが目的とされています。絵仏師によって精魂込めて描かれました。絹本の2メートル四方の大画像には、当初は朝廷の御祭にさいして皇室の人々によって信仰され、天台宗の高僧が祈祷してきたといわれています。その後、平安時代末に、皇室と縁の深かった青連院に下賜されました。
青不動は憤怒の相で盤石の石に坐しています。文字通り不動の姿です。
右手にもつ三鈷剣は魔を退散させ、同時に人々の煩悩を立ち切る象徴です。剣に巻きつく俱利迦羅龍は、不動明王の変化身で竜王の一種です。
左手の羂索は煩悩を抜け出せない人々を救う縄。右目は天を、左目は地を睨み(天地眼)、牙は上下に伸び、左右非対称です。
以上の不動明王の特徴は、9世紀に天台宗の安然によって著された「不動明王の十九観」によっているそうです。
いささか蘊蓄をかたりすぎました。この日は、夜の青蓮院を訪れました(11月上旬)。ライトアップされたお寺には庭園が浮かび上がり、昼間くればまた違った姿を見せてくれるのでしょう。わずかながら紅葉も見ることができ、秋が深まればさぞいい景観となるのでしょう。想像力で補いました。
![軍師の境遇 軍師の境遇](https://www.bunkoudo.com/shop/catalog/images/products/c51019/22087.jpg)
清張の時代小説です。
過日、読了した中島誠著『松本清張の時代小説』のなかには出てこなかった「軍師の境遇」「逃亡者」「板元画譜」が入っています。
「軍師の境遇(原題は「黒田如水)」は黒田官兵衛孝高の話。藩州御着の城主小寺政職の家老で、毛利につくか、織田につくかで、優柔不断な政職に織田側につくように進言した策謀家です。秀吉の天下取りに大きな功績がありましたが、余りに卓越した才能があったがゆえに不運の境遇に追い込まれました。
「板元画譜」。時代は江戸。蔦谷重三郎、山東京伝、写楽、歌麿、豊国のいろいろな絡みが面白おかしく書かれた佳作です。
![証明 (文春文庫)](https://ecx.images-amazon.com/images/I/414AU3TgSOL._SX230_.jpg)
「証明」(オール読物、1969年)、「新開地の事件」(オール読物、1969年)、「蜜宗律仙教」(オール読物、1970年)、「留守宅の事件」(小説現代、1971年)の短編集です。
小説の仕立て方が、それぞれ違います。パターンをたくさんもっている作家だったなとつくづく思いました。
しかし、「証明」はややあっけない展開です。登場する雑誌記者の高山久美子(うだつのあがらないしがない小説家が夫)は、もう少ししっかりして女性だと単純に思い込んで読んでいましたが、最後に簡単に自殺してしてしまうのです。
「新開地の事件」は、おぞましい事件です。母と娘と娘婿が性の確執をつうじて、新開地という新しい土地環境の変化のなかで潜伏し、展開し、破綻します。
「密宗律仙教」は、尾山定海が創立した新興宗教の話です。よくこのような小説を書ける知識をもっていたものだと、感心させられます。
「留守宅の事件」は清張の面目躍如といったところ。保険金目当ての妻の殺人ですが、時間のトリックを使っています。
平成20年間の経済を回顧し,この間に一気に疲弊していった日本社会のプロセス,その仕立て人を究明した快著です。
著者はまず,この20年間が「改革」の連続,オンパレードであったと指摘しています。細川改革,橋本改革,小泉改革,なかでも橋本改革はきわめて多岐にわたる「6大改革」でした。「行政改革」「財政構造改革」「金融システム改革」「経済構造改革」「社会保障改革」「教育改革」と言った具合です(p.85)。
「改革」はこの間オンパレードでしたが,少しでも国民生活の向上に寄与したものはあったのでしょうか。「否」,それどころか国民生活を危殆に瀕せしめた,といのが著者の結論です。政策の過ちということもあるでしょうが,結局,アメリカの言いなりである為政者,財務省,日銀のご都合主義がその原因です。
効果的宣伝がその背景にありました。たとえば「財政の赤字」。著者によれば「債務残高」と「(財政)赤字」は意味が違うのです。しかし,前者を後者だと強弁して,必要以上に財政構造の悪化を宣伝したのはその好例です。
また,年金財政逼迫をことさらに強調し,争点をずらしたのもその例にあげてよいと言っています。「年金財政はパンク寸前」とか「日本の医療費は高い」も含め,総じてマスコミによって喧伝される危機意識の扇動には注意したほうがよいようです。
年金財政は実は黒字[p.324-]らしいし,日本の国民一人当たり医療費の対GDP比はOECD諸国加盟国30カ国のうち21位だそうです(p.338)。
結局,年金問題で矢面にたって批判されたのは厚生労働省でしたが、背後で動いていたのは,実は財務省,主犯は財務省でした(p.319)。
対外的要因もあります。聞こえのよいグローバルスタンダードがアメリカスタンダードに他ならないことは,ようやく多くの人が理解できるようになってきたようですが,とみに強まっているのがアメリカをはじめとする外資の圧力です。
「改革」がアメリカの対日要請の焼き直しであることも事実のようです。国民生活がなおざりにされたのは,為政者も政府もそこに関心がないからであり,政策,「改革」の目的が景気回復ではなく,グローバルスタンダードの遵守,財政改革に重きがおかれたからです。
一体何のためのBIS規制であり(p.149-),時価会計制度の導入だったのか(p.397-)? 本書は,アメリカと財務省が主導する「改革」をやめれば,国民生活も日本経済もよくなる,という一文で締めくくられています(p.403)。
![クリックすると拡大画像が見られます](https://bookweb.kinokuniya.co.jp/imgdata/4098230011.jpg)
今年,その展覧会で人気を博した阿修羅像のある興福寺。その魅力を伝える新書です。
ひとことで言えば,「興福寺は藤原氏の氏寺として奈良時代以来各時代にわたって栄え,1998年(平成10),ユネスコの世界遺産に『古都奈良の文化財』のひとつとして登録された,法相宗大本山である」(p.16)とのこと。
法相宗はインドの学僧無着が弥勒から授かった教えを体系づけ,弟の世親が『唯識三十頌』に纏めたのを玄奘三蔵が中国に伝え,さらにその弟子の慈恩大師基によって大成されたとか(p.18)。
それはともかく,興福寺は仏教美術の宝庫であり,国宝館にそれらは納められています。八部衆立像,十大弟子立像はことに有名です。くだんの阿修羅像は八部衆立像のひとつです。
本書には中金堂,東金堂,北金堂,五重塔,三重塔の紹介があります。興福寺貫首多川俊映さんの説話「唯識と現代」が興味深いです。「物はもういい,これからは心だ」とよく言われるが発想,物と心を二分するこの発想は間違いで,一体のものとして考えなければいけないと説いています。また心の構造を「前五識(眼識,耳識,鼻識,舌識,身識),第六識である意識,それに未那識,阿頼耶識でとらえる唯識仏教の考え方も新鮮でした。
ボルゲーゼ美術館展 京都国立近代美術館
岡崎の京都国立近代美術館で、ボルゲーゼ美術館展が開催されています。京都散歩のついでに思い切って行ってきました。ボルゲーゼ美術館はローマの北東部にある広大な庭園内にあり、名門貴族であり、教皇パウルス5世の甥で枢機卿だったシビオーネ・ボルゲーゼ(1570-1633)のコレクションです。ルネサンス・バロック美術の粋が集められています。
今回の展覧会では、その珠玉のコレクションからラファエロ、ボッティチェリなどルネサンスを代表する巨匠をはじめ、バロック絵画の先駆けで「最初の近代画家」と位置づけられるカラヴァッジョ、そしてジャン・ロレンツォ・ベルニーニら、文字どおりイタリア美術の最盛期を概観できる構成になっています。
展覧会の注目作品は、上掲画像の「一角獣を抱く貴婦人」(ラファエロ)です。この絵は,収集時に左下の一角獣は塗りつぶされていました。後にX線でその存在がわかり、修復されたのがこの絵です。
その他の主な作品は、下記のとおりです。
・ボッティチェリ 「聖母子、洗礼者ヨハネと天使」
・カラヴァッジョ 「洗礼者ヨハネ」
・ヴェロネーゼ 「パドヴァの聖アントニウスの説教」
・伝ジョルジョーネ 「フルートを持つ歌手」
・ベルニーニ 「枢機卿シピオーネの胸像 」
http://www.galleriaborghese.it/default.htm ←ボルゲーゼ美術館公式サイト
京都散歩(21) 京都御所
京都御所には、あらかじめ予約しておくと無料で見学できます。この秋、その手続き抜きでそれができました。というよりも、春と秋にそういう期間を設けているようです。
京都御所は、鎌倉中期頃から1869年(明治2年)の東京行幸まで、歴代天皇の居所・執務所でした。現在、京都御所は国有財産で、宮内庁の管轄下にあります。
平安京建都当初の内裏は現在よりかなり西方、JR西日本二条駅付近の千本丸太町交差点北東の位置にありました。
現存する京都御所はもともとは里内裏の一つで、土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)と呼ばれ、1331年(元弘元年、元徳3年)、北朝の光厳天皇が初めて使用した内裏です。
1877年(明治10年)、東京の皇居に移った明治天皇が10年ほどたって京都を訪れた際、施設及び周辺の環境の荒廃が進んでいたのを嘆き、「京都御所を保存し旧観を維持すべし」と宮内省(当時)に命じました。
主な建物は、紫宸殿(ししんでん)、清涼殿(せいりょうでん)、小御所(こごしょ)、御学問所(おがくもんじょ)、御常御殿(おつねごてん)、迎春(こうしゅん)、御涼所(おすずみしょ)、皇后宮御常御殿(こうごうぐうおつねごてん)、若宮・姫宮御殿(わかみや・ひめみやごてん)、飛香舎(ひぎょうしゃ)などです。
以下は、本ブログの管理者である筆者撮影です。
御車寄です。入口からすぐです。
御池庭です。綺麗な庭園です。
紫宸殿前の「右近の松」です。
「もるとや」 豊島区東池袋1丁目8-6 DKY12ビル1F 03-5952-9277
これまで2度行きました。1回目は飛び込みでした。偶然発見したバーです。好感がもてたので2回目に挑戦しましたが、どこにあったのかがわからなくなり、少し捜してようやく再発見しました。
ここが気に入ったのは、とにかく品揃えが豊富なことです。ほとんどがモルトウィスキーとのことで、250-300種類ぐらいあります。ウィスキーはもちろんですが、ウォッカ、ズブロッカ、ボンベイサファイア、コニャックなんでもあるという感じで、バーらしく綺麗なビンが見事に鎮座しています。席はカウンターをいれて14席ほどで、こじんまりしています。
また、最初に入ったときに、そこで仕事をしている女の子に wisky とwiskey の違いをクイズのように質問したら、すぐに答えが返ってきました(wiskyはスコッチで、それ以外のバーボンとかアイリッシュはwiskeyです。製造過程にも相違があるとのこと)。ただ、アルバイトをしているのではなく、扱っているものについての知識が確かだと好感を覚えました。
この日は、マッカランとあと2種類のスコッチのテイスティングをするメニューを注文し、そのあとにズブロッカを飲んで引き揚げました。
平日は午前5時まで営業しています。もっともそんなに遅くまで飲む気力はありません。