今回は、手紙形式です。
ご無沙汰しています。お変わりありませんか?
先日、わたしたちが若いころから圧倒的な歌唱力で人気を博していた、布施明さんのコンサートに行ってきました。いつかそのステージを観たいとおもっていたのですが、夢が叶いました。布施さんは、今年、歌手になって50周年だそうです。最近の歌はあまり知りませんが、「シクラメンの花」「霧の摩周湖」は、いい歌ですね。
抜群の歌唱力は健在です。声量にききほれました。ますますよくなっています。67歳とは思えません。布施さんの歌は、カンツォーネですね。どうどうとして、力があり、心があり、愛がうたわれ、どうしてもイタリアのカンツォーネに聴こえてきます。
そういえば、布施さんはおちゃめなところもあり、三谷幸喜さん脚色の「ラジオの時間」ではこの人の別の面をみた想いでした。今回のステージでも、パントマイム風の演技があり、俳優(?)布施明を彷彿させてくれました。
これからもプロらしいステージを期待して、岐路につきました。ステージの熱気がいつまっでもわたしの心のなかにありました。今度、機会があれば、ご一緒しましょう。
お元気でお過ごしください。
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資料館には、11,000年前の人骨が陳列されていました。数年まえ、その出土を報じた読売新聞の記事がおかれていました。観光客へのサービスのようです。
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栃尾揚げ焼き、しめさば、あじの南蛮、ギンダラの煮つけなどを注文。さすがにおいしいです。ただ、大田さんの番組ですっかり有名になってしまったのか、客がどんどんきます。わたしは5時に入ったのに(5時開店と本に書いてあったので)、もう4-5人いて、すぐにお店は予約席を含めて満杯。5時半ころからのお客は、断られていました。
マスターの他、三人ほどが接客していましたが、注文になかなかおいつかず、いきおい、食べたお皿もなかなかさがらず、大変さばかりが伝わってきました。
次は、BARですがお目当てのBARは開いていず(パンフレットでは開いているはずでしたが)、持ち前の嗅覚で別の一軒を見つけ、そこに入りました。アーケードの中です。バーテンダーさんが、落ち着いた大人の雰囲気で、気持ちよく、飲めました。SUKATTOという名のBARで、父親から継いだとのことでした。
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宇都宮まで往路は高速、復路は一般道で(栃木市に寄って)帰ってきました。走行距離は180キロでした。
「ろばたの炉」 神楽坂3-2-50 TEL 03-5227-1717
「ろばたの炉」は、焼き物専門のお店です。開店5周年と聞きました。
マスターが中央に控え、コの字型のカウンターがあり。17人ほど座れます。席はそれだけですので、いつも混んでいます。8時~10時のゴールデンタイムは、待たないとなりません。少し早めで6時半ごろに行くと大丈夫かもしれません。
注文をすると、中央に構えるマスターが炭焼きをしてくれ、焼きあがると長い「しゃもじ」でお客に届けられます。魚介、野菜が中心です。そのメニューがすし巻きのすだれのようです。巻物をひろげる要領で、メニューとにらめっこをします。まず刺身をとり、それからアスパラ、どんこ、竹の子、新たまねぎなどを焼いてもらいました。
次回はホッケとか、それから各種のサラダなどに狙いをつけました。
焼酎、日本酒も大変、豊富です。この日は、焼酎のかめ仕込みと日本酒の〆張鶴をたのみました。
サービスが行き届いています。おしぼりをよく変えてくれますし、最後に大きな器にカニの足の入った味噌汁がでてきて、この味がよかったです。身も心もあたたまって店をあとにしました。
上高地を後にして次は、乗鞍スカイラインです。安房トンネルをくぐると岐阜県に出ます。このトンネルは全長4370メートルで、大変長いです。このようなものをよく作ったものだと思いながら(半ばあきれながら)、通過。
乗鞍岳は3000m級の山々が連なる中です。23の峰、7つの湖、8の平原があり、壮大な自然を満喫できます。
また、乗鞍岳からは槍ヶ岳、穂高連峰など、雲上の世界を愉しめます。乗鞍岳は高山植物の宝庫でもあります。
乗鞍岳は国立公園の特別保護地域に指定されています。特別天然記念物のライチョウもたまにみることができるそうです。
乗鞍スカイラインはマイカー規制が徹底しています。路線バスであがるのが一番です。タクシーもOKです。この日は小雨が降っていて、霧のなかのバス走行でした。
畳平(たたみだいら)は標高2700メートルです。気温は10度しかなく、お土産屋さんでは石油ストーブがたかれていました。
さて、上高地に入って、大正池から河童橋まで散歩しました。
そもそも上高地に行くまでが大変です。 大正池まで、マイカーは入れません。細い道をくねくねとバスが上っていきます。
大正池からは梓川ぞいに約1時間10分ほど歩くと河童橋にでます。あいにく、雨が降っていて、合羽をかぶって傘をさしての散策でした。これもまたオツなものです。
梓川の流れる音がさわやかです。アップダウンのないわりと平坦な(といっても少しづつあがっているのは確か)道です。上高地はウエストンという人とそれに続く人々が開いたのですが、先人が切り開いたこの道がなければわたしたちもここまで来ることはできなかったわけで、その偉業に感謝です。
いまでも、熊が出ることもあるとか。2-3週間前に出没した、と警告する木札が立っていました。
本当に森林浴をしながらの散歩です。緑の木々が目にしみます。都会の喧騒から離れて、一時の静寂のなかでの愉しみでした。
河童橋につくとホッとしました。河童橋は想像したよりは小さめでしたが、晴れていれば画像のように絶景がみられたはずでした。
芥川龍之介(1892~1927)は小説『河童』のなかで、この河童橋あたりの様子を描いています。小説『河童』は、河童の国の滞在記です。ひとりの精神病患者の口をかりて綴った架空の滞在記です。
河童の国の舞台は、上高地から槍ヶ岳、穂高岳に至る梓川周辺です。芥川が槍ヶ岳登山を行ったのは1920(大正9)年で、そのころの現実の風景が小説内にそのまま忠実に描写されています。当時の梓川の岸はまだ、通る人もまばらな静かな山中でした。
五千尺ホテルが右手にあり、橋をわたるとお土産屋さんが並んでいます。五千尺ホテルの喫茶のケーキはおいしいと聞いていたので、コーヒーとセットで注文しました。通常は、この喫茶に入るには並ばなくてはならないようですが、天候が悪かったせいかここでも待つことなく、スムースに入れました。
長く札幌市に住んでいたので、本州の名勝地には憧れがありました。上高地もそのひとつです。小説に出てきたり、テレビの映像に映ったりするたびに、いったいどういうところなのだろうと夢想していました。その上高地を訪れました。
その朝、わたしの住んでいる埼玉県南部はどしゃぶりの雨。少し小ぶりになった7時ころに出発。 川越を経て、小仏トンネル、談合坂を通過し、諏訪市(諏訪湖)を経由して駒ヶ根へ。そこからさらに菅の台へ。それ以上は、マイカーでは入れません。特別のバスの乗り換え、25分ほど乗って、しらび平で下車。ここは標高1662メートルです。そこから、ケーブルカーで、千畳敷カール(2612メートル)まで一気にあがります(7分ほど)。1000メートルの標高差を7分であがるのです。千畳敷カールには、11時半ごろに着きました。
この時期普段は、ケーブルカー(60人乗り)は2時間待ちも例外でないとか。しかし、この日は天候が悪かったせいか、待ち時間ゼロでした。(いいんだか、悪いんだか)
千畳敷カールの「カール」はドイツ語ですり鉢のような、なべ底のような地形を言います。「圏谷」と訳されていますが、名訳です。ここは2万年ほど前の氷河期に、氷河によって削り取られた大規模な窪みです。いまは夏になると、珍しいたくさんの鉱山植物が咲き誇ります。
あいにく霧がかかっていて、眺望は極めて悪い状況でした。それでも、お花畑を一周するルートがあり、40分ほどかかってまわりました。可憐な小さい、名がわからない花があちこちに咲いていて、心がなごみました。