【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

「すっぴん」(NHKラジオ第一、午前8時~12時、月曜日~金曜日)

2016-06-24 22:02:13 | テレビ・ラジオ番組

  
   金曜日は、高橋源一郎さん(「すっぴん」のブログから)


 NHKラジオ第一では、毎日(月~金)朝8時5分~11時49分に「すっぴん」という番組を放送しています。この番組は好きです。月曜から金曜まで日替わりのパーソナリティがいて、その相手を毎日、相手をしているのは藤井彩子アンカーです。この藤井さんは、以前テレビの夜11時ころのニュースを担当していて、そのころから気にいっていました。歯切れのいい、きっぷのいい女性です。


 「すっぴん」では、メニューがいっぱいです。トレンドの解説、映画の解説、本の紹介、料理教室、「源ちゃんの現代国語」などなど。時々、音楽が入ります。トークが面白いです。みなさん、素顔で自分勝手にしゃべっているので、視聴者もすぐに打ち解けます。

 パーソナリティはひとくせもふたくせもある男性ばかり。宮澤章夫さん、ユージさん、ミュージシャンのダイヤモンド☆ユカイさん、キリンの川島明さん、作家の高橋源一郎さんです。個性的な人ばかりです。

 こうした人たちを相手に舞台回しをして、番組として成立させている藤井さん、さぞかし大変と、思います(時々、男性陣がおばかなことを言っているので、藤井さんに同情してしまいます)。


入江保則『その時は、笑ってさようなら-俳優・入江保則 余命半年の生き方』ワニブックス、2011年

2016-06-23 20:49:07 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

        

  共感をもって読みました。

  長寿社会になり、男女とも長い人生を過ごす人が多くなりました。一般的にはそう言えますが、個人差があるのも事実です。90歳を超えても非常に元気な人もいれば、70歳ですっかり老人という人もいます。「平均」があまり意味をもちません。


 長生き人生になれば、病気に罹ることも増えます。ガンを患う人も少なくありません。かつてはガンは不治の病でしたが、医学の進歩で治療で治る人もいます。そのようなこともあって、ひと昔前は、ガンの告知は控えられていましたが、いまは簡単に「ガンです」と言われるようです。ガンとどう向き合うかは、今後、一人ひとりの課題になってきています。

 一番怖いのは、ガンと診断され、ぼやぼやしていると医者の言いなりになり、検査入院に始まってガン治療に追い込まれ、「ガンと戦わされて」苦しんで死んでいくケースです。「余命三ヶ月」を宣告され、有無をいわせず治療のラインののせられて、なくなるというのが後をたちません。医療サイドから見れば、それがお金(儲け)になるのです。


 この本はガンを宣告されたけれども、それを受け入れ、延命治療はしないで生きた人のいわば「ガン体験記」です。直腸ガンがみつかったけれども、それを受け入れ余分な治療はせず、生まれてきたからにはいつか死ぬのだから、それとつきあいながら生きていく決意をしました。そのことを公にしたことが話題になり、取材を受けたり、テレビ出演をしたり、とうとう本にまでしてしまったというわけです。「自主葬」の提言をしています。自分でテープに吹き込んだ「般若心経」を冒頭に2度ほど流して、近親者のみのお葬式です。

 著者は俳優です。苦労した甲斐があり、運がひらけて、NHKの大河ドラマに出演したりしました。2回の離婚、最後は独居老人でした。

 子どもの頃、戦争さ中で、死んだ人をたくさん見たこともあり、独特の人生観、死生観をもっているようです。諦念というのでもなく、あがくわけでもなく、事態をそのまま受け入れ、運命によりそって生きるという哲学です。それに「末期ガン」患者の目をとおして、結婚とは、死とは、いまどきの女性、いまどきの男性などと綴っています。

 また、俳優ですから、日本のいい映画(「浮雲」「七人の侍」「重森君上京す」)、外国のいい映画(「第三の男」)についても熱く語っています。末尾に「余命半年の生き方」が日記風に書かれています。

 


飛鳥山・アジサイの小径(東京散歩⑲)

2016-06-17 11:14:56 | 旅行/温泉

 アジサイの盛りの季節です。
 湘南・新宿ラインで王子のあたりを通過すると、車窓から飛鳥山のアジサイが見えます。下車して、散歩しました。
 ちょうどよい花の具合です。花といっても、きれいにみえる部分はガクです。本当の花はそのなかに小さく見えるものです。リュックをしょって歩いている人、カメラにおさめている人、いろいろです。

    

     

    


退職記念祝賀会(余滴)

2016-06-14 16:33:50 | その他

 先月、ゼミOB・OGが開催してくれた退職記念祝賀会から一か月たちました。幹事の方(第一期生、1991年度卒)は、そのときの映像、写真などをまとめて送ってくれました。写真は100枚を超えていました。

 こんなことは人生で2度とないので思い出として、記念にいただいた品物を下に掲げます。

 まず、よせがきです。OBからのものとOGからのもとが別々になっています。

        ←OBから

         ←OGから

  それから、こんなものもいただきました。わたしの名前が入っています。お酒の種類は焼酎で「中々」です。

          

  どういうわけか、お酒、あるいはお酒に関するものが多かったです。

      
  
        

                             

  みなさん、改めて本当にありがとうございました。立派に社会人として責を果たし、活躍しているOB・OG、そして元気に現在学んでいる在学生がわたしの周りにいて、幸せです。みなさんの健康と多幸がいつまでも両手にありますように。

    











「大相撲名力士風雲録」第6号(初代若乃花),ベースボールマガジン社

2016-06-11 01:02:52 | スポーツ/登山/将棋

        

 本屋で面白いものを見つけました。「大相撲名力士風雲録」というベースボールマガジン社が出版しているDVDマガジンです。毎月配本で第6号で、「初代・若乃花」編でした。DVDで46番の若乃花の相撲をみることができます。これまでに、北の湖、千代の富士、大鵬、貴乃花、栃錦が出たようです。


 わたしは小さいころから相撲が好きで、最初はテレビがなかった時代でしたから、ラジオで聴いていました。新聞に出ている取り組み表をチラシに書き写し、それに勝敗をつけて聴いていました。力士の四股名には難しいものがたくさんありましたが、親から習いながら書いて、小学校低学年でもかなりの漢字を理解していました。

 それはともかく、ラジオを通じて相撲を知り取り組みは動画では見れないので、アナウンサーの実況中継で想像しながら聴くといった感じでした。わずかに、翌日の新聞には相撲欄の記事に一枚だけ写真がついていて、これを見て楽しんでいました。

 このマガジンには観たことがない取り組みが、たくさん入っています。46番あるなかでは、昭和30年秋場所の若乃花対千代の山の死闘が圧巻です。水入り2回、取り直しで再び水入り、17分の死闘で「引き分け」となりました。その他では、昭和34年夏場所の若乃花対栃錦戦が印象的です。若乃花一敗差で栃錦を追っていましたが、千秋楽の本割で栃錦を下し、決定戦で再び勝ち、優勝しました。

 若乃花といえば小兵ですが(105キロほど)、抜群に強い足腰をもち、土俵の鬼、荒法師などの異名をもちました。このDVDでも上手櫓、呼び戻し、二枚蹴りなどの技を繰り出しています。

 わたしの家にテレビが入ったのはたぶん昭和35年だと思いますが、それ以前の力士と若乃花の対戦はみたことがないので感無量でした。吉葉山、鏡里、東富士、鳴門海、三根山、潮錦などです。35年以降になると、実際にテレビで観たとの記憶がある一番がたくさん出てきました。朝潮、若羽黒、信夫山、若前田、柏戸などです。こうして通してみると、いま御存命の力士は全くいないので、寂しいかぎりです。

 今の相撲と比べると、みな体がしまっていて、力士そのものです。包帯をまいている力士は少ないです。現在は、みな体重がずっと増え、大型化していて、力士というよりは「お相撲さん」です。けがも多いせいか、包帯をぐるぐるまいて痛ましい姿の力士が多いです。


極楽町一丁目-嫁姑千日戦争-(於:TEATER1010)

2016-06-10 00:46:16 | 演劇/バレエ/ミュージカル

   

 浜木綿子さん主演の「極楽町一丁目-嫁姑千日戦争-」(原作:二階堂正宏、脚本:佐々木猛)。浜さんのつやっぽい声と天性のテンポと間のとり方のうまさは健在でした。


 話の筋は、副題にあるとおり、嫁姑の確執を描いた喜劇です。石橋家の嫁、典子さんの役が浜さんです。夫に交通事故死で死に別れて3年。典子さんは、新たな人生を切り開こうとしています。石橋家には典子さんの他、姑の秀子(正司花江)、息子の大輔(小野寺丈)が同居しています。典子と秀子との間には嫁姑のいざこざが毎日のようにあります。

 そんなところに、息子の大輔が結婚し嫁(吉村涼)をつれてきました。結婚したら同居しようというのがふたりの魂胆です。典子は姑役の番がまわってきます。

 その典子に思いをよせる坊さん(前川清)、そして病床の秀子を診る若い医者(風間トオル)が絡んで、ドタバタが展開されていきます。


東京散歩⑱(スカイツリー)

2016-06-09 10:35:13 | 旅行/温泉

        

 スカイツリー(634㍍)には、たまげました。この塔(電波塔、2012年開業)は、東京のあちこちから見えます。高いからです。東京タワーより300メートルほど高いです。しかし、遠くからみると小さく、マッチの棒のようです。それが現場でみると、その威容に度肝を抜かれます。よくこんなものを作ったものだと。また、建築にどのようなドラマがあったのかと。

 最寄りの駅、日比谷線の押上で降りるとすぐです。この日は、少し風があって、様子をみながらエレベータが昇降しているとのことで、50分待ちを宣告されました。が、わたしがもっていたチケットは関係者用で、割と早めにエレベータに乗れました(関係者用というのは後で説明します)。乗ると50秒ほどで、350メートルの展望デッキに到着します。さすがに絶景、いい眺望です。時間は夜だったので、夜景がきれいでした。

 すぐ下に大川(隅田川)が見え、屋台船がおもちゃのように数隻浮かんでいます。首都高がくねっていて、そこを車が次々と走っています。眼をあげてぐるりとみると、地平線が半円を描いています。ネオンの東京が一望できます。夜景です。昼間もきれいだろうと想像しながらの展望台、散歩でした。

      


 ここに来たのは、展望台の特設ステージで「WIPE UP」あったからです。ダンスのパフォーマンスです。このイベントは、架空の窓ふき清掃員が繰り広げる窓ふきエンターテイメントです。それに子どもがダンサーとして出演しているので、それを観に来たというわけです。関係者として。

 スカイツリーのなかには、ソラマチがあり約300のお店があるとか。若い人、外国人がめだちます。にぎやかそのものです。イベントを観たあと、450メートルの第二展望台まであがり、それから6階まで降りて夕食をとりました。