【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

辻太一朗『なぜ日本の大学生は、世界でいちばん勉強しないのか?』東洋経済新報社、2013年

2013-04-29 23:50:45 | 読書/大学/教育

                 

  日本の大学生が勉強しないことは、いくつかの統計から明らかである(統計に頼らなくとも、そうだ)。何が原因なのだろうか。


  著者はその原因を、学生、教員、企業の採用担当者の3スクミによる負のスパイラルにもとめている。詳しくは本書にあたってもらうしかないが、まず学生は単位さえとれればよい、そのための手立てに汲々としている、教員はまじめに授業を行えばそれだえけ時間も労力もかかるが、学生からはウザイとみなされ、また研究時間が減る、企業の採用担当者は大学での学生の成績を信用していない、いきおい就活での学生の面接ではバイト、サークルくらいしか話題にならない、といった調子なのだ。

  誰が悪いのでもない。そうした悪循環が制度化され、そこから逃れようがなくなっている、というわけである。このままでは、日本の学生は欧米の、あるいはアジアの学生に能力的に差をつけられ、じり貧が必至である。

  著者は、この負のスパイラルを脱却するには、学生に「考える力」をつけるしかなく、そのような授業展開を行うしかない、と考える。そして、実際に調査を行って、大学の授業の実態を浮き彫りにした。この調査は2011年、首都圏の有名9大学、28学部に在籍している4年生2000人に対する大規模調査だった。その結果、いくつかの大学のいくつかの学部の授業のなかには、そういう授業があるようだが、おしなべて学生に「考える力」をつける授業を行っている授業は少なく、また学生の「考える力」をしっかり評価している授業も数えるほどしかないことがわかった、という。

  もっとも、学生に「考える力」をつける授業を行っている授業、また学生の「考える力」をしっかり評価している授業はないわけはなく、著者はそのいくつかの代表例をあげて、範とすべきと提唱している。

  いまこそ必要なのは、学生にとって授業と課外活動の双方にメリットがあり、教員にとって教育と研究にとってメリットがあり、採用担当者にとって面接に加えて成績を参考にすることにメリットがある、「正のスパイラル」を大学という教育と研究の場に根づかせることだと結論づけている。


「根っこ」(地人会新社 第2回公演:赤坂RED/THEATER)

2013-04-28 23:51:28 | 演劇/バレエ/ミュージカル

     

 地人会新社第2回公演「根っこ」(アーノルド・ウェストカー作、木村光一訳、鵜山仁演出)が本日、千秋楽でした。


 「パンフレット」によると、この作品はアーノルド・ウェストカーの3部作のひとつ、第2部にあたります。第1部は「大麦入りのチキンスープ」、第3部は「ぼくはエルサレムのことを話しているのだ」です。第1部はロンドンのイーストエンドに住むロニイ・カーン一家の物語。第3部はロニイの姉が夫とともにノーフォークに移住するも、挫折してロンドンに逆戻りする話。

 「根っこ」の舞台は、1950年代後半のイギリスノーフォーク州の片田舎。3幕もので第一幕は、主人公ビーティ・ブライアントの姉夫婦の家、第二、第三幕はビーティの実家です。ノーフォーク州はロンドンから北北東に120マイル(約190キロ)のところ。
 農家であるブライアント家の娘ビーティはロンドンで生活していたが、ノーフォーク州の実家に休暇で戻ってきました。彼女にはロンドンで出会った恋人がいて結婚も考えていて、その彼がちかじかビーティの家族に挨拶にくることになっているらしい。
 ビーティは彼を自慢したいのか、毎日のように熱っぽく、恋人ロニイのことを話します。だが、彼女の話はロニイの言っていることの真似ばかりです。

 日々の生活に追われている田舎の家族は、ただただ彼女の話にうなづくばかりです。そんな家族にビーティは、いらだちを覚え、つい声も大きくなります。日常に埋没した視野の狭い話、人の噂ばかりの会話、ビーティは、うんざりしますが、その彼女の考え方はどこか空回りしているようでもあります。

 母親はロニイが来るというので、家族を集め、ささやかな、しかし精一杯の食卓を用意します。ビーティの兄夫妻、姉夫妻が、実家にやってきます。みなは期待をもっていまかいまかと待っていましたが、ロニイは現れません。
 そこに、ロニイからの手紙が・・・。


 ビーティ役の占部部房子さんは、スリムながら、パワーのある演技です。その母親役の渡辺えりさんは貫禄十分です。アドリブも少しあったようで、観客を笑わせます。
 ふたりを支えるのは七瀬なつみさん(ジェニィ・ビールズ)、高畑ことみさん(パール・ブライアント)、宮川浩さん(ジミイ・ビールズ)、松熊信義さん(スタン・マン)、石橋徹郎さん(フランキー・ブライアント)、上田裕之さん(h-レイ)。がっちり信頼関係の中での、迫力ある舞台でした。


 場面転換では、舞台が暗くなり、大道具、小道具がてきぱきと再設定されます。裏方さんでしょうか。なかには俳優さんもいます。みんなで、舞台をつくっている感じがわかり、これ自体がひとつの舞台のワンシーンになっていました。

 「地人会」時代から、いつも考えさせられる演劇をありがとうございました。楽しめました。
 

                  


童門冬二『小説 立花宗茂(上)』学陽書房、2000年

2013-04-27 23:33:35 | 小説

           

  戦国武将、立花宗茂のことが易しく書かれている小説。この間、葉室麟、八尋 瞬佑の関連小説を読んだが、背景がわかっているのでスイスイと読める。


  上巻は、宗茂が改易を受け、故郷の九州を離れて京都にでるところから始まって、過去の九州での戦国時代のなかでの政争の様子に遡り、大友宗麟を支えた戸次道雪と父の高橋紹運(岩尾城)が相次いで討ち死にし、島津勢が跋扈しはじめた頃、宗茂が立花城にたてこもってこれを死守、秀吉軍の支援を待って、島津軍を討ち、ついにこれを討ち破り、秀吉の覚え目出度く、抱えられるにいたるまで。

  話が整理され、図式化されて進むので、わかりやすい。この分かりやすさがアダで、違和感のあるところも多々。
  たとえば、宗茂が改易され、牢人となったときに軍臣の一部は加藤清正に預けられ、一部が宗茂とともに行動することになるが、そのどちらかをになるかがクジで決められたとあるが、ホントだろうか。また、一連の会話が現代風で不思議。「がんばります」などと言うだろうか。道雪の娘で宗茂の妻となった千代との確執は、誰が書いた小説でも必ず出てくるが、童門氏のこの小説では一番夫婦仲が睦まじい(もちろん、諍いは絶えないが)。寝室で一緒に天窓から空を見、星を見ている。不思議な記述。


赤瀬川隼『王国燃ゆ 小説大友宗麟』講談社、1987年

2013-04-26 23:56:06 | 小説

             

  戦国時代の九州の守護大名で切支丹となった大友宗麟の生涯。幼少の頃より、蒲柳の質で、特異な性格をもっていた五郎義鎮は、武門より、芸を好んだ(生涯の後半には禅と茶の湯)。後継問題で「二階崩れの乱」(長子の自分を廃して後妻の子を立てようとして起こった惨劇)で父義鑑の弑逆を経験し、精神的後遺症を抱えた義鎮はザビエルと出会い開眼し、キリスト教とその背景にある西欧文化に強い関心をもつようになる。しかし、大名が洗礼を受けるということは、想像以上に大変なことで、宗麟が実際にキリシタンになるのは、ザビエルとの出会いから27年後である。


  他方、女性に対する異常な執着があり、幾多の問題を起こす。この小説では、初めての女性だった秋乃への思慕、正室となった舞との確執、叔父菊池義武の妻、一万田鑑相、服部右京亮の妻との密通、刀女との再婚が描かれている。(「汝、姦淫するなかれ」と説くキリスト教の精神と自身の欲望との間で揺れる宗麟)。

  戦国武将としての位置、役割、戦歴とともに、大友宗麟の内面が詳しく描かれているのが、特徴である。ザビエルその人の経歴、宣教師の布教の実際(医療活動、育児院など)もかなり詳しく説明されている。

 
  全体に小説としての膨らみがいまひとつである。その理由は、なぜかを考えてみたが、読みながら、たとえばある事柄がどうなっていくのだろうという読み手の心の働きを喚起しないこと、もうひとつロマンが欠けていること、だろうか。大変に詳しく調べて書かれているとは思うが、詳しいだけでは小説にならない。もしそうしたいなら歴史書に徹すればよい。史実を小説に仕立てることの難しさが滲み出た生きた事例のような印象を受けた。


加賀乙彦『雲の都(3)・城砦』新潮社、2008年

2013-04-25 23:59:46 | 小説

               

   全5巻のうちの第三部目。第二部はやや退屈だったが、この巻は面白い展開があり、小説らしかった。

   具体的に書くと、主人公の悠太は東大の医局からI大学に異動、研究職の仕事を続けるも、その後J大学に移り、教檀に立つ。この間、いわゆる東大安田講堂の攻防戦に象徴される全国に波及した大学紛争に巻きこまれ、膨大な調査資料を失う。順調に研究街道を走っていた矢先のことだった。失意のなかで小説を書きため、桜子との逢瀬と二人の間の未婚の子の成長、離婚したヴァイオリニスト千束へのプロポーズ。

   他に、隠されていた央子と火之子の出生の秘密が明らかになり、それをめぐってそれぞれの家族に軋みが。それは火之子(地獄座で演劇活動、画才もある)は菊池透の子どもでなく、妻夏江と五郎の子であるとわかったこと(五郎の絵画展が開催される)、そしてオッコこと央子が初江と若くして死んだ晋介の間に生まれた子であることがわかったこと(晋介の遺作『食人国』が文学界で絶賛された。[しかし、著者の名前を伏せて])。

   その菊池透が、三部の末尾で、夏江、悠太、火之子などに見守られながら癌で死んでいく。そして小暮家が住み慣れた西大久保から本郷へ転居する。

   家族の歴史、大きな社会的事件を背景に、多数の登場人物がそれぞれの道を歩み、生活し、関係性を強め、そうして物語が展開していく。大河小説の丁度半ばを過ぎたあたりだが、小暮家、時田家、風間家の人々の歴史はこれからどのように書き継がれていくのだろうか。予断を許さない。


Jupiter (平原綾香ベスト )

2013-04-23 23:04:30 | 音楽/CDの紹介

                           Jupiter~平原綾香ベスト
 平原綾香さんのアルバムです。声量がよく、ときどき太い声でうたったり、くぐもった声になったかと思うと、伸びやかな声になったり、声の表情が多彩で、ユニークです。前から注目していました。

 15曲入っていますが最初の曲が有名な 「♪Jupiter」。Holst作曲です。宇宙に抱かれてわたしたちはひとりじゃない、絆がある、愛がある、信頼があると、美しい歌詞に読みこまれています。

 このCDを入手したのは、最後の「♪スタートライン」があったからです。いい曲です。落ち着きますし、神様がくれたスタートラインに立って、気分一新でまたがんばろうと、思います。この曲は綾香さんの作詞です。

<スタート・ライン> 作詞:平原綾香 作曲・編曲:沢田完

 花のやさしさも 海の果てない深さも
 僕は知っているただ、他の誰よりも
 愛されることを知らないだけ

 ビルの隙間から見えた大きな太陽は
 涙でにじんだ僕を透かして
 悲しみを空へ帰した

 走り続けたい どんなに傷ついても
 いつか僕は新しい スタートラインに立つ
 走り続けたい どんなことがあっても
 神様がくれた スタート・ラインだから

 電線にからまった雲がちぎれていく
 なぜあの時、強く抱き締めて
 微笑んであげられなかった?

 もし許されるのなら 失ったあの日に戻って
 後悔が残したこの両手で もうひとりにはさせない

 守り続けたい 愛がここにある
 いつか僕は新しい スタートラインに立つ
 走り続けたい どんなことがあっても
 神様がくれた スタート・ラインだから

 守り続けたい 愛がここにある
 いつか僕は新しい スタートラインに立つ
 走り続けたい どんなことがあっても
 神様がくれた スタート・ラインだから

 最初と最後の上記2つの曲をくりかえし聴いていましたが、その後「♪明日」「♪今、風の中で」「♪誓い」も受け入れました。

 「虹の予感」「Re:PERRER」はややわたしの感性と波長があわずパスしています。若者向きですね。
  
<ドリューミュージックMUCD8006>

 


「ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア展」(渋谷BUNKAMURA ザ・ミュージアム)

2013-04-22 23:07:17 | 美術(絵画)/写真

       
 「ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア展」(渋谷BUNKAMURA ザ・ミュージアム)が日曜日に終幕となりました。


 ペーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)は、17世紀バロック時代のヨーロッパにその名ををとどろかせた画家です。外交官であったことでも有名です。

 ルーベンスは8年間のイタリア滞在をしたことがありますが、その後アントワープに帰郷し、そこで大規模な工房を組織しました。工房では、ルーベンスはもとより、弟子たちによって数々の傑作が生み出されました。この工房には行ったことがあります。工房の外側から撮った写真がありましたが、大変、懐かしく思いました。

 今回の展覧会では、ルーベンスのイタリア時代の作品とともに、アントワープ工房での活動に焦点が絞られ、彼自身の作品を中心に、工房作品、専門画家たちとの共同制作作品展示されていました。精密な版画作品も秀逸でした。

 先のエル・グレコ展同様、世界の各地からもちよられた作品が並び、壮観です。期待にたがわぬ、充実した展覧会でした。混んでいたのは、いたしかたありません。


堤真一・宮沢りえ主演「今ひとたびの修羅」(宮本研脚本、いのうえひでのり演出)

2013-04-21 17:59:23 | 演劇/バレエ/ミュージカル

 新国立劇場で、「今ひとたびの修羅」(宮本研脚本、いのうえひでのり演出が公演されています。原作は尾崎士郎の「人生劇場」ですが、これはものすごく長い小説。したがって、それをかなり大胆に脚色して、この舞台が出来ました。

              

 内容は、仁侠の世界に生きる飛車角とおとよの情愛の物語。普遍的な男と女の愛がテーマになっています。そこに仁侠の世界が絡んでいます。時代は大正から昭和にかけて。日本が大陸への侵略をはじめた頃。社会全体を暗い、不気味な雰囲気がおおっています。


  東京は深川のはずれ。渡世人の飛車角(堤真一)こと小山角太郎はある事情で人をあやめ、警察に追われる身となります。逃げ込んだ民家、そこには早稲田大学の学生で小説を書いている青成瓢吉(小出恵介)と恋人のお袖(小池栄子)が暮らしていましたが、瓢吉の父親にかつて世話になった伝説の仁侠の血をひく吉良常(風間杜夫)もたまたまきていて、飛車角は運命的な出会いをします。
 飛車角には、横浜のあいまい宿からさせ、所帯をもったおとよ(宮沢りえ)がいましたが、人殺しの件で、自首することを決意します。おとよは泣きながらとめますが、飛車角は聞かず、前橋の刑務所行きとなります。


 おとよは、しばらく獄中の飛車角に、面会にきていましたが、ある時からぷつりと来なくなりました。苦悩する飛車角。彼をはげまし、おとよをさがす吉良常。実はおとよは玉の井で娼婦になりさがっていたのです。彼女といい仲になっていたのは、飛車角のかつての子分、宮川(岡本)でした。さて、この顛末は・・・。

 きな臭い世相を背景とした、めくるめく情念の世界、豪華な配役。演劇の魅力を堪能した2時間半でした。堤真一さん、宮沢りえさん、好演です。りえさんは、おとよに入り込んで、最後の舞台あいさつでも、おとよから自分に戻っていないくらいの入れ込みようでした。
 浅野和之さんは味があって軽妙です。小池栄子さんは、和服姿、立ち居振る舞いが素敵です。風間杜夫さんは貫禄のある親分。村川絵梨さんもモダンガール(瓢吉を愛している照代役)の上手な演技でした。活動家の横井役は、鈴木浩介さんは、漲るパワーでの演技でした。


「くらよし」(豊島区駒込3丁目;03-3915-3218)

2013-04-18 00:29:47 | 居酒屋&BAR/お酒

       

 駒込にある居酒屋です。JR「駒込」駅から徒歩で5分ほど。


 たまに寄るお店ですが、いつも2軒目です。ここでは、日本酒などを注文しますが、いつも注文するのはカレーうどんです。このカレーうどんがおいしいのです。カレーうどんというのは、うどんにカレーライスのルーをかけるというのではなく、汁がカレー味なので、ダシが重要と思います。そのダシがおいしいので、必ず注文してしまうのでしょう。くわえて、一軒目の「飲み」では、たんぱく質系のものがとれないので、ここでは「うどん」ということになるのです。「飲み」のあとのラーメンがうまい、のと同じ原理です。

 もちろん、他にも、ホントにたくさんのメニューがあり、それぞれ量はかなりしっかりありますので、実質的です。

 店のなかは、カウンターが6席ほど。それと掘りごたつの体裁をとった席が6つほど(?)あります。カウンター席にはいつも初老の男性がすみにすわっています。ほとんど毎日、来ているのではないでしょうか。「今日も、いるかな」と思って店に入ると、いるのです。

 また、カウンターからは厨房がみえ、そこはあまり大きくなく、若い男性がいそがしそうに働いています。この男性はときどき、まな板の上でキャベツを千切りをしていますが、恐ろしいほどの速さです。手許をみないで、わたしと話をしながらでも、切っていきます。匠のわざ?

 下町の味のある一軒です。


【鎌倉散歩④】鎌倉文学館(鎌倉市長谷1丁目5-3)

2013-04-17 00:44:19 | 旅行/温泉

                

 鎌倉文学館は,江ノ電、由比ヶ浜駅から10分ほど歩くとあります。館につうずるアプローチは鬱蒼とした木々におおわれ、気持ちよいです。この館は、1890頃に侯爵だった前田利嗣の別邸として建てられたものが、一度、1910(明治43年)に火事で焼失しました。現在の建物は侯爵前田利為が1936年(昭和11年)に、洋風に全面改築した建築物です。渡辺栄治、設計です。戦後の一時期、デンマーク公使や総理大臣佐藤栄作の別荘として使われたこともありますが、1983に前田利健氏が鎌倉市に寄贈し、外観をそのままとし、内部の補修し、1985年10月に開館しました。2000年(平成12年)3月、国の登録有形文化財に指定されました。

 なかに入ると、古風なインテリアで、気品がある雰囲気です。いくつか部屋があって、鎌倉ゆかりの文学者の生原稿、写真、遺品などが並んでいます。その文学者の数が大変な数で、驚きです。

 2階にあがって、窓から外をながめると、広い芝生がひろがっていて、その先にバラ園があります。まだ咲いてはいませんが、時期になれば、壮観だと思います。


遠藤周作『王の挽歌』講談社,1996年

2013-04-16 00:09:31 | 小説

           

   戦国時代、九州で筑前、筑後、豊前、豊後、肥前、肥後の六カ国の守護職となった大友宗麟の精神の軌跡。キリシタンを保護し、南蛮貿易で蓄積し、その後、自ら受洗しました。


   宗麟は屈折した人間でした。その性格は、自身の人生と深くかかわっていました。幼少の頃の母の死。父義鑑(よしあき)は宗麟に冷たく、継母の子を可愛がっている。「二階崩れの変」で、その父と義母、異母弟を失う。武門より文芸、歌道、蹴鞠を好み、家臣団に支えられ戦国武将となっていくが、心の不安、人間不信、武門の忌避を常とした。

 著者は女性との間でも、宗麟に葛藤があったことを描いています。九州一円に勢力を誇る宇佐八幡の分社奈多八幡の神宮の娘であった妻矢乃との愛憎劇、逆臣として討たれた服部右京亮への凌辱、矢乃の侍女露への慈愛。

 戦国時代は、殺伐とした背信、疑心暗鬼の世界でした。安堵と平安を求める宗麟。ザビエルとの出会いで、宗麟の人生は急展開を遂げる。以来、紆余曲折を経て、宗麟はキリシタン大名としての苦悩の人生を生きることになります。

  毛利元就、島津義久などとの角逐、朝鮮出兵の模様、宣教師の苦難の布教の様子も克明に活写。宗麟死して、秀吉の死後、大友家を継いだ義統の運命的生涯に触れ(秀吉への媚、切支丹禁教令後の迫害、朝鮮出兵とその後の除封、山口での幽閉など)、結末としています。


【鎌倉散歩③】長谷寺(鎌倉市長谷3-11-2)

2013-04-15 00:04:20 | 旅行/温泉

          

 長谷寺に到着。境内は広いレストランまであります。そして、上へ上へ昇っていくと、そこに、観音堂、阿弥陀堂。大黒堂、宝物館、地蔵堂、弁天堂、本堂など一連の堂宇があります。主要な堂宇が海を見晴らす山腹に建てられ、最高の景観です。諸堂は関東大震災で倒壊後の再建です。

 
 坂東三十三ヵ所霊場の第四番札所です。

  また長谷寺は文人とゆかりが深く、境内には高浜虚子の句碑、久米正雄の胸像などがあります。


 伝承では長谷寺の創建は奈良時代です。中世以前 の沿革は明確でなく、創建の正確な時期や経緯については明らかでありません。

  寺伝では、天平8年、大和の長谷寺の開基でもある徳道を藤原房前が招請し、十一面観音像(9m余で木造仏では日本一大きい)を本尊として開山したといわれています。この十一面観音像は、観音霊場として著名な大和の長谷寺の十一面観音像と同木から造られた、そうです。

 長谷寺は江戸時代の初め、慶長12年の徳川家康による伽藍修復を期に、いかの浄土宗となりました。当時の住持玉誉春宗が、中興開山です。


【鎌倉散歩②】光則寺(鎌倉市長谷3-9-7)

2013-04-13 21:35:32 | 旅行/温泉

     

 光則寺の境内には、いろいろな植物がやや雑然と植わっています(ツツジ、シャクナゲ、他多数)。なかに、海棠(カイドウ)が見事に花をつけていました。目が覚めるようなピンク色です。樹齢200年、市の天然記念物になっています。

 境内を歩いていると、けたたましい鳥の鳴き声、何かと思って聞くと、キジだそうです。キジが飼われているのです。見事な羽をつけたキジが小屋のなかにいました。羽をひろげることも多いのだそうですが、それは見ることができませんでした。

 このお寺は、日蓮の佐渡配流に際し、鎌倉幕府5代執権北条時頼は弟子の日郎も捕らえ家臣の一人、宿屋左衛門尉光則邸の土牢に監禁しましたが、その土牢があることで知られています。。

 しかし、監視役の宿屋光則は、次第に日朗と日蓮に惹かれ、文永11年、日蓮の放免後、自邸を寺とし、日朗を開山に迎えました。そういういわれのあるお寺です。


【鎌倉散歩①】高徳院(鎌倉市長谷4-2-28)

2013-04-12 22:44:13 | 旅行/温泉

       

 先日、鎌倉のグルメのお店を紹介しましたが、それらは鎌倉散策中に見つけました。鎌倉散策では、高徳院、長谷寺、光則寺、鎌倉文学館に行きました。


 高徳院は、鎌倉の大仏がいらっしゃるお寺です。15年ぶりくらいでしょうか。お寺の周囲の様子はあまり記憶がありません。初めてきたような感覚で、江ノ電「長谷駅」から歩いて、到着しました。晴天だったの、大仏さまが綺麗にみえました。
 ちょうど、春休みだったせいか、若い人が目立ちました。外国人もちらほら。写真をとったり、御朱印帖を書いてもらったり、さまざまです。

 高徳院の、開山、開基は不明とされています。大仏の造像の経緯についても史料が乏しく、不明な点が多いそうです。

 初期は真言宗で、鎌倉・極楽寺開山の忍性(にんしょう)など密教系の僧が住持となっていましたが、のちに臨済宗に属し建長寺の末寺となりましたがが、江戸時代の再興以降は浄土宗に属し、材木座の光明寺(浄土宗関東総本山)の末寺となっています。

  大仏は、もともとは大仏殿のなかにありましたが、建武2年には、台風で大仏殿が倒壊。室町時代には地震と津波で倒壊したという記録もあります。

 鎌倉大仏が建立されている場所は、もともと長谷の「おさらぎ」という地名でした。そのため、鎌倉大仏にかぎっては「大仏」と書いて「おさらぎ」と読むこともあります。

 大仏の後ろも結構広く、与謝野晶子は詠んだ歌碑が建てられています。

 鎌倉や みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな


井上ひさし・山藤章二『新東海道五十三次』河出文庫、2013年

2013-04-11 16:37:13 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

           

  著者には自らを『東海道中膝栗毛』の著者十返舎一九に、あわせて大店の若旦那栄太郎に、投影し、自己戯画化した小説「手鎖心中」とい小説がある(直木賞受賞)。


  膨大な五十三次と十返舎一九の資料を調べて書いた小説と思われるが、この「新東海道五十三次」ではその余勢をかって、ありとあらゆる東海道中記を精読、精査し、吟味し、そこからとっておきの旬のネタを読者に提供している。

  話題は豊富。古の人は東海道(江戸の日本橋から京都の三条大橋まで)を何泊何日で歩き切ったか?。富士山の名称のいわれは?。『東海道五十三次膝栗毛』は「文学」か?。江戸の人は、旅をどれくらいしたのか?。当時の東海道を往来していた人はどれぐらいだったのか?。五人組の役割は?。江戸産の童謡の特徴は(ついでに東海道以外の諸国の方言唄)?明治の頃に入ってきた西洋文化・舶来文化が方言ではなく、漢語と結びついた弊害は?

  東海道にまつわる歴史、文化、言語、はてはシモネタにいたるまで、縦横無尽に、その博覧強記をいかんなく発揮した快作。山藤章二さんのイラストとマッチして愉快きわまりない。