【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

山崎豊子『作家の使命・私の戦後(山崎豊子自作を語る①)』新潮社、2009年

2011-06-30 00:02:09 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

                                                               

                                 

 著者が自著「不毛地帯」「大地の子」「二つの祖国」「沈まぬ太陽」「運命の人」を完成させた、その背景について書き、語ったものをまとめた本です。

 いずれも大作で、社会問題を抉り、問題提起となった作品ばかりですが、完成にいたるプロセスには人知れぬ苦労があり、取材、調査に要した時間と労力はなみたいていのものではなく、また粘りと根気が必要とされたことがわかります。シベリア抑留、中国の貧困地帯、アフリカ(ケニアなど)での取材、ハワイ大学、カリフォルニア大学での資料収集、そして数々のインタビュー。入念、緻密な取材、調査があったからこそ、いい作品が生まれたのです。

 くわえて、人とのいい出逢いが不可欠で、「大地の子」では時の胡燿邦主席の計らいがなければその執筆は不可能だったようです。

 そして、著者はそれらを小説に仕立てるため面白く書くことにも力を抜かない作家であることが本書でわかりました。

 本書から、他にもいろいろなことを学びました。「残留孤児」と言ってはいけないこと「戦争孤児」であること、シベリア抑留はソ連の国家ぐるみの捕虜虐待であること、それに対して厳重な抗議をしなかった日本政府の姿勢の愚かさ、東京裁判での法廷速記録では日本文は曖昧で英文との対照が欠かせないこと、などなど。

 著者はかつて毎日新聞社で記者をしていた経験があり、その時の取材経験が役に立っているとのことです。小説家として身をたてたことに関して、記者時代の上司であった井上靖が、また作風として石川達三が先達のようです。

 さらに、作家として作品を書きながら何度も執筆を諦めようと思ったことがあるようであるが、戦争中の体験、同僚の死などを思い返しながら自分の道を進んできたと書いています。

F.ヴァートシック・ジュニア『この痛みから解放されたい-ペインクリニックの現場から』草思社、2004年

2011-06-29 00:15:27 | 医療/健康/料理/食文化

                       この痛みから解放されたい  ――ペインクリニックの現場から
 「痛み」は人間にとってやっかいな存在です。耐えられない激痛というものがあり、たとえばそれは三叉神経痛で、その痛みゆえに人格が破壊されることさえあります。

 また人間にとって痛みは身体的なものの他に、精神的なものとも結びついています。痛みが人生上の苦しみに転化するのです。

 痛覚をつかさどるのは神経ですが、それでは神経がなければいいかというと、そうではなく、神経がないというのは感覚がないということになるので、それでは人間は生きていけません。
人間らしい生活ができません。

 著者は自身の経験をふまえ、かつ豊富な臨床事例(著者は老神経外科の医師である)をひいて、この痛みのメカニズム、治癒の方法、そもそも人間にとって痛みとは何なのかを論じています。

 著者のスタンスは次のようです、「医療に課せられた現実の使命は、ただ命を救うことでななく、やすらぎをあたえることにある。とりあえずいまの時点で、わたしたちは永遠に生きることは期待できない。だが苦しみのない人生を送りたいと望むことはできる。その目標は手の届くところにあるかもしれない。幸いにも知性は諸刃の剣である-知性のせいでわたしたちは苦しみを感じるが、知性はその苦しみが生じる生物学的プロセスを理解し、治療する手段をあたえてもくれる」(p.20)。「医療の究極の目標とは、人間の不死を達成することではない。わたしたちのめざすべき目標は、人々が痛みを知らずに99年間生き長らえ、そして眠りのなかで死んでいける世界だ。医師の真の仕事は命を救うことではなく、痛みをやわらげることにある」と(p.277)。

 医師は人間に宿命づけられた痛みから患者を解放し、「質の高い生」を提供しなければならないという医療の哲学をもって、著者は幻肢痛や手根管症候群といった珍しいものから、片頭痛、三叉神経痛、椎間板ヘルニア、出産、慢性関節リウマチ、心臓発作、末期ガンなどの事例紹介を、ときにユーモアをまじえて説明しています。

 また、麻酔の原理、疼痛管理にも言及しています。ハーブ療法、鍼療法、磁気療法、プラシーボ効果などについてもこれらを非科学的と退けるのではなく、人間は精神的存在であるので心に作用して、痛みをやわらげることもありうるのだとしています。

 痛みの医療、ペインクリニックは20世紀、それも後半になって急速に発達した医療分野ですが、まだわからないことも多いというわけです。

 痛みからの解放は痛みに苦しむ患者にとって最大の贈り物です。そのために戦い、仕事をする医師がここにいます。


劇団四季ミュージカル「CATS」ロングラン・キャスト[ポニー・キャニオン:D50H0013-1,2]

2011-06-28 00:11:56 | 音楽/CDの紹介

                            
 CATSで歌われるナンバーを収めたCDです。ほとんど劇場で流れるとおりの順番で進んでいくので、あの感動を再現することができます。

 劇場では一部と二部とに分かれ、間に20分の休憩があります。観た感じでは、後半がより盛り上がったようですが、このCDを聴いても後半の6曲が好きです。さらに絞ると、「ミストフェリーズ マジック猫」「メモリー」「猫からのごあいさつ」です。元気がでます。


<ACT1(DISC-1)>
・OVERTURE(オーバチュア)
・PROLOGUE:JULLICLE SONGS FOR JULLICLE CATS (ジェリクルソング)
・THE NAMING OF CATS (ネーミング オブ キャッツ・・・猫の名)
・THE OLD GUMBIE CAT (ジェニエドッツ おばさん猫)
・THE RUM TUM TUGGER (ラム・タム・タガー つっぱり猫)
・GURIZABELLA (グリザベラ 娼婦猫)
・BUSTOPHER JONES (バスとファージョンズー大人物)
・MUNGO JERRIE AND RUMPLEYEAZER (マンゴジェリーとランベルティード 小泥棒)
・OLD DEUTERNOMY (ヂュトロノミー 長老猫)
・THE JELLICLE BALL (ジュリクル舞踏会)
・GRIZABELLA (メモリー)

<ACT2(DISC-2)>
・THE MOMENT OF HAPPINESS
・GUS:THE THEATRE CAT (ガス 劇場猫)
・”GROWLTIGER’S LAST STAND” (海賊猫の最期)
・SKINBLESHANKS THE RAILWAY CAT (スキンブルシャンクス 鉄道猫)
・MACAVITY (マキャヴィティ 犯罪王)
・MR.MISTOFFOLEES (ミストフェリーズ マジック猫)
・MEMORY (メモリー)
・THE JOURNEY TO THE HEAVISIDE LAYER (天上の旅)
・THE AD-DRESSING OF CATS (猫からのごあいさつ)


CATS (キャノン・キャッツ・シアター) 横浜みなとみらい

2011-06-27 00:02:39 | 演劇/バレエ/ミュージカル

               
 わたしはCATSを観たことがない珍しい人(?)だったので、一度は観ておこうと、キャノン・キャッツ・シアター(横浜みなとみらい)に足を運びました。歌と踊りはすばらしいですし、このミュージカルは奥が深そうです。何度も観たいという人がたくさんいるようですが、なんとなく理由がわかります。

 キャツシアターに入ると、変わった空間が・・・。舞台にはがらくたのが大道具で転がっています。冷蔵庫、やかん、グローブなどなど。ものすごい量のそれらがひしめくように積み重なっています。


 ドラマチックな展開ではありませんが、次のような物語です。

  街の片隅のゴミ捨て場。人間に飼いならされることを拒否し、逆境にめげずしたたたかに生きる猫たち24匹が集合。

 満月の夜、年に一度の特別な日、ジェリクル舞踏会が始まります。ここで、長老猫オールドディエトロノミーが、もっとも純粋なジェルクル猫、新しい命によみがえる一匹の猫を選ぶのです。

 個性的な猫たちは、誇りたかく歌い、踊ります。しかし、そこに仲間に入れない2匹の猫。それは年老いた娼婦猫のグリザベラと、誰にも恐れられている犯罪王のマキャヴィティ。
 
 ジェリクル猫に選ばれるのは、どの猫か? ヒントは「救済」がテーマのひとつにあるということです。

 舞台でのエネルギッシュな踊りとコーラスは圧巻です。最初のところで大きな靴がドーンと上から落ちてきます。びっくりしますが、それは狙い目。この靴は人間のもので、これで猫のサイズがわかろういうもの。観ているお客も猫のサイズになります。

 猫たちはスライディングをしたり、客席におりてきたり、工夫がいろいろです。彼らがもっていた小道具が集合すると機関車になり、やかんから汽笛がおおげさになります。

 CATSは詩人T.S.エリオットの詩集「おとぼけおじさんの猫行状記(The Old Possam's Book of Practical Cats)」にアンドリュー・ロイド=ウェーバーが曲をつけたもの(一部の曲は演出家トレヴァー・ナンらが作詞)。原作はなく一冊の詩集がベースです。

 キャッツを観たことがない人も、メモリーの曲は知っているはずです。メモリーは本当に心にしみとおるメロディーです。歌い手がすばらしいこともあるのでしょが、心の琴線をふるわせ、さらに涙腺をゆるませます。

 トレヴァー・ナンの演出で1981年5月11日にロンドンウエストエンドの劇場で初演されました。アメリカのニューヨーク、ブロードウェイでは、2006年1月に「オペラ座の怪人」に抜かれるまでのロングランの記録をもっていました。

 日本では劇団四季が1983年からこのテーマを扱い、場所は新宿のキャッツ・シター(仮設)です。公演数は7000回超え(本場のブロードウェイを超えました)、観客動員数は750万人を数えます。

 登場する猫たちは一匹一匹個性的なので、名前を覚えて性格までわかると、より舞台が愉しめるようです。

 グリザベラ、ジェリーロラム、ディミータ、シラバブ・・・・・・

              


野地秩嘉『食の達人たち-フードストーリー』小学館、2010年

2011-06-26 00:51:30 | 医療/健康/料理/食文化

                      
 「食の達人たち」という標題がついていますが、食にかかわる仕事についている人の人生上のエピソードを取材してまとめた読み物(ノンフィクション)です。

 以下のようにいろいろな店が取り上げられていますが、どのような編集方針があったのかは語られていませんし、コンセプトは読んでも分りません。

 地域も北海道から沖縄まで広範囲(銀座がやや多いが)、お店の種類も多様です。グルメの本ではありません。オーナーなり店長なり、板前なりの人生のエピソードは興味深いですが・・・。厨房の奥には味の数だけ人間ドラマがあるということらしいです。

・「空也」(最中、銀座)
・「天亭」(天麩羅屋、銀座)
・「京味」(和食、新橋)
・「三浦屋」(ふぐ料理、新宿)
・「ル・マンジュ・トゥ」(フランス料理、新宿)
・「小笹寿し」(寿司屋、銀座)
・「きく」(割烹、銀座)
・「ロオジエ」(フランス料理、銀座)
・「ます多」(カウンター割烹、京都市下京区)
・「菜の花」(中華料理、名古屋市千種区)
・「レストラン小西」(フランス料理、富山市堤町)
・「あん梅」(麻布十番)
・「徳山鮓」(食堂、滋賀県余呉町)
・「高良食堂」(食堂、沖縄県那覇市)
・「七兵衛そば」(蕎麦屋、山形県北村山郡)
・「西海酒造」(酒屋、兵庫県明石市)
・「北の富士本店・櫻屋」(ちゃんこ、北海道旭川市)
・「おそばの甲賀」(蕎麦屋、西麻布)。

 全体として何か掴みどころがありません。作家の川上弘美が「あとがき」で、この本の内容は「おはなし」で(物語とは違う)、「本書の書きようは、もしかすると、ある種の『ばかげた思い』を礎にしたのかもしれません」「最初から最後まで恰好のいいおはなしは、一つもありません。/どのおはなしも、どこかとぼけていて、頑固で、少しだけほころびていて、でもとっても気分がいい」と、書いています。「あとがき」を書きにくかったような「あとがき」ですが、川上さんの印象はわたしのそれでもあります。


「パッチギ! LOVE&PEACE」(井筒和幸監督、129分、2007年)

2011-06-25 00:06:29 | 映画

         

 昨日紹介した前作「パッチギ」の続編です。舞台は京都から東京に移っていて、5年後という設定です。在日コリアンが直面していたさまざまな差別の実態が描かれ、またアンソンの父の回想シーンとしてオールドカマーと呼ばれる在日一世が故郷の済州島から日本軍の南方戦線の強制連行されていく過程で懸命に生きて行く場面が再三繰り返される。
 
 ある日アンソンは駅のホームで京都時代からの宿敵近藤と出会い、彼が率いる大学の応援団と朝鮮高校生との大乱闘に巻き込まれます。そこで彼は気のいい国鉄職員の佐藤に助けられますが、佐藤自身はこの事件で職場をクビにされてしまいます。

 佐藤はこの事件がきっかけでアンソンの家族としたしくなり、妹のキョンジャにほのかな想いをよせます。そのキョンジャはホルモン焼の店で手伝いをしていましたが、偶然に客としてきていた芸能プロダクションにスカウトされ、芸能界に入っていきます。しかし、この独特の世界にはさまざまな掟があり、キョンジャは差別に悩んだり、矛盾に直面します。

 一方、アンソンとその一家は筋ジスらしい病気の息子チャンスの治療に懸命です。治療のかいもなく、病気はしだいに悪化していきます。医師からのすすめでアメリカでの治療を決意しますが、費用は莫大。そこで彼は無謀な計画をたて、猪突猛進で進んでいきます。

<キャスト>
・アンソン  井坂俊哉
・チャンス  今井悠貴
・キョンジャ 中村ゆり
・佐藤    藤井隆
・野村    西島秀俊
・オモニ   キムラ緑子
・ピョンチャン 風間杜夫
・キョンスン  手塚理美 

 


「パッチギ!」(井筒和幸監督、119分、2004年)

2011-06-24 00:05:15 | 映画

           

 朝鮮語の「パッチギ」とは「頭突き」の意味。以前、観たことがある映画ですが、在日コリアンのことに関する本をこの間かなり読んだので、その問題がどのようにこの映画に描かれていたのかを知りたいと思い、見直しました。

 あらすじは忘れていましたが、だいたい次のような内容でした。
 時代は1968年。京都にある府立高校と朝鮮高校とは日ごろから些細なことで争いが絶えず、暴力的対立が日常的におこっていました。なぐる、蹴る、そして「パッチギ」。

 主人公は府立中2年の松山庸介。争いをサッカーで決着をつけるべく(先生のアドバイス)、松山は友人の紀男と朝鮮高校に申し込みます。そのおり、松山は音楽室でフルートを吹いていた少女、キョンジャに一目ぼれしてしまいます。

 付き合いをはじめたのはいいのですが、何とその兄のアンソンは朝鮮高校の番長でした。松山はキョンジャと仲良くなりたいと、朝鮮語を勉強しようとし、ギターを買って、キョンジャが演奏していた「イムジン河」を弾く練習をしたり・・・。

 セリフを注意深く聞いていると、大事なことを言っています。「北朝鮮に帰って社会主義建設に貢献したい」とか、「おれたちには住民票がない」とか。

 京都での日本と朝鮮の高校との確執、サッカーの果たし合い挑戦状などは、実際にあった話とか。

 また、「イムジン河」はかつてザ・フォーク・クルセダーズが「帰ってきたヨッパライ」のあとにレコード化して発売しようとしたにもかかわらず、販売禁止になったいわくつきの歌です。この映画では、その「イムジン河」のメロディーと歌が何度もながれ、さらにエンディングでは「♪ あの素晴らしい愛をもう一度」がでてきます。


 時代が時代なだけに、ベトナム戦争があり、大学紛争があり、熱い政治の季節でした。

 キャストは・・・
 ・松山庸介(塩谷瞬)
 ・アンソン(高岡蒼甫)
 ・キョンジャ(沢尻エリカ)
 ・坂崎(オダギリ・ジョー)
 ・桃子(松永京子)
 

 


「ベッジ・パードン」(シス・カンパニー公演:三谷幸喜脚本・演出)世田谷パブリック・シアター

2011-06-23 00:01:40 | 演劇/バレエ/ミュージカル

              
 三谷幸喜さんの魅力的な脚本、演出と、豪華な実力派の俳優陣(野村万斎、深沢絵里、大泉洋、浦井健治、浅野和之[敬称略])で愉しい3時間でした。

 その演劇は、「ベッジ・パードン」です。この題、何か意味不明と思っていましたが、聞き返しの「もう一度お願いします」の英語表現で I beg your pardon.というところを、ロンドン下町のコックニー訛りの女中が bedge pardon. と発音するのがテーマになったようです。

 話は夏目金之助(漱石)が国費留学生としてイギリスはロンドンで英文学の勉強にいったおりの、その様子を三谷幸喜流に脚色した逸話です。

 金之助(野村万斎)は1900年10月から1902年12月までの約2年間、ロンドン留学しました。下宿先の3階に部屋をかり、階下には貿易商人の駐在員である畑中惣太郎(大泉洋)が住んでいました。ふたりは表面的には意気投合していますが、英語がすでにペラペラの惣太郎の前で、金之助の英語はぎこちなく、コミュニケーションの手段には使えない代物でした。本国の日本では「英語の教師」なのですが、会話能力がダメなのです。

 その金之助にとって女中のアニー・ペリン(ベッジ)には唯一気をゆるし、うちとけて話ができたのです。その彼女は幼いころ、馬に蹴られたという設定で、行動、口舌が幼く、おまけに下町訛りで、いわばちゃんとした英語を話せません。Hの発音が抜けてしまうのです。このあたりのシーンとペッジは、マイ・フェア・レディのイライザ役を彷彿とさせます。

 金之助の下宿先が中心ですが、ここに入れ替わり立ち替わり、惣太郎、大家の女主人ハロルド・ブレット、奇妙なその妹サラ・ブレット、ベッジ、その弟のグリムズビー(浦井健治さん)がドタバタ喜劇を演じます。

 金之助を演じたのは狂言師の野村万斎さん、惣太郎役には大泉洋さん、浅野和之さんがひとり11のイギリス人役を演じ分けます。何とも可愛いのはペッジを演じた深沢絵里さん。純真で、一生懸命で、働き者、世話焼きの娘役、夢の話をすることで自分を生きているベッジを上手に演じていました。

 金之助はロンドン留学であまり成果を成果をだすことができず、うつ病気味になり、狂ってしまたとも当時噂されました。しかし、自分の将来を小説家としてやっていくことに人生の舵を切り始めます。舞台でもそのあたりまで想定した状況を描いています(帰国後、1905年に「吾輩は猫である」、1906年に「坊っちゃん」「草枕」を発表)。
万斎さん、好演です。

 公演は7月末までロング・ランです。


林基弘『脳腫瘍、脳動静脈奇形から三叉神経痛まで頭を切らずに治すガンマナイフ最新治療』講談社、2010年

2011-06-22 01:14:49 | 医療/健康/料理/食文化

                      

  私が知っている女性に三叉神経痛を患っている人がいます。この三叉神経痛というのは、人ががまんできない痛みの3本指のひとつに入るくらいで、たとえていえば焼火箸をじかに頬にあてられたようなものといわれます。あまりの痛さに耐えきれず、自殺を考える人もいるそうです。

 場所は側頭部のこめかみのあたりから頬を通過し下あごにかけて、あるいは鼻の下にかけて、そしてその上肢と3方向に向かう神経のあたりです。

 風が頬にあたるようなことがきっかけになったりで起こることがあり、男性よりは女性に多く、高齢者に多いのですが、30歳ぐらいのひとが患うこともあります。

 痛みは他人にわかりくいものですが、こと三叉神経痛の激痛は当人でなければわからないらしく、どうしてそんなに痛いのかが理解されにくいようです。

 なぜそんなことが起こるのかはっきりわかっていないようです。三叉神経が動脈と接し、動脈が血液の流れで拍をきざむとき、それが三叉神経を刺激しているらしいです。

 痛みをとるにはテグレトールという薬をのむ、ガンマナイフという放射線を使う方法、ペインクリニックで神経ブロックを施こす処置、手術で三叉神経に悪さをしている要因を除去するなどがあるらしく、彼女はその手術を7-8年前に三井記念病院で受けたそうですが、最近また痛みがでてきているようで、テグレトールを飲んでいるとか。

 今日、紹介の本はこの難病、三叉神経痛を治す名医といわれる著者(東京女子医科大学脳神経外科講師)が書いたガンマナイフによる痛みの治療を紹介したものです。

 取り扱われている痛みは、次のとおりです。
 ・転移性脳腫瘍
 ・脳動静脈奇形
 ・転移性網膜瘍
 ・頭蓋底髄膜腫
 ・三叉神経痛
 ・顔面神経痛瘍
 ・聴神経腫瘍
 ・小脳虫部のう胞性腫瘍
 ・小脳半球血管芽腫

 痛みをとる治療の最先端を知ることができます。

 


高木仁三郎『市民の科学をめざして』朝日新聞社、1999年

2011-06-21 00:02:49 | 科学論/哲学/思想/宗教

                      
  科学の内容、在り方を市民サイドで考える「自前の科学」「市民の手による科学」を提唱し、独特の科学論を編み出し、実践した高木仁三郎が死の直前に刊行した本です。                    
 本書によると高木学校が「市民の手による科学」の「場」になるはずでしたが、たちあげ直前に高木は病気で入院し、手術。学校は頓挫の危機に直面しましたが、共感をもつ人々の熱意によって学校はスタートしました。その経緯、学校設立のさいの様子は本書の最後の部分「おわりに 『市民の科学』のこれから-高木学校によせて」(「次の世代と結ぶ」「学校が始まった」)に詳しいです。

 この学校は現在も健在で、市民サイドの精力的な科学研究活動、成果の広報活動を行っています。

 本書の第一部では「市民の科学」として専門化批判の組織化の必要性が唱えられています。すなわち原子力や環境問題などすぐれて専門的知識が問われる分野では自称、他称の専門家が幅をきかせていて、素人は議論に入り込む余地がありません。また批判できる能力をもった研究者は孤軍奮闘しているものの、それゆえに大きな力になりにくいのが現状です。専門的批判の組織がまたれるゆえんです。

 ドイツではそうした組織があり(フライブルク、ダルムシュタットのエコ研究所、ブレーメンのコラート・ドンデラー事務所など)、政府、産業界はその活動、見解を無視できないほどに成長しています。

 高木はドイツの例をひきつつ、すぐに同じレベルのものはつくれないとしても、この種の研究組織が喫緊の課題であるとしてオルタナティブとしての市民の科学を実現する「原子力資料情報室」を構想し、創始しました。本書の「第3章:原子力資料情報室」「第4章:プルトニウムと市民のはざまで」で、この組織を紹介しています。

 著者の言によれば「1975年に東京での原子力資料情報室の創設に参加し・・・そこでの仕事は、政府や原子力計画を批判的に検討し、きちんとした根拠に基づいて、原子力問題に関する情報と見解を一般の人人々に理解しやすいかたちで提供するというものでした」ということになるのです(p.75)。

 「第二部 市民にとってのプルトニウム政策」では、原子力研究の専門家である高木が、プルトニウムとは何かから始めて、政府の原子力利用の長期計画の問題点、高速増殖炉の危険性、プルサマール計画の内容(二酸化プルトニウムを二酸化ウランと結合して燃結したいわゆるMOX燃料を通常使われている沸騰水型および加圧水型の軽水炉で燃やす計画)、諸外国のプルトニウム政策の実践について論じています。

 さらに、この部の前章での議論の延長で、第2章ではプルトニウム軽水炉利用の中止(根拠はプルトニウムそのものの危険性、MOX利用が核拡散を促進すること、核テロリズムの脅威が存在すること、など)を指摘しています。


小出裕章「原発のウソ」扶桑社、2011年

2011-06-20 00:04:36 | 科学論/哲学/思想/宗教

               原発のウソ
 福島原発事故後、関係書が普及しているようですが、これまでは事故前に出版されたものが大半でした。最近、事故後の経過をふまえた関連書籍が刊行されるようになってきました。本書はそのうちの一冊です。

 「第1章:福島原発はこれからどうなるのか」では、政府、東電の公表データが遅く、誤りが始終あることに苦言を呈しています。データの迅速で、正確な開示と提供は不可欠です。そのうえで、今回の事故はいわば「地球被曝」であり、もしかすると環境汚染の規模でチェルノヴィリを超えるかもしれない危険性を孕んでいること、作業員の悪化する被曝環境が懸念されること、連鎖的メルトダウンが発生し、歴史上経験のない大惨事という最悪のシナリオを覚悟しなければならない状況であることが書かれています。

 予断が許されない状況なのには、早くも「何とかなるのではないか」という楽観論がでています。不思議な国です。

 別の章「第3章:放射線から身を守るには」
では、症状が出始める最低被曝のしきい値などはなく(「直線、しきい値なしモデル」)それくらい放射線は恐ろしいものであること、文科省が福島県下の学校に示した子どもの被曝の安全基準が甘すぎること、汚染された農地の再利用が不可能であること、などが記述されています。

 事故が起きた場合の莫大なコスト(原子力損害賠償法の設定では1200億円[2009年])、高速増殖炉は破綻確実であること(1kWも発電していない「もんじゅ」に既に一兆円を超えるカネを投資)、原子力利用になって高くなる電気料金(コスト負担に耐え切れず日本のアルミ精錬産業が潰れる)、貧弱なウラン資源、見通しのない放射性廃棄物の処分、これらの負担の大きさから判断すると、著者の言うように、原発廃止は必然の理です。

 原発を止めても支障はなく、代替エネルギーの開発に投資することが賢明という著者の提言は、即刻実現にうつすべきです。

 それでも、国民が請け負わざるをえない「負の遺産」は大きすぎるのですから。


ヴィノテカ・クーヴーティーチー・ダ・サリーチェ

2011-06-18 00:05:17 | 居酒屋&BAR/お酒

       
ヴィノテカ・クーヴーティーチー・ダ・サリーチェ
Vinoteca Q.V.T.C. Da Salice)
新宿区荒木町1-2 TEL03-6457-8983)

 四谷三丁目の杉大門通りにある、ワイン・バーです。杉大門通りというのが横町のような感じでわかりにくいくもしれませんが、杉大門通りに入ってしまえばすぐに見つけることができます。ここにきたのは2回目。

 ワインが豊富です。200種類以上がワインセラーに入っています。どういうものを飲みたいのか、甘めか、渋目か、さわやかのものか、重たいものかなど好みを言うと、数本目のまえに並べてくれます。ラベルをみたりしながら、選ぶことができるのです。

 マスターがJSAソムリエなので、こういうことができるのです。

 お店は正面がガラス張りなので開放感があります。画像にあるように(HPから)コの字型にカウンターがあります。この画像のちょうど奥の隅でのんでいました。

 ワインは名前は覚えられませんでしたが、ピノノワール系とカベルネ・ソーヴィビヨン系を所望し、わがままを言って、コニャックありますかと聞くと、「あります」ということでしたのでそれを注文しました。

 お店の名前のサリーチェは「柳」の意味で、マスターの本名の一字を使ったとのことです。

 池袋からいくとなると、副都心線ができたので、これに乗って(できれば急行)、新宿3丁目で丸の内線に乗り換え、四谷3丁目で下車すると便利です。


杉浦正和『徹底討論 原発、是か非か-ディベートでわかる原発の過去・現在・未来-』ほるぷ出版、1991年

2011-06-17 00:25:54 | 政治/社会

 原発は是か、非か? 焦眉の問題です。わたしは、原発推進政策は即刻やめ、方向転換すべきと思います。現状の技術水準ではリスクが高すぎます。

 使用済核燃料の最終処理場が決まっておらず、それはたまる一方です。今回の福島原発のような事態が起これば収拾がつきません。放射能のたれ流し。子どもたちはそこで被爆している。内部被爆の恐怖は先日の本ブログで紹介したとおりです。

 ドイツ、イタリアは原発廃止を決定しました。推進派はどういう主張をするのでしょうか? 本書でその一端を知ることができます。原発を是とするものと、非とするものがディベートで意見をたたかわせています。

 論点がいくつかあります。①エネルギー政策をどうするか、②原発の安全性、③電力会社のありかた、です。

 ②の安全性の議論は多岐にわたっています。核分裂制御の可能性と実現性、ECCS(加圧水型原子炉の非常用炉心冷却装置)、高レベル廃棄物処理など。

 推進側の主張は、簡単にまとめると、(1)石油資源の枯渇は時間の問題であり新しいいエネルギーの開発を考えなければならない、(2)太陽エネルギーはエネルギーが分散しすぎてパワーが小さく効率的でない、(3)原子力エネルギーは原子核が固まるエネルギーで人類のもつ一番強力で有望なエネルギー源である、(4)原子力はウラン235の玉突き連鎖反応でとりだせる、(5)原発は中性子を吸収する物質がたくさん入っていて中性子が増えないよう連鎖反応をコントロールできるようになっている、(6)設計では暴走事故が起こらないことが大前提になっている、(7)安全の基本データを実験で確かめて発電所をつくってきた、(8)ウラン燃料の固まり、燃料棒、圧力容器、格納容器、コンクリート建物というように頑丈な壁で放射能を外部に漏れないようにしている、(9)定期検査で事故を未然にふせぐようにしている、(10)コンピュータで原子炉を緊急停止したりECCSで安全確保がなされている、(11)安全装置は何種類もあり、ひとつがこわれても大丈夫なようになっている、(12)反対派がいう危険性の議論は抽象的にではなく具体的にすべきである、というようなことです。

 本書で反対側はもちろん的確な反論をしています。本書はディベートで勝ち負けを決めるように編集されていません。どちらの言い分も対等に紹介しています。

 この本は1991年に刊行され、その当時に本書を読んだなら、議論は平行線にしか映らなかったかもしれません。しかし、福島原発の実際と現状が眼前にあるいま、進行している現実がディベートの勝敗の判断基準になります。

 推進側の御用学者も原発が絶対安全とは思っていないはずです。ただ、少なくとも自分たちが生きているうち、あるいは仕事をしている間は、そんなことは起きないだろうと思っていたし、未解決問題はそのうち解決されると高をくくっていたのではないでしょうか。

 今回の事故では、問題がおきたときのマニュアルがほとんど役にたたなかったといいます。事故への対応策は、明らかにおろそかになっていたのです。いわば操業しながら、原子炉の安全性をテストしていたのではないでしょうか。そんな気がします。

 くわえて、エネルギーに依存しすぎの生活の在り方の変更が重要であること、さらに企業の論理、すなわち電力会社の思惑、原子炉製造に関わる企業の意向が、この人災をもたらしたことも声を大にして言っておかなければなりません。


東野圭吾『回廊亭殺人事件』光文社、1994年

2011-06-16 00:09:13 | 小説

            

 実業家で財産家の一ケ原高顕[タカアキ]の莫大な遺産相続に関わる遺言公開で回廊亭(正式名称は一原亭)に集合した弟、蒼介などの関係者。そこにはかつて高顕の秘書で、老婆の伊原菊代(伊原は高顕の親友)に変装した桐生枝梨子も招待されていました。回廊亭での世話係は女将の小林真穂、高顕の愛人であった女です。(高顕には隠し子がいて、この小説ではそのことが重要な意味をもってきます)

 桐生枝梨子は、その同じ回廊亭でかつて里中二郎との心中事件とかかわりました死ぬことなく生き続けました(枝梨子と二郎は愛しあっていました。またこの心中事件はしくまれたもので、第三者が枝梨子の息の根をとめようとしたことが後でわかります)。彼女はその後偽装自殺を試み、伊原菊代という老婆になりすましていました。

 彼女には、ある意図があったのです(上記第三者を捜し出し、復讐すること)。

 この推理小説は、老婆になりすました枝梨子の意図と視点で展開されていきます。重要なのは死んだはずの枝梨子から預かったという別の遺書を、菊代になりすました枝梨子がもっていたことで、高顕の遺言と同日に開封することが託されていました。

 この遺言に何が書かれているのでしょうか。飛び交ういろいろな憶測。

 一ケ原の縁戚者と枝梨子は、心中事件があり火事がでたわけありのこの旅館で、遺言公開のために同宿するのですが、その真夜中に殺人事件が起こります。枝梨子の部屋から遺書を盗んだ由香(蒼介の兄[既に亡くなっている]の夫人の娘)が自室で、ダイイングメッセージ「И」を遺して殺されたのです。死体は遺書をとりかえしに部屋に忍び込んだ枝梨子によって発見されました。

 問題の核心は一挙にその犯人探しへ。枝梨子さえ、それが分らないという設定です。これらの人々にさらに遺産相続に関わる古木弁護士と助手の鯵澤弘美が、そして殺人事件ということで駆けつけた警部、刑事がくわわります。

 そして第二の殺人。枝梨子が女将の真穂を風呂場で殺傷したのでした。何故なのでしょうか。事態は急展開し、最後に予想もつかない結末になります。

 筋の運び方は見事です。24日の夜にこの小説がTV化され、番組が放映(フジテレビ)されるのを知り、読みました

下川裕治・仲村清司『新書 沖縄読本』講談社、2010年

2011-06-15 00:09:11 | 地理/風土/気象/文化

            新書沖縄読本
 沖縄長寿国の伝説がくずれつつあり、一時の観光ブーム、沖縄ブームに翳りがみえはじめてきました。米軍基地移転問題は未解決のままです。本書はこうした事態を直視し、新たな地平にたった沖縄論です。

 話が具体的であること、個人レベルの話題を沖縄全体の問題と結びつけて展開されているので、わかりやすく、説得的です。

 例えば、長寿であったはずの沖縄では平均余命の全国県別ランキングで若年層ほどその位置が低くなっていること、内閣府公表の肥満率が全国ワースト一位、糖尿病の死亡率、肝疾患死亡率が全国一位(2005年)など異変が臨界点にせまっています。総メタボ化が進行し、これは食生活に原因があるといわれています。

 以上は健康指標の話ですが、観光では2008年12月以降に入域数で前年同月比を下回りつつあり、全体としての減少傾向に歯止めがかからなくなっているとか。あおりをくったかのように老補のホテルの閉鎖つづいています。沖縄最古の那覇東急ホテル(前身は琉球ホテル)が2000年委閉鎖、京都観光ホテル(沖縄市のホテルが何故か京都ホテル)が2007年10月に幕、といた具合です。

 普通の観光ガイドではあまりとりあげない「社交街」という異空間が紹介されいるのも特徴です。社交街とは、簡単に言えば歓楽街です。

 そして、年金問題でも、話がものすごく具体的です。ここでは新里愛蔵さんという個人の年金加入期間のカウントの仕方で、沖縄特例をどのように適用したかが詳しく語られています。

 米軍基地移転問題で、普天間から辺野古への移転に関して、アメリカの胸算用についての言及、要するに分散している基地機能の辺野古への集約を目的とした複合施設の一体化(p.250)も鋭い指摘です。

 この他、迷走する沖縄独立論(県民意識調査では、「沖縄は独立すべきだ」とした人が2007年には20.6%、2005年には24.9%)[p.242]、サンゴ問題、八重山諸島の「沖縄観」、与那国と台湾の関係など、問題の所在を的確につかんだ立論に好感がもてました。

 著者たちはかつて沖縄ブームの火付け役を担ったことがあるらしく、そのことの反省の弁もあります。「沖縄は『癒しの島』でも、『楽園』でもない。問題が山積した南の島にすぎない。しかしそこには、いつも海からの優しい風のように、『ゆるさ』というエネルギーが流れていた。出口のない問題を呑み込んでしまう沖縄のエネルギーを、僕らは憧れの眼差しで眺めていた」(p.10)。本書を著した著者たちのよりどころが、これです。