【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

内海聡『医学不要論』三五館、2013年

2013-10-10 23:44:20 | 医療/健康/料理/食文化

             

 問題提起の書として受け止めたい。内容は過激(?)。また、文章がねられておらず、言葉遣いに配慮がなく、頭に想いうかんだことをワープロを便利に使い、おしゃべりする感覚で(あるいは独り言を言う感覚で)、タイピングしてできあがった本なのではなかろうか(そういう本が増えています)。

  近年、この種の医学批判、医療批判の本が随分出ている。著者自身もこの本の前に、『精神科は今日も、やりたいほうだい』『大笑い!精神医学』という本を出版している。

 医学への過信に警告を発する本書の内容を以下に紹介する。

  多くの国民は誤った医学的常識に洗脳され、それが医療関係者を富ませ、社会保険を空洞化させ、患者が死へと追い詰められている。

   現代の医療は、そのほとんどが対症療法であり(アロパシー医学)、本来はほうっておいても治癒するものを、気休めに投薬し、よくても症状を軽くしているにすぎない。本質的な治癒のための処置をほどこしているのではない。病院に行かなくとも治るものを、そうはしないで意味のない診察を受け、薬を出してもらって、安堵している。社会保険制度、国民系保険制度の弊害である。

   最悪なのは、「医原病」である。「医原病」とは、医学的措置が病気の原因となるもので、先進国に多い。どうしてこのようなことになってしまったのか。著者はそれが「イガクムラ」の陰謀であるという。イガクムラの住民は、厚生労働省、医師会、医学関係の学会、病院協会、製薬会社、患者会、家族会、病気の啓蒙を行う慈善団体、NPO法人、医療ジャーナリスト、医学雑誌社である(著者は他にも「彼ら」「支配層」という名称で、この社会を牛耳る人々を糾弾している)。彼らの行動原理は、「カネ」であり、業界による社会の支配、統制である。

  そして「社会毒」がでまわっているのも、今日の社会の特徴。「社会毒」とは、人間社会がもたらした古来の生物的世界とは反する内容をもった物質の総称で、具体的には、西洋薬に代表される薬と呼ばれる物質、農薬、食品添加物、遺伝子組み換え食品、環境ホルモンなどである。

  このように、医学不要論の基礎理論を組み立て、著者は「治す」ではなく「その場しのぎ」の治療、不要なX線撮影、薬効の捏造、基準変更による病気予備軍の創出、代替医療のまやかし、などを次々暴いている。

  著者はこうした現状へのアンチテーゼとして、生命維持のための必要物を提言している。それはロジャー・ウィリアムズのいわゆる「生命の鎖」(46種の栄養素)にプラスする「精神の輪」である。以上が本書の第一部で医学不要論の「原論」であり、第二部では個々の病気にどう対応するかが、解説されている。原論の応用編である。


近藤誠『医者に殺されない47の心得-医療と薬を遠ざけて元気に、長生きする方法-』アスコム、2013年

2013-06-26 00:01:44 | 医療/健康/料理/食文化

              

  わたしは医者嫌いで、病院にあまりいかない。病気は基本的に自力で治るはずで、自身の回復力にゆだねている。サプリメントにも懐疑的である。通常のバランスのとれた食事で十分である。もちろん、採食主義者ではないし、髪の毛にいいからとワカメをせっせと食べることもしない。偏食は、健康に悪い、と思う。


  本書は、著者の年来の主張をまとめたもので、上記のわたしの姿勢と重なるところが多く、共感するところがあった。違うところは、著者が豊かな医学的知識と臨床医療を基礎に持論を展開しているのに対し、わたしは素朴な生き方の主張にすぎないという点だ。

  著者の年来の主張とは、「がんは切らずに治る」「抗がん剤は効かない」「健診は百害あって一利なし」「がんは原則として放置したほうがよい」というもの。「免疫療法」の欺瞞性も説いている。この措置を講じて、高額医療をとるのは詐欺である。そして、本書に綴られている47の心得。医者にいけば、「治療に追い込まれる」ことになるので、できるだけいかないようにすること、「血圧130で病気」なんてありえないこと、健診は医療被曝を避けることもできるので、受けないようにすること。詳しくは、本書を精読すべきである。大事なことがたくさん書いてある。

  そのうえで、「100歳まで元気に生きる『食』の心得」「100歳まで元気に生きる『暮らし』の心得」が前向き姿勢で書かれていて、傾聴に値する。コレステロールも高血圧ともほどほどに付き合い、小太りが一番いい、と書かれている。適度なお酒はOK、「毎日のタマゴと牛乳」がやはりいいようだ。コーヒーは、がん、糖尿病、脳卒中、ボケ、胆石、シワを遠ざける、という。早寝早起きに勝るものはない、よくしゃべり、笑い、食べること。そしてバランスのよい食事。最終章は「死が怖くなくなる老い方」で、ぽっくり逝く技術を身につけること、100歳まで働き続ける人生設計を身につける、リビングウィルを書くことなどを提唱している。

  著者は一連の著作によって、菊池寛賞を受賞した。「第60回 菊池寛賞受賞の弁」というのが冒頭にあり、その最初に「わたしはこれまで、同業者がいやがることばかり言ってきました。・・・そのためでしょう、私の医学界での受賞歴といえば『そんなこと言ったらダメで賞』とか、『近藤をバッシングしま賞』といったものばかりだった」と述懐している。


中村仁二/近藤誠『どうせ死ぬなら「がん」がいい』宝島社、2012年

2013-06-08 00:09:23 | 医療/健康/料理/食文化

             

  過激な表題ですが、これは現在の医療界の利益・経済第一主義に対するアンチ・テーゼで、読了すると、過激でも何でもないことがわかります。


  著者たちによると、日本では「がん」に対する過剰反応が意図的に画策されているそうです。「がんもどき」は放っておいたほうがよい、固定がんについては、それが痛みをともなったり、食道が圧迫されてつまってきたりしたら適当な処置は必要にしても、普通、高齢者の胃がん、子宮がん、肝臓がんなどは痛むこともないので、抗がん剤を服用したり、手術したりするのは、やめたほうがよいようです。
  痛みをともなう苦痛、吐き気などの副作用で、地獄の苦しみをあじわった末、抗がん剤服用、手術をしない場合に比べて、顕著に寿命をながらえることはまずありえないと言うのです。激痛の煉獄なかで死ぬよりは、自然に死んでいくほうが幸せです。


  がん検診も受けない方がよい、と書かれています。検診技術は高度化しているので、がんは発見されやすくなっていますが、その分、患者が増え、基礎知識のない患者はがん治療に追い込まれやすくなっています。検査による放射線の被ばくの危険性もあります。

  要するに図式化していえば、製薬会社がぼろもうけする資本主義の仕組みがあり、学会がいろいろな基準を再設定し、予防医療と称して潜在的患者を掘り起こし、マスコミがそれを煽り(滅多にない成功例を過大に報道するなど)、医者は甘言と脅しで患者を治療に追い込み、保険会社は「がん保険」で潤うという構造がすっかり日本社会に定着しているのである、というのです。

  治療さえしなければ、がんは痛くも苦しくもなく、そのままがんで自然死するなら、むしろラクとまで言い切っています。ところが、がんは痛くて、悲惨なものというイメージを医療界が総力をあげて宣伝し、がんの恐怖がかきたてられています。

  なぜそのようなことをするのでしょうか。医療の世界に生きる人が、こぞって、儲けることに腐心しているからです。


  実際に多くの「がん放置患者」の穏やかな臨終を見届けてきた著者たちは、こうした実情に警鐘を鳴らし、がんという病がそもそもどういうものなのか、現在の医療の実態はどうなっているのか、そして人間にとって「死」とは何なのかを、徹底的に語り合っています。がんに関わる話がメインですが、この他にも、高血圧、糖尿病、コレステロール、インフルエンザ・ワクチン、サプリメント、病院ランキングなど、多岐にわたっています。勉強になります。


近藤誠『「余命3カ月」のウソ』KKベストセラーズ、2013年

2013-05-17 23:46:46 | 医療/健康/料理/食文化

                

  癌の本人告知は、以前は慎重に行われていた。しかし、今はわりと簡単に医者はそれを患者に伝える、そんなことを聞いたことがある。わたしも地元のある病院で、待合室で診療の呼び出しをまっていたら、かなり年配の男性が診療室から出てきて、付添い人に「オレ、癌だってよー」と話していて驚いたことがある。そんなに簡単に、医者は「あなたは癌です」などと言うのだろうか、と。


   本書を読むとそれは別に驚くことではなく、現在、医者はわりとすぐに「余命は3カ月です」と宣言するらしい。これは一種の強迫であり、著者の説明によると、もしこれを「1年は大丈夫です」と伝えて3カ月で患者がなくなってしまうと医者としての面目がたたず、また生存データを見せて「癌の進行は個人差が多いのでゆっくり治療しましょう」などと言うと、患者を治療に追い込めないのだと言う。

   この本で著者が声を大にして述べていることは、「癌には転移するものと、しないものがあり、前者が本物の癌、後者は「がんもどき」で、癌はこの『がんもどき』が大変多い」「医者に騙されてはいけない、『余命3カ月』などとただちに宣告する医者はヤブである」「早期発見によって延命できると考えるのは錯覚」「逆に早期発見によって手術を勧められ、その結果内臓を失い、苦しんで死にいたるケースが多い」「癌検診は百害あって一利なしと心得よ」「検診はなぜか日本だけで盛んに行われている」「検診による医療被曝に注意せよ」「抗がん剤はやめたほうがよい、宿命詐称がある」「結局『余命は3カ月です』と患者に伝えるのも、抗がん剤を投与するのも、医 者と製薬会社の『もうけ』第一主義によるものである」ということである。徹底的に患者によりそって、問題提起している。

   著者は年来、「がんは切らずに治る」「抗がん剤は効かない」「がんは原則として放置したほうがいい」と言い続けていたが、その延長上に、この本がある。癌への対処の仕方は、したがって、医者に騙されない9つの心得(①元気なのに、「余命は3カ月」はありえない、②人はがんですぐには死なない、③検診は受けない、受けても忘れる、④リンパ節まで切り取っても、がんは治らない、⑤検診で受ける放射線量に要注意、⑥治療法はひとつ、ということはない、⑦セカンドオピニオンは違う病院の違う診療科で、⑧「免疫力」より「抵抗力」、⑨無治療が最高の延命策)を遵守し、癌とつきあいながら(癌とたたかうのではない)限られた人生をよく考えて誠実に生きること、がよいと提唱している。

   本文中では、昨年、食道癌が切っ掛けで、手術後わずか4カ月で肺炎から急性呼吸窮迫症候群(ADRS)を引き起こして亡くなった中村勘三郎さんの例もとりあげて、その処置が適切でなかかったのでは、と疑問をなげかけている。

   構成は以下のとおり。「第1章:偽りだらけの余命宣言」「第2章:余命とは何か」「第3章:がんとはなにか」「第4章:余命を縮める抗がん剤の正体」「第5章:予防医学が余命を削る!」「第6章:限られた余命を、どう生きるか」


なかにし礼『生きる力-心でがんに克つ』講談社、2012年

2013-02-21 00:01:15 | 医療/健康/料理/食文化

         

 食道癌をわずらった著者が、陽子線治療法とういうものがあるのをネットでみつけ、この治療で全快したそのプロセスの一部始終をまとめた本。


  陽子線治療法のメカニズムは、水素の原子核を利用したもの。これを加速器にかけると陽子線に物質を透過する力が出てくる。透過している最中、そのエネルギーは小さく、健康な肉体へのダメージは少ない。加速した陽子を癌患部にねらい撃ちし、癌細胞を壊すという方法で治癒する。「切らないで癌治療」のひとつで、日本ではこの本によると7箇所でしか行っていない。

  陽子線治療の機械は一台80億円し、保険適用されないので患者の自己負担は300万円ほどかかる。著者は週に5回、合計30回、6週間、この治療を続けたという。スタッフは7人の医師、15人の技師、4人の医学物理士だったという。チームは、完治に自信をもち、明るい雰囲気だったとか。

  著者は妻と協力して、この治療法を独自に見つけるまで、いくつかの病院で診断を受けたが、どこもここも「切る」治療のアドバイスしかなかった、しかし、著者は若いころから心臓に病気をもち、このため全身麻酔による通常の手術では耐えられないと判断して、自分で治療法を探した。

  ある日突然にがんになったことを知った著者は、カフカの『変身』になぞらえて、その事実を引き受け、その後の、あくまでも切るという医師たちとの堂々めぐりのやりとりは『審判』と同じだと感じ、ロボット化された病院のシステムと、医師たちの対応に接し、『城』を想起した、とある(p.111)。

  本書は、小さな本であるが、文中、生まれた満洲のこと、ソ連軍侵攻のおりに目撃した関東軍の姑息な手段などを回顧し、生きぬく力の確認をしつつ、また闘病中にさまざまな作家(カフカ、ドストエフスキー、トーマス・マン、カミュ)によって作品のなかに残された言葉が思考の支えになり、考えの裏打ちになったことを告白している、「日ごろ読んだ本の一言一句をどれだけわが事として痛烈に受けとめ、胸に刻み込んだか、それが大事で、それによって私は本当に助けられたと思っている」(p.134)。本書が単なる闘病記と違う、ズシリと重い人生の書になっている所以である。


三国清三『料理の哲学』青春出版社、2009年

2012-09-26 00:23:23 | 医療/健康/料理/食文化

            

   四谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」のフレンチの店を開き、いまやこの分野ではおしもおされぬ第一人者の三国シェフがフレンチの奥義、哲学を、自身が神様として敬愛する5人(正確には6人?)のフランス料理人(フレルディ・ジラルデ、トロワグロ兄弟、ポール・エーベルラン、アラン・シャベル、ジャン・ドラベーヌから学んだものをベースに語った本。


   著者は北海道の増毛で漁師の子として生まれ、札幌のグランドグランドホテルで料理人の丁稚奉公。次いで東京の帝国ホテルで修行するなかで村上料理長に見込まれ本場のパリへ。ここでフレンチの神様たち、三つ星シェフと出会い、それぞれに個性的な一流シェフにフレンチの真髄を学ぶ。

   三国の「奇跡の一皿」はいい素材を使うことを基本に、毎月一回新たなメニューの作成、伝統(オリジナル)を継承しつつ新たな料理への挑戦によって裏付けられる。「ソース」へのこだわり、「肉を焼くとはどういうことか」、「香草」の活かし方、「酸味」の加減など、ミクニの秘密が開陳される。しかし、それらも「料理人が最低限守らなければならないのは、『食べる人を楽しませ、満足してもらえるもの』をつくることだ。料理はこれに尽きるのだ」という言、「すべてに『もてなす心』に」という姿勢に収れんされる。

   最後に料理人としての人生哲学が綴られている。それらは、人と同じことをしたら終わり、失敗(食中毒)を踏まえての再スタート、子供たちの味覚を育てる、「食」はどこへ行くのか、料理は時代とともに呼吸している、第5章の各小見出しに続く文章のなかに刻みこまれている。


松原英多『50歳からの健康寿命をのばすワザ』メディアファクトリー、2012年

2012-08-10 00:10:13 | 医療/健康/料理/食文化

               

  日本人の平均寿命は男で79.59歳、女で86.4歳(2009年度)。それが健康寿命となると男で73歳、女で78歳。ということは、介護などを要する期間が男で6.59年、女で8.44年、ということになる。


  ただ単に長生きしていても仕様がない、健康であり、生活の最低限のことができて初めて長生きに意味があるのである。そのためにはどうしたらよいか、50歳になったら、真剣にそのことと向かい合いましょう、そのためにはどうしたらよいのか、というのが本書の狙いである。

  知識をもっているだけでは全く意味がなく、小さなことでもとにかく日々実行できることをしましょう、というのが著者のスタンス。

  歩幅を少し長めに歩くこと、食事では良くかむこと(チューインガムも効果的)、バランスのよい食事(偏食厳禁、肉類は大切)、食べる順を変える(サラダなど野菜を先に)、朝食は不可欠、入浴(方法)を大切に、睡眠は規則的にしっかりと、深呼吸は思いついたときでよいから必ず、飲み過ぎはひかえる(適度な飲酒)など、生活のなかでとくに努力しなくともできるはずのこと、意識するだけですぐできることを提言している。

  筋力をつけることを目的にしたり、タイムや回数をきそったりすると続かないので、とにかく60-70代を健康に過ごすためだけに必要な工夫が示されている。

  「噛む×朝食×姿勢」でボケ防止、「”かくれ猫背”はすぐ直せ」。


湯山玲子『女ひとり寿司』幻冬舎文庫、2009年

2012-03-29 00:59:42 | 医療/健康/料理/食文化

             

  寿司屋はひとりで入るには敷居が高いです(回転寿司は除く)。

  著者はそれにチャレンジしました。しかも高級寿司屋に。
  そこに至るには前段がありました。自宅への帰路ふいと一人でたちよった寿司屋。この体験が最悪だったようです。ほとんど無視されて二万円。著者のひとり寿司履歴はそこから始まりました。
  好き放題、書き放題に体験記をまとめているように見えますが、鉄則がかくし味のようにあります。
  まず予約を入れ、勧められた場所に座って、まず冷の酒につまみの刺身、それから握りに入って行く。そしてスタンダードをもっている模様。それはきわめて個人的なものであるが、絶対に必要なものらしく、「あら輝」の鮨との出会いから始まったとのことです(p.143)。
  「あとがき」にはひとり寿司の極意が書かれています[予約を入れること、自分について職人は見合い、プレゼンの相手と思うこと、敵はふたとおり、オバハン主婦と30-40代の男](pp.236-7)。将棋で言えばこのあたりは序盤の定石。
  本書ではその後、将棋で言えばさしずめ急戦湯山流というか、飛車角交換に金、銀、桂馬入り乱れての大乱戦となり、ここからが見どころ、面白いです。
  寿司屋に入り、「ラッシャ―イ」の呼びかけを受け、鮨と酒をを愉しみ、居合わせた客のウォッチングを実況放送、そして結末までがしっかり「主観的に」書かれています。
  このレポートから、読者は寿司屋の多様性、個性に驚かされます。伝統的でありながら、革新的、全く画一的でないのです。
  マスターの個性も、著者の相の手でうまく引き出されています。そして寿司ネタ、とくにマグロが豊富な知識で称賛され、鮨の知識、作法が身につくというか、今からでもすぐに寿司屋に駆け込みたくなる名調子が心地よいです。
  「解説」は社会学者の上野千鶴子さん、彼女の著作「おひとりさまの老後」が書かれる切っ掛けになったひとつが本書だそうです(p.243)。
  登場した寿司屋を掲げると、以下のとおりです。
・銀座・久兵衛(東京・銀座)
・NOBU TOKYO(★東京・青山)
・大和寿司(東京・銀座)
・すし屋の芳勘(東京・鷹番)
・すし善(東京・汐留)
・鮨・青木(東京・銀座)
・入船(東京・奥沢)
・寿矢(☆東京・神宮前)
・辡天山美家古寿司(東京・浅草)
・rainbow roll sushi(東京・麻生十番)
・回転寿司(☆東京・丸の内)
・梅丘寿司の美登利総本山(東京・梅丘)
・松栄(東京・恵比寿)
・希扇(東京・赤坂)
・あら輝(東京・上野毛)
・二葉鮨(東京・東銀座)
・鮨さわ田(★東京・中野坂上)
・すきやばし次郎(東京・銀座)
・海味(東京・青山)
・百味庵(東京・六本木)
・中央市場ゑんどう(京都・上賀茂)
・鮨処もり田(福岡・小倉)
・末廣鮨(静岡・清水)。
(★は移転、☆は閉店)


大久保一彦『寿司屋のカラクリ』ちくま新書、2008年

2012-01-18 00:01:07 | 医療/健康/料理/食文化

          
 寿司屋の仕組み、そのおいしさのカラクリを明らかにし、日本文化のひとつである寿司の魅力を紹介し、身近なものにしてもらうことを意図した本です。そのために高級寿司店、立ちの寿司屋、回転寿司を取材し、それぞれのよさを伝えようと努力しています。

 話題は豊富です。回転寿司は100円均一のレベルとデカネタ、グルメ志向とで二極化していること、寿司ロボット(握り)の登場、ヒット商品の”炙り物”、立ち屋の寿司の過去と現在、マグロの生態、高級寿司屋の二類型、高級店の極意(①イノシン酸、②瞬間即殺締め、③保存温度、④産直はしない、⑤生簀はない)、海外の寿司屋の展開と実態など。

 経営戦略をもった寿司屋が紹介されています(寿し常、吉武、第三晴美鮨、さかえ寿司、銚子丸など)。全体を読んで、背後に漁業の衰退があり、マーケットの構造変化があり、それだけ寿司屋はしのぎをけずっているということのようです。

 内容的にもっと深めれば、「寿司の社会学」を展望できますね。


渡辺純夫『肝臓病-治る時代の基礎知識-』岩波新書、2011年7月

2011-08-16 00:01:17 | 医療/健康/料理/食文化

            肝臓病
 わたしの個人的な健康に関してコメントすると、血圧がやや高めなことと肝臓の状態についてγ-GTPの数値が高いです。後者は明らかにお酒、アルコールの影響です。

 ということで丁度、出版されたばかりのこの本を手にとって読みました。大事に至る前に予防できることがあればしておきたいという気持ちがあったからです。

 肝臓は非常に重要な臓器ですが、本書は肝臓に関わる病気がトータルに紹介され、最新の医療措置、また予防のための心得が書かれています。

 まず、わたしはこれまで血液検査の結果でγ-GTPの値にしか知識がなかったのですが、AST,ALT、ビリルビン、総タンパク、アルブミン、ALPなどの意味と重要性ががわかりました。

 肝機能検査の検査項目の正常値の一覧表が載っているが便利です(p.12)。ここには重症度、慢性度、肝腫瘍を判断する項目も掲げられています。ウイルス検査、腫瘍マーカーの測定も重要とのことです。

 肝臓病では急性肝炎、劇症肝炎、慢性肝炎、肝硬変、肝がんと段階があるようですが、進行しないよう心がけたいものです。

 ウイルス性肝炎にかなりのページが割かれています。分類表には潜伏期、感染経路、慢性化、予防の手立てがまとめられています(p.61)。

 A型からE型まであるようですがが、D型、E型は日本では稀とのこと。C型で日本人の推定感染者は200万人ほど。C型はわりと最近1980年代以降、クローズアップされ、治療方法も改良されてきていることが紹介されています。

 どの型の肝炎もウイルスの駆逐が鍵となるようです。そして慢性化するまえに早期発見につとめることが重要だと書かれています。

 肝がんの解説も詳しいが、個人的にはそこまで心配していないので、説明が頭に入ってきませんでした。

 それで問題のアルコールと肝臓病との関係ですが、飲まないことにこしたことはないようです。自身飲まない医者はアルコールについて厳しく戒めるが、お酒の好きな先生の判断は甘いなどという、面白い一文もありました。

 それと生がきも避けた方がいいように書いてありました。著者はお酒も生ガキも変美味しいことがわかっているようですが、医者としての判断で節酒と生ものを避けることに留意すべしと指摘しています。


『男の料理-私もつくる-』講談社、1980年

2011-07-22 00:20:45 | 医療/健康/料理/食文化

            

 数日前に紹介した「男の料理」の姉妹版です。

 40人の著名人が、腕を競っています。たとえば、作家の安岡章太郎さんが「鰯万年煮」「炒豆腐」を作っているかとおもえば、劇作家の唐十郎さんが「ラッキョーサラダ」「ラッキョーかき揚げ」「ラッキョースープ」を作っています。他には三浦雄一郎さん「北海よせ蒸し」、岡本太郎さん「オッソ・ブコ」といった具合です。

 「男のスタミナ料理」と称して、エッセイもよせられています。広岡達郎さん(野球評論家)、梅宮辰夫さん(俳優)、植村直己さん(登山家)等々。

 さらに20人が「料理の蘊蓄」を語っています。さすがにこのコラムには食についてうるさい御仁がズラリと並んでいます。北大路魯山人、今東光、荻昌弘、金子信雄、池波正太郎、伊丹十三等々。

 1980年出版で、もう30年ほど前の本ですから、残念ですが鬼籍に入った方も少なくありません。

 錚々たる面々が登場しているので、とても太刀打ちできないので、写真、レシピを愉しみ、エッセイを味読するだけです。

 料理は本当は、楽しく、気分転換になります。創造力が必要です。もっと年をとったら、厨房で活躍するのもひとつの有意義な老後の過ごし方になるかもしれません。

 個人的には、共働きだったので、子育てが大変だった時期、家事の一環としての炊事を余儀なくされました。一週間の半分は食事をつくっていたこともありましたし、子どもの保育園での弁当をつくっていた時期もありました。

 子どもがよろこぶもの、そして栄養を考えて食事を担当しましたが、苦痛では全くなく、むしろ気持ちの転換になった、懐かしい思い出があります。家族が喜んでくれれば、気持ちよく、励みになります。

 あまり大きな声ではいえませんが、いまでも、休日の昼食はかなり担当します。テレビ番組でみた料理を夕食に試作することは、しばしばです


 わたしは料理上手とはとてもいえませんが、段取りがいいこと、作りながらドンドン食器、鍋をあらっていくのが得意な以外には取り柄はありません


『男の料理』講談社、1979年

2011-07-18 00:04:04 | 医療/健康/料理/食文化

               
 押入れを整理していたら、この本が出てきました。22年ほど前に出版された本です。「週刊ポスト」で「男の料理」というシリーズが掲載されていて、それをまとめた本です。

 「男の料理は家事ではない、ホビーだ」「男の料理は労働ではない、創造だ」とかなり粋な、しかしある意味で身勝手な惹句が表紙におどっていますが、男性が厨房にはいって、料理にとりくむということが珍しいことではなくなってきた頃に出版されました。

 私自身は、料理は上手とはいえませんが、子どものころから苦でなく、母がつくっていたものをみようみまねで、若いころから厨房にたっていました。コロッケ、餃子、石狩鍋など、家庭料理なら何でもつくれます。もっともわたしのそれは、料理というよりは、家事の一環で、この本の料理の範疇には入りません。いまでも、テレビ番組を観るのは料理番組がほとんどです(テレビは嫌いで、ニュースの他はほとんど見ません)。

 さて、その料理ですが、私の流儀は冷蔵庫をガバットあけ、そこにある食材で総菜をつくるというタイプです。そして、作りながらドンドン使った鍋などはあらっていきます。総菜ができあがったときには、総菜作成のプロセスで活用したものは洗い上げてしまっています。取り柄といえば、それくらいですかね。

 この本にでてくる料理を、半分だけ以下にかかげます。このうち、ハオ油鮮鮑だけは数回つくりました(ヴィシソワーズ、浅蜊のワイン蒸しなども作れますが、この本のレシピは複雑で、高級志向です)。鮑の缶詰をかってきて、それに筍、シイタケ、長ネギなどといため、オイスターソースでまとめるというものです。家族から好評でしたが、この本が長く行方不明でしたの最近はつくっていませんが、またトライしてみます。

・ローストビーフ
・手作りソーセージ
・野鳥焼
・豚角煮
・鮮魚うすづくり
:いか五品
・ポテトリヨネーズ
・八目炒飯
・大根とぶりの荒煮
・関東煮
・スペアリブ
・豚茶漬
・焼き餃子
・オックステールシチュー
・鰹たたき
・鶏手羽煮込
・巻肉三品
・筍土佐煮
・ハヤシライス
・手打ちラーメン
・浅蜊ワイン蒸し
・ハオ油鮮鮑
・鰯のつみれ三品
・冷し中華
・鱚の桜干
・筑前煮
・ヴィシソワーズ
   (あとこの倍、料理が並んでいます)


F.ヴァートシック・ジュニア『この痛みから解放されたい-ペインクリニックの現場から』草思社、2004年

2011-06-29 00:15:27 | 医療/健康/料理/食文化

                       この痛みから解放されたい  ――ペインクリニックの現場から
 「痛み」は人間にとってやっかいな存在です。耐えられない激痛というものがあり、たとえばそれは三叉神経痛で、その痛みゆえに人格が破壊されることさえあります。

 また人間にとって痛みは身体的なものの他に、精神的なものとも結びついています。痛みが人生上の苦しみに転化するのです。

 痛覚をつかさどるのは神経ですが、それでは神経がなければいいかというと、そうではなく、神経がないというのは感覚がないということになるので、それでは人間は生きていけません。
人間らしい生活ができません。

 著者は自身の経験をふまえ、かつ豊富な臨床事例(著者は老神経外科の医師である)をひいて、この痛みのメカニズム、治癒の方法、そもそも人間にとって痛みとは何なのかを論じています。

 著者のスタンスは次のようです、「医療に課せられた現実の使命は、ただ命を救うことでななく、やすらぎをあたえることにある。とりあえずいまの時点で、わたしたちは永遠に生きることは期待できない。だが苦しみのない人生を送りたいと望むことはできる。その目標は手の届くところにあるかもしれない。幸いにも知性は諸刃の剣である-知性のせいでわたしたちは苦しみを感じるが、知性はその苦しみが生じる生物学的プロセスを理解し、治療する手段をあたえてもくれる」(p.20)。「医療の究極の目標とは、人間の不死を達成することではない。わたしたちのめざすべき目標は、人々が痛みを知らずに99年間生き長らえ、そして眠りのなかで死んでいける世界だ。医師の真の仕事は命を救うことではなく、痛みをやわらげることにある」と(p.277)。

 医師は人間に宿命づけられた痛みから患者を解放し、「質の高い生」を提供しなければならないという医療の哲学をもって、著者は幻肢痛や手根管症候群といった珍しいものから、片頭痛、三叉神経痛、椎間板ヘルニア、出産、慢性関節リウマチ、心臓発作、末期ガンなどの事例紹介を、ときにユーモアをまじえて説明しています。

 また、麻酔の原理、疼痛管理にも言及しています。ハーブ療法、鍼療法、磁気療法、プラシーボ効果などについてもこれらを非科学的と退けるのではなく、人間は精神的存在であるので心に作用して、痛みをやわらげることもありうるのだとしています。

 痛みの医療、ペインクリニックは20世紀、それも後半になって急速に発達した医療分野ですが、まだわからないことも多いというわけです。

 痛みからの解放は痛みに苦しむ患者にとって最大の贈り物です。そのために戦い、仕事をする医師がここにいます。


野地秩嘉『食の達人たち-フードストーリー』小学館、2010年

2011-06-26 00:51:30 | 医療/健康/料理/食文化

                      
 「食の達人たち」という標題がついていますが、食にかかわる仕事についている人の人生上のエピソードを取材してまとめた読み物(ノンフィクション)です。

 以下のようにいろいろな店が取り上げられていますが、どのような編集方針があったのかは語られていませんし、コンセプトは読んでも分りません。

 地域も北海道から沖縄まで広範囲(銀座がやや多いが)、お店の種類も多様です。グルメの本ではありません。オーナーなり店長なり、板前なりの人生のエピソードは興味深いですが・・・。厨房の奥には味の数だけ人間ドラマがあるということらしいです。

・「空也」(最中、銀座)
・「天亭」(天麩羅屋、銀座)
・「京味」(和食、新橋)
・「三浦屋」(ふぐ料理、新宿)
・「ル・マンジュ・トゥ」(フランス料理、新宿)
・「小笹寿し」(寿司屋、銀座)
・「きく」(割烹、銀座)
・「ロオジエ」(フランス料理、銀座)
・「ます多」(カウンター割烹、京都市下京区)
・「菜の花」(中華料理、名古屋市千種区)
・「レストラン小西」(フランス料理、富山市堤町)
・「あん梅」(麻布十番)
・「徳山鮓」(食堂、滋賀県余呉町)
・「高良食堂」(食堂、沖縄県那覇市)
・「七兵衛そば」(蕎麦屋、山形県北村山郡)
・「西海酒造」(酒屋、兵庫県明石市)
・「北の富士本店・櫻屋」(ちゃんこ、北海道旭川市)
・「おそばの甲賀」(蕎麦屋、西麻布)。

 全体として何か掴みどころがありません。作家の川上弘美が「あとがき」で、この本の内容は「おはなし」で(物語とは違う)、「本書の書きようは、もしかすると、ある種の『ばかげた思い』を礎にしたのかもしれません」「最初から最後まで恰好のいいおはなしは、一つもありません。/どのおはなしも、どこかとぼけていて、頑固で、少しだけほころびていて、でもとっても気分がいい」と、書いています。「あとがき」を書きにくかったような「あとがき」ですが、川上さんの印象はわたしのそれでもあります。


林基弘『脳腫瘍、脳動静脈奇形から三叉神経痛まで頭を切らずに治すガンマナイフ最新治療』講談社、2010年

2011-06-22 01:14:49 | 医療/健康/料理/食文化

                      

  私が知っている女性に三叉神経痛を患っている人がいます。この三叉神経痛というのは、人ががまんできない痛みの3本指のひとつに入るくらいで、たとえていえば焼火箸をじかに頬にあてられたようなものといわれます。あまりの痛さに耐えきれず、自殺を考える人もいるそうです。

 場所は側頭部のこめかみのあたりから頬を通過し下あごにかけて、あるいは鼻の下にかけて、そしてその上肢と3方向に向かう神経のあたりです。

 風が頬にあたるようなことがきっかけになったりで起こることがあり、男性よりは女性に多く、高齢者に多いのですが、30歳ぐらいのひとが患うこともあります。

 痛みは他人にわかりくいものですが、こと三叉神経痛の激痛は当人でなければわからないらしく、どうしてそんなに痛いのかが理解されにくいようです。

 なぜそんなことが起こるのかはっきりわかっていないようです。三叉神経が動脈と接し、動脈が血液の流れで拍をきざむとき、それが三叉神経を刺激しているらしいです。

 痛みをとるにはテグレトールという薬をのむ、ガンマナイフという放射線を使う方法、ペインクリニックで神経ブロックを施こす処置、手術で三叉神経に悪さをしている要因を除去するなどがあるらしく、彼女はその手術を7-8年前に三井記念病院で受けたそうですが、最近また痛みがでてきているようで、テグレトールを飲んでいるとか。

 今日、紹介の本はこの難病、三叉神経痛を治す名医といわれる著者(東京女子医科大学脳神経外科講師)が書いたガンマナイフによる痛みの治療を紹介したものです。

 取り扱われている痛みは、次のとおりです。
 ・転移性脳腫瘍
 ・脳動静脈奇形
 ・転移性網膜瘍
 ・頭蓋底髄膜腫
 ・三叉神経痛
 ・顔面神経痛瘍
 ・聴神経腫瘍
 ・小脳虫部のう胞性腫瘍
 ・小脳半球血管芽腫

 痛みをとる治療の最先端を知ることができます。