【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

三遊亭小遊三一門の講談会(於:よみうり大手町ホール)

2020-02-24 17:56:40 | 古典芸能


昨日は「よみうり大手町ホール」で、落語を聴いてきました。三遊亭小遊三一門の講談会です。三遊亭遊里さん、三遊亭遊馬さん、三遊亭遊雀さん、三遊亭小遊三さんが順に噺をし、途中で「ナイツ」の漫才、桂小すみさんの音曲が入るという趣向です。久しぶりの落語で楽しみました。漫才を生で聴いたのは初めてです。おかしすぎます。

余談ですが、丸ノ内線の地下鉄にのったさい、前の席に一列にすわっている老若男女が全員、大型マスクをして、スマホをみている光景は、異様でした。わたしはノーマスク、普段と同じいでたちでした。



真打 林家種平落語会

2019-05-29 21:00:00 | 古典芸能


近くの「福祉センター」で落語会があり、出向きました。登場したのは林家種平さんです。噺家として50年、上尾市在住と自己紹介がありました。

種平さんは種子島出身で、林家三平師匠に弟子入り、なかなか名前をつけてくれなかったようですが、あるときそのことを師匠に言ったら、どこ出身と問われ、種子島ですと答えると、それじゃ種平にしよう、ということになったそうです。ご本人の説明です。

この催し物は今回が3回目で、一応一区切りとのことです。会場はほとんど満員。1時間半ほど、古典落語などをたのしみました。

このところ暑い毎日。大笑いするのも、暑さを吹き飛ばすいい時間です。

桂文珍『文珍流・落語への招待』NHK、2000年

2018-02-10 20:20:20 | 古典芸能

 桂文珍『文珍流・落語への招待』NHK、2000年

  文珍師匠の落語は、以前、じかに聞きました。ほんとうにおかしくて笑いくずれました。以来、桂三枝、桂文我など、ときどきチケットを買って出かけます。三枝さんなんかも最高ですね。一年に一度くらい、健康な笑いがほしいですが、近頃は忙しくて、ご無沙汰です。反省。   分かりやすいのが何よりのとりえです。「落語は自分一人で脚本,演出,主演までこなす,いわば自己処理完結型の芸」(p.7)であり,その本質は「言語によるバーチャル・リアリティ」(p.8)と文珍師匠は語っています。

 「お伽衆」「軽口本」「小噺本」「仕方噺」の延長で,延宝,天和年間に「落語」が生まれる過程を詳らかにしています。

 文珍師匠によれば、噺家の横綱は「三遊亭金馬(3代目)」「「桂三木助(3代目)」「古今亭志ん生(5代目)」「桂文楽(8代目)」「三遊亭円生(6代目)」だそうです。

 「笑い」の歴史,上方と江戸の「笑い」の相違,「見台」「叩き」「はめ物」に特徴がある上方落語,寄席がある東京とそれがない大阪,観客の想像力の大切さを説く師匠の活舌はいい調子です。


志ん生の芸とその家族

2017-07-14 15:00:15 | 古典芸能

美濃部美津子『おしまいの噺ー落語を生きた志ん生一家の物語』アスペクト、2005年。
                      おしまいの噺
 「志ん生」師匠の娘,美津子さんが父母,兄弟の思い出を熱く,優しく語ります。

 破天荒に生きた父(志ん生),しかし話芸では絶品といわれました。著者の弟には馬生と志ん朝がいます。妹に喜美子。

 落語家家族を影で支えたのは「りんさん」(母)でした。極貧ともいえる「なめくじ長屋」での生活。

 父は酒と女に金をつぎこみ,家にあるものをことごとく質に入れてしまったこともあったとか。りんさんは文句ひとついわず,志ん生の芸を信じて(?),内職と夜なべの日々でした。

 ふたりの弟も落語の世界へ。姉である著者の弟想いが行間に滲みでています。

 わたしは2年ほどまえに,志ん朝の落語をCDで10枚ほど聴いて,その芸のつやに感心していたので,この本を大変に興味をもって読みました(「佐々木政談」「抜け雀」「寝床」など)。

 「志ん生」がいかに卓抜な芸人だったとしても、りんさん,美津子さんなど女性の力がなくては,一人前の男はなかったような・・・。そんな感慨に一瞬とらわれました。

 この本は、このブログのカテゴリーで言えば、「評論(評伝)」に落ち着かせるべきなのでしょうが、世紀の話芸の「志ん生」のことが中心なのであえて「古典芸能」のカテゴリーに入れました。

おしまい


初春大歌舞伎(歌舞伎座)

2016-01-28 10:16:52 | 古典芸能

       

新春は、歌舞伎座が華やかです。最後のお正月気分を愉しみました。演目は下記のとおりです。


・廓三番叟(孝太郎、種乃助、染五郎)
・義経千本桜・鳥居前(橋之助、門之助、児太郎、松江、弥重郎)
・梶原平三誉石切(吉右衛門、芝雀、歌昇、種乃助、由次郎、桂三、宗之助、男女蔵、又五郎、歌六)
・茨木(玉三郎、鴈次郎、門之助、左近、歌昇、松緑)

「廓三番叟」
 吉原のお座敷。傾城、新造、太鼓持がそろい、傾城を翁、新造を千歳、太鼓持を三番叟に見立て艶やかな踊りが繰り広げられます。

「義経千本桜(鳥居前)」
  兄頼朝に謀反の疑いをかけられた義経は都を追われ、わずかの家来とともに伏見稲荷に到着します。そこに義経をおって静御前があらわれますが、義経は静に都にとどまるよう、さとします。義経は初音の鼓を形見としてあずけます。残された静は鎌倉方の追手にとらわれそうになりますが、佐藤忠信が救います。その様子を隠れてみていた義経は、忠信に静の守護をたのみ、西国におちのびていきます。

 「梶原平三誉石切」
  梶原平三景時は大庭景親たち平家の武将がいならぶ鎌倉の敦賀八幡宮に参詣するところ、青貝師郎太夫の娘の梢が重宝の刀を売りに訪れます。刀の目利きを頼まれた景時はそれを保障するのですが、二人の人間を重ねて斬る「二つ胴」で切れ味をためすことになります。ところが、試し斬りに必要な死罪の囚人がひとりしかいません。娘のために金を工面したい六郎太夫が志願します。試し斬りを請け負った梶原は、一気に刀を振り下ろしますが・・・。

 「茨木」
 京の都、羅生門で鬼の片腕を斬りおとし、手柄をあげた渡辺綱は、鬼が片腕を取り戻しにくるのに備え、館で物忌みをしています。そこへ伯母の真柴が訪れ、久しぶりの面会をもとめます。たっての願いに綱は彼女を中へ招き入れますが、真柴は鬼の片腕をみるとたちまち姿を変えます。実は真柴の正体は伯母にばけた茨木童子で・・・。


「通し狂言:菅原伝授手習鑑」(三月大歌舞伎)

2015-03-16 21:42:58 | 古典芸能

       
「菅原伝授手習鑑」は、「仮名手本忠臣蔵」「義経千本桜」とともに歌舞伎三大名作のひとつです。菅原道真(菅丞相)の大宰府流罪を題材とし、三つ子の舎人を中心に、それを取り巻く人間模様を描いています。


  通し狂言ですが、夜の部を観ました(4時半開演)。三段あり、「車引」「賀の祝」「寺子屋」となっています。(ちなみに昼の部は、「加茂堤」「筆法伝授」「道明寺」です)。以下、チラシにあった筋書きです。

 「車引」では、菅丞相の舎人梅王丸(愛之助)と斎世親王の舎人桜丸(菊之助)が、互いの主人公を追い落とした藤原時平(弥十郎)への恨みをはらすために、時平の乗る牛車の前に立ちはだかるのを、時平の舎人松王丸がこれを止めに現れます。三人は実は三つ子の兄弟で、今は敵味方に分かれています。遺恨を残しながら、三人はその場をあとにします。

 「賀の祝」では、三つ子の父白太夫(左団次)の古稀を祝う宴に三人が女房をつれて祝いに集まるはずでしたが、桜丸が来ず、松王丸と梅王丸は顔をあわせるなり、喧嘩をする始末です。宴が終わり、桜丸の女房、八重(梅枝)を残して両夫婦が帰った後、桜丸が悲壮な面持ちで現れ・・・・。
  
 「寺子屋」では、武蔵源蔵(松緑)が妻の戸浪と寺子屋を営みながら菅丞相の子、菅秀才を匿っていることが時平方に知られ、秀才の首を差し出すように命じられた源蔵は、悩んだ末にその日に寺入りした小太郎の首を検分役の松王丸(染五郎)に差し出します。なんとか窮地をしのぎ、安堵する源蔵夫婦のもとに、小太郎の母千代(孝太郎)が迎えにあらわれ、源蔵が斬りかかろうとするところに、最前の松王丸が姿をみせ・・・。

 一年ぶりの歌舞伎でした。染五郎が大きく見えました。お見事!


「鳳凰祭四月大歌舞伎(歌舞伎座新開場一周年記念)」(歌舞伎座)

2014-04-28 23:56:58 | 古典芸能

    
 「鳳凰祭四月大歌舞伎」(歌舞伎座)を観てきました。歌舞伎座新開場一周年記念の公演で、千秋楽でした。チケットは結構高価なのに、いつも満席に近いのは驚きです。今回は、15列の21番で、ちょうど真ん中、舞台全体が均等に見渡せました。


「壽春鳳凰祭(いわうはるこびきのにぎわい)」(時蔵、扇雀、橋之助、錦之介、梅枝、新悟、萬太郎、隼人、進之介、我當)
  今年は第五期歌舞伎座の開場一周年。松竹が歌舞伎座を経営して100年また歌舞伎の発展に尽力した先人の功績を顕彰する「先人の碑」建立1年にもあたっています。「鳳凰祭」という座紋の趣旨に想いを込めて作られた舞踊がこの「壽春鳳凰祭」です。舞台は「九重」と呼ばれる宮中の庭園という設定です。長唄をバックに帝に仕える女御たちの登場始まり、天下泰平とさらなる歌舞伎の発展を願って帝と大臣、そして華やかな女御のそろっての舞で終わる、優雅で華やかな平安朝の雰囲気があふれた舞台です。

「鎌倉三代記-絹川村閑居の場-」(幸四郎、魁春、歌江、歌女之丞、桂三、梅玉)
 歌舞伎らしい趣向がもりこまれた重厚な一幕。徳川家康と豊臣秀頼の間に起こった大阪冬の陣と夏の陣に取材した「近江源氏先陣館」と「太平頭の飾」が明和7年に初演されましたが、その後、幕府によって上演を禁止されました。一部を改めて作られたのがこの「鎌倉三代記」で原作の7段目にあたる「絹川村閑居の場」が繰り返し上演されています(天明元年)。登場人物にはそれぞれモデルがあります。佐々木信綱は真田幸村、三浦之助村は木村重成、時姫は豊臣秀頼の正室であった千姫、北条時政は徳川家康です。重厚な義太夫狂言の名作です。

「壽靭猿-鳴滝八幡宮の場-」(三津五郎、巳之助、又五郎、)
  鳴滝八幡宮にやってきた女大名・三芳野と奴橘平が、靭(うつぼ・弓を入れる道具)にするための猿の皮を探しているところへ、一匹の小猿と猿曳があらわれます。三芳野は猿を売ってくれ、猿曳に迫りますが、猿曳はことわります。そこで三芳野は、小猿を弓で射ようとします。猿曳は自ら小猿を打ち殺そうとしますが、どうしてもできません。小猿は健気にも習い覚えた芸をみせます。三芳野はそれを観て小猿を見逃します。華やかで愁嘆を織り込んだ舞台です。小猿の子役がかわいいです。
  
「曾根崎心中」(藤十郎、翫雀、橋之助、東蔵、左團次)
 近松門左衛門の名作をもとに宇野信夫が脚色。大阪平野屋の手代徳兵衛は、天満屋のお抱えの遊女お初と将来を約束しあう仲です。徳兵衛は伯父久右衛門に返さなければならない持参金を、油屋九平次に騙しとられます。お初が徳兵衛に身の潔白を証明するために死ぬ覚悟を問うと、徳兵衛は死の決意を明かします。心中を決意し、白無垢に着替えたお初は徳兵衛の手をとり曾根崎の森に向かいます。25歳の徳兵衛と19歳のお初の儚い運命がつむぎだす名作です。、


河竹黙阿弥作「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのえにしきえ)」[三幕九場](歌舞伎座)

2014-02-24 23:32:10 | 古典芸能

             

 歌舞伎座の今月の演目のひとつが河竹黙阿弥作「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのえにしきえ)」[三幕九場]です。


 河竹黙阿弥作「青砥稿花紅彩画」は、小山家が預かる重宝「胡蝶の香合」をめぐる御家騒動を絡めた物語です。河竹黙阿弥の代表作です。

 振袖姿の美しい娘が刺青をみせ、一瞬して盗賊の正体をあらわす「浜松屋」、5人の白波男が土手に勢ぞろいし、七五調のツラネを聴かせる「稲瀬川勢揃」は、名場面として知られています。大詰め、屋根から山門への転換で使われる”がんどう返し”の仕掛けも興味深いところです。

 あらすじは、以下のとおりです。

 ところは初瀬寺。信田の若殿小太郎と家来に化けた弁天小僧(菊之助)と南郷力丸(松緑)は、小太郎の許嫁で小山家の千寿姫(梅枝)をかどわかし、胡蝶の香合をとりあげます。そこへ、盗賊の日本駄右衛門(染五郎)が登場し、ふたりは香合をめぐって争いますが、歯が立たず、子分になります。盗賊の忠信利平(亀三郎)と元信田家の家臣赤星十三郎(七之助)も一味に加わり、駄右衛門の家来になります。

 呉服屋の浜松屋に、武家娘に化身した弁天小僧と若党になった南郷丸が百両をゆすりにきますが、玉島逸当という侍があらわれ、娘が男であることを暴きます。この逸当は実は日本駄右衛門で、さきの騒ぎも浜松屋の金を奪う策略だったのです。ところが偶然にも、主人の身の上話から、弁天小僧こそ浜松屋の実子で、浜松屋の息子は駄右衛門の実子であることがわかります。

 悪事が露見した5人は、稲瀬川に勢揃いしますが、捕手においつめられます。弁天小僧たちは極楽寺まで逃れていきます。

・序幕:初瀬寺花見の場/神興ケ嶽の場/稲瀬川谷間の場
・二幕目:雪ノ下浜松屋の場/同蔵前の場/稲瀬川勢揃の場
・大詰:極楽寺屋根立腹の場/同山門の場/滑川土橋の場


新春浅草歌舞伎(義賢最期、上州土産百両首) 於:浅草公会堂

2014-01-27 22:45:00 | 古典芸能

               

 新春歌舞伎として浅草で行われている「義賢最期(よしかたさいご)」と「上州土産百両首(じょうしゅうみやげひゃくりょうくび)」を観てきました。


 「義賢最期(よしかたさいご)」は、平家物語のなかの話です。平治の乱の直後。蜂起した源義朝が打たれ、源氏一族はひっそりと生きていますが、白河院の庇護のもとにあったのでおもてむきは「朝廷方」なので、全滅させられることだけはしのげています。木曽義仲が生まれる前で主人公は、父親の義賢です。出だしのところで、ふたりの女性がいます、ひとりは義賢の娘、待宵姫、もうひとりは妻の葵御前です。葵御前は、義賢の後妻で、懐妊しています。おなかの子が後の義仲です。

 前段は源氏のシンボルである白旗と源氏の忠臣、多田行綱がメインです。

 3人連れが登場。娘が小万、男の子の太郎吉、それに九郎助という初老の男。小万と太郎吉は親子です。実はこの娘、小万は源氏の武将の多田行綱です。いまは身を隠し、九郎助の家に潜伏していましたのですが、あるひ突然いなくなり、それで九郎吉が探しにきたのです。

 行綱がそこに登場。折平という名で名前でそこで(義賢のところで)働いていたのです。義賢の使いで出ていた行綱が帰ってきたという設定です。義賢は折平に「多田行綱」という武将に手紙を届けてこい、と命じていたのです。義賢は折平が行綱ではないかと疑い、試していたのです。

 それはともあれ、行綱にかけよる待宵姫(ふたりは恋人関係になっていました)。義賢は折平が行綱とわかり、二人で源氏の象徴である白旗を壁に飾って、それまでの苦しいときの流れを鳴きながら語り合います。

 そこに清盛の使いの悪役侍がきます。清盛は平治の乱で奪った白旗をどこかになくしてしまい、それを探し出すために、侍を使わしたのです。義賢に問い詰め、源氏の一味でない証に、とりだした義朝の頭蓋骨を踏むようにいいます。苦悩する義賢、陰で見守る行綱。侍ふたりは義賢を捉えようとしますが、ひとりは義賢に踏み殺され、もうひとりは行綱に追い返されます。

 しかし、すぐに平家側が攻めてきます。義賢は葵御前を九郎助に託し、白旗を小万にあずけ、自分は平家の一味と大立ち回りで、最後は後ろから組み付かれた敵を自分の体ごと刺して、果てます。この大立ち回りが見所です。愛之助、一世一代の演技です。

 「義賢最期(よしかたさいご)、時代御物の空気が横溢した演目でした。

 もうひとつの演目「上州土産百両首(じょうしゅうみやげひゃくりょうくび)」は浅草の待乳山聖天を舞台に、男の友情を皮肉な運命のなかに描いた傑作です。猿之助、巳之助が好演でした。猿翁(三代目)が演じた正太郎を、当代猿之助が本興行で初めて勤めていました。巳之助は、三枚目的な演技で、客席から拍手喝采でした。


歌舞伎座新開場杮茸落・十二月大歌舞伎{仮名手本忠臣蔵」(歌舞伎座)

2013-12-17 22:05:17 | 古典芸能

                    

  歌舞伎座十二月公演に出かけました。演目は「仮名手本忠臣蔵」です。この演目はもともと、人形浄瑠璃だったもの。いわゆる「忠臣蔵」は、この「仮名手本忠臣蔵」がベースになっています。寛延元年(1748年)8月、大坂竹本座にて初演。全十一段。二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作。元禄赤穂事件を題材としたものです。


 「仮名手本忠臣蔵」の「仮名手本」というのは「いろは47文字」で「四十七士」を意味し、「忠臣蔵」は「中心大石蔵之助」を表しています。したがって、「仮名手本忠臣蔵」というのは「大石蔵之助と四十七士の物語」ということになります。

 この作品は、「義経千本桜」「菅原伝授手習鑑」とともに歌舞伎の三大名作と言われる演目です。義太夫狂言の傑作としてファンに親しまれています。江戸時代に実際に起こった赤穂浪士討ち入り事件に題材をとり、大星由良之介をはじめとする四十七士の仇討までの人間模様が描かれています。歌舞伎座新開場杮茸落12月歌舞伎では、「5段目」「6段目」「7段目」「11段目」が演じられました。

 豪華メンバーです。松本幸四郎、市川染五郎、中村獅童、中村七之助などなど。それから、何といっても坂東玉三郎ですね。ため息が出るような素晴らしい演技とオーラです。

<五段目>
  猟師となった勘平は、山崎街道で同志の千崎弥五郎に出会います。そこで勘平は、仇討の資金調達を約束します。おかるの父与市兵衛は夜道で斧定九郎に襲われて殺され、勘平の仇討資金用立てのためにおかるを身売りした前金の50両を懐から奪われます。しかし、その定九郎もイノシシを狙って撃った勘平の銃弾で絶命。誤射した勘平は、あわててその50両を抜き取り、逃亡します。

<六段目>
 おかるを引き取りに来た祇園一文字のお才の言葉から、昨晩撃ち殺した者が舅の与市兵衛と思い込む勘平。姑のおかやに詰問された勘平は、罪を認め切腹しますが、ちょうどそこにきていた不破数右衛門と千崎弥五郎か真犯人が定九郎だったことが判明します。勘平の疑いは晴れましたが、仇討の連判に名を連ねることを許されると、安堵して息絶えます。

<七段目>
 祇園で遊興にあけくれる大星由良助のところへ、おかるの兄の寺岡平右衛門が訪れ、仇討に加わりたいと願い出ますが、相手にされません。息子の力弥が届けた密書を、遊女おかると斧九太夫に盗み見されたことに気付いた由良之介は、おかるを殺そうとします。それを察した平右衛門は、自ら妹のおかるを手にかけようとしますが、由良之介に止められます。事情を知った由良之介は、おかるに九太夫を殺させ勘平の仇を討たせ、平右衛門を連判に加えます。

<十一段目>
 由良之介率いる塩治の浪士たちは、師直の屋敷に討ち入ります。激闘の末、炭部屋に隠れていた師直を追い詰めた浪士たちは、師直の首級をあげ、本懐をとげます。


<五・六段目>

早野勘平 染五郎
斧定九郎 獅童
女房おかる 七之助
母おかや 吉弥
判人源六 亀蔵
千崎弥五郎 高麗蔵
一文字屋お才 萬次郎
不破数右衛門 弥十郎

<七段目>

大星由良之介 幸四郎
寺岡平右衛門 海老蔵
竹森喜多八  松 也
冨森助右衛門 廣太郎
大星力也   児太郎
斧九太夫   錦 吾
赤垣源蔵   亀三郎
遊女おかる  玉三郎

<十一段目>
大星由良之介 幸四郎
原郷右衛門  友右衛門
奥田亭右衛門 宗之助
矢間重太郎  竹 松
冨森助右衛門 廣太郎
大星力也   児太郎
竹森喜多八  松 也
小林平八郎  獅 童


「「梅雨小袖昔八丈(髪結新三)」「色彩間香苅豆(かさね)」[八月納涼歌舞伎](歌舞伎座)

2013-08-19 23:34:40 | 古典芸能

          

   

  「八月納涼歌舞伎」は、三部構成で、第一部は「野崎村」「春興鏡獅子」、第二部は「梅雨小袖昔八丈(髪結新三)」「色彩間香苅豆(かさね)」、第三部は「狐狸狐狸ばなし」「棒しばり」です。このうち第二部「梅雨小袖昔八丈(髪結新三)」「色彩間香苅豆(かさね)」を観ました(3列11番)


  「梅雨小袖昔八丈(髪結新三)」は、河竹黙阿弥の代表的世話物で、こんなお話です。江戸材木町の白子屋の娘で美人と評判のお熊(児太郎)に縁談がありました。白子屋は、主人がなくなり、その後、身代が傾いていて、持参金つきの婿がくると助かるのです。しかし、お熊は、手代の忠七(扇雀)に惚れていて、この縁談に得心できませんが、周囲に言い含められ、なくなく受け入れることになります。

 そこへ出入りの髪結職人新三(三津五郎)は、忠七にお熊とかけおちするようそそのかします。新三の本当の目的は、お熊をかどわかして大金をせしめることでした。忠七をだました新三は、二人の駆け落ちを途中まで助けますが、永代橋の川端で突然態度を変え、忠七を裏切り、打ちのめします。たくらみがあったからです。そのまま新三がお熊を自分の家に連れこみ、押し入れに閉じ込めてしまいます。

 困ったのは白子屋。乗物町の親分弥太五郎源七(橋之助)にお熊を助けてくれるよう依頼します。源七は新三の家に乗り込みますが、逆に新三に軽くあしらわれ、嘲弄され追い返されます。

 その新三も家主の老獪な長兵衛(弥十郎)には頭があがらず、お熊を返したおりにもらえるはずの三十両の半分をだましとられてしまいます。この新三と長兵衛の礼金をめぐるやりとりが、面白く、見どころのひとつです。

 最後の場面、恥をかかされた源七は深川閻魔堂で新三を待ち伏せし、怨みを晴らすべく仕返しをします。

 「色彩間香苅豆(いろもようちょっとかりまめ)」は、清元舞踊の名作です。夏の日の木下川堤(きぬがわつづみ)。与右衛門(橋之助)を追って、腰元のかさね(福助)がやってきます。与右衛門はかさねの母とかつて契りをかわし、その夫を鎌で殺した前歴をもっています。そのような経緯がありながら、かさねは与右衛門と不実の愛情をもってしまし、お腹には子を宿しています。

 与右衛門はもうかさねとは縁を切りたがっているのですが、かさねは与右衛門をわすれられず、恋が成就できなければ、生きているわけにはいかないとまで思いつめています。そこへ川の上流から鎌がつきささった髑髏が流れてきます。かさねの父親のそれでした。与右衛門は一緒にながれてきた卒塔婆をへしおると、かさねの脚に激痛が走り、顔には浮腫がうかびあがります。

 与右衛門はかさねに鎌で斬りつけ、とうとう惨殺してしまいます。見どころはたくさんあります。前半では、二人の花道の出と仲睦まじい色模様をみせる場面。また、最後、かさねの怨霊が与右衛門を引き戻す「蓮理引き」にもすさまじいものがあります。
 
 今回は席が前の方で、花道に近く、よかったのと、イヤホンを借りたので、細かなところまで楽しめました。橋之助がずいぶんたくましくなっていました。


「加賀見山再岩藤」(歌舞伎座新開場杮葺落)

2013-07-17 22:09:46 | 古典芸能

              

  今年の春、歌舞伎座が新装オープンとなりました。その記念に、歌舞伎座の会員になりました。先日、初めてこの新しい歌舞伎座に行ってきました。この日の昼の演目を観劇しました。演目は、「加賀見山再岩藤(かがみやまごじつのいわふじ)」(歌舞伎座新開場杮葺落)です。加賀騒動での主君の誤殺という題材を、鳥居又助の悲劇に仕立てたものがこの作品(「加賀見山再岩藤」)です。作者は河内黙阿弥です。


 ストーリーの概略は、次のようです。(劇場で購入したパンフレット、チラシなどから引用しながらの説明です。)
 この物語のテーマは、加賀百万石のお家騒動を題材とした『鏡山旧錦絵』の後日譚です。『鏡山旧錦絵』で、召使のお初は、主人である中老尾上を自害へとおいつめた局の岩藤を討ち、その功により二代目中老尾上にとりたてられられました。
  召使のお初に討たれ、その白骨が野ざらしにされていた岩藤は幽霊となり、恨みをはらそうと、再びお家騒動をくわだてます。

  騒動から5年、主君である多賀大領の側室お柳の方(尾上菊之助)と兄の望月弾正(尾上愛之助)は、お家横領を企てていました。実はお柳の方は望月弾正の妻だったのですが、妹を偽って主君の側室とし、機会をねらっていたのです。

 多賀家の忠臣花房求女(尾上松也)は、家宝だった金鶏の香炉を悪人蟹江一角に奪われ、主君の勘気にふれ、浪人となって下僕の鳥居又助の家で暮らすことになりました。その家来又助(尾上松緑)も弾正に騙され、お柳の方を討てば求女の帰参がかなうという言葉を信じ、浅野川の辺でお柳の方と間違って、正室梅の方を殺害してしまいます。又助は川に飛び込みますが、殺人に使った刀の鞘は忠臣安田帯刀の手にわたります。


 この作品は通称「骨寄せの岩藤」と呼ばれますが、それは二幕目で散乱した白骨が寄せ集まり、岩藤の霊があらわれるからです。二代目尾上(尾上菊之助)が岩藤を回向しようと、岩藤の骨が埋められている八丁綴の土手で念仏をとなえていると、岩藤の霊が二代目尾上(尾上松緑)となったお初に恨みをのべる怖い場面となります。思いなかばで討たれた怨みを抱く岩藤の亡霊は、一転、春景色の花の山を背景に、岩藤が宙乗りをみせます。幻想的な場面です。

 三幕目。多賀家の息女花園姫は岩藤の亡霊による病をわずらっていました。花園姫のいる奥殿に上使としてあらわれた望月弾正は、陸奥の太守との婚姻を花園姫がいやふがっているのも、金鶏の香炉を紛失したのも中老尾上の仕業と尾上を問いただします。身に覚えのないことと尾上が弾正と言い争っているうちに、弾正の姿は消え、岩藤の霊が出現し、尾上を草鞋で打ちすえます。

 四幕目は純粋な忠臣鳥居又助の悲劇の話です。又助の家には、足萎えの病に苦しんでいる求女が身を寄せていました。そこに訪れた家老の安田帯刀に浅野川でおとした鞘をつきつけられ、又助は自分が弾正に騙され、誤って主君正室梅の方を手にかけたことを知らされます。求女からも責めを受けた又助は、盲目の弟志賀市が琴を奏でる傍らで、切腹します。

 安田帯刀の詮議が進んでいるのをみながら、弾正とお柳は多賀家下館の奥庭で密談し策をねります。しかし、お柳の方は放蕩からめざめた大領から悪人たちの連判状をつきつけられ、首をはねられます。弾正もその場で切腹。さらに鬼子母神の力で岩藤の霊の白骨も散り砕け、多賀家に安堵が訪れます。

 久しぶりに華やかな歌舞伎の世界にひたりました。新装なった歌舞伎座は、綺麗で、広くなったよう、気持ちのよい一日を過ごしました。


「怪談乳房榎(かいだんちぶさえのき)」(中村勘九郎襲名記念・赤坂大歌舞伎[赤坂ACTシアター])

2013-03-12 00:02:44 | 古典芸能

              

  赤坂ACTシアターで「怪談乳房榎(かいだんちぶさえのき)」(中村勘九郎襲名記念・赤坂大歌舞伎)が公演されている。歌舞伎を観に行くのは何年ぶりだろうか。今回は、昨年亡くなった中村勘三郎の二人の息子さん、勘九郎と七之助が出演と言うこと、とくに勘九郎の襲名記念ということで、出かけることにした。
  舞台は赤坂ACTシアターで、歌舞伎座ではない。歌舞伎にしてはやや舞台の横幅が狭い。また、花道がない。いろいろ制約がある。

 しかし、歌舞伎の雰囲気は、十分に醸し出されていた。花道はないが、観客席に入る入口から舞台までの通路が利用され、やや見にくいとはいえ、舞台と観客は一体になれる。

 「怪談乳房榎」の原作は明治期の人情噺の名人といわれた三遊亭円朝。
 花見客で賑わう向島の墨田堤。評判の絵師菱川重信(中村勘九郎)の美貌の妻お関(中村七之助)が、生まれたばかりの真与太郎を抱き、花見がてら梅若塚へ参詣の途中、茶屋に立ち寄ります。折から通りかかったお関の従兄弟にあたる松井三郎(片岡亀蔵)。三郎はお関の伯父にあたり、お関はこの場で三郎から国元の凶事を耳に入れます。それは谷家の金蔵に盗賊が入り、その賊がどうやら佐々繁と名乗る男で、家来の蠎(うわばみ)の三次(中村勘九郎)とともに怪しい。
  お関は、佐々を捕らえようと諸国を遍歴中だった三郎と再会を約し見送ったところ、彼女はそこで泥酔の国侍に絡まれますが、深編笠の浪人に救われます。お関に一目惚れした浪人の磯貝浪江(中村獅童)は、重信に弟子入りします。お関への接近が目的でした。
  
一方、絵師重信は落合村の南蔵院から新しく建てられた本堂の天井画頼まれていました。その南蔵院の近くの料亭で、蠎の三次と佐々繁とがばったり出会います。この佐々こそが、浪江その人でした。遊びに金を使いはたしていた三次は、浪江を脅して金を無心します。浪江は浪江で過去悪事がばれるのを恐れ、三次に口止め料を払います。三次は金を受け取って料亭を出ていきますが、そこに呼び出された正助がやってきます。
 天井画の完成が間近であるので、浪江は下男正助(中村勘九郎)を脅し、いまとなっては邪魔になった重信殺害を手伝わせます。

 悪業を隠してお関と夫婦になった浪江でしたが、今度は正助に四谷角筈十二社の滝壺へ真与太郎を棄てにいかせます。真与太郎が生きていては、仇討の恐れがあると思ったからでした。そして、その正助も殺害しようと、悪に加担する三次に後を追わせますが・・・・。

  この芝居では、勘九郎が名人絵師・菱川重信、人はよく、重信殺しに加担する正助、ゆすりを働く三次の三役を、演じ分ける。その早変わりには、驚いた。悪党の三次になっていた勘九郎が、いつの間にか朴訥な下男正助になりかわる。服装をどうしてあのように次々と変えられるのか。そして、性格の全くことなる、重信、三次、正助が上手に演じ分けられていた。

 また、舞台にざあざあと流れる新宿の脇の滝のなかでの、びしょぬれ姿での演技も迫力満点。七之助のお関の立ち居振る舞いの美しさにも惹かれた。勘九郎は、父親の声にかなり近くなり、演技の仕方も似てきている。限りなく父親に近づきつつある。

 ナカムラヤー。

■ 出演(中村勘九郎 中村七之助 片岡亀蔵 中村獅童 ほか)

 


今尾哲也『歌舞伎の歴史』岩波新書、2000年

2013-01-14 23:00:30 | 古典芸能

           

  「歌舞伎とはなにか」「歌舞伎とはどういう演劇なのか」という問いに応えた本。著者の回答は次の文章のなかに予見される、「お国のカブキ踊りに始まり、時々の社会が生みだすカブキ者を主人公として発見しながら、カブキ者を描き続けることによって歌舞伎はカブキでありえた。/カブキ者とは社会秩序から疎外された人間であり、アイデンティティを喪失し、両義的生に引き裂かれて生きる人物、また、下降した社会的立場に自分の人生を一致させて生きるドロップアウトした人々、あるいは両義的な生の状況の消滅によって、アイデンティティのあり方が見えなくなってしまった人々、もしくは、社会秩序を自らの疎外として生きる、自我に目覚めた反秩序的存在である」と(p.199)。

  400年の歴史をもつ歌舞伎。その端緒というと必ず出雲のお国が引き合いに出されるが、本書を読むと直接の淵源は元禄年間の「続き狂言」(その先駆けは金平浄瑠璃[17世紀の後半に東西で流行した語り物])あたりである。歌舞伎は、その後、義太夫狂言(義太夫節の人形浄瑠璃)と影響しあって発展を遂げる。その本質はヤツシ踊り、ヤツシ事にみられる、本来の自己、生を現実の仮の自己、生にヤツスこと、存在の両義性の劇として成立させたことにあった。このことは演じられる劇の作者の役割に意味をもたせることになる。
  近松門左衛門(『国性爺合戦(こくせんやかっせん)』)、並木正三(『大坂神事揃(おおさかまつりぞろえ)』『霧太郎天狗酒醼(きりたろうてんぐさかもり)』)、四代目鶴屋南北(『天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)』)、河竹黙阿弥(『白浪五人男(しらなみごにんおとこ)』)など、次々と脚本の書き手が登場し、歌舞伎は発展を遂げる。特筆されるべきは並木正三で、正三は従来のヤツシに加え「愛想つかし」「殺し」の美学を確立し、舞台装置を改革(廻り舞台)することで、歌舞伎発展の魅力をひきだす大きな貢献をなした。初代尾上松助は、歌舞伎独自のしかけ、早変わりなどの工夫をこらした。

  明治に入ってからは一時、沈滞するが、九代目市川団十郎が活劇(嘘を廃して実を重んじる演劇)を主張して復活。ヨーロッパの演劇を学んだ二代目市川左団次の岡本綺堂(脚本家)との提携。その後、一方で小山内薫の自由劇場と関わりつつ、他方で役者と演劇関係者ブレーンとのコラボレーションが強まった(六代目尾上菊五郎と女流作家長谷川時雨、九代目市川団十郎の求古会、二代目左団次の七草会、初代中村吉衛門の皐月会など)。

  歌舞伎は、今後どこへ向かうのか? 著者は、それはいつにかかって現代社会に内蔵されたカブキ者の発見とその激化にあり、新作がでなければ致命的という。本書執筆時点(2000年)で、著者は新しい可能性を三代目中村鴈次郎(「近松座」の組織)と三代目市川猿之助(新作「ヤマトタケル」)にみている。


中村勘三郎『襲名十八代-これは勘三郎からの恋文である』小学館、2005年

2013-01-05 23:15:24 | 古典芸能

             

 十八代勘三郎襲名を機に出版された。全編で勘三郎がはじけている。面白い話が面白い話術で、テンポよく繰り広げられる。涙と笑いの読み切り小話のようだ。十八代勘三郎襲名、ニューヨークでの「平成中村座」公演、コクーン歌舞伎、野田秀樹とくんだ現代歌舞伎公演、NHK大河ドラマ主演、紅白歌合戦司会、家族のこと、友人のこと。話題豊富で、話の方向はあてどなく、どこにでも飛翔していくが、落ちつくところは当然、歌舞伎、藝である。


 交友関係の章「とっても素敵な人たちと」では、大竹しのぶ、笑福亭鶴瓶、立川談志、三谷幸喜、渡辺えり子(現在は「えり」)、明石家さんま、串田和美、太地喜和子、藤山直美、江川卓、長島茂雄、勝新太郎、中村獅童、坂東三津五郎などが登場(敬称略)。ここでも話がつきない。いっけんハチャメチャのようではあるが、歌舞伎の伝統を守りつつ、新しい要素を次々とりいれ、実践した精神は賞賛されてよい。拍手喝さいの人生だった。「中村屋!!」

 びっくりしたのは、東京ドームの大リーグ開幕戦の始球式をしていたこと、水上スキーをたのしんでいたことである。この2件については、写真もある。なかなかのフォーム、腕前だ。

 本書のもとになった原稿は、スポーツニッポン新聞に「勘九郎かわら版」として掲載された記事。主な記事は、「明石家さんまと幻のシーン」「長嶋さんに捧げる背番号『3』」「太地喜和子さんへの電話」「”親父のガールフレンド”と麻雀」「酔って皇太子妃に『奥さん奥さん』」「初公開の”波のり”姿」「興奮のニューヨーク公演は黒子も外国人」「車の中はいつもサザン♪etc.」。「おめでとう新勘三郎」のお祝い記事をはさむ。執筆者は、大竹しのぶ、唐沢寿明、野田秀樹、渡辺えり子。巻末にビートたけしとの対談。