【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

徳島県上勝町、再生の物語

2008-01-31 11:27:54 | ノンフィクション/ルポルタージュ
横石知二『そうだ、葉っぱを売ろう-過疎の町、どん底からの再生』ソフトバンク・クリエイティブ、2007年 
                      そうだ、葉っぱを売ろう! 過疎の町、どん底からの再生
 何故、この本を読んだかというと、先日(26日)のブログで紹介した田村秀『自治体格差が国を滅ぼす』で活性化が図られている自治体の好例として上勝町がとりあげられ、この本がその参考文献にあげられていたからです。

 上勝町は1981年2月の寒波でミカンが全滅し、村としての存続が危うくなりました。お年寄りは全く元気がなくなってしまいました。限界村落とまで言われました。

 著者はその2年前にそこの農協の営農指導員として就職。寒波による激甚災害を前に、この村の農業再生のために奔走します。

 最初は「夏ワケギ」「分葱」の植え付けあたりから始めました。次いで、葉っぱを売る「葉っぱビジネス」を思いつきます。「がんこ寿司」でたまたま居合わせた女の子が「つま」に使われていたモミジに感嘆していたのを見かけたのがヒントになりました。

 最初は数名のおばあちゃんによびかけ、葉っぱを商品にし、売り出します。「(株)いろどり」をたちあげ、著者の奮闘によって参加者が増え、売上もめきめき上昇(商品は南天、ウラジロ、笹、青モミジ、ハランなど約320種類)。現在は売上高2億6000万円。驚異的な数字です。

 もちろんそこにはモノ凄い努力がありました。著者は給料のほとんどを注ぎ込んで「料亭」にでかけ、「つま」の周辺の文化を学び、年間4000時間から4500時間の労働をいとわず、夢中に仕事にとりくみました。

 またそこには工夫がなければならず、人と人の絆を大切にしなければなりません。前者にかんして、著者は「場面をつくる」ことの重要性を説いています。「場面」→「価値」→「情報」→「仕組み」の「渦をつくっていくのだ(p.175)」。そして、もう一つは「気」を育てること、と言っています(p.p.165-170)。

 葉っぱビジネスの成功は、著者とおばあちゃんたちのなみなみならぬ努力の結晶です。著者は太りすぎ(料亭での食べ過ぎ?)と過労がたたって、痛風に苦しみ、心筋梗塞で生死の間をさまよいましたが、上勝町は見事に再生しました。

 お年よりは元気よく健康的に働き、パソコンを使いこなして注文にあわせて出荷し、病気を知りません。

 Uターン、Iターンが始まり、限界村落の汚名も返上。上勝町への視察者はひきもきらない状態です。

 テレビでの紹介は「めざましテレビ(フジ)」「ひるどき日本列島(NHK)」「奇跡体験!アンビリーバボー(フジ)」「NHKスペシャル」「日本菜発見(テレ朝)」「遠くへ行こうよ(日テレ)」といった具合です。日本にこんな村があったのか。面白くて一気に読めました。

ベートーベンの音楽を学ぶ

2008-01-30 00:29:22 | 音楽/CDの紹介

長谷川千秋(はせがわ・せんしゅう)『ベートーヴェン』岩波新書、1938年
       ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
 昨日のブログでメジューエワさんのベートーヴェン・ピアノソナタを紹介したのですが
、昨日、勉強のために本書を読了しました。自宅にあった本です。この本は初版がなんと1938年です。改訂版が戦後、1964年に出版されました。わたしの手許にあるのは1972年に出たもので40刷とあります。息ながく、世にでていた本です。

 死の床についているベートーヴェン。その描写がありますが、そこにこの本のエッセンスが凝縮して書かれています、「彼の胸には、既往が走馬灯のように浮かんできた。少年のころの苦しさ、なつかしい母、ヴィーンに移った時、先輩や競争者を押し倒して進んでいく彼、あきらめなければならなぬ恋、聴覚を失う苦しみ、友人との確執、孤独とそれに耐え切れなかった時の人々にたいする哀願、心に抱く英雄とナポレオン、戦争とヴィーン会議、逆境と貧困と病苦、悪夢のような甥のできごと」(p.180)と。

 音楽家の一生はとかく美化されがちですが、本書は「凡人としての悩み」(p.ii)に焦点を絞って書かれています。ベートーヴェンの人間くささ(奇人、変人ぶり)が赤裸々に描かれています。

 ヴィーンに出たおりのハイドンの指導に対する不満(pp.14-15)、サリエリからイタリア語の作曲で添削を受けたこと(p.16)、ゲーテを尊敬していたものの人間的にソリがあわなかったこと(p.78)、病床でのシューベルトとの出会い(p.182)、などエピソードもふんだんに書かれています。

 耳が聞こえなくなった直後の失望のなかで書かれた「ハイリゲンシュタットの遺書」に込められた絶望の悲痛な慟哭には、胸が痛みます。

 オペラ「フィデリオ」や「第九交響曲」の作曲の経緯も細かく紹介されていますが、いくら天分があったとしても音楽家の身を削るような仕事ぶりには畏敬の念を禁じえませんでした。

 ベートーヴェンの直筆の記譜は汚く、読みにくいものでした。また、当時の印刷技術、校正は今からみればひどいものでした。それで、ベートーヴェンの印刷された楽譜は間違いが多いようです。
  笑い話のようなことも書かれています。それは、当時の楽譜印刷業者は作曲家くずれのような人もいて、ベートーヴェンに無断で数小節を勝手に書き加えたりしていたようです。ベートーヴェンが弟子に楽譜をみて弾かせ、聞いていたところ変な部分が挿入されていて、激怒したなどということも書いてありました。[pp.43-45]

 


メジューエワさんのベートーヴェン、ピアノソナタ

2008-01-29 01:01:13 | 音楽/CDの紹介
 イリーナ・メジューエワさんは、1975年、ロシアのゴーリキー市(現ニージニー・ノヴゴロド市)生まれです。グネーシン特別音楽学校とグネーシン音楽院でウラジーミル・トロップ教授に師事しました。
         サムネイル
  1992年、ロッテルダムの第4回E.フリプセ国際コンクールで優勝(当時22歳)。これを契機に、オランダ、ドイツ、フランスなどで客演公演をしています。日本では1997年に正式にデビューしました。

 バロック、古典派から近・現代の作品までレパートリーは幅広く、近年、再評価されつつあるロシアの作曲家メトネルの紹介者としても知られています。東京在住。落語、歌舞伎など日本の伝統文化に興味があるそうです。

 昨年は日本で演奏活動を始めて10年目。これを切っ掛けに、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲(32曲)演奏を開始するとのことです。先日、その演奏会に行きました。この演奏会は大変、贅沢なもので、全体で50人くらい入る部屋で、メジューエワさんが演奏します。わたしは最前列に座りましたので、目の前5㍍くらいのところで彼女が「熱情ソナタ」などを弾いてくれるのです。

 曲目は以下のとおりでした。
①ピアノ・ソナタ第1番ヘ短調 op.2-1 (1795年)
②ピアノ・ソナタ第6番ヘ長調 op.10-2 (1797/98年)
③ピアノ・ソナタ第24番嬰ヘ長調 op.78 (1809年)
④ピアノ・ソナタ第25番ト長調 op.79 (1809年)
⑤ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調「熱情」 op.57 (1804/05年)

 ベートーヴェンは弦楽四重奏曲の作曲に自信があって、例えば上記の1番ではピアノ・ソナタでありながら、弦楽四重奏曲の構成を踏襲しています。また、ベートーヴェンは23番の「熱情」から24番までは約4年間ピアノ・ソナタを作曲していません。これは、23番でそれまでのソナタの集大成をして、ほとんど完成の境地にあったからです。そういう解説もメジューエワさんはしてくれました。

 メジューエワさんは一見、華奢に見えますが、いざ演奏となると見事に変身し、力強くも抒情的な演奏をします。

 「熱情」の3楽章はベートーヴェンが散歩しながら曲想を思いつき、ピアノ演奏家のことを考えないで作曲したので、ピアニストにとって、非常に弾くのが難しいそうです。それでも彼女は感動的な演奏をしました。わたしは感涙でした。

 メジューエワさんの演奏の海外での評価がインターネットにありました。
 「優れたテクニックと伝統的なロシアの響きを備えたピアニスト……簡素でありながらよく歌い、エレガントだ」:ハロルド・ショーンバーグ "
American Record Guide"(米)

 「若くして既に非の打ち所のない技術を持った優れたピアニスト」:ブライス・モリソン"International Piano Quarterly" (英)

 納得です。サイン会に出席して、少し話をして、握手して帰ってきました。今年はメジューエワさんによるベートーヴェンのピアノソナタを全曲聴きます。次回は5月。

おしまい。
           サムネイル 

           

新宿の「楽太朗」

2008-01-28 01:00:18 | 居酒屋&BAR/お酒

「楽太朗」   住所:東京都新宿区新宿3-17-21 新三ビルB1  新宿にあるちょっとよさそげなお店です。
          
 さくらや新宿カデン総合館(本店)の直近です。JR新宿駅東口より徒歩で2分。 ここは坂田養鶏場『地頭鶏』と特約だそうです。大変に美味しい地鳥です。食べてみると判ります。

 宮崎県綾町の自然環境の中、日本名水百選の水と、綾ブランドの有機野菜、天然飼料を使用し、坂田さんの限りない愛情が注がれた地頭鶏!

 こくのある旨みと柔らかな肉質は地頭鶏の中でも最高峰です。  他にもここでだけしか食べられないおいしい料理がたくさんです。少し、紹介します。

【厳選魚介料理】
・江戸前穴子の山椒醤油焼き(金沢八景) 1280円

【旬のお野菜料理】
・丸ごとトマトサラダ パプリカソース 890円
・茸と那須地鶏の玉じめ 890円
・海鮮刺身サラダ 1260円 【厳選肉料理】
・那須地鶏のハツ唐揚げ 680円
・那須地鶏岩塩焼き 980円
・イベリコ豚のグリル ガーリックソース 2300円
・白レバーの瞬間スモーク 930円

 日本酒もいけます。先日は「田酒」を飲みました。いい気持になりました。最後は讃岐うどんで〆ました。  ここはお勧めです。


 「楽太朗」のURLは、ここです。
   ↓

http://www.rakutaro.com/

おしまい。


深刻な日本の財政問題

2008-01-27 00:46:41 | 経済/経営
富田俊基『国債累増のつけを誰が払うのか』東洋経済新報社、1999年
                              
国債累増のつけを誰が払うのか
 著者はまず,1997年に成立した財政構造改革法を,景気対策を理由にわずか1年で凍結したことに懸念を示し,次いで98年度に「政府債務の対GNP比100%超」と「財政赤字の対GDP比9.8%」という事実に問題の深刻さをみています。

 理論的問題としては2章「国債累増は破綻をもたらすか」が刺激的です。著者によれば,国債と税とはそれらを誰が負担するのかという点を問うと、両者は等価でないと主張されています。また,景気拡大策としての国債発行による政府債務累増は非ケインズ効果(大幅で持続的な財政収支の変更のもとでは減税や財政支出の拡大が個人消費抑制の方向に働く[p.116])に結果するので、政府債務が多い状態での財政健全化措置を構ずることは、資産効果と信任効果を通じて景気回復につながる(プラスのケインズ効果)と論じています(p.241)。
 さらに,各国の財政赤字の拡大は世界的な金利上昇と成長の抑制に結果するとも指摘しています。

 著者の改革の方向性は財政構造改革の各国の経験(アメリカ:OBRA[包括財政調整法]、イギリス:コントロール・トータル導入、ドイツ:モラトリアム制度導入、フランス:予算凍結、イタリア:オブリコ・コペルツーラ[財源確保義務制度])を踏まえ、予算制度の見直し、予算ルールの導入、大蔵大臣の権限強化の提案です。

 日本の財政問題は「もはや知的怠惰と無為は許されない臨界点まで来ている」(はしがき)のです。

格差の進行する地方自治体の現状

2008-01-26 00:23:10 | 政治/社会

田村秀『自治体格差が国を滅ぼす』集英社新書、2007年
                       
自治体格差が国を滅ぼす
 目次に「勝ち組」自治体、「負け組」自治体という用語が使われています。わたしはこの「勝ち組」「負け組」という言葉が好きでありません。この用語にであうと不快を感じます。その点だけを除けば、この本からはいろいろ啓発され、刺激的な内容が盛り込まれ、勉強になりました。

 地方自治体間に格差が進行しています。人口減少時代と言われながら人口が増え続けている東京都千代田区、中央区、港区、雇用者報酬で一人当たり東京都が658万円に対し沖縄県は373万円、一人当たり預貯金額が東京都で738万円に対し沖縄県270万円、有効求人倍率が愛知県で1.91に対し沖縄県0.42、一人当たり医療費が鹿児島県で33万4000円に対し埼玉県17万9000円、高齢化率で鹿児島県24.8%に対し埼玉県16.4%、生活保護を受ける世帯で大阪府が20万人を超え、一番低い富山県の10倍以上、等々。

 他にも外国人住民が人口の16%を超える群馬県大泉町、高齢者割合が5割を超えた群馬県南牧村、財政力の指標がわずか0.05の鹿児島県三島村(大阪府田尻町が2.85と全国一)、失業率が22%を超える大阪府西成区などもあります。夕張市は自治体そのものが財政破綻しました。

 本書は格差の進む現状のなかで比較的うまく行っている自治体(浦安市、豊田市、芦屋市)、困難を極めている自治体(夕張市、木更津市、大阪府西成区)、いろいろな工夫で注目されている自治体(群馬県大泉町、三重県亀山市、徳島県上勝町)を紹介しています。抜群の税収力(ディズニーリゾート、高級マンション)を背景に豊かな住民サービスの提供ができている浦安市、トヨタの企業城下町で躍進し続ける豊田市、葉っぱビジネスの「
(株)いろどり」を立ち上げ、高齢者パワー全開の徳島県上勝村、シャープの企業誘致に成功し街の活性化を図った三重県亀山市など、自治体の現状は様々です。

 著者は新潟市在住なので、新潟からの目線で、中央と地方の関係を見つめ、中央といえども水、電気、食糧は地方に依存しているので、両者の密接な連携が必要と書いています。

 最後に自治体生き残りのための十か条(①情報公開、②国際化・高齢化という事実の受容、③地域の素材の重視、④国頼み・都道府県頼みの脱却、⑤官民一体での生き残り策の模索、⑥安全・安心の地域社会の構築、⑦中央と地方の連携強化、⑧環境保全・国土保全への傾注、⑨住民自治の仕組みの充実、⑩共助の地域社会の構築)が示されていて、参考になります。

おしまい。


藤原正彦・小川洋子『世にも美しい数学入門』筑摩書房、2005年

2008-01-25 01:44:36 | 自然科学/数学

藤原正彦・小川洋子『世にも美しい数学入門』筑摩書房、2005年
        
世にも美しい数学入門 (ちくまプリマー新書)
  小説「博士が愛した数式」執筆を切っ掛けに知り合った作家、小川洋子さんと数学者の藤原正彦氏が「圧倒的に美しい」数学の世界に読者を誘う本です。

 数学は永遠の真理の世界です。220と284は自分自身を除いた約数を総て足すと相手の数になります(友愛数の例)。
 220:  1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110=284
 284:  1+2+4+71+142=220


 約数を全部足すと自分自身になる数には6(一桁),28(二桁),496(三桁),8128(四桁)などですが、それは無限に存在します(完全数の例)。

 この他,①ゼロを発見したインド人と負数,無理数,虚数の受容に苦労した西洋人,②フェルマ予想の証明に果たした日本人の役割,③素数=混沌のなかの美の秩序,④ 6以上の偶数はすべて2つ以上の素数の和で表現できるという「ゴールドバッハ問題」(未証明),⑤ビュッフォンの針とπの問題,⑥ゲーデルの不完全性定理(1931年),など数学の妖しくも不思議な魅力が横溢した対話集です。

 藤原正彦さんは作家の新田次郎,藤原てい夫妻のご子息です。

おしまい。


お宝版の写真集『棋神-中野英伴写真集』

2008-01-24 00:38:48 | スポーツ/登山/将棋
中野英伴/大崎善生『棋神-中野英伴写真集』東京新聞出版局、2007年
                 棋神―中野英伴写真集
 昭和50年の第34期名人戦から各タイトル戦、優勝棋戦を撮影し続けてきた中野英伴氏の重厚な写真集です。

 棋士の清々しい姿勢にうたれます。「風姿」というものがそこにあります。

 難局を読む表情、競り合いの緊張、勝負がついたところでの一瞬の弛緩、対局後の談笑、封じ手を記入する一こま、どの写真も選りすぐりの場面ばかりです。

 羽生善治、谷川浩司、佐藤康光、森内俊之、郷田真隆、森下卓、屋敷伸之、島朗などの若手(いやもう中堅か?)、故升田幸三、故大山康晴などの今は亡き将棋の神様とでも言える人たち、他に中原誠、加藤一二三、米長邦雄、等々。(敬称略)

 文章は大崎善生氏によります。勝者を讃えつつ、「敗者の美。それこそが長い年月をかけて将棋会が積み上げてきた誇りといえるのではないだろうか」と書いています[p.42]。そして、英伴さんの写真との関わりで、この写真家がかつて舞台の役者の撮影がなかなかうまくいかなった時に、師匠の木村伊兵衛に写真は「耳で撮れ」、すなわち「耳を澄まして台詞を聞き、次の動きを察知し予測せよ」と指南されたというエピソードに共感し[p.43]、またこの写真家の「まわっている光」に対する感性に注目しています[p.54]。
 大崎氏は小説家を目指しながら叶わず、次に将棋の世界に没頭したが中途半端に終わったと自身を振り返って書いていますが、「将棋世界」の編集長として大成した人らしい眼のつけどころです。

 まさに、お宝版の写真集です。

 おしまい。

ジョセフ・L・マンキウィッツ監督「イヴの総て」1950年

2008-01-23 00:25:50 | 映画

ジョセフ・L・マンキウィッツ監督「イヴの総て(All about Eve)」1950年 
       イヴの総て
 演劇界の最高の賞であるサラ・シドン賞の授与式。イヴ・ハリントン(アン・バクスター)は,史上最年少の受賞者としてその名誉に輝きました。この受賞は確実に,ブロードウエイへの約束手形になるはずでした。

 授賞式には,演劇評論家のアディソン・ドウィット(ジョージ・サンダース),ベテランの大物女優のマーゴ(ベティ・デイビス)とその夫ビル・サンプソン(ゲーリー・メリル),劇作家のロイド・マックス(ヒュー・マーロー)と妻のカレン(セレステ・ホルム)らが列席していました。
10
ヶ月前に彗星のごとく現われ,その世界の頂点に昇りつめたイヴと深く関わった人達でした。しかし,それぞれの想いは複雑でした。

 イヴ・ハリントンは,美しく,誠実で,利発な女性。彼女の人生の目的は演劇界のスターになること。目的の実現のためには,自分の長所,女性としての魅力を武器として最大限に行使することに躊躇はありません。


 切っ掛けは,劇作家ロイドの妻カレンが彼女の外見的な初々しさを信じ,彼女をマーゴの楽屋に招き入れたことでした。劇場ではロイドの作品「老女の森」上演され,主役はマーゴでした。イヴは毎日,劇場に足を運び,劇が終わると楽屋口でマーゴに会いたいと,待っていたのでした。

 或る日,マーゴの親友カレンが,いつものように楽屋口に立つイヴをみとめ,言葉を交わします。イヴの演劇に対する控えめだが強い意志を感じたカレンは,彼女を楽屋に誘い,居合わせたマーゴ,ビル,ロイドに紹介しました。イヴは清楚で,控えめに振舞い,しかし,出まかせの身の上話をしてみなの関心を射止めました。後から振り返ればこの時のカレン,マーゴ,ロイド,ビルは,イヴの野心にあまりにも無警戒だったのです。

 

 以後,イヴは演劇界の人間関係を巧妙に操り,女優の道を邁進します。愛人関係にあったマーゴとビルは結婚したものの,第一人者の地位をすべり落ちていきます。ロイドの新作「天井の足音」のコーラ役は,カレンを脅迫したイヴが手中に入れます。その手段は,マーゴをおとしめるために,カレンの仕組んだ細工を脅しの材料に使うという巧妙なものでした。

 また,ビルやロイドに媚をうり,誘惑して近づくなど,目的のためには手段を選びません。全てはイヴの計算通り,うまくいくはずでした。しかし,・・・・。

 印象的なラスト。パーティーの参加を辞し授与式から部屋に戻ったイヴは,自分を敬愛するフィービーという若い女性がうたた寝をしているのを見て,驚きます。彼女はイヴに女優志望であると伝えます。

 イヴの目を盗むかのように,フィービーはイヴの衣装を身につけ,三面鏡に自分の姿を映し,夢見るようなしぐさ。それは,イヴの過去の姿,願望と重なり合うものでした。三面鏡特有の現象で,彼女の姿は,相互に鏡に映り合って,遠ざかっていくのでした。

 フィービーの満足そうで得意げな横顔がおお写しになり
The End.

 舞台という華やかな世界。そこには、嫉妬と確執が渦巻いています。

おしまい。おやすみなさい。


ジェームス・アイボリー監督「眺めのいい部屋」(英、1985年)

2008-01-22 00:22:28 | 映画

ジェームス・アイボリー監督「眺めのいい部屋(A Room with a View)」(英、1985年)

              眺めのいい部屋 <完全版>
 この映画は、階級的縛り,封建的な考え方が支配的な時代に生きた女性の、古い価値観と自由でありたい願望との葛藤がテーマです。イギリス人のイタリアに対する潜在的憧憬(「イタリアには不思議な力があるわ。どんな堅物もロマンティックに変えてしまうの」というセリフに象徴される)が、背景にあります。
原作はフォースターの同名の小説です。

 開巻,プッチーニのオペラ「ジャンニ・スキッキ」からのアリア「わたしのお父さん」(キリ・テ・カナワ)が流れます。


 
20世紀初頭,イギリスの名家、ハニチャーチ家の娘ルーシーは,年長の従妹シャーロットとフィレンツェに旅行しました。ルーシーの育った家は、厳格な「常識」が支配していました。 この「常識」とは、女性は親の指南に従い,結婚後は夫に従順であるべきという考え方でした。

 ルーシーは,そのような空気のなかで成長しましたが,他方では、ピアノを趣味とし,それも情熱的なベートーベンの曲を得意とし、心のなかで自由に生きたいという強い願望がありました。ところが、シャーロットはこの「常識」に支配された女性です。彼女はフィレンツェ旅行にルーシーの監視役という名目で同行したのでした。

 宿泊のペンション「ベルトリーニ」では,北向きの眺めのよくない部屋があたり,ふたりは不満でした。

 レストランでの食事。イギリス人が同じテーブルで,好き好きにお喋りをしながら,夕食を楽しんでいました。そこでは、エマソン,ジョージの父子,エレノア・ラビッシュという女性作家,アラン姉妹らが同席していました。

 ルーシーとシャーロットが部屋のことで不平を言っているのを耳にしたエマソンは,気前よく,部屋を交換しようと提案しました。従妹のシャーロットは,エマソンの申し出に躊躇し「見知らぬ人の好意を受け入れることははしたない」と思うのですが,ルーシーは提案を受け入れ,結局,エマソン父子と部屋を交換しました。


 ルーシーとシャーロットは、その後、別行動で,市内観光にでます。シャーロットは,仲良くなったラビッシュ夫人と観光。ルーシーは,ひとりでサンタ・クローチェ教会に赴きました。ところが、ヴィッキオ宮殿が側にあるシニョリーナ広場で、彼女は若者たちの殺傷事件に遭遇します。
一人の青年が殴られ,血を流して死んでしまったのを見て,彼女は気絶してしまいます。ジョージがそこに居合せ,彼女を介抱したことから,ふたりは急速に親しくなりました。

 ある日、みんなでピクニックに出掛けたおり,野原でふたりは熱いキスを交わします。ところが,よりによって、この場面をシャーロットに見られてしまいます。ふたりの関係を心配した彼女は,その出来事を秘密にすることを約束し,予定を早めルーシーとともに部屋を引き払って帰国しました。

 
 ルーシーは,帰国後、ジョージに再会、再び積極的な求愛を受けます。ルーシーはフィレンツェでのジョージとの愛,イタリアで解放された恋を懐かしく回想するのでした。その後、ふたりの間にはいろいろな障害ができてきます。その結末は?

 マギー・スミス,ヘレナ・ボナム=カーター,ジュディ・デンチらの女性陣と、デンホルム・エリオット,ジュリアン・サンズ,ダニエル・デイ=ルイスらの男性陣,いずれ劣らぬ名演技で、気持ちのよい作品に仕上がっています。

おしまい。


ヒュー・ハドソン監督「炎のランナー」(英、1981年)

2008-01-21 00:15:17 | 映画

 ヒュー・ハドソン監督
 「炎のランナー (Chariots of Fire)」(英,1981年)
       炎のランナー

  イギリスの短距離界で名をなした二人の実在のランナー,ハロルド・エーブラムス(ベン・クロス)とエリック・リディル(イアン・チャールスン)が,ライバル心を燃やしながら1924年のパリ・オリンピック大会でそれぞれ100m走と400m走で金メダルをとるまでを描いた作品です。

  二人が全く別の境遇にあり別の価値観と人生観をもちながら、走ることへの信念を浮き彫りにした奥の深い人生ドラマになっています。単なるスポーツのヒーローの話ではありません。主人公たちの内面を描き,とくにエリックの信仰に誠実な生き方が感動をよびます。

 ハロルドはユダヤ人,ケンブリッジ大学のキーズ寮に籍をおいていました。周囲のものからは傲慢,保身のために攻撃的だが、義務感や忠誠心は強いと噂されていました。走ることに抜群の能力をもち,凄い記録をうちたてていました。

 一方のエリックはエジンバラ大学の学生で,誇り高いスコットランド人です。 敬虔なクリスチャンの牧師の子で人気者でした。伝導の道を進もうとしていました。彼も抜抜きんでた俊足でした。

 二人はそれぞれに短距離選手としての道を歩み始めます。しかし神が違えば,人生の目標は違うのです。ハロルドは,人種差別を乗り越えるために走りました。これに対してエリックは神の御名と御技を世に広めるために走ります。走ることが神を称える行為であり,「主の愛に身を委ねること,これがゴールへの最短距離」であるとの自覚をもっていました。

 二人はその実力からオリンピック選手に選ばれました。ところが、エリックにその信仰を問う問題が起きます。参加種目の100㍍走の予選は,安息日の日曜日に行われるという知らせが入ります。

  エリックは,このメダルに近い青年を何とかして100㍍走に出場させようとする関係者の意向を拒否し、「走れば神の法に反する」と参加を断念します。

 
100㍍走での二人の対決は,なくなりました。エリックは400㍍走に参加種目を変え,見事に金メダルを獲得します。ハロルドは100
㍍走で金メダル,二人はイギリス陸上界の栄誉を守りました。

 自らの夢を苦悩の中に実現し,青春を「走る」ことにかけた青年たちの感動的な物語です。ハロルドは,その後,弁護士,ジャーナリストとして活躍しました。 エリックは宣教師として中国での伝道活動に生涯をささげました。

 この作品は、第
54
回アカデミー賞作品賞を受賞しています。

おしまい。

 


北杜夫『マンボウ哀愁のヨーロッパ再訪記』青春出版社、2000年

2008-01-20 00:28:38 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

北杜夫『マンボウ哀愁のヨーロッパ再訪記』青春出版社、2000年
         マンボウ哀愁のヨーロッパ再訪記
 まだ、わたしが高校生だった頃、北杜夫さんの本はたくさん読みました。大著では『楡家の人々』『夜と霧の隅で』(芥川賞)。『どくとるマンボウ航海記』『どくとるマンボウ青春期』『どくとるマンボウ昆虫記』はもちろん。傑作だったのは『怪盗ジパゴ』。『さびしい王様』などの童話も読みました。

 本書は久しぶりに手にした作家、北さんのエッセイ集です。『哀愁のヨーロッパ再訪』となっているのは『どくとるマンボウ航海記』に綴った水産庁のマグロ調査船に船医としてヨーロッパに立ち寄った話以来(昭和33年~34年)、30年ぶりに再びヨーロッパを訪れたときのことをエッセイに仕立てているからです。

 著者はヨーロッパ、とくにリスボンの変わり方に驚いています。田舎だったこの街が、車の渋滞が目立つ都会になっていました。

 この他、タヒチを訪ねたときの話(昭和35年11月末~36年2月)、カラコルム登山隊(昭和40年5月~7月)でディラン(7237㍍)登攀にたちあったときの話(頂上まであと100㍍ほどで断念)など、相変わらずユーモアたっぷりに語っています。

 この作家は、何か怠け者のように見えるときもありますが(本人が自分をそう語っているようなフシがあります)、山に登ったり、航海にでたり、乗馬も結構な腕前のようであり、意外と活動的な人です。照れ屋なのでしょうか。

 旧制松本高校在学中、ある夏に上高地を訪れたときにその優雅な大自然に圧倒され、心を奪われてしまったことが、語られていて[pp.166-169]、この作家のあるひとつの境地に触れたように思いました。

 繰り返しの記述が多く、「凄くいい本」と人に薦めたい本ではありません、路傍に転がっていた気になる綺麗な石のように思いました。道草の途中で拾ってみたくなりました。

 この作家に出会った頃の、まだ若かった私自身のことを懐かしく思いだしながら、読むことができました。

おしまい。


本所次郎『閨閥-マスコミを支配しようとした男』徳間書店

2008-01-18 15:08:14 | ノンフィクション/ルポルタージュ

本所次郎『閨閥-マスコミを支配しようとした男』徳間書店、2004年
         4198920672.jpg
 「閨閥」とは妻の姻戚関係で結ばれた勢力・集団のことです。フジ・サンケイグループ(フジテレビ,文化放送,ニッポン放送,産経新聞社)の鹿内信雄‐春雄‐宏明とつながる人脈と反鹿内の権力闘争を暴露したノンフィクション小説です。

 登場人物は名前から全て実名を推測できるよいう際物です。発売直後、内容に「問題あり」ということで店頭から回収され、この世から消えました。

 戦後のマスコミ分野の企業史として一読の価値がありますが、現在は入手は極めて困難。Amazonの古書販売にも出品されていません。わたしは知人がまわしてくれたので、読むことができました。噂では、もし古本屋さんなどで見つけても、1万円くらいするかもしれないとのことです。

おしまい。


富田和子『水と緑と土-伝統を捨てた社会の行方』中央公論新書、1974年

2008-01-18 00:49:37 | 地理/風土/気象/文化
富田和子『水と緑と土-伝統を捨てた社会の行方』中央公論新書、1974年
        水と緑と土 伝統を捨てた社会の行方
 水をまもること、緑をまもること、土をまもることがいかに大事なことかを「思想的」に訴えた本です。

 序章「自然観の断絶」で著者は書いています、「私はこの国土で行われてきた破壊の事業のあとをたどりながら、そのどこに誤算があり、誤算はどのようにして生まれたか、その秘密を探っていきたいと思う。おそらく、その鍵は川にかくされているはずである。というのも、当面するどのような問題-都市の緑の後退、水不足、災害、危機に瀕した農業や林業、汚染、山の破壊など、資源、環境、災害のどの側面からアプローチしても、結局のところ私が行きついたのは水のとらえかたであり、川との問題だったからである」と(p.8)。

 この国はもともと自然的条件に恵まれ、人々の生活は自然と一体でした。人々は自然を畏怖し、敬い、自然に学び、そこから科学的認識や技術の在り様を汲み取っていました。

 それが明治時代に入ってから大転換が惹起され、資本優位、技術優先、機械万能の考え方が行き渡るようになります。

 この百年で国土は破壊されつくしました。元来、一体のものであった、水と森と土はそれぞれ分離され、工業の論理がまかりとおるようになりました。

 「豊かな資源を資源と見ず、すぐれた文化遺産を遺産として評価することなく工業化に猛進してきたこの百年の歴史は、まさにベルツの呼んだ『死の跳躍』であり、『首を折らねばよいが』といった彼の危惧の実現であった」(p.183)、と著者は書いています。

 治水手段としての堤防の功罪、堤防ダムによる水資源の収奪、森林での大面積皆伐、アスファルトで固められた都市の熱公害、「使い捨て文化」など危機の実際は想像以上に深刻であるばかりか、人類の歴史を回顧しても土地(土壌)の生産力を失った国は必ず滅びるという警鐘には耳を傾けなければならないでしょう。

 「自然とはもともと不便でわずらわしいものであり、人間もまたその自然の一員である。便利さ追求が限度を越えたとき、歩き、呼吸するという人間存在の自然さえ否定されてしまうことは、自動車化一つがすでに十分証明ずみである。真の豊かさとは何かについて根底から問い直され、その豊かさを守ることに最大の価値を置く社会が実現されたとき、はじめて新しい道はひらける。それが時間との競争の作業であることを、忘れてはならない」(p.184)。

 今から30年前に書かれた本、著者は当時40歳くらい。環境問題に関して事態は今日、ますます深刻になっています。また、著者がこの若さでこれだけ充実した本を執筆していたことに驚きました。

おしまい。

高峰秀子『にんげんのおへそ』(文庫)新潮社、2002年

2008-01-17 11:25:30 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談
高峰秀子『にんげんのおへそ』(文庫)新潮社、2002年
                                       にんげんのおへそ
 女優・高峰秀子さんとその「夫(オット)ドッコイ」こと松山善三さんの夫婦談義兼交遊録です。

 4歳にして母と死に別れ,育てられた養母との確執がすさまじく書かれています。梅原龍三郎,谷川徹三,石井ふく子などとの人間交流の広さは贅沢で羨ましくもあります。

 が,デコちゃん(著者)自身はひとみしりで,引っ込み思案,濃密な交際は苦手とのこと。

 素顔がでているエッセイでした。

 ボケについての考察は,おかしくて笑ってしまいました。

 それから、映画作成の裏話(「馬」など)は,映画ファンとしてのわたしには興味津々で読めました。