【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

有馬稲子『わが愛と残酷の映画史』筑摩書房、2018年

2018-09-08 10:12:40 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談


 有馬稲子さんの女優人生を対談形式でつづった本です。インタビュアーは、樋口尚文さんです。有馬さんは他にも半生の自伝を著していて、それを読んでいたので、すでに知っていることもずいぶん書かれていましたが、今回はご自身が出演した映画との関わりで話をしているので新鮮でした。映画監督では、小津安二郎、今井正、木下恵介、内田吐夢などの人柄、演出の仕方など興味深い逸話を知ることができます。

 また同僚の男優、女優に対する評価(?)思いやりには、知らなかったことばかりで、興味つきません。

 わたしが小学校の頃、「かあちゃんしぐのいやだ」(1961年)という映画を体育館で観た覚えがあり、つよい印象が残っていて、いつかまた観たいと思っていましたが、有馬さんはこの映画に出演していたようです。当時は女優有馬さんのことをわかっていませんでしたが、今では彼女が出演している映画をかなり観ていますし、エッセイも読んでいるので、そうした経験を踏まえて改めてこの映画に関心を惹かれました。
 

窪島誠一郎『「無言館」の坂道』平凡社、2003年

2018-03-15 23:56:24 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

長野県上田市の山王山の頂に建つ「無言館」は,戦没画学生の絵の美術館であす(10年ほど前の夏に赴きました)。 建設の発端は,館長の窪島さんの知り合いであるひとりの復員画家,野見山暁治さん(祈りの画集)との出会いでした。

 「無言館」の名称は画学生の全身全霊を賭した作品のまえでは,我々は無言にならざるを得ないということに由来するとのことです。

 本書はこの「無言館」に関わる出来事,著者の想いをまとまめたものです。全体を通じ,はにかみ屋の著者はこの館に対する自信の無さ,後ろめたさ,居心地の悪さを(「無言館」を反戦平和の砦のようにうたい,慰霊美術館としての意義や目的をさかんに協調しているけれども,それは絵を描いた当事者にとって本当に納得のゆくものなのだろうか。p.191)赤裸々に表明しています。

 「無言館」建設に寄せられた寄付金の総額は4700万円,それに課せられた贈与税が2千数百万円,名乗り出た税理士,池田誠氏の尽力で税金の1部が戻った話は興味深いものでした。

 また私設の美術館であるため現地に標識がほとんどなく来訪者に不便をかけていること,姉妹館である「信濃デッサン館」に納められる村山,松本,野田の絵にまつわることども,信濃浪漫大学が開設され好評を博していることなどのエピソードに著者の真摯な生き方が滲み出ていました。


小川有里「強いおばさん、弱いおじさん-二の腕の太さにはワケがある-」毎日新聞出版、2015年

2017-11-11 17:39:22 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

       

 痛快エッセイです。


 還暦前後あたりからの夫婦関係は微妙です。妻(おばさん)が強くなり、夫(おじさん)が弱ってきます。それは生活力が指標になるからです。おばさんたちはそれまでに蓄積した家事、育児の延長で堂々と生きていけます。それに対しておじさんは食事をつくることができず、おばさんにたよらざるをえません。生活の場の地域では、おばさんは知り合い、友達がたくさんいて、強固な情報ネットワークをもっていますが、おじさんは職場からはなれて、地域に知り合いがいないか、関係がうすく、ヒマをもてあましています。

 こうなったらおじさんはおばさんに感謝し、炊事をならっていきていけばいいのに、そんなことは男の沽券にかかわると思うのか、実行に躊躇し、「ありがとう」の一言も言いません。

 おばさんのほうにもいろいろ事情があり、逞しくなった彼女は「おんな」性をぬぎすて、自分をかざることに頓着がなくなります。そんなこんな事情を、ショートエッセイでまとめているのがこの本です。ほんとに笑える本です。

 上記の本の表紙の画像は、歌川広重の「御油 旅人留女」(東海道五拾三次)で、宿屋の女が腕や荷物を強引につかんで旅の男を引き込もうとしている姿をユーモラスに描いたものです。
 

 


入江保則『その時は、笑ってさようなら-俳優・入江保則 余命半年の生き方』ワニブックス、2011年

2016-06-23 20:49:07 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

        

  共感をもって読みました。

  長寿社会になり、男女とも長い人生を過ごす人が多くなりました。一般的にはそう言えますが、個人差があるのも事実です。90歳を超えても非常に元気な人もいれば、70歳ですっかり老人という人もいます。「平均」があまり意味をもちません。


 長生き人生になれば、病気に罹ることも増えます。ガンを患う人も少なくありません。かつてはガンは不治の病でしたが、医学の進歩で治療で治る人もいます。そのようなこともあって、ひと昔前は、ガンの告知は控えられていましたが、いまは簡単に「ガンです」と言われるようです。ガンとどう向き合うかは、今後、一人ひとりの課題になってきています。

 一番怖いのは、ガンと診断され、ぼやぼやしていると医者の言いなりになり、検査入院に始まってガン治療に追い込まれ、「ガンと戦わされて」苦しんで死んでいくケースです。「余命三ヶ月」を宣告され、有無をいわせず治療のラインののせられて、なくなるというのが後をたちません。医療サイドから見れば、それがお金(儲け)になるのです。


 この本はガンを宣告されたけれども、それを受け入れ、延命治療はしないで生きた人のいわば「ガン体験記」です。直腸ガンがみつかったけれども、それを受け入れ余分な治療はせず、生まれてきたからにはいつか死ぬのだから、それとつきあいながら生きていく決意をしました。そのことを公にしたことが話題になり、取材を受けたり、テレビ出演をしたり、とうとう本にまでしてしまったというわけです。「自主葬」の提言をしています。自分でテープに吹き込んだ「般若心経」を冒頭に2度ほど流して、近親者のみのお葬式です。

 著者は俳優です。苦労した甲斐があり、運がひらけて、NHKの大河ドラマに出演したりしました。2回の離婚、最後は独居老人でした。

 子どもの頃、戦争さ中で、死んだ人をたくさん見たこともあり、独特の人生観、死生観をもっているようです。諦念というのでもなく、あがくわけでもなく、事態をそのまま受け入れ、運命によりそって生きるという哲学です。それに「末期ガン」患者の目をとおして、結婚とは、死とは、いまどきの女性、いまどきの男性などと綴っています。

 また、俳優ですから、日本のいい映画(「浮雲」「七人の侍」「重森君上京す」)、外国のいい映画(「第三の男」)についても熱く語っています。末尾に「余命半年の生き方」が日記風に書かれています。

 


千住文子『千住家にストラディヴァリウスが来た日』新潮社、2005年

2015-12-19 18:41:27 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

                               

  それは1716年製のストラディヴァリウス。もちろん、著名なヴァイオリン製作者、アントニオ・ストラディヴァリの手による作品。249代ローマ教皇クレメンス14世に捧げられたもの。教皇が亡くなった後、その側近が引き継ぎ、フランスの貴族のもとを経て、スイスの大富豪のもとへ渡った。富豪が死に、遺言によってそれは芸術品として競売にかけられるのではなく、演奏家としてのヴァイオリニストによって弾かれるよう委託された。「決して商人に渡してはならない、純粋なヴァイオリニストの手に渡って、現役の楽器として、音楽を奏で続けてほしい」。

 本書はこの名器がC氏というディーラーを介して、千住真理子さんは入手するまでの顛末を綴ったものである。著者は真理子の母親でエッセイスト。千住家は、長男の博さんが日本画家、次男の明さんが作曲家、末っ子の真理子さんがヴァイオリニストとして知られる。どうしたこんな子供たちが育ったのか。著者にはその質問に答える本を出版している。本書にもあらためて、そのことに触れている。夫の子どもたちにたいする、厳しいが自由に育てる姿勢が、結果として子供たちをそれぞれ芸術家として大成させたようである。

 真理子さんは、ヴァイオリンの天才少女としてデビューした。江藤俊哉氏の厳しいレッスンを経験した。しかし、周囲の嫉妬や苛めにもあったと言う。全く弾けない時期もあった。それを乗り越えて、今の真理子がある。一言で書いてしまえばいとも簡単にスランプを克服したように思われがちであるが、そのプロセスは大変なものであったらしい。真理子さんは危機を脱していま羽ばたき始めている。

 本書の後半には、母親、兄弟が一丸となってストラディヴァリウスを、「億」単位の借金をして、入手するまでの経緯を描いている。どうなるのか、どうなるのか、わくわくする展開で、迫力があり、一気に読ませる(若干、文章が上滑りになっているきらいはあるが、著者の年齢などを考えれば、いたしかたないところか)。


寺川奈津美『はれますように-未来はきっと変えられる-』トランスワールドジャパン、2015年

2015-12-06 16:06:47 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

             

 気象予報士・寺川奈津美さんのエッセイ。

 寺川さんといえば、NHKの「ニュース7」の最後に登場する天気予報のキャスター。お茶の間で人気が高い。その寺川さんが自分をさらけだしてつづったエッセイ集が、『はれますように』である。

 優秀な人気キャスターなのだから、さぞこれまでの人生は順風満帆できているのかとおもっていたが、なかなか大変なあゆみだったようである。

 この本にも何回もそのことが書かれているが、予報士の試験には6回目で合格したとのこと。大学が理科系であるので、わりと容易に合格したと推測していた。難しい試験とは聞いていたが、それほど苦労して切り開いた道とは知らなかった。

 大学を出て銀行に勤めるもなかなかあわず、ふとしたことから予報士試験をめざそうと一念発起。何度も試験に落ちて、自分にダメ出しをしていたという。

 「ニュース7」には2分ほどしか出ないが、気象士の一日は朝の天気のチェックから始まり、気象分析、番組用の原稿を書いたり忙しいらしい。休日も全国の気候の様子を肌で経験することが大事だと、冬の北海道から沖縄まで、また被災地にも足を運んでいる、と書かれている。頭がさがる。いまでは「やりがい」のある仕事で、生き生きしている。

 家族のこと、先輩の平井さんのこと、予報がおおはずれした失敗談、ランニングをし、ダンスをならっていることなど、興味深いことがやわらかい筆致で書かれているので、好感がもてた。

 本の始めに17枚のポートレートがカラーで載っている。笑顔がかわいい。

 目次は、以下のとおり。

・第1章「寺川はアナウンサーに向いている」
故郷/リケジョ/アナウンサーになりたい/上京/方言コンプレックス/〇〇禁止サークル/本当にトケジョ/ダメ就活/就職、そして資格との出会い/両立するもたった1年で


・第2章「6回目の気象予報士試験」
気象予報士試験とは/なかなか受からない!/走るは癒し/働かざるもの食うべからず/塾のアルバイト/支えてくれた人/転機/合格通知??

・第3章「鳥取でのキャスター時代」
コンプレックス/子ども番組/びわの木の思い出/目指すはディレクター/ウイングへ/思い固まる

・第4章「気象キャスターの役割」
試練のはじまり/気象キャスターって??/原点へ/被災地へ/ボディーブローを受けた日/全国を知る/りんごジュースの縁

・第5章「日々のこと」
先輩/ダンス/食事/好きな雲/父親/やりがい


赤川次郎『三毛猫ホームズの遠眼鏡』岩波書店、2015年

2015-04-13 21:27:00 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

                                

   岩波書店の広報誌『図書』に2012年7月から2014年12月までに都合30回にわたって掲載された同名のエッセイを一冊の文庫本にまとめた本。下記の目次をみるだけで、面白そうだったので読み始め、読み終えた。
  赤川次郎さんの名前は知っているが、小説は読んだことがない。が、このエッセイ集を読むと気骨のある人であることがわかる。そして、クラッシック、オペラ、映画が大好きで、それらについての語りがはずんでいる。
  日本の現状を憂えている。東京オリンピック、北陸新幹線と浮かかれているが、次々と民主主義と逆行する事態の進行。安倍首相、麻生副首相の政策に対しては、心底から怒りをぶつけている。

・ベートーヴェンを聴く夜
・吉田秀和さんの言葉
・ネット社会の暗闇
・フクシマの壁
・愛国の旗
・少数者はどこにいる
・正義の味方
・フィクションと現実
・灯台はどこを照らすのか
・戦う演劇
・二十代の墓標
・西部劇における人生の汚点
・星に願いを
・人生の誤植
・失われた瞬間を求めて
・禁じられた大人の遊び
・非情の町、非情の国
・踊れる平和が今
・スリッパはどこへ行った
・今、鼠小僧が盗むもの
・二十一世紀の孤独
・知性が人を人間にする
・希望の灯を絶やさずに
・孤独な狩人の嘆き
・9・11から遠く離れて
・傷を背負って前向きに
・失われたプライドを求めて
・今に活きる言葉
・楽しく、くたびれた日
・夜明け前


波野好江『中村勘三郎 最期の131日』集英社、2013年

2014-02-02 23:09:48 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

                

 一昨年12月5日未明亡くなった歌舞伎役者・十八代目中村勘三郎の妻好江さんがつづった勘三郎の病との闘い。それは勘三郎ひとりの闘いではなく、好江さんとの二人三脚の闘いでもあった。

 勘三郎は定期健診で食道に小さい癌がみつかり、手術で癌の治療はひとまず終わったが、その後、感染症を引き起こし、ARDS(急性呼吸窮迫症候群)にかかり、これが命とりになった。直接の原因は胆汁の誤嚥だったらしい。がん研有明病院から、ARDSの専門医がいる東京女子医大病院に転院、さらに肺を蘇生させるためにさらにもう一度、日大病院に転院してECMO治療を受けた。担当医師はじめ懸命の治療がほどこされたが、勘三郎は還らぬ人となった。

  本書の4章ではその経緯がこと細かく書かれているが、実は勘三郎はその前からウツ病や耳鳴りに悩まされていたようだ。好江さんは、そうした事実も、正直に書き込んでいる。この本には歌舞伎のことはあまり書かれていない。二人の仲睦まじい夫婦生活(ときに勘三郎の「人たらし」が彼女を悩ませていたようでもあるが)と家族や演劇関係の親友(大竹しのぶさん、野田秀樹さんたち)も巻き込んだ闘病生活がメインである。

  幸せだった日々は、写真を織り込んで、たくさんあったということがわかる。羨ましいほどである。巻末に大竹しのぶさんと野田秀樹さんのお別れの言葉。そして主治医のインタビュー。

  勘三郎の死については、いろいろな風評もあったが、この本を読んで、正確なことがわかってよかった。好江さんにも、真実を伝えたいという思いがあったのではなかろうか。


なかにし礼『人生の黄金律-華やぐ人々-(勇気の章)』清流出版、2003年

2014-02-01 23:10:51 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

             

 作詞家であり、作家でもある「なかにし礼」の12人の人とのインタビュー。シリーズ3冊のうちの一冊。今回登場しているのは、以下のとおり。

 長嶋茂雄(24時間、365日走り続けた野球人生)、鳳蘭(『幸せを売る女』)、安藤忠雄(「無用の用」のために)、ピーコ(2回目の人生を生きて)、立花隆(デラシネの精神)、池田理代子(華麗に脱皮)、加藤登紀子(乱調の華)、篠田正裕(日本の遺言)、石井好子(母なる『石井好子』)、横尾忠則(魂と一致した自分)、仲代達矢(『祭』に生きる幸せ)、筑紫哲也(日本に生まれてよかった)。

 対談のひとつひとつに、それぞれの方々の人生の重みを感じさせられる。標題にあるとおり、まさに「黄金律」の連続だ。対談の相手の写真、対談相手となかにさんとのツーショット。そして対談を終えたあとの余韻を、なかにしさんが短くコメント。

 「婦人画報」で2003年に連載された記事。


なかにし礼『人生の黄金律-華やぐ人々-(共生の章)』清流出版、2003年

2014-01-22 22:39:25 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

              
  作詞家で作家でもある、なかにし礼が『婦人画報』に連鎖した対談をまとめたもの。登場する相手は、黒柳徹子(「善意」のおしゃべり、「寛容」の大使)、宮沢りえ(ただ一瞬の喜びのために・・・)、黒川紀章(「弱さ」を認める精神が「共生」を育む)、小宮悦子(「恋」から始まったキャリアの第一歩)、五嶋みどり(天性の才能に身をまかせて進む「少女」)、柳家小三治(自己発現、自己確認、自己改善の日々)、コン・リー(中国が生んだ「映画の女神」)、黒鉄ヒロシ(遊びをせんとや生まれけむ)、松坂慶子(女優は、美しき鬼)、細川護熙・細川佳代子(生き続ける細川家の哲学)、錦織健(「言葉の魂」を歌うテノール)、北野武(暴力と死は、優しさと愛)。

  小見出しが、対談の内容を凝縮しているので、紹介はほぼそれで十分。ただし、徹子さんがユニセフ大使になったのは、国連で「トットちゃん」が評価されたからとか、「共生」という言葉を作ったのが黒川紀章だとか、小三治が一時オートバイに凝っていたとか、松坂慶子の写真集「さくら伝説」の秘話とか、武が映画を撮り始めた経緯などは、読まなくてはわからない。対談で相手の魅力を引き出しているが、自らの人生も語っている。コン・リーとの対談では、なかにしさん自身が中国服を着ている(牡丹江生まれ)。

  石原裕次郎との出会いも決定的だった。それぞれの対談の際に撮った写真が載っている。対談の後に撮ったのではなかろうか。対談の余韻が残っている。


熊井明子『めぐりあい』春秋社、2013年

2013-12-27 20:32:38 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

              
  シェイクスピアに関する著作があり、ポプリ研究家としても知られる著者は、映画監督熊井啓の妻でもあった。


  熊井監督の映画は、「忍ぶ川」「サンダンカン八番娼館・望郷」「海と毒薬」「深い河」などは観たが、「天平の甍」「黒部の太陽」は未見である(「破獄」「俊寛」は完成の予定だったが、原作者あるいは監督の死で実現できなかったようだ)。

  本書は、著者と熊井啓との出会い、結婚、そして46年の文字どおり一体だった人生を、つづったもの。妻でなければ知ることのできない熊井監督の人柄、映画製作に向かう姿勢、人生観をうかがいしることができる。

  同時に、著者自身が自立した女性として、自らの生きる道をみいだし、その分野で大きな仕事をなしとげ、多くの人たち(五所兵之助、岡本太郎、大橋鎭子、辻邦雄、志村喬、森茉莉、田辺聖子、モーリス・メッセダなど)との交流をたもってきたプロセスを知ることができた。ジャン・コクトーへの傾倒、熊井監督が「忍ぶ川」を製作したころの壮絶な病との戦い、などどのページをめくっても真剣な生き方が伝わってきて、いい意味の緊張感をもって著者とかかわることができた。


成ケ澤憲太郎『少し昔、北国の小さな村の昭和暮らし』共同文化社、2013年

2013-07-09 20:44:40 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

            

  著者は昭和21年生まれ。生まれ育った北海道の北東の一地域、稲富町での、かつての生活のひとこと、ひとこまを切り取り、分類した生活誌。5歳ごろから大学(北海道大学)に入るころまでの様子だ。


  わたしはやや年齢が低く、育ったところも札幌市なので、ここで明らかにされている生活とはかなり異なるが、時代状況が重なるので理解できるところもたくさんある。しかし、内容は、狩猟、川猟、ランプ生活、冬季のマイナス30度での生活、あたりになるとまるで知らないことばかり。これは著者の生活遺産そのものであり、貴重な記録だ。

  目次だけを示してもそれはわかろうというもの。第一章「狩猟」では自ら幼いころから体験したウサギ、スズメ、リス、ライチョウなどの狩猟、イタチなどの罠猟、カワハギの仕方などが語られている。
  第二章「川猟」では、ウグイ、ヤマメ、アメマス、サクラマス、ドジョウ、トンギョ、カジカ、ザリガニ、ヤツメウナギ、トゲウオ、フナなどをどこでどのように釣ったかが書かれている。爬虫類、昆虫とのつきいあいは、わたしもだいたい同じだったが(第三章)、ヘビ退治はしたことがない。
  第四章に出てくる「スキー・スケート」の経験は北海道ならでは(わたしはスケートに関しては大学に入ってから経験)。スキーの「つっかけ式」「フィットフェルト式」「カンダハー式」のスキーはわたしも使った。いまの若い人は、見たことも、聞いたこともないだろう。博物館でみるしかない代物である。
  第五章では当時の「稲富の生活」が具体的に紹介されている。そこにあったのは、ランプ生活、有線放送、五右衛門風呂、手押しポンプ、木の窓枠、美濃板ガラス、進駐軍支援物資などである。自転車の横乗りは懐かしい(子ども用の自転車がなく大人の自転車をこのように乗り回していた)。「貧しいことに気がつかなかった子どもたち」の一節が心に響く。
  そして第六章では食べ物が並ぶ。代用食、保存食、牛乳ご飯、沢庵、鰊漬、グスベリなどの木の実。著者の家は農家だったようだ。500アールの畑を耕していたとある。したがって、農作業、家畜、薪の切り出しのことも詳しい。最後の第七章は、稲富の行事のこと。もちつき、正月、運動会、学芸会、ストーブ当番、盆踊りなど。著者は四国に住んでいる知人の勧めでこの本を著したという。毎日、少しづつ、項目ごとに文章を書きため、メールで送っていたとのこと。それがまとまった。

  「高度経済成長」前の、地方の、ありのままの、自給自足に近い生活である。挿絵は、知床在住の桜井あけみさん。一部は娘の木村昴枝さんのもの。


阿刀田高『殺し文句の研究』新潮文庫、2005年

2013-06-14 23:14:40 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

  「殺し文句の研究」の他に、「来し方考」「好きなもの、好きなこと」「作家の企業秘密」「作家の経済学」「男と女の物語」。

           

  「殺し文句」とは? 「男女間で相手を悩殺する文句」と辞書から引用しているが、「相手の気持ちをうまく引きつけるような言葉」と再定義している(p.46)。小説、映画のセリフのなかの「殺し文句」を紹介しながら(例:「あんなに遠くにいる月が波を渚に誘うのなら、近くにいるあなたがぼくの心を誘うのは当然ですね」)、女性の褒め方などを考察。相手の積極攻勢をピシャリと拒否する言葉、ぎゃふんとくる文句まで幅広い。


  この本では、著者の来歴が素直に綴られている。出自、子ども時代、兄弟、病気、就職(国立国会図書館)、作家への転職など。「作家の企業秘密」では、800編近くの短編を書いた著者の秘訣の一部を披歴している。アイデアを考えるのが一番、大変なようだ。そのために行っているいくつかのことが書かれている。それが決まればあとは想像力を広げ、プロットを組み立て、舞台設定し、人物を動かす、原稿用紙に書き、読み返して完成。言うは易く、行うは難しの世界だ。

  「作家の経済学」は、著者の経済感覚を披歴したものが中心だが、作家がどれくらいの収入を得ているか、原稿用紙1枚はいくらぐらいか、などについても簡単な計算を行っている。

  「男と女の物語」では、男と女の本性、女性の顔の話などのエッセイが数編、最後に恋愛関係にある(と思われる)若い男女の想いを、上下に二段にかき分け、思い違い、打算、セックスの感じ方などを同時進行で綴っている。面白い試みだ。

  該博な知識がありながら、それを決して前にださず、常に一歩引きながら、しかし書くことはユーモアや、色っぽい要素もおりまぜて披歴。その姿勢が魅力であり、物足りなさでもあり。


吉村昭『味を訪ねて』河出書房新社、2010年

2013-05-16 23:13:20 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

          

  小説の取材活動などで全国を歩いた著者が、編集者に乞われて執筆した「食」に関するエッセイをまとめたものです。


  小説同様、著者の無駄も、余計な粉飾もない硬筆の文章がよいです。しかし、一面、とくに前半は、味に関して、「実にうまい」「すこぶるうまい」などの余白のない表現が目立ちます。

  暗い、貧しく、国民全体が飢えていた戦争時代を経て生きた著者らしく、戦後の洋食との出会い、ビフテキ体験には共感がもてました。気取った食を排し、旅で行く先々の地方(市場)の食材を愛で、質実の道に徹しています。

  同時に、著者は東京に生まれ、育ったので、戦後のこの地の雰囲気を楽しんでいます。上野、浅草、根岸など。地方の豊かさにも目を向けています。宇和島のうどん屋、長崎のカステラと蒲鉾、米沢の味噌、岩手県田野原村のじゃがいも、福井県小浜の小鯛の笹漬、あちこちの蕎麦。

  
そして何と言ってもお酒だ(ビール、焼酎、泡盛、日本酒、ウィスキーなんでも)。日本酒がおいしくなったことに祝杯をあげて、本書を閉じています(「日本酒花盛り」)。
  新潟県の「久保田」「八海山」「白瀧」「雪中梅」「〆張鶴」「鶴亀」がお好みのようです。


井上ひさし・山藤章二『新東海道五十三次』河出文庫、2013年

2013-04-11 16:37:13 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

           

  著者には自らを『東海道中膝栗毛』の著者十返舎一九に、あわせて大店の若旦那栄太郎に、投影し、自己戯画化した小説「手鎖心中」とい小説がある(直木賞受賞)。


  膨大な五十三次と十返舎一九の資料を調べて書いた小説と思われるが、この「新東海道五十三次」ではその余勢をかって、ありとあらゆる東海道中記を精読、精査し、吟味し、そこからとっておきの旬のネタを読者に提供している。

  話題は豊富。古の人は東海道(江戸の日本橋から京都の三条大橋まで)を何泊何日で歩き切ったか?。富士山の名称のいわれは?。『東海道五十三次膝栗毛』は「文学」か?。江戸の人は、旅をどれくらいしたのか?。当時の東海道を往来していた人はどれぐらいだったのか?。五人組の役割は?。江戸産の童謡の特徴は(ついでに東海道以外の諸国の方言唄)?明治の頃に入ってきた西洋文化・舶来文化が方言ではなく、漢語と結びついた弊害は?

  東海道にまつわる歴史、文化、言語、はてはシモネタにいたるまで、縦横無尽に、その博覧強記をいかんなく発揮した快作。山藤章二さんのイラストとマッチして愉快きわまりない。