【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

Prokofiev/Violinsonaten (Gidon Kremer,Martha Argerich)

2012-07-31 00:30:53 | 音楽/CDの紹介

            

 ギドン・クレーメルとマルタ・アルゲリッチによるプロコフィエフ。


 プロコフィエフは、波乱の生涯をおくっている。ロシア革命後、この革命を嫌って海外亡命、しかし、国情が安定すると旧ソ連に戻り、ソビエトを代表とする作曲家として生涯を全うした。

 このCDに収められているのは「ヴァイオリンソナタ1番」と「ヴァイオリンソナタ2番」、そして「5つのメロディ」である。

 「ヴァイオリンソナタ1番」は1938年にプロコフィエフがコーカサスのリゾート地テベルダでヘンデルの作品を聴いたときに着想を得たといわれている。完成は1946年であるから、8年ほどかかった。ヴァイオリニストのオイストラフはこの作品とであって、次のように言っている。「私たちはとても偉大で重要な出来事に立ち合っているのだと感じた。実際、誇張ではなく、世界中でここ数十年間の間にこれほどの音楽美と深さを備えたヴァイオリンの作品は生まれなかったといえる」。初演は、1946年10月。モスクワで、ヴァイオリンがオイストラフ、ピアノがオボーリンによって演奏された。

 「ヴァイオリンソナタ2番」は当初はフルートとピアノのために書かれた。1943年の夏のことである。プロコフィエフはフルートという楽器に興味をもっていて、それで作られたのである。しかし、実際には、フルート奏者があまりその曲を取り上げてくれなかった。そのとき、上記のオイストラフがその曲をヴァイオリン用に書き換えることを強くもとめ、ふたりが協力し合って、電光石火のごとく仕上がられた。ピアノ部分はそのまま、フルート・パートのヴァイオリンへの変更はごくわずかで、ほとんどがボーイングに関するものだった。初演は1944年6月、オイストラフとオボーリンによる演奏だった。このときには、「ヴァイオリンソナタ1番」はまだ完成していなかったわけである。

 「ヴァイオリンソナタ1番」「ヴァイオリンソナタ2番」に挟まれている「5つのメロディ」は、プロコフィエフがアメリカに亡命中、1920年12月から翌月に書かれたもの。歌詞を伴わないヴォーカリズムによる声とピアノのための<5つの無言歌>作品35であり、1921年3月に初演された。その後、プロコフィエフはこのヴォーカリズムという手法を実際的でないと判断し、ヴァイオリン用に編曲した。これが本CDに収められている作品である。

 このCDではヴァイオリンをクレーメルがピアノをアルゲリッチが担当している。ふたりとも現代を代表する演奏家。ふたりの競演は1985年のベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタが最初である。以来、息のあった共演が続けられ、このCDでも、呼吸はピタリである。


「しみじみ日本・乃木大将」(井上ひさし脚本、蜷川幸雄演出)[彩の国さいたま芸術劇場・大ホール]

2012-07-30 00:09:02 | 演劇/バレエ/ミュージカル

            

 彩の国さいたま芸術劇場に「しみじみ日本・乃木大将」(井上ひさし脚本、蜷川幸夫演出)を観に行く。原作の脚本は読んだ。歴史上の事実、逸話などいろいろなことが盛り込まれ、原作を読んだだけではなぜこの作品が面白いのかよくわからなかった。


 実際にみて、いたるところで報復絶倒。笑いが観客のなかに沸き立つ。舞台は明治天皇大葬の日(大正元年9月13日)から始まり、天皇の後を追って自刃を決意した乃木大将(風間杜夫さん)と静子夫人(根岸季衣さん)が厩舎で愛馬たちにカステラをやりながら別れをつげるところから始まるのだが、馬たちのしぐさが、また乃木大将と馬のコミュニケーションからしておかしい。ここでまず笑う。

 以後、話は次の順序で進んでいく。
1  書生志願
2  馬体分解
3  馬格分裂
4  駒くらべ
5  連隊旗
6  植木坂の野戦
7  千田少尉の報告
8  馬虻
9  将軍たちのお茶の会
10 型の完成
11 それからの馬たち 

 馬たちが前足と後ろ足に分かれ、しだいに人格分裂ならぬ馬格分裂し、お互いに相手をやりこめたり、乃木大将の人となりを評したり。そして話は次第に深刻化し、もともと単なる旗にすぎなかった聯隊旗が、天皇の分身として象徴化され、軍人またその妻の「型」が確立し、国家が「型」を持ち始める。
 明治の時代には、士族が階級として凋落し、仕事をなくしていく。一矢むくいようと萩で決起をはかるものもいれば、征韓論も唱えられる。このあたりの事情は、この芝居のなかにはしっかり織り込まれている(乃木大将も弟の玉木正誼に決起に加わるよう勧誘されるが、天皇への大義を楯に断わる)。

 難しい問題をわかりやすく、おかしさを醸し出しつつ、劇化していくのがひさし流。密偵(「ぶき」:「ことぶき号」の後ろ足)役の吉田鋼太郎さん、副官(河原林敬之助)役の山崎一さんがユーモアあふれて好演。本人自身が吹いていた。
 「書生志願」の場面で登場する三河屋の小僧さんこと武松少年(岡部恭子さん)の仕種には愛嬌があり、かつ可笑しい。宝塚気取りの2人の女性が出てくるが、この部分は原作にあるのかと、帰宅して調べたらあった。読んだのに忘れていた。

 演劇は、やはり観ないと理解できないものだ。こんなに難しいセリフを入れている役者さんは本当にすごいと思う。
 今日は千秋楽だった。最後のカーテンコールは4回ほど。スタンディグ・オベーションだった。演出の蜷川幸雄さんも登壇した。


佐野眞一『別海から来た女-悪魔祓いの百日裁判-』講談社、2012年

2012-07-28 00:37:53 | ノンフィクション/ルポルタージュ

 木嶋佳苗。睡眠薬と練炭を使った首都圏連続殺人事件の被疑者。

 罪状は3件の殺害事件、6件の詐欺及び未遂、1件の窃盗。これらのうち最も核心にある殺害事件は、2007年8月から2009年9月にかけて、埼玉、東京、千葉で起きた男性の不審死にかかわる。

  彼女はかかわった男性に結婚する意志があるかのようにネットをつうじて接近し、多額の金を詐取し、関係の継続が不要となった時点で、かれらに睡眠薬を飲ませ、練炭を使って中毒死させた(らしい)。

  著者はこの事件の社会的影響の大きさ、犯罪者である木嶋佳苗の悪女ぶりを、綿密な取材と裁判の傍聴をとおして、あますところなく分析し、本書をなした。

  第Ⅰ部「別海から来た女」では、佳苗が生まれ育った中標津、別海の地にとび、福井県に出自をもつ曽祖父、祖父、そしてこの地に生を受けた父母の痕跡を訪ね、佳苗が育った家庭環境に迫っている。ここでは佳苗が小学生の頃にピアノの先生宅から貯金通帳を盗んだ事件を知り、驚く。

  第Ⅱ部「百日裁判」は、裁判傍聴の記録である。主観的感情を抜きに散文的に叙述することを旨としたようであるが、ところどころに怒り、あきれ、徒労感の表明があり、意図と矛盾する記述が散見される。犯罪はおしなべて時代の縮図がそこに投影されるが、著者はこの事件が背景にある都会と地方とのねじれ、ネットの利用(婚活サイト)、高齢者問題の契機がからんでいることを指摘している。しかし、本質は佳苗にみられたサイコパス(反社会的精神病質)的性格に着目している。

  著者はこの超弩級の女犯罪者のウソ八百で塗り込めた供述、裁判での横柄な態度に驚嘆しつつも、佳苗に殺され、カネをばましとられ、冒瀆され、手玉に取られた情けない男たちにも強い関心があったようである。

  さらにさいたま地裁での裁判長の判決文の稚拙さ(「被告人のほかには見当たらない」といった独断的文言)にも言及するとともに、,事件への警察の対応への疑問も提示している。

  それにしても木嶋被告は、何を考えていたのだろうか。そんなことをしたらそのうち捕まることはわかっていたはずなのに、なぜ次々と手を下し続けたのだろうか。彼女の精神構造はいまひとつわからないが、数千万、数百万の金額を手にし、セレブな生活をすることになれ、リスクは承知しつつ、綱渡りの日々を脱却できなかったのだろう。

 現代社会を象徴する極悪犯罪の核心にせまるレポート。


古賀茂明『日本中枢の崩壊』講談社、2011年

2012-07-27 00:09:48 | 政治/社会

             

  著者は強い「危機意識」をもってこの本書をあらわした。

  日本の凋落、没落、世界の変化に対応できず、いまやその急展開の後塵を拝するかのような位置にある。究極の原因は行政システムの立ち遅れとみている著者は公務員改革が喫緊の課題と考えていた。

  民主党は当初、政治主導でそれを実行しようとしていた。ところが、民主党のこの謳い文句はいつの間にか棚あげされてしまった。「中枢」に危機感が欠如している。現役官僚だった著者は民主党政権が陥った改革の後退に公然と批判の矛先をむけ、個人の立場から国会やマスメディアで持論を展開。直後、著者は国家公務員改革推進本部事務局審議官の任を解かれ、経産省の「大臣官房付」というポストにおかれ、事実上仕事を干されることとなった。福田康夫政権下で内閣に出向(2008年7月)して以後、国家公務員制度改革にとりくんできたにもかかわらず、民主党政権に交替した約3ヶ月後の2009年末にこのようなこととなった。

  本書最終原稿チェック中、2011年3月11日、東日本大震災に遭遇。行政の体たらくはここにも現れた。原子力安全・保安院は経産省傘下にあり、原子力行政を進める側の資源エネルギー庁も同じ屋根の下にある。「日本中枢」を支えていたはずだった官僚は、まことに信頼のできない一群であることが図らずも露呈するかたちとなった。日本国全体がメルトダウンしそうな状況なのだ、と著者は言う。

  本書はわが国の政治と行政の怠慢ぶりを怒りを、自身の処遇をも客観的にみつめながら告発している。各章の表題を示すと以下のとおり。「序章:福島原発事故の裏で」「第1章:暗転した官僚人生」「第2章:公務員制度改革の大逆流」「第3章:霞が関の過ちを知った出張」「第4章:役人たちが暴走する仕組み」「第5章:民主党政権が躓いた場所」「第6章:政治主導を実現する3つの組織」「第7章:役人-その困った生態」「第8章:官僚の政策が壊す日本」「終章:起死回生の策」「補論-


山口義行「山口義行の”ホント”の経済」スモールサン出版、2012年

2012-07-26 00:02:50 | 経済/経営

              

  当面する経済問題の本質をストレートに明るみに出し、まことに歯切れがよい。


  3部からなり、第1部「日本の"今”」では消費税、TPP、日本の財政に関する問題が、第2部「世界の"今”」ではギリシャ問題(EU問題)、アメリカ経済の現況が、第3部「中小企業の"未来”」では中小企業のあるべき姿が、それぞれ論じられている。巷に流布されている俗説のどこがいかに誤っているかをときほぐしながら、経済の”ホント”に迫っているので、山口教授の見解がある種の清涼感とともに、胸に落ちる。

  たとえば、消費税問題では、この税金を払わなければならないのが「事業者」であり、税率UPを消費者に転嫁することが難しい中小企業は大変な迷惑を被る、TPPは農業だけでなく医療制度、建築業界とも深くかかわる、またISD条項(相手国に投資した企業がそこで損害を受けた場合、世銀傘下の国際投資紛争センターに提訴できる)の存在を無視しえないこと、日本の財政が破綻直前にあるとしきりに喧伝されているが、事態を慎重にみるべきであるtこと、それより怖いのは経常収支赤字であること、ギリシャの財政危機は確かに深刻なのだが、デフォルトさせない仕組みはすでにできあがっていること、デフォルト説の背後で投機筋が国債の空売りで儲けようとのたくらみがること、現在のEUの危機で、構成各国の結束がとよまっていること、などが意外な事実が次々と示される。

  さいごの中小企業論では、著者がそのたちあげに関わったスモールサンに参加している企業の豊かな経験、工夫が紹介され、日本中に閉塞感を蔓延させている「市場の成熟化」論に対し、発想の転換を迫る経営実践の数々が未来展望の契機になると、箴言している。

   論述は対話形式で組まれ、インタビューにはスモールサン事務局の柳田のぞみさんがあたっている。各部末尾の「深読みQ&A]ではタイムリーな問題を文字通り根底から明らかにされていて勉強になる。

 著者からの献本。


吉村昭『破船』新潮文庫、1982年

2012-07-25 00:02:57 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

            

  特定の場所、時代が背景になく(日本海側、江戸時代?)、寓話のようだが、歴史上、実際にあった話らしい。


  ある貧しい漁村。人々が生きていくのに必要な食糧の確保さえあやうい。わずかの山菜、烏賊、たこ、サンマ、イワシなどの海の産物をようやく食べて生活している。それらを干したり、塩漬けにし、近隣の村にいっては、雑穀、雑貨と交換し食いつなぐ。

  あまりに貧しいので、家族の構成員は口入れと称して近隣の村に人身を売り、そのみかえりの前金で命をつないでいる。娘が売られることが多いが、大黒柱の男が自らを売ることもまれではない。実入りがいいからである。

   村は「お船様」を大歓迎した。「お船様」というのは難破した船である。数年に一度あるかないか。しかし、「お船様」の漂着があると、積んである食糧、荷物を「収穫」し、一時、生きる糧が得られ、生活のしのぎとなる。船そのものも解体して、利用できる。

   村では塩焼きといって、大きな釜で海水を煮詰め、塩を得る。薪で釜を焚くのであるが、この時の火が難破船の視界に入ると、それがおとりとなり、船を引き寄せ、結果的に船を座礁させる。それで人々は難破船をもとめて塩焼きをするのである。

  主人公は、伊作という9歳の男の子。父親が口入れに出て、家族を背負うことになる。父親代わりとなって、男として一家を支えなければならない。塩焼き、サンマ漁、伊作は生きていくため、家族を養うため、成長していく。何年かぶりの「お船様」にも遭遇する。しかし、生活が貧しいことは変わらず、家族はひとり、またひとりと死んでいく。吹き出ものと高熱の疫病もがさ[痘瘡]の流行。母親も罹患し、病で死ぬ。

  口入れから漸く村に戻ってきた父親。しかし、家族はすでに消滅していた。伊作は帰ってきた父の姿をみて、どのように行動したか。一切の無駄をはぶき、粉飾を排した硬筆の文章。

  厳しい自然のなかで、生存ギリギリのところで行きる人々を描いた異色の作品。


YSAYE Six Sonatas for Violin Solo,Op.27 by LINA MATSUDA

2012-07-24 00:09:15 | 音楽/CDの紹介

           

 松田理奈さんのアルバム。イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ作品27。


 ウキューヌ・イザイ(1858-1931)は、ベルギー出身のバイオリニストで作曲家。ヴュータン(1835-1881)、ヴィニヤフスキ(1835-1880)の流れをくむ。

 演奏家としてはフランク、ショーソン、フォーレ、ドビュッシューなど近代のフランスの巨匠たちの作品を世に広めた。

 作曲家としては、歌劇や交響詩などの規模の大きな作品をてがけたが、本領はヴァイオリン作品である。とりわけ、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ(全6曲)は代表的作品である。

 この作品はヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)が演奏したJ.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータを聞いたことを契機に作曲されたらしい。イザイはヴァイオリニストでもあったので、この作品はヴァイオリンの性格を熟知して書かれているという。演奏しやすいが、それは楽だということとは違う。音符のひとつひとつを正確に理解し、音楽をつくっていくのは至難。松田さんも苦労して、「イザイやせ」をするほどだったという。

 しかし、松田さんは中学生のころから好きだったとのこと。16歳のときに、トッパンホールのデビューシリーズで弾き(第2番、第4番)、10年後に全曲を弾こうとちかったという。それを実際にやってのけたのがこのCDで、夢を確実に実現したのだから凄い。

・第1番 ト短調 作品27-1
・第2番 イ短調 作品27-2
・第3番 ニ短調 作品27-3
・第4番 ホ短調 作品27-4
・第5番 ト長調 作品27-5
・第6番 ホ長調 作品27-6


浜離宮恩賜庭園(東京散歩⑭)

2012-07-23 00:09:39 | 旅行/温泉

 松田理奈さんのヴァイオリン・リサイタルのあと、浜離宮恩賜庭園まで足を延ばす。浜離宮コンサートホールまでは時々くるが、すぐ近くのその先にある庭園には行ったことがなかった。

 広大な庭園である。この広さにまず圧倒された。

   
 
 かつては江戸城の「出城」として機能していたとのこと。鷹狩りの場所として使われたこの場所に4代将軍家綱の弟で甲府宰相の松平綱重が、海を埋め立て別邸を建てたが、その後、綱重の子、綱豊(家宣)が6代将軍になったさいに、その屋敷が将軍の別邸となり、「浜御殿」と呼ばれるようになた。以来、歴代将軍によって造園と改修が繰り返され、11代将軍、家斉の時代に今の形をとるようになったそうである。

 明治に入ってからは、皇室の離宮となり、「浜離宮」と改称された。しかし、関東大震災、戦災で甚大な打撃をこうむり、一時、往時の面影を失なった。昭和20年、東京都に下賜され、整備されて、27年に公開され、現在に至っている。昭和27年11月には、国の特別名勝、特別史跡に指定された。


 庭園の管理がすみずみまで生き届いている。松の木が目立つ。約700本あるという。剪定が細やかに行われていて、綺麗だ。

 庭園内には大きな鴨場と称す池があちこちに配され、いろいろな花、木が植えられ、散歩には格好の場所だ。今の時期には、サルスベリ、ハナショウブ、アジサイ、ノウゼンカズラ、ヤブカンゾウ、アメリカデイゴ、ヤブミョウガ、キキョウ、キバナコスモスあたりが、見ごろだ。

 散歩していると鶏の鳴き声がし(カラスも多そう)、遠くから水上バスの警笛が聴こえた。そうだ、ここは東京湾に近いのである。風情がある。


 2年ほどまえから、「ユビキタス・コミュニケ-タ」という首からかけて庭園を案内してくれる機器が無料で貸し出してくれ、細かな情報を提供してくれた。見どころを音や映像で自動的に解説してくれる仕組みになっている
 


松田理奈ヴァイオリンリサイタル-浜離宮ランチタイム・コンサート-(浜離宮ホール)

2012-07-21 00:10:13 | 音楽/CDの紹介

          


 松田理奈さんのヴァイオリンコンサートに行く。彼女のコンサートは初めてだったが、メリハリのある演奏、また力強さも感じた。まだ、若い。これからどれだけ伸びていくか、楽しみな存在である。

 伴奏のピアノは江口玲さん。 前橋汀子さんとよく組んでいるが、実力者なので、ソロのヴァイオリニストは頼りがいのあるパートナーなのだろう。

 理奈さんは1985年生まれ。桐朋学園大学ソリスト・ディプロマコースで研鑽をつみ、2006年ドイツのニュルンベルク音楽大学に編入し学んだ。
 
  1999年に初めてソロリサイタルを開催した後、2001年第10回日本モーツアルト音楽コンクールヴァイオリン部門で1位、2002年にはトッパンホールで「16歳のイザイ弾き」というテーマでソロリサイタルを開催した。
  2004年、第73回日本音楽コンクールで1位。2007年にはサラサーテ国際コンクールでディプロマ入賞を果たしている。

 この日の曲目は以下の通り。今年はクライスラーが亡くなって50年とのことで、この大御所の曲が4作品入っていて注目したが、プロコフィエフ、ブラームスの2番も楽しみにしていた。

 プロコフィエフ「ヴァイオリン・ソナタ第2番」は、もともとはフルート・ソナタ用に書かれた曲ですが、友人のヴァイオリニストのオイストラフがヴァイオリン・ソナタへの改作のアドバイスを受け入れたもの。


 ブラームス「ヴァイオリン・ソナタ第2番」は、ブラームス40歳代後半の集中的に書かれた作品。3曲ともブラームスが過ごした夏の避暑地で作られた。のびやかで、旋律が美しく、詩情にあふれている。

 アンコール曲は、ヴァターリの「シャコンヌ」だった。メインの曲目にいれてもおかしくない重量級の作品。それだけに、今回のリサイタルにかける意気込みが感じられた。

・プロコフィエフ「ヴァイオリン・ソナタ第2番 ニ長調 作品94a」
・ブラームス「ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調 作品100」
・クライスラー ・「テンポ・ディ・メヌエット」
          ・「美しきロスマリン」
          ・「ロンドンデリーの歌」
          ・「前奏曲とアレグロ」

 アンコール ヴィターリ 「シャコンヌ」


笹沢信『ひさし伝』新潮社、2012年

2012-07-20 00:01:44 | 評論/評伝/自伝

            

  井上ひさし(1934-2010)というと「ひよっこりひょうたん島」のイメージが強すぎ、またその後、たくさんこの人が書いた演劇をみたがひとつひとつの作品の位置を押させていず、いきおいこの作家についての知識は断片的だった。本書はそこに筋道をつけてくれ、この巨人が成した生涯の仕事の大きさが圧倒的に読者に迫ってくる。


  著者は本書を、井上ひさしが「巨大な知の発行体」であったこととの指摘から初めている。そして座右の銘が「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに」だったことを紹介。

   生い立ち(山形県生まれ)、父の死(農地解放運動で検挙され病死)、母の手一つで育つも、貧困のた東北のあちことを転々とし、15歳のときに仙台の児童養護施設に入園。上京し上智大学に入学、授業にはほとんどでず浅草のストリップ劇場「浅草フランス座」で進行係の役でアルバイト。この間、あちこちの懸賞小説に応募。その後、放送作家として活躍。てんぷくトリオの座付作家に。

   熊倉一雄さんのアドバイスで放送作家から劇作家の道へ。「日本人のへそ」が評価された他、「ブンとフン」「十一匹のネコ」「道元の冒険」など問題作、話題作を次々に世におくる。「手鎖心中」で直木賞。その後の活躍ぶりはよく知られたことだが、わたしは井上さんの小説家としての力量をいままであまり知らなさすぎた。というか読んでもいなかった。反省。とくに「吉里吉里人」が圧巻なようだ。

   こまつ座旗揚げ後は、遅筆堂を自他ともに認めつつも、劇作で快進撃が続く。「頭痛肩こり樋口一葉」「国語元年」、昭和庶民三部作(「きらめく星座」「闇に咲く花」「雪やこんこん」)、「藪原検校」「しみじみ日本乃木大将」、ヒロシマ・シリーズ(「父とl暮らせば」「紙屋町さくらホテル」)などなど。テレビドラマでは「四千万歩の男」(伊能忠敬)。

  さらに社会的活動として、ペンクラブ会長、九条の会呼びかけ人、生活者大学校(1988年スタート)などをこなした。文句のつけようがない博覧強記、怪物だ。著者はこうした井上さんの歩んだ道を年譜を編むようにたんたんと綴っている。

  井上さんが亡くなって2年足らず。短期間でこのような大著が出てきたことに率直に驚き、感動した。


「ちい散歩『絵手紙』展」(銀座・三越)

2012-07-18 00:22:28 | イベント(祭り・展示会・催事)

              

 「ちい散歩『絵手紙』展」が銀座・三越で7月10日~16日まで開催されていた。「ちい散歩」というTBSの番組で、地井武男さんが散歩先で描いた563枚の絵が展示されているとのことで、でかけた。

 ところが、会場は長蛇の列。2時間待ちでないと見ることができないとのアナウンス。地井さんがつい最近亡くなったこともあり、地井ファンが続々と会場につめかけている。会場整理の係りがさばくのも難しいほど。しかし、地井ファンはさすがに行儀がよく、文句も言わず、みな2時間並んでいるようだ。


 わたしはその光景をみただけであきらめかけた。いくら観たくとも2時間は並べない。そういう習慣も文化もない。とはいえ、すぐにあきらめるのも癪だったので、外で一度、1時間半ほど時間をつぶし、再び会場へ。なんと先ほどの2時間待ちが、2時間半待ちになっていた。これで、完全に戦意を失い、あきらめた。

 地井さんの絵は全くみえないわけではなく、全体の何分の1かはやや遠めではあるが、見ることができる。テレビで拝見した絵も相当あった。目で確認した。いくら地井さんといえどもこの番組がなかったら、この大量の絵はなかった、ことだろう。地井さんもそう言っていた。くわえて、地井さん自身、なかには捨ててしまいたい絵もあったと言う。いろいろあっての563枚だ。


 いい絵がたくさんあった。何よりも心をこめて描かれたものばかり、という印象をもった。

 この絵手紙は一部を除いて即売された。初日で完売だったという。売り上げは全額、あしながおじさん育英基金に寄付される、という。


RESTAURANT "EL ELLA" (横浜市中区元町2-95-2;045-661-1689)

2012-07-17 00:12:16 | グルメ

                            

 ペギー葉山さんのコンサートの後、とくにどこで夕食かを決めていなかったが、中華街のほうへブラブラと歩く。元町よりに、このお店があった。やや仲通りの路地裏なので、わかりにくいかもしれない。構えがよさそうだったので飛び込む。

 フレンチ料理のお店のようだ(が、イタリア料理っぽいものもある)。1Fと2Fとがあるが、1Fの窓際に陣取る。
 まず、ホタテとアナゴ入りのサラダ。ソースが赤カブをつかったもの。ホタテが香ばしくて美味。
 続いて、アサリとまてがいのワイン煮のようなもの。これもスープが美味しい。さらに、お店の人の勧めで、サケをスモーキーに焼いたもの、なかは半熟のよう。サケ独特の臭みはなく、不思議と赤ワインがあった。他に豚のフリッツのようなものも注文した。

 フランス料理では、単品の名前はメモでもしないと覚えられない。いちいちメモするのもわずらわしく、勉強しているようで料理がおいしくなくなってしまう。難しいところだ。

 散歩のように歩いていてみつけたお店だが、正解であった。お店の人のマナーも良く、確かに料理をおいしく感じるかどうかでは、お店の人の接待が少なからぬ影響をもつと再認識した。いつかまた来たい店であった。


 


ペギー葉山コンサート 60th Anniversary (於:関内ホール)

2012-07-16 01:12:37 | 音楽/CDの紹介

             

 歌手のコンサートにでかけたことは、あまりない。若いころには、森山良子さん、赤い鳥、チェリシュなどを聴いたことはあり、長じてからはさだまさしさんの歌をコンサートで耳にした。つい最近、井上陽水さんのそれに行った。それくらいだ。


 機会があれば、時代を代表する歌い手の歌を生で聴いたほうがよいと思うようになった。というわけで、ペギー葉山さんのコンサートに出かけた。開場は横浜の関内ホール。

 観客は圧倒的に年配の人が多い。それも女性が。1000程の席は満席。

 歌唱力は凄い。若々しい。80歳に近いとは思えない、声量である。懐かしい歌、ジャズ、ミュージカルソング、たくさんエネルギーをもらった。「夜明けのメロディ」はいい曲だ。NHK深夜便の歌であり、なんとオリコンのヒットチャートに入ったという。五木寛之さんらしい歌詞。「結果生き上手」は小椋桂さんが歌詞をプレゼントした。(その小椋桂さんは、会場に見えていて、お会いした。)

 ペギーさんは器用な歌手だ。ジャズも歌えば、日本調の「南国土佐を後にして」も歌う。今回はなかったが、シャンソンも歌えそうだ。

 第2部でジャミン・ゼブという4人の若い男性コーラスが友情出演した。趣向が変わってこれもよかった。

 今回のコンサートは、歌手デビュー60周年記念。会場には、この間の思い出の写真がズラリ。石原裕次郎さん、井上陽水さん、指揮者である小澤征爾さんらと撮った写真、ドリス・デイとのツーショット、この企画も楽しめた。

 秋満義孝(ピアノ)、朝本古哲(ベース)、ミルトン富田(ドラムス)、村石篤重(ギター)、近藤淳(サックス)、木村博紀(シンセサイザー)

<第1部>
・愛のセレナード
・センチメンタル・ジャニー
・ドミノ
・わが心に歌えば
・爪
・学生時代
・百まで生きましょう
・なでしこの花
・夜明けのメロディ
・結果生き上手
・夢の坂道

<第2部>
・A列車で行こう
・スターダスト
・君微笑めば
・この素晴らしい世界
・ドリーム
・ナイト・アンド・デイ
・ガーシュイン・メドレー
・ミュージカル・メドレー
・愛の讃歌
・南国土佐を後にして
・ラブレター


福田和也『悪の読書術』講談社現代新書、2003年

2012-07-14 00:01:38 | 読書/大学/教育

福田和也『悪の読書術』講談社現代新書、2003年
            
            
 本書は社交的に(!)読書を考えようとうのが目的です。「いうなれば読書に関する既成概念の成り立ちを、もっと概念的にいえば読書にかかわるイデオロギーを分解し、その成り立ちを・・・示してみせた上で、書物といかなる姿勢で対するべきかを論じるもの」(p.131)だそうである。簡単に言えば、個々の読書がどう見えるのか、見られるのかを意識せよ、ということだそうだ。

 読書論としてはやや魅力に欠ける。ただ、押さえるところは押さえているので何とかものになっている。

 若い女性向けの本。例えば、女性の執筆者としては、犬養道子さん、須賀敦子さん、白州和子さん、石井桃子さん、塩野七生さんの流れを王道として捉えている。次いで、どういうわけか同性に嫉妬されない林真理子さん、天才的な感性をもつ江國香織さん(この作家は男性には分かりにくいと書かれていて、この部分には溜飲をさげました)、エンターテイメントの双璧でありながら大人のあるいは悪の匂いがなく安全本を量産している宮部みゆきさん、高村薫さんなどに対する、あるいはそういう本の読者の「社交的」ポジションが書かれている。

 時代小説、漫画、絵本の読者、文学賞、新書の評価、映画と原作との関係などについて、著者のユニークな視点はつまらないわけではない(あたらずともはずれてはいません)。しかし、「読書は読者の自由にまかせて好きなように」と考えるわたしにとって、「その本を読んでいること、その作家が好きだということにいつも配慮しながら読書せよ」という著者の姿勢にはやや無理があるように思った。


浅田次郎『勇気凛凛ルリの色』講談社、1996年

2012-07-13 00:09:51 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

         

   表題の「勇気凛凛ルリの色」はかつて流行した江戸川乱歩原作のラジオ探偵ドラマの主題歌からとったよう。余程印象に残っていたのだろうか。著者の子どもの頃にであったドラマ作品だという。


   このエッセイ集は、先日読み終えた同じ著者の「ま、いっか」とはだいぶ異なった読後感をもった。ホントに同じ著者なのかと思うほどだった。

   著者は特異な人生経験をふんでいて、それが前面にでている。子どもの頃の不幸な家庭生活、自衛隊入隊(第32普通科連隊)、そこをやめて怪しい投機的な仕事に手を出し、その後、作家に。紆余曲折はあったが作家には、なりたくてたまらなかったらしい。競馬、たばこの愛好者なのでその経験も披歴されている。

   そして、著者が作家としてデビューした頃(40歳)からあまり時間はたっていない、のでやや気負い、照れ隠しもある。時代は、神戸の大地震があり、直後にオウム事件があり、そのあたりへの率直な意見表明もある。

   内容は特異な人生と世相が前提なので、はちゃやめちゃ。男色もあれば、若い娘とのホテル恋愛(?)もある。面白すぎるが、「ホントの話か?」というものが次々と出てくる。わたしだけでなく、誰もがそう思うらしいが、著者によれば「ホント」なのだそうだ。もっとも、この作家一流の諧謔、ユーモアのオブラートはあるだろうし、それは個性として捨てがたい。

   自衛隊での経験は誰もができるわけではないので、そこで経験したこと、思ったこと、また兵器の扱いや自衛隊に関わる世間の誤解の指摘、などには耳を傾けた。