【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

『想い出の宝塚デラックス』COCP-35283-4 COLUMBIA

2013-01-31 00:08:58 | 音楽/CDの紹介

          

   宝塚ジェンヌによって歌われた歌曲の数々。まず、DISK2の「すみれの花咲く頃」「モン巴里」は昭和初期のレヴュー導入のおりに歌われたもの。歌手は天津乙女、奈良美也子他。このDISK2には、さらに戦争中の国威高揚のための数曲が収められている。歴史的記録としては貴重だが、あまり聴く気にはならない。


 DISK1には宝塚が生んだ才能による懐かしい、魅力的な歌が入っている。越路吹雪(「ブギウギ巴里」「峠の我が家」)、乙羽信子(「花を召しませ」)、深緑夏子(「ミモザの花」)、春日野八千代(「白き花の悲歌」)、有馬稲子・南風洋子(「いつまでも」)、新珠三千代(「君のためなら」)、寿美花代(「華麗なる千拍子」)、浜木綿子・藤里美保(「波頭に何か漂う」)、那智わたる(「私はリシェヌ」)。彼女たちの多くは、歌劇団「卒業」後、女優として活躍した。わたしは、映画、舞台の彼女たちを知っているが、歌劇団時代を知らない。このCDで歌っている彼女たちは、何歳くらいなのだろうか。可憐という他、形容できない。

 このCDにはさらに、ブロードウェイ仕立てのミュージカルの「実況録音」が収められている。これらもなかなか楽しめる。 

1. 「ミモザの花」:ミモザの花  
2.「ブギウギ巴里」:ブギウギ巴里  
3. 「スイング・オブ・スイング」:妾は大人  
4. 「リオでの結婚」:ロザリーの歌  
5. 「なつかしのアリゾナ」:峠の我が家  
6. 「ロマンス・パリ」:花を召しませ  
7. 「スイング・ラプソディ」:思い出は今も楽し  
8. 「スイング・ラプソディ」:いとはんと丁稚  
9. 「ラ・ヴィオレテラ」:夢の花すみれ  
10. 「白き花の悲歌」:白き花の悲歌  
11. 「春風の接吻」:いつまでも  
12. 「猿飛佐助」:ふるさとの花  
13. 「トゥランドット」:恋のバラ  
14. 「アンニー・ローリー」:君ゆえの悩み  
15. 「人間万歳」:君のためなら  
16. 「君の名は」:夜霧の橋  
17. 「青い珊瑚礁」:波間に何か漂う  
18. 「アルプスへの招待」:アルプスの山は招く  
19. 「華麗なる千拍子」:華麗なる千拍子 (STEREO) (実況録音)  
20. 「華麗なる千拍子」:幸福を売る人  
21. 「フォルテで行こう」:ラスト・ダンスは私に  
22. 「砂漠に消える」:忘れ得ぬ人とは  
23. 「帰らざる女」:美わしのファナ (STEREO)  
24. 「リュシェンヌの鏡」:わたしはリュシェンヌ (STEREO)  
ディスク:2
1.  「パリゼット」:すみれの花咲く頃  
2.  「モン・パリ」:モン巴里  
3.  「進め軍艦旗」:精鋭なる我が海軍  
4.  「進め軍艦旗」:海は揺籃  
5.  「頌春譜」:さくら節  
6.  「こども風土記」:主題歌(こども風土記)  
7.  「こども風土記」:お手鞠唄  
8.  「鵬翼」:挺身兵の歌  
9.  「妙音あさくさ祭」:手毬唄  
10 「オクラホマ!」:美しい朝 (STEREO)  
11. 「オクラホマ!」:恋仲と人は言う (STEREO)  
12. 「オクラホマ!」:新しい日々 (STEREO)  
13. 「回転木馬」:愛したら (STEREO)  
14. 「回転木馬」:六月の光みなぎる (STEREO)  
15. 実況録音 「ハリウッド・ミュージカル」:ブロードウェイ・リズム (STEREO)  
16. 実況録音 「ハリウッド・ミュージカル」:踊り明かそう (STEREO)  
17. 実況録音 「シルクロード」:行けよ三蔵法師(仏教の道) (STEREO)  
18. 実況録音 「シルクロード」:モスクの鐘が鳴っている(モスクの鐘) (STEREO)  
19. 実況録音 「上月昇サヨナラ公演~ザ・ビッグ・ワン」:ザ・ビッグ・ワン (STEREO)  
20. 実況録音 「上月昇サヨナラ公演~ザ・ビッグ・ワン」:シェイク!シェイク!シェイク! (STEREO)  
21. 実況録音 「シンガーズ・シンガー」:ティー・フォー・トゥー (STEREO)  
22. 実況録音 「シンガーズ・シンガー」:ウー・ウー・ウー (STEREO)  
23. 実況録音 「シンガーズ・シンガー」:夜明けのフィーリング (STEREO)  
24. 実況録音 「シンガーズ・シンガー」:青いリンゴ (STEREO)

辻則彦『宝塚 幻のラインダンス-戦争で夢が消えた乙女たち-』神戸新聞総合出版センター、2011年

2013-01-30 00:04:22 | 演劇/バレエ/ミュージカル

  2011年8月、宝塚市立宝塚文化創造館で『戦争に翻弄された乙女たち-幻におわったラインダンス』という催しが開催された。音楽学校で学びながら、太平洋戦争によって、歌劇団に入ることができず、舞台を踏めなかった女性が声をかけあって集まったのである。

  宝塚音楽学校の前身、音楽舞踊学校に、1941年(昭和16年)から1943年(昭和18年)までの3年間に入学したのは135人、そのうち51人は戦争の混乱のなかで歌劇団に入団できず、1946年から再開された歌劇団の公演にも出演できなかた(卒業式は1981年3月に36年ぶりに行われた)。

  本書は戦争によって大打撃を受けた歌劇団と生徒たちの関わり、戦後も歌劇団に入ることができなかった人のその後の人生を聞き取り調査を踏まえて構成したもの。歌劇団と戦争との関わり、入団できなかったために選択した別の人生、それらが生き証人によって生々しく、涙ぐましく、語られている。

  本書は全体に構成への配慮が行きとどいていないせいか、読みにくい。もっと整理して書けなかったのだろうか。叙述が断片的で、ストーリー性に欠ける。このため、せっかく行った聞き取り調査の成果がいかされていない。残念である。また登場する人物ひとりひとりの名前の直後に、カッコでくくって宝塚音楽学校の在籍期間が書きこまれているが、これがあるために読みづらく、しつこい印象をうけた。もう少し工夫があってもよかったのではなかろうか。


大相撲歴史新聞編纂委員会編『大相撲歴史新聞』日本文芸社、1999年

2013-01-29 00:09:38 | スポーツ/登山/将棋

           

 先日、元横綱の大鵬がなくなった。享年72。


 子どもの頃から、相撲が好きだったわたしは、大鵬がまだ下位の力士で納谷と呼ばれていた頃から応援していた。わたしは幼少のころから札幌で住んでいたので、大鵬が北海道出身だったこと、またその姿が力士というよりスマートな兄貴のようで、相撲ぶりも力相撲というより、流れるような感じがあって、それが好きだった。
 ちなみに、わたしは最初はラジオで相撲を聴いていたが(小学生低学年?)、その頃の横綱は千代ノ山だった。テレビが家庭に入って、リアルタイムで相撲の取り組みを観戦できるようになり、その時には横綱は若乃花、栃錦になっていった。大鵬、柏戸はその直後である。

 前置きが長くなったが、今日、取り上げた本は、相撲の歴史を新聞の体裁に仕上げて、まとめた珍しい本である。たくさんの取り組みの写真が掲載されている。
 歴史的な死闘、若乃花VS千代ノ山という記事がある(昭和30年)。また「若乃花、水入りの大相撲で千代ノ山破る」という記事がある(昭和31年)。ラジオで相撲を聴いていた時代で、記憶がある。アナウンサーの絶叫が耳に残っている。

 そのあと、栃若対決、柏鵬時代の相撲の記事があり、さらに輪島、北の湖、千代ノ富士、曙、貴乃花、小錦など。力士の名前を連ねるだけで、相撲の歴史が彷彿としてくる。昭和は遠くなりにけり。

 これらの記事は何と、日本最初の相撲、当痲蹶速(たいまのけはや)VS野見宿禰(のみのすくね)から始まっている。何ともユニークな本だ。


鎌田慧『六ヶ所村の記録-核燃料サイクル基地の素顔-(上)』岩波書店、2011年

2013-01-28 00:03:03 | ノンフィクション/ルポルタージュ

          

  青森県下北半島にある核燃料リサイクル基地建設は、それに先立って構想されたむつ小河原湾開発計画と連動して構想された。


  上下からなるこのルポルタージュは、六ヶ所村(倉内、平沼、鷹架、尾鮫、出戸、泊)とその周辺地域の100年に及ぶ悲劇の記録である。上巻では「新全国総合開発計画」(1969年5月に閣議決定)をめぐって展開されたこの地域の政治、社会事情が、多くの聞き取り調査、実態調査を踏まえ、克明に書き込まれている。

  この政策を実現するために国、県、民間ディべロッパー(むつ小河原開発株式会社)、不動産会社は文字通り官民一体となって、代替地の提供、カネのバラマキといったエサを与えて農民の土地の買収をはかった。

  「新全総」は忘れられた土地、高度成長から見放された地に、鉄鋼、石油化学を軸とする壮大な臨海コンビナートを敷設し(エネルギー源として原子力を利用)、さらに情報・交通ネットワークで結ばれた世界に比類のない夢の産業ベルト地帯をつくろうというものだった。当然予想されたのは、農民からの土地の没収、漁民からの漁業権の剥奪、自然破壊と公害のまきちらしである。六ヶ所村を中心とした周辺の人々は、開発反対の闘いにたちあがる。

  本書では、戦後満洲帰りの農民によって進められた開発(その前史も詳しく説明されている)、「新全総」前後の資本、体制側の策謀とそれに抵抗する農民の闘いが生き生きと描写されている。

  目次:「1 開発前史」「2 侵攻作戦」「3 挫折地帯」「4 開発幻想」「5 反対同盟」「6 飢渇(ケガツ)の記憶」「村長選挙」。


植田紳爾『宝塚 百年の夢』文藝春秋新書、2002年

2013-01-26 00:04:53 | 演劇/バレエ/ミュージカル

            
 著者は宝塚で、演出家として74年「ベルサイユのばら」、75年「風とト共に去りぬ」を手掛け、94年に宝塚クリエイティブアーツ社長、96年に歌劇団理事長を歴任した方(早稲田大学文学部卒)。したがって、本書は、宝塚のプロデュース側から編まれたタカラヅカの歴史ということになる。


  構成は「第一幕 宝塚駆けあ史」(過去)、「第二幕 タカラヅカ・ナウ」(現在)、「第三幕 明日への夢」(未来)で、二幕と三幕の間に、幕間として「演出家の目 理事長の思い」がある。 当然であるが、著者は宝塚の創設者・小林一三を「先生」と呼び、本文中では「小林先生」でとおしている。また、最初の部分に小林一三がまとめた自身の年譜の長い引用がある。表敬精神がよくわかる。

  プロデュース側から書かれた本なので、苦労話が目立つ。宝塚は「ベルサイユのばら」で第三の隆盛期をいまむかえているが、かつては観客がパラパラだったこと、出演者より少なかったこともあった。太平洋戦争中に閉鎖された時代もあった。 阪神大震災による痛手、惨状もあった。それを乗り越えて今がある。
 海外公演は多い。ドイツ、イタリア、ソ連、イギリス、ルーマニア、中国等々。海外公演では、舞台装置を運ばなければならないし、現地スタッフの意識との微妙な食い違いが出たりする。この日本の伝統的舞台そのものを受け止めてくれるかどうかという不安もある。そういった困難を乗り越えてきた。
 さらに、現代社会で、このような形式の演劇が続けられるのだろうかという一抹の不安。つきまとう偏見とマンネリ化。こまったときの「ベルサイユのばら」、ブロードウェイのモノマネなどといった批判もないわけではない。

  現に、類似の歌劇団で伝統もあったOSK(日本歌劇団)が2003年に解散している。本書の魅力は、宝塚の成功物語ではなく、このような苦難の道を隠さず語っているところにある。やや叙述が粗いが、多忙な中で、これだけは語っておきたという気分がにじみでている。「清く、正しく、美しく」、大衆に安価で夢のような芝居、歌、ダンスを提供しようという意気込みは軒昂、また時代とともに変わっていかなければならないという真摯な前向きの姿勢に拍手。


「えん池袋西口店」(豊島区西池袋1-10-8サンクロウビル7F;050-5815-5665)

2013-01-24 00:56:33 | 居酒屋&BAR/お酒

          

 池袋西口にすぐ近くにあるお店「えん・池袋西口店」。「えん」というお店は都内にいくつかあるが(新宿の店には行ったことがある)、ここは初めて。


 6人で入ったのだが、少し大きめの個室に通された。既に予約を入れてあり、コースでの食事、そして「飲み放題」だった。上記画像は、われわれが注文したものとはことなりますが、このお店を推奨する意味で、一番下の画像はわれわれがとった部屋)

 この日は、しゃべりがメインで、夢中になり、出てくる料理はわりといいものだったようなのだが、食事の吟味はおろそかだった。何を話していたかというと、政府統計の品質とは何かとか、統計の信頼性、正確性との関連はとか、少々アカデミック(?)な話だった。
 
 と、このように文字化して書くと、堅苦しい話だったかのように受け取られかねないが、中身は具体的で、ざっくばらん。笑いが絶えなかった。統計品質論の論議で、笑いが絶えない? とはどういうことか。それは、ここでこれ以上の説明は無理ですね。お酒も相当入っていたので、高尚な、とりつくしまもない話ではなかったことは、保証します。


 それで、料理ですが、刺身は活きがよく、そのあとの鶏のからあげ風のもの、豚の角煮のようなものなど、ひとてま、ふたてまかけた味で、満足しましたが、いかんせん、上記のように談論風発の状態で、おいしかった、とおおまかなことしか書けません。

 二次会は、万屋松風で仕上げました。

             


玉岡かおる『タカラジェンヌの太平洋戦争』新潮新書、2004年

2013-01-22 00:00:10 | 演劇/バレエ/ミュージカル

            

  戦争によって舞台を奪われ、緑の袴がモンペに替わったジェンヌたちの生き方と心のあり様という視点で切り取った宝塚歌劇団の歴史。

  昭和19年3月4日、宝塚劇場は決戦非常事態要綱にもとづき劇場閉鎖令を受け、この日の上演を最後に閉鎖となった。最後の上演を一目観ようと大勢の観客がつめかけた。


  この日に至るまで、日本は15年戦争の泥沼の中にあり、15年の真珠湾攻撃で太平洋戦争に突入していった。宝塚歌劇団の舞台の華やかさは、戦争とは対極のもの。小林一三のもともとの理念はヨーロッパ流の歌と踊りの世界を、リーズナブルな料金で大衆に提供するというものだった。歌劇団は2004年に90周年を迎えたが、その歴史には戦争の惨状が影を落としている。

  太平洋戦争のさなかには、予科・本科の全ての生徒が大日本国防婦人会に入会させられ(昭和15年7月)、プログラムも国威発揚、戦意高揚の色彩のものが増えていく(『軍艦旗征くところ』『航空母艦』『撃ちてし止まぬ』『日の丸船隊』など)。戦局が厳しくなるにつれ、演目の内容は戦時色を色濃く反映した国策劇になっていった。また劇団員は、国内はもとより、満洲への慰問団に編成され、その役割を果たすために巡回するようになる。銃後では大政翼賛の歌を合唱した。

  筆者はこうした事実を直視したうえで、タカラヅカは戦争に加担したのではなく、国家権力に利用されたとの結論をだし、生徒たちが戦争の被害者であったことを明らかにしている。(この評価はかなり甘いのではなかろうか。しかし、ここでは議論しない。)

  かつてのタカラジェンヌで、ご存命の方(武田鶴子さん、玉井浜子さん)、あるいはその血縁の方とのインタビューによる証言をうまく使っているのが本書の特徴である。

  著者は自身が幼少の頃からのタカラヅカ体験があり、そのことを誇りをもって書いている。また、2004年には往年の大スター春日野八千代さんを舞台で観た感動も伝えている。


「片づけたい女たち」[作・演出:永井愛](東京芸術劇場、シアター・イースト)

2013-01-21 00:18:25 | 演劇/バレエ/ミュージカル

              

 幕があく。サプライズである(観客席は爆笑)。舞台はツンコ(岡本麗)の住まいという設定だが、そこはゴミの山。ゴミ袋がごろごろ転がっている。それ以外にも、衣類がとりちらかされ、足の踏み場もない。われわれ鑑賞者は仰天するぐらいであるが、そこに二人の中年女性(オチョビ[松金よね子]とバツミ[田岡美也子])が立ちすくんで、呆然と目を見張っている。この部屋の住人ツンコの友人のようだ。


 この演劇は、演題にあるように片づけられない症候群の50代女性の私生活がテーマであるが、それにいろいろわけありの50代女性の会話が身につまされる。ひきこもり(?)で連絡がとれなくなった女性の住まいに高校時代からの友人2人がきて、部屋のあまりの乱雑さにあきれ、片づけを手伝い始めるが、片づけをしながらの3人の会話から3者3様の人生、過去の回顧、将来の展望などを垣間見ることができ、中年女性の人生状況が浮き彫りにされるという仕掛けである。

  バツミには年齢のかなり離れた高齢の夫がいるが(子どもはいない)、プチ整形をしてでもさらに満足のいく生活を夢見ている。おチョビは小料理屋の女将、嫁との関係がなんとなくギクシャク。ツンコは会社勤めだが休みがちで出勤したくないが、「明日からは出る」と言っている。課長に昇進したらしいが、それは形だけのもの、若い男に逃げられヤケになっている。その結果が荒れ放題の住まいの中(ついでにベランダもゴミの山)というわけである。

 おチョビとバツミは、ツンコを無視して、部屋をどんどん片づけ、整理整頓をしていく。片づけが終われば、3人で新年会をしたいというのだ。ところが、あらかた目途がついたと思ったところ、今度はバツミが自宅のカギを片づけ中に紛失したと大騒ぎになる。またまた、あちこちをひっくりかえし、カギ探しが始まる・・・。

 その顛末は?? 片づけたい女たちは、目の前にあるツンコの部屋の片づけを意味しているのだが、何かしら人生のごたごたも片づけたい様子。

 上演時間は1時間45分(休憩なし)。演劇が完結する頃には、なんとなくではあるが、部屋はだいぶ片付いたようだった。演技しながら片づけていくと2時間も動けば、それなりに綺麗になることがわかる。


 


内藤啓子『赤毛のなっちゅん-宝塚を愛し、舞台に生きた妹・大浦みずきに-』中央公論新社、2010年

2013-01-19 22:28:18 | 演劇/バレエ/ミュージカル

           
 タカラヅカジェンヌ、花組トップスターだった大浦みずきさんの実のお姉さんにあたる著者が、みずきさん追悼の気持ちを込めて書き下ろした(本名阪田なつめ。53歳で2009年11月没)。


  お別れの会の様子、著者による喪主挨拶に始まり、子どもの頃の家族の生活ぶり、宝塚に入ってからの研鑽と交友関係、花組時代の公演履歴、宝塚退団後の活躍、そして病気になってから死まで。姉の立場で率直に赤裸々に、みずきさんの等身大の人生が語られている。

  タカラヅカジェンヌが家族にいて、父は芥川賞作家、さぞ恵まれた家庭だったと傍目には想像されるが、内情は苛酷だった。とくにお母さんは大変だったようで、一生がタカラヅカに振り回されたとの感が伝わってくる。みずきさん自身も辛くて何度も「辞める」と周囲に宣言したが、しかし不死鳥のように立ち上がるのだった。

  闘病生活も詳しく書かれているが、ありとあらゆる治療方法を試したが、復帰はならなかった。舞台にあがるストレス解消だったのだろうか、喫煙がわざわい、家系に癌で亡くなった方が多かったと書かれている。

  ちょうどみずきさんのお父さんの芥川賞作家阪田寛夫著『おお 宝塚!』を読んだあとだったので、同じ事柄をみずきさんの姉の眼からとらえられた箇所がいくつかあり、吹き出したり、合点したり、一気に読ませていただいた。

  著者のお別れのことばが心の琴線に触れる、「まだまだやりたい役、もう一度やってみたい役があったかもしれない。でも、たくさん夢を叶えられた。恋もいくつかした。たとえ身内であっても、人の一生を勝手に締め括ってはいけないのかもしれないが、幸福な53年だった。/おやすみ、なっちゅん。ありがとう、なっちゅん。心からあなたを誇りに思います」と(p.244)。

  巻頭写真を含め、みずきさんの雄姿(男役)や子ども時代の写真が多数。また巻末には舞台リストが一覧されている。本書全体が、みずきさんの最大の理解者だったお姉さんの鎮魂歌だ。


川本三郎『我もまた渚に枕』晶文社、2004年

2013-01-18 22:04:28 | 旅行/温泉

          
  表題は島崎藤村作詞「椰子の実」の2番から。取材はせず、ぶらっと見知らぬ町を歩き、風景のなかに体を溶け込ませる他所者の流儀、ということらしい(p.264)。副題にあるように東京近郊を一人散歩の記録、所感である。短い文章で、やさしく丁寧な記述、行替えが頻繁でテンポがよい。著者の人柄がにじみでる。


  訪れているところは、「船橋」「鶴見」「大宮」「本牧」「我孫子」「市川」「小田原」「銚子」「川崎」「横須賀」「寿町」「日の出町」「黄金町」「千葉」「岩槻」「藤沢」「鵠沼」「厚木」「秦野」「三崎」。わたしは「大宮」「岩槻」「三崎」以外はあまり知らない。太宰が死の直前に大宮で暮らしていたこと、わたしの住んでいる蓮田と岩槻の間に鉄道が敷かれていたことが書かれているが、知らなかった。

  市川にある脚本家水木洋子の邸宅、鶴見にある石原裕次郎の墓、思わぬことが、たくさん出てくる。著者は映画評論家として有名だが、映画の話がたくさんでてくるのも好ましい。小説と地方の風景の関係についても新しい発見があったようで、そのことが書かれているくだりにいきあたると、わたしも行ってみたくなる(この本を片手に「船橋」「市川」「銚子」などにでかえるのもオツ)。千葉は鉄道の町、トンネルの多い横須賀、相模川沿いに発展した町である厚木など、土地の特徴をひとことでつなぎとめる感覚が新鮮。

  他方、三崎の「北原白秋記念館」には私自身訪れたことがあり、著者がその部分について書いた文章に出会うと嬉しくなる。ありふれた町のありふれた日常、路地裏、土地の匂いのする場所に入り込む著者。大衆的な居酒屋があれば、迷わず入って、地元の人とおしゃべりしながらビールに肴。散歩しながら夕食の場所を探し、目星をつけ、泊はビジネスホテルとか、リーズナブルなシティホテル。最高のぜいたくな時間の記録だ。

  雑誌『東京人』に「東京近郊泊まり歩き」として連載されたものの単行本化。


古家庵(港区赤坂3-20-8 臨水ビルB1F;tel03-5570-2228)

2013-01-17 00:39:27 | グルメ

         
 丸ノ内線の赤坂見附駅で降りてすぐ。あたりはネオンが輝き、食事処がひしめいている。


 「古家庵」。知人が家庭的韓国料理の店ということで、連れていってくれた。総勢4人。このグループのうち3人は1年に一度ほど集まって、韓国のことを話題にして、韓国のお酒を飲み、料理を食べる。今回はもうひとり新人。

 ビルの地下にある。入るとたくさんの先客。いきなり手書きで、26日に「チューボーですよ」という番組に登場すると書いてある。「そうか、街の巨匠がいるのか」と思っていると、店員さんが(すでに予約してあった)、奥の畳の部屋に案内してくれる。座布団の上に座り、小さい机があり、これが何とも奥ゆかしい。古色がただよって使い込まれたもののようではあるが、落ち着いた感じ。(画像参照)


 コースで注文。「韓国風ニラチヂミ」「自家製キムチ盛り合せ(白菜、大根、キュウリ)」「ナムル」「宮廷料理海鮮サラダ」「ケジャン」などが次々と出てくる。おいしい。韓国料理の店にはいくつかいったが、そのなかでは一番口にあう気がする。キムチなどには味の素は一切使っていないらしい。
  お酒はマッコリ。陶器の器に白いお酒が一リットル。甘酒のうすいようだが、少しばかり酸味がある。飲みやすく、どんどん飲んでしまいそうなので、セーブしながらいただく。そのあと韓国の焼酎を少し。
  韓国料理独特の辛味がマッコリのやや甘い味わいといいコラボレーションだ。われわれのグループ3人のひとりは韓国の方だったが、その方もほめていた。


 お客は韓国人が多い。また日本の女性もめだつ。この味と雰囲気はまちがいなく女性に好まれる。暖かい家庭の空気だ。

 次回は韓国の映画をまず観てから食事、という趣向でいこうということになった。暑気払いをかねて盛夏に実施の予定である。

             


「刺身居酒屋 魚や一丁 新宿西口店」(新宿区西新宿1-8-1 新宿ビルB3;tel 050-5522-5439)

2013-01-16 23:10:21 | 居酒屋&BAR/お酒

          

 「魚や一丁」は札幌にあったので、そのチェーン店だろうか。札幌ではJR駅北口を出て、東のほうへ、高架下にあったはず。


 東京の新宿店は、新宿駅西口を出て、都庁に向かう地下道が2本あるが、駅側からみて左手の地下道をまっすぐ道なり進むと左手にある。

 やはり北海道と強い関係があるようだ。メニューに「ザンギ」があった。これはトリのから揚げなのだが、東京では絶対に「ザンギ」とは言わない。ほとんどの人が「ザンギ」からトリの唐揚げを想像できないだろう。

 また「石狩鍋」もメニューにあった。「石狩」というのは北海道にある土地の名で、たとえば札幌市は石狩平野にあるといえば、わかりやすいかも。石狩鍋はミソ仕立てで、家庭でよくつくって食べた。鮭がはいっているのが特徴。他はホタテとか、各種のやさいがあれば十分。

 今回は「ザンギ」も「石狩鍋」も注文せず、舞の海が推奨している「ちゃんこ鍋」を注文。その前に、貝の刺身セットもとる。新鮮でおいしい。

 「ちゃんこ鍋」は久しぶりだったが、これもいい味だった。いつも思うのだが、「ちゃんこ鍋」は栄養のバランスがよい。すっかりたいらげて、残りのスープにうどんをまぜて賞味。からだ全体がほかほかしてくる。

 札幌にあった「魚や一丁」とは店内の感じがだいぶ違った。メニューにはどの居酒屋にあるようなものがずらりと並んでいて、お店の特徴が希薄になっているようだ。


STARS ON ICE [JAPAN TOUR2013:東京公演] (於;有明コロシアム)

2013-01-15 22:14:11 | スポーツ/登山/将棋



 テレビ東京主催の「STARS ON ICE」を有明コロシアムに観に行く。場所はかなり遠いように思われたが、モノレールの「ゆりかもめ」の乗ると、思いのほかすぐに着いた。


 オリンピック、世界選手権の金、銀、銅の一流選手ばかりが登場する。たとえば、イリヤ・クーリック(長野1998年「金メダル」)、ドロシー・ハミル(インスブルック1976年「金メダル」)、イリーナ・スルツカヤ(ソルトレイシック2002年「銀メダル」)、エカテリーナ・ゴルデーエワ(リレハンメル1994年「金メダル」)、ジャニー・ロシェット(バンクーバー2010年「銅メダル」)、などなど。

 おめあては、何と言っても荒川静香選手、高橋大輔選手、浅田真央選手、鈴木明子選手など、日本の誇る選手たちだ。

 競技ではなく、エキシビションなので、みなリラックスして演技している。とは言っても、フィギュアでなくてはできない、ジャンプ、リフトなどを存分に楽しむことができた。現役の選手は、スケーティングにスピードがあり、躍動感がある。とくに荒川静香さん、高橋大輔さん、浅田真央さんは、登場してくるその姿だけでオーラが出ているし、場内からの拍手は大きい。静香さんはトリノオリンピックでみせてくれたイナバウアーの入った華麗な演技。妖精のようだ。大輔さんはステップが抜群。ジャンプは見事に決めた。真央さんは、可愛い。最近はチムチムチェリーを踊るように滑る。表情がよい。誰にも好かれる笑顔だ。

 予定されていた2時間半の演技を堪能して帰ってきた。実は、この日、関東地域には低気圧が到来、初雪で、量が多かった。会場付近は、とくに帰路が大変だった。狭い道路はシャーベット状態。さいわい「ゆりかもめ」が泊まるということはなかったが、かなり苦労して都心に戻ってきた。



今尾哲也『歌舞伎の歴史』岩波新書、2000年

2013-01-14 23:00:30 | 古典芸能

           

  「歌舞伎とはなにか」「歌舞伎とはどういう演劇なのか」という問いに応えた本。著者の回答は次の文章のなかに予見される、「お国のカブキ踊りに始まり、時々の社会が生みだすカブキ者を主人公として発見しながら、カブキ者を描き続けることによって歌舞伎はカブキでありえた。/カブキ者とは社会秩序から疎外された人間であり、アイデンティティを喪失し、両義的生に引き裂かれて生きる人物、また、下降した社会的立場に自分の人生を一致させて生きるドロップアウトした人々、あるいは両義的な生の状況の消滅によって、アイデンティティのあり方が見えなくなってしまった人々、もしくは、社会秩序を自らの疎外として生きる、自我に目覚めた反秩序的存在である」と(p.199)。

  400年の歴史をもつ歌舞伎。その端緒というと必ず出雲のお国が引き合いに出されるが、本書を読むと直接の淵源は元禄年間の「続き狂言」(その先駆けは金平浄瑠璃[17世紀の後半に東西で流行した語り物])あたりである。歌舞伎は、その後、義太夫狂言(義太夫節の人形浄瑠璃)と影響しあって発展を遂げる。その本質はヤツシ踊り、ヤツシ事にみられる、本来の自己、生を現実の仮の自己、生にヤツスこと、存在の両義性の劇として成立させたことにあった。このことは演じられる劇の作者の役割に意味をもたせることになる。
  近松門左衛門(『国性爺合戦(こくせんやかっせん)』)、並木正三(『大坂神事揃(おおさかまつりぞろえ)』『霧太郎天狗酒醼(きりたろうてんぐさかもり)』)、四代目鶴屋南北(『天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)』)、河竹黙阿弥(『白浪五人男(しらなみごにんおとこ)』)など、次々と脚本の書き手が登場し、歌舞伎は発展を遂げる。特筆されるべきは並木正三で、正三は従来のヤツシに加え「愛想つかし」「殺し」の美学を確立し、舞台装置を改革(廻り舞台)することで、歌舞伎発展の魅力をひきだす大きな貢献をなした。初代尾上松助は、歌舞伎独自のしかけ、早変わりなどの工夫をこらした。

  明治に入ってからは一時、沈滞するが、九代目市川団十郎が活劇(嘘を廃して実を重んじる演劇)を主張して復活。ヨーロッパの演劇を学んだ二代目市川左団次の岡本綺堂(脚本家)との提携。その後、一方で小山内薫の自由劇場と関わりつつ、他方で役者と演劇関係者ブレーンとのコラボレーションが強まった(六代目尾上菊五郎と女流作家長谷川時雨、九代目市川団十郎の求古会、二代目左団次の七草会、初代中村吉衛門の皐月会など)。

  歌舞伎は、今後どこへ向かうのか? 著者は、それはいつにかかって現代社会に内蔵されたカブキ者の発見とその激化にあり、新作がでなければ致命的という。本書執筆時点(2000年)で、著者は新しい可能性を三代目中村鴈次郎(「近松座」の組織)と三代目市川猿之助(新作「ヤマトタケル」)にみている。


加山雄三ホールコンサートツァー(於:サンシティ越谷市民ホール)

2013-01-13 11:00:18 | 音楽/CDの紹介

           

 加山雄三のコンサートに再び行く(サンシティ越谷市民ホール)。昨年、9月30日に茅ヶ崎でのコンサートに行ったが、それ以来のこと。いま全国ツァーを展開していて、その7回目。観衆は約1600。立錐の余地もない。


 新年のあいさつの後、「オレたちだって若大将」の掛け声とともに、聴衆とともに合唱「座・ロンリーハーツ親父バンド」。拡声器からのバンドの音がかなり大きいが、加山さんの声はまけていない。「旅人よ」「夜空の星」「お嫁においで」「蒼い星くず」と次々と歌う。「みんな立って歌おうぜ」と加山さんがはっぱをかけるが、前方の一部のペンライトをもった人たちのみがたちはじめる。後方でも徐々に数名。

 合唱が終わると、加山さんがこの道に入るきっかけになったエルビス・プレスリーのナンバーを数曲。実際にプレスリーにもあったようだ。若いころ、プレスリーのレコードのB面を英語で歌っていたとか。A面は当時、日本語に訳されて歌われていたようで、それを「ダサイ」と思った加山さんはB面を英語で歌っていたそうだ。

  前半、後半で30数曲、歌ってくれただろうか。わたしは、「ライフ」「恋のヴィーナス」「サライ」、自作の英語曲「YES」「逍遙歌」がよかった。「君といつまでも」「夜空をあおいで」も昔を思い出して、少しウルウルきた。

 加山さんは男らしい声の持ち主だが、とくに高い音がしっかりしていて、聴いていて気持ちがよい。75歳には思えない、力のある声だ。
 そして、性格が明るく素直、ざっくばらん。そこが人気の秘密だ。

 最初はスタンディングが少なかったが、時間の経過とともに、開場は盛り上がり、みな立って歌い始めた。観衆の年齢層はやや高め。かつて加山さんと同じ青春時代を過ごして人たちのようだ。となりの人(男性)は、来ているセーターが前半は水色、後半は真っ赤に変わった。休憩時間に取り換えたようだ。そういう人もいるのかと、感嘆。

 強い力をもらって帰宅した。バンド()柴山好正[EG、AG]、稲葉正裕[EG、AG、Cho]、スティング宮本[Bass,Cho]、鹿島伸夫[Pf,Key、Cho]、丹菊正和[Dr、Per、Cho]がよかった。終演が惜しかった。アンコールを3曲いただいたが(「逍遙歌」「光進丸」「海 その愛」)、惜別だった。