【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

ジングル・マ監督「星願 あなたにもういちど」(1999年、香港)

2016-11-26 00:04:03 | 映画

    

 視覚を失い会話もできないオニオンという男性と看護婦のオータムとの純愛物語です。

 病院に住み込みで働く青年オニオンは子どもの頃の水泳事故で、失明し、話もできません。しいかし性格はいたって明るく、前向きです。その彼に優しく接してくれる看護婦オータムがいました。オータムはオニオンにいろいろ世話をやいてくれ、散髪も手伝ってくれます。ふたりは仲がよいだあけでなく、特別の勘定を持ち始めていました。その矢先、オニオンは突然、交通事故にあい、亡くなります。悲しみにくれるオータム。ところが天国の審査官の計らいで、オータムは5日間だけ地上に戻れることになりました。
 そこからまた、新しいストーリーが始まります。地上に日数を限定して戻れるという話は、おとぎ話です。オニオンは地上に戻りますが、外見はオニオンその人ではなく、別の人の形を借りて、精神だけが回帰するというしかけです。当然、いろいろな混乱がおこりますが、オータムは次第にその人がオニオンではないかと勘づきます。しかし、地上にいることのできるオニオンの期限は、こくこくと迫ったきます。

 この映画で初めて、セシリア・チャンという女優をしりました。清楚ですが、感情移入がうまい俳優です。すっかり気に入り、いまその他の出演映画を調べています。

  


ノーマン・マクロード監督「腰抜け二挺拳銃」(アメリカ、1948年、91分)

2016-11-21 08:22:03 | 映画

          

 他愛のない西部劇(もどき)です。西部劇は好きでなく、あまりみません。白人がインディアンを淘汰する不条理なテーマには興味がないです。腹がたちます。また、元来、ピストル、鉄砲のたぐいが嫌いです。殺し合いの映画はゴメンです。この映画にもそういう要素がかなりあり、敬遠していましたが、ジェーン・ラッセルという女優とボブ・ホープという、いまはなき、俳優がどんな演技をしていたのかを知りたくて観ました。ボブ・ホープは今まで観た男優にはないキャラをもっています。また最近は、過去の女優に興味をもっています。リリアン・ギッシュ、グレタ・ガルボ、リリアン・ハーヴェイ、ローレン・バコール、リタ・平和―ス、ジェシカ・ラング、キーラ・ナイトレイ、キャロル・ロンバート、グリア・ガースンなどなど。

 簡単にストーリーを示すと・・・

 10年間、服役中していた女賊カラミティー・ジェーン(ジェーン・ラッセル)が、ジョンソン知事に密使に任命され、インディアンに武器を密売するギャングを捕らえるまでの話。彼女は弱虫の歯医者ペインレス・ピーター・ポッター(ボブ・ホープ)を口説き、バッファロー・フラットにギャングを追う。

 途中、インディアンに襲われたのでピーターがこれに応戦すると、インディアン11名が銃弾に倒れた。しかし、これはピーターの手柄ではなく、ジェーンが彼の背後から狙撃したのだった。しかし、ピーターは英雄とみなされる。

 目的地に着くと、勇名高きピーター・ポッターを問題の密使と思ったギャングは、酒場の歌手ペッパーをしてピーターに取入る。“ピストル”の名人ジョーが因縁をつけ、ピーターと決闘することに。相手との果し合いのでピーターは目をつぶって射撃すると、ジョーが倒れていた。例によって、ジェーンが援護射撃したのだった。

 彼女がピーターを連れ戻ると、重傷を負ったハンクが倒れていて、「火薬は葬儀屋に」と言い残してこと切れる。ジェーンはピーターと事態を調べようとしたが、武器密売の張本人トビー・プレストンにとっつかまり、武器もろともインディアンに引渡される。

 火あぶりの刑を覚悟したジェーンは、ピーターに愛を告白する。11人のインディアンを殺したとされたピーターは極刑を宣告される。ピーターは何とか、逃げようと図ったがジェーンを見捨てかね、インディアン姿に仮装し彼女を救おうとする。そこで突然、火薬が爆発。火あぶりの刑を免れて、ほうほうの体で2人は町へ逃げ帰ることができたのだった。


ジェームス・アイボリー監督「眺めのいい部屋」(イギリス、1986年、115分)

2016-11-20 00:56:44 | 映画

        


 イギリスの古きよき時代(?)。と言っても、この国は階級社会であったので、その名残が全編にみちみちています。生活のための労働とはかけはなれた世界の人たちが外国旅行にいったり、お嬢様とおぼっちゃまとが恋をしたり。そのような映画がいい映画かと正論で問われると、「ぐの音」もでませんが、みていて、ゆったりした気分になるのです。この映画を観たのは3回目です。

 1907年。イギリスの良家の令嬢ルーシー・ハニーチャーチ(ヘレナ・ボナム・カーター)が年上の従姉シャーロット(マギー・スミス)を付添人として、フィレンツェを訪れるところから、この映画は始まります。マギー・スミスは舞台の名優です。作家役で出演しているジュディ・ディンチもそうですね。

 イギリス人観光客が利用するペンション「ベルトリーニ」に到着した二人は、予約と違い、部屋が美しいアルノ河側でないことにがっかりします。シャーロットが苦情を訴えるのを聞いていたエマソン(デンホルム・エリオット)は、息子のジョージ(ジュリアン・サンズ)と宿泊していた「眺めのいい部屋」と交換してもいいと申し出ます。

 階級意識に束縛されない自由な考えの持ち主であったこの親子に、一度は躊躇したシャーロットでしたが、偶然に同宿していたハニーチャーチ家の教区のビーブ牧師(サイモン・カラウ)の進言を受け入れて、部屋の交換に同意します。

 翌朝一人で町を見物していたルーシーは、シニョーリ広場を通りかかったところで、男たちの喧嘩に遭遇し、流血騒ぎをみて失神してしまいます。彼女を介抱したのは、通り合わせたジョージでした。

 二人の心に、この時から特別な感情が芽生えはじめた。さて、この展開は?

 ☆☆☆☆の映画です。

 


ブルース・ハーバーストン監督「ダニーケイの天国と地獄」(アメリカ、1945年、98分)

2016-11-19 00:32:03 | 映画

                    

 おかしな、珍妙な映画です。ヴェラ・エレンのダンスが素晴らしいです。


 ニューヨーク随一の寄席芸人といわれたバズィ・ブルー(ダニー・ケイ)は、恋人ミッジ(ヴェラ・エレン)をパートナーとして人気を博していました。ところが、ギャングのテン・グランド・ジャクスン(スティーヴ・コクラン)が犯した殺人事件を目撃したため、検事局からの呼び出しをくらい、この情報を得たジャクスンの手下が彼を楽屋で殺し、プロスペクト公園の池に放り込んで隠蔽してしまいます。
 同じニューヨークのある図書館で研究生活を送っていたエドウィン・ディングル(ダニー・ケイ2役)は、ある夜、彼に好意をもっていた図書館員エレン(ヴァージニア・メイオ)に自宅への招待を受けました。エドウィンエレンにお使いを頼まれて食料品屋(S・Z・サコール)にサラダを買い行ったところ、不可解な音楽にいざなわれ夢遊病者のようにポロスペクト公園に迷いこみ、ここでバズィの幽霊に遭遇します。

 彼ら2人は双生児兄弟でした(10年前にはなればなれに)。バズィはエドウィンに「身代わりになってくれ」と頼みこみ、エドウィンになり替わり、バズィは随員にエドウィンの身体を借りることができるようになります。ここがこの映画のおかしなしかけです。

 バズィは再びクラブにあらわれると、死んだはずのバズィが再び登場したのでジャクスン一味は大いに騒ぎ。もう一度、彼を殺すことを画策します。ミッジはバズィとの結婚まで考えていたのですが、その彼が突然奇妙な性格の人間になったことで怒ります。

 一方、エドウィンはエレンに何とか釈明しますが、彼女は憤激してとりあいません。エレンはさらに、検事局に出頭を命ぜられ、証言を求められても、肝心の時にバズィが現われないので答弁はシドロモドロ。

 ギャングたちはエドウィンを追い、食料品店へ追い詰められたエドウィンはようやく現われたバズィの幽霊に無視され、オペラ劇場に逃げ込みます。主役の衣装を失敬した彼は、舞台へ突き出され、歌うハメになりますが、・・・。星(☆)3つ(5つ満点で)の映画です。


マーティン・スコセッシ監督「アリスの恋」(アメリカ、116分、1974年)

2016-11-18 10:00:06 | 映画

    

   元気がでる映画です。主演のエレン・バースティンが魅力的です。とくに、女性はそう思うかもしれません。女性の自立がテーマですが、映画ですからそのことを声高に叫んでいるのではなく、全体をみればそういうことなのかとわかります。そして、ハッピーエンドです。終わり方がよいです。ただ、アメリカ社会だという印象は否めません。誇張したシーンが続きますが、これはストレス社会ですね。こんな毎日を過ごしていたら、疲れてしまうのは必至です。

 
この映画の製作年は、1974年。アメリカで、女性の社会進出が顕著になっていくはしりの頃です。


 32歳のアリス(エレン・バースティン)は、夫のドン・ハイヤット(ビリー・グリーン・ブッシュ)をトラックの運転中の事故死で失います。そのアリスには、12歳になる一人息子のトム(アルフレッド・ルッター)がいました。

 住んでいたソコロを引き払い、故郷のモンタレイに戻り、夢だった歌手として出直したいと考えます。所持金がなく、故郷に向かう途中のバーなどで歌い、お金を稼ぎながらの生活です。

 親子の旅の始まりでした。アルバカーキで、アリスは歌の仕事をみつけると、そこに一人の男が近づいてきました。ベンという27歳の若者でした。しかし、彼は最初こそ優しかったものの、デートを重ねるうちに正体をあらわします。不倫が発覚し妻リタ(レーン・ブラッドバリー)が現われ、ベンがアリスのもちに怒鳴り込んできます。

 動転したアリス親子は、とるものもとりあえず、荷物をまとめて町を飛び出しました。ツーソンまできた彼女は、ウエイトレスとして働きはじめます。そこでデイヴィッド(クリス・クリストファーソン)という男が声をかけてきました。そのうちに、アリスはトムと気心が知れるような関係になり、ロマンスが芽ばえました。

 さてこの二人の行く末は?


「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(ヴィスコンティ監督、ガーネット監督、ラフェルソン監督)

2016-11-11 00:01:18 | 映画

 「郵便配達は二度ベルを鳴らす」は、1934年に出版されたジェームス・M・ケインの小説による同名の映画化です。映画はこれまで4本製作(7本説もありますが確かめていません)されたようですが、身近にみることのできるのは3本です。ルキノ・ヴィスコンティ監督のもの[マッシモ・ジロッティ、クララ・カラマイ主演](1942年)、テイ・ガーネット監督によるもの[ジョン・ガーフィールド、ラナ・ターナー主演](1946年)、ボブ・ラフェルソン監督によるもの[ジャック・ニコルソン、ジェシカ・ラング主演](1981年)です。ヴィスコンティは巨匠ですが、その処女作らしいです。

        ←ルキノ・ヴィスコンティ版


 原作を読んでいないのなんともいえませんが、上記の3本はおおすじで当然、同じです。とある食堂が夫婦二人で営まれていますが、年齢がかなり離れていて、年がいった旦那と若い妻です。そこにある正体がよくわからない男がお客としてやってきます。男と若い妻の間に関係ができ、ふたりはじゃまになる旦那を殺そうと画策します。酔った旦那に運転をさせて同情した男と若い妻。街道から車が転落し、旦那は事故死、生き残ったふたりはまんまと一緒にくらしはじまめますが、事故死が怪しいと裁判沙汰になります。ところが死んだ旦那は生前に保険をかけていたことがわかり、それをめぐって弁護士も絡んで司法上の駆け引きがあり、ふたりは無罪釈放になり、食堂の経営に戻ります。男は一度若い女性と浮気をしたりしますが、それも束の間のことで、再び愛しあうようになり、女性は妊娠して未来への希望がめえかけたとたん、同乗中の不慮の事故で女性が死んでしまう、このような内容です。

 ヴィスコンティ版では、裁判の様子はあまりとりあげられていません。かわりに、男の浮気した女性との関係の描写が細かく長いです。また、男と若い妻とが共謀して旦那を殺す計画は、ガーネット版とラフェルソン版では2度あり、一回目は失敗します。殺しのやり方は、旦那の入浴中に妻が金属のボールをつめた袋で殴るというものです。猫が感電し、電気が消え、計画は失敗するのですが、ヴィスコンティ版にはその場面はありません。また、ガーネット版とラフェルソン版では裁判の様子が丁寧に描かれています。推察するに、猫の感電死(1回目の殺し計画)と裁判に詳しいガーネット版とラフェルソン版は、その限りでは原作どおりなように思います。

 その他、細かいことまで指摘すれば、ラフェルソン版は旦那を最終的に殺す場面では、男と若い妻が車からおり、泥酔し瓶でなぐられ意識を失っている旦那を乗せた車をおして、谷底におとすのですが、ビスコンティ版とガーネット版は3人もろとも車にのったまま落下しています。

 ラフェルソン版は、主演のジャック・ニコルソンとジェシカ・ラングの激しいセックス・シーンで話題になりました。古い2作はそのような激しいシーンはありませんが、若い男女のねじれた愛と夫殺しの恐怖はしっかり描かれています。なお、殺された夫は、どの版でもいい人で登場していて、ヴィスコンティ版ではオペラのアリアを歌っている場面があり、ガーネット版ではギターをのどかに引いている場面があり、どちらも印象的でした。 

         ←ボブ・ラフェルソン版


 


ルキノ・ヴィスコンティ監督「ベニスに死す」(イタリア/フランス、130分、1971年)

2016-11-08 00:48:58 | 映画

         
 この映画は10年ほど前に一度、観たがあまりよくわからなかった。今回、再度、観るとこの映画は、映像がすばらしいことがわかった。絵画のようである。抒情的な映画とでもいうべきであろうか。主人公になりきって、ゆっくり楽しめばよいような気がした。


 ストーリーはある意味で、単純である(原作は、トーマス・マン)。1911年のヴェニス(ヴェネチア)。主人公のグスタフ・アッシェンバッハ(ダーク・ボガード)は作曲家で、指揮者でもある。休暇をとり、ひとりこの水の都へきた彼はポーランド人の家族にふと目をやると、そこには母親(シルヴァーナ・マンガーノ)と三人の娘と家庭教師、そして、母親の隣りに座った一人の少年タジオ(ビョルン・アンデルセン)がいた。
 アッシェンバッハはこの美少年を見て、凍り付いた。美貌であり、なよやかな肢体。アシェンバッハの胸はうちふるえた。以来、アッシェンバッハの魂はタジオの虜になる。
 しかし、ヴェニスには悪い疫病が瀰漫しはじめていた。疫病はコレラであった。シェンバッハはそれでも、ヴェニスにとどまった。ただ、タジオの姿を追い求めて、さまようのだった。
 精神的な極度の疲労、肉体もコレラに冒され、浜辺の椅子にうずもれたアッシェンバッハの目にタジオの美しい肢体が映った。タジオの姿にアッシェンバッハの想いは、最後の輝きをはなつ。が、病に侵された彼は、遂に力尽き、死の道をたどることになる。

 途中、アッシェンバッハと友人との美をめぐる激論、妻とのたわむれ、娘の死などの過去のエピソードが挿入されている。激論の中身はよくわからないが、それがわからないとこの映画が理解できないわけではない。(その部分をメモをとりながら、ゆっくり見直す作業をそのうちしてみます。)

 「にがい米」のシルヴァーナ・マンガーノが出演しているが、あの映画のなかの官能的な肢体はそこにはなく、貴婦人然とした姿で映っている。映画を支えているのは、マーラーの交響曲(3番、5番)、主演のダーク・ボガートは彼にしかできない、抑えた演技で異彩を放っている。
 
 


「レ・ミゼラブル」(トム・フーバー監督、イギリス、152分)

2016-11-07 00:24:55 | 映画

                

  話題になった映画です。TVの録画で観ました。全編、ミュージカル仕立てです。

 時代は19世紀。フランスでは貧困にあえぐ民衆が蜂起しようとしていました。

 パンを盗んだ罪で19年間投獄されていたジャン・バルジャン(ヒュー・ジャックマン)は仮釈放されたものの極貧のなかで、再び教会の燭台を盗むはめに陥ります。しかし、その罪を見逃してくれた司教の慈悲への恩返しとして、生まれ変わって真面目に生きようと決意。マドレーヌと名前を変え、工場主として成功します。そして、市民の信頼を得て、市長の地位に就きます。

 しかし、警官のジャベール(ラッセル・クロウ)は、盗人ジャンを執拗に追っていました。そのような折、ジャンは嘗て彼の工場で働き、娘を養うため貧しい生活を送っていたファンテーヌ(アン・ハサウェイ)と出会います。ジャンは彼女の死と引き換えに、幼い娘コゼットの未来を託されます。

 ところがジャンが逮捕されたとの誤報を耳にした彼は、法廷で自分の正体を明かすことになり、再び追われることになります。

 ジャンはパリへ逃亡。そこで苦労してコゼットを美しい娘に育てあげます。パリでは革命を志す学生たちが蜂起するなか、バルジャンやコゼットは時代の激動の波に呑まれていくのでした・・・。


■キャスト
・ヒュー・ジャックマン(ジャン・バルジャン)
・ラッセル・クロウ(ジャベール)
・アマンダ・サイフリッド(コゼット)


「映画女優」(市川崑監督、日本、1987年)

2016-11-06 12:02:44 | 映画

                      

  田中絹代はわたしより大部、生年が上なこともあり、その経歴をよく知りません。しかし、日本を代表する女優であることは間違いありません。彼女が出演していて、わたしが知っている映画は、どちらかと言うと地味な役どころのものでした。

 この映画で知ることができる田中絹代の人生は、次のようなものです。

 大正14年。女優を志していた田中絹代は蒲田撮影所に大部屋女優として採用されました。新人の監督清光宏の強い推薦があったようです。

 絹代の上京に当って、母のヤエ、姉の玉代、兄の晴次と洋三、それに伯父の源次郎までが関西の生活を捨て同行してきましいた。家族が彼女の俸給にぶらさがろうとしてわけです。それと言うのも、当時大部屋の給料が10円~15円だったのが、彼女は破格の50円の給料だったからです。

 清光作品で良い役があたる絹代に、周囲の同僚からは嫉妬の眼でみられました。しかし、小さな身体にファイトいっぱいで撮影所通いました。そんな絹代の素質を見抜いた五生平之助監督は撮影所長の城都を説得し、「恥しい夢」の主役に抜擢します。清光は「恥しい夢」が完成した後、それを悔しく思い、彼女に強引に迫ります。絹代は清光との愛を受け止め、激しく燃えました。2年間の約束で同棲生活を始めたものの、女優としての仕事が忙しい絹代は家事をこなせず、それに怒った清光が暴力を振るいます。

 それ以後の絹代の活躍は目ざましいものでした。「マダムと女房(トーキー作品)」の主演と成功、「伊豆の踊子」の主演、そして「愛染かつら」の大ヒット……。その対極で、家庭では恵まれませんでした。姉の駆け落ち、撮影所をやめた兄たちの自堕落な生活、母親の死が絹代を打ちのめしました。

 それでも付人兼用心棒として雇った仲摩仙吉に励まされ、人生の難局を切り抜けていきます。昭和15年、絹代は溝内健二監督の「浪花女」に主演するため京都に向かいました。やかましさとねばり強さで有名な溝内の演出に、絹代の激しい開志が燃え上がりました。

 それから11年の歳月が流れ、昭和26年秋、溝内から再度出演依頼を受けた絹代は京都を訪れます。スランプに落ち込んでいた溝内は新作の「西鶴一代女」に賭け、そのパートナーに絹代を選んだのです。

 お互いに好意を持ちながら、仕事となると仇敵のように激しく火花を散らす監督と女優。老醜の無残な限りをさらけ出す絹代。そこには溝内が命を削って取り組んでいる「西鶴一代女」と、そこで心中しようと決意した絹代の女としての凄まじさが燃焼していました・・・。

 絹代の役を、吉永小百合が好演しています。


「また逢おうと竜馬は言った」(脚本:成井豊) 於:AQUA studio

2016-11-05 00:48:55 | 演劇/バレエ/ミュージカル
      

 「また逢おうと竜馬は言った」が日本橋のAQUA studio で公演中です。


 キャラメル・ボックスの成井豊さんの脚本です。タイトルからはまったく内容はわからないです。

  簡単にその内容を書くと竜馬を尊敬しているツアーコンダクターの岡本がいつもミスばかりしていて、今回もまたミスをやらかし、同僚の本郷とその妻ケイコが大喧嘩、離婚直前までになります。ケイコは家出。


 岡本は竜馬の力を借りて二人の仲裁に入ろうとしますが、思わぬ密輸事件に巻き込まれることになります・・・という展開です。

 テンポのいい芝居で、幕末に生きた竜馬、桂、西郷などをイメージしつつ、それが現代の浮世絵密輸事件と絡んで大騒ぎになります。役者さんたちはみな若いですが、演技も表情もいいです。笑わせどころもたくさんありました。

 1時間55分の舞台はあっという間で終わりました。面白かった~。

「鶴は翔んでゆく」(ミハイル・カラトーゾフ監督、ソ連、1958年、97分)

2016-11-02 00:23:08 | 映画

              


 何度、観ても感動します。よくできている映画です。映画技術的にも、構成がよく、場面の切り替えがうまく、必要なところにはスピード感があります。ヒューマニズムが全編を貫いています。

 モスクワの夜明け、恋人同士のベロニカ(タチアナ・サモイロワ)とボリス(アレクセバターロフ)。ひと時のデートからもどった二人は、そっと各々の家にもどる。しかし、それは束の間のことだった。戦争(第二次世界大戦)が勃発した。

 ベロニカや家族の不安をよそに、ボリスは出征しなければならなくなる。贈物のリスの人形のさげる篭の中にベロニカへの手紙を入れ、ボリスは出発した。別れの晩餐会に遅れたベロニカはボリスを追って、出征兵の集合地に向かった。しかし、ボリスを見つけることは出来なかった。

 ドイツ軍の攻撃は激しく、爆撃によってベロニカは父母を失う。ボリスの家族のなかにひきとられたものの、以前から秘かに彼女に目をつけていたボリスの従兄のマルク(アレクサンドル・シュウォーリン)は、ナチスの大空襲がモスクワの街を襲った夜、彼女に愛をせまった。

 ボリスの父親フョードル(ワシリー・メルクーリエフ)の困惑をよそに、ベロニカは、マルクと結婚せざるをえない状況に追い込まれる。

 戦地のボリスは、ベロニカの写真を常に携帯して自らを励ましていた。しかし、敵の弾丸が彼を襲った。

 モスクワの人達は、遠いシベリヤに退却していた。ボリスの父のフョードルは病院長として、姉のイリーナは医師として、ベロニカは看護婦として働いていた。ベロニカはマルクを好きになれなかった。彼女は、日々、郵便配達を待ち、ボリスからの音信を期待していた。

 戦争が終り、復員兵士たちが帰ってきました。ボリスの死を信ずることが出来ないベロニカ。彼女は花束をもって駅に向い、彼を探した。しかし、ボリスは帰ってこなかった。ベロニカの眼に涙が浮んだ。それは単なる絶望の涙ではなかった。ベロニカは、花の一本一本を帰還兵に手わたした。

 平和になったモスクワの空を鶴の群が飛んでいくのを見上げるベロニカ。彼女のまなざしは、その鶴の群を追うのだった。