【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

新大久保のコリアンタウン散歩

2012-01-31 00:15:10 | 旅行/温泉

 一昨日の日曜日、大変に寒い日(風がつよかったです)でしたが、太陽はテラテラと輝いていたので、新大久保のコリアンタウンと横浜中華街を訪れました。まず、今日は新大久保のコリアンタウン。

 山手線の新大久保には時々降りますが、このコリアンタウンに足を踏みいれたのは初めてです。かなり大きい一角が文字通り、韓国づくめでした。まるで、ソウルに来たようですが、違っているのはコリアンタウンといっても、ソウルのようにいたるところハングルと言うわけではなく、ハングル文字の量は控えめです。

 そうはいってもトッポギ、ホットクなどが売られ、韓国の俳優、歌手のブロマイド、衣料品、食品、装飾品、CDがあり、韓国のラーメンとかサンゲタンが店に並び、ひところの韓流ブームを思い出しました。韓流ブームはまだ続いているのでしょうね。
 入ってものすごい雑踏で驚いたのは大久保通り沿いの「ソウル市場」です。韓国の食材のスーパーです。人、人、人の行列です。こんなに混雑しているスーパーを経験したことはありません。
          


 ここで、ラーメン、お菓子、はちみつを買って、すぐ近くの食事処「南大門のり巻き」に入りました。まだ昼食には早かったのでのり巻きセットを注文、韓国にのりまきがあるのは知っていましたが、これも初めての経験です。のりは仄かにごま油がふってあるようで、なかの具はツナ、チーズ、人参など、日本のそれとはだいぶ違います。米は酢飯ではありません。たくあんが付いているのは妙味です。
 それでも、セットをペロリとたいらげました。一緒についてきた、わかめスープ、オイキムチもおいしかったです。まわりの客は日本人と韓国人とが半々ぐらい、懐かしい朝鮮語が聞けました。
                


                              


高島俊男『ちょっとヘンだぞ四字熟語-お言葉ですが・・・⑩-』文藝春秋、2006年

2012-01-29 23:15:45 | 言語/日本語

              
 42の項からなり、タメになる話が満載です。著者が問題提起し、読者も考えてみようという意識になったところで、著者のそれなりの結論がでてきます。大概は納得させられます。が、ときどき、著者の誤解があり、読者からの声が寄せられ、そういうときにも著者は柔軟で、絶対に自説を固辞することはないのです。このあたりの呼吸がよいです。


 それはともあれ、四字熟語は定義がはっきりしないとのこと。元祖は真藤建志郎著『「四字熟語」の辞典-活用引用自由自在』(1985年)と推察されています(p.11)。故事熟語という用語がありますが、そのシャレ、モジリではないかとも書かれています(p.12)。

 四字熟語に関する辞典は、岩波、三省堂、集英社などいくつかあるらしいですが、内容的にはお粗末なようです(pp.16-17,pp.21-23)。「四字熟語」はその内容に即して命名すると「四字成語」が適切なのではなかろうかというのが著者のまとめです(p.13)。

 この本では津波という言葉への言及があり、今回の東日本大震災との関わりで、印象深かったことでした。TSUNAMIは今では世界共通語になっていますが、中国では海嘯の語が使われているとのこと。「海嘯」は日本の文献にもよくでていましたが、もともとは「海が吠える」という意味で、この語を津波現象にもあてはめた日本の習わしが中国に逆輸入されてこの国では「津波=海嘯」になっているらしいです。

 この他、歌曲集の歌詞をを新かなに変えることに先鞭をつけた岩波文庫の『日本唱歌集』『日本童謡集』、講談社の『日本の唱歌(上)(中)(下)』が日本の歌の歌詞をズタズタにしたと糾弾されています(p.206)。痛快です。

 森鴎外のことを書いた「満点パパ鴎外」、寺田寅彦と娘さんのことを書いた「小石川植物園のドングリ」が面白かったのですが、最後の「陸軍特高誠百十九飛行隊」はインパクトがありました。

 著者は産経新聞(2005年1月16日)に掲載された「百十九飛行隊」の記事とそれに付けられた満面の笑みをたたえた特攻隊員の写真に疑問をもち、この記事を書いた記者、記者に回顧談を語った老人、そんな記事(「沖縄戦で特高気が巡洋艦を沈めた」とのありえない記事)を書かせてそのまま載せた産経新聞の無責任さを衝いています(p.251)。

 特攻隊員が嬉々として自爆攻撃に繰り出していった背景に、ヒロポンが使われたことに、著者は「日本軍はそんな悪質なことまでしていたのだろうか」と絶句しています(p.252)。

 70歳近い著者がそのことに唖然としているのですから、わたしが知らなくても仕方ないかもしれませんが、いまもって真実を伝えるはずの新聞がデタラメな記事を書いて恥じないその体たらくに愕然としました。


乙川優三郎『麗しき花実』朝日新聞出版、2010年

2012-01-28 00:19:03 | 歴史

                
 江戸工芸の世界に生きた女性、理乃が主人公。原羊遊斎、酒井抱一、鈴木基一おおなどの実在の人物の間に、理乃という架空の女性を登場させ、女性の眼をとして蒔絵職人の虚実、この世界に生きる喜びと苦しみを描いた作品です。


 蒔絵師の家に育った理乃は西国(松江)から工芸職人を目指した兄(次男)の付添として江戸に上ってきましたが、その兄がほどなく急逝しました。彼女は故郷に帰ることなく神田にあった原羊遊斎の工房で働き、身をたてる道を選びます。

 羊遊斎と内縁関係にあった胡蝶が仕切る寮(根岸)に身を寄せ、工房では祐吉、金次郎などの職人が働き、何かと声をかけてくれ、理乃は江戸での生活に慣れ、少しづつ蒔絵の技量も身につけていきました。

 そうした日々が続くうちに、理乃は酒井抱一の下絵帖をもとに櫛をつくることを羊遊斎に依頼され、そこから理乃の苦悩が始まりました。数物を生産、販売しなければ工房の経営がなりたたないことは了解しながら、しかし他人が製作したものに名人の落款をおし、箱書して偽ることなどあってよいのでしょうか。工藝の創作(芸術家)と数物の製作(職人)との際はどこにあるのでしょうか。

 それは鈴木基一にとっても同じであり、自らの製作した屏風に酒井抱一の署名と朱印とがあり、それで満足しているのでした。酒井家の家臣であった基一の立場はこうした代筆を常に余儀なくされたことでし。

 本作品には過去の男とのわけありを背負いながら、基一に誘われることに懐かしさを覚え、祐吉に恋心を寄せ一夜をともにし、工芸の世界に身をおき、狭い世間を生きた女性の想いが生き生きと綴られています。理乃のこうした生き方を際立たせるのは、胡蝶、妙華尼、鶴夫人、きぬ女など男性を陰で支えた女性たちとの関わりの描写です。

 江戸で女蒔絵師として成功する見通しがない理乃は、帰郷を決意しますが、基一との別れの場面で精魂こめて作製した棗(根岸紅)と硯箱(闇椿)を見せる場面は秀逸です。

 朝日新聞朝刊に2009年2月26日から9月9日まで連載され、評判となりました。単行本化にあたり、巻頭には羊遊斎製作の櫛、香合、棗などの写真が色彩豊かに掲載され、眼を楽しませてくれます。

          ←原羊遊斎「狐嫁入り図蒔絵櫛」
  


寺神戸亮 ヴァイオリンリサイタル~浜離宮ランチタイム・コンサート~(浜離宮朝日ホール)

2012-01-27 00:03:39 | 音楽/CDの紹介

             

 寺神戸亮・ヴァイオリンリサイタル~浜離宮ランチタイム・コンサート~(浜離宮朝日ホール)に出かけました。ここでは定期的に、ランチタイムに演奏会が開催されています。この企画に赴いたのは初めてです。したがって、このホールは築地にあるのですが、築地界隈を日中、歩くのも滅多にないことで、あちこち見ながら会場に行きました。さすがに、たくさんお寿司屋さんがあります。国立ガン研究センター、築地市場などがあります。

 さて、演奏会ですが寺神戸(てらかど)さんは、50歳前後、現在ブリュッセル在住とのこと。この演奏会のために数日前にベルギーから飛んできました。
 1983年に日本音楽コンクール・ヴァイオリン部門で第3位入賞、その後桐朋学園大学で学び、卒業と同時に東京フィルハーモニー交響楽団でコンサートマスターとして入団しますが、バロック音楽に専心するために退団してオランダのデン・ハーグ王立音楽院に留学、研鑽をつんだという経歴の持ち主です。

 演奏されたメインの曲は、「バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」です。1720年に書かれ、6曲から成ります。
 正式のタイトルは、Sei Solo per violino senza basso で直訳すると「バスを伴わないヴァイオリンのための六つの独奏曲」となります。日本では「無伴奏」という言葉が使われていますが、これは伴奏を担当する他の楽器を使わないという意味で、曲そのものに注目すると旋律部と伴奏部とがひとつのヴァイオリンで演奏されるのです。
 ピアノはそれが比較的に容易にできます。右手が旋律部を、左手で伴奏部を弾くというように。しかし4本の弦しかないヴァイオリンではこれはかなり無理な要求ですが、「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」がそれがもとめられます。難曲といわれる所以です。そして、現代の演奏家はその演奏方法の研究もしているようで、寺神戸さんは最近あらたな発見があったとその方法を開陳していました。

 今回の演奏曲は、以下のとおりでした。バッハの「バッハの無伴奏ヴァイオリン」がテレマンの「無伴奏ヴァイオリンのためのファンタジア」2曲をサンドイッチのようにはさんでいました。

 

(演奏曲目)

 ・J. S. バッハ: 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番 イ短調 BWV1003 

  (Ⅰ Grave/Ⅱ Fuga/Ⅲ Andante/Ⅳ Allegro)

 ・G. P. テレマン: 無伴奏ヴァイオリンのためのファンタジア 第1番 変ロ長調 TWV 40:14

  (Ⅰ Largo/Ⅱ Allegro/Ⅲ Grave/Ⅳ Allegro (da capo))

 ・G. P. テレマン: 無伴奏ヴァイオリンのためのファンタジア 第12番 イ短調 TWV 40:25

  (Ⅰ Moderato/Ⅱ Vivace/Ⅲ Presto)

 ・J. S. バッハ: 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番 ニ短調 BWV1004

  (Ⅰ Allemanda/Ⅱ Corrente/Ⅲ Sarabanda/Ⅳ Giga/Ⅴ Ciaccona)


由紀さおり&ピンク・マルティーニ「1969」

2012-01-26 00:09:06 | 音楽/CDの紹介

            
 青春の一ページ。ラジオから流れてる由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」。歌詞はなく、ルールールルーとの口ずさみが続く。綺麗な透明感のあるメロディー。驚きと衝撃。長く忘れられない曲となりました。ほとんど同じ頃、ピンキーとキラーズの「恋の季節」がリリースされ、これにもびっくりしましたが、いま振り返ればこのあたりから流行歌の基調が大きく変わりました。

 踵を接して、一方では小柳ルミ子さん、天地真理さんの歌が大衆に受容され、そしてフォークソングが一世を風靡しました。チエリッシュ、赤い鳥がでてきたのも丁度この頃ではなかったかと思います。

 「夜明けのスキャット」は、1969年。このCDには1969年に世に出てきた歌が収められています。そしてこの「夜明けのスキャット」がいま欧米で、ヒットソングとして流れているそうです。CDが22カ国で売れています。いまから40年以上も前の曲です(いずみたくさんが御存命だったらどんなにか喜ばれたのではないでしょうか)。その事実を伝える証拠は・・・
 ・オリコン アルバム週間ランキング 最高位4位(2011/12/26付)
 ・iTunes Store 総合アルバムチャート(日本)最高位4位
 ・iTunes Store Jazz Page Album Chart(US) 最高位1位
 ・IFPI アルバムチャート(ギリシャ)最高位6位(2011/10/22付)

 CDにカバーされた曲は、次のとおりです。

・ブルー・ライト・ヨコハマ(作詞:根本淳、作曲:筒美京平)
・真夜中のボサ・ノバ(作詞:根本淳、作曲:筒美京平)
・さらば夏の日(作詞:キャサリン・デサージュ、作曲:フランシス・レイ)
・パフ(作詞:レオナルド・リプトン、作曲:ピーター・ヤーロー)
・いいじゃないの幸せならば(作詞:岩谷時子、作曲:いずみたく)
・夕月(作詞:なかにし礼、作曲:三木たかし)
・夜明けのスキャット(作詞:山上路夫、作曲:いずみたく)
・マシュ・ケ・ナダ(作詞:ジョルジュ・ベン、作曲:永田文夫)
・イズ・ザット・オール・ゼア・イズ?(作詞:ジェリー・リバー、作曲:マイク・ストラー)
・私もあなたと泣いていいの?(作詞・作曲:三沢郷)
・わすれたいのに(作詞:ラリー・コルパー、作曲:バリー・マン)
・季節の足音(作詞:秋元康、作曲:羽場仁志)

 Pink Martini  は、1940年代から60年代にかけて世界中で流行したジャズ、映画音楽、ミュージカルのナンバーをレパートリーとするヴォーカリストを加えた12人編成のオーケストラ・グループです。アメリカ、ヨーロッパ、アジアでコンサートを展開しています。
 そのプロデューサーで、ヴィジュアル・コンセプトを手掛けているのがリーダーのトーマス・M・ローダーデールです。彼がオレゴン州ポートランドの中古ミュージアムショップでみつけたのが由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」のLPでした。


降旗康男監督「居酒屋兆治」1983年

2012-01-25 00:30:35 | 映画

                        

 昨晩DVDで降旗康男監督「居酒屋兆治」を観ました。原作は、作家の山口瞳です。この映画をなぜ観たかというと、昨年亡くなった大原麗子さんに関するテレビ番組があり、そこで大原さん出演のこの映画が話題になったからです。大原さんはこの映画で神谷さよ役で出演したのですが、「さえ」になりきり、撮影が終わっても「さえ」をひきづっていたそうです。大原さんは、テレビ番組でも紹介がありましたが、かなり乱暴な父親のもとで育ち、性格はさびしがりだったそうです。自らの人生を「さよ」に投影し、大原さんは「さよ」にのめりこんでいったのです。降旗監督がそのようなことを述懐していました。わたしは大原さんは好きな女優のひとりだったので、この映画のDVDを手にしたのです。

 あらすじは概略、以下のとおりです。

 場所は函館。出世と引き換えに同僚社員の首切り役を命じられたことに反発して造船ドックを辞めた(首になった)藤野伝吉(高倉健)は「兆治」という居酒屋を夫婦(妻の茂子役は加藤登紀子)できりもりしていました。居酒屋には結構お客がきていました。ここでの人間模様はこの映画の見せ場のひとつです。
兆治の同級生でバッテリーを組んだ無二の親友、岩下(田中邦衛)、元の会社の同僚有田やその部下の越智(平田満)、近所の酒癖の悪いタクシー会社経営者河原(伊丹十三)が毎晩のように足を運んで賑わっていました。「兆治」の向いには小料理屋「若草」があり、陽気なママ峰子(ちあきなおみ)もこの店でときおりとぐろをまいています。

 兆治は寡黙で、暗い過去をその人生に秘めていました。過去に愛し合い、いまは神谷牧場の妻となった「さよ」との関係です。この「さよ」を大原麗子さんが演じています。ふたりはその頃、貧乏のどん底、愛し合ってはいたものの結婚はかなわず、「さよ」は不本意な結婚をします。相手は
旧家の牧場主神谷久太郎(左とん平)、若く貧しかった兆治は「さよ」の幸せを願って黙って身を引いたのでした。

 しかし、兆治を忘れられない「さよ」は彼をもとめて何度も電話をかけます。意を決して、兆治の開店前の居酒屋を訪れます。彼女はひとこと
「あんたが悪いのよ」と言い残して去って行きます。その後、彼女は身をもちくずし、酒におぼれていきます。そして、行方もわからなくなったのですが、兆治は彼女が札幌のススキノで働いているとの噂を耳にし、写真を伝にさがします。そして、彼女は・・・・

 大原麗子さんは綺麗で、なまめかしく、その情念にとりこまれそう・・・。結末は、この映画を観て確認してください。

             


友岡賛『会計の時代だ-会計と会計士との歴史-』ちくま新書、2006年

2012-01-24 00:34:39 | 歴史

          

 会計とは何か、会計士とは何か、が分り易く書かれています。分り易くと言っても、第4章の「近代会計の成立環境」の解説、第6章の「会計プロフェッションの生々」の説明、第7章の「近代会計制度の成立」の展開に関しては、細かな歴史的経過が叙述されていて、門外漢のわたしにとっては、ポイント以外のことは頭に入ってきません。

 ポイントというのは、次のようなことです。その第4章では企業形体(著者は「形態」ではなく「形体」という用語を使っています)の近代化プロセス、すなわち株式会社の形成プロセスが、ギルドから合本会社、東インド会社の成立[1602年](ただし本書では、1553年のロシア会社を株式会社の起源としている)、南海バブルの崩潰を経て、産業革命以降の企業形体の発展が論じられています。

 第6章「会計プロフェッション」では、会計士の職業が初めて登場したのはスコットランドで1854年のこと(エディンバラ会計士協会)、続いてイングランドに登場したことが書かれています。初期の仕事は、破産関係業務で、後に監査業務が加わったことが指摘されています。

 第7章「近代会計制度の成立」では、監査の仕事が会計士の仕事の中枢となっていく過程が解明されています。

 本書は冒頭で、会計とは何か(「accountは説明」の意味)から始まって、財産の管理との関わりで委託、受託の概念がキーワードとして示され、監査の重要性(その意義と目的は「納得」)、会計プロフェッションが登場する必然性、複式簿記の意味(資本と利益とを対象として体系的に行われる記録ないしそのジステム)などが解説され、以後、会計の歴史(15世紀イタリア[複式簿記]→16,17世紀ネーデルランド[期間計算]→18,19世紀イギリス[発生主義])をたどるという構成をとっています。

 著者によれば、近代会計制度は機能面と構造面とから捉えることができるとのこと。前者の側面でみると近代会計制度は委託、受託関係の近代化に他ならず、後者の側面でみると期間計算が発生主義で行われること、この発生主義は産業革命とそれによってもたらされた交通革命をもって完成するとされています。

 会計(学)はかつて一般にはあまり縁のない分野であり、またその分野に足を踏み込んでも無味乾燥の世界と受取られていましたが、近年事情が少し変わってきました。著者はその流れを敏感に掴んでいて、それならばということで本書を執筆し、内容を面白くするために歴史的な叙述の方法をとったようです。入門書として、よくできているように思いました。


笹原宏之『日本の漢字』岩波新書、2006年

2012-01-23 00:09:29 | 言語/日本語

         

 この本は漢字の世界が奥行きの深いところであることを知らしめてくれ、かつわたしが理解してきた漢字の全体が決して普遍の体系ではないことを教えてくれました。要するに、眼のうろこがおちるようだったのです。

 日本の多様な文字体系のなかでの漢字の位置、漢字の中国からの受容と日本化(国字)、「正字」としての康煕字典体(『康煕字典』は清朝の康熙帝の命で編纂された最も権威ある字書)と俗字との関係、字体の変化にみられる規則性、習慣化する略字、誤字の背景にあるもの、電子漢字、幽霊漢字、漢字にまつわる話に限りがありません。

 漢字は中国、日本ではもとより、かつては韓国、ベトナムでも使用されていました。漢字の成り立ちには、それぞれの地域、時代、文化の反映があり、著者が開陳してくれたこの世界の一部を知っただけでも驚かされることばかりでした。職業、趣味、信仰を同じくする集団ごとに特有の用字、用法が生ずることを「位相」というらしいのですが、この「位相文字」に関する説明も初めて聞く話でした。

 漢字についての全体像を理解してから、本書は地名と漢字の関係、ひとりだけの文字(井原西鶴、夏目漱石、宮沢賢治など)についての話題に移っていきます。地名に使われる漢字では、『角川日本地名辞典』『国土行政区画総覧』『明治初期長野県町村字地名大鑑』などが使われ、著者は気の遠くなるような作業を自らに課して、丹念に漢字を拾い、探したようです。

 読後、頭にこびりついて離れないエピソードがいくつかありました。まず、「妛」の字。これは幽霊漢字で、ある誤った認識から偶然に生まれた漢字です(pp.83-85)。しかし手許のパソコンソフトには入っていました。
 「腺」は日本で作られ、いまでは中国でも使用されている漢字です。医学分野で例えば「涙腺」のように使われますが、これは江戸時代、宇田川榛斎が苦労をして編み出したもののようです(pp.177-179)。この時代、蘭学者は新しい訳語(漢語)の創出と定着に努力を重ねたようです。


高島俊男『百年のことば-お言葉ですが⑧-』文藝春秋、2004年

2012-01-21 00:01:01 | 言語/日本語

             

 「お言葉ですが・・・」シリーズ、毎度のことであるが、読むたびにわたしにとって、大小さまざまな新事実に出会います。

 まず「童謡」について。童謡は「子どもの頃にうたった歌」という単純な理解はダメということ。童謡とは唱歌に対する批判、あるいは反感から生まれたもの、広辞苑にもそう書いてあるそうです、「大正中期から昭和初期にかけて、北原白秋らが文部省唱歌を批判して作成し、運動によって普及させた子供の歌」と。

 したがって「浜辺の歌」「故郷」「朧月夜」は唱歌であるが、童謡ではないそうです。童謡と言えるものは、「赤とんぼ」「この道」「七つの子」「赤い靴」「浜千鳥」「叱られて」「雨降りお月さん」など。歌詞では北原白秋、野口雨情、西條八十、作曲では山田耕作、本居長世らによるものです。

 もうひとつ。「綺羅星のような」という言葉に関して。綺羅星という星はないのでした。「綺羅星のような」は「綺羅、星のような」と読まなければいけないとのことです。「綺羅」は「綺」も「羅」も上等な絹織物をさし、「綺羅」とは「上質な生地でつくった華美な衣服」のこと。それがいつのまにか「綺羅星」という星があるかのようになってしまったとか。どうしてそなったのかが説明してあります。

 「活字」とは何かと言うことから初めて、本づくりと関わる「版下」「整版」という言葉の話、そして「発刊」「刊行」の「刊」が「ほる」という意味をもっていること、版木には山桜の木がいいのだが、「梓」という木も使われ、それに由来して「上梓」「梓行」という言葉もあるとの説明も興味深く受け止めました。

 この「お言葉ですが・・・」のシリーズ本は、週刊文春に掲載されたコラムをまとめたものですが、本にするにあたって、このコラムへの読者の意見、感想がセレクトされ、それらに対する著者のコメントが追加され、そのやりとりがまた面白いです。世の中には、細かなことに限りなく詳しい人がいるということを教えられます。


「神喜屋」(新宿区神楽坂4-2、TEL03-5261-5255)

2012-01-20 00:38:21 | 居酒屋&BAR/お酒

          
 「神喜屋」は、神楽坂、毘沙門天の前の本通りをはさんだ前方の路地裏にあります。なかなかわかりにくいのですが、「神喜屋」そのものがなかなかいい雰囲気を醸し出しているので、その感覚で捜すと案外すぐに見つかります。実際にカウンターに座っていても、お店の外からガラス越しになかを覗いて、入ってくる人が数名いました。「ちょっと入ってみようか」というオーラが出ているのではないでしょうか。

 なかに入ると、カウンターの席のみ(8席ほど)で、典型的なBARです(お店の方はBARではなく小酒場と呼んでいるようです)。入口付近、カウンターの角に立派な生け花があり、やや暗く落ち着いた雰囲気です。カウンターの眼のまえにウィスキーの瓶がずらっとならび、奥の棚にもいいお酒が肩をよせあうようにすわっています。

 突き出しに工夫があります。ナッツはメインですが、綺麗にそれなりの量が入っています。ウィスキーのマッカラン、マティーニを注文しました。

 壁に大きなスクリーンがあり、映画のようでもあり、よく見ると「鬼平犯科帳」のシーンでした。いろいろなバージョンがあるようです

 
             


大久保一彦『寿司屋のカラクリ』ちくま新書、2008年

2012-01-18 00:01:07 | 医療/健康/料理/食文化

          
 寿司屋の仕組み、そのおいしさのカラクリを明らかにし、日本文化のひとつである寿司の魅力を紹介し、身近なものにしてもらうことを意図した本です。そのために高級寿司店、立ちの寿司屋、回転寿司を取材し、それぞれのよさを伝えようと努力しています。

 話題は豊富です。回転寿司は100円均一のレベルとデカネタ、グルメ志向とで二極化していること、寿司ロボット(握り)の登場、ヒット商品の”炙り物”、立ち屋の寿司の過去と現在、マグロの生態、高級寿司屋の二類型、高級店の極意(①イノシン酸、②瞬間即殺締め、③保存温度、④産直はしない、⑤生簀はない)、海外の寿司屋の展開と実態など。

 経営戦略をもった寿司屋が紹介されています(寿し常、吉武、第三晴美鮨、さかえ寿司、銚子丸など)。全体を読んで、背後に漁業の衰退があり、マーケットの構造変化があり、それだけ寿司屋はしのぎをけずっているということのようです。

 内容的にもっと深めれば、「寿司の社会学」を展望できますね。


乙川優三郎『露の玉垣』新潮社、2007年

2012-01-17 00:24:13 | 小説

         

 新発田藩の家老、溝口半兵衛が藩務のかたわら纏めた家臣の家々の小史、「世臣譜」1910冊(その外題は「露の玉垣」)をもとに家老半兵衛を含めた7
人の武士の生き方を8話に仕立て上げた作品集です。したがって、各作品に登場する藩士などはみな実在の人物です。

 8編の連作のうち、最初の「乙路」と最後の「遠い松原」では半兵衛による「世臣譜」編集の決意、その途中経過が書かれ、両者に挟まれた6編はこの「
世臣譜」から想像される過去の藩士たちの物語です。背景には何度も起きた氾濫、水害、大火、旱魃、飢饉、幕府要請の手伝普請、その結果としての藩財政の悪化、貧困が描写されています。

 新発田藩の藩祖は溝口秀勝。秀勝はかつて織田家の家臣でしたが、信長の死後、丹羽長秀の家臣となり、賤ケ岳の合戦(天正3年[1583年])の際には、丹羽長秀が豊臣秀吉方に連座したので秀勝も豊臣側で戦うことになりました。加賀大聖寺に一時、居をかまえた後に、越後の新発田に6万石を得たようです。
 秀勝の兄の勝吉は、同じく織田の家臣でしたが、賤ケ岳の合戦では柴田勝家の側に与し、戦死しています。年齢からいえば勝吉は秀勝の兄ですが、藩の記録では弟となっているのは、秀勝が新発田に領地をもってから、勝吉の子が秀勝を頼って家臣となったからです。

 順に第2話「新しい命」は吝嗇の噂がたつ岡四郎右衛門という家臣が下僕の不注意で火事になり、城にまで延焼させてしまったために切腹を覚悟していたが、四郎右衛門に寄せられた暖かい周囲の対応を描いた作品。
 第3話
「きのう玉陰」は代官にまで出世した遠藤吉右衛門が、離縁された(子ができないために)主家の奥方に対する儚い憧れを忘れられず、何年もたって病身の奥方を実家に見舞うのですが、その時の心の揺れを描いた作品です。
 第4話は「晩秋」。勝手方元〆役をつとめた大岡清左衛門がお役御免となり、そのまま朽ちていくことに納得できず、あるとき酒の勢いにまかせて兵法の達人に挑みかかるが、苦もなく組み伏せられ、しかしそれでも意地をもって生きていくさまを描いた作品です。
 第5話「静かな川」は病む老父がかつて岡島新右衛門に旅費をたてかえてもらったことを思い出しそれを返すように言われた息子、松田佐治衛門が、父と同年代の老雄たちの勇気と誇りを知らされることで自らの活路を見出していくさまを描いた作品です。
 第6話「異人の家」は溝口半左衛門(第1話半兵衛の父)が山庄小左衛門という中家老の生き方(藩につくし隠居した日々を磊落に過ごす生き方)を感慨することを描いたものです。
 第7話「宿敵」は窪田家に嫁いだ年(とし)が主人公。その義弟の服部清右衛門と実の弟である高田新左衛門という二人の若者が新藩主の御宿割の役をつとめることになるが、境遇の違いから服部清右衛門が精神的に追い込まれ、殺傷事件におよぶ悲劇を年という女性の心情によりそって描かれています。


『工場見学首都圏2012年版』昭文社

2012-01-16 00:09:59 | 経済/経営

         

  社会見学、工場見学紹介の本はまだありました。近くの本屋にいくと、書棚で見つけました。頭の片隅にブログで社会見学、工場見学紹介の記事を書いたので、眼に入ってきたのでしょう。

 この本には首都圏の関連情報が満載です。見開きで「見学のスポット」「おみやげ」「見学の流れ」「データ」の他、予約をすべきかどうか、無料か有料か、製造工程を体験できるか、一人でも見学できるか、記念品はるかどうか、写真撮影は可能かどうか、駐車場の有無、などの情報が出ています。

 惹句にパンチがあります。「行けばワカる! 見ればハマる!」「ものづくりの現場は感動の連続です」などなど。

 分野別に紹介があります。たとえば・・・。

<食品工場>
・日常食品(日清オイリオグループ横浜磯子事業場、明治東海工場など)
・伝統食品(キッコーマンもの知り醤油館、赤城フーズ東前橋工場など)

<飲料工場>
・ビール(サントリー武蔵野ビール工場、アサヒビール茨城工場など)
・ワイン・ウィスキー(サントリー登美の丘ワイナリーなど)
・日本酒(吉野酒蔵、小澤酒造など)
・ソフトドリンク(サントリー天然水白州工場、雪印メグミルク野田工場など)

<乗物工場>
・自動車(日産自動車横浜工場など)
・航空機整備(日本航空機体整備工場など)

<ものづくり> (ファースト電子開発など)

<生活雑貨> (ライオン小田原工場など)

<印刷・製紙工場>
・印刷(朝日プリンテックス川崎工場など)
・製紙(日本製紙クレシア東京工場など)

<環境対策>
・エコロジー(クレア環境かながわ事業所、世田谷清掃工場など) 

<研究機関>
・サイエンス(国立環境研究所、筑波宇宙センターなど)


『全国工場見学ガイド-新幹線・飛行機からマヨネーズ・明太子まで-』双葉社

2012-01-14 00:09:39 | 経済/経営

           

 ときどき、社会見学に行きます。これまでに訪れたのは、住友軽金属柏工場、朝日新聞社、東京地方裁判所(裁判傍聴)、杉並区清掃工場、府中サッポロビール工場、東京都議会、国会議事堂、日本銀行、東京証券取引所、造幣局などです。書かれたものを読んでいてもイメージがわかないことがあり、やはり現場で見て感じると違います。「百聞は一見にしかず」です。

 そして、最近は、企業も積極的に社会見学のコースをくみ、ものづくりの実際を見てもらう企画をくんでいます。それらを紹介して一冊の本にまとめたのが、この本です。どのようなところが紹介されているかというと・・・

・新日本製鉄 君津製鉄所
・東京ガス 袖ヶ浦工場
・東京電力 横浜火力発電所
・王子製紙 富士工場
・ロッテ 浦和工場
・味の素 川崎工場
・花王 川崎工場
・大塚製薬 徳島板野工場
・ダスキン横浜中央工場
・キッコーマン 野田工場
・キューピー五霞工場

 まだまだあります。207か所載っています。

 次はどこへ行こうかと、この本で捜しました。「全日本空輸 機体メンテナンスセンター」に決め、HPから見学予約をしようとしたところ、希望の曜日が限定されていることもあり、ほとんど満席です。かろうじて連休明けに、希望の曜日で空いていた日があったので、予約を入れました。いまから愉しみです。


斎藤貴男『消費税のカラクリ』講談社新書、2010年

2012-01-13 00:07:05 | 政治/社会

                   
 消費費税反対論者の論拠は3点にまとめることができ、それは①逆進性、②益税、③消費、景気を冷え込まる可能性です。本書は、それらを否定するわけではないとしながら(第6章でこれらへの解決策として提案されたものが批判的に検討されています)、別の角度から消費税を徹底的に批判する論理を提供しています。

 その論理は、消費税導入によって、あるいは今後増税されることによって、中小・零細の事業者とりわけ自営業がことごとく倒れる、正規雇用から非正規雇用への切り替えが進み、ワーキンギ・プアが増大し、自殺に追い込まれる人々がこれまで以上に増えていく、というものです。

 そのカラクリを明らかにするという責務をおって登場ししたのが本書です。著者はこのカラクリを示すために、まず現状で消費税が国税滞納額ワーストワンであるという数字を出しています(2008年度で滞納額全額の45.8%)。異様な滞納額が意味するのは、消費税部分を価格に転嫁できないために、あるいは転嫁しても別途のディスカウント措置をとったために、業者が滞納せざるを得なくなるということです。

 しかし、滞納が許されるはずはなく、徴税当局が強力な”消費税シフト”を敷き、凄まじい取り立てが敢行され、自殺に追い込まれたものが続出しました。

 著者によれば、消費税はもともと無理のある税制なのです。カラクリの中身は消費税は消費者が払うものではない、事業者が払うものである、これは財やサービスに価格転嫁するかしないかに関わらない、したがって消費税は「預かり金」ではないから「益税」「損税」という概念は法理論的に存在しないということです(消費税は憲法違反であるとする国家損害賠償請求事件での東京地裁判決[1990年3月])。

 著者はさらに「仕入れ税額特別控除」という仕組みをときほぐし、この措置が中小・零細業者の経営実態にそぐわないこと、大手の輸出企業にとっては、還付金という形で、事実上の輸出補助金になっていることを指摘しています。

 近年では消費税導入にあたって措置された中小零細業者への特例措置(①免税の特例、②限界控除の特例、③簡易課税制度の特例)も形骸化され、中小零細業者ますます追い詰められてきています。

 著者の結論は、増税などもってのほかだと言うわけです。「はじめに」で著者は「本書は消費税論の決定版」であるといい、マニフェストで4年間、消費税増税を行わないとした公約をかなぐり捨ててしまった結果、民主、自民の二大政党が増税にはしっていくような政治状況に対して、「ふざけるなと言いたい」と怒っています。この怒りは正当なものであり、単なる感情論でないことは本書全体を読めばわかります。消費税増税は理にあわないだけでなく、日本をますますダメにする罪つくりな提言なのです。