テーマが異色の作品です。明治時代の華族の令嬢に焦点を絞り、彼女たちを取り巻く当時の家族の構成、彼女たちの人生(生活、結婚)がどのような状況になっていたのかを、当時の資料(新聞、女性誌)の入念な調査をもとに仕上げたノンフィクションです。
彼女たちは「お嬢様」というカテゴリーでくくられていますが、ここに入るのは1880年代から90年代ごろまでに生まれ、明治末期までに結婚した上流階級の令嬢、とくに「華族」の令嬢です。
調査の結果、浮かび上がってきたのは、彼女たちの結婚は主として政略婚であり、よく言われるように結婚直前まで相手の顔も知らないことが多く、男子の子を絶やさず、家系を存続させることが重要でした。妻に男子の子がない場合には、妾をもつこと、「畜妾(ちくしょう)」といものがが社会的に認められていたようです。家族は妻妾同居も珍しくなかったとか。
生まれた子どもは,妻の子であろうが、妾の子であろうが、一般に差別がなかったようです。一家の主としての男性は、妾に美人をもとめました。
令嬢の子が受けた高等教育の場として学習院女学部があり、その後華族女学校と名称変更しました。
「お嬢様」は必ずしも幸福な人生をおくったわけではないようです。むしろ、退屈で決まりきった退屈な人生をいきたのです。彼女たちの人生の目標は、「いい結婚」をすることだけだった、とこの本には書かれています。
当初は公式の場に引き出されることもなかったようですが、西欧の上流階級との交流が深まるようになると、次第に社交ももとめられ、鹿鳴館がその実践の場として位置づけられました。同時に妾を容認することも、対外的交流のなかで憚れるようになり、妾をもつことの世代意識が変化し、表向きは妻妾同居などの風習は後退していったようです。
本書は、このようなおおまかな状況をおさえた上で、公家家族、大名華族の生活の実態、生活環境(広大な家と付き人)が当時の資料によりながら紹介し、さらに日露戦争あたりから社会奉仕、主として看護活動に貢献する女性が増え始めたこと、上流階級の令嬢がそれにボランティアとして参加したことなど、「お嬢様」の意識が具体的に変化していくさまを追跡しています。
象徴的なエピソード(美人テストで優勝したために放校処分となった学習院女学部の学生・末弘ヒロ子、鍋島藩の藩主の娘として生まれ皇族の梨本宮守正と結婚した伊都子が書いた膨大な日記、夫が10年間留学で不在だった九条武子、数奇な人生を歩んだ世紀の美人・柳原白連など)を多数盛り込んでいて、読み物としても面白くできています。