【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

法隆寺(奈良散歩①)

2010-04-02 00:46:42 | 旅行/温泉

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  京都の浄瑠璃寺のあと、奈良県に入り、翌日からレンタカーで法隆寺、中宮寺、法輪寺、法起寺、唐招提寺、薬師寺と廻りました。欲張って當麻寺も行こうと考えましたが、時間がなく断念。そして最後は再び京都の伏見、平等院でした。

 今日は法隆寺の紹介です。高校の修学旅行以来です。ほとんど記憶がありません。運がよかったのはボランティアの初老のガイドさんに出会い、約2時間半、説明を受けたことです。この日は大変に風が強く、寒い法隆寺にもかかわらず、有意義でした。

 法隆寺は言うまでもなく聖徳太子が創建したお寺です(607年頃)。1993年に世界遺産として登録されました。

 五重塔は、木造塔として世界最古のものと言われています。初重から五重までの屋根の逓減率(大きさの減少する率)が高いことがこの塔の特色で、五重の屋根の一辺は初重屋根の約半分です。
 初重内陣には東面・西面・南面・北面それぞれに塔本四面具(国宝)と呼ばれる塑造の群像が安置されています(計80点の塑像が国宝)。東面は「維摩経」(ゆいまきょう)に登場する、文殊菩薩と維摩居士の問答の場面、北面は釈迦の涅槃、西面は分舎利(インド諸国の王が釈尊の遺骨を分配)の場面、南面は弥勒の浄土を表わしています。北面には、釈迦の入滅を悲しむ仏弟子の像があります。

 五重塔でも三重塔でも、この種の建物は言ってみれがお墓だそうです。五重塔は中に心柱が入っていて、その末に仏舎利があります。この心柱を支えているのが周りの建物です。飛鳥時代の建物です。

 中門(国宝)は入母屋造の二重門です。正面柱間が4間、真中に柱が立っています。門内の左右に塑造金剛力士像が安置されています。日本最古(8世紀初)の仁王像として貴重なものですが、風雨にさらされる場所に安置されているため、かなり劣化しています。

 金堂[入母屋造の二重仏堂](国宝)は飛鳥時代の建物で、この時代のいくつかの特徴を伝えています。まず柱がエンタシスのように中ほどが膨らんでいること、雲肘木、卍くずしの高欄、「人」の字の束などです。これらは法隆寺金堂・五重塔・中門、法起寺三重塔、法輪寺三重塔のみに見られる様式です。
 金堂の壁画は日本の仏教絵画の代表作として国際的に著名なものでしたが、1949年、壁画模写作業中の火災により、初層内陣の壁と柱が焼けました。黒こげになった旧壁画(重文)と柱は現存していますが、寺内大宝蔵院東側の収蔵庫に保管され、非公開です。なお、解体修理中の火災であったため、初層の裳階(もこし)部分と上層のすべて、それに堂内の諸仏は難をまぬがれました。
 堂内は中の間、東の間、西の間に分かれ(ただし、これらの間に壁等の仕切りがあるわけではない)、それぞれ釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来が本尊として安置されています。

 夢殿(国宝)は、奈良時代の建立の八角円堂です。堂内には太子の等身像とされる救世観音像が安置されています。長年秘仏で白布に包まれていた像で、明治初期に岡倉天心とフェノロサが「発見」した像です。現在、春、秋の一定期間しか開扉されません。金箔がよく残っているそうです。
 
               
  
   柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺    子規