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この映画には、三つのポイントがある。一つ目は執事スティーヴンスと女中頭ケントンとの心の奥底で通じあっているが、結局、実ることがなかった密かな愛。二つ目は執事の折り目正しい仕事の内容が丁寧に描かれていること。三つ目はダーリントン卿の館で要人の間で秘密裏に議論される第一次世界大戦後の国際情勢。この映画の特徴は、これら三つの要素が見事な格式の下に調和している。
舞台は1950年代のイギリス。今はアメリカの大富豪ルイスの執事を勤めるスティーヴンスは、かつてはナチのシンパであった名門貴族ダーリントン卿につかえていた。ナチのシンパだったことから戦後、ダーリントン卿が世間から糾弾され失意のうちに世を去った後、アメリカの大富豪ルイス氏がその邸宅を買い取り、スティーヴンスは執事としての才能をかわれ、邸宅にとどまっていた。新しく女中頭を雇うにあたり、スティーヴンスはかつてその邸宅で女中頭として働いていたケントンに来てもらうべく、一人車に乗ってウェスト・カントリーへ向かった。道すがら、彼は1930年代のダーリントン卿の邸宅を回想する。
登場するのは執事として働くスティーヴンス(アンソニー・ホプキンス)、女中頭として雇われたケントン(エマ・トンプソン)とスティーヴンスの父。ダーリントンを名づけ親とする彼の親友の子供で新聞記者のカーディナル(ヒュー・グラント)。ドイツ、フランス、アメリカの要人。そして邸宅の大勢の従僕、使用人たち。
かつて、執事のスティーヴンスは、女中頭ケントンに好意を持っていた。気が強い彼女もスティーヴンスに想いをよせていた。キスや抱擁などのラブシーンが全くないが、二人の間には何かしら通じ合うものがあったことが分かる。ケントンはより積極的であるが、愛情の表現としては執事の部屋に頻繁に花束を持って訪れる程度であった。一度だけケントンはスティーヴンスが読んでいた本に関心を示し、本のタイトルを聞き、明かさないスティーヴンスに迫り、本を取り上げる場面がある。スティーヴンスが読んでいた本は、とるにたらない恋愛小説であったが、真面目一点張りのスティーヴンスがこのような小説に興味を持っていたことが、ケントンに対する彼の愛の表現であり、証であった。品位をたもちつつ公私にわたって個人的感情を慎むことに徹し、気難しいところがある執事のスティーヴンスは、愛情の片鱗すらおくびにもださなかった。ケントンはそのことが不満でならなかった。
ケントンはかつてスペンサー卿の側近であり、時々居酒屋であっていたベンに求婚された。彼女は消極的ながら求婚を承諾したことをスティーヴンスに伝え、さらに「契約期間を繰り上げて、仕事をやめさせていただきたい」と告げた。彼はひとこと「おめでとう」と応えた。彼女は「ご一緒に長年働いてきてそれだけなの」と返答したが、彼は頷き、「失礼します」とその場を立ち去る。密かに酒造からワインを持ち出すスティーヴンス、自分の部屋に入ってすすり泣くケントン。彼女は諦めて、女中頭の仕事を辞し、邸宅から去って行った。
この回想のシークエンスの後、スティーヴンスはケントンと再会する。彼女はこのとき結婚が破局をむかえようとしていたが、孫が生まれるとの夫の話しを聞き、再び女中頭として働くことを断念した。ベンからの求婚を受けたとき、「あなたを困らせようとした」と述懐するケントン。最後に雨の中、スティーヴンスは彼女をバスまで送り、二人は互いに昔のことに想いを馳せながら握手をかわす。執事のアンソニー・ホプキンス、美しい女中頭役のエマ・トンプソンの演技は、見事と言うほかはない。
この映画は単に「女と男の愛情」のひとつの形を示しただけでなく、一九三〇年代後半のヨーロッパの国際情勢を視野に入れ、ダーリントン邸で開催されたドイツに対する外交姿勢をめぐる会合がエピソードとして挿入されている。映画の品位と監督の手堅さが感じられる。