【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

「や台ずし・蓮田東口店」(蓮田市東5-9-8 tal:048-764-0028)

2017-11-26 20:50:36 | グルメ

              

 今年の8月にオープンしたこのお店に行ってきました。蓮田駅の東口すぐにあります。

 夕方4時からなんと午前3時半までが営業時間です。店内に入ると若者が結構多く、わいわいとにぎやかです。

   握り寿司を注文しました。新鮮でおいしいです。しかし、寿司の専門店のように見えながら、メニューをみるとなんでもあります。もつ鍋とか、鳥の唐揚げとか、野菜サラダとか、イカの丸焼きとか、シシャモとか。

 お酒も日本酒だけでなく、ウィスキー、カクテルなんでもござれです。

 このお店の前は「パン屋」でした。その前には「メガネ屋」だった記憶があります。駅まですが、なかなか継続してお客が入るまでにはいかず、次々お店がかわっています。

 蓮田駅前は居酒屋もかなりありますが、なかなか何度も行きたいところがありません。ここにはまた来てみたいと思って帰りました。


ロバート・レッドフォード監督「普通の人々」(アメリカ、124分、1980年)

2017-11-25 20:20:35 | 映画

                    

 俳優のロバート・レッドフォードが監督した作品の最初のもの。

 カルヴィン・ジャレット(ドナルド・サザーランド)はシカゴに住む弁護士。妻ベス(メアリー・タイラー・ムーア)とは結婚して21年になる。息子コンラッド(ティモシー・ハットン)は17歳、ハイスクールに通い聖歌隊のメンバーである。


 彼は時々悪夢にうなされ、セラピストバーガー(ジャド・ハーシュ)の治療を受けている。彼の病気は兄バックの事故死が原因である。秀才でスポーツ万能だったバックは皆に愛されていた。ところが、コンラッドと2人でボートで遠出した際、ボートが転覆し、コンラッドだけが助かった。そのショックで、自殺をはかったコンラッド。バックを溺愛していたベスは、コンラッドには心をかたくなにする。

 病院でいっしょだったカレン(ダイナ・マノフ)と、退院後久しぶりに会ったコンラッドは、彼女の元気な姿に安心する。しかし、セラピストのところに通っているかという彼の質問に表情をくもらせる。

 一方、カルヴィンは、コンラッドとべスの間のわだかまりを解きほぐそうと努力をする。聖歌隊の合唱仲間ジーニン(エリザベス・マクガヴァン)によい声だとほめられたコンラッドは、彼女とデートし、気持ちをやわらげる。

 クリスマス休暇に入り、カレンにお祝いの電話を入れたコンラッド。しかし、カレンは突然、自殺したことを聞く。取り乱したコンラッドに、バーガーはコンラッドを苦しめている罪の意識から解放させる。落ち着きを取り戻したコンラッドはジーニンを訪れ、好意をもっていることを告げた。

 ある晩居間にいた父母の元にコンラッドが現われ、自分から進んでベスにキスをした。しかし、ベスは抱き返すことなくそのままの姿勢でじっと固まっていた。夜中に目を覚ましたベスは、階下の部屋で1人泣いているカルヴィンの姿を見て当惑する。彼は妻に初めて君への愛があるのかわからないと本心を告げた。

 明け方、彼女は家を出て行った。庭で1人立ちつくすカルヴィンのもとに、コンラッドが近づき2人は無言のままいつまでも抱き合うのだった。


ミュージカル「吾が輩は狸である」(於:ブディストホール)

2017-11-24 20:06:17 | 演劇/バレエ/ミュージカル

 

 築地にある東本願寺のなかのブディストホールで、ミュージカル「我が輩は狸である」を観ました。是枝正彦さん作・演出です。


 四国全土の狸一族の次代のリーダーと目されるロミ丸。この地では人間が開拓の名のもとに環境破壊が進み、狸の生活圏がおびやかされていました。ロミ丸はその現状を憂え、人間どもの様子をさぐるため街に出てきます。ロミ丸はかつて修行のため人間界で勉強したことがあり、その時の友達だったノボに協力を頼みます。

 しかし、ノボはジュリ絵という女の子にのぼせあがっていました。ロミ丸はノボに逆に恋の手助けを依頼されてしまいます。ジュリ絵の父親は開発推進派で、狸族にとってはやっかいものですが、娘のジュリ絵は父の考え方に真っ向から反対していました。

 お互いが助けあうことを条件に、ロミ丸はジュリ絵に会いにいきますが、一目ぼれしてしまいます。そしてジュリ絵もロミ丸に惹かれていきます。

 しかし、ロミ丸は狸族の一員、ジュリ絵は人間。一緒になれるはずがありません。しかし、秘薬がありました。それを飲むとロミ丸は人間になることができます。しかし、二度と狸にはもどれません。リーダーになることをあきらめなければならないのです。しかし、ロミ丸は人間になることを決心します。

 ロミ丸はリーダーのドロ兵衛の娘メリタンとの結婚が予定されていました。しかし、ロミ丸がジュリ絵に出会ってからは、疎遠にされてしまいます。メリタンはジュリ絵にも秘薬を飲ませることを考えます。

 ロミ丸は秘薬で人間に、しかしジュリ絵は秘薬で狸に。 さて、この顛末は??

 狸一族の現リーダーを演じた岡智さんは、声量がすごいです。多くのミュージカルの経験を積んだ俳優さんです。ロミ丸の神永圭佑さんは演技、歌とも抜群です。

 朗読劇的要素も取り入れて、風祭ゆきさんが担当していました。長い舞台経験があるので、さすがにオーラがあります。(昨日たまたま見ていた映画[DVD]「セーラー服と機関銃」に出演していました)


 「AKB48」の吉川七瀬さんはジュリ絵役で出演していました。


大林宣彦監督「22歳の別れ-Lycoris 葉見ず花見ず物語」(2006年、119分)

2017-11-23 21:20:08 | 映画

   大林監督が伊勢正三によるフォークソング「22歳の別れ」からイメージをふくらませて製作した作品。この歌は、わたしがかつてカラオケに行くとよく歌ったものだ。

 福岡市の国際貿易会社に勤める川野俊郎(筧利夫)は、1960年代生まれの44歳。淡々とした日々をすごし、気が付けば独身でずっときてしまった。社内には気になる女性、有美がいた。嫌いではない。しかし、結婚までは考えていない。

 有美(清水美砂)は37歳で未婚。彼女は結婚を諦めてはいない。密かに俊郎に想いを寄せている。しかし、二人に距離はなかなか縮めらない。

 ある日、俊郎は訪れた病院で「非閉塞性無精子症」と診断される。子供を持てないことがわかった。打ちをかけるように激しい雨が降る。ずぶ濡れで駆け込んだコンビニで、俊郎の耳に聞こえてきたのは『22才の別れ』だった。唄っていたのはレジの少女、花鈴(鈴木聖奈)だった。

 俊郎と花鈴の間は一気に縮まり、年齢は親子ほどにも差があったが、結婚を考えるようになっる。キッカケができて花鈴の身上を聞いた俊郎は、さらに信じられない事実に衝撃を受ける。それはかつて唄の詩そのままに22才の誕生日に別れた恋人、葉子(中村美玲)にまつわることだった。葉子は実は、俊郎の学生時代の恋人だったのだ・・・。

 思わぬ展開。大林監督のワールドがひろがる。

 


フェデリコ・フェリーニ監督「甘い生活」(イタリア、1960年)

2017-11-20 20:33:34 | 映画

             

 わたしにとって、フェリーニ監督の映画は長くわかりにくものであった。このわかりにくさは、わたしがあまりにも映画にストーリーをもとめすぎたからであるように、最近思うようになった。フェリーニの映画には強いストーリーラインがない。「ない」のにもとめたので、「わかりにくい」という感想になった。

 この「甘い生活」もそうである。下記のような流れには一応なっているが、この映画で描かれているのは、主人公のマルチェロの破天荒な生活ぶりである。それが原因で、同棲している女性との葛藤、大げんかもあるが、全体は最初のローマの大富豪との一夜から最期の乱痴気騒ぎと海辺での奇怪な魚を目にするまで、要はマルチェロのブルジョア世界での破綻を見世物にしているだけである。上掲画像のようなトレビの泉のなかでのシーンも、この主人公(と相手の女性)の奇行である。なぜ、こんなことになったのか、などと意味を求めてはいけない。奇行そのものを撮りたっかたのではなかろうか?

 そういう描き方がフェリーニらしさでであり、魅力なのでもある。

 作家志望でローマに出た青年マルチェロ・ルビーニ(マルチェロ・マストロヤンニ)は、夢を果たせず社交界ゴシップ専門のトップ屋となった。憧れた都は退廃と無気力以外の何ものでもなかった。


 豪華なナイトクラブでマルチェロは、ローマの大富豪の娘マッダレーナ(アヌーク・エーメ)と出会う。マルチェロと一夜をすごすことなど、彼女にとってはほんの気まぐれだった。

 家に帰ると、マルチェロは同棲中の愛人エンマが服毒自殺をはかって苦しんでいるのを見る。マルチェロが相手になってくれないことに絶望してのことであった。マルチェロは反省するが、その後悔も永くは続かなかった。彼はハリウッドの女優(アニタ・エクバーグ)を迎えると、すぐさま野外で狂乱の宵を過し、名所トレーヴィの泉で戯れる。

 そうこうしているうちに、ローマ地方の郊外で奇蹟が起きたとの情報が入った。病人たちは地面に横たわってる奇蹟をまつ。日頃マルチェロのため悩みが絶えないエンマも熱狂して奇蹟を信じた。

 二人は友人スタイナー(アラン・キュニー)の家を訪れる。二人は安らぎに満ちたその生活を羨む。或る夜、豪壮な館のパーティーに参加したマルチェロは、歓楽をむさぼる貴族たちの仲間入りをする。むなしい享楽のなかで、スタイナーは自殺をはかる。子どもたちとの無理心中だった。平和に見えた一家のこの悲劇の深さは、マルチェロの残った夢を奪う。その場限りの快楽にマルチェロはひきずりこまれていく。

 やがて海に近い別荘での乱痴気騒ぎの狂宴。マルチェロは自ら狂乱の中で羽目をはずした。人生とはいった何なのだろう・・・。


オリビエ・ダアン監督「エディット・ピアフ~愛の讃歌~」(フランス、2007年、140分)

2017-11-17 19:56:52 | 映画

          

 シャンソン歌手ピアフの生涯を描いた作品です。抜群の歌唱力で、定評があります。月並みな言い方になりますが、ピアフの前にピアフなし、ピアフのあとにピアフなしです。


 その生涯は波乱に満ちています。路上で歌う母に養われるエディット(マリオン・コティヤール)は、幼少の頃に、祖母が経営する娼館に預けられます。その後、復員した父に引き取られ、大道芸の父の手伝いをしながら人前で歌うことを覚えます。

 1935年、人生の転機を迎える。パリ市内の名門クラブのオーナー、ルイ・ルプレ(ジェラール・ドパルデュー)にスカウトされます。彼女はエディット・ピアフという名で歌手デビューを果たします。

 舞台は大成功し、ピアフは時の人となります。しかし、翌36年、ルプレは何者かに殺害され、後ろ盾を失なったピアフは、著名な作曲家レイモン・アッソにみとめられます。アッソから厳しい特訓を受け、ピアフはシャンソン界にカムバック。

 歌手として栄華を極めたピアフは、1947年、ボクシングの世界チャンピオン、マルセル・セルダンと恋に落ちます。セルダンには妻子がいました。ふたりは急速に惹かれ合い、ピアフの歌も円熟味を増していきます。

 しかし1949年、セルダンの乗った飛行機が墜落。失意の中で、ピアフは代表作となる新曲『愛の賛歌』をステージで歌い、喝采を受けます。その後もピアフは名曲を歌い続けましたが、酒やドラッグに溺れる破滅的な生活を送り、1963年、47歳の生涯を閉じました。栄光のなかにありながら、悲惨な生活をおくった彼女の人生が等身大で描かれてます。

 


大林宣彦監督「異人たちとの夏」(1988年、108分)

2017-11-16 22:10:30 | 映画

    

 大林監督得意のワンダーランド。原作は山田太一、脚本は市川森一。


 妻子と別れ孤独な生活をおくっている原田英雄(風間杜夫)。彼は有能なシナリオライターだが、12歳の時に父母(片岡鶴太郎、秋吉久美子)と死に別れた。父母の突然の交通事故死だった。現在、40歳。

 その彼は浅草で育ったが、ある日、その地に迷いこみ、昔の父母に遭遇する。亡くなったときの父母がそこで暮らしていた。父とビールを一緒にのみ、母がつくったアイスクリームを食べ、昔に戻って懐かしい生活を取り戻す。

 英雄が暮らしているマンションは不思議なところで、住人は彼とひとりぐらしの桂という名の女性(名取裕子)のみ。ある夜、突然、彼女が彼を訪れてくる。いったんは追い返したが、その後、行き来が始まり恋愛関係におちいる。深みに入っていくが、彼女はなぜか様子がおかしい。

 異人とは「幽霊」のこと。父母も桂も幽霊だったのだ。

 その後も英雄はたびたび父母をおとずれるが、桂はもう父母にはあわないでくれと懇願する。英雄は父母とあうたびに痩せていくからであった。その懇願を受け入れる英雄。

 英雄が父母とすき焼き屋でわかれるシーンは、胸をうつ。風間杜夫の演技(表情)がうまい。 


 


市川崑監督「どら平太」(115分、2000年)

2017-11-13 21:03:33 | 映画

                  
 山本周五郎原作です。

 或る小藩。町奉行が不明瞭な辞職を繰り返していました。江戸から望月小平太という新任がやってきました。振る舞いの不埒さから「どら平太」という渾名で呼ばれていました。着任するはずの期日を10日も過ぎても、彼は奉行所に顔をださない始末です。しかし、それはどら平太本人が友人で大目付の仙波義十郎に頼んで、わざと流させた悪評でした。

 実は、彼は密輸、売春、賭博、殺傷などが横行する「壕外」と呼ばれる治外法権と化した地域の浄化にやってきたのです。早速、遊び人になりすまし壕外に潜入した彼は、壕外の利権を分け合っている3人の親分の存在をつきとめます。密輸業を仕切る大河岸の灘八、売春業を仕切る巴の太十、賭博を仕切る継町の才兵衛です。そんな彼らに、腕っぷしの強さと豪快な遊び方を見せつけ圧倒するどら平太。

 遂に、彼は誰もがなし得なかった3人の親分をこらしめることに成功します。彼が奉行として彼らに下した罪状は、死罪ではなく永代当地追放でした。どら平太の本当の目的は、彼らと結託して私腹を肥やしていた城代家老・今村掃部を初めとする藩の重職たちの不正を正すことでした。

 灘八たちに藩と結託していた証拠を無理矢理作り出すことを命じ、それをもって重職たちを退陣に追い込むどら平太。しかし、藩の重職たちと3人の親分の間で私腹を肥やしているもうひとりの人物がいた。それは、義十郎でした。そのことを知ったどら平太の前で義十郎は自害してしまいます。

 どら平太は一度も奉行所に姿を現さないまま役目を全うしました。そんな彼にも苦手なものがありました。7年来の馴染みで、先般、江戸から彼を追いかけてやってきた芸者のこせいです。江戸に連れ帰ろうとする気の強い彼女に捕まってなるものかと、どら平太は次なる赴任地へ駄馬を走らせます……。


「東おんなに京おんな」(二人芝居 岡本麗×鶴田真由)於:東京芸術劇場(ウエスト・シアター)

2017-11-12 20:37:02 | 演劇/バレエ/ミュージカル

    
 岡本麗さんと鶴田真由さんの二人芝居です。


 里佳(鶴田真由)は夫の和彦と2ヶ月前に離婚して、今は一人ぐらしです。釣り糸をたれボッとしていることにはまっていますが、職探しをしています。彼女はかつてエリート社員でしたが、そのプライドの高さがわざわいしているのか、なかなか新しい仕事がみつかりません。その彼女は元夫の和彦の浮気を理由にマンションから追い出しました。
 ある日、和彦の母、みどり(岡本麗)が京都から突然里佳の部屋にやってきました。離婚したことを知らされていなかったみどりは驚きますが、彼女は夫とケンカして家を出て来ていたのです。理由はやはり夫の浮気でした。行き場のないみどりはこのまま里佳の部屋に居すわることに決めますが、里佳は承知しません。しかし、里佳の私生活に遠慮なく介入してくるみどり。

 耐えられなくなった里佳はかつての夫に苦情の電話をかけます。そして里佳は、ある驚くべきことを知ります。みどりが上京してきた理由は、実は彼女の浮気だったのです・・・。

 東おんなと京おんな、ふたりの丁々はっしのわたりあい。これは見ものです。


 


小川有里「強いおばさん、弱いおじさん-二の腕の太さにはワケがある-」毎日新聞出版、2015年

2017-11-11 17:39:22 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

       

 痛快エッセイです。


 還暦前後あたりからの夫婦関係は微妙です。妻(おばさん)が強くなり、夫(おじさん)が弱ってきます。それは生活力が指標になるからです。おばさんたちはそれまでに蓄積した家事、育児の延長で堂々と生きていけます。それに対しておじさんは食事をつくることができず、おばさんにたよらざるをえません。生活の場の地域では、おばさんは知り合い、友達がたくさんいて、強固な情報ネットワークをもっていますが、おじさんは職場からはなれて、地域に知り合いがいないか、関係がうすく、ヒマをもてあましています。

 こうなったらおじさんはおばさんに感謝し、炊事をならっていきていけばいいのに、そんなことは男の沽券にかかわると思うのか、実行に躊躇し、「ありがとう」の一言も言いません。

 おばさんのほうにもいろいろ事情があり、逞しくなった彼女は「おんな」性をぬぎすて、自分をかざることに頓着がなくなります。そんなこんな事情を、ショートエッセイでまとめているのがこの本です。ほんとに笑える本です。

 上記の本の表紙の画像は、歌川広重の「御油 旅人留女」(東海道五拾三次)で、宿屋の女が腕や荷物を強引につかんで旅の男を引き込もうとしている姿をユーモラスに描いたものです。
 

 


日の名残り(The Remains of The Day)ジェームス・アイボリー監督、イギリス、1993年

2017-11-01 23:23:22 | 映画

                       
 
この映画には、三つのポイントがある。一つ目は執事スティーヴンスと女中頭ケントンとの心の奥底で通じあっているが、結局、実ることがなかった密かな愛。二つ目は執事の折り目正しい仕事の内容が丁寧に描かれていること。三つ目はダーリントン卿の館で要人の間で秘密裏に議論される第一次世界大戦後の国際情勢。この映画の特徴は、これら三つの要素が見事な格式の下に調和している。

 舞台は1950年代のイギリス。今はアメリカの大富豪ルイスの執事を勤めるスティーヴンスは、かつてはナチのシンパであった名門貴族ダーリントン卿につかえていた。ナチのシンパだったことから戦後、ダーリントン卿が世間から糾弾され失意のうちに世を去った後、アメリカの大富豪ルイス氏がその邸宅を買い取り、スティーヴンスは執事としての才能をかわれ、邸宅にとどまっていた。新しく女中頭を雇うにあたり、スティーヴンスはかつてその邸宅で女中頭として働いていたケントンに来てもらうべく、一人車に乗ってウェスト・カントリーへ向かった。道すがら、彼は1930年代のダーリントン卿の邸宅を回想する。

 登場するのは執事として働くスティーヴンス(アンソニー・ホプキンス)、女中頭として雇われたケントン(エマ・トンプソン)とスティーヴンスの父。ダーリントンを名づけ親とする彼の親友の子供で新聞記者のカーディナル(ヒュー・グラント)。ドイツ、フランス、アメリカの要人。そして邸宅の大勢の従僕、使用人たち。

 かつて、執事のスティーヴンスは、女中頭ケントンに好意を持っていた。気が強い彼女もスティーヴンスに想いをよせていた。キスや抱擁などのラブシーンが全くないが、二人の間には何かしら通じ合うものがあったことが分かる。ケントンはより積極的であるが、愛情の表現としては執事の部屋に頻繁に花束を持って訪れる程度であった。一度だけケントンはスティーヴンスが読んでいた本に関心を示し、本のタイトルを聞き、明かさないスティーヴンスに迫り、本を取り上げる場面がある。スティーヴンスが読んでいた本は、とるにたらない恋愛小説であったが、真面目一点張りのスティーヴンスがこのような小説に興味を持っていたことが、ケントンに対する彼の愛の表現であり、証であった。品位をたもちつつ公私にわたって個人的感情を慎むことに徹し、気難しいところがある執事のスティーヴンスは、愛情の片鱗すらおくびにもださなかった。ケントンはそのことが不満でならなかった。

 ケントンはかつてスペンサー卿の側近であり、時々居酒屋であっていたベンに求婚された。彼女は消極的ながら求婚を承諾したことをスティーヴンスに伝え、さらに「契約期間を繰り上げて、仕事をやめさせていただきたい」と告げた。彼はひとこと「おめでとう」と応えた。彼女は「ご一緒に長年働いてきてそれだけなの」と返答したが、彼は頷き、「失礼します」とその場を立ち去る。密かに酒造からワインを持ち出すスティーヴンス、自分の部屋に入ってすすり泣くケントン。彼女は諦めて、女中頭の仕事を辞し、邸宅から去って行った。

 この回想のシークエンスの後、スティーヴンスはケントンと再会する。彼女はこのとき結婚が破局をむかえようとしていたが、孫が生まれるとの夫の話しを聞き、再び女中頭として働くことを断念した。ベンからの求婚を受けたとき、「あなたを困らせようとした」と述懐するケントン。最後に雨の中、スティーヴンスは彼女をバスまで送り、二人は互いに昔のことに想いを馳せながら握手をかわす。執事のアンソニー・ホプキンス、美しい女中頭役のエマ・トンプソンの演技は、見事と言うほかはない。

 この映画は単に「女と男の愛情」のひとつの形を示しただけでなく、一九三〇年代後半のヨーロッパの国際情勢を視野に入れ、ダーリントン邸で開催されたドイツに対する外交姿勢をめぐる会合がエピソードとして挿入されている。映画の品位と監督の手堅さが感じられる。