【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

クラレンス・ブラウン監督「子鹿物語(The Yearling)」(アメリカ,1947年)

2020-02-29 11:55:10 | 映画



愛情をこめて子鹿を飼うジョディ少年の心の成長を中心に,開拓農家の家族の厳しい生活を描いた作品。

南北戦争に従軍して以来,人間嫌いになったペニィ・バクスター(グレゴリー・ペック)は妻オリー(ジェーン・ワイマン)とともにフロリダの雑木林を切り開いて出来た土地に暮らしていた。時代設定は,1878年。自然と戦いながら農業をなりわいとするペニィ。妻オリーは台所仕事で生活を支えていた。二人の間には,息子ジョディ(クロード・ジャーマンJr.)がいたが,他にも既に死んでいた子が何人かいた。開拓の生活は,それだけ厳しかった。オリーの心は時に閉ざされ,その表情は頑なで,怒りっぽかった。

開拓生活での自然の厳しさとの闘いは,この映画でいろいろなシーンとして出てくる。野生の熊が家畜を襲うという場面もそうであるし,一週間ほど,降り続いた雨で収穫間際の農産物が大損害を受ける場面もそうである。そのような時,父親のペニィは言う「人は時に徹底的に打撃を受ける。再起不能かと思う。もう立ちあがる力もないと見えるが,しかし,立ち直る。広くはない私たちの世界だが,これに感謝しよう」と。自然との闘いを克服するには,不屈の楽天的資質が必要なのである。



ミケランジェロ・アントニオーニ監督「夜(La Notte)」(イタリア,1961年)

2020-02-28 16:53:27 | 映画









もつれる愛。殺伐たる愛。疎外された現代人の心象風景,愛の喪失感を追求した映画監督にミケランジェロ・アントニオーニがいる。

この作品は,夫婦の間にしのび込む愛の風化を描いた作品である。何が原因というわけではなく砂糖菓子がくずれるようにかわき,萎えていく疎外された愛,これがこの作品のテーマである。難解全編を包む男女のアンニュイ(倦怠)な感覚,女と男の疎外された心象風景など,独特の雰囲気が漂う。主人公は、結婚10年を迎えた作家のジョバンニ(マルチェロ・マストロヤンニ)と妻リディア(ジャンヌ・モロー)。


フリッツ・ラング監督「メトロポリス(Metropolis)」(ドイツ,1926年)

2020-02-27 16:36:32 | 映画






今から95年ほど前に作られたラング監督の最高傑作。もちろん無声映画である。
脚本を書いたティア・フォン・ハルボウはラング監督夫人。完成時の上映時間は3時間だったが,公開時に2時間半に再編集され,その後散逸したオリジナル・フィルムをG・モロダーが可能な限り収集し編集した。これが現存版の「メトロポリス」である。 

摩天楼が聳え立つ空想未来都市メトロポリスのセット,工場内部のメカニックなセット,人造人間製造の設備など怪奇幻想的でありながら,ファンタスティックでもある。登場する俳優の演技,形相は迫力があるうえ,労働者集団の動きと流れにも唸らされる。サイレント映画とは思えないほどの力感に溢れている。SF映画であるが,社会が支配階級(資本家階級)と被支配階級(労働者階級)から成るという階級的視点がズバリとまずあり,最後に頭脳(精神労働)と手(肉体労働)の間に心の仲立ちがなければお互いに理解し合うことはできないというメッセージが示される。

舞台は2026年を想定した未来都市。ラングは100年後の未来を映像化したのである。機械文明が高度に発展した,ビルが空高く聳え立つとある都市は,二つの社会から成り立っていた。地上は富を誇る支配階級が暮らす街,もうひとつは地下深くにある貧しい労働者階級が住む町,その上層に工場があった。彼らには自由はなく,過酷な労働に従事していた。地下に住むある労働者の娘マリア(ブリギッテ・ヘルム)は平和をとき,その考え方は労働者のあいだに浸透していた。

ラストで正義とは愛の力によるものであり,真実とは心の働きによって導かれることを,1920年代に力のある映像で示したことに驚嘆する。

バズ・ラーマン監督「ダンシング・ヒーロー(Strictly Ballroom)」(オーストラリア,1992年)

2020-02-26 16:35:08 | 映画


ストーリーは?

かつてプロのダンサーで,現在ダンス教室を経営するシャーリーとダグを両親に持つダンス界期待の若手スコット(ポール・マーキュリオ)は,社交ダンスのルールを無視した新しく,客受けするステップを自分勝手に取り入れる。そのためパートナーだったリズに愛想をつかされ,コンビを解消した

そこに不細工で不器用なダンスの初心者,フラン(タラ・モーリス)が現れ,スコットのパートナーになりたいと申し出た。初心者の彼女は大胆にも,自分がスコットのパートナーになって汎太平洋選手権大会に出場したいと願っていたのだった。

彼女には,ひとつだけ才能があった。それはフラメンコのステップを踏めるということだった。そのステップを目の当たりにしたスコットは,驚く。スコットとフランとの大会に向けた猛練習が始まった。レッスンを続けるフランは,徐々に上達,顔つきもよくなってくる。さて、このあと展開は???



三遊亭小遊三一門の講談会(於:よみうり大手町ホール)

2020-02-24 17:56:40 | 古典芸能


昨日は「よみうり大手町ホール」で、落語を聴いてきました。三遊亭小遊三一門の講談会です。三遊亭遊里さん、三遊亭遊馬さん、三遊亭遊雀さん、三遊亭小遊三さんが順に噺をし、途中で「ナイツ」の漫才、桂小すみさんの音曲が入るという趣向です。久しぶりの落語で楽しみました。漫才を生で聴いたのは初めてです。おかしすぎます。

余談ですが、丸ノ内線の地下鉄にのったさい、前の席に一列にすわっている老若男女が全員、大型マスクをして、スマホをみている光景は、異様でした。わたしはノーマスク、普段と同じいでたちでした。



アンジェイ・ワイダ監督「コルチャック先生(Korczak)」(ポーランド/西ドイツ,1990年)

2020-02-07 20:38:13 | 映画


第二次世界大戦下でのナチのユダヤ人迫害の実態を,実在したユダヤ人,ヤノシュ・コルチャックの人生観に焦点を絞って描いた作品。
コルチャク先生(ボイチェフ・プショニャック)は小児科医,教育者。ラジオのパーソナリティーをつとめ,ユダヤ人の子どもたちの孤児院院長でもあった。映画の最初で,コルチャックはラジオ放送で,次のように言う「わたしは子どもが好きです。これは献身とは違う。子どものためではなく,自分のためなのです。自分に必要だからです」。 
1937年9月,ドイツがポーランドに侵攻。ワルシャワに住むユダヤ人,あるいは外部から入って来たユダヤ人は,組織居住に関する命令によりゲットー(強制的に定められたユダヤ人特別居住地区)に閉じ込められ,悲惨な生活を余儀なくされた。孤児院にいた子どもたちもゲットーに移住させられた。コルチャック先生は200の子どもたち,数名の先生ともにゲットーに入った。
映画のラストシーンは,強制収容所に向かって走行する列車の一両がはずれ,野原のような場所で虐殺された子どもたちが列車から飛び降り,コルチャックとともに天国にむかって駆けてゆくという幻想でしめくくられている。何度も自らが助かるチャンスがあったにもかかわらず,コルチャックが子どもたちとともに生き,子どもたちとともに死んでいったのである。子どもたちは、彼にとってかけがえのない存在だったからである。
彼の本名はゴールドシュミット。「コルチャック」は筆名である。彼の著書『子どもの権利の尊重』は,1989年に国連総会で採択された「子どもの権利条約」の下敷きになった。






アンジェイ・ワイダ監督「大理石の男(Człowiek z marmuru)」(ポーランド、1977年)

2020-02-06 22:15:37 | 映画


スターリニズムがはびこっていた時代のポーランドに生きたある煉瓦工の悲劇を、映画大学の女子学生アグニェシカ(クリスティナ・ヤンダ)がテレビ局のドキュメンタリーとして作品に仕上げていくプロセス(結果的に「没」となる)を綴った作品。

1976年のポーランド。映画大学の女子学生アグニェシカは、50年代の労働英雄の姿を描くことを卒業制作のテーマとし、調査に入った矢先、博物館の倉庫の隅に放置されていた煉瓦積みエマテウシュ・ビルクート(イェジー・ラジヴィオヴィッチ)の彫像を発見する。
ビルクートは、戦後、大工業プロジェクトの建設に従事した労働英雄だったが、現在の消息は不明だった。アグニェシカは、複数の生き証人との面接を通じて、一人の労働者が一時、英雄として扱われたものの、その後ある事件で仲間をかばったために刑務所に入れられ、離婚させられた顛末を浮き彫りにしてゆく。

しかし、1950年代の状況を探ることで政府からにらまれることを忌避するテレビ局の上司は、当のビルクートが見つからないことを表向きの理由として、企画を没にする。アグニェシカは失望するが、父親の「カメラがなくても本人を見つけるべきだ」との言葉に励まされ、追跡を続行する。そして、ビルクートの息子がグダニスクの造船所で働いていることをつきとめ、その結末は・・・。



アンジェイ・ワイダ監督「大理石の男(Człowiek z marmuru)」(ポーランド、1977年)

2020-02-06 22:15:37 | 映画
スターリニズムがはびこっていた時代のポーランドに生きたある煉瓦工の悲劇を、映画大学の女子学生アグニェシカ(クリスティナ・ヤンダ)がテレビ局のドキュメンタリーとして作品に仕上げていくプロセス(結果的に「没」となる)を綴った作品。

1976年のポーランド。映画大学の女子学生アグニェシカは、50年代の労働英雄の姿を描くことを卒業制作のテーマとし、調査に入った矢先、博物館の倉庫の隅に放置されていた煉瓦積みエマテウシュ・ビルクート(イェジー・ラジヴィオヴィッチ)の彫像を発見する。
ビルクートは、戦後、大工業プロジェクトの建設に従事した労働英雄だったが、現在の消息は不明だった。アグニェシカは、複数の生き証人とのイ面接を通じて、一人の労働者が一時、英雄として扱われたものの、その後ある事件で仲間をかばったために刑務所に入れられ、離婚させられた顛末を浮き彫りにしてゆく。

しかし、1950年代の状況を探ることで政府からにらまれることを忌避するテレビ局の上司は、当のビルクートが見つからないことを表向きの理由として、企画を没にする。アグニェシカは失望するが、父親の「カメラがなくても本人を見つけるべきだ」との言葉に励まされ、追跡を続行する。そして、ビルクートの息子がグダニスクの造船所で働いていることをつきとめ、その結末は・・・。

フランコ・ゼフィレッリ監督「トスカニーニ-愛と情熱の日々-(Il GiovaneToscanini)」(イタリア,1988年,110分)

2020-02-05 21:37:41 | 映画


20世紀初頭の大指揮者の青春ドラマです。チェロ演奏家であったイタリア,パルマ出身のトスカニーニ(C・トーマス・ハウエル)がブラジルで偶然、指揮者になった経緯,この国の奴隷制度への批判,さらにはオペラ歌手ナディダ・ブリチェフ(エリザベス・テイラー)との出会い,修道女マルゲリータ(ソフィー・ウォード)との愛といったエピソードが盛り込まれ,面白い伝記映画です。演奏される曲は豊富で,最後の場面のヴェルディ「アイーダ」も聴きごたえがあります。
小気味良いストーリー展開。混乱に調和を与えるのが音楽であり,調和の世界が神の世界であるという音楽観が示されたり,自由を求める戦いは人類すべての戦いに他ならないという社会観が示されたり,こうしたコンセプトがストーリーのなかにうまくはまっています。

ジョージ・シートン監督「喝采(The Country Girl)」(アメリカ,1954年)

2020-02-04 21:29:50 | 映画


ジョージ・シートン監督「喝采(The Country Girl)」(アメリカ,1954年)

華やかなハリウッドの片隅に咲いた感動的な夫婦愛。歌手で再起を目指す気の弱い夫と気丈なその妻をビーン・クロスビーとグレース・ケリーが好演している。とくにグレース・ケリーが見事である。原題のThe Country Girlには、たくましい田舎娘のニュアンスがでている。

フランク・エルジン(ビーン・クロスビー)とジョージー(グレース・ケリー)は結婚生活十年。かつてはレコードに歌をふきこみ,舞台でならしたフランクは,今では年齢も重み,全く精彩がなかった。息子のジョンを車の事故で失って以来,そのことが頭を離れず,その責任にさいなまれていた。不安や悩みを解消するためにアルコールに依存し,中毒の一歩手前。手首を切って自殺未遂をはかったこともあった。

そのような夫を何とか立ち直らせたい妻ジョージーは,勝気で,意志が強い女性であった。そこに演出家トッド(ウィリアム・ホールデン)の計らいで、舞台の主役の話がフランクにもちこまれた。受けるしかない。しかし、弱気の彼はこの話にも優柔不断である。結局、引き受けることになるが、リハーサルの段階から,弱気で精彩がない。さて、この顛末は・・・・。演出家トッドとジョージーの関係もはらんで、事態は予想外の展開をとげる。









イングマール・ベルイマン監督「秋のソナタ(Hostsonaten)」(スウェーデン,1987年)

2020-02-03 23:44:29 | 映画

母と娘の確執を扱った作品。イングリット・バーグマンとリブ・ウルマンの好演が光る。

母親のシャルロッテ(イングリット・バーグマン)は,ピアニスト。若い頃から演奏旅行,そのための練習で忙しく,また自分勝手で気ままな性格であった。かつてヨセフという夫がいて,エヴァ(リブ・ウルマン)とレナという二人の女の子をもうけた。その後,レオナルドという男性と13年連れ添ったが,死別した。成長して現在,教区で働いている娘のエヴァが母親を呼ぶ。7年ぶりの再会であった。エヴァは高校,大学を卒業したあと,医者と婚約して,数年間同棲したが結核にかかり,婚約解消。現在の夫のヴィクトルと結婚したが,エリックという男の子を4歳の時に溺死で失い,子どもの御墓にもうでることを日課としていた。

エヴァとシャルロッテは最初こそ,久方ぶりの再会を喜びあったが,しだいに会話が険悪になる。エヴァは言う。母と娘とは何と恐ろしい,きっても切れない絆なのか,母親の不幸は娘の不幸であると。そして最後に,エヴァは母親のシャルロッテに,あなたは人生とうまく取引しているけれど,いつか「つけ」はまわってくる,罪の意識にさいなまれることになると罵しった。これに対して,シャルロッテは子育ての頃が辛い時期だったこと, 自分も昔の記憶がなく,母親からの優しさとか,温かさを思い出せなかったと弁解するが,エヴァのあまりの剣幕に思いあたることが多かったのか,私が悪かったと娘に許しを乞うた。

シャルロッテは,エヴァの家を後にした。エヴァは慌てて帰っていった母を想い,昔のことで恨みをさらけだし悪いことをした,もう会うこともないと感じながらも,ママを忘れない,互いに助け合うこと,いたわり合うことが大切で,それは手遅れでも諦めないと詫びの手紙を書くのであった。




ロベルト・ロッセリーニ監督「ストロンボリ/神の土地」(イタリア、1949年)

2020-02-02 23:42:42 | 映画

タイトルにある「ストロンボリ」は、イタリアの南部、地中海のエオリア群島に属する島の名である。

第二次大戦後、カリン・ビオルセン(イングリッド・バーグマン)はローマの難民収容所で、アルゼンチンに行くことに希望をもちながら、日々を過ごしていた。唯一の気が紛れたのは、シシリー島出身の漁夫で捕虜のキャンプにいたアントニオ(マリオ・ヴィターレ)との会話だけであった。アントニオは、しだいにカリンを愛するようになる。他方、彼女のアルゼンチン行きは書類の不備でかなわなくなった。夢破れたカリンはアントニオとの結婚に同意し、二人は彼の故郷、エルオ群島の北端ストロンボリで住むことになった。

ストロンボリは巨大な活火山を中央にもつ荒廃の地であった。カリンはすぐにここの世界に絶望する。島を出ることを懇願しても、アントニオは頑迷に「ウン」と言わない。牧師(レンツォ・チェザーナ)の助けをかりて島を脱出しようとしたが、牧師は彼女の依頼にのらない。自暴自棄になった彼女は・・・。

漁民たちのまぐろ漁(大漁)、火山の爆発のシーンが圧巻。一人山を逃げるバーグマンの体当たり演技は記憶に残るすごさである。







ルネ・クレマン監督「巴里の屋根の下(Sous les toits de Paris)」(フランス、1930年)

2020-02-01 23:43:45 | 映画


「パリの屋根の下」ならぬ「パリの空の下」にうごめく人々の哀歓を描いた作品です。ルーマニア出身の若い女性ポーラをめぐる男性たち(アルベール、ルイ)の葛藤がテーマです。ルネ・クレマン監督の初期のトーキー作品で、シャンソンと主要な対話の他は、部分的に無声映画の趣を遺しています。

 開巻はパリの下町の屋根が映し出され、大道艶歌師アルベール(アルベール・プレジャン)が歌をうたい、ルイ(エドモン・グレヴィル)が二人を囲む人々に譜面を売っています。二人は譜面売りでの、その日暮らしの様子。ひとしきり歌をうたうと、カフェで飲み食いしています。そのカフェで、ポーラという可愛い女性が背の高い男にからまれていました。ふたりは娘を助けようとします。これを切掛けにドラマが動きだします。アルベールとポーラの間に愛が芽生えたり、背の高い男の罠にアルベールがはまって刑務所入りしたり、出所するとルイとポーラに新しい関係ができていたりと、展開していきます。