【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

夜の法善寺横丁

2009-07-31 00:19:01 | 旅行/温泉
画像は夜の法善寺横丁です。

 大阪はミナミ、なんばの近辺、千日前通りと御堂筋が交差する信号より東へ向かい、戎橋を通過し一筋目を北に進むと、右手に法善寺横丁の入り口が見えます。小さい入口で気がつかず通りすぎてしまいかねません。ましてや夜ですとわかりにくいのです。

 横丁に入ると表通りとは全く異なる雰囲気です。狭い道の両側に軒を並べるお店が独特の空間を作り出しています。石畳の路地を歩くと、線香の香りがほのかに漂ってきます。

 横丁の中心にある法善寺は、「水かけ不動さん」の名で親しまれている不動明王です。商売繁盛、恋愛成就などさまざまな願いをこめて、お詣りする人がひきもきらず水をかけてお祈りしています。

 法善寺横丁というと織田作之助の小説「夫婦善哉」です。水かけ不動さんの隣にある、ぜんざい屋が舞台になりました。今は法善寺MEOUTOビルとしてリニューアルされています。

  もともと浄土宗天龍山法善寺の境内の露店から発展したのが法善寺横丁です。二度の度重なる火災から街の存続が危ぶまれたこともありました。

  横丁に入ってすぐのところにあるお寿司や「一心」に腰をおちつけました。そこで握りを食べ、日本酒をたしなみました。お客はだれもいませんでした。お店の人と大坂の話、東京の話とか、がいろいろでした。いい気分になってホテルに戻りました。

大坂の食の文化は??

2009-07-30 00:15:57 | 医療/健康/料理/食文化
大坂の食(大坂散歩②)

 たった2日程度で、大阪の食がどういうものかを語るのは無謀です。生わかりで書くとあちこちから叱責を受けそうです。

  それでもいくつか気づいたことがあります。「串カツ」というと東京では、そして北海道でも、つまり東日本では豚肉を串でさして揚げたものですが、大坂で「串カツ」を注文したら海老とか、野菜とかを串にさして揚げたものが出てきました。もちろんそのなかには豚肉もありましたが、関東ではこれは「串揚げ」です。「串カツ」とは言いません。大変おいしかったので(地下鉄「大坂港」駅のそばの「帆(はん)」というお店です)よかったですが、文化の違いをまず「串カツ」で感じました。

 次にオムレツの出るお店が多いなと思いました。喫茶店に入ってもオムレツ、どこにもオムレツがあります。写真は道頓堀ですが、この近くの喫茶店では、わたしの後ろで昼食をとっていた男の人がオムレツを頬張っていましたし、わたしが昼食をとったこの道頓堀の観光客に人気のあるお店も種々のオムレツがメインでした。味はよいです。違和感はありません。ちなみに、この写真、「これがかの有名な道頓堀か」と思わずシャッターをおろした次第です。

 ラーメンは入った店が悪かったのか少々がっかり。淡白で薄味で、麺ばかりが多く、ダメでした。

 食い倒れの街で有名な大阪ですが、にわか観光客には未知の余白が多く、再訪を誓って帰京しました。

暑い大阪に悲鳴、でも懐かしかった大阪城

2009-07-29 00:15:54 | 旅行/温泉

大阪まで、短い旅をしてきました。(大坂散歩①)

 コースは、まず道頓堀界隈を散策、そのあと大阪城を見て、地下鉄で大阪港に移動、そこでサンタ・マリア号にのってクルーズ、夜は法善寺横丁で乾杯というものです。

 3回シリーズにします。まずは、大阪城。とにかく暑い日で、地下鉄を降りて県立歴史博物館で一服。小さな電車が走っているので、それに乗って城の真下まで行きました。熱いのでそこでまたまた茶屋に入り「掻き氷」を注文し、一服といった具合です。

  昔、大阪城を訪れたことがありますが、平成に入って観光用にだいぶ環境をよくしたようです。綺麗になっていました。

 このお城は何回も焼失し、今のものは3代目だそうです。エレベータで5階まであがりました。その眺望のいいこと。しかし、暑い、熱い(ママ)。

 上から下まで順に降りて、見るべきものがたくさんあるのですが、疲れていたのでそれは次回にしました。ざっと見ただけで下りてきて、大阪港に向い、クルーズ。そろそ
ろ陽がかたむいてきたこともあるし、海上なので風もここちよく、ようやく一息つきました。

 パリッ子がルーブル美術館のことをあまり知らないように、大阪の人は存外に大阪城のことを知りません。その日の夕方入ったお店の方がそうでした。わたしの話を聞いて、「あー、そうですか?(知りませんでした)」といった感じでした。

 

 


いかなる理由ありといえど飲むべし

2009-07-28 00:09:21 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談
田村隆一『スコッチと銭湯』角川春樹事務所、1989年
            
        


 著者は詩人です。豪放磊落な性格が文章から滲み出ています。

 自ら酒神と名乗り、詩を書き、酒、それも「ウィスキーと銭湯」を賛えます。

 著者はウィスキーはwhisky とも whiskey とも綴り、産地と蒸留法で意味が変わると蘊蓄をかたむけています。

 簡単に言えば、whiskyはスコッチ式(スコットランド産のスコッチ・ウィスキー、カナダ産のカナディアン・ウィスキー」)、whiskeyはアイリッシュ式(アイリッシュ・ウィスキー、アメリカ産のアメリカン・ウィスキー)です。

 前者は発芽した大麦だけを原料とし、単式蒸留機でつくられるのに対し、後者は発芽していない大麦、ライ麦、トウモロコシに、発芽した大麦を加えた雑穀を原料とする大量蒸留器で作られる、とのことです[pp.34-37]。この後、著者はスコッチ・ウィスキーを求めてスコットランドに飛び立ちます。

 それはさておき、本書には推理小説の大家ロアルド・ダールの話がでてきます。もちろんお酒とのかかわりで、彼の「味」という小説が紹介されています。赤ワインの銘柄あての賭けの話です。

 著者が酒とともに愛したのが銭湯です。銭湯への思い入れは人並みでないですね。本書に収められている「ぼくの銭湯論」を読めばそれがわかります。福沢諭吉が銭湯経営をしていたとは初耳でした(pp.276-278)。

 著者は谷中に暮らしていたこともあるので、「菊の湯」がとりあげられています。映画監督の山田洋次との交友録も入っています。

 オックスフォード大学のヘンリ・オールドリッチ博士を心から尊敬しているようで、彼の次の言葉をひいています、「良酒あらば飲むべし/友来たらば飲むべし/のど渇きたらば飲むべし/渇くおそれあらば飲むべし/いかなる理由ありといえど飲むべし」(p.155)

古代蓮 今に蘇る

2009-07-27 01:03:13 | 旅行/温泉

 行田市に「古代蓮の里」という場所があります。

 昭和46年ころ、この地の池に蓮の葉が浮いているのが見つかりました。地中深くに眠っていた蓮が公共施設工事の際に堀りかえされ、自然発芽したものだということがわかりました。しかも一斉に、あたり一面に大量に発芽したのです。

 これを埼玉大学の植物学の権威である 江森寛一氏が調査したところ、古代蓮だということがわかりました。

 その後、蓮の研究者の神奈川大学の豊田教授が調査研究を進めて、これらの蓮がものすごく古い時代のものであることが判明しました。現在では、行田の古代蓮は1400年前から3000年前のものと推定されています。それらがこの時代まで生き抜いて、花をさかせているのです。感動的です。

 時期は少し盛りを過ぎていて(7月上旬が見ごろ)、咲いている花は少なくなっています。それでも画像[わたしの撮影]のような蓮がみられます。7月上旬だったら、本当に一面の古代蓮で、それはいい眺めのように想像がつきます。

   立て看板によると、ここでは、この他にもコウホネ、アサザ、ウキヤガラ、ガマ、コガマ、ヒツジグサ、ヌマトラノオ、オモダカ、ジュンサイ、ヨシなどの植物がみられるとのことです。

  トンボもたくさん飛んでいますし、夜にはホタルもみられるとのこと。

    今年は行田市政80周年とか・・・


学術論文の技法を学ぶにはこれ!

2009-07-25 00:40:46 | 言語/日本語
斎藤孝『学術論文の技法[第二版]』日本エディタースクール出版部、1998年
                                     学術論文の技法

 平易に書かれた学術論文の書き方です。しかし、最低限、必要なことは全部入っています。

 専門家の論文でも、「これは?」というものが時々あります。例えば、文献注で、「著者名、書名、出版社、出版年」とあって最後に句点がついていないものです。これについては「注においてはこのような文献名についても一つのセンテンスと考えるので、最後に句点(。)をつけることを忘れてはなりません」(p.113)とわざわざと書いてあるので、忘れているか、つけないものと思っている人が多いのではないでしょうか。

 最後のほうに面白いことが書いてありました。カードの整理は下手だが、立派な業績をあげている人はたくさんいる、反対に、カードは立派に整理されているが、一向に論文としてまとまらない人がいる、と(p.161)。

 そして「結局のところ、論文をどのように作り上げるかは、自分の創意と工夫にかかってきます。そして、創意と工夫こそは、本来、学問の精神なのです」と結んでいます(p.162)。巻末の「文献をさがすための文献一覧」は充実しています。

ママを失くした女の子の心理と行動を描いた映画「ポネット」

2009-07-24 00:11:06 | 映画

ジャック・ドワイヨン監督「ポネット(Ponette)」(仏,1996年

                

 4才の女の子ポネット(ヴィクトワール・ティヴィンソル)が母の突然の事故死を現実的に受け入れるまでを描いた物語です。

 舞台はプロヴァンスのある村。母親を自動車事故で失ったポネットは死の意味がわかりません。いつかママにあえると,おまじないやお祈りをするポネット。

 ポネット自身はその事故でケガをして左手にギブスをつけ,ヨヨットという大切な人形をいつももっています。

 父親は最初,ポネットに「ママはひどいケガで死ぬかもしれない」と言うが,そのうち「ママは死んだ,わかるよね」とさとします。

 ポネットはママの死がよくわからないのです。ママとおしゃべりがしたく,ママと遊びたいと思っています。そのためにいろいろなことを試みます。

 父親はそんなポネットに「ママを待つなんて少しおかしいぞ。神様なんていない。神様は死んだ人たちのもの。ママを神様とイエス様とおさせてあげなさい。おまえは命のある世界,パパたちの世界に住んでいるんだ」とさとします。

 しかし,ポネットは納得せず,ママとの会うてだてを考え,おまじないを唱えたり,小さなプレゼントを探したりです。目をつぶってのお祈りもそのひとつ、「全能の神様,ママは死にました。神様と一緒のはずです。でもママとお話がしたい。がんばったのに話せません。全然こたえてくれません。お話するように伝えてください」と。

 そして,「私がお祈りしたことを伝えてくれましたか。ママと神様のために祈りました。病気ではないけど,ベッドでまっています。こうすれば誰も気づかずに秘密にできます」と言います。

 ママと話しをしようと,様々な努力を試みるポネットは何も変わらない現実にかなしくなり,とうとうママのお墓のところまでひとりでいきます。お墓に花をそななえ,墓標をみつめ,そのうち手で土をほりはじめるポネット。

 そこにママがあらわれます。ママはポネットに事故死してことについて,また生き方について語りはじめます。事故死したのは「死に逆らわないで,楽な方をえらんだの。闘わないで身をまかせたの」と。そして「夢のなかで遊ぼう,ママの想い出をつかまえて。命あるうちに何でもして。全部楽しんでから死ぬの,大切に生きるの。私の娘なら難なく生きていける」と励まします。

 
ちょうどそこへママの幻影と話をしていたポネットをさがしにパパがきました・・・。

 主演は4歳の女の子。母を失った幼な子の気持ちをもって自然体で演じました。それを演出し、映画にした監督も凄いです。


ヘンリー2世の王位継承問題を描く「冬のライオン」

2009-07-23 02:00:16 | 映画

アンソニー・ハーヴェイ監督「冬のライオン」(英,1969年)

            商品画像:冬のライオン(68英)

 この映画は,イギリス国王ヘンリー2世(ピーター・オトゥール)の王位継承問題をめぐってシノン城内部で展開された複雑な葛藤劇を映画化したものです。

 
1183年,国王はクリスマスを祝う目的で一族を招集します。集まったのは,反乱を企てた咎で10
年間ソールズベリーに幽閉されていた王妃エレノア(キャサリン・ヘップバーン),次の王位の座を争う3人の息子リチャード(アンソニー・ホプキンス),ジェフリー(ジョン・キャッスル),ジョン(ナイジェル・テリー)。

 一族招集の目的は王位継承問題に方向性をだすことで,国王は末子ジョンを推すのですが,王妃は長子リチャードの権利を主張し対立,互いに譲りません。

 王位継承問題で血のつながった者同士による争いのさまの描き方は,堂々として見事です。これにフランス国王フィリップ(ティモシー・ダルトン),フィリップの姉でヘンリー2世の愛人であるフランス王女アレース(ジョーン・メロウ)が絡みながら物語は進んでいきます。

 国王役のピーター・オトゥールと王妃役のキャサリン・ヘップバーンの掛合は,演劇の世界のしれです。それもそのはずで,この映画はもともとジェームズ・ゴールドマンの舞台劇だったようです。物語は彼らの絶妙なセリフ回しと,虚々実々の駆け引きが中心となって展開されます。

 自分を乗り越えて王位につく継承者の登場を望みながら、他方で権力に執着する国王,父である国王の陥れをたくらむ息子たち,国王の寵愛を再度取り戻そうとする女王。複雑な人間関係と巧妙なやりとり,そして愛と憎しみの激しい葛藤で,最後まで目が離せません。

 史実では,ヘンリー
2世の後継者はリチャード1世,後に第3回十字軍を率いて遠征します。この間,弟ジョンは反乱を起こし,リチャードの死後,王位を継ぎます。

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親子ほどにも年のはなれた二人のはかない愛(「ヘッドライト」)

2009-07-22 01:30:17 | 映画

アンリ・ヴェルヌイユ監督「ヘッドライト(Des Geno Sans Importance)」(仏,1955年

       ヘッドライト

 初老のしがないトラック運転手ジャン(ジャン・ギャバン)と街道の宿屋を兼ねたドライブインの若い女中クロチルド(フランソワーズ・アルヌール)との哀しい恋の物語です。

 物語はこの運転手ジャンの回想から始まります。ボルドーに近い街道沿いの宿屋で仮眠をとる彼の脳裏に,今は亡きクロチルドの面影がちらつくのです。

 一年前のクリスマスの夜,長距離運転でたちよった食堂兼宿屋に女中クロチルドがいました。ジャンは彼女を気に入り,彼女も彼がくると嬉しそうにふるまうのでした。

 いつしか,ふたりの間に愛情がかよいあいます。ふたりは親子ほどにも年が違います。ジャンには長年の貧乏暮しで潤いのなくなった妻と生意気盛りの娘がいますが,家庭はジャンが夜勤の仕事から戻っても迎えの愛想もなく,すさんでいました。

 この陰鬱な生活から逃れたいと思っていたジャンの気持ちとクロチルドの一途な愛情でふたりは結ばれ,この関係はジャンにとって生甲斐がとなりますが,生活の現状を壊して新しい境地を見出そうとするまでの元気はありません。彼女にはそれがわかっていました。

 しかし,ジャンがクロチルドとの新しい生活を決心したとき,彼は雇い主との諍いで首になり,収入源をたたれてしまいます。それっきり彼はクロチルドのところに通うことができなくなってしまいまいした。

 彼女はそのとき妊娠していましたが,ジャンの音沙汰のないことに心を痛め,会社のジャン宛に手紙を出すものの,手紙は首になった本人に届くはずもありません。

 彼女は思い余ってパリに出,ようやくジャンにあいますが妊娠のことを打ち明けることはできません。この事実をジャンは後日(クロチルドが堕胎の手術をした翌日),会社から家にまわってきた手紙をみて知ります。

 そんなとき,かつての同僚がジャンに新しい運転手の仕事をもってきてくれたので,ジャンはクロチルドを連れだし,とりあえず例の宿屋に彼女を預けようと同乗させて出発しますが,彼女は手術の出血がとまらず,衰弱していきます。

 ヘッドライトをつけたトラックは暗い雨の街道をひた走るのですが,・・・・。

 ジョゼフ・コスマのメロディは、貧しい生活者の人生のじゃかない愛と悲しみを哀しく訴えて流れていきます。


  原題の”Des Geno Sans Importance”は、「とるに足らない(しがない)奴ら」という意味です。 


アメリカがまだ正義とは何かを訴えることができた時代の名作「スミス都へ行く」

2009-07-21 01:02:08 | 映画

フランク・キャプラ監督「スミス都へ行く(Mr. Smith Goes to Washington)」(米、1939年)

                スミス都へ行く


 キャプラ監督による社会的ヒューマニズム映画の代表作です。正直な人間が、力の限りで不正に戦いを挑む姿勢を、ユーモアと皮肉もまじえて描き出しています。


 ある州の上院議員が急死、欠員ができました。早く後任を埋めなくてはなりません。同僚のペイン(クロード・レインズ)は、政財界の黒幕(エドワード・アーノルド)や知事(ガイ・キビー)と企んで、不正な利益を狙ったダム建設法案を議会で通そうとします。そのためには、政治に無知な誰かを操り人形に仕立てなければなりません。

 知事が白羽の矢を立てたのが、ボーイ・スカウト団長のジェフ・スミス(ジェームズ・スチュアート)でした。政界事情など全く知らぬ男です。

 父の友人であったペインに頼られたスミスは、天にも昇る気分でワシントンへ向かいます。ワシントンに到着すると、スミスは議事堂、崇拝するリンカーン像を前にして、夢見心地です。

 理想と正義に溢れるスミスは、お目付役の秘書サンダース(ジーン・アーサー)の協力を得て、故郷の村に少年のためのキャンプ場を作ろうと活動し始めます。しかし、その場所は何とペイン一味がダム建設を画策していたのと同じ場所でした。一味は大あわてです。あらゆる手段でスミスを叩きつぶそうとします。
 

 絶望に打ちひしがれたスミスは、記念堂のリンカーン像の前にすわり込みます。涙が溢れます。密かにつけてきていたサンダースが彼を励まします。スミスのアメリカン・ドリームを大切にして生きる姿に心を打たれたサンダースは、彼の味方となり、ペイン達の陰謀に立ち向かう決心をします。スミスは再び立ち上がります。


 クライマックスは23時間半に及ぶ議会でのスミスの大演説です。この作品の最大の見せ場です。大変な迫力です。演説の間に沸騰する世論の凄まじい勢いは、まさしくアメリカの正義のパワーを見せつけるような感じです。

 正義が勝利するラストは痛快ですが、そのあたりのストーリーは是非みてください。感動のフィナーレです。

 ジェームズ・スチュアートは、理想を追求する正義漢を好演しています。

 時代を経ても、内容的に少しも劣化しない名作です。


開拓の過酷な生活のなかで育っていくジョディ(「仔鹿物語」)

2009-07-20 00:03:12 | 映画

クラレンス・ブラウン監督「仔鹿物語(The Yearling)」
                      (米,
1949年


                    


 仔鹿を飼うジョディ少年の心の成長に焦点をあて、開拓農家の家族の厳しい生活を愛情こまやかに描いた作品です。原作はピューリッツァー賞を受賞したマージョリー・キナン・ローロングスの同盟の小説。

 南北戦争に従軍して以来,人間嫌いになったペニイ(グレゴリー・ペック)は、妻オリイとともにフロリダ北部の原始林開拓に従事していました。自然と戦いながら農作をするペニイ。妻は台所仕事でそれを支えています。

 ふたりの間にはジョディという名の11歳の息子がいました。ジョディは森の動物が大好きでした。ある日、家畜として飼っていた牛と豚が大熊に食い殺されたので,父は犬をつれ熊退治にでかけます。しかし,熊は犬と闘い,格闘した犬は重症を負います。

 ペニイの豚がまた盗まれました。彼は再び森に入りますが,ガラガラへびに噛まれてしまいます。父は死線をさまよいますが、鹿を射殺しその内臓で毒を吸い取り、かろうじて一命をとりとめます。このとき、ジョディは医者を呼びに走り,その帰り撃たれた鹿の仔を見つけました。ジョディはこの仔鹿を抱いて帰宅します。母親はこのことに小言を言います。ジョディは、仔鹿にフラッグと名づけて可愛いがりまいした。

 ところが、フラッグは父が丹精をこめて育てていた煙草の苗床を荒らしてしまいました。そして、次にトウモロコシも食べてしまいます。父のペニイは,ジョディにフラッグを森に連れて行って撃ち殺してこいと命じます。

 ジョディにはそんなことはできません。父はそんなジョディに,もうお前は子どもではない,生きていくには必要なことなのだと諭すのでした。

 この映画の最後の部分、ジョディは自然の過酷な条件で闘って大きくなっていくための経験をします。胸が熱くなるシーンです。この映画の主題の言語はThe Yearlingはそのことを伝えているのでしょう。


しっかりとした論文を書くには?

2009-07-18 00:09:30 | 言語/日本語
澤田昭夫『論文の書き方』講談社文庫、1977年

                     論文の書き方  /沢田昭夫/〔著〕 [本]
 論文の書き方に類する本は多くありますが、この本はなかでもよくできています。だから、出版年は40年も前ですが、版を重ねているのでしょう(わたしの手許にあるのは56刷り)。

 著者は、類書との違いは本書が論文作成の「過程」面に重点をおいているということにあると言っています。そのとおりです。

 論文作成で重要なのはまず、トピックを定めることとのこと。そして、サブトピック。それが出来ていないで、「問題の場」でとどまっているケースがよくあるとのことです。

 例えば題が「天皇制について」では、「問題の場」にとどまった段階ですが、「天皇制は民主主義の発展を阻止するか」ということであればトピックが提示されていることになります。

 次いで「資料探し」が重要であることが述べられています。上手なカードの作成(現在ではパソコンで可能)は論文のアウトラインと連動し、ひいては自然「発酵」するかのように論文ができあがってくる、と言っています。そして、資料を批判的に読むことの重要性も強調しています。

 日本人の書く論文はえてして情緒的で、結局何が言いたいのか、論点が定まらず、構成も論理的でない、したがって、問題の所在を明確にし、内容的にも、形式的にもしっかりとした構成のとれた論文を書くにはそれなりの問題意識とトレーニングが必要である、そのための手引書が本書である、ということになります。

 この他、「読むこと」、「話すこと」の意義にも関説して、両者は要するに「書くこと」と同じような構造をもっているのです。

ルナールの小説「にんじん」の映画化

2009-07-17 00:08:30 | 映画

ジュリアン・デュヴィヴィエ監督「にんじん」(仏1932年、91分

                 
 フランスの作家,J・ルナールの小説の映画化です。

 夫婦愛のなくなった倦怠期に生まれた顔中そばかすだらけで愛に飢え,逆境を生き抜いていく少年の姿を描いています。

 フランソワ少年(ロベール・リナン)は,
3
人兄弟の末っ子。赤毛でそばかすだらけで,「にんじん」という綽名がつけられていました。蔑みのニック・ネームです。

 彼の不幸は父と母の愛情が冷え切った時期に生まれたということです。両親から疎まれ,余計物と思われているのでした。兄ふたりはかわいがられていたのですが,末っ子の彼は里子にだされます。

 父の愛情がほしく,道端で父をみると一目散に駆け寄りますが,兄に負い越され,父の抱擁を受けるのは兄だけ,恐る恐る父に近寄ると,汚いと払いのけられてしまうのです。

 父ルヴィック(アリー・ポール)は村長選挙に立候補するので、フランソワの相手などしている暇はありません。

 フランソワは,自殺を考えます。洗面器に顔を突っ込みますが死にきれず,逆に父に一笑にふされます。父は村長選に当選して有頂天,逆にフランソワは孤独感にさいなまれます。

 フランソワは女友達のマチルダに本心をうちあけ,納屋で首を吊ろうとします。村長当選祝いの席上,父のところにマチルダの話しを聞いた里親の爺さんが顔色をかえて,フランソワが自殺しようとしていることを伝えに飛び込んできました。その結末は???


大正初期の建物に情緒あり「はん亭」(根津)

2009-07-16 14:37:33 | グルメ
「はん亭」  文京区根津2-12-15 03-3828-1440

              

  一昨日の本ブログで、森まゆみさんの根津に関する本を紹介しましたが、その中で串焼き屋の「はん亭」について触れました。どんな感じのお店かというと、まず外観は上記の画像にあるとおりです。

 大正時代の爪革問屋で、その後運送会社の寮になっていたのを、現在のオーナーが買い取って内装を串焼き屋に使うように改め、今では人気のお店になっています。外国人もかなり目につきますが、それはやはりこの家屋の情緒にひかれてのことでしょう。

 今回は入り口から入って左手のいす席に座りました。以前は二階に案内されました。そこは座敷のようでした。

 まず、瓶ビール。生ビールはなかったと思います。あとは串焼きが3本づつ替わるがわるきます。あつあつです。串焼きの専門店というだけあり、極上の味と衣です。いくらでも食べられそうです。生野菜もたっぷりついています。

 ひと口に串焼きといってもいろいろな珍しいものが出てきます。「えびのしそまき」「谷中生姜の肉まき」「蓮の肉詰め」「ホタテ貝」「アスパラガス」「茄子の肉詰め」「シイタケの海老ミンチ」「プチトマト」「牛肉チーズ」等々。可愛いおもちゃのような沢蟹もあります・・・・。

ウェールズの炭坑員家族の生活を描いた作品「わが谷は緑なりき」

2009-07-15 00:20:16 | 映画

ジョン・フォード監督「わが谷は緑なりき(How Green Was My Valley)」(米、1941年)118分

         わが谷は緑なりき

「母のショールに荷物をつつみ,二度と戻ることはないであろう,そして
50年前の思い出が眠る谷を離れようとしている」、ヒューの語りでこの映画は,はじまります。

 舞台は
19世紀末のウェールズの炭鉱。末っ子のヒュー,兄であるイアント,イヴォール,デビー,オーエン,ギルムJr,姉のアンハードと7
人の子がいるモーガン家は,ウエールズの貧しい炭鉱員家族です。

 ヒュー少年の目から見た彼らの苦しくとも人間味溢れる生活がきめこまかく描かれ,姉とグリュフィド牧師との愛の行方というもうひとつのテーマもあります。

  モーガン一家は生え抜きの炭坑夫である父ギルム(ドナルド・クルスプ)を中心に、ヒュー少年(ロディ・マクドウォール)を除く男兄弟全員は炭鉱で誇りをもって働いていました。

 この幸せな家族に,暗い影が忍び寄ります。まず日当の減額。ダウレスの鉄工所が閉鎖され,失業者が増大し,仕事をもとめる労働者が増えたためです。これに端を発し組合がつくられ,ストライキが提起されます。ストに反対する父と息子のイアントたちが対立。父はスト妨害者として他の炭鉱員から白い目で見られます。

 グリュフィド牧師(ウォルター・ピジョン)と父の奮闘でストは回避されますが,息子のギルムとオーエンは炭鉱に見切りをつけアメリカに旅立ちます。

 姉のアンハードは谷に赴任してきた理想家グリュフィド牧師に秘かに愛情を抱くのですが,牧師は質素,清貧の生活をアンハードに味わわせるのは忍びないと、彼女の愛を受けません。その彼女はあきらめて炭鉱主エバンスの息子と不本意な結婚をし,その後ウエールズを離れケープタウンに向かいます。(その後、姉は単身でウエールズに戻ってきます。)

 ヒューは生来、負けず嫌いで、頭もよく大学にいくことが期待されていましたが、結局、大学は諦め自ら炭坑夫になります。

 炭坑に事故は絶えません。イヴォールはトロッコの下敷きになって不慮の死。直後,妻に子どもが誕生します。

 そのほか、さまざまな人間関係が展開されます。悲劇は炭鉱で落盤事故がおこり,父がこの事故に遭遇し亡くなったことです。

 事故と常に向かいあい,かつ過酷な労働条件にある炭坑労働者の生活と,そこで生きる人々の人生を深い愛情でみつめたジョン・フォードの傑作です。

 コーラスを取り入れた音楽の使い方が見事で,映画にとって音楽がいかに重要な効果を発揮するかを示した作品です。