【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

遠藤周作「生き方上手 死に方上手」文芸春秋社、1994年

2010-05-31 07:51:45 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談
             
  寝転がって読んでいました。この本はいろいろなところで書いた記事をまとめたらしいのですがどのようなコンセプトで編集されたのか、それを知りたいと思い「あとがき」を読むと、たった4行、「家族が茶の間に集まって、そのなかで、父親が息子や娘に自分の人生経験をふくめてポツリポツリ無駄話をする」とあり、さらに「読者も寝転っころがって、気楽な気持ちで読んでください」と書かれていました(p.297)。見透かされてしまったようです。

 著者は幼いころ満州の大連に住んでいたそうです(「幼き日の大連」[pp.285-286])。このごろ、わたしは満州に関心があるので、このことにまず驚きでした。遠藤さんもそうでしたか、と。

 また、若いころ長期入院していたこともあったせいか、病(やまい)、生と死についての想いが淡々と書かれています。一茶の俳句、「死に支度いたせいたせと桜かな」「美しや障子の穴の天の川」や良寛の「死ぬ時は死ぬがよし」などをひきながら、死を受容することの意味、宇宙のリズムに従う心、死に上手になる手立てについて説いています。首肯することばかりでした。

 関連して治療における心のケアの話(心療内科)、ユングなどの深層心理学者の「同時性」、マイナスをプラスに転じて考えることの重要性、など幅広い哲学的考察、人生観、世界観の開陳が嬉しいです。

 そして、「沈黙」はそこから音が聞こえないのではなく、ナッシングではなく、もうひとつの世界からの語りかけが前提になっての「沈黙」なのだということ(p.265)、「小説とはこの世界のさまざまな出来事のなかから、宇宙のひそかな声を聞き取ることだ」(p.95)という名言は、この作家ならではの真実の言葉だと思いました。

池波正太郎『映画を食べる』河出書房新社、2004年

2010-05-25 00:33:12 | 映画
                                     
                            

 西部劇、チャンバラ劇、任侠劇はもとより、映画を精神の糧としている人の映画四方山話。著者は生来の映画ファンなので、映画をしばらく観ていないと飢餓感に襲われるといいます。麻薬(?)といったほうが適切かも。禁断状態になるというのです。

 わたしとは世代も違うし、好みも違うので、取り上げられた映画はタイトルを聞いたこともないものが多いです。まだまだ観ていないいい映画はあるということです。

 重なったのは「キッド」「ゴッドファーザー」「エマニエル夫人」「タワーリング・インフェルノ」「華麗なるギャツビー」「パピヨン」「ブラザー・サン、シスター・ムーン」「ある映画監督の生涯」など僅か。

 観たことがないのは「狼は天使の匂い」「大本命」「最後の晩餐」「エアポート’75」「ロイ・ビーン」「チャイナタウン」「マクベス」「星の王子様」など多数。

 試写で観て、銀座などでおいしい物を食べ、飲み、仕事をする、著者は有名な小説家。

 絵が上手いこと、美食家であることまでは知っていましたが、舞台劇の演出までしていたとは・・・。だから、映画の文法をわきまえていて、その見方は本格的です。しかし、飾らないところがいいです。自然体で映画を論じています。

1000回目の記事

2010-05-24 00:26:16 | その他
 一昨日の映画の週刊誌の記事が999回目、今回が1000回目です。2007年の春に初めたので3年数か月での達成となりました。文字通り、チリもつもれば山となるです。

 最初は「ブログとは何か」があまりわかってなく、どんなものかと思いながらトライしたのです。毎日、不特定多数に向けて書くことようなこともなく、すぐに終える予定でしたが、次第にはまっていきました。

  最近は、誰かに向って書くというのではなく、自分のための覚え書と位置づけています。あることがどの本かに書いてあったのだが、あの店はどこにあったっけ、というときにブログ検索をかけると出てきます。重宝しています。

 これからも読書を中心に書いていきます。よろしく。

「20世紀シネマ館」No.8,1957年

2010-05-21 00:50:38 | 映画

            

  この号の内容は下記のとおりですが、「道」と「昼下がりの情事」は、とくに印象に残っています(「素直な悪女」のみ未見)。

 「道」は本当に映画らしい映画と思いました。フェデリコ・フェリーニ監督、奥さんのジュリエッタ・マシーナとアンソニー・クィーンが主演です。人生がそこにあったのです。二つの孤独な魂の遍歴を旅芸人の日常生活のなかに描いた秀作です。聖なる心をもつ女と、獣のような男が織りなす物語・・・。相容れぬ二人がゆく「道」にあるものは・・・。ニーノ・ロータのメロディを奏でるトランペット・・・。

 「昼下がりの情事」はビリー・ワイルダー監督の作品。これも人生の奥深さを感じさせます。そして何と言っても、オドリー・ヘップバーンとゲーリー・クーパーの大人の愛です。いや、親子ほどにも離れた男女の愛です。わたしには星の数ほどにも恋人がいた・・・と見栄をはるアリーヌ(オドリー・ヘップバーン)、その言葉を上手に受け止めた実業家のフラナガン(ゲーリー・クーパー)。恋を夢見る若い女性と、人生を知りつくしたはずの成熟した男との軽快なロマンスが見どころです。
 
<コンテンツ>

・「道」([監督物語]周囲の反対を押し切って、妻マシーナをヒロインに起用)
・「昼下りの情事」([監督物語]映画に人生の機微をちりばめた監督ビリー・ワイルダー)
・「戦場にかける橋」([俳優物語]日本人初のハリウッドスター、早川雪洲)
・「汚れなき悪戯」([映画音楽]少年と僧侶たちの日常を歌った「マルセリーノの歌」)
・「素直な悪女」([シネマ物語]“サタン”と呼ばれながら1億ドルを稼いだ作品)

【シネマの神話】
・巨匠フェリーニに嫌われ、大スターに成長したアンソニー・クイン
・“BB(ベベ)”やドヌーヴの官能的魅力を開花させた監督ヴァディム/ほか
・1950年代の名優たち・名画の舞台 『戦場にかける橋』カンチャナブリー(タイ)
・銀幕の主人公たち ブリジット・バルドー
・社会ニュース この年の日本1957年[昭和32年]1~6月
・昭和32年の日本映画 喜びも悲しみも幾歳月


田辺聖子「女の長風呂Ⅱ」文春文庫、1977年

2010-05-20 00:50:31 | 小説
  中山千夏さんが「解説」で、田辺さんの文章が手厳しい内容のわりにふんわりしたものになっている要因として、「笑い」「大阪弁」「カモカのおっちゃん」があることをあげています。そして、田辺さんの独自のスタンスというものをうまくまとめているので引用すると・・・・、

 「田辺さんの内部には、様々な形の権力に対する憎しみと、人間が皆同じ平面に立って優しさを取り交わすことのできるような社会を求める気持ちが、燃えている。/だが真面目の恐ろしさを知ってしまった少女である田辺さんは、体力を増した女たちのように、髪をふりみだして相手につかみかかろうとはしない。まるい玉子も切り様で四角、なのだ。思えばこれは虐げられつつ男を動かしてきた伝統のある『女の知恵』であり、カラカイに託して権力を批判してきた『庶民の知恵』である」と(pp.252-253)。

 全く、そのとおりです。ひとつ、付け加えると、難しい日本語を上手に使う作家だと思う。「繁文縟礼(にしばられる)」、「不羈狷介」「苛斂誅求」「状元三馬」「粗笨」「腫痬」「偕老同穴」等々。漢字の勉強もできます。
女の長風呂(2)

梅津時比古『天から音が舞い降りてくるとき』東京書籍、2006年

2010-05-19 00:44:15 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談
                                
                          


 装丁も文章も綺麗な主に音楽のことについて書かれたエッセイ集です。

 著者は毎日新聞の学芸部門の専門編集委員で、この本は毎日新聞夕刊のコラム「音のかなた」をまとめたとのことです。

 見開きでひとつの話題が完結していて、起承転結がはっきりしています。最初に問題提起があり、それを受けてひとつのテーマがあり、次に一見あらぬ方向に話がとぶように見えながら、最後に結論めいた話で落着しています。

 本書の編集にあたって遊び心がひとつあり、それは96のずらりと並んだエッセイが最初は「ボッティチェッリの青」で始まり、最後に「ショーソンの青」で終わっていることだそうです。

 「音」「光」「風」「蝶」「孤独」などがキーワードで、シューベルトのエピソードが盛んにでてきます。しかし、何と言っても、クラシックの造詣の深さが歴然とにじみ出ています。巻末にそれぞれのエッセイと関わるCDの紹介がありますが、聞いたこともない題名のクラシックが並んでいるので、これを頼りにCDを買い、耳をこやせば、世界が広がるかもしれません。

 エストニア出身のアルヴォ・ベルトのヴァイオリンとピアノによる「鏡の中の鏡」、ラヴェルの「逝ける王女のためのパヴァーヌ」、サン・サーンスのオペラ「サムソンとデリラ」などなど。

 ロシアの作曲家メトネル、アポリネールの詩「ミラボー橋」の話がでてきて、これは嬉しかったですね。

 含蓄のある言葉が次々に出てくる、例えば「実は季節に合った音楽というのは、その季節の空気の密度をとらえた音楽なのではないだろうか。秋をテーマにしているかどうかではなく、その音の響き方が秋の空気の波長の長さに合っているような音楽に、秋を感じる」(p.143)、「人は物語をもって世界を理解しようとする。いずれの宗教もすべからく壮大な物語を持っている。人もまた日々物語を自作して納得する。物語を作れなくなったとき、人は破綻する」(p.153)。

  著者はこの本で、本年度の日本記者クラブ賞を受賞しました。

魚真・渋谷店 

2010-05-16 20:31:20 | グルメ
                                 渋谷_店前01.jpg

   魚真(渋谷店)です。渋谷BUNKAMURAのすぐ近くです。JR渋谷駅から徒歩12-15分ほどです。少し仲通りに入ります。住所は、渋谷区道玄坂2-25-5です。もらった名刺には文化村通りをはさんで渋谷東急店の反対側・道玄坂方向に5M坂を上がった左手半地下、とあります。

 市場と直結しているせいか、魚介が新鮮で、安く、魅力的です。そのため、いつも混んでいるので(若い人が多いです。それと外国の方が目立ちます)、確実に場所を確保するには予約が必要かもしれません(03-3464-30000)。この日は飛び込みでしたが、うまい具合にカウンターが空いていました。

 最初は寿司屋をめざしていたのですがあいにく閉店で、ようやくここを捜しあてたのですが、運よくここにもにぎり鮨もありました。「ぜいたくコース」とかがありました。これは値段のことではなく、ウニ、アナゴ、いくらが入っているからです。寿司屋に行ったと思えば安いぐらいでしたので、他にちょっと贅沢をして「毛ガニ」をオーダーしました。全部剥いてでてくるので、食べやすく、グッドなチョイスでした。他に、あんきも、温野菜、カレイの煮つけなどを注文。

 日本酒にいいものが多く、山形県の「十四代」をめざとくみつけたので(メニューにはありませんでしたが)それと他に「獺祭(だっさい)」をいただきました。

アインシュタインの貢献

2010-05-15 00:27:17 | 自然科学/数学

L.パイエンソン『若きアインシュタイン-相対論の出現』共立出版、1988年
             
若きアインシュタイン―相対論の出現
 ニュートン力学の理論をアウフへーべン(止揚)し、特殊相対性理論を構築したアインシュタイン(1879-1955)。

 従来、アインシュタインの天賦の才がこの理論の源と評する考え方が支配的でしたが、本書は彼が育った家庭環境、教育環境、学問環境の影響が大であったことを強調し、その考え方にそった叙述をしています。その意味では、新しい科学史論です。

 わたしは、当時の純粋数学の牙城であったゲッチンゲン大学の研究者、とくにミンコフスキー、ヒルベルトの立場とアインシュタインの考え方との相違に興味がありました。

 アインシュタインはもちろん充分な数学的素養をもっていましたが、ヒルベルトの一般相対論の公理的提示に違和感をもち、数学的形式は物理学にとって「物理学的推論」と呼ぶものに役立つ道具にすぎないこと、基本的な物理的法則は実験的現象との緊密な比較によって達せられると考えていたそうです(p.33)。しかし、当時の物理学界はヒルベルト流の純粋数学の審美性、無矛盾性、完全性の虜になっていたようで(p.120)、アインシュタインのこの考え方は科学界では異質でした。しかし、今となっては、アインシュタインの指摘はあたっていると思います。

 第1章 アインシュタインの教育-数学と自然法則-
 第2章 無謀な事業ーアインシュタイン商会と19世紀終わりのミュンヘンにおける電気事業
 第3章 独立独歩の人ーアインシュタインの世界観の社会的起源
 第4章 ヘルマン・ミンコフスキーとアインシュタインの特殊相対性理論
 第5章 数学の支配下の物理学ー1905年のゲッティンゲン電子論ゼミナール  
  第6章 後期ヴィルヘルム期における相対論ー数学と物理学との予定調和へのアピール
 第7章 数学、教育、そして物理的実在へのゲッティンゲン的アプローチ、1890-1914
 第8章 相対論における物理的意味ーマクス・プランクによる『物理学年報』の編集、1906年から1918年
 第9章 初期アインシュタインの共同的科学研究

 専門的な部分の叙述は難解、晦渋ですが、最後まで読みとおしました。


宇江佐真理『雷桜』角川文庫、2004年

2010-05-14 00:58:48 | 歴史

            雷桜

 「雷桜」は「らいおう」と読みます。この小説に出てくる、銀杏の木に接続した桜です。小説の舞台となった瀬田村の近くにある瀬田山の象徴です。

 主人公は、「遊」という女性。庄屋の瀬田助左衛門の娘として生まれましたが、初節句の夜に何者かにさらわれ、以来、行方がわからなくなったという設定です。

 実はこの女の子は、隣接し、対立する2つの藩の確執の犠牲になってさらわれたのでした。ある男が利用され、この女の赤ん坊は拉致されました。

 それから15年、男はこの女の子を瀬田山で隠れて育てることになりました。15年たって、娘は山から里に降りてきました。東雲という名の馬に乗って。しかし、里に帰ってきたものの、山のなかで育てられたため、人間として生活にするにたる躾がされていず、作法は身についていないので、言葉もぶっきらぼう。狼女と渾名されました。

 遊には助太郎、助次郎という兄が二人いて、下の助次郎は斉道を当主とする御三家清水家(江戸)に中間(チュウゲン)として雇われていました。斉道はすぐに癇癪を起し、狂気的な発作にみまわれるという病気をもっていました。助次郎は不眠の斉道に行方不明になった妹の話を時折し、それが斉道の気をひくこととなります。

 話はその後、遊と斉道とが出会い、ふたりのあいだでは心が通い合うのですが、斉道は紀州の殿様となり、遊は側室になれる可能性がありながらそれを拒否したため、当然のことですが生き別れて別々の生活をしていきます。

 実は遊は斉道の子を宿していて、そのことがまた次の展開につながっていきます。このようにストーリーを書くとみもふたもないですが、江戸という時代を背景に、当時の村での人々の生活、個々の人々の細やかな人情が、拡張高い文章でつづられ、読み始めから一気にこの世界に引きずりこまれました。

 この小説は映画化され、この秋に公開予定とのことです。遊役は、蒼井優さんと聞いています。


ルイス・ギルバート監督「旅する女―シャーリー・バレンタイン-」イギリス、1989年

2010-05-12 00:31:35 | 映画

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 イギリスの同名の演劇を映画化した作品です
。この映画はひとりの無人称的存在であった42歳の中年女性が,ギリシャに旅をする過程で,しだいに自分を取り戻し,人格をもった人間,シャーリー・バレンタインに変わっていく物語です。

 映画では珍しく,シャーリー(ポーリン・コリンズ)が鑑賞者にしばしば肉声で語りかけてきます。この語りかけによって,知らず知らずのうちに女性でなくとも彼女との共感が心のなかに広がってきます。

 日本ならずとも,主婦は人格をもたない存在とみなされがちのようです。それは家庭の主婦の役割に由来すると言っても過言でありません。既婚女性で家事と育児とに専念する女性は,やって当たり前で報われることの少ない仕事を日々繰り返しています(本当は、そうでないのですが・・・)。評価はありません。

 夫に悪気があるわけではないのです。しかし,家事労働の単調さは理解や共感が得にくいのです。このシジフォス労働こそが,主婦の人格を無人称化していくのです。

 名前が呼ばれることのない主婦にとって,家族で語ることのできる相手は台所の「壁」です。いずれも無機質な,生の声をもたない,しかし長年慣れ親しんできただけに心が通うように思える存在です。

 シャーリーは,そのような女性。ふたりの子どもは手がかからなくなっていて,夫との二人暮らし。夫は既にシャーリーに関心がなく、夕食を6時に用意してくれればよいと思っています。

 シャーリーは買い物を終えて帰宅すると,「壁」に語りかけるのが日課になってしまいました。ワインを飲みながら孤独のなかで,食事の準備。

 友人ジェーン(アリソン・ステッドマン)が新聞の懸賞でギリシャ旅行(ペア・2週間)にあたり,シャーリーを誘ってくれました。家庭を空けることに躊躇がありましたが,夫が夕食にクレームをつけたことに腹をたて,同行する決心をします。旅行中2週間分の食事を冷凍庫に準備し,母に解凍を依頼し,そこまで準備して彼女は出発しました。

 観光グループの一行は,最初からギリシャという国を小馬鹿気味にしています。シャーリーは,そういう高慢な態度が嫌いでした。ギリシャにはいいところがたくさんあるし・・・。

 レストランのウエイターは素朴そうないい青年でした(後でそうでもないことが分かるのですが)。

 一緒にきたはずのジェーンは往路の飛行機のなかで知り合った男友達とどこかに遊びにいってしまい,取り残された感じのシャーリーは現地の青年コスタム(トム・コンティ)と心が通じ,やや強引なヨット周遊の勧誘に応じます。この青年は,シャーリーの話しをよく聞いてくれました。広い青い地中海の海に心が解放され,彼女は海に飛び込み,泳ぎ,コスタと舟のなかで結ばれます。コスタに好感をもったこともあるのですが,むしろ自分自身が「生きていることに恋した」のでした。

 その後も、シャーリーはコスタのレストランで働きながらギリシャに留まります。他方,一向にシャーリーが帰ってこないので、夫は苛々を募らせます。再三帰国を促す電話がきました。さて、この二人はどうなるのでしょう???


増村保造監督「妻二人」(1967年)、「積木の箱」(1968年)新文芸坐[池袋・東口]

2010-05-10 00:17:56 | 映画

      妻二人 

 パトリック・クェンティン原作、増村保造監督に、若尾文子さん、岡田茉莉子さんが共演。性格も地位も異なるふたりの女性の役どころが見どころ。

 婦人誌の出版社社長、永井昇平(三島雅夫)の長女で秘書でもある道子(若尾文子)には、かつて作家としての才能のあり、今では同じ出版社で働いている夫、健三(高橋幸治)がいた。夫は社長(義父)の忠実な部下であり、将来が嘱望されていた。健三は、学生時代につきあっていた女性、雨宮順子(岡田茉莉子)がいたが、関係がうまく発展せず別れたのだったが、その彼女とBARでばったり逢う。

 道子は生真面目な女性で、社風の「清く正しく美しく」をそのまま私生活でも実践しているタイプ。夫は結婚生活に息苦しさを感じていた。そんなおりに順子に再会したこともあり、健三と彼女との間には昔のヨリが戻ってしまう。

 しかし、順子はあまり素行のよくない作家くずれの男、小林章太郎とのつきあいがあったが、この男は道子の妹、理恵との結婚を企む。もちろん、財産目当てである。

 父親と道子は妹と小林との結婚に反対。逆恨みした小林は、道子に夫、健三と順子の不倫関係をネタに脅迫する。

 話はここから急展開。脅迫された道子は、順子の部屋(彼女は不在だった)で小林の暴力にあい、健三の持っていたピストルではずみで射殺してしまう。社長は会社と娘、道子を守るためにアリバイづくりの口あわせをし、警察は順子を犯人とねっらて拘束するが・・・。サスペンスタッチで、結末が見えにくいまま、ストーリーは一気に終局へ向かう。
積木の箱

 二本目は三浦綾子原作の「積木の箱」。やはり増村保造監督で、若尾文子さんは川上商店のおかみさんという役を演じている。物語は、北海道旭川に住む会社社長のくずれた家族とその崩壊を、積木の箱になぞらえて描いている。主人公は中学生の男の子。崩壊寸前の家族のなかでしだいにグレていくのだが、そのプロセスがリアル。

 ありていにいって変な人ばかりでてくるが、清涼剤になっているのは、緒形拳が演じる中学校の先生と若尾文子さん演ずるおかみさん。しかし、話は救いのない展開で終局となる。
 


藤井克彦『「江戸前」の魚はなぜ美味しいのか』祥伝社新書、2010年

2010-05-09 00:46:43 | 医療/健康/料理/食文化
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  江戸前が生んだ五大食文化は、にぎり鮨、てんぷら、佃煮、ウナギの蒲焼き、浅草海苔ですが、本書の最大のテーマは「江戸前の海で捕れる魚介類が、なぜ他の海で産するものよりも美味しいのか」と著者は巻頭で述べています(p.18)。

 そしてこのテーマを解くことは一筋縄ではいかないことを著者は熟知していて、そのためさまざまな角度から攻め、蘊蓄を披歴します。

 まず、江戸前とはどこを指すのでしょうか? 実はこれについても広義、狭義の諸説があります。著者は「広辞苑」をひき、専門書(「東京都内湾漁業興亡史」)をひもとき、古書にあたり、水産庁と議論しました。

 結局、著者は最狭義の江戸前・東京都内湾を前提とすることを宣言しています(p.69)。そこで、最初の「なぜ美味しいのか」ですが、これは上流の山々からの腐葉土でつくられた植物性プランクトンが多くの河川をとおして江戸湾に流れ込み、それを餌にする動物性プランクトンが大量に発生し、さらに干潟に育つ貝類の餌となり、孵化したばかりの仔魚や稚魚を育むから、という答えに落ち着くようです(p.86)。

 この結果、江戸の町は世界に誇る好魚場の江戸湾に恵まれ、四季に応じた旬の魚介が潤沢に供給されてきたのです。

 尤も、江戸前とはもともとはウナギの蒲焼きのことを指したらしいですが、江戸湾からあがるウナギだけでは江戸の胃袋に追い付かず、江戸の裏からの旅ウナギの供給が不可欠になるに及んで、江戸前の名称とおさらばし、その後、鮨がこの名称をつぐようになったとのことです。

 アジ、サバ、タイ、スズキ、カレイ、サヨリ、ウナギ、サワラ、シャコ、ハマグリ、アサリ・・・どれもがかつて東京湾で日本一の漁獲高になったことがあるそうです。驚異的です。

 その江戸湾が埋め立てられ、漁業権が買い取られ、ピンチにたっています!悲しい。

 浅草海苔の語源の掘り起こし、江戸前のてんぷら賛歌、スズキを頂点とする魚介の生態系の分析、築地市場の利用の仕方、たなご釣りの妙味、著者の語りはとどまる所を知りません。

押田茂實『法医学現場の真相-今だから語れる「事件・事故」の裏側』祥伝社

2010-05-07 10:00:51 | 政治/社会

            法医学現場の真相 今だから語れる「事件・事故」の裏側

 法医学の分野で数々の司法解剖、DNA鑑定、その他の種々の鑑定、医療事故防止の取り組みを行ってきた著者の事件簿です。

 扱われた仕事の主なものは、「足利幼女殺人事件(1990年)」、「飯塚事件(1992年)」、「大分みどり荘短大生殺人事件(1981年)」、「保土ヶ谷事件(1997年)」でのDNA鑑定、「トリカブト事件(1986年)」、「山中事件(1972年)」、「福井女子中学殺人事件(1986年)」、「東電OL事件(1997年)」、「袴田事件(1966年)」での法医解剖、{全日空機雫石事故(1971年)」、「日航機御巣鷹山墜落事故(1985年)」、「中華航空機墜落事故(1971年)」、「阪神・淡路大震災(1995年)」での事故現場での医療行為、そして医療事故の解析です。

 足利事件では、著者による検査報告書、押田鑑定が最高裁によって黙殺されたこと、そのこともあって菅谷さんの無罪判決がのびてしまったこと、「東電OL事件」の最高裁判決でも(2003年)押田鑑定が無視されたこと(この事件は再審請求中)、「福井女子中学殺人事件」では死体解剖写真の提出がないまま控訴審が終了してしまったこと、など司法現場の矛盾をつく、リアルなレポートになっています。

 「日航機御巣鷹山墜落事故」や「阪神・淡路大震災」の現場で、遺体の検索・識別はどのように行われたのか? この種の事故での外国の遺体処理の仕方と、日本のそれとの大きな違いは何か? 頻出する医療事故はなぜ起きるのか? 筋肉注射はなぜ行われなくなったのか? 法医学の現場で40年第一線で獅子奮迅の努力をしてきた著者の豊富で貴重な体験から得られた知見が、説得力をもって語られています。


童門冬ニ『小説 上杉鷹山』集英社文庫、1969年

2010-05-06 00:34:14 | 歴史

               

 上杉鷹山(治憲)のことは、正直言ってあまり知りません。米沢城の城址には行ったことがあり、上杉神社にも参詣したことはありますが、その時、治憲については無知でした。米沢藩の財政危機を救った名君程度の理解でした。

 600ページを超えるこの小説で、「お屋形さま」の名君ぶりがよく理解できました。

 治憲は日向の小藩、高鍋藩から上杉15万石の養子に迎えられ、藩主を継ぎ、財政危機を立て直すのですが、人、すなわち農民、職人を大切にし、彼らこそ藩の財産と考え、彼らの生活が豊かになることを第一に考えたようです。

 武士もその家族も率先して殖産興業取り組むことを奨励、自ら実践しました。米沢藩とて当然、守旧派が多く、文化も意識も保守的です。治憲の改革は取り巻きの重臣の反感をかい、領民の信用も危うかったようですが、人々の声を聞くことを大切にし、清い政治を貫き、その考え方は徐々に藩内に浸透していったのです。

 凄いのは、その改革を17歳ぐらい(1767年[明和4年])から始めて35歳で隠居するまで(1785年[天明3年])の、若い時期に短期で行ったことです。当初は江戸藩邸で日蔭者だった家臣を重用し、その才を引き出したとのこです。若くしてまさに大人の風格と篤信をもっていたようです。

 ちなみに米沢藩は上杉謙信の系統であり、謙信の養子であった景勝の時代に豊臣秀吉から会津120万石を拝領しましたが、関ヶ原の合戦で石田三成側についたために、家康によって減封されました。減封されても人のリストラを行わないませんでした。この時代の藩主であった綱憲が赤穂事件で有名な高家筆頭・吉良上野介の息子だったことで、藩には武家としての高い格式がもとめられていたそうです。財政危機の規模は、尋常でなかったわけです。

 最後の文章が印象に残りました。「鷹山が振興した米沢織、絹製品、漆器、紅花、色彩鯉、そして笹野の一刀彫にいたるまで、現在もすべて健在である。鷹山の墓は旧米沢城内にある」(p.659)と。

 2,3物足りなかったのは、治憲がどうして宮崎から上杉家の養子として米沢までやってきたのか、またこのような徳のある、今で言えば民主主義の権化のような人が幼少のころどのような環境に育ったのかが、一切書かれていなかったことで、この点が不明なため、治憲はわたしにとってまだまだ謎の部分が多いです。


増村保造監督「卍」(1964年)、「刺青」(1966年)新文芸坐[池袋・東口]

2010-05-04 00:48:53 | 映画

 谷崎潤一郎原作の「卍」と「刺青」を増村監督が映画化、2本とも脚本は新藤兼人さん、主演は若尾文子さんです。                        

           

 「卍」は・・・
 弁護士と結婚して間もない柿内園子(岸田今日子)は絵画学校で知り合った徳光光子(若尾文子)の美貌と身体に魅惑され、スキャンダルをひきおこします。ふたりは、夫、孝太郎(船越英二)のいない園子の自宅で、逢瀬をかさねます。
 しかし、光子には虚言癖があり、園子は光子に振り回されるようになります。次第に園子と夫と光子は三角関係なるとともに、光子が絶定的な支配権を持ち始め、結局、睡眠薬を飲んでの3人の無理心中という状況下で、園子だけがとりのこされ、光子と夫は手を握り合って死んでしまいます。この奇妙な性愛関係を園子が老作家(三津田健)に切々と語っていくという設定で映画は進んでいきます。

 「刺青」は・・・
 時代劇です。日本橋の質屋のひとり娘であったお艶(若尾文子)は、意に沿わない結婚をけって、手代の新助(長谷川明男)と駆け落ちします。逃げた先の船宿で船頭の権次(須賀不二夫)にだまされたあげく、刺青師清吉(山本学)によって背中に女郎蜘蛛の刺青を彫られ、深川の置き屋に売り飛ばされます。美貌と容姿の整った染吉(お艶)は評判の芸者になり、自分を罠にかけた男どもを色仕掛けで破滅させていきます。染吉は次第に自分でも制御のきかない欲望の女、魔性の女になりますが、最後は駆け落ちした新助と狂気の死闘の末、彼を差異殺しますが、自分も刺青師の手で刺殺されてしまいます。
 
  谷崎の耽美的な世界を増村=若尾コンビがうまく表現していますが、何か違和感を持ちながら観ました。「刺青」の迫力はすごいですね。若尾さんが渾身の、体当たり演技です。