【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

河竹黙阿弥作「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのえにしきえ)」[三幕九場](歌舞伎座)

2014-02-24 23:32:10 | 古典芸能

             

 歌舞伎座の今月の演目のひとつが河竹黙阿弥作「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのえにしきえ)」[三幕九場]です。


 河竹黙阿弥作「青砥稿花紅彩画」は、小山家が預かる重宝「胡蝶の香合」をめぐる御家騒動を絡めた物語です。河竹黙阿弥の代表作です。

 振袖姿の美しい娘が刺青をみせ、一瞬して盗賊の正体をあらわす「浜松屋」、5人の白波男が土手に勢ぞろいし、七五調のツラネを聴かせる「稲瀬川勢揃」は、名場面として知られています。大詰め、屋根から山門への転換で使われる”がんどう返し”の仕掛けも興味深いところです。

 あらすじは、以下のとおりです。

 ところは初瀬寺。信田の若殿小太郎と家来に化けた弁天小僧(菊之助)と南郷力丸(松緑)は、小太郎の許嫁で小山家の千寿姫(梅枝)をかどわかし、胡蝶の香合をとりあげます。そこへ、盗賊の日本駄右衛門(染五郎)が登場し、ふたりは香合をめぐって争いますが、歯が立たず、子分になります。盗賊の忠信利平(亀三郎)と元信田家の家臣赤星十三郎(七之助)も一味に加わり、駄右衛門の家来になります。

 呉服屋の浜松屋に、武家娘に化身した弁天小僧と若党になった南郷丸が百両をゆすりにきますが、玉島逸当という侍があらわれ、娘が男であることを暴きます。この逸当は実は日本駄右衛門で、さきの騒ぎも浜松屋の金を奪う策略だったのです。ところが偶然にも、主人の身の上話から、弁天小僧こそ浜松屋の実子で、浜松屋の息子は駄右衛門の実子であることがわかります。

 悪事が露見した5人は、稲瀬川に勢揃いしますが、捕手においつめられます。弁天小僧たちは極楽寺まで逃れていきます。

・序幕:初瀬寺花見の場/神興ケ嶽の場/稲瀬川谷間の場
・二幕目:雪ノ下浜松屋の場/同蔵前の場/稲瀬川勢揃の場
・大詰:極楽寺屋根立腹の場/同山門の場/滑川土橋の場


マノエル・ド・オリヴェイラ監督「家族の灯り」2012年(1時間41分:岩波ホール)

2014-02-23 22:07:56 | 映画

                                      

 神保町の岩波ホールで「家族の灯り」が上映されているので、観に行きました。現代は「O GEBO E A SOMBRA」で、直訳すると「ジェボと影」の意味です。

 ヨーロッパ(ポルトガル)の小さな港町。

  貧しい家族、老人ジェボ(マイケル・ロンゲール)とその妻ドロライア(クラウディア・カルディナーレ)と息子ジョアンの妻ソフィア。勤めていた会社のわずかの仕事(帳簿つけのような)をして、ほそぼそと暮らしています。

 息子ジョアン(リカルド・トレパ)は8年前に失踪していました。ジェボは失踪の理由やその後について、なにがしかの情報をしっている様子ですが、妻にははなさず、隠し通しています。ドロライアは息子ジョアンを盲愛している様子が痛々しい。

 全体は会話劇で、ジェボとドロライア、ドロライアとソフィア、ジェボとソフィア、いれかわりたちかわり、ながくみとおしのない、ぐちともあきらめともつかないやりとりが、えんえんと続きます。

 たまに訪れてくるのは、芸術家と皮肉屋のカンディニア(ジャンヌ・モロー)。

 突然、ジョアンが帰ってきます。そのジョアンは父親を「負け犬」ときめつけ、父親がしまっておいた会社から預かった金庫にめをつけます。盗んで、ソフィアと逃げようとします。ソフィアは止まますが、彼女をつきとばして、逃亡するジョアン。

 苦境にたつ、ジェボ。

  クラシック音楽が、映像の緊張感をたかめています。シベルウスのヴァイオリン協奏曲(ダヴィット・オイストラフウ)、ぷぞーにの「ヴァイオリン協奏曲」(ツィンマーマン)、ショスタコヴィッチ交響曲15番(コンドラシン指揮のモスクワ・フィル)。映像は美しく、深い憂いの含んだ絵画のようです。

  もともとは、ラウル・ブランダン(ポルトガル)の戯曲。映画でも舞台演劇のような演出。

  ドラマらしい動きに乏しく、希望のみえない会話が、1時間40分続くので、退屈するかもしれません(わたしも少し退屈しました)。内容もわかりにくいところがたくさんあります(l言葉の意味ががわかりにくいというのではなく平明すぎますが、それらひとつひとつの言葉が映画全体のなかでどのような意義をもっているかがみえにくいのです)。


LALO:SYMPHONIE ESPAGNOLE(Izhak Perlman・Daniel Barenboim)

2014-02-20 22:42:14 | 音楽/CDの紹介

             

LALO:SYMPHONIE ESPAGNOLE(Izhak Perlman・Daniel Barenboim;Orchestre de Paris)}


2月15日付の本ブログで紹介したラロの「スペイン交響曲」、このCDではイツアーク・パールマンがヴァイオリンを演奏し、管弦楽団は、バレンボイム指揮の「パリ管弦楽団」です。

微妙にテンポが違います。

パールマンでは、・・・
・第1楽章 7:49
・第2楽章 4:06
・第3楽章 6:10
・第4楽章 7:02
・第5楽章 8:01

となっていますが、ムターでは

・第1楽章 7:42
・第2楽章 4:12
・第3楽章 6:18
・第4楽章 6:48
・第5楽章 7:45   です。

後半、幾分、パールマンがゆったりめ、ムターが速めです。


ラロ「スペイン交響曲 ニ短調 作品21」

・第1楽章 アレグロ・ノン・トロッポ
・第2楽章 スケルツアンド アレグロ・モルト
・第3楽章 間奏曲 アレグロ・ノン・トロッポ
・第4楽章 アンダンテ
・第5楽章 ロンド・アレグロ

エクトル・ベルリオーズ「夢とカプリッチョ 作品8」


好川之範・赤間均『北海道・謎解き散歩』新人物往来社、2011年

2014-02-19 22:18:28 | 地理/風土/気象/文化

                                     

  北の大地の不思議ワールド。「歴史一般編」「幕末維新編」「新撰組編」「人物編」「文学編」「社会・文化・生活編」「宗教編」「自然編」から成る。

  わたしは40年ほど札幌市とその近郊で生活していたが、この本に書かれていることのディテールは知らないことばかりである。たとえば、新撰組の土方歳三が幕軍のひとりとして戦い、戦死したことは知っているが、その彼を殺した人などは知らない。幸田露伴が余市電信局で働いていたことなどは知らない。「ラーメン」の生みの親は? 月光仮面の像がどうして函館にある?要するにこの類の逸話が、最初から最後まで続くのである。

  それを知っていてどうする、という話題かもしれないが、それが面白く書かれている。かと言って読んで頭に残るかと言えば、残りにくく、それを知っていて何になると思うから、ますます記憶にとどまりにくい。座右において、時々、ひもとくという本だろうか。

  多くの書き手が分担しているが、相当調べているので、その点、敬意を表する。そして、ほとんどが北海道出身者だとのことである。


LALO:SYMPHONIE ESPAGNOLE(Anne-Sophie Mutter・Seiji Ozawa)

2014-02-15 22:30:29 | 音楽/CDの紹介

                   


LALO:SYMPHONIE ESPAGNOLE(Anne-Sophie Mutter・Seiji Ozawa;Orchestre National France)


 今年の7月、川口リリアで五嶋龍さんが、この曲を演奏します。運よく、このコンサートのチケットを入手しました。五嶋さんが演奏するのは、ラロの「スペイン交響曲」です。

 ラロのこの曲は聴いたことがなかったので、今から、耳ならしと、予習です。そこで、小澤征爾さんとムターが共演しているこのCDを用意しました。

 ラロ(1823-1892)は、スペイン系のフランス人です。自らヴァイオリンの演奏家でもありました。「ヴァイオリン交響曲」という名称がついていますが、実質的にはヴァイオリン協奏曲です。

 ラロには4曲、ヴァイオリン協奏曲があります。ラロが作曲した一曲目をサラサーテが初演し、好評でした。これに勢いをえて、次々にヴァイオリン協奏曲を作曲し、「ヴァイオリン協奏曲第2番」にあたるのが、この「スペイン交響曲」です。ちなみに、「ヴァイオリン協奏曲第3番」は「ノルウェー幻想曲」、「ヴァイオリン協奏曲第4番」は「ロシア協奏曲」と呼ばれています。

 スペイン風の異国情緒があふれています。演奏しているのはムター。自由奔放に、全身全霊で演奏しています。それをしっかり小澤征爾さんが指揮の「フランス国立管弦楽団」が支えています。


ラロ「スペイン交響曲 ニ短調 作品21」

・第1楽章 アレグロ・ノン・トロッポ
・第2楽章 スケルツアンド アレグロ・モルト
・第3楽章 間奏曲 アレグロ・ノン・トロッポ
・第4楽章 アンダンテ
・第5楽章 ロンド・アレグロ

サラサーテ「チゴイネルワイゼン 作品20」


桑田真澄・佐山和夫『スポーツの品格』集英社新書、2013年

2014-02-14 21:27:44 | スポーツ/登山/将棋

             

  対談形式。スポーツの「品格」と標題にあるが、要するに「フェア・プレイ」精神を貫こう、ということである。当たり前のことなのだが、スポーツ技術を高めるためと称して、「暴力」が後を絶たない。日本のスポーツ界では、何度もその体質が取沙汰されたが、最近また、高校のスポーツクラブや女子柔道で、「暴力」が明るみになった。

  元読売ジャイアンツの投手、桑田さんは小中学校時代、そうした「暴力」を受けたし、またみてきたという。チームのある一人がエラーや失敗をすると、メンバー全員が「鉄拳」を受けるということもあったらしい。勝利至上主義が背景にある。

  著者たちに共通しているのは、スポーツの喜びは、勝利を目指すそのプロセスにあるのであって、「暴力」によっては技術は向上しないということである。

  本書の後半は、現在、東大野球部で指導している桑田さんの体験記である。「自分で試行錯誤して、考えて、発見する」ことが大事なのである。桑田さんはまた、ロシアの少年、少女にも野球を教えている。その話も面白い。この話も含めて、スポーツの価値、真髄を示す、生きたエピソードが話題になっているのも、楽しい。


野村克也『私が見た最高の選手、最低の選手』東邦出版、2013年

2014-02-03 20:54:12 | スポーツ/登山/将棋

               
  
  野村克也さんと言えば、わたしの少年時代から南海ホークスの名捕手として知られ、三冠王もとり、監督になってからも阪神タイガース、ヤクルトスワローズ、東北楽天ファイターズなどを歴任、データ野球を普及しただけでなく、見切りをつけられた選手を再生させる手腕をみせた。

  この本にも書いてあるが、日本のプロ野球がスタートとしたのは1936年で、野村さんはこの年に生まれた(長嶋茂雄は同級生)。まさに日本のプロ野球の歴史ともにあった野村さんだ。その野村さんが、自分の体験にてらし、実際に眼でみてきたプロ野球の最高の選手を選ぶ、評したのがこの本である。

  投手編、捕手編などと8つの分野に分けて選出している。投手では金田正一、江夏豊、杉浦忠、山口志、稲尾和久、野茂茂、藤川球児、伊藤智仁、ダルビッシュ有、田中将大などの名前が挙がっている。松坂大輔は、あまり評価が高くない。以下、捕手編、一塁手編、二遊間編、三塁手編、外野手編、打者編、監督編と続く。ここに、各分野の選手、監督の名前を列挙するのは差し控える。ただ、イチローはもちろんあがっていることと、榎本喜八、山内一弘、中西太などの往年の名選手がいることだけをここに書いておく。

  この本は、名選手を紹介しているだけでなない。打撃論、投球術、名監督の条件など、かなり細かい野球論が下地にある。つくづく野球は難しい、頭脳や直観的判断が必要なことを思い知らされた。

  なお、標題にある、「最低の選手」などは書かれていない(当り前だろう)。何人かの、十分な能力がありながら、思ったほど開花しなかった選手への注文が(いまとなってはどうしようもないが)あるだけである。


波野好江『中村勘三郎 最期の131日』集英社、2013年

2014-02-02 23:09:48 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

                

 一昨年12月5日未明亡くなった歌舞伎役者・十八代目中村勘三郎の妻好江さんがつづった勘三郎の病との闘い。それは勘三郎ひとりの闘いではなく、好江さんとの二人三脚の闘いでもあった。

 勘三郎は定期健診で食道に小さい癌がみつかり、手術で癌の治療はひとまず終わったが、その後、感染症を引き起こし、ARDS(急性呼吸窮迫症候群)にかかり、これが命とりになった。直接の原因は胆汁の誤嚥だったらしい。がん研有明病院から、ARDSの専門医がいる東京女子医大病院に転院、さらに肺を蘇生させるためにさらにもう一度、日大病院に転院してECMO治療を受けた。担当医師はじめ懸命の治療がほどこされたが、勘三郎は還らぬ人となった。

  本書の4章ではその経緯がこと細かく書かれているが、実は勘三郎はその前からウツ病や耳鳴りに悩まされていたようだ。好江さんは、そうした事実も、正直に書き込んでいる。この本には歌舞伎のことはあまり書かれていない。二人の仲睦まじい夫婦生活(ときに勘三郎の「人たらし」が彼女を悩ませていたようでもあるが)と家族や演劇関係の親友(大竹しのぶさん、野田秀樹さんたち)も巻き込んだ闘病生活がメインである。

  幸せだった日々は、写真を織り込んで、たくさんあったということがわかる。羨ましいほどである。巻末に大竹しのぶさんと野田秀樹さんのお別れの言葉。そして主治医のインタビュー。

  勘三郎の死については、いろいろな風評もあったが、この本を読んで、正確なことがわかってよかった。好江さんにも、真実を伝えたいという思いがあったのではなかろうか。


なかにし礼『人生の黄金律-華やぐ人々-(勇気の章)』清流出版、2003年

2014-02-01 23:10:51 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

             

 作詞家であり、作家でもある「なかにし礼」の12人の人とのインタビュー。シリーズ3冊のうちの一冊。今回登場しているのは、以下のとおり。

 長嶋茂雄(24時間、365日走り続けた野球人生)、鳳蘭(『幸せを売る女』)、安藤忠雄(「無用の用」のために)、ピーコ(2回目の人生を生きて)、立花隆(デラシネの精神)、池田理代子(華麗に脱皮)、加藤登紀子(乱調の華)、篠田正裕(日本の遺言)、石井好子(母なる『石井好子』)、横尾忠則(魂と一致した自分)、仲代達矢(『祭』に生きる幸せ)、筑紫哲也(日本に生まれてよかった)。

 対談のひとつひとつに、それぞれの方々の人生の重みを感じさせられる。標題にあるとおり、まさに「黄金律」の連続だ。対談の相手の写真、対談相手となかにさんとのツーショット。そして対談を終えたあとの余韻を、なかにしさんが短くコメント。

 「婦人画報」で2003年に連載された記事。