【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

山口由美『長崎グラバー邸 父子二代』集英社新書,2010年

2011-01-31 00:15:16 | ノンフィクション/ルポルタージュ
                      

 昨年、仕事で長崎に行き、ついでにグラバー邸によりました。開放的なヴェランダコロニアルと呼ばれる建築様式(1863年竣工、日本最古の木造西洋建築)のグラバー邸、維新の志士が匿われたとの伝説がある「隠し部屋」、邸の前にひろがる花壇、遠方には長崎造船所、そして近くには蝶々夫人のゆかりの地があり三浦環、プッチーニの像がたっていました。

 グラバー邸を訪れる前に本書を読んでたら、その観光はもう少し理解が深まったでしょう。残念。

 本書は、そのトーマス・ブレーク・グラバー(1838-1911)とその息子トーマス・ブレーク・グラバー(和名:倉場富三郎)[1871-1945]のそれぞれの生涯を、日本とその当時の社会との関わりに焦点をしぼって書かれたノンフィクションです。

 父グラバーに関しては、彼の育ったイギリスのアバディーン、来日後、政治と関わりながら商人として活動、三菱財閥との関わり、妻の位置にあったツルとの関係(正式には結婚していない)、商会の倒産と採炭の高島鉱山への関与が、また息子の富三郎に関しては、その出生から、学習院大学入学と中退、アメリカへの留学、ワカとの結婚、トロール漁船の導入、魚類図鑑の作成、長崎原爆体験そして自殺が、いろいろな資料と調査にもとづいてまとめられています。

 異国の地にあって歴史の荒波のなか、とりわけ維新から第二次世界大戦終結までの日本の社会と重なる父子二代のドラマです。

 著者の経歴をつけくわえますと、彼女の曽祖父は箱根の富士屋ホテルの創業者でその長女の婿、すなわち彼女の大伯父は日光金谷ホテルの次男。著者自身はノンフィクション作家です。

平川克美『反戦略的ビジネスのすすめ』洋泉社、2004年

2011-01-29 00:07:27 | 経済/経営
              
                  
             
 「ビジネス」とは一体何なのか? 著者がこの本で試みているのは、ビジネス・プロセス・リエンジニアリング(BPR)の改革、すなわち「ビジネス・プロセスを『収益』や『売上』の手段という地位から引き上げて、ビジネス・プロセスそれ自体に『価値』を見出」すことです。

 ビジネスそのものが立ち上がってくる起源的な場所である「欲望」「交換」「贈与」「共同幻想」にこだわりつつ議論が展開されています。それが著者のねらうところでした。

 したがって、ビジネスを「戦略」とい視点からとらえる考え方は最初から排除されています。この事情は、著者の言葉によれば「ビジネスを勝つか負けるかといった闘争の原理で語ることがいかにつまらない信憑によっているのか、それがいかに不毛なことであるかということを解き明かしながら、それとはまったく異なる考え方を・・・提示したいと思」うのであり、「ひとことでいってしまえば、お客さんと向き合って、喜んでもらえるという交換の基本を忘れないようにしようよ、ビジネスのすべての課題は、ビジネスの主体がお客さんと何をどのようにして交換したか、その結果、主体の側に何が残り、お客さんの側に何がのこったのかということのなかにあるはず」だということになるのだそうです。

 この延長で、アメリカ発のグローバリズム、市場原理主義、それをまに受けた日本の産業政策は、否定的にとらえられています。要素還元的思考の脱却、キーワードとしてのオーバーアチーブ、インビジブル・アセット、「一回半ひねりのコミュニケーション(個人の欲望は必ず「商品」を媒介として、迂回的に実現するほかはないというビジネスの構造を形容する言葉)など、ビジネスを考える問題提起はいたるところに露出しています。議論するには格好の素材がころがっています。

 構成は以下のとおりです
序章:わたしがビジネスを戦争のアナロジーで語らない理由
第1章:ビジネスと言葉づかい~戦略論を見直すために~
第2章:ビジネスと面白がる精神~会社とは何か~
第3章:見えない資産としての組織~組織とは何か~
第4章:プロセスからの発想~仕事におけるゴール、プロセスとは何か~
第5章:モチベーションの構造~人が働く本当の理由~
第6章:一回半ひねりのコミュニケーション~なぜ、なぜ働くのかと問うのか~
第7章:それは何に対して支払われたのか~評価とは何か~
第8章:攻略しない方法~新しいビジネスの哲学として~
・内田樹君とのビジネスをめぐるダイアローグ


杉田成道『願わくは、鳩のように』扶桑社、2010年

2011-01-28 00:04:37 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

               願わくは、鳩のごとくに
 「北の国から」(倉本聡脚本)[フジテレビ]に演出でたずさわった著者。先妻に癌で先立たれた後、30歳年下の女性(亡くなった妻の友人の弟の娘)と再婚、3人の子がつぎつぎと生まれます。

 その妻に、余命長いとは思われない(?)「お父さん(=著者)が将来どんな人だったのか子どもたちに問われたときに答えられるものを書き遺して」と乞われ、いわば遺書のようなつもりで書きおろしたのが本書です。

 出産への立ち会い、子どもの命名の経緯、新しい地獄の(?)子育て生活(妻は銀行員だったのが結婚後、医学部に入り女医となる)、保育園の送り迎え、借り物のような家での窮屈な生活、年齢差が大きいゆえの悲哀がおもしろ、おかしく綴られています。

 それだけの話かと思ったら流石にそれだけではなく、「北の国から」の裏話が興味深いです。純、蛍の兄妹役をこなした吉岡秀隆さんと中嶋朋子さんの感情、自身が妻をがんで亡くした地井武男さんが役どころで同じシーンを演じざるをえなくなったといの心境、オホーツクの流氷場面での唐十郎さんと助監督の決死のロケ、あの場面、この場面が彷彿としてきます。

 叔母にあたる山川素子さんの寂しい死とその顛末にもいたく同情しましたが、前の奥さん(明美)のそれ、後者に劇作家の小山内薫、喜劇役者の三木のり平があらわれ、びっくりしました。

 前の奥さん(明美さん)とその母である梨園子さん、そして何の因果か母から離れて玉子さんというバアバに育てられ、バアバを母と思い、実の母を姉と思って大きくなった明美さん、といった複雑な血筋のからみをひもとくように叙述した本書の最後の部分にものめり込みましだ。

 バアバの大往生の場面も迫真的です。

 実はこれらの家系図が表紙になっているので、この叙述部分は表紙の図と対照させながら読むことになりました。

 表題の「願わくは、鳩のごとくに」というのは、鳩という鳥は、鶴とちがって(鶴は連れ合いが死ぬと、一生孤高を保つらしい)、つがいの間は決して離れないという習性をもっているそうで、それにあやかりたいという著者の願いのようです(p.83)。


The Best of Daniele Vidal (ダニエル・ヴィダル)

2011-01-26 00:03:20 | 音楽/CDの紹介

            
♪ フランス領であった北アフリカのモロッコ生まれです(1952年)。1969年、17歳で歌手デビュー、「Aime ceux qui t'aiment(汝を愛する者たちを愛せ、という意味)」をリリースしました。これは日本では「天使のらくがき」と呼ばれて歌われましたが、もともとはロシアのポピュラー歌手エディタ・ピエーハの持ち歌です。ダニエルは、これをフランス語の歌詞をつけて歌い、爆発的にひろまりました。

 不思議と日本で売れた歌手で(本国のフランスではいまひとつ)、1970年代初頭から、しばしば日本に長期滞在していました。当初は歌唱力にやや難があるといわれていましたが、金髪碧眼で小柄で(155センチ)フランス人形のように愛らしく、絶大な人気を得ました。


 このCD(Barclayレーベル時代のマスターを使用して作成された)におさめられている数々の名曲(「オー・シャンゼリゼ」「私はシャンソン」「ケ・セラ・セラ」など)は、フランスの歌の魅力を存分に伝えています。


<収録曲>
1. オー・シャンゼリゼ
2. 天使のらくがき
3. カトリーヌ
4. ピノキオ
5. 恋のためいき
6. 虹とうたおう
7. 赤いボンボン
8. 愛のシャンソン
9. 私はシャンソン
10. ケ・セラ・セラ
11. パリのお嬢さん
12. 恋のささやき
13. さよならの涙
14. 初恋はどこに
15. 恋はどこへ
16. マッキントッシュ郷
17. オー・シャンゼリゼ(日本語)
18. 天使のらくがき(日本語)

ジリオラ・チンクェッティ(Gigliola Cinquetti)

2011-01-25 00:03:21 | 音楽/CDの紹介
              ベスト・オブ・ジリオラ・チンクェッティ

 ジリオラ・チンクェッティ(Gigliola Cinquetti)[1947年12月20日-]は、イタリアのポピュラー歌手。ヴェローナ出身です。

 チンクェッティは、1963年のカストロカーロ新人コンテストで優勝。1964年、16歳の時にサンレモ音楽祭で、この「夢見る想い (non ho l'età)」 を歌い優勝しました。 以来、ジリオラ・チンクェッティの名前は、サンレモ音楽祭とともに有名です。彼女はこの音楽祭に10回出場し、9回の入賞を果たしています。

 「夢見る想い」は発売当初はさして注目されませんでしたが、日本では4カ月後に洋楽シングルのレコード・セールスの一位となり、爆発的に売れるようになり、カンツォーネの魅力を広げました。
 
 1966年には「愛は限りなく (Dio, come ti amo)」 が世界的ヒットとなりました。当時、カンツォーネ・ブームの日本では、ボビー・ソロと共に本国イタリアを凌ぐ人気となったほどです。

 1979年に結婚、翌年二人の男の子の育児に専念するため引退してローマに転居。その後、1989年のサンレモ音楽祭に出場を契機に完全に復帰、1990年にはデビュー25周年ツアーを欧州で行ったという実績があります。

 1991年、復帰後初のアルバム「Tuttintorno」を発売。以後も1993年に来日コンサート開催、95年「Giovane vecchio cuore」でのサンレモ出場など、積極的に活動中です。


The Very Best of Peter, Paul and Mary (PPM)

2011-01-24 00:05:16 | 音楽/CDの紹介


               ベスト・オブP.P&M

  PPM(Peter, Paul and Mary)はわたしが大学生だったころに、友人に教えてもらいました。当時、レコードを貸してもらった記憶があります。知っていた曲もありましたが、それがPPMのものと初めてしり、関連して彼らの多くのファオークソングに接しました。

 PPMのメンバーは、Peter Yarrow(見た目の良い気のいいやつ)、Noel Paul Stookey(陽気なやつ)、Mary Travers(背の高いブロンド)の3人です。

 1961年に旗揚げ、ニューヨークのグリニッジヴィレッジのコーヒー店「ビターエンド」(フォークソングを聴く人気の店)での出演がデビューでした。

 翌年にはファーストアルバム「ピーター・ポール&マリー 」がリリースされました。「500マイル」、「レモンツリー」、「花はどこへ行った」が含まれています。このアルバムは、ビルボード誌のトップ10に10ヶ月君臨しました。

 「500マイルも離れて(500 Miles)」「パフ(Puff)」,「花はどこへ行った(Where have all the flowers gone)」「虹とともに消えた恋(Gone the rainbow)」は、あらためて聴いて見ると、胸がジンとしてきます。よく歌ったものです。

 上掲画像のCDには、それらの曲が入っています。

 その後、グループは、アメリカ合衆国の公民権運動その他の運動の第一線に立って活動しました。

<500 MILES>
If you miss the train I'm on
You will know that I am gone
You can hear the whistle blow
A hundred miles
A hundred miles, a hundred miles
A hundred miles, a hundred miles
You can hear the whistle blow
A hundred miles

Lord, I'm one,Lord, I'm two
Lord, I'm theree ,Lord, I'm four
Lord, I'm five hundred miles
From my home
Five hundred miles,five hundred miles
Five hundred miles,five hundred miles
Lord, I'm five hundred miles 
From my home

Not a shirt on my back
Not a penny to my name
Lord,I can't go a home
This a way
This a way, this a way
This a way, this a way
Lord,I can't go a home
This a way

If you miss the train I'm on
You will know that I am gone
You can hear the whistle blow
A hundred miles


<GONE THE RAINBOW>
*Shule, shule, shule a roo
Shule a rack shack, shule a baba coo
When I saw my Sally babby beal
Come bibble in a boo shy lory

* repeat

Here I sit on Buttermilk Hill
Who could blame me, cry my fill
Every tear would trun a mill
Johnny's gone for a soldier

* repeat

I sold my flax, I sold my wheel
To buy my love a sword of steel
So it in battle he might wield
Johnny's gone for a soldier

Oh my baby, oh my love
Gone the rainbow, gone the dove
Your father was my only love
Johnny's gone for a soldier

* repeat 2 times


THE BEST OF SYLVIE VARTAN

2011-01-22 00:40:51 | 音楽/CDの紹介

                ベスト・オブ・シルヴィ・バルタン

  わたしがまだ青春のまっただ中にいた頃、それほど音楽に興味があったわけではありませんが、いろいろな国のミュージックが日本に入ってきていたような気がします。アメリカからは断然、多かったのでしょうが、フランスではこのシルビー・バルタン(SYLVIE VARTAN)やアダモ、イタリアのジリオラ・チンクエッティ、イギリスのカーペンターズなどなど多彩でした。今はどうなっているのでしょうか? ヨーロッパのミュージックがほとんど入ってきていないような感じです(わたしが知らないだけでしょうか)。

 SYLVIE VARTAN(シルビー・バルタン)は、1960年代のアイドルのひとりです。このCDにおさめられている「アイドルを探せ」「あなたのとりこ」はよく耳にしました。

 もしかすると、ラジオから入ってきたので、それで耳にこびりついているのかもしれません。これらの歌を聴くと、青春がよみがえります。
 パンチがあり(いま、聴いてもこのパンチは元気をもらえます)、エレガントなハスキー・ヴォイスと優美な容姿やファッションが印象に残っています。1970年からはアメリカでダンスに励み、躍動感溢れるダイナミックなステージ活動を繰り広げました。

 SYLVIE は、1944年8月15日、ブルガリアのイスクレッツで生まれました。父はフランス人、母はハンガリー人だそうです。10歳の時に一家ともどもパリに移住、16歳のときに、すでにプロのトランペット奏者になっていた兄エディのすすめで、兄の友人フランキー・ジョルダンとデュエットで「恋のハプニング」をレコーディング、1961年9月にリリースされ、ヒット曲となりました。

 19歳にオランピア劇場にデビュー、SYLVIEの時代が到来しました。新しいシャンソンをひっさげて・・・・。

 「アイドルを探せ」は同名映画の主題歌です。SYLVIE の人気が決定的となった記念碑的作品です。シャルル・アズナブールが詩を書き、彼の義弟であるジョルジュ・ガルバランツが作曲しました。

 SYLVIE はその後、結婚、離婚、自動車事故に遭遇。事故からのカムバックで歌ったのが、「あなたのとりこ」です。

 


永畑道子『華の乱』新評論、1987年

2011-01-21 00:17:48 | ノンフィクション/ルポルタージュ

 明治の後半から大正年間にかけて活躍した女性たちを描いたノンフィクションです。登場人物は、平塚らいてふ、伊藤野枝、与謝野晶子、山川菊枝、山田わか。

 らいてふ、野枝は「青鞜」の中心人物であり、晶子は当時「みだれ髪」で衝撃的デビューをはたした歌人、菊枝は女性の自由と平等の確保、地位向上のために闘った理論家、わかはアメリカで苦界に身をおとしていたのを山田嘉吉に救われ、伝統的な女性論を展開した女性です。

 彼女たちはいずれも、微妙に立場は異にしていましたが、社会的にも、家庭的にも隷属していた女性たちの地位向上、男女の自由と平等の権利を実現するために、闘かったことでは共通していました。

 工場での悲惨な女性の労働条件、足尾銅山鉱毒の汚染が社会問題化していた当時、男女平等の普通選挙など夢のまた夢でした。

 闘いに参加したのは女性たちだけではありません。幸徳秋水、堺利彦、河上肇、大杉栄、かれらも男女平等を説き、現状の改革は不可欠との視点から論陣を張りました。

 当然、官憲からは睨まれ、大逆事件、大杉事件で、秋水、管野すがは理不尽な処罰を受け、大杉栄、野枝は虐殺されました。

 本書は、そうした時代状況をあぶりだしながら、体制と権力に屈しなかった群像を生き生きと描き出しています。

 後半は、女性の経済的自立をとく晶子と、母性保護の視点から反論するらいてふの論争を軸に、大正期の女性論争のやりとりが克明に追跡されています。廃娼問題も課題のひとつでした。論陣をはった女性たちの文章の強さに圧倒されます。

 晶子と有島武郎の親交、松井須磨子の舞台などの記述もあります。

 巻頭には、上記5人の女性の他、木下尚江、島村抱月ら、多くの古い写真、「平民新聞」「「婦女新聞」「明星」「近代思想」「青鞜」「太陽」「中央公論」「婦人公論」などの雑誌の表紙の写真が並んでいます。


HENRY MANCINI and HIS ORCHESTRA COLEZO! TWIN

2011-01-20 00:56:59 | 音楽/CDの紹介

          &lt;COLEZO!TWIN&gt;ヘンリー・マンシーニ・オーケストラ             

 ヘンリー・マンシーニ。名前からわかるようにイタリア系。アメリカはオハイオ州クリーヴランドに生まれ(1912ー1994年)、幼少のころより、父親からピッコロを習い、その後フルート、ピアノを習得し、ジュリアード音楽院に入学しました。

 ジュリアード音楽院はクラシックのメッカですが、同音楽院出身のポピュラー・アーティストにはマンシーーニの他、ニール・セダカ、ロジャー・ウィリアムス、ピーター・ネロなどがいます。

 学生時代からグレン・、ミラーの音楽に憧れ、戦後テックス・ベネキー率いるザ・グレン・ミラー楽団のピアニスト、編曲者となりました。   

 華麗にして優美な音楽に定評があります。わたしは大学に入学したての頃、このアルバムにおさめられているムーン・リバーの美しいメロディーに憧れ、受験勉強からの解放感と、新しい大学生活への期待に心を躍らせました。

 他にも、「時の過ぎゆくままに~「カサブランカ」より~」「ひまわり」「ある愛の詩」「ロミオとジュリエット」など、ヒットしました。映像と音楽が一体となっていた時代、そして音楽それだけをとりだしても独立した芸術として人々の気持ちをとらえました。

 今回、そのムーンリバーを含め、一連の映画音楽を聴き、気持ちは一気に青春時代へ。しかし、あの日々はもう二度とかえってはこないと思うと、哀しくなります。

 このCDに収められた曲は1981年6月にロンドンで録音された演奏です。マンシーニは自身のピアノを織り込み、自作の「ムーンリバー」「酒とバラの日々」「ピンクの豹」「テン」などを収録しています。イージーリスニンングの魅力がたっぷりです。


◆収録曲
<DISK1>
・ムーン・リバー~「ティファニーで朝食を」より~
・酒とバラの日々
・時の過ぎゆくままに~「カサブランカ」より~
・ひまわり
・ある愛の詩
・ロミオとジュリエット
・追憶
・緑の風のアニー
・見果てぬ夢~「ラ・マンチャの男」より~
・ピンクの豹
・スター誕生
・テンダリー
・ミスティ
・オール・ザ・シングス・ユー・アー

<DISK2>
・ラバーズ・コンチェルト
・コパカバーナ
・歌の贈りもの
・フィーリングス
・煙が目にしみる
・ハロー・ヤング・ラバーズ~「王様と私」より~
・エンタテイナー 「スティング」より
・虹を追って
・ロッキーのテーマ
・子象の行進~「ハタリより~
・テン
・幸せの黄色いリボン
・ラプソディ・イン・ブルー~「マンハッタン」より~


小林登美枝『陽のかがやき-平塚らいてふ・その戦後』新日本出版社、2004年

2011-01-18 23:18:42 | 評論/評伝/自伝
 20年間、「らいてふ」と交流があっただけでなく、最後の病床でも看護にあたった著者による「らいてふ」研究です。

 「らいてふ」は1886年、東京生まれ。本名は「平塚明(はる)」。「青踏社」をたちあげ(1911年)、「原始女性は太陽であった」と宣言し新しい女、と当時の世間を騒がせました。

 この本は、わたしの旧来の単純な「らいてふ」像を改めさせてくれました。「らいてふ」は、女性の能力の発露を願い、「青踏」を女性の作品の発表の場として提供。

 早くから禅の研究に入り、またある種の皇国史観ももっていたとのこと。奥村博史と長く同棲。子が二人。1941年に入籍。

 戦前には消費組合運動の先頭にたち、戦中には疎開先(茨城県北相馬郡戸田井)で農耕生活、そして戦後には非武装・再軍備反対、安保条約阻止などの運動に積極的にかかわりました。

 著者は、『平塚らうてふ著作集』(全8巻)の編集にたずさわり、病床での自伝の口述を筆記するという大きな仕事を成し遂げました。

 「らいてふ」病床の日々の様子が詳しく書かれています。

宮城谷昌光『夏姫春秋(上)』文芸春秋、2000年

2011-01-18 09:05:51 | 小説
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 「春秋」とは時代の意です。また「夏姫」の「姫」は女性の意ではなく、「姫姓(きせい)」を指します。

 微妙な楚と鄭との関係、両国の軍が陳を攻め、宋を落としますが、晋が睨みをきかせています。他に、弱小ですが衛と曹。中国春秋時代の国盗合戦を小説のかたちにしたてたもので、表題から想起される絶世の美女、夏姫の像は必ずしも前面に出てきません。

 しかし、夏の妹嬉(ばっき)、商の妲己(だっき)、周の褒姒(ほうじ)、春秋の驪姫(りき),彼女たちに夏姫を入れて中国の200年にひとりの絶艶といわれるのだそうです(上、p.58)。

 夏姫は鄭の国、穆公の子として生まれ、兄の子夷の愛を受けます(今までいえば近親相姦)。その後、陳の国の御淑に嫁ぎ、子、徴舒(子南)をもうけますが、夫は早逝。

 実の兄で鄭王となった子夷が殺され、その悲しみの最中、夏姫(20歳代)は夏氏の全ての采地を陳の君主の管理下におかれるという不遇にあいます。そして、楚軍の陳国への攻撃なかで受けた陵辱。

  著者はこの作品で、第104回直木賞、受賞。(下)はまたいつか読みます。硬質の文体は、この著者の面目躍如です。

犀門(新宿区新宿3-36-15・内野ビル4F) tel03-5379-2031

2011-01-15 00:32:30 | 居酒屋&BAR/お酒
             
 久しぶりに「犀門」にきました。久しぶりというのも、15年ぶりほどです。

 ニ次会でここにたどりつきました。そろそろ帰宅と思い、新宿東南口に向かって歩いていたところ、ふと上をみあげたら、「犀門」の看板が目に入りました。懐かしい記憶が一瞬、よみがえり、ビルのエレベータに乗りこみました。新宿東南口から徒歩3分ほどです。

 広い空間、居酒屋ですが明るく、ライトがまぶしくもあります。75席ほど。テーブルはみな「けやき」でできていて、壁にも「けやき」の板がオブジェのように打ちつけられています(画像)。とくに何かがイメージされているわけではなく、ある人はウサギに、ある人は犬に、ある人は犀に(これはかなり無理)見たてています。

 この日は、ニ次会だったので、日本酒と簡単な皿ものですませました。日本酒は田酒、獺祭あたりでした。3合まで飲みました。ニ次会で3合以上飲むと、意識が危なくなり、陽気になってきますので・・・。

 このお店は「竹馬グループ」というグループに所属しているらしく、新宿の池林坊などどいわば親戚です(オーナーが太田篤哉さんという人で、この方には『新宿池林坊物語』という本があるようです)。

            

平川克美『会社という病』NTT出版、2003年

2011-01-14 00:20:29 | 経済/経営

          
 株式会社について哲学的に考察した本です。

 著者はビジネス関係の問題を考えるさいに、ビジネスに関する理論書、啓蒙書、実用書はほとんど役だたず、役にたったのは哲学書、思想書だったと言っています。そして歴史家、網野善彦と経済学者の岩井克人の思想には教えられるところが多かったと述懐しています。

 全体は6章からなり、第一章「経済的人間-大きくなりすぎた経済の力」から第四章「因果論-結果は原因の中にすでに胚胎し、原因は結果が作り出す」までが株式会社について論じている部分で、第五章は梅田望男著『ウェッブ進化論』を、第六章は藤原正彦著『国家の品格』をとりあげて論評を加え、文明批評を行っています。

 著者のいう「株式会社の病」とは、ひとことで言えば「人間の欲望」のことです(p.46)。あるいは株主が関心を持つのは会社の価値ではなく、株の時価総額であり、実は株式会社はのぞんでいるのもそれであり、株主と会社の共犯関係が「病」だと言っています(p.147)。株式会社は会社の永遠の形態でも、最良の形態でもありません。それは歴史の産物であり、乱熟した資本主義におけるひとつの形態にすぎないのです。

 所有と経営を分離することによって株式会社は、財やサービスの生産という迂回路を省略して利潤(配当)を得ることができるようになりました。そして株式が取り引きされる証券市場が形成され、莫大な利益をえる可能性の場が生まれました(もちろんリスクも大きいのですが)。

 しかし、株式会社はもともと反社会的存在であり、1720年には英国議会が株式会社を不法として禁じたこともあったことがあるほどです。そういった事例をひきながら、著者は会社というものはどういうものなのか、現在社会に進行するさまざまな企業不祥事がなぜ繰り返されるのか、この問題に回答をあたえるためには経営者、株主個人の問題としてではなく、会社シズテムの問題(会社の存在論)について考える方法論が必要であると考えたようです。

 株式会社について論じながら、話題はときに政治、教育、宗教にまで及んでいます。株式会社の問題は単純に経済と労働のロジックだけでは解けないからです。この姿勢には共感がもてました。

 日本の社会が高度成長以降、大きく変わってしまったこと、互酬的共同体が崩壊し、金が金を生む時代に突入するにいたったこと、著者が感情を抑えた文章のなかから時折発する怒りは、欲望が社会を駆動し、そのことが肯定的こ評価される狂った社会、日本に向けられているようです。


井上ひさし『この人から受け継ぐもの』岩波書店、2010年

2011-01-12 00:16:08 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談
           
 劇作家、井上ひさしさんが生前に書いたもの、講演会での話を、「この人から受け継ぐもの」というテーマのもとに編集された本で、「この人たち」とは井上さんが敬意をもっていたり、私淑していた人たちです。

 その人たちとは、吉野作造、宮沢賢治、丸山真男、チェホフです。井上さんは旺盛な好奇心、知識欲に裏づけられた知見をもっていた人で、この本からも多くのことを教えられました。

 吉野作造をつうじて憲法・国家論を論じた文章では、この学者が唱えた民本主義(民主主義と同義)の内容とその思想と戦後の憲法との関係がわかりやすく説明されていたほか、日露戦争のアメリカの企みが「なるほど感覚」で解説されていました。もちろん、当の吉野作造の果たした役割と社会貢献も丁寧に記述されています。

 宮沢賢治では、この作家がかなりの躁鬱病に悩まされていたこと、めざしたユートピアがどのようなものであったのか、井上さん自身がもとめるユートピアの賢治のそれとの相違など、面白く論じられています。

 丸山真男では戦争責任論について触れられ、インチキ東京裁判(勝者が敗者を裁いたという単純な構図ではなく、天皇訴追をたったアメリカの意図)、戦争責任が曖昧にされたことの犯罪性をついた丸山真男の遺訓の継承を唱えています。

 チェホフの笑劇・喜劇を論じた文章では、チェホフの演劇のなかだなにが新しかったのか、ヴォードヴィル(歌あり踊りあり滑稽な話芸ありの大衆向けショー、あるいはそのショーに挟み込まれている笑劇やコントやスケッチの類)がどうして重視されるべきなのか、などについて解説されています。チェーホフの人柄、チェーホフ演劇の革新性よくわかりました。

 最後の「笑いについて」は未完成稿であるが、ジョン・ウェルズの笑いを初め、アリストテレス、ショーペンハウアー、キルケゴール、あるいはスクリーブの笑いをとりあげ、笑いの正体を追及しています。笑いとは、人間がその共同生活体である社会に対して適合性を欠いたときに発生するもので、笑いはそれに対する処罰であり、矯正なのだそうです(p.138)。

 また、ショーペンハウアーとキルケゴールは「矛盾や不釣り合いの要素が、同時に同一のコトガラに属しているとき、笑いが生まれる」と言っているそうです(p.139)。

 なにやら小難しい話になってきましたが、難しい話をわかりやすく、なっとくずくで説くというのが井上流なので、以上のことを理解したい人は、まずもって本書を紐解くべし。

「化粧」(こまつ座第92回公演)新宿:紀伊国屋ホール

2011-01-11 00:11:15 | 演劇/バレエ/ミュージカル

              

 新春、いいお芝居を観ました。ひとり芝居「化粧」です。

 昨年まで、渡辺美佐子さんが演じていたこの芝居を平淑恵さんがバトンをひきつぐ形になりました。

 井上ひさし追悼公演、演出は鵜山仁さんです。

 さびれた芝居小屋の楽屋。そこには座長、五月洋子の幟がたっています。人生で何度も演じてきた象徴です。そこに遠くから客入れの演歌が流れ込んできます。大衆演劇の原型がそこにあります。しかし、座の運営はたちゆかなくなっているようすで、立退きがせまられている雰囲気です。
 

 五月洋子は舞台にたつために、楽屋で化粧を始めます。座員にはっぱをかけ、自ら気合いをいれ、檄をとばします。

 化粧をしながら口上、そして十八番の確認作業。母もの芝居「伊三郎別れ旅」の準備に余念がありません。

 そこにTBS関係者が入ってきて、テレビのワイドショーの出演を依頼します。そして、話を聞くと、どうもそのあいてというのが今売り出し中の若手男優のよう。

 洋子はかつて結婚し、子どもをひとり産みましたが、その夫は落ち目の座をみかぎって逃げてしまいました。彼女にはこの道しか生きていくすべがなく、泣く泣く子どもと別れた過去がありました。TV番組にでる予定の相手側の男優は、その昔、別れた子どものようです????

 この「伊三郎別れ旅」と五月洋子自身の人生が重なり合って、舞台は展開していきます。

 舞台を終え、洋子が楽屋に戻ると、何とその男優がそこに訪ねてくるではありませんか。何と母の演じる舞台を隠れるようにして観ていたとのこと。何十年ぶりの再会!

 さてこの話はどうなるのか。意外な結末です。悲しみをさそいます。ぜひ、紀伊国屋ホールに足を運んでみてください。東京公演は16日(日)までです。そのあと、全国をまわります。

 ひとり芝居は大変。ひとりで化粧をしながら、約1時間20分を演じ続けます。この間、舞台の上で着物を脱いだり、着たり・・・。それが自然にできなければならず、かつ見栄をきるところはきるし、最後は宙づりでの演技となって、幕です。


 一人芝居は初めて観ました。井上ひさしさんの脚本の素晴らしさはもとより、演出、美術、音響、照明、衣装、所作指導、みんなの力があわさって、最高の舞台となりました。

 平さんは北海道帯広市出身、大学は立教女学院出身です。