【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

クリント・イーストウッド監督「インビクタス/負けざる者たち」

2010-02-28 00:08:20 | 映画

クリント・イーストウッド監督「インビクタス/負けざる者たち」2009年、 東京・丸の内ピカデリー
        インビクタス/負けざる者たち

 南アフリカ共和国の最初の黒人大統領マンデラ(モーガン・フリーマン)。彼の治世下、1995年にラグビーのワールドカップがその南アフリカ共和国で開催されました。

 このワールドカップで、前評判で注目されてもいなかった南アフリカ共和国が大活躍します。白人中心で編成されていたこの国のラグビーチームはアパルトヘイトの黒人の憎悪の対象で、弱体化していました。マンデラは国内での黒人と白人の団結が必要不可欠と考え、ラグビーチーム「スプリングボクス」を何とかして強いチームに育てようと願います。

 マンデラはチームの主将ピナール(マット・デイモン)を官邸に招き、彼が黒人と白人の架け橋となることを依頼します。これが契機になって、チームのメンバーのなかに単なるラグビーチームではなく政治的役割を担っていることの自覚が出てくるようになります。チームワークが強まってきます。

  ワールドカップ本番、チームは下馬評を覆して快進撃、決勝に進出します。強豪のニュージーランド代表オールブラックスとの対決です。

 ネルソン・マンデラが27年間の牢獄生活より解放され、大統領となったとき、政府の中枢部で働く白人たちは荷物を纏めて去ろうとしましたが、マンデラは赦しこそがこの国の未来の礎となることを説き、黒人と白人の相互理解を重視する融和路線の方向に舵を切り替え、そのための人事を行いました。マンデラのボディーガード陣には前大統領の白人警備スタッフも採用されました。

 祖国の未来のために過去を捨て、黒人と白人とが協力して国づくりをしていくことを問い、実践したのがマンデラです。ワールドカップはその象徴であり、マンデラの強く固い意思がチームの力になりました。決勝戦がどうなったのかは、映画館に行って確認してください。

 監督は「マディソン郡の橋」で主演したクリント・イーストウッド。監督としての手腕がさえわたる作品です。銀座の有楽町駅直近の「丸の内ピカデリー」で上映中です。


西欧絵画と聖書との深い関係

2010-02-26 11:00:59 | 美術(絵画)/写真

井出洋一郎『聖書の名画がなぜこんなに面白いのか』中経出版、2010年
              聖書の名画はなぜこんなに面白いのか

 西欧の名画を理解するには、「聖書」の読み込みが大前提であるとよく言われます。本書でも、著者は手元にあるルーヴル美術館カタログから、イタリア画家の人名AからLまでによる絵画を調べたところ、そのうちの4分の3が神話と聖書の主題による絵画だったそうです(p.2)。

 そして絵はもともとは「読む」ものであり、眺めて楽しむものになったのは19世紀半ばになってからだそうです。「それまで絵は物語や歴史や何らかの思想内容をイメージとして表現するコミュニケーションの手段であり、それは言葉に置き換えられるものでなければならない、つまり読むものであった」(p.237)というのです。

 このような妥当な考え方にたって、著者は聖書の展開に即していわゆる名画を読み解いていきます、「第一章:旧約聖書の物語」「第二章:マリアとキリストの物語」「第三章:聖女、聖人の物語とアレゴリー」「第四章:旧約聖書の物語」。この大枠のなかで天地創造、アダムの創造から始まって、
・エヴァの創造/・原罪と楽園追放/・ノアの物語/・バベルの塔/・ソドムの崩壊/
・イサクの犠牲/・ヤコブからヨセフへ/・モーセの物語/・サムソンとデリラ/・ダビデの物語/・ソロモンの物語/・ユーディットの物語/・スザンナの物語/・無原罪受胎/・受胎告知/・キリスト降誕/・聖アンナと聖母子/・聖母子像/・ピエタ/・死・被昇天・戴冠/・洗礼、試練・招命/・世俗との闘/・最後の晩餐/・ゲッセマの祈り/・逮捕から刑場へ/・磔刑と埋葬/・復活から昇天/・最後の審判/・ペテロとヨハネ/・マグダラのマリア/・サロメの物語/・聖カテリーナと聖マルガリータ/・聖アントニウスと聖セバスティアヌス/・聖フランチェスコ/・死とヴァニタス/・怠惰と慈愛
    ・・・と進んでいきます。

 と、このように説明するとこの本は難解かと思うかもしれませんが、多くの絵画が挿入され、対話形式のギャラリートークが採用されているので、叙述はきわめて平易です。

 キリスト教文化に触れるのには最適。

 


林家木久蔵さんの自伝

2010-02-26 00:05:13 | 評論/評伝/自伝

林家木久蔵『昭和下町・人情ばなし』日本放送出版協会、2001年

                           昭和下町人情ばなし
 
  完全な自分史です(サイン入り)。

 数年前,埼玉県の「リリアで」の落語会(「年忘れ,爆笑三人会」)のおり,ロビーでもとめました。木久蔵さんご本人が販売していました。握手もしてきました。

 昭和初期から,戦争,戦後,苦労して無意識のうちに自分を磨きあげたとのこと。その木久蔵さんが東京の生活、自身の人生を見つめ,下町の情緒を体感したのだそうです。

 雑貨問屋、紙芝居,映画館,銭湯 。漫画家の清水昆の勧めで、落語界入り。桂三木助師匠、次いで林家正蔵の弟子になりました。エノケン、横山やすし、小円遊、好楽との出会いが楽しげに書かれています。

 この方は大変に絵がうまいですね。子供の頃、明治座の芝居絵を見て、みようみまねで描いて、それ以来といいます。

 おかみさんとの結婚話、「あとがき」で林家きく姫の真打昇進が嬉しそうです。

 落語家の私生活はあまりわからないだけに,興味がわき,一気に読了しました。


不朽の名作「風と共にさりぬ(Gone wiyh the Wind)」

2010-02-25 00:20:01 | 映画

週刊「20世紀シネマ館」1952②

         

 
昨日、紹介した週刊「20世紀シネマ館」は全部で50冊、それに付録が数号ありました。週刊誌ですから、毎週配本されたわけで、およそ1年間続きました。

 今日はその第2号の紹介です。メインは「風と共にさりぬ(Gone wiyh the Wind)」です。一生のうちで観なくては損という映画が何本かありますが、この映画もそのなかに入ります。

 ヴィクター・フレミング監督、主演はクラーク・ゲーブル、ヴィヴィアン・リーです。原作はマーガレット・ミッチェルです。

 あらすじは、およそ次のとおりです。

 南北戦争直前のジョージア州。その一画にあるタラの大地主の令スカーレット(ヴィヴィアン・リー)は、幼馴染のアシュレー(レスリー・ハワード)を愛しますが、彼はいとこのメラニー(オリビア・デ・ハヴィラント)と結婚します。スカーレットは野性的な男性実業家のレット・バトラー(クラーク・ゲーブル)に出会い惹かれますが、メラニーの兄と結婚、しかし、その夫を戦争で失くし、スカーレットはレットに助けられ、やがてレットの球根を受け入れます。スカーレットはそれでもアシュレーを忘れることはできません。その結末は??? 「タラ! わたしの故郷。私のタラに帰ろう。タラに帰ってすべて考えなおそう。明日に望みを託して・・・」 音楽のタラのテーマが思い出されます。

 この号では他に1952年の作品、「第三の男」(キャロル・リード監督、ジョゼフ・コットン、アリダ・ヴァリ主演)、「陽のあたる場所」(ジョージ・スティーヴンス監督、モンゴメリ・クリフト、エリザベス・テーラー主演)、「真昼の決闘」(フレッド・ジンネマン監督、ゲ^リー・クーパー主演)、「天井桟敷の人々」(マルセル・カルネ監督、アルレッティ、ジャン・ルイ・バロー主演)などの記事、写真が載っています。みな、観たことがあるので、懐かしいです。


”永遠の妖精”オドリー(Audrey Hepburn)の「ローマの休日」(1954)

2010-02-24 00:13:38 | 映画

週刊「20世紀シネマ館」1954①

           


 2004年(平成14年)1月から配本された懐かしの欧米映画の週刊誌。ちょうどこの頃、「遅咲きの映画ファン」として映画に熱中していたので、購入しました。その第1回配本が、この号です。

 メインの映画は、ウィリアム・ワイラー監督「ローマの休日」です。オドリー・ヘップバーン、グレゴリー・ペックが主演です。表紙はオドリー。11枚ほどのスチール写真が収められています。

 ローマのスペイン広場でジェラードを食べながるアン王女。有名なシーンです。サンタ・マリア・イン・コスメディアン教会の「真実の口」でのワン・シーン、新聞記者ジョーの下宿に転がり込んだアン王女などなど。「一日中、気ままなことをして過ごしたいの、カフェに座ったり、お店を見たり、雨の中を歩いたり・・・楽しいでしょうね」と王女はささやく。

 「銀幕の主人公たち」の欄には、「彗星のごとく世に現れた”永遠の妖精”」オドリーの詳しい紹介があります。

 この号には、この他、1954年の名画がずらりと並んでいます。オットー・プレミンジャー監督「帰らざる河」(マリリン・モンロー主演)、クロード・オータン=ララ監督「赤と黒」(ジェラール・フィリップ、ダイエル・ダリュー主演)、ヒッチコック監督「ダイヤルMを廻せ」(レイ・ミランド、フレイス・ケリー主演)、エリア・カザン監督「波止場」(マーロン・ブランド、エヴァ・マリー・セイント主演)などなど。

 「素晴らしき哉、人生!」(フランク・キャプラ監督)、「しのび逢い」(ルネ・クレマン監督)もそうですね。ちなみに日本映画では木下恵介監督「二十四の瞳」(高峰秀子主演)がこの年です。

 1954年はまさに、映画の全盛時代でした。


人間回復の経済学

2010-02-23 00:08:08 | 経済/経営
神野直彦『人間回復の経済学』岩波書店、2002年
                
                    

 これからの日本社会の進むべき道を描いた綱領のような本です。

 世紀の変わり目(エポック),新自由主義的発想により市場メカニズムを過信した「構造改革」が暴走していることへの警告の書です。さらに,人間はホモ・サピエンス,つまり「知恵のある人」であるはずであるがゆえに、人間性の尊重に重きをおいた方向に社会の進路のハンドルを切るべきことを提唱しています。

 財政社会学的アプローチから、「経済システム」「社会システム」「政治システム」のバランスのとれた関係に重きをおいて人間社会総体を構築しなければならないと解iいています。

 具体的には現在の社会を,重化学工業を機軸とする大量生産,大量消費の「ケインズ型福祉国家」の後にくる知識集約型社会へ方向転換の提唱です。そのひとつのモデルがスェーデンの実験,「ワークフェア国家」です。

 ヨーロッパのサステイナブルシィティ,札幌,高知などの都市再生の試みなどに,これからの未来への展望の萌芽をみています。

五木さんの案内で京都のお寺を廻る

2010-02-22 01:29:00 | 科学論/哲学/思想/宗教
五木寛之『百寺巡礼[京都Ⅰ]』講談社、2008年
               
                      



 五木寛之さんの「百寺巡礼」シリーズの一冊です。実際にでかけたお寺でないと感興がわかないと思い、京都編を手にとってみました。

 10のお寺がとりあげられていますが行ったことがないのは「浄瑠璃寺」と「真如堂」のみ。あとの「金閣寺」「銀閣寺」「神護寺」「東寺」「東本願寺」「西本願寺」「南禅寺」「清水寺」は歴訪しました。

 著者の次の感慨に共感がもてました。それは、京都という街の不思議な魅力。歴史が古いだけでなく、日本列島でもっとも新しいものに貪欲な都市ということ(p.4)。何箇所かにこの指摘があります。

 また、学んだことが多かったです。金閣寺は足利義満の私邸である(もともとは寺でない)北山第のなかの舎利殿ということ。また義政がつくった銀閣寺も山荘であり、観音堂であるということ(観音の「観」は智慧をあらわし、「音」は世間の響きのこと)。

 神護寺に関わっては、最澄と空海との関係、東寺ではその威容とこのお寺の位置づけ、空海との関係、立体曼陀羅の世界、本願寺に関連しては西と東とで秀吉と家康との相克、南禅寺は南朝の発端となった亀山法皇が離宮であった禅林寺殿を禅寺に改めたことに由来するということ、そして隣接する金地院に東照宮が祀られている理由、宗派にこだわらずお参りできる懐深い清水寺といった具合です。

 なかに応仁の乱のことが語られていたり、日本史の復習にもなりました。

 そして、浄土真宗が一神教であありながら他の八百万の神も認めていること、ただひたすら念仏せよという法然の考え方(易行念仏)など宗教のことを知ることができたのも収穫です。


千住家の調和と葛藤

2010-02-20 01:11:14 | 音楽/CDの紹介
千住文子・千住真理子『母と娘の協奏曲』時事通信社、2005年
            
             

 千住家は凄いとよくいわれます。誰でもそう思います。

 ヴァイオリニストの真理子さん,画家の博さん,作曲家の明さん。みな一流で,現役。

 何故,そのような子どもったちが育ったのか,この本を読むと母親の文子さんはよく尋ねられるようです。

 本書は,その母親と真理子さんとの対談です。子ども達の音楽との,特にバイオリン教育で名をなした鷲見三郎との出会い,江藤俊哉の苛酷なレッスン,印象的なシーンの描写があります。

 本書前半では,母娘のお喋り(やや散漫な?)の感じが強いですが,後半は,千住家の中の葛藤,芸術論で火花が散り,一気に盛りあがっていきます。

 演奏家の真理子さんが「演奏の評価を自分自身で見際めにくい,究極的に何を目指して弾くのか,芸術の山の頂点は何か,神ではないか」と言うのに対し,文子さんはこれを即座に否定し,それは「(我の)人間性」と反駁しています。真理子さんの悩みは「底辺」の話で,「拍手」とか,「演奏家としての引き際」などを考えるのは「よこしま」(p.211)と決めつけます。

 慶応大学の教授(経営工学専攻)だった父親は影が薄く,特異な人格ですが,バックボーンとしての存在は否定しようもありません。

 夫の死後,文子は一時体調をくずしましたが,病い癒えて蘇りました。偉大な母親です。

 真理子さんの演奏は一度,東京芸術劇場で聴いたことがあります。

横浜の穴場「野毛」界隈

2010-02-19 00:56:45 | 居酒屋&BAR/お酒

横浜・野毛の七福  横浜市中区野毛町1-6  tel.045-242-7293

 横浜に散歩となるとみなさん、山下公園界隈とか、海の見える丘などにいくと思います。環状バス「あかいくつ」に乗っての観光もいいですね。夕食は、そのあたりに美味しいところがたくさんあります。

 ところが、JR桜木町で降りてそちらのほうに向かわないで、反対の野毛地区にもよいお店がぎっしり並んでいます。その一角はおしゃれというよりは、熱気むんむんのアジアの諸国で時々みられる居酒屋街のようです。

 そのなかでも、ここ「七福」は老舗で、落ち着きがあります。画像のように大きな提灯がかかっていますし、杉玉(新しいお酒が入ったことをしらせるもの)も吊る下がっていますので、由緒あるところであるのは間違いありません。

  メニューでは、うなぎ料理、焼き鳥、赤ナマコ、さざえの壺焼き、あゆの塩焼き、白子ポンス、イワシふらい、ふぐなべ料理のほか、自家製の「ホタテ辛みそ焼き」「ほたてバター」など豊富です。

  お酒は新潟のものが中心で、八海山、景虎、〆張鶴、久保田など魅力的です。ときどき「獺祭(だっさい)」[山口県]が入っていて、壁に「入荷」を知らせる張り紙をはってアナウンスしています。 

         野毛 七福 交通案内


日本・日本語・日本人

2010-02-18 00:09:54 | 言語/日本語
大野晋、森本哲郎、鈴木孝夫『日本・日本語・日本人』新潮社、2001年
                       
               

 大野晋さん、森本哲郎さん、鈴木孝夫さんの鼎談、都合3回、約20時間にわたり「日本人とことば」という話題で、談論風発を行った記録です(p.199)。

 融通無碍の国=日本の特殊性、日本語の起源など縦横に議論が展開されています。圧巻は、日本人が英語とどのようにつきあい、学んでいったらよいのかが話題となった後半部分。一気に盛り上がりをみせ、故小渕首相の私的諮問機関「21世紀日本の構想」懇談会が2000年に提出した「英語第二公用論」を糾弾しています。この文書は、英語を小学校から教え、英語を第二の公用語にすべきという内容のものらしいですが、小学生に英語など教えても結局、日本語も英語もダメな子供しか育たないと、三氏ともあきれ返った様子です。

 あわせてアメリカ追随の戦後日本の姿勢を批判しています。日本・日本語・日本人を歴史的に考察し、日本の文化、伝統にもっと関心をよせ、愛さなければならないというのが終着点です。

 偏狭なナショナリズムではない、正当な日本人論がそこにあるように思いまます。

 三氏の主張は簡単に言うと・・・・。
「大事なことは、ものをよく見るということではないか。感じるのではなくて、見る。日本人は、見ることについてもっとよく考えて実行する必要がある」(大野)。

「母国語である日本語は日本文化の根幹である。それゆえ、私たちは、日本とは、日本人とは、そして日本語の本質とは何かを、くり返し問わなければならないのである」(森本)。

「日本がこのままアメリカについていって本当にいいのか。むしろ、世界の過度なアメリカ化の危険を指摘して、もっと日本化せよと言えるのではないか」(鈴木)。

大正時代の女性だけの社会主義者の会

2010-02-17 01:07:57 | ノンフィクション/ルポルタージュ
江川昭子『覚めよ女たち~赤瀾会の人々』大月書店、1980年

 赤瀾会(せきらんかい)は今までほとんど知られることがなかった大正時代の女性社会主義者の会です。

 これに先立って当時の東京には、社会主義を標榜する思想家グループがいくつもあり、有名なところでは大杉栄を中心とする労働運動社、山川均・菊栄夫妻が主宰する水曜会、高津正道などの早稲田派の自主会などがありました。

 赤瀾会の母体は北郊自主会で、後者は主に時計工組合(ナップボルツ時計工場の労働者が組織した急進的な労働組合)と北風会(アナーキスト系の思想家ッグループ)などの人々が集まった自主的研究グループでしたが、女性もここに参加していました。九津見房子、伊藤野枝、堺真柄、橋浦はる子、秋月静枝らです。

 女性ばかりの集まりに名称を、ということで九津見が赤瀾会(「瀾」は「さざなみ」の意味)を提案し、それに決まったとのことです(p.22)。42名くらいの会員がいて、簡単な綱領のようなものもあったようです(p.23)。

 この赤瀾会が世間の注目を集めたのは、1921年の第2回メーデーにメンバーが参加し、警官と衝突し、参加した女性が全員が検束されたという事件によります。社会主義者にたいする支配階級の弾圧は厳しく、赤瀾会は中心人物であった九津見房子の離京、高津多代子のお目出度誌事件、堺真柄と仲宗根貞代の軍隊赤化事件が重なってその年の秋には空中分解、自然消滅しました(p.177)[23年山川菊栄の八日会に引き継がれる]。

 その理由は弾圧の厳しさが客観的な要因であったが、赤瀾会に参加した女性はほとんどが男性の社会主義者の身内(妻など)であり、理論的な立場からの行動というより多分に情緒的であり、また労働者、一般人とのつながりが弱かったという点にあったからのようです。

 著者は従来還り見られることもなく、歴史の荒波のなかに消えていった赤瀾会の足跡をたどり、その結成から50年ほどたって生存していた方々を探し出し、インタビューを行って本書をまとめました。8年ほどもかかった大きい仕事でした。

 登場する方々の名前を一覧しておきます。堺真柄・為子、高津他多代子、橋浦はる子・りく、仲宗根貞代、伊藤野絵、九津見房子、北川千代、山口小静、林てる、秋月静枝、中村しげ。

「傷だらけの山河」の映画化(山本薩夫監督、1964年)

2010-02-16 00:43:43 | 映画

山本薩夫監督「傷だらけの山河」1964年 銀座シネパトス

                 傷だらけの山河 [DVD]         

   昨日の本ブログで紹介した石川達三の小説「傷だらけの山河」の映画化です。というより、この映画をわざわざ観にいったのは、かつてこの小説を読んだことがあったからです。そして、若尾文子さんが出ていたからです。上映映画館は、「銀座シネパトス」でした。。

   原作にかなり忠実ですが、映画であるがゆえに資本家の生臭さ、人間の葛藤、苦悩が色濃く出ていました。

 人間の葛藤のひとつは、西北グループの会長である有馬勝平(山村聡)と との資本家同士の確執です。

 もうひとつは勝平に妾が3人いて、彼と彼女たちそしてその子供たちとの錯綜した人間関係です。

 話を大括りでまとめると、主要な流れは以下のとおりです。

 資本家、勝平は新しく鉄道をひく事業計画をたて、関東開発の香月(東野英治郎)と競うなかで実行にうつし、開通式に漕ぎつけ電車が走り出しますが、線路上でエンコした軽三輪車と衝突事故をおこすという結末です。勝平は鉄道をひくことで、沿線にデパートがたち、商店街が形成され、ゴルフ場ができると社会貢献に名を借りた大義名分を主張しますが、要は資本蓄積の権化に他ならないのです。学園も建設し、教育活動にも力を入れていきます。

 その勝平には女が3人いますが、本当の家族をないがしろにし、使い捨てにし、妾の子の将来には関心がありません。

 勝平は会社で働いていた美貌の女性・福村光子(若尾文子)に手をだし、彼女と同棲していた画家をパリに留学させることを条件に、4人目の妾にする。そこからまた新しい矛盾がでてきますが、問題の解決はいつも金銭との控え、関係の一方的な切り捨てです。

 と、このように、この映画では、資本家のあくどい利潤追求の欲望と、人間を人間とも思わないゆがんだ私生活が活写されています。日本映画史上で、初めて資本家の実像を描いた作品として知られています。

 2時間半の長い映画ですが、テンポがよく、まったくあきることなく、疲れることもなく見終えることができました。
        


石川達三『傷だらけの山河』新潮文庫

2010-02-15 00:40:22 | 小説
石川達三『傷だらけの山河』新潮文庫、1969年

 この作家の小説づくりのうまさには毎度,感心させられます。

 主人公は,巨万の富みを貯えた事業主(西北電鉄),有馬勝平。新たに滝山線の敷設計画を構想。秘密裏に東京近郊に電車を通す総合発展計画を目論み,土地を買い占め,レールをひき,団地,商店街を作り,地価上昇が齎した利益で,いわばただ同然で鉄道を通そうとうします。

 政治家と癒着があり,したい放題です。それを都市開発,住民へのサービス提供という大義名分で推進するのです。

 勝平は妾を3人もち,新たに貧乏画家の同棲相手,民子に条件づきで(画家をフランスに留学させる)手をつけます。勝平とその妻(順子)と息子たち,妾とその子(2人の異母兄弟),民子との関係を絡め,話は展開していみます。

 勝平はライバル関東開発公社の香月,また地元住民の反対運動を蹴散らし,電車開通に漕ぎつけます。

 他方で教育に関心を寄せ,専門学校をもスタートさせますが,入学式直前に息子で精神に異常のある秋彦が放火。都市開発の帝王が国土(土地)を荒廃させ,個々の人間をも蹂躙し,犠牲にしていくさま,物神化した資本の剥き出しの本性を暴いた大衆小説です。575ページ。

手紙文の魅力

2010-02-14 00:44:53 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談
半藤一利『手紙のなかの日本人』文春新書、2000年

               

 親鸞、日蓮、織田信長、明智光秀、秀吉とおね、細川ガラシャ、大高源五、良寛、小林一茶、佐久間象山、吉田松陰、坂本龍馬、勝海舟と西郷隆盛、乃木静子、夏目漱石、永井荷風、山本五十六、小泉信三、香淳皇后の手紙が紹介されています。

 手紙は私信が主ですから、きどらない感情、いつわらない心情が吐露されるので、人柄が滲み出るものです。

 手紙という言葉は江戸時代まではなかった言葉、と書いてありました。それまでは書翰、消息、玉章(たまずき)、玉信、書状、往来などの名称であったそうです。

 目次にそれぞれの手紙から文章の引用がひとことあります。これがいいですね。坂本龍馬は「一人の力で天下動かすべきは、是また、天よりする事なり」、秀吉とおね「ゆるゆるだきやい候て、物がたり申すべく候」などなど。夏目漱石の書簡が面白い、端的な物言い。

 著者の半藤さんは、小泉信三が息子の信吉に出征のおりに宛てた、幻の名文と言われた書簡に感銘しています(そんなに美化していいのか? と一瞬思いました)。

書店の役割は? 読者はどう変わったのか?

2010-02-13 00:15:15 | 読書/大学/教育
湯浅俊彦『書店論ノート-本・読者・書店を考える』新文化通信社、1990年

 本書は20年ほど前に出版されました。図書館でたまたま見つけました。本、書物、書積に対する価値観、それらをめぐる環境が激変するなかで、書店はどういう位置にあるのか、どうあるべきなのかについて問題提起がなされているいい本です。

 今となってはかなり古い本なので、読む価値があるかどうか迷いましたが、どうしてどうしてAmazonが幅をきかせている現在にも通用する内容です。あるいは、ここで提起されていることがらはもっと深刻になっているので、それらを考えるうえで避けてとおることのできない論点を確認するのに格好の本であるといえます。

 書店、読書をめぐる深刻な事態とは、一方にある「活字離れ」、書店にならぶ本は雑誌、コミック、文庫ばかり、店員にパート・アルバイトが増えている、労働条件の悪化、書店の倒産、新しい書店の登場、CVS(コンビニ)の台頭、書積の宅配便の増大などであり、他方にある「読書=高踏な行為」、「書積=文化財」といった旧態依然の価値観の固執です。

 著者は本書の最初で、書店のおかれている現状をおさえ、そのうえで「読者にとって書店とは何か」を考察しています。示唆に富む意見が開陳されていますが、そのうちのいくつかをあげると、POSシステムを前提とした経営合理化計画には賛意を示すことなく、選択買い・目的買いの読者の視点から書店を作りかえる思想を一貫させていること、書店は読者について鋭敏であるべきであり、本の一点一点が孤立して存在しているのではなく、著者やテーマの中で互いに関連しあっているという見えない関係性を的確にみぬかなければならないことなどです。

 強調されているのは、レジスター系としてのPOS、取り次ぎを結ぶ業界VANの通信系を組み合わせ、販売管理、受発注、書誌検索の合理化をはかる「書店SA(ストア・オートメーション)化構想」に対する危惧です。

 読書が人づくりにとってなぜよいことなのか(実はあまりきちんと解明されていない)、読書はいつも教養のためで、娯楽であってはならないのか(そんなことはない)、印刷物としての書積が流通していなかったときに知はそだたなかったのか(これもそうではない)など、読書に関する根源的な問いも随所にあります。

 第三部は困難な状況下でユニークな書店経営を行っている4人の書店人(小川道明氏[リブロ代表取締役y社長]、宍戸立夫氏[三月書房店長]、中西豊子氏[ウィメンズブックストア松香堂書店代表取締役]、菊地敬一氏[ブックハウス・ヴィレッジ・ヴァンガード代表])とのインタビューです。