【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

日比谷Bar 池袋1号店

2010-10-29 00:00:58 | 居酒屋&BAR/お酒
                      

  ここはよく行くバーです。日比谷バーの店舗は都内にたくさんあるようですが、ここが行きつけです。地下に向かうかなり急な階段をおり、ドアをあけると、バー独特の空間があります。いつも賑わっています。

 バーですから、最初にマッカランなどのウィスキーを賞味し、そのあとはいつも決まった飲み方です。アレキサンダー⇒ソルティードッグ⇒マティーニと進んでいきます。マティーニでしめるのが、お決まりです。誘った知人、友人にはこの流れを勧めています。

 ここでは、パスポートが発行され、会計をすると、一定の割合で印がおされ、印がたまると特典があります。この印が面白く、「出国」の印です。誕生日にはひとり無料、このパスポートを持参するだけで20%OFFという特典もあります。

 昨日は、最初の店で2時間で追い出されたので、ここで飲みなおしました。上記の流れのまんなかのソルティードッグをとばし、マティーニでしめて帰宅しました。

K.C.コール/大貫昌子訳『数学の秘かな愉しみ-人間世界を数学で読む』

2010-10-27 00:10:35 | 自然科学/数学
                                       
                             
   数学で愉しもうという趣向ですが、わかりやすいところとわかりいくいところとがあり、理解度はまだら現象です。

 全体は、序章を含めて5部。「はじめに-優雅な果実 何でこんなところに数学が?」「第一部:頭脳と数学の出会うところ」「第二部:物の世界を数学する」「第三部:人の世界を数学する」「第四部:真理の数学」。

 著者の解説を借りて、各部の内容を紹介すると、第一部では、心の混乱を整理するのに、数学がぜひとも必要なことが示されています。第ニ部ではものごとをはっきり見るのをさまたげるもののうち、物質的な現実自体の状況からくるものを探っています。第三部では、数学がいかに「公平さ」などという人間的な問題に光をあてているかを味わおうとしています。最後の部では、本書の中心をなし、数学がさまざまな道をつうじて原因と結果、証拠と証明、真理と美とのあいだにある意外な基本関係が示されること、またしばしば実際に示していることが述べられています。美と真理とは同じコインの両面というわけです。

 相関関係と因果関係とをとりちがえてはいけないこと、「平均」概念には慎重に接近すべきことなどよく知られていることが指摘されています。また数学の魅力がその本質的、内在的論理の真理性であるにもかかわらず、その世界でも矛盾が避けられないことをゲーデルが証明したこと、ワイルズが証明したフェルマの定理、宇宙の構造を理解するのに必要な「雑音」の除去など、面白く豊富な話題がたくさん紹介されています。

 ダレル・ハフの『統計でウソをつく法』[1954](高木秀玄訳、講談社ブルーバックス)は、統計の問題を考えるさいには欠かせず参照される名著であるようです(p.79)。

 法則の認識に果たすパターン認識の役割について述べられている箇所は、有益でした。著者はこの点に関連して、「科学が特に優れているのは、何といってもいわゆるパターン認識だろう」「パターンが繰り返すという事実から、私たちは自然の法則を公式化することができる」と指摘しています(p.107)。

 原題は"The Universe and The Teacup"

宇江佐理佐『アラミスと呼ばれた女』潮出版社、2006年

2010-10-26 00:00:46 | 小説
              
                
 幕末から維新、明治。

 日本に来ていたフランスの軍事顧問団と幕府の間で通詞(通訳)をしていた田所柳という女性がいたらしいです。関連資料はないにひとしく、それもそのはず当時、女性がそういう立場で仕事をすることは許されていなかったのです。そのため彼女は男装で仕事をしていました。男性のフランス語通詞は、名前がのこっています。

 その女性はアラミスの愛称をもっていました。デュマ原作「三銃士」のなかのアラミスからとったもののようです。これも「らしい」としか言えないのです。

 著者はこの女性を主人公にとりあげ、脚色し、生命を与えて、小説の世界に蘇らせました。主人公に相当する女性は「実在したらしい」のですが、この小説の大部分はフィクションです。

 この小説は、別の面で、刺激的でした。というのは、幕末の軍臣で、函館の五稜郭にたてこもり、官軍に抵抗し、その後、明治政府のなかで日本国家の建設のさなか、ロシアとの千島・カラフト交換条約の締結などで貢献した榎本武揚が登場するからです。

 司馬遼太郎の「街道を往く15/北海道の諸道」で、榎本らが品川から開陽丸に乗船し(その開陽丸は江差沖で時化[シケ]にあい沈没)、北海道に新しい国をつくるために松前藩を攻めて、これを落としたことが書かれていますが、官軍に最後まで反逆したその榎本がどうして明治政府の中で活躍したのか、長く漠然とわたしのなかの疑問事項でしたが(とくに、調べもしなかったのですが)、その謎が解けました。この小説にはそのあたりの事情が詳細に描かれていて、それは史実のようです。

 榎本の指揮のもと函館に向かった開陽丸には、数名のフランス人とアラミスこと柳さんも乗船していたとのこと。そして妻子があった榎本は、この船の中で柳さんと契りを結び、結果として柳さんは妊娠しました。

 小説は長崎で暮らす田所柳の父親平兵衛(オランダ語の通詞)と母親のおたみと柳の家族の紹介から始まります。そこから柳が成長し、途中で釜太郎と出会い(この釜次郎が後年の武揚)、釜太郎のオランダ留学ではなればなれになり、江戸で再開、そして北海道へ・・・と続くのです。

 維新を境に波乱万丈の生涯をたどった、フランス語通訳の女性の物語であす。

吉田恭子(ヴァイオリン)+白石光隆(ピアノ)「歌曲から生まれた小品たち」

2010-10-25 00:20:10 | 音楽/CDの紹介
                       
                                
                                 吉田さんの最初のCDアルバム
               *
このアルバムの最初にブラームスの「コンテンポレーション」が入っています。

  吉田恭子(ヴァイオリン)+白石光隆(ピアノ)によるレクチャー・コンサートがありました。受講生は21人(男性17人、女性4人)です。

 今回は、もともと歌曲であったものを、ヴァイオリン用に編曲されたものが演奏されました。ひとつひとつの曲について、作曲家のエピソード、音楽史での位置の解説がありました。

 くわえて、ヴァイオリンの技法、ポルタメント、ヴィブラートの効果がどのようなものであるかの説明もありました。ヴィブラートは、個人の感情表現が演奏に強くでてくるようになったロマン派以降のテクニックです。

 演奏曲は下記のとおりです。ブラームスの「コンテンポレーション」は、彼自身によって書かれた5つの歌曲作品が原曲で、クラウス・グロートの詩によります。「コンテンポレーション」は「熟視、熟考)といった意味です。シューベルトの「ヴァイオリン・ソナタ」に関連して、ソナタの語源がイタリア語のソナーレ、「響き渡る」という意味合いです。

 リストの「愛の夢」は白石さんが弾きました。変奏曲です。

 ・ブラームス「コンテンポレーション」(ハイフェッツ編曲)
 ・シューベルト「ヴァイオリン・ソナタ」イ長調、Op.162より 第一楽章
 ・シューマン「ミルテの花より『献呈』」(アウアー編曲)
 ・コルンゴルト「歌劇『死の都』」Op.12~ピエロの踊り歌
 ・リスト「愛の夢」【ピアノソロ】
  ・エルンスト「ロッシーニの歌劇『オテロ』の主題による幻想曲」Op.11
 
 最後に、特別に「タイスの瞑想曲」を弾いてくれました。拍手!

中野京子さんのレクチャー「薄命の王妃・マルガリータ」

2010-10-23 00:28:56 | 美術(絵画)/写真
 NHK番組の「怖い絵」で話題になり、3冊のそのシリーズ本を書いている中野京子さんが、朝日カルチャーセンター(新宿)で話をするということで、これを聞きにいきました。中野さんの『残酷な王と悲しみの王妃』という本が角川書店から上梓されたので、その記念講義ということです。
                    
  レクチャーはベラスケスの「ラス・メニーナス」の説明から入りました(この絵はもともとは「家族の肖像」あるいは「王の家族」と呼ばれていたそうです)。そこに描かれている王室の人々は、みなだれかということはわかっていて、、中心はもちろんマルガリータです。後ろの鏡に小さく映っているのが、マルガリータの父と母にあたるフェリペ4世とマリアーナです。

 そしてレクチャーの柱はこのマルガリータがだんだん大きくなって、オーストリアのレオポルド一世(母の実弟、父の従弟)と結婚して、一時幸せな生活をしたにもかかわらず21歳で亡くなり(4人の子も次々亡くなり、何とか女児ひとりのみ残した)、その生涯をいろいろな人が描いた絵画をとおしてたどるということでした。

 ベラスケスの画才は抜群で、幼女のマルガリータのちょっと拗ねた感じをうまくとらえているということです。マルガリータが次第に大きくなっていくプロセスを絵画でたどることができるのですが、マルガリータはどの絵でもいつもあまり嬉しそうな顔をしていません。

 話はときどき脇道にもそれ(というか本題の補強)、マルガリータの母であるマリアナが自らの叔父にあたる年長のフェリペ4世と結婚するはめになった経緯(他にも候補がいた)、またどうみても恰好がよくなく、実際に「無能王」と呼ばれていたフェリペ4世の唯一の貢献がベラスケスを宮廷画家に重用したことであること(おかげでマルガリータなどの肖像、服装、生活がよくわかる絵画が後世にのこった)、「ラス・メニーナス」のなかに描かれている小人症の女性(マリア・バルボラ)の当時の意味合い、マルガリータが来ているスカートの下にあるファージンゲールの役割、など多岐に及びました。

 受講生は40人ほど。女性が目立ちました。レクチャーはNHKの番組でみた感じそのままで(あたりまえですね)、好感がもてました。また、西欧絵画に実に詳しく、感心して聞きました。

京都おばんさい 茶茶白雨(ちゃちゃゆふだち)

2010-10-22 00:21:53 | グルメ
                         

 新宿区新宿3-26-18 カワノビル6F(03-5368-6302)。新宿駅東口から徒歩で3分程度、紀伊国屋や中村屋の手前のビル、こんなところにこんなお店があるのかと、驚かされます。地図をよくみないとわかりません。かといって、それではお客はそんなにいないのかというと、そうではなく若者を中心にいつもにぎわっています。カップルが多いです。

 お店に入ると、そこは間接照明の和空間。新宿の喧騒と雑踏がウソのようです。すぐに目につくのは長いカウンター。ここは大人の雰囲気です。そしてカウンターに座って背中側には椅子席が、その奥には座布団(?)で座る仕様の席があります。

 銘打っているのは、京都のおばんさいですから、普段家庭でも食べられるようなものを注文できます。さといもの煮っころがし、だしまき玉子、などなど。御奨めとしては、「バリ島」直伝の炭火焼、旬のおばんさい3種盛り合わせ、京都生麩田楽などです。東京で、京のおばんさいを手軽にというのなら、このお店です。間違いありません。

 全体に気取ったところはなく、リラックスムードで、京料理を身近に感じながら、いい時間を過ごすことができます。エキチカ(駅近)なのがよく、ホロ酔い加減でも、あせることなくJRの巨大な駅舎に戻ることができます。

                  

ノーマ・フィールド『小林多喜二-21世紀にどう読むか』岩波新書、2010年

2010-10-20 00:10:00 | 文学
                              
                              


 忘れられた作家、小林多喜二(1903-33)をノーマ・フィールドさんがとりあげました。切っ掛けは祖母が愛していた小樽と関わりのある作家だったからのようです。

 彼女の多喜二との出会いは、あまりよくなかったらしいです。英訳で読んだ『蟹工船』を「暗くて無様な小説、と退けた」と書いてあります。そのうちに多喜二のタキ(田口瀧子)宛の手紙を読み、「・・・自分の認識がとんでもなく偏った、狭いものではないか、という疑いの種が蒔かれた」とつないでいます(以上「あとがき」)。

 本書を読むと人間多喜二が、ときおり、読者の眼のまえにいるような気をおこさせます。小奇麗ということからはおよそかけ離れ、髪の毛はボサボサ、陽に焼けた小男で秋田訛りのガアガア声(立野信之の印象)、演説でもはじめのうちは、あのう、あのう、という間投詞がはさまってくちごもっているが、次第に調子が出てくると北海道訛りが出てきて、そのうち聴取を惹きつけていく(武田麟太郎)といった様子が描かれています(pp.194-195)。これらの描写は実像に近いでしょう。

 小樽高商時代の実像、拓銀に入ってからの銀行マンとしての多喜二についても(実直で真面目、仕事は能率よくこなしていた)、資料をもとにその人柄が浮き彫りにされています。新しい手紙がみつかったり(多喜二は筆まめだったが、手紙をもらった友人、知人は官憲に眼をつけられることを恐れて、焼却してしまったという話も紹介されている)、拓銀が倒産したおり(1998年)に出てきた資料から、多喜二は「依願退職」ではなく、「依願解職」であることがわかったり、1928年3月15日の逮捕、投獄から約2年後に保釈され、神奈川県の七沢温泉で作品を書いていた場所が2000年3月に判明した、など新しい事実が盛り込まれていることも本書の魅力です。

 そのような著者独特の語りを基調に、『蟹工船』『東倶知安旅行』『防雪林』『一九二八年三月十五日』などの名作が読み解かれ、政治と文学、政治と男女の愛といった普遍的なテーマも論じられています。

 志賀直哉、川端康成、伊藤整との関わり、また当時の中央の雑誌『新潮』『改造』『中央公論』『週刊朝日』『読売新聞』などの商業紙誌が多喜二に執筆の場所、機会を与えたり、比較的好意的な論評をしていたことには驚かされました。

 多喜二は特高によって虐殺されましたが(享年29)、彼を愛した人は過去にも現在にもたくさんいることがよくわかりました。

 「いまどき、プロレタリア文学など時代錯誤」という風潮を払拭する出来栄えです。

吉村昭『高熱隧道』新潮文庫、1975年

2010-10-19 00:40:19 | 小説
吉村昭『高熱隧道』新潮文庫、1975年

         

 日本電力株式会社がその建設に着手した黒部第三発電所。昭和11年8月中旬に始まり、その完成は昭和15年11月。

 工事内容は、黒部渓谷の上流仙人谷でのダム構築、取水口・沈砂池の建設とそれにともなう仙人谷から下流方向の阿曽原谷附近までの水路・軌道トンネルの掘削でした。
 阿曽原谷側と仙人谷側の両方から全長904メートルの軌道トンネルを貫通させる難工事です。

 掘削作業それ自体が重労働であるうえ、岩盤温度が160度を超えるため人夫は水をかけてもらいながらの短時間の交替作業でした。犠牲者は300名余を数え、その死にざまは、遺体の損壊の甚だしさの克明な描写に示されるとおり、地獄のようでした。

 この小説の大きなテーマは、前人未踏の自然のなかでの予測のつかない猛威と対峙する人間の営為です。

 くわえて、サブテーマがいくつも盛り込まれているので、重層的な構成になっています。そのサブテーマとは、学者の知見の限界と現場技術者、人夫の苦吟をともなった労働、極限状況におかれた土木作業の過酷さ、高温によるハッパ用ダイナマイトの自然炸裂の凄まじさ、泡(ホウ)雪崩の爆風という人間の想像力を超えた自然の力、日華事変から太平洋戦争へと向かう日本の軍国主義を産業面から国家の威信をかけて支援する土木事業とその過程ななかでの現場の技術者の矜持と苦悩、隧道工事を取り仕切る指導者の情熱と挫折、等々です。

 迫りくる軍靴を背景として、急峻な自然を相手に国家の威信をかけた隧道工事とは何か、そこでの非人間的な労働とは何かを、綿密な調査で再現した圧倒的な記録文学です。

小川典子『夢はピアノとともに』時事通信社、2008年

2010-10-18 01:23:13 | 音楽/CDの紹介
小川典子『夢はピアノとともに』時事通信社、2008年

          夢はピアノとともに  

 小川さんの演奏はかつて聴いたことがあります。全曲ドビュッシーでした。ドビュッシーの魅力を解説してくれて、それでわたしにとってドビュッシーが近いものになりました。小川さんはきさくな人柄だった記憶があります。その小川さんのエッセイ集です。

 読んでみてこんなに凄い人とは知りませんでした。幼い頃からピアノを弾くことが好きで、東京音大付属高校を経てジュリアード音楽院へ。卒業したものの、指導教授が病に倒れ不本意な学生生活を過ごしたそうです。

 しかし、キャプラン氏の誘いでロンドンへ留学。指導よろしくリーズ国際コンクールで三位入賞。それからというもの彼女の演奏活動は、海外を中心に多彩を極めます。そのあたりはこの本の「第2章:空とぶピアニスト」に詳しいです。

 彼女は自身を語っています、スコアの初見演奏は得意でなく努力型(イギリスのピアニストは初見ですぐ弾けるツワモノが大勢)だとか。とことんスコアと格闘し、読み込み、音符の森をわけいって練習するタイプだそうです。その努力が実って国際的な一流ピアニストに成長しました。06年のNewsweekの「世界が認めた日本人女性100人」に選ばれています。

 リヒテル演奏の「ムソルグスキー『展覧会の絵』」、ベートーヴェンのピアノソナタ「ワルトシュタイン」との出会い(チャイコフスキーコンクール)、武満徹さんとの邂逅、ピアノの製作現場での感想など読み物としても楽しいです。

 さて、ドビュッシーについては、次のように語っています。「私にとってドビュッシーの魅力は、色彩感、大気の香り、そして水や雲がもつ流動感を音で表現していることである。保守的作曲法で固く禁じられた手法を、あえて多用することによって生じるエキゾチックな音色、これらに、私の感覚が共感するのである。そして何といっても『音楽を開放した』こと、音の世界の窓を開け放ち、新しい空気を入れた功績、そこから生まれるかずかずの時代を先取りした響きに、魅せられるのである」と(p.240)。

吉村昭『ニコライ遭難』岩波書店、1993年

2010-10-16 00:30:00 | 小説
吉村昭『ニコライ遭難』岩波書店、1993年

               ニコライ遭難 (新潮文庫)

 明治23年5月の大津事件(訪日中のロシアのニコライ皇太子に津田巡査が日本刀で斬りつけた事件)を素材にした小説です。

 この事件を小説にしようとした切っ掛けは、著者によれば網走地方史「研究」第7号に掲載された佐々木満氏の「大津事件津田三蔵の死の周辺」を眼にしたからだと言います(p.357)。

 この小説の山は2つあります。ひとつはニコライがシベリア鉄道敷設の視察のおりに日本に寄って、長崎、鹿児島、京都そして東京と旅程を進行させていたところ、滋賀県の大津でこともあろうに沿道の護衛にあたっていた津田巡査に斬りつけられ、頭部などに軽傷を負うまでにいたった経緯です。

 当時22歳のニコライとギリシャのジョージ親王を載せた「アゾヴァ号」が長崎に入港するくだりから、ニコライが半分お忍びで長崎市内を散策したり、買い物をしたり、はては刺青をしたり、そして有栖川宮らの出迎えと随行の一部始終、さらに大津での事件の発端と顛末が仔細に描写されています。

 もうひとつの山は、津田巡査逮捕後の裁判をめぐる一連の内閣と司法とのせめぎあいです。松方内閣はこの問題の処理の仕方によっては強国ロシアが戦争をしかけてくるとか、領土の割譲をもとめてくることなどを予想し、津田を刑法116条(皇室罪)にてらして死刑とすべきと画策。しかし、児島惟謙大審院長、堤裁判長を初めとする判事は全員、津田を「一般人への殺人未遂罪(普通殺傷罪)」として裁くべきであると主張しました。

 双方の対立、確執は熾烈でしたが、結局、大津地方裁判所での判決は津田を殺人未遂罪とし、北海道の監獄に収監しました(皇室罪の適用はあたらないとの判断)。

 近代の法治国家として、行政の側からの再三再四の圧力にもかかわらず司法の論理と原則をまげることなく貫いた経緯が淡々と、しかしある種の凄みをもって叙述されています。

 皇太子ニコライがかかわった大津事件は教科書では数行で片付けられてしまっていますが、これが国論を揺らがし、次第によっては日本の将来の帰趨にかかわる大事件であったことがよくわかりました。

 ニコライは事件後、東京に行くことを断念、帰国後ニコライⅡ世として帝位につきますがロシア革命のよって退位し、エカテリナブルクでボルシェビキによって家族とともに射殺されました。津田巡査は北海道の釧路集治鑑で肺炎で死去。ニコライが襲われたときに助けた人力車の二人の車夫は叙勲され、また高額の年金を得るが不幸な末期でした。

 著者はそこまで描ききってこの小説を完結させました。

 わたしは岩波書店刊の単行本で読みましたが、このプログの画像は文庫版(新潮社)です。

広井良典『日本の社会保障』岩波新書、1999年

2010-10-15 00:30:00 | 政治/社会
広井良典『日本の社会保障』岩波新書、1999年

 日本の社会保障制度について,医療,年金,福祉をバラバラにではなく,制度の全体像のなかで評価し,位置付けようという書です。「成熟化社会」の社会制度は,「医療・福祉重点型」が望ましいというのが結論です。

 医療については高齢者医療は税,若年者医療は保険(社会保険)と振り分けた制度化をはかるべきこと,年金については所得再分配機能としての性格が強い基礎年金部分を税としての仕組みに純化し,リスク分散機能としての性格が強い所得比例部分を民間保険にゆだべるべきこと,介護・福祉については健康転換第三相(老人退行性疾患)に対応した高齢者介護問題への対応と「対人社会サービス」の展開を展望した公私の役割分担の見直しを具体化すべきことを提言しています。

 社会保障制度の現状を正確に整理し,原理原則をふまえたうえで,この制度のあるべき姿をトータルに考察しようという著者の姿勢は,説得的です。

 経済学的切り口を前面に押し出しつつ,「高齢化と地球環境問題」といった意表をつく問題設定など斬新な問題いかけがあり,読者の知的好奇心に十分に応えてくれる頼もしい本です。

萩谷由喜子『ショパンをめぐる女性たち』(株)ショパン、2010年

2010-10-14 00:28:59 | 音楽/CDの紹介
                                     ショパンをめぐる女性たち                                

 今年はショパン生誕200年です。いろいろな催し、出版物があり、この本もそのうちの一冊です。

 ショパン(1810-49)と何らかのかたちで関わりのあった女性18人が登場します。その18人は次のとおりです。最初と最後にでてくる母、姉、妹も含めてです。これらのなかでは、もちろん女流作家だったジョルジュ・サンドが有名です。

ユスティナ・ショパン(母)
エミリア・ショパン(妹)
アレクサンドラ・ドゥ・モリオール(コンスタンツィアのダミー)
コンスタンツィア・グワトコフスカ(密かな恋心をよせた女性)
ポーリーヌ・ヴァイアルド=ガルシア(ショパンを魅了した名歌手・作曲家)
マリー・プレイエル(恋多きピアノの名花)
ベティ・ソロモン・フォン・ロスチャイルド男爵夫人(ショパンを後援した大富豪夫人)
シャルロット・ドゥ・ロスチャイルド男爵夫人(ロスチャイルド男爵家の令嬢)
マリア・ヴォジンスカ(婚約し、そして婚約破棄)
クララ・ヴィーク(ショパン作品を国外に広めた名ピアニスト)
マリー・ダグー伯爵夫人(リストの恋人、サンドと火花を散らせた女性)
ジョルジュ・サンド(9年間ショパンとともにあった伝説の女性)
ソランジュ・クレサンジュ(サンドの娘)
ジェーン・スターリング(ショパンに熱烈な片思いを寄せ、渡英を進めた弟子)
マルツェリーナ・チャルトリスカ公爵夫人(晩年のショパンに援助の手を差し伸べた女性)
デルフィーナ・ポトツカ伯爵夫人(謎多き美貌の貴婦人)
ルドヴィカ・イェンジェイェヴィチョヴァ(姉)
イザベラ・バルチンスカ(妹)

 いろいろなエピソードが興味深く書かれています。

 まずショパンの誕生日。一時期、生地であるジェラゾヴァ・ボーラ村の教会の出生証明書と洗礼証明書に2月22日とあったことを根拠に、この日が誕生日とされていましたが、その後の研究で3月1日であるとするのが妥当であると結論ずけられました、今ではそうなっているとのこと(p.12)。

 次に、ポーランドの女性研究者、パウリーナ・チェルニッカが1945年にショパンによるデルフィーナ宛の手紙の公開が引き起こした物議のこと(この手紙は今では贋作とされている)[p.135]。

 さらに、全盛期のショパンのレッスン料による収入の大きさ(p.64)、1848年のショパンのパリでの最後の演奏会の6日後に2月革命(p.121)、姉のルドヴィカが大切に保管していたサンドのショパン宛の大量の書簡はサンド自身が焼却したこと(ショパンのサンド宛の書簡もサンドが焼却)[p.147]、ショパンの3つの遺言のうちのひとつ、自分の未完の草稿は破棄してほしいとの願いを、姉ルドヴィカはそうすることができず、結果的に多くの遺作が残ったこと(p.140)、などなど。

 ショパンがどの女性に自分の作品を献呈したかも細かく記されています(身近な人には献呈していません)。巻末にショパンの作品が一覧されています。

小池昌代『通勤電車で読む詩集』NHK出版、2008年

2010-10-12 11:15:12 | 詩/絵本/童話/児童文学
                            
 個々の詩のよさは、読み手の側に詩嚢が育っていないと、詩を理解できません。逆に言えば、読み手の言葉を介した想像力が試されているようなものです。

 もうひとつ、雑感。詩を書きとめる言葉の数は、散文と比べるとはるかに少ないので、詩はしばしば短時間で書く(考える)ことが可能です。短時間で書く(考える)というのは、追いつめられた状況下、あるいはこの本のタイトルにあるような通勤時間など。とまあ、本書を読んで久しぶりに「詩について」あれこれ思考の回路を磨きなおしてみました。

 本書の惹句に次のようにあります、「多くの人との乗り合わせながら、孤独で自由なひとりの人間に戻れるのが通勤電車。揺れに身を任せ、古今東西の名詞を読めば、日常の底に沈んでしまった詩情がしみじみとたちのぼる。生きることの深い疲労感を、やさしくすくいあげてくれる言葉の世界へ、自らも詩人である編者が誘う」と。

 「朝の電車」「午後の電車」「夜の電車」別に名詞が編集されています。まどみちお、中原中也、谷川俊太郎、北原白秋、草野心平、室生犀星、宮澤賢治、萩原朔太郎などの名の知れた詩人の他にも、いい詩を書いた人たちが並んでいます。

 編者、小池昌代さんの「記憶」という詩も入っています。それはこんなおしゃれな詩です、「オーバーをぬいで壁にかけた/十年以上も前に錦糸町で買ったものだ/わたしよりもさらに孤独に/さらに疲れ果てて/袖口には毛玉/すそにはほころび/知らなかった/ひとは/こんなふうに孤独を/こんあふうに年月を/脱ぐことがあるのか/朝/ひどい、急ぎ足で/駅へ向かうこのオーバーを見たことがある/おかえり/それにしても/かなしみのおかしな形状を/オーバーはいつ記憶したのか/わたし自身が気づくより前に」

杉原四郎『J.S.ミルと現代』岩波新書、1980年

2010-10-11 09:50:55 | 経済/経営
 J.S.ミルの経済学(主要著書は、『経済学原理』『自由論』『自叙伝』など)は現在、あまり問題にされることがありません。しかし、明治期には頻繁に翻訳され、思想的影響力があったようです(天野為之、河上肇など)。そのことが本書の「ミルと日本」に記されています。

 本書はミルの経済学とその背景にあった社会哲学を平易に紹介した好著で、ミルその人が父から厳しい教育を受けたこと、妻であったハリエット、ヘレンとの人間愛と夫婦愛、そして本題のミルの思想で、それをスミス、マルクスとの対比、マルサス、リカードとの関連、スペンサー、カーライル、コントなどの同時代者との交流(後者2人とはその後絶交)を描いています。

 ミルの思想的特徴はひとことで言えば「発展的民主主義」とでも言うべきもので、これとの関連で女性の参政権の支持と提言、その実現に向けての活動があり、資本主義と社会主義、ひいては共産主義との比較体制論点的考察があり、労働と競争の役割についての強調があります。

 他方で、ミルはナチュラリストであり、自然に対する人間の関わりを視野にいれた哲学をもっていました。人間に対する自然的条件の制約を無視できないという視点は、現代にもそのままつながります。

 また、ミルは「富と人口との停滞現象」を否定的にとらえず、むしろそれこそ人間的進歩の条件であると言ってるそうです。経済発展至上主義に対する警鐘です。

 この国(日本)ではソ連崩壊後、社会主義という概念はすっかり色あせ、地に堕ちてしまい,社会主義について語ることを自重している人が多いです。しかし、本来の社会主義は、今でも検討に値するテーマです。当然、ミルは、自身の生きた時代に、社会主義の問題を重視し、資本主義体制との比較体制的議論を展開しました。

 驚いたのは、あの精神分析の創始者として有名なフロイトがミルの社会主義論をドイツ語に翻訳したことです(この本は院生の頃に読んだことがあるのですが、この記述は全く忘却していました)。再発見です。

 杉原四郎先生はわたしが北大の大学院生だった頃、集中講義に来ていただいたときに、受講させてもらいまいした(1977年)。この間、日曜日の休日には野幌原始林を紹介し、一緒に散策させていただきました。懐かしい記憶です。この本の語り口そのままに優しい、折り目正しい先生でした。その先生は昨年(2009年)7月に亡くなられました。合掌。

バッハからコダーイへ・無伴奏チェロ作品の魅力 藤村俊介

2010-10-10 00:58:38 | 音楽/CDの紹介
                                                                         
             
 雨のなか、公開講座「バッハからコダーイへ・無伴奏チェロ作品の魅力」にでかけました。 藤村俊介さんが講師です。演奏曲目は、バッハの「無伴奏チェロ組曲」第2番、6番そしてコダーイの「無伴奏チェロソナタ」の第一楽章と第三楽章です。とくにバッハの「無伴奏チェロ組曲」第2番について、詳しく曲の成り立ちを説明してくれ、勉強になりました。6番のほうは、バッハは5本弦のチェロを想定して曲を書いたようで、いまはそれを4本弦で弾くのでそれなりの難しさがある、と言っていました。

 コダーイはハンガリーの作曲家です。「無伴奏チェロソナタ」の第一楽章と第三楽章は、初めて聴くものでした。第三楽章は、チェロの技術を駆使して作曲されてようで、観ているだけでも難しそうですが、迫力のある藤村さんの演奏でした。

 藤村さんはユーモアのある語り口です。ピアノも一部、使っての解説でしたが、眼の前での生演奏は圧巻です。ひとめぼれで、ファンになり、上記画像のCDを購入し、いまそれを聴きながらこのブログを執筆しています。もう深夜、午前1時になりそうです。

  紹介のチラシによると、藤村さんは1963年の生まれ、桐朋学園大学音楽部を卒業、チェロを安田謙一郎氏に師事、第58回日本音楽コンクール・チェロ部門第二位、1989年にNHK交響楽団に入団。1993年にアフィニス文化財団の奨学生としてドイツに留学し、メロス弦楽四重奏団のペーター・ブック氏に師事、とあります。現在、NHK交響楽団次席奏者、フェリス女学院大学講師、チェロ四重奏団「ラ・クァルティーナ」メンバーです。