今年はショパン生誕200年です。いろいろな催し、出版物があり、この本もそのうちの一冊です。
ショパン(1810-49)と何らかのかたちで関わりのあった女性18人が登場します。その18人は次のとおりです。最初と最後にでてくる母、姉、妹も含めてです。これらのなかでは、もちろん女流作家だったジョルジュ・サンドが有名です。
ユスティナ・ショパン(母)
エミリア・ショパン(妹)
アレクサンドラ・ドゥ・モリオール(コンスタンツィアのダミー)
コンスタンツィア・グワトコフスカ(密かな恋心をよせた女性)
ポーリーヌ・ヴァイアルド=ガルシア(ショパンを魅了した名歌手・作曲家)
マリー・プレイエル(恋多きピアノの名花)
ベティ・ソロモン・フォン・ロスチャイルド男爵夫人(ショパンを後援した大富豪夫人)
シャルロット・ドゥ・ロスチャイルド男爵夫人(ロスチャイルド男爵家の令嬢)
マリア・ヴォジンスカ(婚約し、そして婚約破棄)
クララ・ヴィーク(ショパン作品を国外に広めた名ピアニスト)
マリー・ダグー伯爵夫人(リストの恋人、サンドと火花を散らせた女性)
ジョルジュ・サンド(9年間ショパンとともにあった伝説の女性)
ソランジュ・クレサンジュ(サンドの娘)
ジェーン・スターリング(ショパンに熱烈な片思いを寄せ、渡英を進めた弟子)
マルツェリーナ・チャルトリスカ公爵夫人(晩年のショパンに援助の手を差し伸べた女性)
デルフィーナ・ポトツカ伯爵夫人(謎多き美貌の貴婦人)
ルドヴィカ・イェンジェイェヴィチョヴァ(姉)
イザベラ・バルチンスカ(妹)
いろいろなエピソードが興味深く書かれています。
まずショパンの誕生日。一時期、生地であるジェラゾヴァ・ボーラ村の教会の出生証明書と洗礼証明書に2月22日とあったことを根拠に、この日が誕生日とされていましたが、その後の研究で3月1日であるとするのが妥当であると結論ずけられました、今ではそうなっているとのこと(p.12)。
次に、ポーランドの女性研究者、パウリーナ・チェルニッカが1945年にショパンによるデルフィーナ宛の手紙の公開が引き起こした物議のこと(この手紙は今では贋作とされている)[p.135]。
さらに、全盛期のショパンのレッスン料による収入の大きさ(p.64)、1848年のショパンのパリでの最後の演奏会の6日後に2月革命(p.121)、姉のルドヴィカが大切に保管していたサンドのショパン宛の大量の書簡はサンド自身が焼却したこと(ショパンのサンド宛の書簡もサンドが焼却)[p.147]、ショパンの3つの遺言のうちのひとつ、自分の未完の草稿は破棄してほしいとの願いを、姉ルドヴィカはそうすることができず、結果的に多くの遺作が残ったこと(p.140)、などなど。
ショパンがどの女性に自分の作品を献呈したかも細かく記されています(身近な人には献呈していません)。巻末にショパンの作品が一覧されています。