【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

百目鬼恭一郎『現代の作家101人』新潮社、1975年

2012-11-30 22:50:53 | 文学

  1975年時点で現在進行形で執筆活動をしていた日本を代表する作家の評価。切り口は基本的に辛口で、手厳しいが、小説作法(文章、構成)がうまい作家は高くかっている。通俗小説に流れた作家への評価は概して辛辣。

  評価のよい作家はたとえば、福永武彦、村上元三、永井龍男、立原正秋など。「文章のたしかな表現力といい、構成の精巧さといい、およそ小説のうまさにかけては、福永の右に出る作家はそうざらにいないのではあるまいか。おまけに、福永の作品には、最近とみに希少価値となった、芸術的香気がただよっているのである」(p.165)。「村上の小説の作りかたは実にうまい。・・・また、プロっトの展開のしかたも、心にくいほどうまい」(p.199)。「永井の特質としてよくあげられるのは、ことばの選択に潔癖なこと、描写や会話が的確でムダのないこと、構成が巧みであること、などである。これだけでも『短編の名手』といわれる資格は十分なのに、永井は、他の作家にみられないもうひとつの特質をもっている。それは、彼が極端なくらい筆を省くということである」(p.144)。

  逆に、井上靖、加賀乙彦、渡辺淳一、三浦綾子、藤本義一、永井路子、梶山季之の評価はかなり厳しい。たとえば、井上靖については「井上の歴史小説は奇妙なほど静止していて、歴史の流れを感じさせない。・・・登場人物の型もつねにおなじ」(pp.41-2)、加賀乙彦については「軍国主義を屈服させるだけの強力な思想を、まだ作者自身が見出せ(ていない)。・・・この人は、もう少し小説作法を勉強する必要があるようだし、また、この人間不信のエリート意識を、もう少し捨ててもらいたいものだ」(p.66)、渡辺淳一については「題材は優れていながら、作品そのものは底の浅い感じを免れていない」(p.216)、三浦綾子については「(欠点のひとつは)、文章に味のないことだろう。・・・真実を吐露しさえすれば芸術になると素朴に信じている」、永井路子について「(彼女の)作品に不満が感ぜられるのは、一にかかって文学的な感銘の欠如のせいではあるまいか」(p.190)、といった具合である。

  文章のうまさでは倉橋由美子(「文章が明晰で確かな表現力をもっている」[p.76])、佐多稲子(「事物を自分の確かな感受性を通うして描いている」[p.93])、阿川弘之(文体に気品があってむだがない、構成がきちっとしている、作風が率直で、ひねくれた影がなく、明るいユーモアがただよっている」[p.17])が褒められている。

  作家のモチーフを一言で言いあてるのがうまい。「良俗のワクの中で聡明に生きよ」(p.117)をモチーフとした曽野綾子、「一度だけ女として生きてみたい」をテーマとした大原富枝(p.58)、その文学的素地は江戸町人文学の荒唐無稽で残虐な美の世界である円地文子など(p.47)。

  作家の生い立ち、人生と作品との関連に着目しているのは当然であるが、それが具体的に示されているので、納得できる部分が多かった。たとえば、真面目な文学とふざけた文学をかき分けた遠藤周作の背景にあるのはマザーコンプレックスの裏返し、生まれも育ちも浅草の池波正太郎作品が江戸の町人気質をにじませていること、社会の裏通りを歩いた梶山季之の作品にみられる疎外された人間の悲壮感、など。

  本書の著者は一体どういう人物なのだろうか。小説をしっかり読んでいるのは確かであり、支持するかどうかは別としてその批評の視点はぶれていない。


「日の浦姫物語」(作 井上ひさし、演出 蜷川幸雄;シアター・コクーン[渋谷文化村])

2012-11-28 00:25:03 | 演劇/バレエ/ミュージカル

          
 シアター・コクーンで井上ひさしの「日の浦姫物語」が公演されている(井上ひさし生誕77フェスティバル12 第7弾)。主演は藤原竜也さんに大竹しのぶさん。キャストもすばらしいが、木場勝己、辻萬長さん、たかお鷹さんがしっかり周囲を固めている。照明は効果的。3時間の舞台があっというまだった。


 奥州岩城国米田庄。藤原成親(辻萬長)と園子(赤司まり子)の双子の子、稲若(藤原竜也)と日の浦姫(大竹しのぶ)は仲のよい兄妹(成親はふたりが15歳のときに他界)。ふたりは香合わせに興じたり、じゃれあったり。それがいつしか男女の愛と区別がつかなくなり、たった一度のまぐわいで赤子が産まれることに。それは当時としてもとんでもないことであった。

 ふたりの後見人であった叔父の叔父宗親(たかお鷹)は、畜生道におちたふたりのうち稲若には摂政関白藤原頼道の家来になるように、日の浦姫には米田庄の近くの宗親の館で子を産む。しかし、稲若は都に上る途中、筑場山のふもとで盗賊に襲われ落命。一方、日の浦姫は赤子を育てることになるが、餅踏みの祝いの当日、国分寺の国僧の策で、子を小舟に乗せて海に流すという運命に遭遇することになる。日の浦姫の文をそえられた子は大海原へ。

 流された子は太郎と名づけられ、貧乏な寺の和尚に育てられた。その太郎が、島一番の豪の者と喧嘩になり、はずみで殺めてしまう。喧嘩両成敗、死罪は避けられない。太郎は多賀城、亘理に出て、これはと思う武将を捜して家来になるという、親もさがしたいと、言う。

 18年が経過した。日の浦姫は宗親の庇護のもとに庄の主になっていた。太郎は凛々しく大人になり、名前も魚名に。あるとき、魚名は姫の前で、米田庄と敵対していた金勢資永と弓の一騎打ちの場に遭遇する。そしてこの果たし合いで、勝利したのは太郎。周囲はこぞって魚名をかつぎあげ、姫の婿にと色めき立つ。

 その魚名も姫に恋焦がれ、とうとう日の浦姫との婚姻となる。この魚名は実は姫の子どもだったわけであるから、母と子が夫婦になったということに・・・・。当人同士はわかっていないのだが、これは大変なことであった。

 その顛末は??? 舞台を観てもらうか、ひさしさんの原作を読んでもらうしかない。

 この舞台、聖(木場勝己)と三味線女(立石涼子)が舞台回しの役割で、あちこち地方をまわりながら、説経をし、お布施をもらって生活している。このふたりが実は兄と妹で、その間に生まれた子を背負いながら巡業しているのだった。

          


「基本」(豊島区駒込2丁目6-4;03-3910-3766)

2012-11-27 00:06:58 | 居酒屋&BAR/お酒

               
 駒込駅のあたりには、なかなか肌にあう居酒屋がない。しかし、ここを見つけた。お店の名前が「基本」。ずいぶん、固い名前だ。が、中に入ってみると、こ綺麗で、清潔。料理はおいしく、お酒も豊富。すっかり、気にいってしまった。「基本」がおさえられているからだ。


 マスターは中年に入ったくらいのようにみえる。包丁さばきは若々しい。それに若い女性がいきいき、小気味よく動いている(女優の秋吉久美子さんに似ていた)。

 いろいろ印象にのこったことがある。まず、日本酒、焼酎の種類が多い。また珍しい銘柄がある。三重県の「早春」というのをいただいた。飲み始めはさわやかだが、しばらくすると重たい感じ。味が二段構え。
 棚には日本酒がずらりと一升瓶に入ってならんでいる。30-40本ほど並んでいたか。ひとつひとつ数えなかったが、一列に整然と並んでいた。震災のときに落ちて割れなかったかと、聞くと、大丈夫だったそうである。
 もうひとつ、カウンターがメインなのだが、そのカウンターの前が溝になっていて、そこにはビールが入っている。溝には氷と水が一杯。ビールを冷やしているのだ。このようなお店はみたことがない。お客はビールが飲みたければ、そこからとって飲む。氷はもちろん徐々に溶けるので、女性の従業員がときどき氷を継ぎたしている。マスターは、面倒だからそうしたと言っていて、そういうこともあるのかもしれないが、すばらしいアイディアだ。(上掲右の画像)
 さらに、レンジフードなどが隅々まで磨きこまれていた。気持ちがいいほどの清潔感。


 笹かれいが、なんともうまかった。丁度よい塩加減、焼き加減。その他の長芋を千切りにしたものなど、も絶品。ネットでみると、さつまあげ、などが人気なようであるが、これはこの日はわからなかったので、次回に。

 お酒を豊富にそろえているところは、なべて料理は丁寧につくられ、美味しい。「法則」のような関係がある。


木村久邇典『山本周五郎のヒロインたち』文化出版局、1979年

2012-11-26 00:30:19 | 文学

  作家山本周五郎が描いた代表的ヒロインを「武家の女」と「町家の女」にグループ分け、彼女たちの魅力を小説の筋立てにそいながら紹介し、周五郎文学の本質を詳らかにした本。

  「武家の女」は「貫く女(「箭竹・みよ」)」「あたたかい女(「不断草・菊枝」)」「つよい女」(おもかげ・由利)「尽くす女(虚空遍歴・おかや)」「わるい女(醜聞・さくら)」に、「町家の女」は「負けない女(「かあちゃん」・お勝)」「支える女(「ちゃん・お直」)」「くじけない女(「柳橋物語・おせん」)」「逃げない女(将監さまの細道・おひろ)」「愛する女(「つゆのひぬま・おぶん他」)」「復讐する女(「五瓣の椿・おしの」)」「かわいい女(「水たたき・おうら」)」「滅びる女(「おさん」)」の構成である。

  とりあげられた小説のなかで、わたしが読んだことがあるのは「五辡の椿」のみ。これまで周五郎は全くといってよいほど読んだことがないが、「五瓣の椿」だけが読んだし、その映画も観た。

  「慟哭の人」という周五郎の人と文学を解説した文章が冒頭にある。周五郎の小説を「義理人情」のそれとみる向きもあるが、著者は意見を異にしている、だから次のように書くのである。「まさに山本周五郎は、人間という生きもの、なかんずく日の当らぬ場所に体をよせいあい、一日一日の生を模索するまっとうな人間の営為の哀れさに、激しく感動する慟哭の作家であった」と(p.44)。

  本書は17人の女性をとおして17通りの女性の生き方を描き、それぞれの女性が登場する小説をたっぷりと紙幅をとってそのあらすじを書き、もういちどコメントを書くために整理しなおしている。これだけで、周五郎の小説を読んだ気にならしめてしまうほどだが、それは邪道で、原作にあたることをしないで読んだつもりになったのでは、それは著者の本意からはずれたことになるだろう。


太田總一『若年者就業の経済学』日本経済新聞社、2011年【2012年2月24日の記事を再掲】

2012-11-25 00:23:46 | 経済/経営

            
 雇用問題が深刻化している。本書はとくに若年者の就業問題に焦点を絞って分析、提言している。この問題について、詳細な検討がなされ、類書にない成果が盛り込まれている。


 前半では若年雇用のマクロ的分析。まず若年雇用問題がなぜ「問題」なのか、若年層の雇用と賃金が長期不況下でどのように変化したのかが、考察、分析され、ついでフリーター、ニートの定義、両者の特徴が浮き彫りにする作業を挟んで、若年雇用の問題点が、中高年のそれとの対比で、時系列的解析の成果が示されている。

 著者はさらに、学校卒業時の労働市場の状況について、それ以降の賃金、雇用、離職行動に及ぼす影響の分析(「世代効果」分析)、日本企業の新卒一括採用の慣行の問題、労働者間の代替関係と若年雇用の関連、地域の若年労働市場の多様性、「若年者の育成」という観点から見た学校教育と企業内訓練との関連を細かく検討している。

 最後は、若年雇用対策の諸施策。

 このように、扱われている問題は焦点が絞りこまれ曖昧さがないが、論点はこの範囲でも多様で、複雑である。

 著者はこれらを「国勢調査」「労働力調査」「就業構造基本調査」「学校基本調査」、各種アンケートなどのデータをもとに、主として回帰分析を駆使して、意味のある結論を導出し、検討に値する提言を行っている。

 上記の検討事項のそれぞれについて各章に、要約とまとめがある。内外の研究成果を十分に咀嚼し、前提としながら、独自の実証分析を行っている真摯な姿勢が好ましい。

 既存のデータのみでは分析が便宜的にならざるをえないところが出てくるのはいたしかたないが、いくつか許容範囲をこえるのではないかというものがあった。ひとつだけ例を示すと、地域の若年無業者の「意識」を考察した個所で、都道府県を「都市部」と「地方」にグループ分けしているが、前者に属する県として茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、東京、大阪、京都など20都府県、「地方」に属するのはそれ以外として分析している箇所がある(p.208)。やむをえずこうした措置をとったのかと思うが、やや乱暴なやり方と感じた。


谷山浩子「同じ月をみている」(YCCW30030)

2012-11-24 00:10:57 | 音楽/CDの紹介

         
 本ブログを書くのは、就寝前で、時刻でいえば深夜0時をまわったあたありからである。投稿には、20分ほどかかる。たいていは、NHKの「深夜便」を聞きながらの作業である。このラジオ番組は、安心して、聴ける。内容がよい。


 そのなかに、深夜便の歌というのがあり、現在は谷山浩子さんの「同じ月をみている」が流れている(作詞・作曲:谷山浩子)。この歌は、好きだ。同じ月を見ている、というのはずっと昔、何人かの人とそんなことを想ったことがある。ほんとうにずっと過去のこと。住んでるところ、暮らしているところは、離れていても、空にうかんでいるのをみる月は同じ。

 谷山さんの歌声もよい。透明感、清潔感があり、女性らしい。その声で歌われると、歌詞が心にしみてくる。というわけで、AmazonでこのCDを注文した。時々聴いている。

 他に「まっくらな森の歌」「恋するニワトリ」が入っている。


読書マラソンの現在

2012-11-22 00:43:53 | 読書/大学/教育

  読書マラソンで、わたしは今日現在232番の位置につけている。順位をあげるのはかなりしんどくなっている。一進一退である。
 200番台に入ったのが10月16日(291位)だから、200番台で一か月以上になった。ちなみに300番台になったのが9月21日(390位)、400番台になったのが8月19日(498位)、500番台になったのが8月5日(569位)である。

 8月下旬から9月上旬にかけて海外にでかけていたので、この間、一切の投稿ができなかった。8月27日の時点で454位だった順位は、帰国した9月7日には505位になっていた。何もしないでほうっておくと、順位はあやうくなる。もっともこの間でも、わたしの過去の投稿に「参考になった」と反応してくれた人がかなりいれば、順位はあがるはずであるが、そのような「奇跡?」は起こらなかった。


 500番以内に入ると、「ベスト500レヴュアー」というマークがつく。わたしが日々投稿しているAmazonへの記事には、このマーク(称号?、勲章?)入りである。

  本ブログでは、この「読書マラソン」関係の記事は6月16日のそれが最後になっている。この時点では933位であった。記事の末尾に次のように書いてあった、「次の目標は500位。そしてこれをクリアすれば100位をめざそう」と。前者は予定よりも早くクリアしたわけである。後者がまだまだ。見通しはたたない。

 繰り返しだが、次の目標は、なんとしてでも100番以内に入ること。息切れしながらも、目標があるから走れる。


旧芝離宮恩賜庭園(都立庭園紅葉めぐりスタンプラリー③)

2012-11-21 00:22:45 | 旅行/温泉

      

  休日、健康のために、紅葉まわりスタンプラリーの続きをした。一気に3つの庭園をまわった。旧芝離宮恩賜庭園、浜離宮恩賜庭園、小石川庭園。浜離宮恩賜庭園、小石川庭園は、以前にも行ったことがあるので再訪。紹介は本ブログにあるので省略し、旧芝離宮恩賜公園を紹介する。この日、3つの庭園をまわったのでスタンプが5個集まり、その台紙で来年のカレンダーをいただいた。都立庭園のカレンダーである。一年のひとつひとつの日にちにどこでどういう花をみることができるかが記入されている重宝なもの。達成感あり、いい記念になった。

  さて、旧芝離宮恩賜公園は、東京に残っている江戸初期の大名庭園の一つ。回遊式泉水庭園の特徴がよくでていて、池を中心とした庭園の区画や石の配置が見事である。


 明暦年間に海面を埋め立てた土地を、老中・大久保忠朝が延宝6年(1678年)に4代将軍家綱から拝領した。
 忠朝は屋敷を建てるにあたり、藩地の小田原から庭師を呼び庭園を造った。庭園は「楽壽園」と呼ばれた。庭園は、幾人かの所有者を経たのち、幕末頃は紀州徳川家の芝御屋敷となった。

 明治4年には有栖川宮家の所有となり、同8年に宮内省が買上げ、翌9年に芝離宮となった。離宮は、大正12年の関東大震災の際に建物や樹木に被害を受けた。翌年の大正13年1月、皇太子(昭和天皇)のご成婚記念として東京市に下賜され、園地の復旧と整備を施し、同年4月に一般公開された。

 また、昭和54年6月には、文化財保護法による国の「名勝」に指定され、現在にいたっている。

<見どころ> Wikipedia より引用

  • 藤棚 - 開花は4月末頃
  • 雪見灯籠 - 比較的大ぶりの雪見灯籠
  • 州浜 - 砂浜を模す。
  • 枯滝 - 石組みにより滝を模す
  • 石柱 - 忠朝が小田原藩主の頃、後北条氏に仕えた戦国武将・松田憲秀旧邸の門柱を運び入れたもの。茶室の柱として使われたと推定されている。
  • 西湖堤 - 中国杭州の西湖を模した堤。
  • 大島 - 池の中では最大の島
  • 中島 - 蓬莱山を模す。
  • 浮島 - カモなど野鳥が集う
  • 大山 - 園内で最も標高の高い山
  • 根府川山 - 忠朝の藩地小田原から運び入れた火山石などからなる山
  • 唐津山 - 忠朝は以前唐津藩主でもあったためその名を冠してつくった山

 


Saint-Saens"Symphony No.3"(指揮:シャルル・デュトワ、ロンドン・シンフォニエッタ)

2012-11-20 00:33:24 | 音楽/CDの紹介

           

 サン・サーンスは5曲の交響曲を書いたが、出版されて残っているのは3曲である。3番は、サン・サーンス51歳のときの作品。リストに捧げられた。初演は1886年5月19日。その2カ月後にリストは亡くなっている。


 この曲は、途中からパイプ・オルガンが入るのが珍しい。オルガンを使ったのはサン・サーンス自身が長くオルガニストの経験をもっていたこと、リストもオルガンの名手だったこと、があったからである。

 交響曲にしてはこれも珍しく2楽章構成である。しかし、よく聴いていると、それぞれが2部に分かれている。フランクが開発した循環形式がうまく使われている。

 2曲目の「交響詩≪死の舞踏≫」は初めて聴く。サン・サーンスはリストの影響のもとに4曲の交響詩を書いたが、この曲が一番知られているらしい。アンリ・カザルスの詩をもとにしたという。詩の大意は、「木枯らしの吹きすさぶ寒い夜、死神は墓から出てヴァイオリンをひく。蒼白い骸骨はそのヴァイオリンに合わせて闇の中を踊る。やがて暁が近づき、鶏が鳴く。骸骨は慌てて踊りを止め、再び暗い闇の中に消える」。

 組曲≪動物の謝肉祭≫は有名。小学校か、中学校の音楽の時間に聴いた。たのしい曲だ。もともとは「動物学的大幻想曲」という突拍子もない題名だった。音楽家同士が私的にたのしむために書かれた曲。①序奏と堂々たるライオンの行進、②雌鶏と雄鶏、③騾馬、④亀、⑤象、⑥カンガルー、⑦水族館、⑧耳の長い紳士、⑨森の奥のカッコー、⑩大きな籠、⑪ピアニスト、⑫化石、⑬白鳥、⑭終曲、と続く。白鳥は独立にとりあげて、演奏される機会が多い。

・Symphony No.3 in C minor,op.78 "Organ"
・Danse macabre,Symphonique Poem,op.40
・Le carnavel des animaux, Suite


山田耕之介『経済学とはどんな学問であるか-経済学の現状と3つの文献について-』(私家版)1994年

2012-11-19 00:05:23 | 経済/経営

 ケインズによる「若き日の信条」「我が孫たちの経済的可能性」「アルフレッド・マーシャル」のテキストに依りながら、経済学がどのような学問なのか、しかして経済学の現状はどうなっているのか、経済学と数学との関係、ケインズの経済学、マーシャルの経済学は何をめざしていたか、について論じた本。

  いまある経済学が現実分析に無力であることを指摘し、社会主義体制の崩壊からただちにマルクス経済学の終焉をいう似非マルクス経済学者について批判的に検討する対極で、あるべき経済学の姿をケインズ、そしてマーシャルに見ている。著者は、経済学が無力なのは、それが自然科学を範とする「科学主義」に傾き、数量分析をもちあげて現実から遠ざかり、研究者は人間社会にそれほどの関心がなくとも「数理モデル」の開発に現をぬかしているからであると説く。

  ケインズもマーシャルも、そうではなかった。ケインズは倫理的に最高善と考える社会を実現するために経済的豊かさを追求し(ピグーがそうであったように)、経済学を倫理学の侍女とみなしていた。この思想は、その経済学の中身の核にあった「有機的統一の原理」(ヘーゲルの影響もあった)、「原子仮説」に活かされ、快楽の追求と効率の重視に重きをおくベンサム主義とは相いれるところがなかった(というよりベンサム主義を批判の対象とした)。

  マーシャルがケインズとともに目指していたのは、モラル・サイエンスとしての経済学、自然科学的思考を排して一定の価値判断に基づいた社会科学である。ケインズのこの考え方を理解するためのキーワードが、いわゆる「内部洞察力(経済学的直観)」である。

  著者は、このような議論を補強する意味をこめて、マーシャルを追悼した文章にそって、「経済学と倫理学」「経済学と経済学者」「経済学と数学」の3つのテーマを論じている。
マーシャルは若いころに聖職者を志し、そのための教育も受けた。また、もともとは自然科学の分野(数学、物理学)で仕事をした人である。そのような経歴で、マーシャルは経済学に接近し、大著「産業と商業」を成すのであるが、一貫していたのは経済学は絶えず変化する現実、そしてその担い手である人間集団をその対象とし、これゆえにこの学問はモラル・サイエンスでなければならず、数学との関係でいえば、これに依存してその演算結果をすべてに優先させることはモラル・サイエンスに備わっている精神性をはく奪することになる、とした。

  もっとも著者は、マーシャルがケンブリッジ大学に経済学部を創設したことが、当人の狙いからはずれて経済学がモラル・サイエンスから一気に遠ざかっていくきっかけになったのではないかと、見ている(p.54)。

  本書は著者が長く在職した大学のゼミナールのOB・OG会である「立山会」での最終講義にむけて書かれたものであり、長年の経済学研究のバックボーンであった根本思想を平易に語っている。上記のケインズの3つの文章の翻訳を資料とともに箱入りの品のいい作品に仕上がっている。


高瀬正仁『高木貞治-近代日本数学の父』岩波新書、2010年

2012-11-18 18:22:24 | 自然科学/数学

       

 本書は,
1900-50年にかけて,日本の数学発展に貢献した高木貞治(1875-1960)の没後50年を記念して書かれている。高木貞治は,代数的整数論とりわけ類体論の権威。


 類体論(るいたいろん,
class field theory)の名前の由来は,1930年ごろに考案されたヒルベルトの「類体」による
 *「類体」の用語を始めて使ったのはハインリッヒ・ウェーバーで,彼は「楕円関数の虚数乗法により供給されるある特別な相対アーベル数体をとりあげ,それを『類体』とした[本書140ページ]」。

 高木貞治の学問業績とその背景を、本書によりながら簡単に紹介したい。

 パリで開催された第2回国際数学者会議(1900)でヒルベルトが示した数学上の未解決の23の問題のうち、9問題「任意の数体における一般相互法則の証明」と第12問題「アーベル体に関するクロネッカーの定理の,任意の代数的有理域への拡張」を解いたのが高木貞治である。

 
高木は上記の2つの数学上の難問を解いたが、後者については1901年に書かれたガウス数体の虚数乗法論に関する論文(「複素有理数域におけるアーベル数体について[学位論文])で部分的に解決,さらに1920年に書かれた「相対アーベル数体の理論」「任意の代数的数体における相互法則」で最終的な結論を出した。
さらに同年9月シュトラスブルクで開催された第6回世界数学者会議で発表した(153-154ページ)。

  本書は,高木の出生(岐阜県大野郡数屋村)から,三高,東京帝大を経て,近代日本の数学が確立されるまでにいたった経緯を,研究経歴,研究活動と研究仲間との親交をたどりながら,その学問的貢献とともに解説したものである。(巻末に年譜があります)

 高木の貢献を数学的に解説した個所を理解するのは難しいが,全体的な流れをつかむことが大切。数学に特化した本でなく,多くのエピソードをまじえて読みものとして構成されていることは,以下の章建てをみるとわかる。


 ・序章:故郷を訪ねて
 ・第一章:金栗初めて開く-岐阜から京都へ
  
(1)一色小学校
  
(2)二つの生誕日
  
(3)岐阜中学校から三高へ
  
(4)近代日本数学の源流-金沢の関口開」
 ・第二章:二人の師:河合十太郎と藤澤利喜太郎
  
(1)第三高等中学校
  
(2)初代数学教授菊池大麓
  
(3)帝国大学の数学講義
  (
4) 藤澤利喜太郎の洋行
  ・第三章:自由な読書にふける-数論の海へ
  
(1)藤澤セミナリー
  
(2)アーベル方程式をめぐって
  
(3)洋行ベルリンへ
 ・第四章:後るること正に
50年-類体論の建設
  
(1)ゲッチンゲンへ
  
(2)類体論への道
  
(3)世界大戦をはさんで
 ・第五章:日本人の独創性-高木貞治の遺産
  
(1)『解析概論』の誕生
  
(2)ヒルベルトとの再会
  
(3)過渡期の数学
  
(4)晩年の日々
 ・終章:高木貞治と岡潔

 
 「高校生向けに」と称してコラムが設けられ,「二次方程式と複素数」「平方剰余の相互法則」「レムニスケート関数」「アーベル方程式」「アーベル数体と代数的整数論」などの説明がある。
 

 著者の高瀬正仁氏は専攻が多変数函数論で,現在九州大学大学院数理研究院準教授。


「韓花」[HAN FHA](新宿区新宿4-1-9 新宿ユースビルPAX2F;03-5363-3488)

2012-11-17 00:34:13 | グルメ

         
 韓国料理のお店。TBSの「チューボーですよ」に料理人が「街の巨匠」のひとりとして登場したことがある。その時の料理は「海鮮ちぢみ」だった。


 新宿駅新南口をでて徒歩で5分ほど。高島屋のすぐ側である。ビルの2Fにあり、入口はやや堅牢なドア。入るとうす暗い。カウンターに6席あるが、後は全室個室である。

 さっそく、「海鮮ちぢみ」を注文。それに「牛肉のプルコッギ」を。前菜に、「ホタテとスモークサーモンの甘酢あんかけのサラダ」。それで終りにしようとしたら、ウェイトレスが「システムとしてドリンクもお願いします」と言われたので、お茶を注文に入れる

「ホタテとスモークサーモンの甘酢あんかけのサラダ」は量が多くおもえたが、食べ始めるとそうでもなかった。甘酢がおいしいのだ。その甘酢にはとびっ子が入っている。感触がよい。ホタテとサーモンにうまく絡んで、すぐになくなってしまった。

 ちぢみはしっかりした濃厚な味。イカの味覚に手ごたえがある。これが巨匠の味か、と感嘆しつつ賞味。「牛肉のプルコッギ」も味に主張があり、手ごたえがある。エゴマなどの葉っぱで包んでもよいので、そうした。白いご飯がほしくなったが、やめておく。

 メニューは豊富。ビビンバ、サンゲタン、スンドゥプチゲ、ユッケジャンクッパ、ナムル盛り合わせ、トッポギなど、なんでもある。ドリンクも120種以上あるという。

 このお店でびっくりしたのは、テーブルのサイドにテレビがあること。カガミかと思っていたらテレビだとのここと。全室個室の全室についているらしく、こんなお店は初めてだった(韓国では普通なのだろうか?)。
 
              


「旧古河園」(都立庭園「紅葉めぐりスタンプラリー」)

2012-11-16 00:38:06 | イベント(祭り・展示会・催事)

 

 JR京浜東北線「上中里」を下車し、「旧古河園」に向かう。園に入ると大きな洋館がある。なかに喫茶部がある他、時間によっては邸内を案内してくれるコースもあるようだ。「紅葉めぐりスタンプラリー」で来たのだが(10月26日)、紅葉はまだまだだ。

 前庭にバラ園がある。盛りはすぎたようだが、まだ綺麗な花があちこちに咲いている。日射しがよかったので、花々は映えて、美しい。


 この庭園は、武蔵野台地の斜面と低地という地形を活かし、北側の小高い丘にルネッサンス風の洋館を、斜面に洋風庭園を、そして低地には日本庭園を配していることで有名である。
 もと明治の元勲・陸奥宗光の別邸だったが、次男が古河財閥の養子になった時、古河家の所有となった。(なお、当時の建物は現存していない)

 現在の洋館と洋風庭園の設計者は、英国人ジョサイア コンドル博士[1852~1920](当園以外にも、旧岩崎邸庭園洋館、鹿鳴館、ニコライ堂などを設計)

 園の大半をしめる日本庭園は、京都の小川治兵衛(1860~1933)であり、湖沼を想わせる泉水を中心に枯滝があり、自然風岩組があり、自然趣味豊かである。

  戦後、国へ所有権が移たものの、地元の要望を取り入れ、東京都が国から無償で借り受け、一般公開にこぎつけた。

 明治時代から大正初期にかけて作られた庭園の原型を留める貴重な財産になっている。伝統的な手法と近代的な技術が見事に調和し、和洋の見事な統一感がをかもしだされている。
 現存する近代の庭園の中でも、極めて良好に保存されている数少ない事例で、平成18年1月26日に文化財保護法により国の名勝指定を受けた。


都立庭園「紅葉めぐりスタンプラリー」(10月20日~12月9日)[六義園]

2012-11-15 00:09:05 | 旅行/温泉

 東京都が都立庭園「紅葉めぐりスタンプラリー」(10月20日~12月9日)というのを実施している。今年で6回目で、近年この時期に、都内の指定された庭園をまわって、スタンプを集めると、先着10000人が「都立庭園カレンダー2013」をもらえる。さらに抽選で、オリジナルグッズがあたる。

 指定されている庭園は・・・・・・。
① 旧古河庭園
② 六義園
③ 小石川後楽園
④ 向島百花園
⑤ 旧岩崎邸庭園
⑥ 殿ケ谷戸庭園
⑦ 清澄庭園
⑧ 浜離宮恩賜庭園
⑨ 旧芝離宮恩賜庭園

 10月26日に、旧古河庭園、六義園に出かけた。JR京浜東北線「上中里」で下車。旧古河庭園までは徒歩で15分ほど。そこから駒込のほうに向かって歩くと20分ほどで六義園に着く。

 今回は、この六義園のこと。この庭園は、五代将軍・綱吉の御用人・柳沢吉保が、下屋敷として造営した大名庭園(回遊式築山泉水)である。元禄8年 (1695) 、加賀藩の旧下屋敷跡地を綱吉から拝領した柳沢は、約2万7千坪の土地に土を盛って丘を築き、千川上水を引いて池を掘り、7年の歳月をかけて造園した。特徴は起伏のある景観である。とにかく広い。そして、管理と整備がいきとどいている。11月22日からはライトアップが始まる。さぞかし、綺麗なことだろう。自宅からそれほど遠くないので、再訪してみるのも一興。

   

 「六義園」の名称は、紀貫之が『古今和歌集』の序文に書いた「六義」(むくさ)[和歌の六つの基調を表す語]に由来。自らも和歌に造詣が深かった柳沢が、この「六義」を『古今和歌集』が詠うままに庭園として再現したもので、その設計は柳沢本人による。

 元禄15年 (1702) に庭園と下屋敷との完成後には、将軍綱吉のお成りが頻繁に行われた。その回数は58回と記録され、吉保の寵臣ぶりもさるkとながら、この庭園自体の評価があずかって大きかった。

 柳沢家は次の吉里の代に転封となるが、六義園は柳沢家の下屋敷として幕末まで使用された。

 明治の初年には三菱財閥創業者・岩崎弥太郎が六義園を購入、維新後荒れたままになっていた庭園を整備した。その後、昭和13年 (1938) には東京市に寄贈され、以後一般公開されるようになった。昭和28年 (1953)、に特別名勝に指定された。

 見どころは、以下のとおり。

  • 内庭大門(ないてい おおもん)    
  • 出汐之湊(でしおの みなと)
  • 妹山、背山(いもやま、せやま)
  • 臥龍石(がりょうせき)
  • 蓬莱島(ほうらいじま)
  • 石柱(せきちゅう) 
  • 滝見之茶屋(たきみの ちゃや)
  • 躑躅茶屋(つつじ ちゃや)
  • 藤代峠(ふじしろ とうげ)
  • 蛛道(ささかにの みち)
  • 渡月橋(とげつきょう)

「AJI ICHIBA」(蓮田市本町3-5 オークプラザ駅前温泉館1F;048-76-0077)

2012-11-14 01:02:26 | グルメ

 子どもの誕生日のお祝いでここを使った。子どもはもう社会人で大きいのだけれど、誕生日には外で、普段なかなか食べられないものを、わずかばかりの贅沢で祝う。場所はJR蓮田駅の西口を出て1-2分の便利なところ。駅のプラットフォームから見える。

 このお店が出すものは、変わっている。アジアの食なのだが、盛りつけ方、彩り、コースの進み方がフレンチ風にしてある。そのアジア風というのも、各国の料理を巡回するようで、中華風のシュウマイ、ベトナム流の生春巻き、韓国風のお粥といった具合。サワラを焼いたメインディッシュは日本風かもしれない。こういうメニューは珍しいので、戸惑うが、ひとつひとつの料理は心がこもあっていて、丁寧な作りで、おいしい。それらはあまり量が多くなく、かわいらしく盛りつけてあるので、女性が歓迎するだろう。子どもは男の子で、食べざかりだから、量は物足りなかったかもしれないが、味には満足したと思う。
 デザートはこれも綺麗な盛りのお皿。アイスクリーム、ケーキなどが並んでいた。そして、最後のお茶は中国茶にした。これも経験したことのない美味しいさ。料理全体が、これでしまった。

 子どもはちょうど海外で仕事を終えて、かえってきたばかり。イタリアのタクシーの運転手の荒っぽい運転、同僚ととびこんだレストランの料理がおいしく、リーズナブルであったこと、話がはずんだ。