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生きていれば、いろんなことがありますが
なんと形容していいのか、
言葉の見つからないことが
降り立ってきました。
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7月11日、母の兄の長女・従姉妹の
説子さんから宅急便がとどきました。
なにかと思ったら、中身は大量の手紙と写真と
2冊のアルバムでした。
下の写真は手紙です。
戦死した父の遺品のようです。
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この日、この荷物を受け取ってから、
すぐ虫干しをしましたが、その後、
なにをしたのか、記憶がないほどの
衝撃的なできごとでした。
説子さんによると、
母の実家を片付け中、ボロボロに朽ちた
風呂敷包みが現れ、結びをほどいてみたら、
大量の手紙があらわれたとのこと。、
とりあえず、捨ててもいいものかどうか、
数通読むと、多くはわたしの父から発信
したものとわかり、
これはわたしに届けなくては、と送ってくれ
たのでした。
説子さんと驚いたのが、父がたいへんな
筆まめな人だったということ。
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父の手紙の文面からは、
母への、温かくもまっすぐな愛情、
2人の両親への思いやり、親族、友人への
気遣いなどがうかがえます。
優しさの溢れる文章なのですが、
昭和19年に入ってからは、緊迫感の
滲む内容となり、死を意識した張り詰めた
ものが読みとれます。
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筆記用具は、毛筆、万年筆。
鉛筆書きのものはまだ見当たりません。
紙は葉書、便箋、和紙。
当然、内容は重苦しいものが多いため、
正直、まだ1部しか読んでいません。
ただ、興味深いものが多々あり、
気が向いたときに少しチョイスして、
掲載してみようかと思います。
写真も、父は写真が趣味でライカ等を
所持していたので戦時中の演習模様や
休憩中のスナップ写真が数多くありますし。
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父のことは祖父母たちや檀家の方々から
聞かされていましたが、
手紙を読むことで
全く知らなかった父の性格、
人柄が手にとるようにわかり、
不思議な力が湧いてきています。
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今日は終戦記念日。
母と叔父(母の兄、説子さんの父)の新盆
でもあり、1箱分のお線香を焚きました。
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しかし、母が実家においたはずですから
知らないはずはないし、
祖母、叔父は、知らなかったのか、
知っていたのか。
もっと早く読みたかった
いろいろ考えている今日このごろです。
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