引頭佐知(いんどうさち)の料理ブログ

引頭佐知(いんどうさち)の料理ブログ

大浜大豆・・・能登半島の先端・珠洲から

2009年04月24日 | 乾物!乾物!乾物!

.

珠洲の二三味浩美さんから宅急便が届きました。

.

二三味さんは、わたしの教室の生徒さんでした。

ある日、趣味をたずねたら

「ケーキを焼くことかな」。

じゃ、教室の食後のケーキ焼いてくれば?

「焼いてきました~♪」と持参の

チーズ・ケーキがとてもおいしく、

毎月の食後のケーキをオーダー。

みんなのほめ言葉に触発され、

レシピも底をつき、

本格的にお菓子を学び、昨春帰郷。

早くも昨夏からは、地元珠洲でパティシエとして

一歩を踏み出しました。

お店ですか?

珈琲好きの若い方ならきっとご存知、

あの二三味珈琲(妹さん経営)のcafeコーナーを

切り盛りしているのです。

二三味珈琲cafe

珠洲市飯田町7-30-1

TEL 0768-82-7023

お近くにいらした方はぜひ、いらしてください。

こういう顔の女性が迎えてくれるはずです。

Img_2805

<大浜大豆>です。

ネットで検索していただければわかりますが、

この大豆は、珠洲で昭和40年代まで栽培

されていた大粒大豆。

.

3年前だったか、二三味さんから

「父が地元の、幻の大豆の復活に燃えています」

と聞きました。

その晩秋から、

「収穫したてです」

といただいてきました。

ふっくらとした大浜大豆。

もどして炊いてみればわかりますが、

深いコクと、大豆特有の香りがしっかり味わえます。

「あの大豆はほんとうにおいしかった・・・」

と地元の声があっての復活とのことでしたが、

当然のこととおもいました。

しつこいようですが、

詳しいことは、ネットで検索してください。

ホットなおはなし満載です。

.

しかし、あれですよね。

おとうさんのニ三味義春さんとみなさんが

気がつき、起ち上がり、栽培しなければ、

大浜大豆は、絶滅してたかもしれないんですよね。

だって、今の若い人たちは、

その味を知らないで育っているわけですから。

みなさん、

買い支えていきましょうね。

それが、わたしたちの役目です。

Img_2557

電話番号、みえますか。

Img_2799

金沢の和菓子屋さん<かわむら>さんで

販売されている、

二三味さんの大豆の甘納豆。

なにより、すてきなのは、

大豆の香りが味わえる甘納豆ということ。

砂糖は、使いすぎると、素材そのものの味

を殺します。

でも、この甘納豆は、ちがいます。

.

下は、大浜大豆の豆乳。

ほんっとうにおいしいです。

くどくなくて上品な甘さ。

でも、コクはしっかり。

左は黒大豆の豆乳、これがまた、

黒大豆ならではのおいしさ。

コクと香りがわたし好み。

豆腐も含めて、

黒大豆ファンにはたまらないでしょうね。

Img_3112

おいしそうでしょ。

Img_3114

下は、からし菜。

カラかったです。

つーーん、錆びついた脳みそ直撃。

でも、美味。

Img_3104

からし菜の種。

Img_3120

なんたって、乾物派ですから、

塩蔵わかめってほとんど食べないわたしです。

ところが、

Img_3105

肉厚な、わかめ。

Img_3106

もどしてみました。

いかがです。

香りがいいのです。

Img_3119

ちょっと、広げてみました。

みなさん、若布をなにげなく食べてるかも

しれませんが、若布って、もどすとこんな

形なんですよ。

右半分も並べたら、大きいんですよ。

Img_3118

あ、下の写真のこの子。

宅急便を開けたとき、

二三味さんそっくりなので、

「二三味ったら、自分の手ぬぐい作ったんだ」、

と、笑ったのですが、妹さんのお子さん、

つまり甥っ子さんの顔でした。

福ちゃんです。

このイラストとデザインは、

二三味さんの弟さん作。

Img_2802_2

いやー、ごちそうさまでした.

news!

29日、おとうさんのお店がオープンしました。

店名は「交流会館狼煙(のろし)」。

取り扱い商品は、

大浜大豆+深層水の豆腐、豆乳、大豆、小豆、

きなこ、能登の塩、野菜、地元のおばちゃん

手製の民芸品です。

能登半島の先端にある珠洲。幻の豆腐の味

たずねていらしてください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初めての料理は、目玉焼き。

2009年04月24日 | ときどき日記

身内の者のことを、ほめるのは抵抗がありますが、

父方の祖母は、漬物はもちろん、味噌は、こうじから作る人。

なんでも手で作り、よく手をつかって働く、

手まめな人でした。

.

92歳で脳溢血で倒れ危篤に陥り入院したとき、

亡くなるまでの1週間、病院に詰めていました。

最愛の祖母と別れる日が現実になる、という悲しさ。

動転して、なにをしていいのか、わからず、

とりあえず見納め、と、祖母の顔を見ているうち、

よく似ていると言われていたわたしたちの、

顔と身体の相似個所に気がつきました。

あらためて探すと、

似てる、似てる・・・・。

.

手も、形はそっくりでした。

でも、

厚みや存在感があり、

手を合わせてみたとき、

身長の高いわたしの方が断然、

負けていました。

まだ温もりのある手をつないだとき、

教えてもらったことが、次々とよみがえりました。

祖母の手から、わたしは多くのことを学んでいました。

たとえば、

料理でいえば、

初めての料理、目玉焼きも、そう。

「10歳なら、目玉焼きくらい上手に焼けんとね」と。

.

卵拾いからはじまります。

猫たちも、犬たちも、鶏もチャボも、自由に闊歩している庭。

祖母が歩けば犬も猫もあとを追い、

くるくる走りまわる犬たち、

すりすりしながら歩く猫たち。

祖母とわたしは、

鶏小屋や草むらの中から卵をみつけて拾います。

まるで江戸時代のような、

座り流しの付いた板の間に、

七輪を置き、

周りには、フライパン、ふた、フライ返し、箸、小鉢、

新聞紙、マッチ、お皿を用意。

.

まずは、お手本をみせてくれます。

七輪の空気孔の開け閉めの仕方。

卵の割り方。

割った卵を小鉢に入れておきます。

火種は新聞紙。新聞紙1面を両手でやわらかくもみ、

まるめて火をつけます。

フライパンに油をなじませ、卵を入れます。

すぐふたをして、蒸し焼き状態に。

音が小さくなったら、また新聞紙を丸めて、火をつけ、

初めの強火のときは、フライパンを持上げ、火が弱くなったら

もとに戻す。

そのころちょうど、黄味が半熟に焼けていました。

手をああして、こう持って、と、手を添えて教えてくれました。

1週間だったか、毎日、ほぼ同じ時刻に特訓。

このとき、子供ながらに理解したのが、

卵料理は、火との勝負。

火加減をみて手をまめに動かす、ということでした。

どんなときも、急きたてず、

叱らないで、ゆっくり教える祖母。

反発心もなく素直に、おぼえることができました。

.

たったひとつの料理でも、

大人と同じように、火をつかって、

食べるものが自分でできることは、

生きる自信、原動力になります。

事実、祖母に教えてもらった小学校4年のとき、

そう思いましたから。

.

このあと、母方の祖母からは、炒りたまごを

教わりました。

いつかまた、記事にします。

.

.

.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする