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「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

シリーズ 原発の深層  第二部・米戦略のもとで② 不正直な大統領演説

2011-10-02 20:07:00 | 原子力発電・放射能汚染・自然エネルギー
シリーズ 原発の深層  第二部・米戦略のもとで② 不正直な大統領演説


 「米国は原子力を人類滅亡のためではなく、人類の生命のためにささげる道を、全身全霊を注いで探し出す決意を誓う」。1953年12月8日、アイゼンハワー大統領が演説を終えて着席した瞬間、国連総会の会場は拍手で満ちあふれたと、米原子力委員会のストローズ委員長(当時)は回想しています。

核軍拡時代へ
 広島・長崎への原爆投下から、世界は核軍拡の時代に突入しました。人類を滅亡に至らしめる米ソ間の核開発競争に対して国際的な懸念が広がります。
 これに呼応して、ソ連に対して道徳的な“優位性”を確保しようとしたのが同大統領の「アトムズ・フォー・ピース」演説でした。
この中で、核管理を行う国際原子力機関(IAEA)の創設を提唱。ソ連の参加を呼びかけると同時に、「軍事目的の核物質の単なる削減や廃絶以上のものを訴える」として、「原子力の平和利用」に言及したのです。
 米国は濃縮ウランや一定の核技術・情報を「平和目的」のために各国に提供することを決め、37力国との原子力協定を結んでいきます。日本もその一つでした。米国から提供された6キロの濃縮ウランが、原発大国への道程の始まりでした。





大量報復戦略
 しかし、実態はどうだったのか。
 もともとアイゼンハワー政権は、核兵器への依存度の高さでは突出していました。53年10月30日に国家安全保障会議が決定した極秘文書(NSC162/2)が、それを端的に示しています
ソ連との全面核戦争を想定し、相手の攻撃を大きく超える報復能力を持ち、核兵器を「他の弾薬と同様、使える兵器としてみなす」―いわゆる「大量報復戦略」です。
 国連総会での演説後も、この戦略は着実に実行されました。米国の核弾頭は53年の1000発から、61年には2万6700発まで増えました。60年には爆発力が米国史上最高となる2万500メガトン(広島型原爆の140万倍)に達します。
 原子力の「平和利用」を事実上の免罪符として公然と進む核軍拡―その欺瞞(ぎまん)ぶりに対しては、米政府内からも批判の声が上がっていました。
ダレス米国務長官の下で原子力問題特別補佐官を務めていたジェラード・スミス氏は90年に口述記録(オーラルヒストリー)でこう述べました。
 「大統領は演説について、ストローズ原子力委員長以外のだれとも相談しなかった。(原子力委員の)ハリー・スミスが、(大統領の)演説はまったく不正直だと言っていた。原子力の軍事利用と平和利用をどのように分離するのか、という疑問にまったく答えなかったからだ、と」(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2011年9月30日付掲載


アイゼンハワー大統領は、原子力の平和利用と言って、原発推進を海外に推し進めながら、国内では核弾頭の製造をどんどん進める。
まったく欺瞞的な態度をとったのですね。


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