仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

騒がしい1週間

2009-08-12 19:26:31 | 生きる犬韜
8日(土)から今日12日(水)までは、非常に騒がしい1週間だった。8日は自坊の盂蘭盆会だったが、相変わらずの睡眠不足で臨んだせいか、内陣で日没礼賛の読経を終えた後、朦朧として立ち上がれない。無理に身体を起こすと、立ち眩みで今度は後ろへ倒れそうになった。あやうく往生するところであった。夏は恐ろしい。

9日(日)からは伊勢・熊野へのゼミ合宿。その日のうちに片付けておかねばならないことを処理していたら、結局一睡もできずに家を出る羽目になった。7:00に東京駅集合というのだから、少なくとも5:30には出発していなくてはならない。休日だけにバスもないので、モモに港南台まで送ってもらった。
待ち合わせ場所の八重洲中央口に着くと、4年生のI君がすでに到着していた。習志野在住の彼もけっこう早くに家を出たはずだが、前ゼミ長の責任からか。流石である。それからだんだんと人が集まり始めたが、「北條先生」と声をかけられたので振り向くと、そこには一昨年の卒業生のEさんが。何でもこれから岡山の友人のところへ会いにゆくとのこと、ぼくらが同じ時間帯に出発するというので立ち寄ってくれたらしい。久しぶりに元気な姿がみられてよかった。その一方で、ゼミ旅行へ参加するはずの4年生K君が、7:00を過ぎても姿をみせない。ゼミ長のG君が連絡を取ってみると、なんと寝坊していま起きたところだという。団体チケットでの移動なのでやむをえず、彼には後から追いかけて貰うことにし、本隊は一路新幹線で名古屋へ。そこから快速みえに乗り換えて伊勢市駅へ到着。ここで、4月に京大の大学院へ進学した卒業生のT君とも合流した。
1日目の予定は、伊勢の外宮と内宮の見学であったが、式年遷宮の影響からか、とにかく異常な数の参拝客だった(もちろん、初詣のときほどではないだろうが…)。17年前の同じ時季、やはりゼミ旅行で訪れたことがあるのだが、その頃は大して人がいなかった気がする。タクシーの運転手さんによると、近年はお盆の時期に観光客が集中するのだそうだ。「?」である。
それはそうと、外宮から内宮へと見学を終えた頃、「う~ん、これはちょっとまずいかな」という気がしてきた。昨年、一昨年と、ゼミ旅行の折には参加者が分担して目的地の調査をし、その資料をもって現地入りしたのだが(昨年などは深夜の飲み会で勉強会まで開いた)、今年はそれがない。学生たちがちゃんと問題意識をもって見学しているのか、ちょっと分からなくなってきた。これは明らかに、そうした方向への配慮を欠いたぼくの責任である。途中、近くにいて質問しに来た学生とは、少し「研修旅行」的な会話をすることができたが、折に触れて「伊勢神宮はなんでこんなところにあるのかな~」などと水を向けてみたものの、あまり話は盛り上がらなかった。昼食後、時間が余ったので神宮徴庫館を見学することができ、そのなかでのみ学問的なやり取りができたのが、せめてもの救いか。しかし、このあたりのスケジュールを調整して、皇學館や神宮文庫の見学を段取った方がよかったのではないか(知人が何人もいるのに…)。外宮からの移動中に皇學館の前を通り過ぎるまで、まったくその可能性に思いが及ばなかった。学生たちに悪いことをした(しかし、ゼミ旅行がお盆に入る時期に設定されることもあってか、毎年各研究機関にいる知人とのコンタクトがうまくいかない。やはり、GWの段階までに準備を進めておかないと難しいか…)。
徴古館の見学終了後は、伊勢市駅から電車を乗り継いで宿泊先の勝浦温泉まで移動。途中、台風の影響で断続的に徐行運転があり、ホテルに辿り着いた頃には22:00を回っていた。閉まりかけていたホテル内のラーメン店で遅い夕食を摂り、急いで入浴して夜の飲み会。ここでも「伊勢神宮は…」と振ってみたが、疲れ切った学生たちを奮い立たせることはできず。しかし、今まであまり接点のなかった学生から、いろいろ話を聞けたのは幸いだった。とくに、遅刻してきて外宮で合流したK君。彼は、普段は口数が少ないタチなのだが、ゲームやアニメの話題になると極めて饒舌であることが分かった。徐行しまくっていた勝浦までの特急のなかでは、彼とずっとサブカルの話をしていた。
飲み会がはねてからは、自分の部屋に戻ってレポートの採点。コピーをバッグに詰めてきたので、移動中も折に触れて読んでいた。

翌10日(月)は、朝から観光バスに乗っての熊野三山めぐり。諸事情あってレンタカーによる移動の道が断たれたあと、G君が苦心して辿り着いた策である。少数の参加者に負担をかけることなく、楽に見学ができたという意味では本当によかった。しかし、ひとつひとつの訪問地にかけられる時間が少なかったので、余裕をもって見学をすることができず、これも学問的会話の妨げとなった。本当にみてほしいところ、考えてほしいことを伝えられなかったのも痛かった。例えば、上の写真の熊野本宮大斎の原。本宮の旧社地だが、10年ちょっと前の院生のころ、逵日出典先生のお誘いで参加した日本宗教文化史学会設立大会で、本宮の神官の方(お名前は失念)が考古資料を交えて報告されていたのが思い出深い。本宮がなぜ、何のために作られたのかを考えるのには絶好のポイントなのだ。しかし、観光バスによって指定された見学時間内では、現社地と大斎の原を両方みるのは難しい。そこで、急いで写真だけ撮ってきたわけだ。本音をいえば、この河を前にした杉林のなかで、人間にとって神とは何なのか考えてほしかったなあ。
さて、本宮の後は速玉大社、那智大社と回った。台風の雨で増水した那智の滝はもの凄い迫力で、いつもは「女性的」と評されるその雰囲気は一変していた。誰かが口にしていたが、まさに荒ぶる姿である。ちょっと疲れてきていた学生たちも、自然のエネルギーに打たれ、心身ともにリフレッシュしていたようだった。そこから登った那智大社・青岸渡寺への石段はかなりキツかった様子だが、木々と雲霧に包まれた景観は非常に幻想的で、しばし言葉を失った(年甲斐もなく、20才近くも離れた学生と競争で石段を駆け上り、疲れ切っていたせいもあったが…)。
この日の移動はすべて観光バスだったが、何度も雨に降られたりしたので一同疲労困憊し、早めにホテルへ帰着した。ぼくは、洞窟風呂で打ち寄せる波と頻りに変化する雲をみながら疲れをとり、再びレポート採点。学生たちは思い思いに楽しんだようだ。この日の夕食はやはりG君が探してくれた創作料理のお店で、美味しいマグロのカツに舌鼓を打った(ごちそうさま)。

最終日は終日移動。熊野参詣の紀伊路を電車で逆に辿りながら新大阪までゆき、新幹線で東京へ。朝起きると静岡で大地震とかで、台風のダブルパンチによる被害が心配されたが、G君の活躍もあってほとんど予定を遅れることなく帰宅することができた。車内ではレポートの採点を終え、急いで返事を書かねばならない抜刷を読み、また9月末に〆切のある論集の原稿執筆に必要な論文を幾つか読んだ。ぼくは自分のことしかしていなかったが、I君は、ゼミで読んでいる『中右記』熊野参詣記事に関わる景観を車窓から撮影してくれていた。最初に「ちゃんとみておけよ!」と案内すべきであったが、ここでも大失敗である。しかし、I君が撮った写真を早速ゼミのブログにアップしてくれたようなので、ほっと一安心。

とにかく今回のゼミ旅行は、ぼくの指導がゆきとどかなかったために、ゼミ長はじめ学生たちに多大な負担をかけてしまった。G君やI君をはじめとする参加者諸君の機転でなんとか予定を消化することができたが、ぼくは彼らに「引率されていった」ようなもので、反省すべきことばかりであった。申し訳ない。
しかし個人的には、伊勢や熊野の立地を鳥瞰的に確認して、山と水と神社の関わりをあらためて認識できたのがよかった。本宮の旧社殿が明治の大洪水で流れてしまったように(十津川の水害はこのときだったんだね)、社殿以前の祭祀場は、もっと水際の場所に位置していたのかも知れない。やはり、神は境界から立ち現れたのだろう。近年の水の祭祀の研究成果と併せ、各神社の原風景についてあらためて考察しなおさねばならない。

少々の慚愧の心を抱え、今日12日(水)は朝から大学の事務処理とお盆の檀家さん回り(9件)。昨日の今日で疲れが取れていないのか、あるいは最近の修行!不足のためか、正座で足にしびれが来るのが早かった…。くたくたである。『歴史評論』の初校も届き、まったく休む暇もない毎日が続く。
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