く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<BOOK> ものと人間の文化史174「豆」(前田和美著、法政大学出版局発行)

2016年01月28日 | BOOK

【「ツタンカーメンのエンドウ」は捏造! 王墓副葬品にエンドウはなかった】

 市販中の「ツタンカーメンのエンドウ豆」の売り文句はエジプト王家のツタンカーメンの墓から豪華な副葬品とともに発見され3000年の時を経て発芽! なかなか夢とロマンのあふれた話で、一時は小学校で栽培ブームが起きるほど。ところが実際には王墓の副葬品の中にエンドウマメはなかったといわれる。本書は昨年11月30日に初版が発行されたばかり。第9章「虚構の主役になったマメ―エンドウ」で22ページを割いて「ツタンカーメンのエンドウ」の誕生やブームの背景を詳細に論じている。(写真㊨は昨年自家栽培した「ツタンカーメンのエンドウ豆」の花)

   

 著者がこのエンドウマメの由来について研究を始めたのは今から約30年前の1987年。内外の多くの文献に当たった結果「9世紀ごろの欧州における『ミイラのコムギ』や『ミイラのオオムギ』の話の『書き替え』であることを確認できた」という。「ツタンカーメンのエンドウ」は「科学的根拠のない虚構」だったわけだ。

 元となった「ミイラのコムギ」はエジプトの墳墓から見つかった種子が時を超えて発芽したというもの。だが古植物学者らによると、その種子は炭化し胚が壊れて発芽は全く不可能で、まさに根も葉もない作り話とか。種子の寿命は貯蔵の条件にもよるが、それでも数百年ということは決してあり得ないという。普通コムギ(パンコムギ)とは別種のコムギの種子を「奇跡のコムギ」「ミイラのコムギ」と称して売った業者もいたそうだ。捏造話の裏には一儲けしようという欲があった。

 「ツタンカーメンのエンドウ」が捏造された背景について、著者は「エンドウの種子が3000年も生きていた」ことを信じた植物や作物の専門家とともに、ブームの火付け役となったマスメディアに大きな責任があると指摘する。農林水産省のホームページ「消費者の部屋」(2006年)でさえ「ツタンカーメンのエンドウ」を「えんどう豆は発芽能力の維持が難しいといわれていますが、発見されたものは約3000年の年月を超えて発芽しました」と紹介していたという。著者は「専門家や国が科学的根拠を示さずに『事実』として、いわば『お墨付き』を与えている『ツタンカーメンのエンドウ』の話が、今もなお生き続けている」ことに警鐘を鳴らす。

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<エンドウ> 寒波でつるがぐったり! 遅ればせながらワラなどで保温対策

2016年01月28日 | メモ

【例の〝ツタンカーメンのエンドウ豆〟栽培2年目】

 日本列島を襲った記録的寒波。その余波で葉物野菜が高騰しているとか。奈良市内でも24日夜~25日朝の冷え込みは厳しく、最低気温は氷点下4.4度を記録した。その影響で自家栽培中のエンドウマメはつるの先が軒並みぐったり。保温対策の不備を反省しながら、遅ればせながら急遽ワラやビニールで覆った。これこそ泥棒(寒波)を見て縄(ワラ)をなう〝泥縄式〟か。

 

 このエンドウマメ、実は「ツタンカーメンのエンドウ豆」と称して売られているもの。1年前初挑戦したところ、ピンクと紫のツートンカラーのかわいい花を付け収穫は予想以上だった。鞘は少々不気味な黒紫色だが、中は普通のエンドウと同じ緑色。その一部を取り置きし昨年の10月後半から11月にかけて種蒔きした。

 その後、つるが前年よりやや速く伸びて、背丈は既に1mほどに。そこに寒波が直撃した。つるの先がしおれたのは寒さで水分が凍ったのだろう。保温対策に加え、小株で冬越しさせるため種蒔きももう少し遅らせるべきだったのか。つるの先はその後もぐったりしたままだが、昨日27日に様子を見ると右の写真のように幸いそばから若葉が立ち上がり始めていた。すごい生命力!

 28日早朝、NHK「ラジオ深夜便」できょうの「誕生日の花」としてエンドウを紹介していた。ちょうど「ものと人間の文化史174『豆』」の第9章「虚構の主役になったマメ―エンドウ」を読んでいる最中だったので、その偶然に少々驚いた。エンドウの花ことばは「未来の喜び」とか。春が来ると花が目を楽しませてくれ、その後には食の楽しみも待っている。栽培中のエンドウが無事に冬を乗り越えてくれることを願うばかり。

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