く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<BOOK> 「円空の生涯」

2016年01月26日 | BOOK

【長谷川公茂著、人間の科学新社発行】

 江戸前期の遊行僧円空(1632~95)は生涯に12万体の木彫りの仏像を作ったという。これまでに全国各地で発見されたのは約4500体。彫刻を始めたのは32歳のときといわれ、64歳のとき即身仏として入寂した。ということは単純計算でもこの間の30年余に毎日10体以上彫らないと12万体に達しない。超人的な数の仏像を彫り続けたのはなぜなのだろうか。

       

 著者は1933年愛知県生まれ。20代前半の55年秋、江南市の寺で円空作の護法神を目にしたのが円空仏にのめり込むきっかけになった。71年に「円空学会」を旗揚げ、81年から2013年まで理事長を務めた。全国で見つかった円空仏はこれまでに全て訪ねたという。著書に『底本円空上人歌集』『東海の円空を歩く』『円空微笑みの謎』など。

  円空仏の最大の特徴は何と言っても慈愛に満ちた微笑みだろう。観音菩薩や地蔵菩薩だけでなく、いかめしい表情が一般的な仁王像や不動明王、役行者でさえも笑みをたたえる。彫刻家棟方志功を名古屋の鉈薬師に案内したとき、棟方志功が突然須弥壇に駆け上がり「こんな所に俺の親父がいた」と円空仏にしがみついたそうだ。著者は「円空仏の微笑みは円空その人の微笑み」とみる。

 円空は多くの和歌も残している。著者は1960年、岐阜県関市の高賀神社で「大般若経」の表紙裏に貼り付けられた膨大な数の円空自作の和歌を発見した。「この『円空歌集』こそが円空仏の微笑みと美の謎を解く鍵なのではないか」と胸が高鳴ったという。その中にこんな1首があった。「作りおく神の御影の円(まどか)なる浮世を照すかがみ成けり」。私が作るのは円満なる神の像であり仏の像である。これらの像は浮世の人々を救う神・仏であり、私はその鏡を作っている……。

 円空は岐阜県の出身。出家後、愛知や長野など近隣だけでなく東北や北海道、関東、近畿など全国を行脚し仏像を刻んだ。1971年には奈良・法隆寺に立ち寄り、大日如来像を彫って「万代(よろずよ)に目出度き神の在(ましま)して名を九重のいかるがの寺」の歌を残した。また大和郡山市の松尾寺には大峰山での修行中に彫ったといわれる役行者像が安置されている。

 かつて岐阜県内で何度か目にした円空仏は高さ数十センチの粗削りの像がほとんどだった。このため不勉強のほどが知れるが、円空仏といえば小ぶりで簡素な造形というイメージを持っていた。本書で初期の作品は丁寧な造りだったこと、高さは1~2m、中には3mを超える大作もあったことなどを初めて知った次第。円空は幼少時に母を長良川の洪水で失ったといわれる。円空が即身仏入定の素懐を遂げたのも自坊前の長良川河畔だった。岐阜県関市のその場所には「円空上人塚」が立つ。


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