く~にゃん雑記帳

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<葛城市歴史博物館> 企画展「古代忍海の渡来人を探る」

2015年06月04日 | 考古・歴史

【群集墳「寺口忍海古墳群」の発掘成果を紹介】

 奈良県の葛城市歴史博物館で春季企画展「古代忍海(おしみ)の渡来人を探る―葛城市寺口忍海古墳群」が開かれている。葛城市はおよそ800基の古墳が存在する古墳密集地域。とりわけ1つの古墳群で100基を超える〝群集墳〟がいくつもあるのが大きな特徴だ。その1つで朝鮮半島からの渡来人との関わりが深い寺口忍海古墳群に焦点を当てている。6月28日まで。

 葛城山麓に位置する寺口忍海古墳群には調査対象の60基を含め200基近くの古墳が造られたとみられる。その多くが長さ10~20mほどの比較的小型の古墳。古墳群の名称にも使われている忍海は日本書紀にも登場する。古代豪族葛城氏の祖といわれる葛城襲津彦(かづらきのそつひこ)が新羅遠征の際、朝鮮半島から連れ帰った人たちを定住させた4地域の1つとして忍海の地名が挙げられている。(写真は㊧供献されていた鍛冶生産で排出される鉄滓、㊨埋葬品のガラス小玉と碧玉製管玉)

 

 古墳群の築造時期は5世紀後半~7世紀半ば。そのほとんどは幸い盗掘を免れ、石室内は埋葬時の状態で残っていた。当初から全期間を通して、朝鮮半島に由来する横穴式石室が採用されているのが特徴。副葬品として鍛冶具や鉄滓、鉄塊、朝鮮半島製の馬具、ミニチュアの炊飯具や農耕具、鉄製武器、装身具などが出土した。これらから古墳群に埋葬されたのは渡来人で、鍛冶集団と関わりの深い群集墳であることが分かった。

 鉄滓や鉄塊が見つかった古墳は6世紀後半以降の古墳8基から。これらを副葬品として供献するのは鍛冶に関わる渡来人たちの、故人を供養するための伝統的な風習だったとみられる。石室の中には追葬が続けられ合計9体が埋葬されたものや、先に埋葬された2体の棺を片付けて新たに4体を埋葬するなど、石室を長期にわたって繰り返し利用したものもあった。(写真㊧男女を合葬したとみられる2つの木棺から見つかった副葬品、㊨再利用された石室内から出土した土器類など)

 

 

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