く~にゃん雑記帳

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<ナラノヤエザクラ> 100年前に再発見の貴重種

2022年04月27日 | 花の四季

【「いにしえの奈良の都の八重桜…」と歌に詠まれ】

 ナラノヤエザクラはカスミザクラの変種で、本来の一重咲きが重弁化したものといわれる。「ノ」を省いてナラヤエザクラとも呼ばれる。花径は3cmほどとやや小ぶりで、30~35枚の花弁が重なり合う。開花時期は桜の中で最も遅く、4月下旬から5月上旬にかけて見頃を迎える。ヤマザクラ同様、若葉と花が同時に展開し、白っぽい咲き始めの花弁が咲き進むにつれて次第に淡紅色を帯び濃さを増していく。

 伝承によると、奈良時代に聖武天皇が春日の奥山で見つけ、光明皇后にせがまれて平城宮に移植させたという。古くから歌に詠まれてきたが、中でも有名なのが平安中期の女流歌人、伊勢大輔(生没年不詳)が詠んだこの歌。「いにしえの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな」。小倉百人一首にも収められている。一条天皇の中宮彰子に仕え始めたばかりの伊勢大輔が、奈良から献上されたこの桜を前に中宮の命により即興で詠んだ。平安後期の歌論書『袋草子』(藤原清輔著)はその流麗な響きと類まれな歌心に「万人感歎、宮中鼓動す」と当時の様子を書き残している。

 また吉田兼好は『徒然草』に「八重桜は奈良の都にのみありけるを、このごろぞ世におおくなりはべるなる」(139段)と、京都では珍しかった八重桜が最近では目にする機会が増えてきたと記している。ただ、そのナラノヤエザクラの存在もいつの間にか忘れ去られて長い年月が過ぎた。再び注目を集めたのはちょうど100年前の1922年。〝桜博士〟として知られる植物学者三好学(1862~1939)らによって、東大寺の塔頭寺院知足院の裏山にあった桜がナラノヤエザクラであることが確認された。その翌年には「知足院ナラノヤエザクラ」として国指定の天然記念物に。しかし、その桜も十数年前に枯れ死し、知足院には組織培養し育てられた桜の成木が植樹されている。

 ナラノヤエザクラは奈良県の県花で、奈良市の市花でもある。今では奈良公園をはじめ東大寺や興福寺の境内、平城宮跡、奈良女子大学などで見ることができる。「奈良八重桜の会」(上田トクヱ会長)はこの貴重な桜をより多くの人に知ってもらおうと様々な活動に取り組んできた。今年は会設立20周年の節目。記念事業の一環として募集した短歌には全国から635首が寄せられ、4月23日に開いた記念式典の中で授賞式を行った。「短歌大賞」に選ばれたのは奈良市の松森重博さんの作品。「時を超え古え人とつなぐかに 奈良八重桜は堂あとに咲く」

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