【精緻な筆致、蝋燭・りんご・からすうり…】
奈良県立美術館(奈良市登大路町)で洋画家・髙島野十郎(1890~1975)に焦点を絞った特別展「生誕130年記念 髙島野十郎展」が始まった。髙島は旅と孤独を愛し画壇との交流を避けていたこともあって、精緻な筆遣いによる静物画や風景画でその名が広く知られるようになったのは没後のこと。無名だった髙島に光を当てたのが福岡県立美術館で、今回の展示作品116点も同美術館収蔵のものが大半を占める。展示は青年期、滞欧期、戦前期、戦後期、光と闇の5つの章で構成して彼の生涯を辿っている。
髙島の実家は福岡県久留米市で酒造業を営む大地主だった。5男の髙島は東京帝国大学農学部に進学し、1916年に水産学科を首席で卒業する。その卒業時には天皇陛下から授与される「恩賜の銀時計」の候補者にも挙がったという。髙島はそれを辞退して画家への道を選ぶ。在学中に描いたという『傷を負った自画像』はその厳しい表情と右足の一筋の鮮血が印象的な作品。進路に思い悩む自らの姿を描いたのだろうか。ほかにも自画像を多く残している。『絡子(らくす、禅僧の袈裟)をかけたる自画像』『りんごを手にした自画像』『煙草を手にした自画像』……。
髙島は写実性を徹底的に追求した。「遺稿ノート」には「全宇宙を一握する、是れ寫実 全宇宙を一口に飲む、是寫実」という言葉を記している。静物画ではリンゴやブドウ、カキなどの果物を繰り返し描いた。タイトルに『リンゴ』を含む展示作品を数えてみると10作品もあった。代表作の一つ『からすうり』は枯れた蔓と赤い実がドキッとするほどの美しさだった。渡欧(1930~33)から帰国後の1935年に実家の庭に建てたアトリエで描かれた作品。その後に描かれた『からすうり』2点も展示されている。
髙島は「蝋燭の画家」とも呼ばれる。1本の蝋燭の炎のゆらぎを描いた『蝋燭』という作品群は確認されているものだけでも約40点に上る。その多くはサムホール(22.7×15.8cm)という小さな画面に描かれており、知人や絵の購入者らに感謝の気持ちから贈られたという。展示中の『蝋燭』は7点。蝋燭の長さ、太さ、炎の形などは一つひとつ微妙に異なる。髙島は「俺の絵の蝋燭はみんな生きとるんだよ」と言っていたそうだ。髙島は戦後、東京・南青山にアトリエを構えていたが、東京五輪に伴う道路拡張工事で立ち退きを迫られた。そのため71歳のとき千葉県柏市郊外の農地を借り、その一角に小さな小屋を作って絵を描いたり野菜を栽培したりして暮らしていたという。特別展の会期は5月30日まで。その後、岡山県瀬戸内市や千葉県柏市などを巡回する。