く~にゃん雑記帳

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<天理大学図書館> 特別展「悲劇の天才言語学者ネフスキー」

2015年11月23日 | メモ

【日本滞在14年、自筆のノート類や論文草稿、書簡、日記など一堂に】

 天理大学付属天理図書館(奈良県天理市)で同大学創立90周年記念特別展として「悲劇の天才言語学者ネフスキー~自筆資料に見る軌跡~」が開かれている。ニコライ・ネフスキー(1892~1937)はソ連(ロシア)生まれの東洋言語・民俗学者。ネフスキーが日本滞在中に書き残したノート類やタイプ草稿、書簡、日記などを一堂に公開している。29日まで。

         

 ネフスキーが官費留学生として来日したのはペテルブルグ大学卒業直後の1915年。以来帰国するまでの14年間、柳田国男や折口信夫らに師事し、神道や東北地方のオシラ様、アイヌの民俗、宮古島の民話や言語などについて研究を続けた。その傍ら小樽高等商業学校(現小樽商科大学)や京都大学文学部などでロシア語教師として教鞭を執った。ネフスキーは北海道・積丹出身の萬谷イソさんと結婚、一女をもうけている。

 天理図書館はネフスキーの自筆資料群を大量に所蔵する。1929年の帰国直前にイソ夫人の実家に残していたもので、今年が来日100年目の節目に当たることもあって初公開に踏み切った。主な展示資料は日本語で発表した「月と不死」などの露文タイプ草稿、宮古島方言辞典の草稿ノート、平安前期の歴史書「古語拾遺」の露文翻訳ノート、琉球の古語辞書「混効験集」の写しノートなど。言語学者金田一京助にアイヌの神について教えを乞う書簡控えや柳田国男宛ての書簡控えなども。会場にはネフスキーが来日中に撮った数々の写真や、特別展開催へのお礼のコメントが添えられた一人娘エレーナさんの写真なども飾られている。

 ネフスキーは帰国後、レニングラード大学で教鞭を執ったりエルミタージュ博物館に勤めたりする傍ら、来日中の研究成果を基に「古代日本の儀礼歌(6―8世紀祝詞)」「アイヌ・フォークロア」などを発表した。だが、帰国8年後の1937年秋、無実のスパイ容疑で逮捕されイソ夫人と共に銃殺刑という悲劇的な最期を遂げた。享年45。名誉が回復されるのは20年後の57年で、旧ソ連で最高の国家賞とされるレーニン賞も受賞した。

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