く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<小澤征爾さん> 「世界のマエストロ」巨星墜つ!

2024年02月10日 | 音楽

【ライフワークだった松本の“サイトウ・キネン”】

 世界のクラシック界を牽引してきた指揮者小澤征爾さんが2月6日亡くなった。88歳。武者修行のため貨物船でヨーロッパに向かったのは23歳のとき。ブザンソン国際指揮者コンクール(フランス)での優勝がその後の飛躍の第一歩となった。「東洋人として西洋音楽をどれだけやれるか」。そんな思いを胸に全力疾走して、“世界のオザワ”まで上り詰めた小澤さん。中学の音楽の授業で、女性教師がその活躍ぶりをわが事のように熱く語っていたのがつい最近のように思い出される。(写真はいずれも長野県松本市での「第4回サイトウ・キネン・フェスティバル」の記者会見で=1995年8月14日)

 小澤さんはブザンソン優勝後、フランスからアメリカ、ドイツ、またアメリカと欧米を渡り歩いた。26歳の時には指揮者レナード・バーンスタインの招きでニューヨーク・フィルの副指揮者に就任。凱旋帰国したのは約2年半後の1961年4月だった。JALのニューヨーク・フィル特別機に同乗して羽田に降り立ち、家族や多くの友人たちの出迎えを受けた。バーンスタインから「お前は幸せな奴だなあ」と声を掛けられた。その間の活動は自著『ボクの音楽武者修行』に詳しい。

 ブザンソンでの快挙は日本の音楽家にも多くの刺激と勇気を与えた。ピアニスト舘野泉さんは自著『左手のコンチェルト』の中で「彼のやったことに驚き、青年の冒険心と音楽的な野望とに感動した」と記す。舘野さん自身、日本を離れて音楽に向き合ってみたいと考えていた時期に重なったため、そんな思いを強くしたのだろう。舘野さんはその後渡欧し、フィンランドに拠点を構えた。 

 小澤さんは友人で指揮者・作曲家の故山本直純さんから「自分は音楽のすそ野を広げる。おまえは世界を目指せ」と言われていたという。その後、40代にボストン交響楽団の音楽監督になった小澤さんはズービン・メータ、ロリン・マゼール、クラウディオ・アバドとともに“次代の四天王”と称されるように。

 小澤さんに大きな勇気をもらった一人に指揮者の佐渡裕さんがいる。1989年28歳のとき、ブザンソンコンクールに挑戦し見事優勝。ただ審査結果の発表前、本人は失敗の指揮だったと敗北感に覆われていた。そんな時、楽屋で小澤さんから「あんた、面白いっすよ」と声を掛けられる。「小さいときからあこがれていた“世界のオザワ”にそう言われ、感激で胸がいっぱいになった」。後ろ姿を見送りながら「それにしても大きな頭やなぁ。まるでライオン丸や」と驚いた(自著『僕はいかにして指揮者になったのか』)。

 新日本フィルを指揮し日本デビューを飾ったのも「佐渡に指揮をやらせろ」という小澤さんの強い推しがあったからという。佐渡さんはバースタイン最後の愛弟子ともいわれる。1999年には大阪の年末コンサート「サントリー1万人の第九」(83年スタート)の指揮を山本直純さんから引き継いだ。そんなところからもバーンスタイン―小澤―佐渡、小澤ー山本―佐渡という、深い縁と絆につい思いを馳せてしまう。

 バイオリニスト諏訪内晶子さんは小澤さんの暗譜力に驚かされた。「『人並みすぐれた』などという言葉で表現できる水準ではない。厖大なオーケストラ・スコアが隅から隅まで頭に入っていて、しかもリハーサルや以前のコンサートでご一緒させていただいたときの問題点、会心の部分などが寸分の狂いなくメモリ-に記録されている」(自著『ヴァイオリンと翔る』)。

 実弟小澤幹雄さんは著書『やわらかな兄征爾』の中で、兄を「努力型人間」と評す。「フランス政府の留学試験に落ち…スクーター旅行を思いつき…やっと富士重工からラビットスクーターを借りて貨物船に乗り込むあたりは、得意の『当たってくだけろ』精神だが、どうみても天才型の人間の姿ではない」。

 小澤さんにとって後半生のライフワークだったのが桐朋学園時代の恩師、斎藤秀雄さんの没後10年を機に結成した「サイトウ・キネン・オーケストラ」と長野県松本市での「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」(後に「セイジ・オザワ・松本フェスティバル」に改称)。バイオリニスト和波孝禧さんは自著『音楽からの贈り物』にこう記している。「サイトウ・キネンのメンバーは、皆、音楽家として一家をなす人たちであり、ライバルと呼べる人も少なくない。だが、彼らと一緒だと実にリラックスした気持ちになれるから不思議だ」。

 小澤さんは27歳のときピアニスト江戸京子さんと結婚した(その後離婚)。ブザンソンのコンクールに応募し優勝できたのも、当時フランス留学中の彼女からコンクールの情報をもらったのがきっかけだった。その江戸京子さんが1月23日逝去との新聞記事が社会面に小さく載っていた。小澤さんの亡くなるわずか2週間前のことだった。2人は離婚後も良好な友人関係を保っていたという。お2人のご冥福を心からお祈りします。

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<若戸大橋> 国の重要文化財指定から丸2年

2024年02月09日 | メモ

【吉永小百合主演『玄海つれづれ節』などの舞台にも】

 福岡県北九州市の洞海湾を跨いで若松・戸畑間を結ぶ「若戸大橋」。2022年2月9日に国の重要文化財に指定されてからちょうど丸2年を迎えた。開通は62年前の1962年。“東洋一の吊橋”ともてはやされた橋は後の関門橋や本州四国連絡橋など長大橋時代を切り開く魁(さきがけ)となった。若戸大橋はこの間、映画の舞台や背景としても度々取り上げられてきた。

 最も印象に残るのが吉永小百合主演の『玄海つれづれ節』(出目昌伸監督)。1986年の公開作品で、たまたま入手したビデオで繰り返し視聴した。吉永小百合は多額の借金を残し蒸発した夫を探す妻役。それまでの清純派のイメージとは打って変わって、気が荒い男勝りの役柄を好演した。やくざ顔負けの啖呵を切ったり、借金返済のためソープ嬢になったり。当時流行のテクノカットという髪形がよく似合っていた。

 助演に凄腕の借金取り立て屋を演じた演歌歌手の八代亜紀と幼馴染み役の風間杜夫の2人(その八代亜紀が昨年末にまさか急逝していたとは……)。他に樹木希林、三船敏郎、草笛光子ら錚々たる役者も出演していた。ロケ地は若戸大橋を間近に望む若松の旅館と映画館。吉永小百合が若戸大橋の歩道をトランク片手に颯爽と歩くシーンもあった。その歩道も映画公開の翌年には車道4車線化のため廃止に。興行的にはいまひとつだったようだが、従来の吉永小百合の殻を破る貴重な作品だったことは間違いない。

 『でっかいでっかい野郎』(野村芳太郎監督)には渥美清が大酒飲みの暴れん坊役として主演した。1969年公開で、DVDで2回視聴した。三船敏郎主演の『無法松の一生』をオマージュしたようなコメディー映画で、保護司で医院の院長を長門裕之、その夫人を岩下志麻が演じ、2代目無法松を気取る渥美が院長夫人に想いを寄せる。人力車で若戸大橋を疾走する場面もあった。私娼役の香山美子も溌剌とした演技で魅力的だった。メモ帳によると、渥美清主演作では前年68年公開の『白昼堂々』(野村芳太郎監督)にも若戸大橋の場面があったようだけど、記憶が薄れてしまって┄┄。

 『ウィニング・パス』(中田新一監督)は2004年の公開作品。若松の自宅から戸畑に通う高校生小林健太役を映画初主演の松山ケンイチが演じた。4000人を超えるオーディションで選ばれたという。バイクで若戸大橋を渡るシーンも映し出される。健太はバイク事故で半身不随となり車椅子生活を余儀なくされることに。自暴自棄になっていた健太を救ったのは車椅子バスケットとの出合いだった。父親役を矢崎滋、妹を堀北真希、恋人を佐藤めぐみが演じた。

 森繁久彌主演の『社長漫遊記』(杉江敏男監督)は東宝の社長シリーズ16作目。渡米しアメリカかぶれになった社長役の森繁が小林桂樹や加東大介、三木のり平らとドタバタ喜劇を演じる。公開は1963年1月で、若戸大橋はその前年の9月に開通したばかり。その開通式や開通を記念した博覧会「若戸博」の実際の映像も流れた。

 『神様のくれた赤ん坊』(前田陽一監督)は1979年公開で、主演は桃井かおりと渡瀬恒彦。まだ若戸大橋に歩道があった頃の作品で、2人が歩道を歩くシーンも。他にDVDで視聴した『サッド ヴァケイション』(青山真治監督、2007年)や『旅猫リポート』(三木康一郎監督、2018年)にも若戸大橋が出ていた。燃えるような鮮烈な色合いで様々な画面に登場してきた若戸大橋。次はどんな映画に彩りを添えてくれるのだろうか?

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<平城宮いざない館> 「アフター 発掘された日本列島2023」展

2024年02月04日 | 考古・歴史

【幻の都「西京」が地下に眠る大阪府八尾市の遺跡など】

 平城宮跡歴史公園(奈良市)の平城宮いざない館で「アフター 発掘された日本列島2023」展が開かれている。「発掘された日本列島」展は文化庁が最新の遺跡発掘の成果を広く紹介しようと1995年度にスタートし、以来、毎年全国5カ所ほどを巡回してきた。ただ23年度は文化庁の京都移転が重なったため山梨と長崎の2カ所に絞って開催し、そのダイジェスト版を「アフター展」として奈良で開いているもの。会期は2月12日まで。

 展示は大きく「我がまちが誇る遺跡」と「新発見考古速報」の2本立て。「我がまち」では奈良時代後半に称徳天皇と僧の道鏡が新しい都として造営を進めた「西京」が地下に眠る大阪府八尾市の遺跡など3カ所を取り上げている。道鏡はヤマト王権の軍事・祭祀を担った古代氏族物部氏一族の弓削氏出身。ゆかりの弓削の里一帯には古代寺院の由義寺(ゆげでら)跡や久宝寺遺跡、渋川廃寺、高安千塚古墳群など道鏡や物部氏に関わる遺跡が多く残る。

 同展ではこれらの遺跡からの出土品をパネルとともに展示中。高安古墳群のうち横穴式石室の大石古墳からは口縁にミニチュアの壷や鳥を配した豪華な須恵器の装飾器台なども見つかっている。久宝寺遺跡からは大型掘っ立て柱の建物群の跡が出土した。物部氏の居館跡ではないかといわれている。また7世紀前半創建と推定される渋川廃寺も物部氏との関係が指摘される。

 由義寺は長く幻の寺といわれていたが、2017年に一辺約21.6mの大規模な塔の基壇が見つかり、その実在が確認された。塔は全国各地に建てられた国分寺の塔と同様、七重塔だった可能性も。跡地は翌年、国の史跡に指定された。その北東側からは都造りが進められていたことを示す水路や船着場なども確認されている。「西京」の造営は蘇我氏との戦いに敗れた物部氏の復権という願いも込められていたのだろう。だが、その都造りも770年、称徳天皇の崩御に伴って中止され、下野薬師寺(埼玉県)に放逐された道鏡も2年後に没した。

(弓削道鏡といえば、つい頭をよぎるのが極悪人説とともに“巨根伝説”。平安初期の説話集『日本霊異記』などで広がった。髙樹のぶ子の小説『明日香さん霊異記』の中にも「道鏡みたいに、精力絶倫が明日香ちゃんのお好みなんか……トホホ」といったくだりも。巷では「道鏡は座ると膝が三つでき」という川柳も詠まれた。ただ、あくまで創作ともいわれる。海音寺潮五郎は「(中国の歴史書)『史記』の呂不韋列伝にある宦官と始皇帝の母后の話が原型」と唱えた。つい最近、秦の始皇帝とその母と野心家の商人・呂不韋の3人を中心とする壮大な中国宮廷ドラマ「コウラン伝 始皇帝の母」(62話)を全巻視聴したばかり。展示コーナーを見ているうち、そんなことが次々に思い浮かんできた)

 「我が町が誇る遺跡」では全国屈指の貝塚密集地域・宮城県の仙台湾周辺の遺跡と、日本の窯業生産の発祥の地・猿投窯など名古屋市の遺跡も取り上げている。仙台湾の中にある里浜遺跡(東松山市)は日本最大級の貝塚。南境貝塚や沼津貝塚(ともに石巻市)などとともに土器や石器、骨角器などの出土品を展示中(上の写真)。猿投窯では古墳時代中期の5世紀初頭から須恵器づくりが始まり、鎌倉時代まで陶磁器の生産が続いて、その技術は常滑窯、瀬戸窯など各地の“六古窯”に引き継がれた。

 「新発見考古速報」では全国最多の子持勾玉(こもちまがたま)45点が出土した北大竹遺跡(埼玉県行田市)や、最新の調査で墳長が270~280mで佐紀山古墳群の中で最大と分かったウワナベ古墳(奈良市)、これまで存在が知られていなかった3基の円墳が見つかった下里見天神前遺跡(群馬県高崎市)など全国各地の遺跡を紹介している。(写真は下里見天神前遺跡の円墳の周溝から出土した馬形埴輪)

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<奈良祝ぐ寿ぐまつり> 平城宮跡朱雀門ひろばで

2024年01月28日 | 祭り

【“御斎会”再現や各地の行催事、特産品の販売…】

 平城宮跡歴史公園(奈良市)の朱雀門ひろばで1月27日「奈良ちとせ祝(ほ)ぐ寿(ほ)ぐまつり」が始まった。2016年に冬季の新イベント「大立山まつり」としてスタート。2022~23年の会場は奈良県コンベンションセンターで、3年ぶりに屋外の朱雀門ひろばに戻ってきた。会期は28日までの2日間。

 まつりは午前10時、朱雀門基壇ステージでの「當麻太鼓白鳳座」(葛城市)の勇壮な演奏で幕開けした。続いてオープニングとして古代の正月行事「御斉会(ごさいえ)」の再現。御斎会は正月8日から7日間、高僧たちが「金光明最勝王経」を唱えて国家安泰と五穀豊穣を祈願したという。

 まず命婦(みょうぶ)と呼ばれる女官に扮した7人が列を成して朱雀門に向かった。登壇すると場を清めるために散華(さんげ)。それが済むと純白の礼服(らいふく)姿で天皇が登場した。橿原市出身のタレント福本愛菜さん(NMB48の元メンバー)が女帝の称徳天皇役を務めた。

 この後「平城山相撲甚句」(奈良市)に続いて「風流舞 奏楽(そうら)」(田原本町、下の写真)があり、ステージを華やかに飾った。午後にも「曽爾の獅子舞」(曽爾村)、「飛鳥蹴鞠」(明日香村)、「桃俣獅子舞」(御杖村)などの演舞が続いた。28日には「紅しで踊り」(天理市)や「へぐり時代祭り」(平群町)なども予定されている。

 会場には県内各地の特産品を販売したり観光をPRしたりするテントがずらりと並ぶ。その一角には「立山」と呼ばれる住民手づくりの人形などの展示も。これらの造りものには無病息災の祈りも込められているという。有名なのが広陵町で毎年8月に行われる「大垣内立山祭り」で、江戸時代からの長い伝統を誇る。会場にはNHK大河ドラマ「どうする家康」に因んだ人形が展示されている。

 御所市東名柄天満宮の「天神祭の立山」も明治初期から130年以上続く。いま展示中のものはアニメ「鬼滅の刃」に因む造りもの。県内にはほかに橿原市八木の「愛宕祭の立山」などもある。ただ各地とも人口減などで伝統の継承には苦慮しているようだ。広陵町の大垣内では立山の数や展示場所が以前に比べ減ってきたという。橿原市の愛宕祭は昨年ついに中止に追い込まれた。

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<漢国神社> 年末恒例の「大祓・獅子神楽」奉納

2023年12月30日 | 祭り

【多彩な獅子舞や曲芸などで大盛り上がり】

 近鉄奈良駅のそばにある古社、漢国(かんごう)神社の石舞台で12月29日「大祓・獅子神楽」の奉納が行われた。2008年に太神楽曲芸師・豊来家玉之助さん(51)が1年の厄払いと新年の福を願って獅子舞を奉納したのが始まり。今では歳末恒例の風物詩としてすっかり定着、この日も境内は多くの観客で埋め尽くされ、演舞が終わるたびに拍手とともにおひねりが次々に投げ込まれた。

 出演者は豊来家さんを中心に漢国神社韓園講(からそのこう)、桃俣(もものまた)獅子舞保存会(奈良県御杖村)、西宮神社獅子舞保存会(兵庫県西宮市)の面々。神楽奉納は午後1時「道中」で幕開けし、続いて道先案内の「猿田彦舞」、「宮参り」と続いた。

 4番目の演目「韓園」は1人で獅子頭を左右両手に持って舞う。豊来家さんが自ら創作したという。いわば獅子舞の“二刀流”だ。

 豊来家さんは邪気を払う「剣」に続く6番目の「大黒」でも再び登場し、軽妙なトークで会場の笑いを誘っていた。観客席から舞台へおひねりが飛び交う。

 続く「抜身荒神祓」と「抜身中村」はこの日一番の見どころ。半紙を口にくわえたまま、鈴や宝刀を手に激しく舞う。口で息を吸うことも吐くこともできない。半紙が唾で濡れても落ちやすくなってしまう。真剣な表情で舞う演者に、和紙をくわえて息や唾がかからないように刀剣を手入れする武士の姿が重なって見えた。

 2つの演舞の最中、観客席は静まり返って視線は半紙をくわえた口元に注がれた。「大丈夫かなぁ?」。次第に心配になって見つめていると、ついに若い女性の口元から半紙が落ちてしまった。それがこの演目の過酷さを端的に表していた。「練習を積んで来年は落ちないようにします」。そう話す女性の爽やかな表情が印象的だった。

 奉納芸はまだまだ続く。「荒神祓崩し」の後は「へべれけ」。千鳥足のひょっとこが瓢箪のとっくりと大きな金杯を持って登場し、観客に渡した杯に酒を注ぐ(まね)。それを一気に飲み干す観客。隣に座った女性にも杯が回ってきた。舞台後方に控えた豊来家さんから声が飛ぶ。「女性ばかりに(杯を)渡すんじゃない!」。会場はまたまた爆笑の渦に包まれた。(隣席の女性へ。ブログへの写真掲載、快諾していただきありがとうございました)

 続く「参神楽」の演舞では豊来家さんが太鼓に合わせ自ら笛を吹いていた。その演奏の見事なこと! この後の演目「太神楽」でも傘回しや籠鞠(かごまり)などの曲芸を披露した。豊来家さんの芸には失敗しても、みんなを笑わすための演技では、と思わせるところがある。

 まさに八面六臂の活躍。豊来家さんが以前、NHKの連続テレビ小説「わろてんか」で松坂桃李さんに傘回しなどを演技指導したことを自慢していたことを思い出した。

 神楽奉納もいよいよフィナーレ。「荒廻剣」に続いて、参加者全員が「伊勢音頭」を歌いながら舞台に勢揃い、一人ひとりお礼の挨拶をしたり新年の抱負を話したりしていた。最後に豊来家さんの「四方鎮(よもしずめ)」の舞で、2時間近くにわたった熱演の舞台を締めくくった。この後、観客には小豆とカボチャを煮込んだ御杖村の郷土料理「いとこ煮」がふるまわれた。

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<おん祭御渡り式> 参道で落馬事故! 先頭の「日使」奉仕者?

2023年12月18日 | 祭り

【御旅所祭は半時間ほど遅れて開始に】

 第888回を迎えた春日大社の摂社若宮の祭礼「春日若宮おん祭」が12月17日、奈良市内の目抜き通りで華やかに繰り広げられた。御渡りの行列は予定通り正午に県庁前の登大路園地を出発した。コースは近鉄奈良駅前~JR奈良駅前~三条通り~御旅所。一之鳥居内側の「影向(ようごう)の松」の前では古典芸能を披露する“松の下式”が行われた。ただ参道で行列の騎乗者が落馬する事故があり、御旅所祭の開始が30分ほど遅れるというハプニングがあった。(写真は御渡りの最後尾を務めた大名行列の御旅所入り)

 行列の第1番は黒い束帯姿の「日使(ひのつかい)」。この大役は例年経済界の重鎮が務めており、今年の奉仕者は園潔さん(三菱UFJ銀行特別顧問)だった。市女笠(いちめがさ)・垂れ衣姿の女官や「祝御幣」などに先導されて進む。「日使」は平安時代おん祭に向かう関白藤原忠通が病気になり、急遽お供にその日の使いをさせたのが始まりとのこと。

 2番は巫女列。その後の3~5番は芸能集団の細男座(せいのおざ)、猿楽座、田楽座。さらに馬長児(ばちょうのちご)、競馬列、流鏑馬、将馬(いさせうま)、野太刀、大和士(やまとざむらい)と続き、最後尾の12番は大名行列。

 大名行列を見送って県庁前から、一之鳥居と御旅所間の参道に移動。目の前を長い稚児列(三条通りから参加)に続いて再び第1列の「日使」や巫女列などが通り過ぎていく。「影向の松」の前では様々な芸能を披露する“松の下式”も始まっていた。

 事故が起きたのは午後1時半ごろ。競馬列の周りが急に慌しくなってきた。競馬は参道の馬出橋から御旅所近くまでの間で行われるが、何かの事情でスタートが遅れている様子。先に進むと参道脇で倒れた人を囲むように人垣ができていた。「落馬した」という観客の声を耳にした。

 落馬したのは先ほど目の前を通ったばかりの「日使」の奉仕者かもしれない。取り囲む人が手にする冠は「日使」が被っていたもののように見える。救急隊が到着したのはそれから十数分たってから。急の知らせを聞いて駆け付けたのだろう、春日大社の花山院弘匡宮司が心配顔でストレッチャーで運ばれる男性に付き添っていた。

 午後2時ごろ、ようやく競馬が始まった。その後、田楽座や稚児流鏑馬、大和士などの行列が何事もなかったように御旅所に向かった。しんがりを務めた大名行列は子供列と郡山藩列、南都奉行列。それぞれ道中で奴振りの技を披露した。

 御旅所には正面に若宮様の仮御殿、左右には巨大な鼉太鼓(だだいこ)。午後3時すぎ鼉太鼓が打たれ御旅所祭がスタート。まず若宮様に神饌が供えられた。そして仮御殿前の芝生の舞台(「芝居」の語源とも)では深夜まで様々な芸能が奉納された。

 行列の御旅所入りが終わったころ、参道ではまだ稚児3人による流鏑馬が行われ、「影向の松」の前では武術の柳生新陰流兵法と宝蔵院鎌兵法が披露されていた。“松の下式”が全て終わったのは午後3時45分だった。

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<春日若宮おん祭> 開幕を告げる「御湯立神事」「大宿所祭」

2023年12月16日 | 祭り

【今年で888回目、17日には4年ぶりに「御渡り式」も】

 春日大社の摂社若宮神社の祭礼「春日若宮おん祭」が12月15日始まった。日本最古の文化芸能の祭典といわれ、国の重要無形民俗文化財に指定されている。平安時代から連綿と続いて今年で888回目。15日には奈良市餅飯殿町の大宿所(おおしゅくしょ)で「御湯立(みゆたて)神事」と「大宿所祭」が執り行われた。17日には約1000人・馬約50頭による華やかな行列「御渡り式」と「御旅所祭」が深夜まで繰り広げられる。御渡り式が通常の規模で開催されれば5年ぶりとなる。

◎…御湯立神事は祭り奉仕者の身を清め、祭りの無事執行を祈願するもの。御渡りに参加する「大和士(やまとざむらい)」や「神子(みこ)」(写真)たちが参列した。

◎…湯立巫女を務めるのは祝詞や所作を代々受け継ぐ加奥家(大和郡山市)の加奥満紀子さん。クマザサを大釜につけ「サヨーサ(左右左)、サヨーサ」と唱えながら湯を振りまいた。この後、ササと鈴を手に参拝者もお祓い。

◎…大宿所の室内には御渡りで奉仕者が身に着ける時代装束や道具類などが所狭しと並ぶ。

◎…杉の葉造りの小屋を飾るのは寄進された供え物のキジやタイ、塩ザケ。“懸鳥(かけどり)”と呼ばれる。江戸中期1742年の寄進はキジ1268羽・ウサギ136羽・タヌキ143匹…という膨大な記録も!

◎…奉仕者や参拝者には大根や里芋、こんにゃくなどを煮込んだ“のっぺ汁”がふるまわれた。

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<写真あれこれ⑨> 「なんだか気持ち悪い」って? 貴重なお宝だよ

2023年12月14日 | メモ

【実は1300年前の「う⋅ん⋅ち」 小学生に一番人気の展示品なんだ】(2022年10月25日/平城宮跡資料館で)

【排便の後始末に使う薄い木のへらも大量に出てきた】※トイレットペーパー代わりのこのへらは「籌木(ちゅうぎ)」と呼ばれる

【木簡を再利用した木の容器】※籌木の多くも不要になった木簡を縦割りにしたもの

【平城宮で出土した遊び道具】※左側の“木とんぼ”(素材ヒノキ)の発見で、それまで江戸時代に始まったとみられた竹とんぼの歴史が一気に奈良時代まで遡った!

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<写真あれこれ⑧> ヒオウギの蜜、アリの大好物だった!

2023年12月13日 | メモ

【こっちの花にも、あっちの花にも】(2023年8月22日/春日大社万葉植物園)

【漆黒のヒオウギの実「ぬばたま」 万葉集で黒髪や夜などの枕詞に】(2018年10月19日/我が家の庭で)

【平城宮出土のヒノキの薄板を使った“桧扇”(ヒオウギの語源)】(2022年11月2日/平城宮いざない館 ※左右の色の違いは保存方法の差による)

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<写真あれこれ⑦> おじさ~ん、何拾ってるんですか?

2023年12月12日 | メモ

【海岸で何かを拾い集める男性】(2017年8月7日/山口県柳井市で)

【何これ? 小遣い稼ぎになると言ってたけど】

【(奈良で)あそこにも鹿が… あっ!剥製か】(2023年8月27日/奈良市三条通りで)

【お母さんの袋の中から「コンニチハ」】(2014年5月8日/北九州市「到津の森公園」?)

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<写真あれこれ⑥> 祭りの餅まき、ゲットした餅から

2023年12月11日 | メモ

【5円玉! 歯が欠けるところだった】(2015年11月7日/京都府南山城村の「田山花踊り」)

【ワンちゃんも着飾っておめかし】(2018年10月13日/滋賀県長浜市の「長浜きもの大園遊会」)

【瑞雲? 朝日の上に円い輪が!】(2017年8月9日/岡山県内)

【花はどこ? 周りは草茫々!】(2017年7月4日/奈良市内の幹線道路で)

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<奈良女子大学管弦楽団> シベリウス「フィンランディア」熱演

2023年12月10日 | 音楽

【第52回定演、ドヴォルザーク「新世界より」も】

 奈良女子大学管弦楽団の第52回定期演奏会が12月9日、大和郡山市の「DMG MORIやまと郡山城ホール」で開かれた。プログラムはチェコのドヴォルザークとフィンランドのシベリウスの作品3曲。「愛国心」と「祖国愛」をテーマに選曲したという。会場の大ホールはほぼ満席で、学生やOBらの熱演に温かい拍手が送られ「ブラボー」の掛け声も飛んでいた。

 指揮者は常任の木下麻由加さん。2010年神戸大学発達科学部人間表現学科を卒業後、デンマークに留学し14年王立音楽アカデミーの指揮科を卒業。この間、ウクライナ国際指揮マスタークラスも2年続けて修了している。現在、奈良女子大学のほか近畿大学、神戸学院大学でも管弦楽団・交響楽団の常任指揮者を務める。

 1曲目はドヴォルザークが渡米前の1882年に作曲した序曲「我が家」だった。さほど長い曲ではないが、現在のチェコ国歌にも使われているメロディーが含まれる。後半のその「ふるさとはいずこや」の演奏は力強く、かつ華やかさに満ち溢れて、ドヴォルザークの郷土愛の世界に引き込まれた。

 2曲目はシベリウスが34歳だった1899年に作った「フィンランディア」。当時フィンランドはロシアの圧政下にあり独立の気運が高まっていた。この曲は民族叙事詩に基づく歴史劇の付随音楽の一部として作曲された「フィンランドは目覚める」が原曲。

 演奏は圧政に苦しむ人々の苦難を表すように金管楽器の暗い重低音で始まる。これまで何十回も聴いた出だしの「苦難」のモチーフだ。しばらくして鳴り響くのは金管・打楽器による独特な力強いリズム。これは「闘争への呼び掛け」のモチーフ。歯切れのいい演奏の後に「フィンランド讃歌」と呼ばれる美しい旋律が続く。

 フィンランドが苦難の末、独立を果たすのは1917年。以来長年にわたり軍事的中立を保ってきた。だが今年の春、その国是を大転換しNATO(北大西洋条約機構)に加盟した。背景にあるのはもちろんロシアによるウクライナ侵攻。演奏を聴きながら、そんな国際情勢がちらっと頭をよぎった。(下の写真は演奏会場の「やまと郡山城ホール」)

 3曲目はドヴォルザークが渡米中の1893年、故国を思いながら作曲した交響曲第9番「新世界より」。「遠き山に日は落ちて」の歌詞で知られる哀愁を帯びた第2楽章と、対照的に力強く壮大なアレグロの第4楽章の緩急・強弱のめりはりの利いた演奏が印象的だった。ホルンなど管楽器とコントラバス6本の安定感が演奏全体をどっしり支えていた。

 指揮者の木下さんは演奏前、ドヴォルザークについて昨今の“鉄ちゃん”に劣らない鉄道おたくだったことなどを紹介していた。気難しそうな作曲家が多い中で、ドヴォルザークのそんな庶民的な側面を知って親しみが増した。アンコールはヨハン・シュトラウスの「ラデツキー行進曲」だった。(カラヤン指揮のベルリン・フィル「新世界より」を聴きながら)

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<写真あれこれ⑤> ハチに刺された! ユズの木に大きな丸い巣!

2023年12月09日 | メモ

【コガタスズメバチ? 上から投げた枝が命中、真っ二つに】(2023年8月30日/我が家の庭で)

【その後、放水を続けるとスズメバチも退散】

【夏の夜、カナブン対スズメバチ】(2010年7月5日/奈良市内の公園で)

【何のサナギ? いえ「ペリカンバナ」の蕾です】(2023年5月16日/京都府立植物園)

【室内の天井でクマゼミが羽化!】(2017年7月17日/我が家で)

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<写真あれこれ④> 今も脳裏から離れない衝撃的な光景!

2023年12月08日 | メモ

【アカミミガメが鳩を池に引きずり込んで食べた!】(2012年8月11日/奈良・猿沢池)

【ミミズをうまそうに丸呑みするトカゲ】(2016年5月31日/自宅の庭で)

【数羽のカラスの攻撃を受け放心状態で動けず】(2017年5月20日/奈良市の住宅街)

【交尾? 激しく絡み合う2匹のカタツムリ】(2017年8月16日/自宅の庭で)

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<写真あれこれ③> 超接近、でも逃げないキリギリス!

2023年12月07日 | メモ

【そうか、ウンコ中だったんだ】(2015年7月20日/奈良県営馬見丘陵公園)

【汗を吸ってるの? 足に止まり3分も!】(2016年7月31日/和歌山県紀の川市の粉河産土神社で)

【シジュウカラ、勝手に鳥かごに出入り】(2013年2月14日/我が家のベランダで)

【アマガエル、墓石でかくれんぼ?】(2014年9月13日/奈良市寺山霊苑で)

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