く~にゃん雑記帳

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<平城宮いざない館> 「アフター 発掘された日本列島2023」展

2024年02月04日 | 考古・歴史

【幻の都「西京」が地下に眠る大阪府八尾市の遺跡など】

 平城宮跡歴史公園(奈良市)の平城宮いざない館で「アフター 発掘された日本列島2023」展が開かれている。「発掘された日本列島」展は文化庁が最新の遺跡発掘の成果を広く紹介しようと1995年度にスタートし、以来、毎年全国5カ所ほどを巡回してきた。ただ23年度は文化庁の京都移転が重なったため山梨と長崎の2カ所に絞って開催し、そのダイジェスト版を「アフター展」として奈良で開いているもの。会期は2月12日まで。

 展示は大きく「我がまちが誇る遺跡」と「新発見考古速報」の2本立て。「我がまち」では奈良時代後半に称徳天皇と僧の道鏡が新しい都として造営を進めた「西京」が地下に眠る大阪府八尾市の遺跡など3カ所を取り上げている。道鏡はヤマト王権の軍事・祭祀を担った古代氏族物部氏一族の弓削氏出身。ゆかりの弓削の里一帯には古代寺院の由義寺(ゆげでら)跡や久宝寺遺跡、渋川廃寺、高安千塚古墳群など道鏡や物部氏に関わる遺跡が多く残る。

 同展ではこれらの遺跡からの出土品をパネルとともに展示中。高安古墳群のうち横穴式石室の大石古墳からは口縁にミニチュアの壷や鳥を配した豪華な須恵器の装飾器台なども見つかっている。久宝寺遺跡からは大型掘っ立て柱の建物群の跡が出土した。物部氏の居館跡ではないかといわれている。また7世紀前半創建と推定される渋川廃寺も物部氏との関係が指摘される。

 由義寺は長く幻の寺といわれていたが、2017年に一辺約21.6mの大規模な塔の基壇が見つかり、その実在が確認された。塔は全国各地に建てられた国分寺の塔と同様、七重塔だった可能性も。跡地は翌年、国の史跡に指定された。その北東側からは都造りが進められていたことを示す水路や船着場なども確認されている。「西京」の造営は蘇我氏との戦いに敗れた物部氏の復権という願いも込められていたのだろう。だが、その都造りも770年、称徳天皇の崩御に伴って中止され、下野薬師寺(埼玉県)に放逐された道鏡も2年後に没した。

(弓削道鏡といえば、つい頭をよぎるのが極悪人説とともに“巨根伝説”。平安初期の説話集『日本霊異記』などで広がった。髙樹のぶ子の小説『明日香さん霊異記』の中にも「道鏡みたいに、精力絶倫が明日香ちゃんのお好みなんか……トホホ」といったくだりも。巷では「道鏡は座ると膝が三つでき」という川柳も詠まれた。ただ、あくまで創作ともいわれる。海音寺潮五郎は「(中国の歴史書)『史記』の呂不韋列伝にある宦官と始皇帝の母后の話が原型」と唱えた。つい最近、秦の始皇帝とその母と野心家の商人・呂不韋の3人を中心とする壮大な中国宮廷ドラマ「コウラン伝 始皇帝の母」(62話)を全巻視聴したばかり。展示コーナーを見ているうち、そんなことが次々に思い浮かんできた)

 「我が町が誇る遺跡」では全国屈指の貝塚密集地域・宮城県の仙台湾周辺の遺跡と、日本の窯業生産の発祥の地・猿投窯など名古屋市の遺跡も取り上げている。仙台湾の中にある里浜遺跡(東松山市)は日本最大級の貝塚。南境貝塚や沼津貝塚(ともに石巻市)などとともに土器や石器、骨角器などの出土品を展示中(上の写真)。猿投窯では古墳時代中期の5世紀初頭から須恵器づくりが始まり、鎌倉時代まで陶磁器の生産が続いて、その技術は常滑窯、瀬戸窯など各地の“六古窯”に引き継がれた。

 「新発見考古速報」では全国最多の子持勾玉(こもちまがたま)45点が出土した北大竹遺跡(埼玉県行田市)や、最新の調査で墳長が270~280mで佐紀山古墳群の中で最大と分かったウワナベ古墳(奈良市)、これまで存在が知られていなかった3基の円墳が見つかった下里見天神前遺跡(群馬県高崎市)など全国各地の遺跡を紹介している。(写真は下里見天神前遺跡の円墳の周溝から出土した馬形埴輪)


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