映画が中心のブログです!

中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

日曜日・・・いいこともあり、悪いこともあり。

2011年07月31日 | 日記

         
        発表会のプログラムと、準ミス日本の江原千花さん15才167㎝で、将来の
        夢はミュージカルの舞台だそうです。


     下関で知り合った方が主宰する「AYAKO モダンバレエスタジオ 第4回発表会」
     を見せていただきました。
     下関市民会館大ホールを使っての発表会でしたが満席の状態。生徒さんたちは
     一生懸命だし、よく練習を積んでいるな・・・が私の感想です。
     モダンバレエの演目の中に、日本舞踊をアレンジして投入するなどの新しい試
     みもありました。
     ここの生徒さんでもありますが、今年の準ミス日本に選出された江原千花さんが
     いて、彼女の踊りが実に伸び伸びしていて将来性を感じましたが、なんと15才
     の中学生だそうで更に驚きました。


     帰宅したら永田秀雅氏(永田雅一氏の長男)から手紙が着いていて、急いで封
     を切りました。
     暑さのせいもあるのでしょうが、その昔、京橋の大映本社から自分で車を運転、
     日比谷の交差点で信号待ちをしていて追突された後遺症が未だもって治らず、
     このニ~三日はギブスをつけている由。でも口は達者だから心配しないで・・・
     早く会おうよとの便りでした。
     次回上京の折には、永田社長のお墓参りに連れて行っていただくお約束をして
     います。

     と言う私もここ数日間ですが身体の調子が絶不調です。
     下関の映画館(2館)を預かり、建て直しを計って早くも半年が経ちます。毎日
     福岡から新幹線で通っているのですが、こんなに長くなると疲れも溜まるし、
     この猛暑のせいでもあると思います。
     そろそろ私の役目も終わっていいと思いますし、あとはタイミングです。
     私は映画に関しては全ての部門を経験しましたが、やはり料金を払って見る
     側が一番楽だし楽しいです・・・。

     「永田雅一氏のこと」を13回書かせていただきました。
     倒産時、私のように比較的冷静だった人は少なく、なぜ最悪の状態になった
     のだと、今でも息巻くもと社員もいます。
     そんな倒産前後のこともまた改めて書きたいと思っていますし、お約束の女優
     さんのことも書きますね・・・。
     今日は、「永田雅一氏のこと」を書くために引っ張りだしていたスナップの中
     から追加アップしましたのでご覧ください。

    
     若尾チャンは私にとって永遠のマドンナという存在です。右は永田秀雅氏です。

  
     「野火」の宣伝で私は先頭に立って宣伝しましたよ。
     右の写真には藤村志保、弓恵子、本郷功次郎、高田美和、姿美千子の顔が見えます。

  
     長谷川待子さんも楽しい仲間の一人でした。
     右はニューフェースの審査風景で、進行役は私です。

  
     左は、いつも私のブログに名前だけ出てくる親友のT氏です。演劇評論家です。
     右は、京都撮影所のグランプリ広場での私です、会議で毎月行っていました・・・。


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永田雅一氏のこと、その13 (最終回)

2011年07月30日 | 日記

     
         ↑左は、永田社長が南先住に作った今は無き東京スタジアム。
         ↑右は、永田社長が静かに眠る都内のお墓です。
   
     六社協定に関連する田宮二郎のことだって私は合点が行かないのです。
     田宮夫婦とは個人的にも仲良くしていて、彼の自宅で食事や麻雀したりで
     あったので彼の気持ちもよく判るのです。彼が出演する作品で、ポスター
     の序列で撮影所長ともめました。
     俳優にとっては序列は大事なことだし、撮影所長は新任で自分の権威を落
     としたくない・・・の争いでした。
     そこで永田社長が中に入って手打ちにすればあのような大事に至らなかった
     と思います。
     大映を退社し六社協定の壁に苦しみ、テレビに時々出たり、キャバレー回り
     などしていた田宮と、私は渚まゆみと一緒に彼の言い分をを聞かされたこと
     もありました・・・。

     とにかく永田社長の思惑と違って、この協定はどんどん一人歩きをして行き
     ました。
     大映が崩壊した原因は多々ありますが、私はこの五社協定こそが自らの首
     をしめ、大映崩壊のはじまりの一歩と思っています。

     大映崩壊は多くの原因が重なった結果です。一時株主に対して七割配当を
     した時期があります。
     そんな時期に財務の強化が全くなされなかったこと、社長の周辺からそれま
     で社長を支えてきた有力な人が離脱したり亡くなったこと、フジ・テレビを
     創立させた有力メンバーの一社でありながら、それを生かすことが出来なか
     ったし、テレビ全体への対応が失敗したこと、政界に必要以上に深入りした
     こと、重要な興行面で明るい人が不在だったこと・・・、などなどで、巷間伝え
     られる中田康子のことなど小さなことです。

     最初はこの崩壊原因についても私なりに詳しく書くつもりだったのですが、ど
     うしてもこれから先は書きそびれます。
     少し整理をした後で改めてちゃんと書きますのでお許しください。

     去年だったか「その木戸を通って」を見てたら脚本担当が大映宣伝部仲間の
     中村努氏でした。池広さんもまだ頑張ってるし、若尾ちゃんも、藤村志保さん
     も、松坂も、みんな頑張っています。
     私ももうちょっと頑張るつもりです。

     大映の宣伝部にいたお陰で、色んな事を学びましたし、支社の宣伝課長をや
     ったお陰で身につけたことも多かったです。
     普通の会社ですと支社での仕事は支社長の管轄で行なうのでしょうが、大映
     は違いました。
     私たちは本社の直轄部門として、宣伝費(全国宣伝費の九州配分は当時12%
     でした)の使途も私の裁量ですし、行動も支社の管轄から離れていました。
     しかも10人の部下を預けられて業務遂行するのですから、大変でしたがそ
     こで責任と考えること決断することを学ばせてもらったことは、大映を離れて
     もどれだけ役に立ったか、計り知れません。大映サマサマです。

     永田雅一氏のことはこれでひとまず終わりますが、暫らく間を置いてこの続
     きと、仲良くしてもらった俳優さんやスタッフのこと書かせていただくつも
     りです。
     取りあえず長いことお付き合いいただいたことにお礼申し上げます。
 
      最後はおふざけで済みませんが、最近の私と親友の上原明氏(撮影監督)です。
      たまにはこうして気分転換を計っています。
      
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永田雅一氏のこと、その12

2011年07月29日 | 日記
        

     前回から五社協定について書いていますが、日活が増えて五社協定から六社
     協定に移行し、この協定は、色々な問題を合わせて起こしながら継続して行く
     ことになったのです。
     前回に続いて永田社長の話をお聞きください。


     (永田社長の著書から引用)
     そこで、昭和31年に、私が会長をしている日本映画連合会(映連)を劇映画
     製作会社のみに改組しょうということになり、日活も同業者としてお入りなさ
     い。入った限りは、いままでは五社協定に対して全容を誤解しておったろう
     から、どうか安心してわれわれの仲間と一緒に、映画産業発達のためにやり
     ましようと語ったところが、堀日活社長も欣然として入ろうということになった。
     同時に映連は改組して日本映画製作者連盟となり、五社協定は六社協定と
     なった。

     ところがある社から動議が出て、もし独立プロダクションを悪意で便衣隊のよ
     うに作って、そこで六社に所属している芸術家を抜いて作った作品は、六社の
     中の一社が配給をするということは困るという。
     これが世間ではプロダクションのものは配給しない、フリーの者は使わないと
     は怪しからぬといっているが、われわれはそんなことをいっていない。
     六社協定に違反し、トラブルのあった芸術家をもって作られた作品は、六社は
     手をつけないという、道徳的な申し合わせがこれであって、私は当然の申合せ
     だと思う。
     例えば高峰秀子君や淡島千景君のように、フリーで、しかもトラブルを起こさ
     ぬ俳優は、どこでも使っているでしよう。私の考えは率直にいうと、私は今後
     も専属制をますます強化していきたい。

     一部の人からいわせると、二言目には会社は金を儲けるという。冗談じゃな
     い・・・。
     慈善事業や社会事業のために映画をつくっているのではない。自由主義経
     済のもとにおいて、映画もまた企業である。しかし映画は企業であるけれど、
     ただ単なる企業ではない。金さえ儲けたらいいというのではない。マスコミ
     ニュケーションの中のグループだから、やはりどこから公益性は持っている。
     それだけは自覚している。

     昔から言うように、舞台は一に狂言、二に役者だ。このことは一に素材だ、
     素材が悪ければどんな名優が出たって、観客をアッピールできない。これと
     同じく、映画を一に企画、二に監督、三に俳優といっている。まず企画、
     すなわち素材が第一だ。次が素材をうまく消化する演出家、すなわち監督が
     大事であり、第三が俳優である。それも総合芸術の基礎の上に立っての事だ。
     もう少しみんなが共同責任を感じないといかぬ。 (以上、引用)


     今までいろいろ述べました。
     永田社長の基本的な考え方を原則的に良しとしても、結果はマイナス面が続々
     と出てきて弊害を起こしたことは間違いないと思います。
     これを業界以外にも大々的に発表し、対象となる人たちに無言の圧力や牽制を
     必要以上かけたことにも連がり、世間が悪く取ったのは当然でしょう。

     私的にいうと各社がそれぞれキチンと契約を行っておれば良いのであって、
     わざわざ外部に発表することはない。それで引き抜きなどの問題が発生すれば
     堂々と出るところに出て決着をつけれよかったのではないか。プロダクションの
     問題だってそれが興行的に強い作品だと、なし崩しに解決される・・・。

     私の周囲でもこの協定に反発した人、泣いた人・・が結構います。
     日活が出来たときに、業界の古い体質に嫌気がさして移って行った南田洋子を
     はじめ技術者も沢山います。
     私が大映に入れ研究所で訓練した江美しのぶも、訓練が終わると同時に巧妙に
     松竹に 持って行かれました。
     業界は違いますが、私の長男がある会社からソニーに抜かれた時に、円満退社
     の格好をとるというソニーの要望で、3ケ月間の余裕を作って転社したのと同様
     に、いざやろうと思えば方法はいくらでもあった筈です。 (続く)

  
  左から矢島ひろ子・高松英郎・私・中条静夫      江波杏子と私

  
  渥美まりと私                     姿美千子と私

  
  勝新と岩下俊作氏(無法松の一生・原作者)  ダイニチ発表会、左から私、一人おいて松山社長
 
  地方の新聞記者と東京撮影所で宣伝部との懇親会。最後列左から九州担当の私、東京撮影所担当、
  関西担当、中部担当、二人おいて、舟橋東京撮影所長(舟橋聖一氏の息子)、北海道担当・・・。
  この中には若かりしころの平泉征・峰岸徹・渥美まりが交じっていますので探してください。

        
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映画 「4月の涙」

2011年07月28日 | 日記

          

     一昨日は帰宅が午前様となり、どうしても書く事が出来ず、一日お休み
     をいただきました。
     海外に出るとか出張だと仕様がないのですが、午前様はいけません・・・。
     出来るだけマメに書きますので宜しくお願いします。

     映画館で出来るだけ見ていますが、試写で見た作品も溜まってきました。
     因みに「サンクタム」「ハウスメイド」「ゲーテの恋~君に捧ぐ"若きウェテ
     の悩み"」「探偵はBARにいる」「アジョシ」「レジェンド・オブ・フィスト」です
     が、公開日を考えながら感想をご披露したいと思っています。

     「4月の涙」は、ロシアから独立したものの内戦に明け暮れたフィンランド
     を舞台に、1918年ころの戦いと愛のドラマです。
     内戦末期、右派の白衛軍は、左派の赤衛軍の残党である女性兵を追い
     詰めて捕虜にし、乱暴した揚げ句に逃亡兵として射殺する暴挙に出ます。
     一人生き残ったミーナは、脱出途中に敵の準士官アーロに捕まってしま
     うのですが、彼は他の兵士と違う清らかな心の持主だったし、彼女を公
     平な裁判にかけるために奔走するのでしたした
     そして裁判にかけるため二人の前に判事のエーミルが現われます・・・。

     監督はアク・ロウヒミエス。準士官役はこの作品でマラケシュ国際映画祭
     男優賞を受賞したサムリ・ヴァウラモ、女兵士役はピヒラ・ピータラ、判事
     役はエーロ・アホがそれぞれ熱演です。

     この作品も予告編が上出来で見たいと思ったし、てっきり敵同士の男女
     が色々あって微妙な恋の話と思っていたのです。
     前半は確かにそうなのですが、後半女兵士の裁判のために判事が出て
     きたあたりから物語の様相が一変します。
     あまり書くとネタバレになりますが、要するに同性愛問題が出てきて思
     いも寄らぬラストへと転がり込んで行くのです。

     真面目に撮っていることは判るのですが、欲張りすぎた内容で終盤は見
     ていてどうもすっきりしません。いい材料なのに惜しい一作でした。

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映画 「エクレール・お菓子放浪記」

2011年07月26日 | 日記

          

     原作は西村滋の自伝的小説「お菓子放浪記」ですが、出版から30年
     以上の時を経て映画化されたものです。

     内容は第2次大戦前後を背景に、孤児で家もなく放浪していた少年が、
     "お菓子"へのあこがれを胸に描きながらさまざまな人々との出会いと
     別れを繰り返し、紆余曲折を経て力強く生き抜く姿を描いたものです。

     監督は「ふみ子の海」の近藤明男。主人公の少年には「レ・ミゼラブル」
     などミュージカルに出演が多い吉井一肇。
     他に、早織・いしだあゆみ・高橋恵子・遠藤憲一・林隆三などが共演し
     ています。

     私は予備知識がほとんどなく、ケーキ屋さんのサクセス物語ぐらに思
     いながら見た次第です。
     何しろ30年も前の小説の映画化ですから、少しは手を加えてあるの
     でしょうが、作品全体が古臭く感じるのは仕方がないのでしょうね。

     子役はまあまあです。悪人か善人かよく判らないいしだあゆみの演技
     が光っていました。
     一番困るのは脚本と演出がともに貧相なことで、子供があのようなキザ
     なセリフを言うはずがないと思われる箇所がいくつかありますし、ラスト
     の粗い処理にも驚きました。
     更に技術的な面にも触れますが、撮影・編集もいただけません。
        

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